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[原创作品] 吾輩は猫である

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发表于 2005-10-12 19:55:43 | 显示全部楼层 |阅读模式
夏目漱石
        一

 吾輩(わがはい)は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当(けんとう)がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕(つかま)えて煮(に)て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始(みはじめ)であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後(ご)猫にもだいぶ逢(あ)ったがこんな片輪(かたわ)には一度も出会(でく)わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙(けむり)を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草(たばこ)というものである事はようやくこの頃知った。
 この書生の掌の裏(うち)でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で哕灓肥激幛俊瑒婴韦苑证坤堡瑒婴韦证椁胜い瑹o暗(むやみ)に眼が廻る。胸が悪くなる。到底(とうてい)助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一疋(ぴき)も見えぬ。肝心(かんじん)の母親さえ姿を隠してしまった。その上今(いま)までの所とは違って無暗(むやみ)に明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容子(ようす)がおかしいと、のそのそ這(は)い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁(わら)の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。
 ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別(ふんべつ)も出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいから食物(くいもの)のある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左(ひだ)りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這(は)って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入(はい)ったら、どうにかなると思って竹垣の崩(くず)れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍(ろぼう)に餓死(がし)したかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云(い)ったものだ。この垣根の穴は今日(こんにち)に至るまで吾輩が隣家(となり)の三毛を訪問する時の通路になっている。さて邸(やしき)へは忍び込んだもののこれから先どうして善(い)いか分らない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予(ゆうよ)が出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩は彼(か)の書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇(そうぐう)したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋(くびすじ)をつかんで表へ抛(ほう)り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって撙蛱欷巳韦护皮い俊¥筏筏窑猡袱い韦群い韦摔悉嗓Δ筏皮馕衣隼搐蟆N彷叅显伽婴丹螭蜗叮à工─蛞姢铺ㄋ剡@(は)い上(あが)った。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんと云う者はつくづくいやになった。この間おさんの三馬(さんま)を偸(ぬす)んでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞(つかえ)が下りた。吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家(うち)の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿(やど)なしの小猫がいくら出しても出しても御台所(おだいどころ)へ上(あが)って来て困りますという。主人は鼻の下のっ驌樱à窑停─辘胜槲彷叅晤啢颏筏肖椁鳎à胜─幛皮盲郡ⅳ浃皮饯螭胜槟冥刂盲い皮浃欷趣い盲郡蓼薨陇剡@入(はい)ってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜(くや)しそうに吾輩を台所へ抛(ほう)り出した。かくして吾輩はついにこの家(うち)を自分の住家(すみか)と極(き)める事にしたのである。
 吾輩の主人は滅多(めった)に吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗(のぞ)いて見るが、彼はよく昼寝(ひるね)をしている事がある。時々読みかけてある本の上に涎(よだれ)をたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色(たんこうしょく)を帯びて弾力のない不活溌(ふかっぱつ)な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食った後(あと)でタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実に楽(らく)なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度(たび)に何とかかんとか不平を鳴らしている。
 吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。どこへ行っても跳(は)ね付けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、今日(こんにち)に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人の傍(そば)にいる事をつとめた。朝主人が新聞を読むときは必ず彼の膝(ひざ)の上に仱搿1摔缜蓼颏工毪趣媳丐氦饯伪持校à护胜─藖る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。その後いろいろ経験の上、朝は飯櫃(めしびつ)の上、夜は炬燵(こたつ)の上、天気のよい昼は椽側(えんがわ)へ寝る事とした。しかし一番心持の好いのは夜(よ)に入(い)ってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。この小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へ入(はい)って一間(ひとま)へ寝る。吾輩はいつでも彼等の中間に己(おの)れを容(い)るべき余地を見出(みいだ)してどうにか、こうにか割り込むのであるが、邜櫎」─我蝗摔郅蛐眩à担─蓼工钺岽髩浃适陇摔胜搿P」─熄D―ことに小さい方が質(たち)がわるい――猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのである。すると例の神経胃弱性の主人は必(かなら)ず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。現にせんだってなどは物指(ものさし)で尻ぺたをひどく叩(たた)かれた。
 吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘(わがまま)なものだと断言せざるを得ないようになった。ことに吾輩が時々同衾(どうきん)する小供のごときに至っては言語同断(ごんごどうだん)である。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛(ほう)り出したり、へっついの中へ押し込んだりする。しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内(かない)総がかりで追い廻して迫害を加える。この間もちょっと畳で爪を磨(と)いだら細君が非常に怒(おこ)ってそれから容易に座敷へ入(い)れない。台所の板の間で他(ひと)が顫(ふる)えていても一向(いっこう)平気なものである。吾輩の尊敬する筋向(すじむこう)の白君などは逢(あ)う度毎(たびごと)に人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。白君は先日玉のような子猫を四疋産(う)まれたのである。ところがそこの家(うち)の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族(ねこぞく)が親子の愛を完(まった)くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅(そうめつ)せねばならぬといわれた。一々もっともの議論と思う。また隣りの三毛(みけ)君などは人間が所有権という事を解していないといって大(おおい)に憤慨している。元来我々同族間では目刺(めざし)の頭でも鰡(ぼら)の臍(へそ)でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善(よ)いくらいのものだ。しかるに彼等人間は毫(ごう)もこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪(りゃくだつ)せらるるのである。彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものを奪(うば)ってすましている。白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。
 我儘(わがまま)で思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。元来この主人は何といって人に勝(すぐ)れて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝(こ)ったり、謡(うたい)を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後架(こうか)の中で謡をうたって、近所で後架先生(こうかせんせい)と渾名(あだな)をつけられているにも関せず一向(いっこう)平気なもので、やはりこれは平(たいら)の宗盛(むねもり)にて候(そうろう)を繰返している。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。この主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかり後(のち)のある月の月給日に、大きな包みを提(さ)げてあわただしく帰って来た。何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。果して翌日から当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。当人もあまり甘(うま)くないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た時に下(しも)のような話をしているのを聞いた。
「どうも甘(うま)くかけないものだね。人のを見ると何でもないようだが自(みずか)ら筆をとって見ると今更(いまさら)のようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐(じゅっかい)である。なるほど詐(いつわ)りのない処だ。彼の友は金縁の眼鏡越(めがねごし)に主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画(え)がかける訳のものではない。昔(むか)し以太利(イタリー)の大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰(せいしん)あり。地に露華(ろか)あり。飛ぶに禽(とり)あり。走るに獣(けもの)あり。池に金魚あり。枯木(こぼく)に寒鴉(かんあ)あり。自然はこれ一幅の大活画(だいかつが)なりと。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」
「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」と主人は無暗(むやみ)に感心している。金縁の裏には嘲(あざ)けるような笑(わらい)が見えた。
 その翌日吾輩は例のごとく椽側(えんがわ)に出て心持善く昼寝(ひるね)をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後(うし)ろで何かしきりにやっている。ふと眼が覚(さ)めて何をしているかと一分(いちぶ)ばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトを極(き)め込んでいる。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。彼は彼の友に揶揄(やゆ)せられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。吾輩はすでに十分(じゅうぶん)寝た。欠伸(あくび)がしたくてたまらない。しかしせっかく主人が熱心に筆を執(と)っているのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒(しんぼう)しておった。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩(いろど)っている。吾輩は自白する。吾輩は猫として決して上仱纬隼搐扦悉胜ぁ1长趣いっ珌Kといい顔の造作といいあえて他の猫に勝(まさ)るとは決して思っておらん。しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描(えが)き出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。第一色が違う。吾輩は波斯産(ペルシャさん)の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆(うるし)のごとき斑入(ふい)りの皮膚を有している。これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ扦猡胜ぁ⒒疑扦猡胜堡欷泻稚à趣婴い恚─扦猡胜ぁⅳ丹欷肖趣皮长欷椁蚪护激可扦猡胜ぁ¥郡酪环Nの色であるというよりほかに評し方のない色である。その上不思議な事は眼がない。もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないから盲猫(めくら)だか寝ている猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと思った。しかしその熱心には感服せざるを得ない。なるべくなら動かずにおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催うしている。身内(みうち)の筋肉はむずむずする。最早(もはや)一分も猶予(ゆうよ)が出来ぬ仕儀(しぎ)となったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあと大(だい)なる欠伸をした。さてこうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がない。どうせ主人の予定は打(ぶ)ち壊(こ)わしたのだから、ついでに裏へ行って用を足(た)そうと思ってのそのそ這い出した。すると主人は失望と怒りを掻(か)き交ぜたような声をして、座敷の中から「この馬鹿野郎」と怒鳴(どな)った。この主人は人を罵(ののし)るときは必ず馬鹿野郎というのが癖である。ほかに悪口の言いようを知らないのだから仕方がないが、今まで辛棒した人の気も知らないで、無暗(むやみ)に馬鹿野郎呼(よば)わりは失敬だと思う。それも平生吾輩が彼の背中(せなか)へ仱霑rに少しは好い顔でもするならこの漫罵(まんば)も甘んじて受けるが、こっちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立ったのを馬鹿野郎とは酷(ひど)い。元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。少し人間より強いものが出て来て窘(いじ)めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。
 我儘(わがまま)もこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にした事がある。
 吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園(ちゃえん)がある。広くはないが瀟洒(さっぱり)とした心持ち好く日の当(あた)る所だ。うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然(こうぜん)の気を養うのが例である。ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩は昼飯後(ちゅうはんご)快よく一睡した後(のち)、邉婴郡郡长尾鑸@へと歩(ほ)を撙肖筏俊2瑜文兢胃蛞槐疽槐拘幛胜椤⑽鱾趣紊荚韦饯肖蓼扦毪取⒖菥栅蜓氦返工筏皮饯紊悉舜螭拭à搬岵灰櫎饲蓼皮い搿1摔衔彷叅谓扭韦庖幌颍àい盲长Γ┬母钉钉毪搐趣ⅳ蓼啃母钉鉄o頓着なるごとく、大きな鼾(いびき)をして長々と体を横(よこた)えて眠っている。他(ひと)の庭内に忍び入りたるものがかくまで平気に睡(ねむ)られるものかと、吾輩は窃(ひそ)かにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。彼は純粋のà扦ⅳ搿¥铯氦宋纾à矗─蜻^ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に抛(な)げかけて、きらきらする柔毛(にこげ)の間より眼に見えぬ炎でも燃(も)え出(い)ずるように思われた。彼は猫中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している。吾輩の倍はたしかにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立(ちょりつ)して余念もなく眺(なが)めていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐(ごとう)の枝を軽(かろ)く誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はかっとその真丸(まんまる)の眼を開いた。今でも記憶している。その眼は人間の珍重する琥珀(こはく)というものよりも遥(はる)かに美しく輝いていた。彼は身動きもしない。双眸(そうぼう)の奥から射るごとき光を吾輩の矮小(わいしょう)なる額(ひたい)の上にあつめて、御めえは一体何だと云った。大王にしては少々言葉が卑(いや)しいと思ったが何しろその声の底に犬をも挫(ひ)しぐべき力が唬à长猓─盲皮い毪韦俏彷叅仙伽胜椁嚎证欷虮Вàい溃─い俊¥筏钒ま伲àⅳい丹模─颏筏胜い汝搮祝à堡螭韦螅─坤人激盲郡椤肝彷叅厦à扦ⅳ搿C挨悉蓼坤胜ぁ工趣胜毪伽綒荬蜃埃à瑜饯─盲评淙护却黏à俊¥筏筏长螘r吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。彼は大(おおい)に軽蔑(けいべつ)せる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。全(ぜん)てえどこに住んでるんだ」随分傍若無人(ぼうじゃくぶじん)である。「吾輩はここの教師の家(うち)にいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。いやに瘠(や)せてるじゃねえか」と大王だけに気焔(きえん)を吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。しかしその膏切(あぶらぎ)って肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。「己(お)れあ車屋のà恚─琛拱喝唬à长Δ激螅─郡毪猡韦馈\囄荬吸はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義の的(まと)になっている奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々軽侮(けいぶ)の念も生じたのである。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかを試(ため)してみようと思って左(さ)の問答をして見た。
「一体車屋と教師とはどっちがえらいだろう」
「車屋の方が強いに極(きま)っていらあな。御めえのうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」
「君も車屋の猫だけに大分(だいぶ)強そうだ。車屋にいると御馳走(ごちそう)が食えると見えるね」
「何(なあ)におれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。御めえなんかも茶畠(ちゃばたけ)ばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっと己(おれ)の後(あと)へくっ付いて来て見ねえ。一と月とたたねえうちに見違えるように太れるぜ」
「追ってそう願う事にしよう。しかし家(うち)は教師の方が車屋より大きいのに住んでいるように思われる」
「箆棒(べらぼう)め、うちなんかいくら大きくたって腹の足(た)しになるもんか」
 彼は大(おおい)に肝癪(かんしゃく)に障(さわ)った様子で、寒竹(かんちく)をそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去った。吾輩が車屋の戎海à沥─摔胜盲郡韦悉长欷椁扦ⅳ搿
 その後(ご)吾輩は度々(たびたび)儒忮耍àい长Γ─工搿e忮摔工霘埃à搐龋─吮摔宪囄菹嗟堡螝轃g(きえん)を吐く。先に吾輩が耳にしたという不徳事件も実は槁劋い郡韦扦ⅳ搿
 或る日例のごとく吾輩と吓げ璁儯à沥悚肖郡保─沃肖乔捃灒à亭长恚─婴胜椁い恧い黼j談をしていると、彼はいつもの自慢話(じまんばな)しをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向って下(しも)のごとく質問した。「御めえは今までに鼠を何匹とった事がある」智識は瑜辘庥喑贪k達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底(とうてい)伪容^にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがに極(きま)りが善(よ)くはなかった。けれども事実は事実で詐(いつわ)る訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだ捕(と)らない」と答えた。媳摔伪扦蜗趣椁预螭韧粡垼à膜盲眩─盲皮い腴Lい髭(ひげ)をびりびりと震(ふる)わせて非常に笑った。元来献月颏工胝桑à坤保─摔嗓长悚辘胜い趣长恧ⅳ盲啤⒈摔螝轃g(きえん)を感心したように咽喉(のど)をころころ鳴らして謹聴していればはなはだ御(ぎょ)しやすい猫である。吾輩は彼と近付になってから直(すぐ)にこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじい己(おの)れを弁護してますます形勢をわるくするのも愚(ぐ)である、いっその事彼に自分の手柄話をしゃべらして御茶を濁すに若(し)くはないと思案を定(さだ)めた。そこでおとなしく「君などは年が年であるから大分(だいぶん)とったろう」とそそのかして見た。果然彼は墻壁(しょうへき)の欠所(けっしょ)に吶喊(とっかん)して来た。「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。一度いたちに向って酷(ひど)い目に逢(あ)った」「へえなるほど」と相槌(あいづち)を打つ。洗螭恃郅颏绚沥膜护圃皮Α!溉ツ辘未髵叱螘rだ。うちの亭主が石灰(いしばい)の袋を持って椽(えん)の下へ這(は)い込んだら御めえ大きないたちの野郎が面喰(めんくら)って飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せる。「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。こん畜生(ちきしょう)って気で追っかけてとうとう泥溝(どぶ)の中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采(かっさい)してやる。「ところが御めえいざってえ段になると奴め最後(さいご)っ屁(ぺ)をこきゃがった。臭(くせ)えの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気を今(いま)なお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。吾輩も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君に睨(にら)まれては百年目だろう。君はあまり鼠を捕(と)るのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」斡鶛C嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出(ていしゅつ)した。彼は喟然(きぜん)として大息(たいそく)していう。「考(かん)げえるとつまらねえ。いくら稼いで鼠をとったって――一てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる。交番じゃ誰が捕(と)ったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんか己(おれ)の御蔭でもう壱円五十銭くらい儲(もう)けていやがる癖に、碌(ろく)なものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものあ体(てい)の善(い)い泥棒だぜ」さすが無学の猡长韦椁い卫砜撸à辘模─悉铯毪纫姢à皮工长证肱à常─盲咳葑樱à瑜Δ梗─潜持肖蚊蚰媪ⅲà丹溃─皮皮い搿N彷叅仙佟菸钉瑦櫎胜盲郡樯皮ぜ訙pにその場を胡魔化(ごまか)して家(うち)へ帰った。この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。しかし巫臃证摔胜盲剖笠酝猡斡Y走を猟(あさ)ってあるく事もしなかった。御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。教師の家(うち)にいると猫も教師のような性質になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。
 教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては到底(とうてい)水彩画において望(のぞみ)のない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。

○○と云う人に今日の会で始めて出逢(であ)った。あの人は大分(だいぶ)放蕩(ほうとう)をした人だと云うがなるほど通人(つうじん)らしい風采(ふうさい)をしている。こう云う質(たち)の人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう。あの人の妻君は芸者だそうだ、羨(うらや)ましい事である。元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない。しかるにも関せず、自分だけは通人だと思って済(すま)している。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入(はい)るから通人となり得るという論が立つなら、吾輩も一廉(ひとかど)の水彩画家になり得る理窟(りくつ)だ。吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧(ぐまい)なる通人よりも山出しの大野暮(おおやぼ)の方が遥(はる)かに上等だ。

 通人論(つうじんろん)はちょっと首肯(しゅこう)しかねる。また芸者の妻君を羨しいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ。主人はかくのごとく自知(じち)の明(めい)あるにも関せずその自惚心(うぬぼれしん)はなかなか抜けない。中二日(なかふつか)置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。

昨夜(ゆうべ)は僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらに抛(ほう)って置いたのを誰かが立派な額にして欄間(らんま)に懸(か)けてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しい。これなら立派なものだと独(ひと)りで眺め暮らしていると、夜が明けて眼が覚(さ)めてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。

 主人は夢の裡(うち)まで水彩画の未練を背負(しょ)ってあるいていると見える。これでは水彩画家は無論夫子(ふうし)の所謂(いわゆる)通人にもなれない質(たち)だ。
 主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡(めがね)の美学者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくと劈頭(へきとう)第一に「画(え)はどうかね」と口を切った。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生を力(つと)めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。西洋では昔(むか)しから写生を主張した結果今日(こんにち)のように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心する。美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目(でたらめ)だよ」と頭を掻(か)く。「何が」と主人はまだ(いつ)わられた事に気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちょっと捏造(ねつぞう)した話だ。君がそんなに真面目(まじめ)に信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦の体(てい)である。吾輩は椽側でこの対話を聞いて彼の今日の日記にはいかなる事が記(しる)さるるであろうかと予(あらかじ)め想像せざるを得なかった。この美学者はこんな好(いい)加減な事を吹き散らして人を担(かつ)ぐのを唯一の楽(たのしみ)にしている男である。彼はアンドレア・デル・サルト事件が主人の情線(じょうせん)にいかなる響を伝えたかを毫(ごう)も顧慮せざるもののごとく得意になって下(しも)のような事を饒舌(しゃべ)った。「いや時々冗談(じょうだん)を言うと人が真(ま)に受けるので大(おおい)に滑稽的(こっけいてき)美感を挑撥(ちょうはつ)するのは面白い。せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であった。ところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった。それからまだ面白い話がある。せんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノの話(はな)しが出たから僕はあれは歴史小説の中(うち)で白眉(はくび)である。ことに女主人公が死ぬところは鬼気(きき)人を襲うようだと評したら、僕の向うに坐っている知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといった。それで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおらないという事を知った」神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけた。「そんな出鱈目(でたらめ)をいってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人を欺(あざむ)くのは差支(さしつかえ)ない、ただ化(ばけ)の皮(かわ)があらわれた時は困るじゃないかと感じたもののごとくである。美学者は少しも動じない。「なにその時(とき)ゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っている。この美学者は金縁の眼鏡は掛けているがその性質が車屋の怂皮郡趣长恧ⅳ搿V魅摔宵aって日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇気はないと云わんばかりの顔をしている。美学者はそれだから画(え)をかいても駄目だという目付で「しかし冗談(じょうだん)は冗談だが画というものは実際むずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えた事があるそうだ。なるほど雪隠(せついん)などに這入(はい)って雨の漏る壁を余念なく眺めていると、なかなかうまい模様画が自然に出来ているぜ。君注意して写生して見給えきっと面白いものが出来るから」「また欺(だま)すのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。実際奇警な語じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな事だあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をした。しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。
 車屋の悉饯吾幔à矗耍à婴盲常─摔胜盲俊1摔喂鉀gある毛は漸々(だんだん)色が褪(さ)めて抜けて来る。吾輩が琥珀(こはく)よりも美しいと評した彼の眼には眼脂(めやに)が一杯たまっている。ことに著るしく吾輩の注意を惹(ひ)いたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。吾輩が例の茶園(ちゃえん)で彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたちの最後屁(さいごっぺ)と肴屋(さかなや)の天秤棒(てんびんぼう)には懲々(こりごり)だ」といった。
 赤松の間に二三段の紅(こう)を綴った紅葉(こうよう)は昔(むか)しの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁(はなびら)をこぼした紅白(こうはく)の山茶花(さざんか)も残りなく落ち尽した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯(こがらし)の吹かない日はほとんど稀(まれ)になってから吾輩の昼寝の時間も狭(せば)められたような気がする。
 主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立て唬à长猓─搿H摔搐毪取⒔處煠瑓挘àい洌─绤挙坤趣いΑK驶鉁缍啶摔胜ぁ%骏弗浈攻咯`ゼも功能がないといってやめてしまった。小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。帰ると唱歌を歌って、毬(まり)をついて、時々吾輩を尻尾(しっぽ)でぶら下げる。
 吾輩は御馳走(ごちそう)も食わないから別段肥(ふと)りもしないが、まずまず健康で跛(びっこ)にもならずにその日その日を暮している。鼠は決して取らない。おさんは未(いま)だに嫌(きら)いである。名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯(しょうがい)この教師の家(うち)で無名の猫で終るつもりだ。

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 楼主| 发表于 2005-10-25 19:39:15 | 显示全部楼层
一九○四年夏天梅雨初晴的一天,一只生下不久的小猫迷路走进夏目漱石的家。翌
年一月发表的《我是猫》就是以这只小猫为模特的。漱石大概也没料到这竟成了他的处
女作。
   一九○五年,漱石三十八岁。作为初出道的作家来说,可以说是大器晚成。在这之
前,他只零碎写过俳句,也没有形成风格。漱石四十九岁病逝,生命不长,创作经历更
短,前后不过十年。漱石又是一个很有特性、怪癖的人,创作一直处于紧张状态。
   一般说,作家写一篇长篇小说之前,要有构思的过程,有的甚至还有个小说提纲,
不能什么准备也没有。说来奇特,《我是猫》成为长篇小说,却是另一种情况。
   漱石是正冈子规“写生文”的崇拜者。子规死后,《杜鹃》杂志由高滨虚子主持。
一九○四年十二月在《杜鹃》同人组织的“山会”上,他朗读了《我是猫》,颇得好评。
《杜鹃》杂志载于新年号,立即引起广泛反响。“在下是猫。还没名没姓。”以演说姿
态开始的这句话,后来成为文坛的名句。“我”的原文为“吾辈”,后来成为小说的题
名。“吾辈”、“余辈”、“我辈”在初次发表的正文中是混用的,强调用猫的眼睛观
察人类和人类社会,带有嘲讽的意味。因为它生来不久就被书生扔掉,冻饿不堪,命运
是不幸的。后为长着两撇胡须的教师苦沙弥收养,所见的知识分子也都值得冷嘲热讽。
《猫》本来只想发表一期即告结束,但它的成功极大地鼓舞了夏目漱石。他进一步让猫
观察下去,二月号《杜鹃》发表了续篇,四月号发表第三篇,一九○六年八月号完成最
后一章节第十一篇。小说在发表过程中就出版了单行本上编,完成时出版了中编和下编。
小说的十一篇是在第一篇完成后逐惭构思的,没有严格的情节演进过程,既像抒情的
“写生文”,又像结构松散的小说。作者后来说,它“没有题旨,没有结构,像无头无
尾的海参似的。”
   这是一篇在特殊条件下创作的特殊结构的小说。
   极度郁愤是小说形成的条件,也是作家创作的动力。
   一九○三年由英国回到东京后的几年,是漱石一生中精神最紧张、最郁闷的一段时
间。
   回国后,作家和妻子镜子的关系更恶化了。漱石在夫妻关系上思想陈旧,要求妻子
以他为绝对权威。而她的妻子精神却又不正常。结婚第二年镜子曾想投河自杀,漱石作
俳句:“病妻室内灯昏暗,苦熬晚暮度秋天。”可以想见,一八八九年的秋季,镜子的
精神病已经很严重。漱石留英期间,曾给镜子写信,倾诉自己很孤独,责怪妻子不写信。
不久他患了严重神经衰弱症,一时传说他疯了。文部省曾有“夏目漱石精神失常”、护
送回国的电文。回国后,漱石常为神经衰弱而苦恼,常常做出越轨的行动。夫妻间的关
系也越来越紧张。他无缘无故打几岁的小孩子,一件小事也大发脾气。一次四岁长女将
一枚硬币放在火盆边,漱石头脑里显现出他在伦敦时一枚硬币引起的不快,动手打了女
儿。妻子怀疑他有精神病,请医生做过诊断。漱石的急躁、愤怒和越轨,反映了他对镜
子的期望破灭。
   回国后,漱石在东京帝国大学任讲师,工作亦不顺利。“英国文学概说”前任教授
小泉八云深受学生的欢迎,漱石接课后不为学生所容,后讲“文学论”,同样不受欢迎。
他情绪低落,经常闷在讲师工作室里,绝少出门。碰上好天气,才在工作室近处的不忍
池边度过。他一度想要辞职,所挣的工资也难以支撑沉重的家庭负担。
   阴郁、愤懑、神经质等,必然对其处女作产生深刻的影响。漱石后来说:“我对这
种神经衰弱和疯狂深表感谢之意。”可见,神经最紧张的日子也是作家走向创作繁荣的
时刻。
   这绝不意味着《猫》的创作失掉了理性。而是说,《猫》的创作实践确实和作家的
精神系统的病狂联系在一起。特别值得注意的,就是作家用猫眼看人生与社会,其中充
满离奇的想象。但它不是颠狂的疯人语,而在精神重压之下的愤懑的倾述,那境界远远
高于世上哲理大家。
   为了说明这一问题,我们不妨看看漱石的生活与思想经历。作家生于一八六七年,
第二年便发生了明治维新,封建幕府垮台,资本主义制度确立起来。父亲是江户(今东
京)奉行所直辖的名主,世道虽然变了,但仍拥有权势和财产。母亲是商家的女儿,作
为后妻已生育四男一女。漱石初名金之助,不知为什么,父亲就是不喜欢,每晚放在另
家夜店的篮子里,姐姐发现将他抱回家。九个月后送盐原昌之助为养子。盐原也是名主,
明治维新废除这官位后,迁居到江户享乐商业区的浅草。九岁时因养父母离婚,漱石重
归自家。十四岁他最恋慕的生母病死。少年学过汉学,后学英语。十七岁离家独立生活,
考入大学预备门预科(今东京一高前身)。其间,生父与养父为漱石的户籍问题,争执
不下,使他苦恼不堪。后来在小说《道草》中说:“不论从生父看,还是从养父看,他
不是人,而是物品。”最终,生父付出赔偿,方告结束。在东京第一高等学校学习期间,
与同级的正冈子规相识。一八九○年进东京帝国大学文科大学英文科,并获文部省贷费
生资格。一八九三年毕业后入大学院,却对英国文学产生怀疑,对禅宗发生浓厚兴趣。
一八九六年与贵族院书记长女镜子结婚,其间曾先后任四国松山市松山中学、熊本第五
高等学校教员。一九○○年留学英国。
   漱石所经历的是明治维新后很多知识分子共同走过的路,但他有自己的曲折的生活
历程,这就使他认识了很多知识分子没有认识到的事物。
   一九一一年,夏目漱石在和歌山市发表以《现代日本的开化》为题的演说。认为日
本走上资本主义的“开化”,和欧洲是不同的。欧洲的开化是“内发的”,它经由几百
年的积累,“如行云流水是自然发展的”。日本的开化却是“外发的”,是“在与外国
接触”过程中被迫转化的。文化也是在大受刺激下急剧转变的。因为外来文化消融存在
问题,土壤和根底均不相同,从而“失去自己本位的能力”,就必然引起“国民的某种
空虚感”,也会出现“不满与不安”,发生“神经衰弱”病症。为了不患“神经衰弱”,
“只能向内发的方向发展”,这是“苦恼的真实”。
   从上述演说不难看出,漱石对明治维新改革的不彻底性是有清醒的认识的。他在一
九○六年写作的《片断》中也说:“当知道开化的无价值,就是厌世观的开始。”进一
步发展,就会成为“真正的厌世文学”。
   这里特别引人注意的,是“厌世”的观点。“厌世”、“苦恼”、“郁愤”是漱石
常用的词汇,也是他的世界观和创作观。如他说:“不描写烦恼称不上是文学”,还说:
“在现在不得神经衰弱的人,大多数是有钱的鲁钝之徒和没有教养的无良心之徒”。一
九○六年他在致高滨虚子的信里说,他创作《猫》等,即是在“倾诉”自己的郁闷和忿
懑。
   漱石在留学英国时写作的《片断》里还说:“有钱的人多数干的是无学无知的鄙劣
之事”,“其结果是使没有教养、不足年龄、没有德义的人进入士大夫社会。”作家对
资产阶级是厌恶的。在一九○五年前后,即写作《我是猫》的那个时刻,作家在《片断》
中写道:“汝所见者为利害之世。我所立者为理否之世。汝所见者为现象之世。我所视
者为实相之世。人爵——天爵。荣枯——正邪。得失——盖恶。”
   一九○二年当日本人为日英同盟缔结,日本跻身列强而欢呼时,漱石却以冷淡的面
孔对待。他在致中根重一信中说:“今天欧洲文明失败的原因,就是极为悬殊的贫富差
别。”这导致“革命的必然性”,“卡尔·马克思的所论”是“理所当然的事”。
   漱石清楚地看出资本主义的不可克服的矛盾,而日本的矛盾则尤使他生厌和悲观。
《我是猫》所针对的正是明治维新后的“金权社会”的矛盾及维新的不彻底性,即“利
害”、“正邪”、“善恶”、“不安”、“空虚”等。作家是明治精神文明的最深刻的
揭发者与批判者,他使用的手法是“描”的嘲讽和评断。其辛辣和深刻性,迅即引起世
人的感叹和兴味。
   漱石和绝大多数资产阶级作家一样,看不到摆脱这一矛盾的出路,无法指明克服维
新不彻底性的办法。他只能是郁闷与愤懑而已。他也力图寻找摆脱矛盾的方法,那就是
推进“内发的”变化。不过,漱石所说的日本的“内发”,与欧洲也不同。他认为欧洲
的文明也是失败的,日本自然不应该再走这条路。日本的另一条路,就是他后来提出的
“则天去私”。这是一种东方的宗教观与社会观。在《猫》中,铃木藤十郎的“狂”、
甘木医生的“死”和八木独仙的“信”都演绎着“则天去私”的观点。漱石虽然也嘲讽
独仙的东方的“自然法”的修养,而最终他也只能在精神信仰上寻求解脱。
   形形色色的资产阶级哲学,都是以个人主义为基础的。漱石信仰的也是个人主义。
“则天去私”的宗教解脱是和个人主义相结合的。一九一四年,漱石在学习院辅仁会发
表题为《我的个人主义》的讲演时说,“权力的威压”、“金钱的诱惑”会导致危险的
后果,与人的个性也是矛盾的。一个人首先要“发展个性”、“尊重个性”,“我毫无
忌惮地公开说,我是个人主义”。作家认为个人主义以“自己本位”立足,和“国家主
义”不是背反的,只是国家间的道义不如个人道义。他主张“以个人幸福为基础的个人
主义,其内容当然是个人的自由。但是,各个人享有的自由是顺从国家安危的,就像寒
暑表的升降一样。”在这里不难看出漱石资产阶级国家观的局限性。
   上述对夏目漱石在二十世纪初年精神危机状态的了解和对其社会观、世界观的认识,
是打开《我是猫》的门户的钥匙。有了这把钥匙,漱石的全部作品都可以打开。
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 楼主| 发表于 2005-10-25 19:42:21 | 显示全部楼层



咱(zá)家是猫。名字嘛……还没有。
   哪里出生?压根儿就搞不清!只恍惚记得好像在一个阴湿的地方咪咪叫。在那儿,
咱家第一次看见了人。而且后来听说,他是一名寄人篱下的穷学生,属于人类中最残暴
的一伙。相传这名学生常常逮住我们炖肉吃。不过当时,咱家还不懂事。倒也没觉得怎
么可怕。只是被他嗖的一下子高高举起,总觉得有点六神无主。
   咱家在学生的手心稍微稳住神儿,瞧了一眼学生的脸,这大约便是咱家平生第一次
和所谓的“人”打个照面了。当时觉得这家伙可真是个怪物,其印象至今也还记忆犹新。
单说那张脸,本应用毫毛来妆点,却油光崭亮,活像个茶壶。其后咱家碰上的猫不算少,
但是,像他这么不周正的脸,一次也未曾见过。况且,脸心儿鼓得太高,还不时地从一
对黑窟窿里咕嘟嘟地喷出烟来。太呛得慌,可真折服了。如今总算明白:原来这是人在
吸烟哩。
   咱家在这名学生的掌心暂且舒适地趴着。可是,不大工夫,咱家竟以异常的快速旋
转起来,弄不清是学生在动,还是咱家自己在动,反正迷糊得要命,直恶心。心想:这
下子可完蛋喽!又咕咚一声,咱家被摔得两眼直冒金花。
   只记得这些。至于后事如何,怎么也想不起来了。
   蓦地定睛一看,学生不在,众多的猫哥们儿也一个不见,连咱家的命根子——妈妈
也不知去向。并且,这儿和咱家过去呆过的地方不同,贼拉拉地亮,几乎不敢睁眼睛。
哎哟哟,一切都那么稀奇古怪。咱家试着慢慢往外爬,浑身疼得厉害,原来咱家被一下
子从稻草堆上摔到竹林里了。
   好不容易爬出竹林,一瞧,对面有个大池塘。咱家蹲在池畔,思量着如何是好,却
想不出个好主意。忽然想起:“若是再哭一鼻子,那名学生会不会再来迎接?”于是,
咱家咪咪地叫几声试试看,却没有一个人来。转眼间,寒风呼呼地掠过池面,眼看日落
西山。肚子饿极了,哭都哭不出声来。没办法,只要能吃,什么都行,咱家决心到有食
物的地方走走。
   咱家神不知鬼不晓地绕到池塘的右侧。实在太艰苦。咬牙坚持,硬是往上爬。真是
大喜,不知不觉已经爬到有人烟的地方。心想,若是爬进去,总会有点办法的。于是,
咱家从篱笆墙的窟窿穿过,窜到一户人家的院内。缘份这东西,真是不可思议。假如不
是这道篱笆墙出了个洞,说不定咱家早已饿死在路旁了。常言说得好:“前世修来的福”
嘛!这墙根上的破洞,至今仍是咱家拜访邻猫小花妹的交通要道。
   且说,咱家虽然钻进了院内,却不知下一步该怎么办才好。眨眼工夫,天黑了。肚
子饿,身上冷,又下起雨来,情况十万火急。没法子,只得朝着亮堂些、暖和些的地方
走去。走啊,走啊……今天回想起来,当时咱家已经钻进那户人家的宅子里了。
   在这儿,咱家又有机会与学生以外的人们谋面。首先碰上的是女仆。这位,比刚才
见到的那名学生更蛮横。一见面就突然掐住咱家的脖子,将咱家摔出门外。咳,这下子
没命喽!两眼一闭,一命交天吧!
   然而,饥寒交迫,万般难耐;乘女仆不备,溜进厨房。不大工夫,咱家又被摔了出
去。摔出去,就再爬进来;爬进来,又被摔出去。记得周而复始,大约四五个回合。当
时咱家恨透了这个丫头。前几天偷了她的秋刀鱼,报了仇,才算出了这口闷气。
   当咱家最后一次眼看就要被她摔出手时,“何事吵嚷?”这家主人边说边走上前来。
女仆倒提着咱家冲着主人说:“这只野猫崽子,三番五次摔它出去,可它还是爬进厨房,
烦死人啦!”主人捋着鼻下那两撇黑胡,将咱家这副尊容端详了一会儿说:“那就把它
收留下吧!”说罢,回房去了。
   主人似乎是个言谈不多的人,女仆气哼哼地将咱家扔进厨房。于是,咱家便决定以
主人之家为己家了。
   主人很少和咱家见上一面。职业嘛,据说是教师。他一从学校回来,就一头钻进书
房里,几乎从不跨出门槛一步。家人都认为他是个了不起的读书郎。他自己也装得很像
刻苦读书的样儿。然而实际上,他并不像家人称道的那么好学。咱家常常蹑手蹑脚溜进
他的书房偷偷瞧看,才知道他很贪睡午觉,不时地往刚刚翻过的书面上流口水。他由于
害胃病,皮肤有点发黄,呈现出死挺挺的缺乏弹性的病态。可他偏偏又是个饕餮客,撑
饱肚子就吃胃肠消化药,吃完药就翻书,读两三页就打盹儿,口水流到书本上,这便是
他夜夜雷同的课程表。
   咱家虽说是猫,却也经常思考问题。
   当教师的真够逍遥自在。咱家若生而为人,非当教师不可。如此昏睡便是工作,猫
也干得来的。尽管如此,若叫主人说,似乎再也没有比教师更辛苦的了。每当朋友来访,
他总要怨天尤人地牢骚一通。
   咱家在此刚刚落脚时,除了主人,都非常讨厌咱家。他们不论去哪儿,总是把咱家
一脚踢开,不予理睬。他们是何等地不把咱家放在眼里!只要想想他们至今连个名字都
不给起,便可见一斑了。万般无奈,咱家只好尽量争取陪伴在收留我的主人身旁。清晨
主人读报时,定要趴在他的后背。这倒不是由于咱家对主人格外钟情,而是因为没人理
睬,迫不得已嘛!
   其后几经阅历,咱家决定早晨睡在饭桶盖上,夜里睡在暖炉上,晴朗的中午睡在檐
廊中。不过,最开心的是夜里钻进这家孩子们的被窝里,和他们一同入梦。所谓“孩子
们”,一个五岁,一个三岁。到了晚上,他们俩就住在一个屋,睡在一个铺。咱家总是
在他们俩之间找个容身之地,千方百计地挤进去。若是倒霉,碰醒一个孩子,就要惹下
一场大祸。两个孩子,尤其那个小的,体性最坏,哪怕是深更半夜,也高声号叫:“猫
来啦,猫来啦!”于是,患神经性消化不良的主人一定会被吵醒,从隔壁跑来。真的,
前几天他还用格尺狠狠地抽了咱家一顿屁股板子哪!
   咱家和人类同居,越观察越不得不断定:他们都是些任性的家伙。尤其和他们同床
共枕的孩提之辈,更是岂有此理!他们一高兴,就将咱家倒提起来,或是将布袋套在咱
家的头上,时而抛出,时而塞进灶膛。而且,咱家若是稍一还手,他们就全家出动,四
处追击,进行迫害。就拿最近来说吧,只要咱家在床席上一磨爪,主人的老婆便大发雷
霆,从此,轻易不准进屋。即使咱家在厨房那间只铺地板的屋子里冻得浑身发抖,他们
也全然无动于衷。
   咱家十分尊敬斜对过的白猫大嫂。她每次见面都说:“再也没有比人类更不通情达
理的喽!”白嫂不久前生了四个白玉似的猫崽儿。听说就在第三天,那家寄居的学生竟
把四只猫崽儿拎到房后的池塘。一古脑儿扔进他水之中。白嫂流着泪一五一十地倾诉,
然后说:“我们猫族为了捍卫亲子之爱、过上美满的家庭生活,非对人类宣战不可。把
他们统统消灭掉!”这番话句句在理。
   还有邻家猫杂毛哥说:“人类不懂什么叫所有权。”它越说越气愤。本来,在我们
猫类当中,不管是干鱼头还是鲻鱼肚脐,一向是最先发现者享有取而食之的权力。然而,
人类却似乎毫无这种观念。我们发现的美味,定要遭到他们的掠夺。他们仗着胳膊粗、
力气大,把该由我们享用的食物大模大洋地抢走,脸儿不红不白的。
   白嫂住在一个军人家里,杂毛哥的主人是个律师。正因为我住在教师家,关于这类
事,比起他俩来还算是个乐天派。只要一天天马马虎虎地打发日子就行。人类再怎么有
能耐,也不会永远那么红火。唉!还是耐着性子等待猫天下的到来最为上策吧!
   既然是任情而思,那就讲讲我家主人由于任情而动的惨败故事吧。原来,我家主人
没有一点比别人高明的地方,但他却凡事都爱插手。例如写俳句往《杜鹃》①投稿啦,
写新诗寄给《明星》②啦,写错乱不堪的英语文章啦;有时醉心于弓箭,学唱谣曲,有
时还吱吱嘎嘎地拉小提琴。然而遗憾的是,样样都稀松平常。偏偏他一干起这些事来,
尽管害胃病,却也格外着迷,竟然在茅房里唱谣曲,因而邻里们给他起了个绰号——
“茅先生”。可他满不介意,一向我行我素,依然反复吟道:“吾乃平家将宗盛③是
也。”人们几乎笑出声来,说:“瞧呀,原来是宗盛将军驾到!”
   
   ①《杜鹃》:正冈子规一八九七年一月于松山创办的俳句刊物,后由俳人高滨虚子
主持。《我是猫》第一章就发表在该刊一九○五年一月号。
   ②《明星》:与谢野铁干一九○○年四月创刊的诗刊,成为诗歌改革与浪漫主义派
的中心阵地。
   ③宗盛:(一一四七——一一八五)即平宗盛。日本平安时代武将。
   这位主人不知打的什么主意,咱家定居一个月后,正是他发薪水那天,他拎着个大
包,慌慌张张地回到家来。你猜他买了些什么?水彩画具、毛笔和图画纸,似乎自今日
起,放弃了谣曲和俳句,决心要学绘画了。果然从第二天起,他好长时间都在书房里不
睡觉,只顾画画。然而,看他画出的那些玩艺儿,谁也鉴别不出究竟画的是些什么。说
不定他本人也觉得画得太不成样子,因此有一天,一位搞什么美学的朋友来访,只听他
有过下述一番谈吐:
   “我怎么也画不好。看别人作画,好像没什么了不起,可是自己一动笔,才痛感此
道甚难哪!”
   这便是主人的感慨。的确,此话不假。
   主人的朋友透过金边眼镜瞧着他的脸说:
   “是呀,不可能一开始就画得好嘛。首先,不可能单凭坐在屋子里空想就能够画出
画来,从前意大利画家安德利亚①曾说:‘欲作画者,莫过于描绘大自然。天有星辰,
地有露华;飞者为禽,奔者为兽;池塘金鱼,枯木寒鸦。大自然乃一巨幅画册也。’怎
么样?假如你也想画出像样的画来,画点写生画如何?”
   
   ①安德利亚:(一四八六——一五三○)意大利佛罗伦萨文艺复兴鼎盛期著名画家,
壁画《圣餐图》最享盛誉。
   “咦,安德利亚说过这样的话?我还一点都不知道哩!不错,说得对,的确如此!”
   主人佩服得五体投地。而他朋友的金边眼镜里,却流露出嘲奔的微笑。
   翌日,咱家照例去檐廊美美地睡个午觉。不料,主人破例踱出书房,在咱家身后不
知干什么,没完没了。咱家蓦地醒了。为了查清主人在搞什么名堂,眼睛张开一分宽的
细缝。嗬!原来他一丝不苟地采纳了安德利亚的建议。见他这般模样,咱家不禁失声大
笑。他被朋友奚落一番之后,竟然拿咱家开刀,画起咱家来了。咱家已经睡足,要打呵
欠,忍也忍不住。不过,姑念难得主人潜心于握管挥毫,怎能忍心动身?于是,强忍住
呵欠,一动不动。眼下他刚刚画出咱家的轮廓,正给面部着色。坦率地说,身为一只猫,
咱家并非仪表非凡,不论脊背、毛楂还是脸型,绝不敢奢望压倒群猫。然而,长相再怎
么丑陋,也想不至于像主人笔下的那副德行。不说别的,颜色就不对。咱家的毛是像波
斯猫,浅灰色带点黄,有一身斑纹似漆的皮肤。这一点,我想,任凭谁看,也是不容置
疑的事实。然而,且看主人涂抹的颜色,既不黄,也不黑;不是灰色,也不是褐色。照
此说来,该是综合色吧?也不。这种颜色,只能说不得不算是一种颜色罢了。除此之外,
无法评说。更离奇的是竟然没有眼睛。不错,这是一幅睡态写生画嘛,倒也没的可说。
然而,连眼睛应该拥有的部位都没有,可就弄不清是睡猫还是瞎猫了。咱家暗自思忖:
再怎么学安德利亚,就凭这一手,也是个臭笔!然而,对主人的那股子热忱劲儿,却不
能不佩服。咱家本想尽量纹丝不动,可是有尿,早就憋不住了。全身筋肉胀乎乎的,已
经到了刻不容缓的地步。不得已,只好失陪。咱家双腿用力朝前一伸,把脖子低低一抻,
“啊”的打了一个好大的呵欠。且说这么一来,想文静些也没用。反正已经打乱主人的
构思,索性趁机到房后去方便一下吧!于是,咱家慢条斯理地爬了出去。这时,主人失
望夹杂着愤怒,在屋里骂道:“混帐东西!”
   主人有个习惯,骂人时肯定要骂声“混帐东西”,因为除此之外他再也不知道还有
些什么骂人的脏话,有什么办法!不过,他丝毫也不理解人家一直克制自己的心情,竟
然信口骂声“混帐东西”,这太不像话。假如平时咱家爬上他的后背,他能有一副好脸
子,倒也甘愿忍受这番辱骂。可是,对咱家方便的事,没有一次他能痛痛快快地去做。
人家撒尿,也骂声混蛋,嘴有多损!原来人哪,对于自己的能量过于自信,无不妄自尊
大。如果没有比人类更强大的动物出现,来收拾他们一通,真不知今后他们的嚣张气焰
将发展到何等地步!
   假如人类的恣意妄为不过如此,也就忍了吧!然而,关于人类的缺德事,咱家还听
到不少不知比这更凄惨多少倍的传闻哪。这家房后,有个一丈见方的茶园,虽然不大,
却是个幽静宜人的向阳之地。每当这家孩子吵得太凶、难以美美地睡个午觉,或是百无
聊赖、心绪不宁时,咱家总是去那里,养吾浩然之气,这已成为惯例。
   那是个十月小阳春的晴和之日,下午两点钟左右,咱家用罢午餐,美美地睡了一觉,
然后做室外运动,顺脚来到茶园。咱家在树根上一棵棵地嗅着,来到西侧的杉树篱笆墙
时,只见一只大黑猫,硬是压倒枯菊而酣然沉睡。它似乎一直没有察觉咱家已经走近;
又仿佛已经察觉却满不在乎,依然响着浓重的鼾声,长拖拖地安然入梦。有猫擅自闯进
院落,居然还能睡得那么安闲,这不能不使咱家对它的非凡胆量暗暗吃惊。它是一只纯
种黑猫。刚刚过午的阳光,将透明的光线洒在它的身上,那晶莹的茸毛之中,仿佛燃起
了肉眼看不见的火焰。他有一副魁伟的体魄,块头足足大我一倍,堪称猫中大王。咱家
出于赞赏之意、好奇之心,竟然忘乎所以,站在它面前,凝神将它打量。不料,十月静
悄悄的风,将从杉树篱笆探出头来的梧桐枝轻轻摇动,两三片叶儿纷纷飘落在枯菊的花
丛上。猫大王忽地圆眼怒睁。至今也还记得,它那双眼睛远比世人所珍爱的琥珀更加绚
丽多彩。它身不动、膀不摇,发自双眸深处的炯炯目光,全部集中在咱家这窄小的脑门
上,说:“你他妈的是什么东西!”
   身为猫中大王,嘴里还不干不净的!怎奈它语声里充满着力量,狗也会吓破胆的。
咱家很有点战战兢兢。如不赔礼,可就小命难保,因而尽力故作镇静,冷冷地回答说:
   “咱家是猫。名字嘛……还没有。”
   不过此刻,咱家的心房确实比平时跳动得剧烈。
   猫大王以极端蔑视的腔调说:
   “什么?你是猫?听说你是猫,可真吃惊。你究竟住在哪儿?”他说话简直旁若无
人。
   “咱家住在这里一位教师的家中。”
   “料你也不过如此!有点太瘦了吧?”
   大王嘛,说话总要盛气凌人的。听口气,它不像个良家之猫。不过,看它那一身肥
膘,倒像吃的是珍馐美味,过的是优裕生活。咱家不得不反问一句:

   “请问,你发此狂言,究竟是干什么的?”
   它竟傲慢地说:“俺是车夫家的大黑!”
   车夫家的大黑,在这一带是家喻户晓的凶猫。不过,正因为它住在车夫家,才光有
力气而毫无教养,因此,谁都不和它交往,并且还连成一气对它敬而远之。咱家一听它
的名字,真有点替它脸红,并且萌发几丝轻蔑之意。
   首先要测验一下他何等无知,对话如下:
   “车夫和教师,到底谁了不起?”
   “肯定是车夫了不起呀!瞧你家主人,简直瘦得皮包骨啦。”
   “大概就因为你是车夫家的猫,才这么健壮哪。看样子,在车夫家口福不浅吧?”
   “什么?俺大黑不论到哪个地面上,吃吃喝喝是不犯愁的。尔等之辈也不要只在茶
园里转来转去。何不跟上俺大黑?用不上一个月,保你肥嘟噜的,叫人认不出。”
   “这个嘛,以后全靠您成全啦!不过,论房子,住在教师家可比住在车夫家宽敞
哟!”
   “混帐!房子再大,能填饱肚子吗?”
   他十分恼火。两只像紫竹削成的耳朵不住地扇动着,大摇大摆地走了。
   咱家和车夫家的大黑成为知己,就是从这时开始的。
   其后,咱家常常和大黑邂逅相逢。每次见面,他都替车夫大肆吹捧。前文提到的
“人类的缺德事”,老实说,就是听大黑讲的。
   一天,咱家和大黑照例躺在茶园里天南海北地闲聊。他又把自己老掉牙的“光荣史”
当成新闻,翻来覆去地大吹大擂。然后,对咱家提出如下质问:
   “你小子至今捉了几只老鼠?”
   论知识,咱家不是吹,远比大黑开化得多。至于动力气、比胆量,毕竟不是他的对
手。咱家虽然心里明白,可叫他这么一问,还真有点臊得慌呢。不过,事实毕竟是事实,
不该说谎,咱家便回答说:
   “说真的,一直想抓,可还没有动手哩!”
   大黑那从鼻尖上兀自翘起的长须哗啦啦的乱颤,哈哈笑起来。
   原来大黑由于傲慢,难免有些弱点。只要在他的威风面前表示心悦诚服,喉咙里呼
噜噜地打响,表示洗耳恭听,他就成了个最好摆弄的猫。自从和他混熟以来,咱家立刻
掌握了这个诀窍。像现在这种场合,倘若硬是为自己辩护,形势将越弄越僵,那可太蠢。
莫如索性任他大说而特讲自己的光荣史,暂且敷衍它几句。就是这个主意!于是,咱家
用软话挑逗他说:
   “老兄德高望重,一定捉过很多老鼠吧?”
   果然,他在墙洞中呐喊道:“不算多,总有三四十只吧!”
   这便是他得意忘形的回答。他还继续宣称:“有那么一二百只老鼠,俺大黑单枪匹
马,保证随时将它消灭光!不过,黄鼠狼那玩艺儿,可不好对付哟!我曾一度和黄鼠狼
较量,倒血霉啦!”
   “咦?是吗?”咱家只好顺风打旗。而大黑却瞪起眼睛说:
   “那是去年大扫除的时候,我家主人搬起一袋子石灰,一跨进廊下仓库,好家伙,
一只大个的黄鼠狼吓得窜了出来。”
   “哦?”咱家装出一副吃惊的样子。
   “黄鼠狼这东西,其实只比耗子大不丁点儿。俺断喝一声:你这个畜牲!乘胜追击,
终于把它赶到脏水沟里去了。”
   “干得漂亮!”咱家为他喝彩。
   “可是,你听呀!到了紧急关头,那家伙放他妈的毒烟屁!臭不臭?这么说吧,从
此以后觅食的时候,一见黄鼠狼就恶心哟!”
   说到这里,他仿佛又闻到了去年的狐骚味。伸长前爪,将鼻尖擦了两三下。咱家也
多少感到他怪可怜的,想给他打打气。
   “不过,老鼠嘛,只要仁兄瞪它一眼,它就小命玩完。您捕鼠可是个大大的名家,
就因为净吃老鼠,才胖得那么满面红光的吧?”
   这本是奉承大黑,不料效果却适得其反。大黑喟然叹曰:
   “唉,思量起来,怪没趣的。再怎么卖力气捉老鼠,能像人那样吃得肥嘟噜的猫,
毕竟是举世罕见哟!人们把猫捉的老鼠都抢了去送给警察。警察哪里知道是谁抓的?不
是说送一只老鼠五分钱吗?多亏我,我家主人已经赚了差不多一元五角钱呢。可他轻易
不给我改善伙食。哎呀呀,人哪,全是些体面的小偷哟!”
   咱家一听,就连一向不学无术的大黑都懂得这么高深的哲理,不禁满面愠色,脊毛
倒竖。由于心头不快,便见机行事,应酬几句,回家去了。
   从此,咱家决心不捉老鼠,但也不当大黑的爪牙,未曾为猎取老鼠以外的食物而奔
波。与其吃得香,莫如睡得甜。由于住在教师家,猫也似乎沾染了教师的习气,不当心
点儿,说不定早早晚晚也要害胃病的。
   提起教师,我家主人直到最近,似乎终于醒悟,自己在水彩画方面也没有希望。十
二月一日的日记中写了这么一段话:
   
   今天开会,才第一次遇见了××。都说此公放荡不羁,果然一副风月老手风度。与
其说此公招女人喜欢才放荡,莫如说他非放荡不可更确切。听说他老婆是个艺妓,叫人
羡慕。原来,谩骂风流鬼的人,大多没有风流的资格;自命风流的人,也大多没有资格
风流。这号人,本来不是非风流不可,却硬要走这条路,宛如我画水彩画,终于没有希
望毕业,却又不顾一切地硬是装作唯我精通的架势。喝喝饭店的酒,或是逛逛艺妓茶馆,
就能够成为花柳行家吗?假如这个理论站得住,那么,我也有理由说我能够成为一名出
人头地的画家喽!我的水彩画莫如干脆弃笔的好。同样,与其做个糊涂的行家,远不如
当一名刚进城的乡巴佬。
   这番“行家论”,咱家有点不敢苟同。并且羡慕别人的老婆是艺妓云云,作为一名
教师来说,也是碍难出口的卑劣念头,但唯独他对自己水彩画的批判,却很准确。主人
尽管有如此自知之明,而孤芳自赏的心理却仍难除却。隔了两天,到了十二月四日,日
记中又叙述了如下情节:
   
   昨夜做了个梦:我觉得画水彩画毕竟不成器,便将画弃了。但不知是谁把那幅画镶
在漂亮的匾额里,挂在横楣。这一来,连我自己都觉得那幅画变成了佳作。我万分高兴,
这太棒了。我呆呆地欣赏,不觉天已破晓。睁眼一看,那幅画粗劣如旧,简直像旭日昭
昭,一切都那么明明白白。
   主人连在梦中漫步,似乎都对水彩画情意依依,自命不凡。看来,不要说水彩画家,
按其气质,就连他所谓的风月老手,也是当不成的。
   主人梦见水彩画的第二天,常来的那位戴金边眼镜的美学家,久别之后,又来造访。
他刚一落座,劈头便问:
   “绘画怎么样?”
   主人神色自若地说:“听从您的忠告,正在努力画写生画。的确,一画写生,从前
未曾留心的物体形状及其色彩的精微变化,似乎都能辨认得清晰。这令人想到,西方画
就因为自古强调写生,才有今日的发展。好一个了不起的安德利亚!”
   他若无其事地说着,只字不提日记里的话,却再一次赞佩安德利亚。
   美学家边笑边搔头:“老实说,我那是胡说八道。”
   “什么?”主人还没有醒悟到他正在受人捉弄。
   “什么?就是你一再推崇的安德利亚的那番话,是我一时胡诌的。不曾想,你竟然
那么信以为真。哈哈哈……”
   美学家笑得前仰后合。咱家在檐廊下听了这段对话,不能不设想主人今天的日记又
将写些什么。
   这位美学家竟把信口开河捉弄人当成唯一的乐趣。他丝毫不顾及安德利亚事件会给
主人的情绪带来什么样的影响。得意忘形之余,又讲了下述一段故事:
   “噢,常常是几句玩笑人们就当真,这能极大地激发起滑稽的美感,很有意思。不
久前我对学生说:尼古拉斯·尼克尔贝①忠告吉本②不要用法语写他毕生的巨著《法国
革命》③,要用英文出版。那个学生记忆力又非常好,竟在日本文学讨论会上认真地原
原本本复述了我的这一段话,多么滑稽。然而,当时的听众大约一百人,竟然无不凝神
倾听。
   
   ①尼古拉斯·尼克尔贝(Nicholas Nickleby):英国小说家狄更斯(Charles
Dickens,一八一二——一八七○)一八三四年完成的长篇小说《尼古拉斯·尼克尔贝》
中的主人公名字。
   ②吉本:(Edward Gibbon,一七三七——一七九四)英国历史学家,著《罗马帝
国衰亡史》六卷,但未曾著《法国革命》。
   ③《法国革命》:为英国十九世纪的卡莱尔所著。这几句表明胡诌八扯以捉弄人。
   接下来,还有更逗趣的故事哪。不久前,在一个某某文学家莅席的会议上,谈起了
哈里森①的历史小说《塞奥伐洛》,我评论说:‘这部作品是历史小说中的白眉,尤其
女主人公临死那一段,写得真是鬼气森森。’坐在我对面的那位‘万事通’先生说:
‘是呀!是呀!那一段的确是妙笔生花。’于是,我知道,那位先生和我一样,还未曾
读过这篇小说哩!”
   
   ①哈里森:(一八三一——一九二三)英国法学家、文学家、哲学家。
   患神经性胃炎的主人瞪大了眼睛问道:“你如此妖言惑众,假如对方真的读过,那
可怎么得了?”
   这番感慨仿佛在说:骗人倒也无妨,只是一旦被剥掉画皮,岂不糟糕?
   那位美学家不动声色地说:“咳,到时候一口咬定,是和别的书弄混啦,或是胡扯
一通,也就完事嘛!”说着,他哈哈大笑。这位美学家别看戴着一副金边眼镜,但其性
情,与车夫家的大黑颇有相似之处。
   主人吸着“日出”牌香烟,喷吐着烟圈,嘴不说心想:“我可没有那么大的胆量。”
而美学家那副眼神,似乎在说:“所以嘛,你即使画画,也照例完蛋。”他说:“不过,
笑话归笑话。画画的确不是件容易事。据说,达·芬奇①曾经叫他的弟子画寺庙墙上的
污痕。真的,假如走进茅房,专心致志地观察漏雨的墙壁,不难画出绝妙的图案画哟!
你不妨留点心,画它一幅试试,一定会画出妙趣横生的好画来。”
   
   ①达·芬奇:(一四五二——一五一九)意大利文艺复兴时期美术家、自然科学家、
工程师。
   “又是骗人吧?”
   “哪里,这可是千真万确哟!难道这不是精辟的名言吗?达·芬奇会这么说呢。”
   “不错,的确很精辟。”
   主人已经大半服输。但他似乎还不肯在茅房里画写生画!
   车夫家的大黑,后来变成了瘸猫。他那油光锃亮的绒毛也逐渐地褪色,脱落。咱家
曾经夸奖过的那一对比琥珀还美的眼睛,已经堆满了眼屎。尤其引人注目的是,他意气
消沉,体质羸弱。咱家和他在常去的那个茶园最后见面那天,问他一向可好?他说:
   “黄鼠狼的勾魂屁和鱼贩子的大扁担,可把俺坑苦喽。”
   枫叶曾为松林妆点过二三朱红,如今已经谢了,宛如一支古老的梦;在“洗指钵”
旁落英缤纷的红白二色山茶花,也已飘零殆尽。两丈多长的檐廊虽然朝南,但冬日的阳
光转眼西斜。寒风不起的日子已经不多,而咱家昼寝的时光料也无几了。
   主人天天去学校,归来便闷坐书房;一有人来,却依然唠叨:“教师当够了,够
了……”水彩画已经不大画了,胃药也不见功效,已经不再吃。孩子们还好,天天上幼
儿园,一回到家里就唱歌,不时地揪住咱家的尾巴,将咱家倒提起来。
   咱家因吃不到美味,没有怎么发胖。不过,还算健康,没有变成瘸猫,一天天地虚
掷韶光。
   咱家决不捉老鼠。女仆还是那么烦人。依然没有给咱家起上名字。但是,那又何妨。
欲望无止境嘛!但愿住在这位教师的家,以无名一猫而了此平生!
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 楼主| 发表于 2005-11-9 19:45:32 | 显示全部楼层


 吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
 元朝早々主人の許(もと)へ一枚の絵端書(えはがき)が来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑(ふかみど)りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞(うずくま)っているところをパステルで書いてある。主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、竪(たて)から眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。からだを拗(ね)じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相(さんぜそう)を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないと膝(ひざ)が揺れて険呑(けんのん)でたまらない。ようやくの事で動揺があまり劇(はげ)しくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうと云(い)う。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。そんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品に半(なか)ば開いて、落ちつき払って見ると紛(まぎ)れもない、自分の肖像だ。主人のようにアンドレア・デル・サルトを極(き)め込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。誰が見たって猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫の中(うち)でも他(ほか)の猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派に描(か)いてある。このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい。吾輩であると云う事はよし分らないにしても、せめて猫であるという事だけは分らしてやりたい。しかし人間というものは到底(とうてい)吾輩猫属(ねこぞく)の言語を解し得るくらいに天の恵(めぐみ)に浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。
 ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。人間の糟(かす)から牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入(はい)って見るとなかなか複雑なもので十人十色(といろ)という人間界の語(ことば)はそのままここにも応用が出来るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。髯(ひげ)の張り具合から耳の立ち按排(あんばい)、尻尾(しっぽ)の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋(すいぶすい)の数(かず)を悉(つ)くして千差万別と云っても差支えないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論相貌(そうぼう)の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。同類相求むとは昔(むか)しからある語(ことば)だそうだがその通り、餅屋(もちや)は餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。いわんや実際をいうと彼等が自(みずか)ら信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。彼は性の悪い牡蠣(かき)のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開(ひら)いた事がない。それで自分だけはすこぶる達観したような面構(つらがまえ)をしているのはちょっとおかしい。達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画(え)だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。
 吾輩が主人の膝(ひざ)の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書(えはがき)を持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五疋(ひき)ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍(おど)っている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と─趣い啤⒂窑蝹龋à铯─藭蛘iむや躍(おど)るや猫の春一日(はるひとひ)という俳句さえ認(したた)められてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶(うかつ)な主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻(ひね)って、はてな今年は猫の年かなと独言(ひとりごと)を言った。吾輩がこれほど有名になったのを未(ま)だ気が着かずにいると見える。
 ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、傍(かたわ)らに乍恐縮(きょうしゅくながら)かの猫へも宜(よろ)しく御伝声(ごでんせい)奉願上候(ねがいあげたてまつりそろ)とある。いかに迂遠(うえん)な主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目(しんめんぼく)を施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。
 おりから門の格子(こうし)がチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋(さかなや)の梅公がくる時のほかは出ない事に極(き)めているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈(へんくつ)になれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性(こんじょう)をあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月(かんげつ)さんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話(はな)しである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋(おも)っている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄(すご)いような艶(つや)っぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点(がてん)が行かぬが、あの牡蠣的(かきてき)主人がそんな談話を聞いて時々相槌(あいづち)を打つのはなお面白い。
「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮から大(おおい)に活動しているものですから、出(で)よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐(ひも)をひねくりながら謎(なぞ)見たような事をいう。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、揪d(くろもめん)の紋付羽織の袖口(そでぐち)を引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええ実はある所で椎茸(しいたけ)を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘(かさ)を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭(じじいくさ)いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽(かろ)く叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の摔坤盲曝摛堡饯Δ猡ⅳ辘蓼护螭汀⒘⑴嗓胜猡韦馈工群戮洗螅àぃ─宋彷叅蛸p(ほ)める。「近頃大分(だいぶ)大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三挺(ちょう)とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私(わたし)がその中へまじりましたが、自分でも善く弾(ひ)けたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人は羨(うらや)ましそうに問いかける。元来主人は平常枯木寒巌(こぼくかんがん)のような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっと惚(ほ)れる。勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着(れんちゃく)するという事が諷刺的(ふうしてき)に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。そんな浮気な男が何故(なぜ)牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底(とうてい)分らない。或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質(たち)だからだとも云う。どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。しかし寒月君の女連(おんなづ)れを羨まし気(げ)に尋ねた事だけは事実である。寒月君は面白そうに口取(くちとり)の蒲鉾(かまぼこ)を箸で挟んで半分前歯で食い切った。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。「なに二人とも去(さ)る所の令嬢ですよ、御存じの方(かた)じゃありません」と余所余所(よそよそ)しい返事をする。「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。寒月君はもう善(い)い加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、御閑(おひま)ならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」と促(うな)がして見る。主人は旅順の陥落より女連(おんなづれ)の身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。やはり揪dの紋付羽織に、兄の紀念(かたみ)とかいう二十年来着古(きふ)るした結城紬(ゆうきつむぎ)の綿入を着たままである。いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。主人の服装には師走(しわす)も正月もない。ふだん着も余所(よそ)ゆきもない。出るときは懐手(ふところで)をしてぶらりと出る。ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。ただしこれだけは失恋のためとも思われない。
 両人(ふたり)が出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾(かまぼこ)の残りを頂戴(ちょうだい)した。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕(ももかわじょえん)以後の猫か、グレーの金魚を偸(ぬす)んだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の胜嗓瞎蹋à猡龋─瑜暄壑肖摔胜ぁF雁wの一切(ひときれ)くらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食(かんしょく)をするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三(おさん)などはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付(しつけ)を受けつつあると細君から吹聴(ふいちょう)せられている小児(こども)ですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対(むか)い合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭(パン)の幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺(さとうつぼ)が卓(たく)の上に置かれて匙(さじ)さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙(ひとさじ)の砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少(しば)らく両人(りょうにん)は睨(にら)み合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間(ま)に一杯一杯一杯と重なって、ついには両人(ふたり)の皿には山盛の砂糖が堆(うずたか)くなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼(まなこ)を擦(こす)りながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優(まさ)っているかも知れぬが、智慧(ちえ)はかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞(な)めてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃(おはち)の上から黙って見物していた。
 寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行(ある)いたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓に就(つ)いたのは九時頃であった。例の御櫃の上から拝見していると、主人はだまって雑煮(ぞうに)を食っている。代えては食い、代えては食う。餅の切れは小さいが、何でも六切(むきれ)か七切(ななきれ)食って、最後の一切れを椀の中へ残して、もうよそうと箸(はし)を置いた。他人がそんな我儘(わがまま)をすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中に焦(こ)げ爛(ただ)れた餅の死骸を見て平気ですましている。妻君が袋戸(ふくろど)の奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それは利(き)かないから飲まん」という。「でもあなた澱粉質(でんぷんしつ)のものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる。「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」と頑固(がんこ)に出る。「あなたはほんとに厭(あ)きっぽい」と細君が独言(ひとりごと)のようにいう。「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それだってせんだってじゅうは大変によく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日上ったじゃありませんか」「こないだうちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」と対句(ついく)のような返事をする。「そんなに飲んだり止(や)めたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利く気遣(きづか)いはありません、もう少し辛防(しんぼう)がよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直らないわねえ」とお盆を持って控えた御三(おさん)を顧みる。「それは本当のところでございます。もう少し召し上ってご覧にならないと、とても善(よ)い薬か悪い薬かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。「何でもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非詰腹(つめばら)を切らせようとする。主人は何にも云わず立って書斎へ這入(はい)る。細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑う。こんなときに後(あと)からくっ付いて行って膝(ひざ)の上へ仱毪取⒋髩浃誓郡朔辏àⅲ─铯丹欷毪椤ⅳ饯盲韧イ閺hって書斎の椽側へ上(あが)って障子の隙(すき)から覗(のぞ)いて見ると、主人はエピクテタスとか云う人の本を披(ひら)いて見ておった。もしそれが平常(いつも)の通りわかるならちょっとえらいところがある。五六分するとその本を叩(たた)き付けるように机の上へ抛(ほう)り出す。大方そんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出して下(しも)のような事を書きつけた。

寒月と、根津、上野、池(いけ)の端(はた)、神田辺(へん)を散歩。池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着(はるぎ)をきて羽根をついていた。衣装(いしょう)は美しいが顔はすこぶるまずい。何となくうちの猫に似ていた。

 何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。吾輩だって喜多床(きたどこ)へ行って顔さえ剃(す)って貰(もら)やあ、そんなに人間と異(ちが)ったところはありゃしない。人間はこう自惚(うぬぼ)れているから困る。

宝丹(ほうたん)の角(かど)を曲るとまた一人芸者が来た。これは背(せい)のすらりとした撫肩(なでがた)の恰好(かっこう)よく出来上った女で、着ている薄紫の衣服(きもの)も素直に着こなされて上品に見えた。白い歯を出して笑いながら「源ちゃん昨夕(ゆうべ)は――つい忙がしかったもんだから」と云った。ただしその声は旅鴉(たびがらす)のごとく皺枯(しゃが)れておったので、せっかくの風采(ふうさい)も大(おおい)に下落したように感ぜられたから、いわゆる源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るも面倒になって、懐手(ふところで)のまま御成道(おなりみち)へ出た。寒月は何となくそわそわしているごとく見えた。

 人間の心理ほど解(げ)し難いものはない。この主人の今の心は怒(おこ)っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道(いちどう)の慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交(まじ)りたいのだか、くだらぬ事に肝癪(かんしゃく)を起しているのか、物外(ぶつがい)に超然(ちょうぜん)としているのだかさっぱり見当(けんとう)が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒(おこ)るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等猫属(ねこぞく)に至ると行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、行屎送尿(こうしそうにょう)ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数(てかず)をして、己(おの)れの真面目(しんめんもく)を保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ。

神田の某亭で晩餐(ばんさん)を食う。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。胃弱には晩酌が一番だと思う。タカジヤスターゼは無論いかん。誰が何と云っても駄目だ。どうしたって利(き)かないものは利かないのだ。

 無暗(むやみ)にタカジヤスターゼを攻撃する。独りで喧嘩をしているようだ。今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。人間の日記の本色はこう云う辺(へん)に存するのかも知れない。

せんだって○○は朝飯(あさめし)を廃すると胃がよくなると云うたから二三日(にさんち)朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。△△は是非香(こう)の物(もの)を断(た)てと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。漬物さえ断てば胃病の源を涸(か)らす訳だから本復は疑なしという論法であった。それから一週間ばかり香の物に箸(はし)を触れなかったが別段の験(げん)も見えなかったから近頃はまた食い出した。××に聞くとそれは按腹(あんぷく)揉療治(もみりょうじ)に限る。ただし普通のではゆかぬ。皆川流(みながわりゅう)という古流な揉(も)み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。安井息軒(やすいそっけん)も大変この按摩術(あんまじゅつ)を愛していた。坂本竜馬(さかもとりょうま)のような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速上根岸(かみねぎし)まで出掛けて揉(も)まして見た。ところが骨を揉(も)まなければ癒(なお)らぬとか、臓腑の位置を一度顛倒(てんとう)しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷な揉(も)み方をやる。後で身体が綿のようになって昏睡病(こんすいびょう)にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。A君は是非固形体を食うなという。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。B氏は横膈膜(おうかくまく)で呼吸して内臓を邉婴丹护欷凶匀护任袱蝺Pきが健全になる訳だから試しにやって御覧という。これも多少やったが何となく腹中(ふくちゅう)が不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。美学者の迷亭(めいてい)がこの体(てい)を見て、産気(さんけ)のついた男じゃあるまいし止(よ)すがいいと冷かしたからこの頃は廃(よ)してしまった。C先生は蕎麦(そば)を食ったらよかろうと云うから、早速かけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下(くだ)るばかりで何等の功能もなかった。余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。ただ昨夜(ゆうべ)寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目(ききめ)がある。これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう。

 これも決して長く続く事はあるまい。主人の心は吾輩の眼球(めだま)のように間断なく変化している。何をやっても永持(ながもち)のしない男である。その上日記の上で胃病をこんなに心配している癖に、表向は大(おおい)に痩我慢をするからおかしい。せんだってその友人で某(なにがし)という学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないと云う議論をした。大分(だいぶ)研究したものと見えて、条理が明晰(めいせき)で秩序が整然として立派な説であった。気の毒ながらうちの主人などは到底これを反駁(はんばく)するほどの頭脳も学問もないのである。しかし自分が胃病で苦しんでいる際(さい)だから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」と極(き)め付けたので主人は黙然(もくねん)としていた。かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。考えて見ると今朝雑煮(ぞうに)をあんなにたくさん食ったのも昨夜(ゆうべ)寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れない。吾輩もちょっと雑煮が食って見たくなった。
 吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。車屋の韦瑜Δ撕岫·坞任荩à丹胜洌─蓼沁h征をする気力はないし、新道(しんみち)の二絃琴(にげんきん)の師匠の所(とこ)の三毛(みけ)のように贅沢(ぜいたく)は無論云える身分でない。従って存外嫌(きらい)は少ない方だ。小供の食いこぼした麺麭(パン)も食うし、餅菓子の(あん)もなめる。香(こう)の物(もの)はすこぶるまずいが経験のため沢庵(たくあん)を二切ばかりやった事がある。食って見ると妙なもので、大抵のものは食える。あれは嫌(いや)だ、これは嫌だと云うのは贅沢(ぜいたく)な我儘で到底教師の家(うち)にいる猫などの口にすべきところでない。主人の話しによると仏蘭西(フランス)にバルザックという小説家があったそうだ。この男が大の贅沢(ぜいたく)屋で――もっともこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽したという事である。バルザックが或る日自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけて見たが、どうしても気に入らない。ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出掛けた。友人は固(もと)より何(なんに)も知らずに連れ出されたのであるが、バルザックは兼(か)ねて自分の苦心している名を目付(めつけ)ようという考えだから往来へ出ると何もしないで店先の看板ばかり見て歩行(ある)いている。ところがやはり気に入った名がない。友人を連れて無暗(むやみ)にあるく。友人は訳がわからずにくっ付いて行く。彼等はついに朝から晩まで巴理(パリ)を探険した。その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についた。見るとその看板にマーカスという名がかいてある。バルザックは手を拍(う)って「これだこれだこれに限る。マーカスは好い名じゃないか。マーカスの上へZという頭文字をつける、すると申し分(ぶん)のない名が出来る。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は実にうまい。どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでも何となく故意(わざ)とらしいところがあって面白くない。ようやくの事で気に入った名が出来た」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったというが、小説中の人間の名前をつけるに一日(いちんち)巴理(パリ)を探険しなくてはならぬようでは随分手数(てすう)のかかる話だ。贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣的(かきてき)主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。何でもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。だから今雑煮(ぞうに)が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない、何でも食える時に食っておこうという考から、主人の食い剰(あま)した雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。……台所へ廻って見る。
 今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着(こうちゃく)している。白状するが餅というものは今まで一辺(ぺん)も口に入れた事がない。見るとうまそうにもあるし、また少しは気味(きび)がわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉を掻(か)き寄せる。爪を見ると餅の上皮(うわかわ)が引き掛ってねばねばする。嗅(か)いで見ると釜の底の飯を御櫃(おはち)へ移す時のような香(におい)がする。食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰もいない。御三(おさん)は暮も春も同じような顔をして羽根をついている。小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那(せつな)に猫ながら一の真理を感得した。「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否椀底(わんてい)の様子を熟視すればするほど気味(きび)が悪くなって、食うのが厭になったのである。この時もし御三でも勝手口を開けたなら、奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気(おしげ)もなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。ところが誰も来ない、いくら躇(ちゅうちょ)していても誰も来ない。早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がする。吾輩は椀の中を覗(のぞ)き込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。やはり誰も来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸(いっすん)ばかり食い込んだ。このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものなら噛(か)み切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一辺(ぺん)噛み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと疳(かん)づいた時はすでに遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮(あせ)るたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方(じんみらいざいかた)のつく期(ご)はあるまいと思われた。この煩悶(はんもん)の際吾輩は覚えず第二の真理に逢着(ほうちゃく)した。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いているので毫(ごう)も愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないと御三(おさん)が来る。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ馳(か)け出して来るに相違ない。煩悶の極(きょく)尻尾(しっぽ)をぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾(しっぽ)は餅と何等の関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。ようやくの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。まず右の方をあげて口の周囲を撫(な)で廻す。撫(な)でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度は左(ひだ)りの方を伸(のば)して口を中心として急劇に円を劃(かく)して見る。そんな呪(まじな)いで魔は落ちない。辛防(しんぼう)が肝心(かんじん)だと思って左右交(かわ)る交(がわ)るに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足(あとあし)二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っ掻(か)き廻す。前足の邉婴土窑胜韦扦浃浃趣猡工毪戎行膜蚴Г盲频工欷搿5工欷毪郡婴酸嶙悚钦{子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起(た)っていられたものだと思う。第三の真理が驀地(ばくち)に現前(げんぜん)する。「危きに臨(のぞ)めば平常なし能(あた)わざるところのものを為(な)し能う。之(これ)を天祐(てんゆう)という」幸(さいわい)に天祐を享(う)けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るような気合(けわい)である。ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起(やっき)となって台所をかけ廻る。足音はだんだん近付いてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのが御三である。羽根も羽子板も打ち遣(や)って勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君は縮緬(ちりめん)の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと云うのは小供ばかりである。そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったので狂瀾(きょうらん)を既倒(きとう)に何とかするという勢でまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行も大分(だいぶ)見聞(けんもん)したが、この時ほど恨(うら)めしく感じた事はなかった。ついに天祐もどっかへ消え失(う)せて、在来の通り四(よ)つ這(ばい)になって、眼を白工毪吾h態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずる。御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女を顧(かえり)みる。御三(おさん)は御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。寒月(かんげつ)君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情(なさ)け容赦もなく引張るのだからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人はすでに奥座敷へ這入(はい)ってしまっておった。
 こんな失敗をした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪い。いっその事気を易(か)えて新道の二絃琴(にげんきん)の御師匠さんの所(とこ)の三毛子(みけこ)でも訪問しようと台所から裏へ出た。三毛子はこの近辺で有名な美貌家(びぼうか)である。吾輩は猫には相違ないが物の情(なさ)けは一通り心得ている。うちで主人の苦(にが)い顔を見たり、御三の険突(けんつく)を食って気分が勝(すぐ)れん時は必ずこの異性の朋友(ほうゆう)の許(もと)を訪問していろいろな話をする。すると、いつの間(ま)にか心が晴々(せいせい)して今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実に莫大(ばくだい)なものだ。杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側(えんがわ)に坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾(しっぽ)の曲がり加減、足の折り具合、物憂(ものう)げに耳をちょいちょい振る景色(けしき)なども到底(とうてい)形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、品(ひん)よく控(ひか)えているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛(びろうど)を欺(あざむ)くほどの滑(なめ)らかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍惚(こうこつ)として眺(なが)めていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音(ね)だと感心している間(ま)に、吾輩の傍(そば)に来て「あら先生、おめでとう」と尾を左(ひだ)りへ振る。吾等猫属(ねこぞく)間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師の家(うち)にいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。吾輩も先生と云われて満更(まんざら)悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮御師匠(おししょう)さんに買って頂いたの、宜(い)いでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。「なるほど善い音(ね)ですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いい音(ね)でしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」と吾身に引きくらべて暗(あん)に欣羨(きんせん)の意を洩(も)らす。三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻の孔(あな)を三角にして咽喉仏(のどぼとけ)を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「一体あなたの所(とこ)の御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。御師匠(おししょう)さんだわ。二絃琴(にげんきん)の御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔(むか)しは立派な方なんでしょうな」「ええ」
  君を待つ間(ま)の姫小松……………
 障子の内で御師匠さんが二絃琴を弾(ひ)き出す。「宜(い)い声でしょう」と三毛子は自慢する。「宜(い)いようだが、吾輩にはよくわからん。全体何というものですか」「あれ? あれは何とかってものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間(ま)が抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院(てんしょういん)様の御祐筆(ごゆうひつ)の妹の御嫁に行った先(さ)きの御(お)っかさんの甥(おい)の娘なんだって」「何ですって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。少し待って下さい。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。妹の御嫁に入(い)った先きの」「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っかさんの甥の娘なんですか」「ええ。分ったでしょう」「いいえ。何だか混雑して要領を得ないですよ。詰(つま)るところ天璋院様の何になるんですか」「あなたもよっぽど分らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、先(さ)っきっから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかり分っているんですがね」「それが分りさえすればいいんでしょう」「ええ」と仕方がないから降参をした。吾々は時とすると理詰の虚言(うそ)を吐(つ)かねばならぬ事がある。
 障子の中(うち)で二絃琴の音(ね)がぱったりやむと、御師匠さんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しそうに「あら御師匠さんが呼んでいらっしゃるから、私(あた)し帰るわ、よくって?」わるいと云ったって仕方がない。「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急に戻って来て「あなた大変色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。まさか雑煮(ぞうに)を食って踊りを踊ったとも云われないから「何別段の事もありませんが、少し考え事をしたら頭痛がしてね。あなたと話しでもしたら直るだろうと思って実は出掛けて来たのですよ」「そう。御大事になさいまし。さようなら」少しは名残(なご)り惜し気に見えた。これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。いい心持になった。帰りに例の茶園(ちゃえん)を通り抜けようと思って霜柱(しもばしら)の融(と)けかかったのを踏みつけながら建仁寺(けんにんじ)の崩(くず)れから顔を出すとまた車屋の菥栅紊悉吮常à唬─蛏饯摔筏魄飞欤àⅳ樱─颏筏皮い搿=暏宵を見て恐怖するような吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。涡再|として他(ひと)が己(おの)れを軽侮(けいぶ)したと認むるや否や決して黙っていない。「おい、名なしの権兵衛(ごんべえ)、近頃じゃ乙(おつ)う高く留ってるじゃあねえか。いくら教師の飯を食ったって、そんな高慢ちきな面(つ)らあするねえ。人(ひと)つけ面白くもねえ」衔彷叅斡忻摔胜盲郡韦颉ⅳ蓼乐椁螭纫姢à搿Uh明してやりたいが到底(とうてい)分る奴ではないから、まず一応の挨拶をして出来得る限り早く御免蒙(ごめんこうむ)るに若(し)くはないと決心した。「いや幛扦趣Α2幌鄩洌àⅳい铯椁海┰獨荬いい汀工儒晡玻à筏盲荩─蛄ⅳ皮谱螭丐毪辘葟hわす。襄晡菠蛄ⅳ皮郡臧ま伽猡筏胜ぁ!负韦幛扦皮ǎ俊≌陇扦幛扦郡堡辘恪⒂幛à胜螭钉⒛辘曛肖幛扦皮ǚ饯坤恧Α荬颏膜堡恧ぁⅳ长未担à眨─ぷ樱à矗─蜗颍à啶常─γ妫à扭椋─帷勾丹ぷ婴蜗颏Δ扭椁趣い浃狭R詈(ばり)の言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。「ちょっと伺(うか)がうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえが悪体(あくたい)をつかれてる癖に、その訳(わけ)を聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬに極(き)まっているから、面(めん)と対(むか)ったまま無言で立っておった。いささか手持無沙汰の体(てい)である。すると突然韦Δ沥紊瘢à撸─丹螭螭噬驈垽険Pげて「おや棚へ上げて置いた鮭(しゃけ)がない。大変だ。またあの涡笊à沥筏绀Γ─·盲郡螭坤琛¥郅螭趣嗽鳏椁筏っà坤盲沥悚ⅳ辘悚ⅳ筏胜ぁ=瘠藥ⅳ盲评搐郡椤ⅳ嗓Δ工毪姢皮い浃臁工扰Q(どな)る。初春(はつはる)の長閑(のどか)な空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代(みよ)を大(おおい)に俗了(ぞくりょう)してしまう。吓Qるなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと云わぬばかりに横着な顔をして、四角な顋(あご)を前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。今までは趣螐陮潳菤荬膜胜盲郡⒁姢毪缺摔巫悚蜗陇摔弦磺肖於E三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっている。「君不相変(あいかわらず)やってるな」と今までの行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。悉饯韦椁い适陇扦悉胜胜珯C嫌を直さない。「何がやってるでえ、この野郎。しゃけの一切や二切で相変らずたあ何だ。人を見縊(みく)びった事をいうねえ。憚(はばか)りながら車屋の坤ⅰ工韧螭蓼辘未辘擞窑吻白悚蚰妫à担─思绀无x(へん)まで掻(か)き上げた。「君が坤仍皮κ陇稀⑹激幛橹盲皮毪怠埂钢盲皮毪韦恕⑾鄩浃椁氦浃盲皮毪郡⒑韦馈:韦坤皮ㄊ陇琛工葻幛い韦蝾l(しき)りに吹き懸ける。人間なら胸倉(むなぐら)をとられて小突き廻されるところである。少々辟易(へきえき)して内心困った事になったなと思っていると、再び例の神さんの大声が聞える。「ちょいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよこの人あ。牛肉を一斤(きん)すぐ持って来るんだよ。いいかい、分ったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」と牛肉注文の声が四隣(しりん)の寂寞(せきばく)を破る。「へん年に一遍牛肉を誂(あつら)えると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終えねえ阿魔(あま)だ」と铣埃àⅳ钉保─辘胜樗膜淖悚蛱垼à栅螭校─搿N彷叅习ま伽韦筏瑜Δ猡胜い辄aって見ている。「一斤くらいじゃあ、承知が出来ねえんだが、仕方がねえ、いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」と自分のために誂(あつら)えたもののごとくいう。「今度は本当の御馳走だ。結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。「御めっちの知った事じゃねえ。黙っていろ。うるせえや」と云いながら突然後足(あとあし)で霜柱(しもばしら)の崩(くず)れた奴を吾輩の頭へばさりと浴(あ)びせ掛ける。吾輩が驚ろいて、からだの泥を払っている間(ま)に显蚯保à埃─盲啤ⅳ嗓长刈摔螂Lした。大方西川の牛(ぎゅう)を覘(ねらい)に行ったものであろう。
 家(うち)へ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞える。はてなと明け放した椽側から上(あが)って主人の傍(そば)へ寄って見ると見馴れぬ客が来ている。頭を奇麗に分けて、木綿(もめん)の紋付の羽織に小倉(こくら)の袴(はかま)を着けて至極(しごく)真面目そうな書生体(しょせいてい)の男である。主人の手あぶりの角を見ると春慶塗(しゅんけいぬ)りの巻煙草(まきたばこ)入れと並んで越智東風君(おちとうふうくん)を紹介致候(そろ)水島寒月という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるという事も知れた。主客(しゅかく)の対話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君の事に関しているらしい。
「それで面白い趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云う。「何ですか、その西洋料理へ行って午飯(ひるめし)を食うのについて趣向があるというのですか」と主人は茶を続(つ)ぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、その趣向というのが、その時は私にも分らなかったんですが、いずれあの方(かた)の事ですから、何か面白い種があるのだろうと思いまして……」「いっしょに行きましたか、なるほど」「ところが驚いたのです」主人はそれ見たかと云わぬばかりに、膝(ひざ)の上に仱盲课彷叅晤^をぽかと叩(たた)く。少し痛い。「また馬鹿な茶番見たような事なんでしょう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。「へへー。君何か変ったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まず献立(こんだて)を見ながらいろいろ料理についての御話しがありました」「誂(あつ)らえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首を捻(ひね)ってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気で鴨(かも)のロースか小牛のチャップなどは如何(いかが)ですと云うと、先生は、そんな月並(つきなみ)を食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並という意味が分らんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方を御向きになって、君仏蘭西(フランス)や英吉利(イギリス)へ行くと随分天明調(てんめいちょう)や万葉調(まんようちょう)が食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版で圧(お)したようで、どうも西洋料理へ這入(はい)る気がしないと云うような大気(だいきえん)で――全体あの方(かた)は洋行なすった事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。大方これから行くつもりのところを、過去に見立てた洒落(しゃれ)なんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をする。客はさまで感服した様子もない。「そうですか、私はまたいつの間(ま)に洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。それに見て来たようになめくじのソップの御話や蛙(かえる)のシチュの形容をなさるものですから」「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」「どうもそうのようで」と花瓶(かびん)の水仙を眺める。少しく残念の気色(けしき)にも取られる。「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞を挟(はさ)む。「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向って麁忽(そこつ)を詫(わ)びているように見える。「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。「それからボイにおいトチメンボーを二人前(ににんまえ)持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目(まじめ)な貌(かお)でメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽(こっけい)なんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボーは御生憎様(おあいにくさま)でメンチボーなら御二人前(おふたりまえ)すぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐(かい)がない。どうかトチメンボーを都合(つごう)して食わせてもらう訳(わけ)には行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボーが食いたかったと見えますね」「しばらくしてボイが出て来て真(まこと)に御生憎で、御誂(おあつらえ)ならこしらえますが少々時間がかかります、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食って行こうじゃないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたので、私(わたく)しも仕方がないから、懐(ふところ)から日本新聞を出して読み出しました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやに手数(てすう)が掛りますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席を前(すす)める。「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうも遺憾(いかん)ですな、遺憾極(きわま)るですなと調子を合せたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。膝(ひざ)が揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着(とんじゃく)なく笑う。アンドレア・デル・サルトに罹(かか)ったのは自分一人でないと云う事を知ったので急に愉快になったものと見える。「それから二人で表へ出ると、どうだ君うまく行ったろう、橡面坊(とちめんぼう)を種に使ったところが面白かろうと大得意なんです。敬服の至りですと云って御別れしたようなものの実は午飯(ひるめし)の時刻が延びたので大変空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人は始めて同情を表する。これには吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉(のど)を鳴らす音が主客(しゅかく)の耳に入る。
 東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずに済(す)ます。「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注(さ)す。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何か節奏(ふし)でも附けて、詩歌(しいか)文章の類(るい)を読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々(おいおい)は同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白楽天(はくらくてん)の琵琶行(びわこう)のようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪村(ぶそん)の春風馬堤曲(しゅんぷうばていきょく)の種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松の心中物(しんじゅうもの)をやりました」「近松? あの浄瑠璃(じょうるり)の近松ですか」近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松に極(きま)っている。それを聞き直す主人はよほど愚(ぐ)だと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀(ていねい)に撫(な)でている。藪睨(やぶにら)みから惚(ほ)れられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤謬(ごびゅう)は決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。「ええ」と答えて東風子(とうふうし)は主人の顔色を窺(うかが)う。「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割を極(き)めてやるんですか」「役を極めて懸合(かけあい)でやって見ました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。白(せりふ)はなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでも丁稚(でっち)でも、その人物が出てきたようにやるんです」「じゃ、まあ芝居見たようなものじゃありませんか」「ええ衣装(いしょう)と書割(かきわり)がないくらいなものですな」「失礼ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭が御客を仱护品荚à瑜筏铯椋─匦肖à趣常─胜螭恰埂复髩浃誓护颏浃辘蓼筏郡省工冉處煠坤堡摔沥绀盲仁驻騼A(かたむ)ける。鼻から吹き出した日の出の煙りが耳を掠(かす)めて顔の横手へ廻る。「なあに、そんなに大変な事もないんです。登場の人物は御客と、船頭と、花魁(おいらん)と仲居(なかい)と遣手(やりて)と見番(けんばん)だけですから」と東風子は平気なものである。主人は花魁という名をきいてちょっと苦(にが)い顔をしたが、仲居、遣手、見番という術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出した。「仲居というのは娼家(しょうか)の下婢(かひ)にあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居は茶屋の下女で、遣手というのが女部屋(おんなべや)の助役(じょやく)見たようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出て来るように仮色(こわいろ)を使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。「なるほど仲居は茶屋に隷属(れいぞく)するもので、遣手は娼家に起臥(きが)する者ですね。次に見番と云うのは人間ですかまたは一定の場所を指(さ)すのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思います」「何を司(つかさ)どっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。その内調べて見ましょう」これで懸合をやった日には頓珍漢(とんちんかん)なものが出来るだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。主人は存外真面目である。「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、口髯(くちひげ)を生やして、女の甘ったるいせりふを使(つ)かうのですからちょっと妙でした。それにその花魁が癪(しゃく)を起すところがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。「私(わたく)しは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭が務(つと)まるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気を洩(も)らす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。東風子は別段癪に障った様子もない。やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも竜頭蛇尾(りゅうとうだび)に終りました。実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。私(わたく)しが船頭の仮色(こわいろ)を使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今まで耐(こ)らえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、極(きま)りが悪(わ)るい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしても後(あと)がつづけられないので、とうとうそれ限(ぎ)りで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽喉仏(のどぼとけ)がごろごろ鳴る。主人はいよいよ柔かに頭を撫(な)でてくれる。人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。「それは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞(ちょうじ)を述べている。「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに小菊版(こぎくばん)の帳面を出す。「これへどうか御署名の上御捺印(ごなついん)を願いたいので」と帳面を主人の膝(ひざ)の前へ開いたまま置く。見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃(せいぞろい)をしている。「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生(かきせんせい)は掛念(けねん)の体(てい)に見える。「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表(おひょう)し被下(くださ)ればそれで結構です」「そんなら這入(はい)ります」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。責任さえないと云う事が分っておれば峙眩à啶郅螅─芜B判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。加之(のみならず)こう知名の学者が名前を列(つら)ねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入る。吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張(ほおば)る。モゴモゴしばらくは苦しそうである。吾輩は今朝の雑煮(ぞうに)事件をちょっと思い出す。主人が書斎から印形(いんぎょう)を持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。主人は菓子皿のカステラが一切(ひときれ)足りなくなった事には気が着かぬらしい。もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。
 東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間(ま)にか迷亭先生の手紙が来ている。

「新年の御慶(ぎょけい)目出度(めでたく)申納候(もうしおさめそろ)。……」

 いつになく出が真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後(そのご)別に恋着(れんちゃく)せる婦人も無之(これなく)、いず方(かた)より艶書(えんしょ)も参らず、先(ま)ず先(ま)ず無事に消光罷(まか)り在り候(そろ)間、乍憚(はばかりながら)御休心可被下候(くださるべくそろ)」と云うのが来たくらいである。それに較(くら)べるとこの年始状は例外にも世間的である。

「一寸参堂仕り度(たく)候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を以(もっ)て、此千古未曾有(みぞう)の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上候(そろ)……」

 なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。

「昨日は一刻のひまを偸(ぬす)み、東風子にトチメンボーの御馳走(ごちそう)を致さんと存じ候処(そろところ)、生憎(あいにく)材料払底の為(た)め其意を果さず、遺憾(いかん)千万に存候(ぞんじそろ)。……」

 そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。

「明日は其男爵の歌留多会(かるたかい)、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」

 うるさいなと、主人は読みとばす。

「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候(そろ)為め、不得已(やむをえず)賀状を以て拝趨(はいすう)の礼に易(か)え候段(そろだん)不悪(あしからず)御宥恕(ごゆうじょ)被下度候(くだされたくそろ)。……」

 別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。

「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度(たき)心得に御座候(そろ)。寒厨(かんちゅう)何の珍味も無之候(これなくそうら)えども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候(おりそろ)。……」

 まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。

「然(しか)しトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候(かねそろ)も計りがたきにつき、其節は孔雀(くじゃく)の舌(した)でも御風味に入れ可申候(もうすべくそろ)。……」

 両天秤(りょうてんびん)をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。

「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半(なか)ばにも足らぬ程故健啖(けんたん)なる大兄の胃嚢(いぶくろ)を充(み)たす為には……」

 うそをつけと主人は打ち遣(や)ったようにいう。

「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可(べか)らずと存候(ぞんじそろ)。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋抔(など)には一向(いっこう)見当り不申(もうさず)、苦心(くしん)此事(このこと)に御座候(そろ)。……」

 独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人は毫(ごう)も感謝の意を表しない。

「此孔雀の舌の料理は往昔(おうせき)羅馬(ローマ)全盛の砌(みぎ)り、一時非常に流行致し候(そろ)ものにて、豪奢(ごうしゃ)風流の極度と平生よりひそかに食指(しょくし)を動かし居候(おりそろ)次第御諒察(ごりょうさつ)可被下候(くださるべくそろ)。……」

 何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。

「降(くだ)って十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候(あいなりおりそろ)。レスター伯がエリザベス女皇(じょこう)をケニルウォースに招待致し候節(そろせつ)も慥(たし)か孔雀を使用致し候様(そろよう)記憶致候(いたしそろ)。有名なるレンブラントが画(えが)き候(そろ)饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘(まま)卓上に横(よこた)わり居り候(そろ)……」

 孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。

「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成(あいな)るは必定(ひつじょう)……」

 大兄のごとくは余計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。

「歴史家の説によれば羅馬人(ローマじん)は日に二度三度も宴会を開き候由(そろよし)。日に二度も三度も方丈(ほうじょう)の食饌(しょくせん)に就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調を醸(かも)すべく、従って自然は大兄の如く……」

 また大兄のごとくか、失敬な。

「然(しか)るに贅沢(ぜいたく)と衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相当に多量の滋味を貪(むさぼ)ると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出致し候(そろ)……」

 はてねと主人は急に熱心になる。

「彼等は食後必ず入浴致候(いたしそろ)。入浴後一種の方法によりて浴前(よくぜん)に嚥下(えんか)せるものを悉(ことごと)く嘔吐(おうと)し、胃内を掃除致し候(そろ)。胃内廓清(いないかくせい)の功を奏したる後(のち)又食卓に就(つ)き、飽(あ)く迄珍味を風好(ふうこう)し、風好し了(おわ)れば又湯に入りて之(これ)を吐出(としゅつ)致候(いたしそろ)。かくの如くすれば好物は貪(むさ)ぼり次第貪り候(そうろう)も毫(ごう)も内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申(もうすべき)かと愚考致候(いたしそろ)……」

 なるほど一挙両得に相違ない。主人は羨(うらや)ましそうな顔をする。

「廿世紀の今日(こんにち)交通の頻繁(ひんぱん)、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成候折柄(そろおりから)、吾人戦勝国の国民は、是非共羅馬(ローマ)人に傚(なら)って此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致し候(そろ)事と自信致候(いたしそろ)。左(さ)もなくば切角(せっかく)の大国民も近き将来に於て悉(ことごと)く大兄の如く胃病患者と相成る事と窃(ひそ)かに心痛罷(まか)りあり候(そろ)……」

 また大兄のごとくか、癪(しゃく)に障(さわ)る男だと主人が思う。

「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、既に廃絶せる秘法を発見し、之を明治の社会に応用致し候わば所謂(いわば)禍(わざわい)を未萌(みほう)に防ぐの功徳(くどく)にも相成り平素逸楽(いつらく)を擅(ほしいまま)に致し候(そろ)御恩返も相立ち可申(もうすべく)と存候(ぞんじそろ)……」

 何だか妙だなと首を捻(ひね)る。

「依(よっ)て此間中(じゅう)よりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述を渉猟(しょうりょう)致し居候(おりそうら)えども未(いま)だに発見の端緒(たんしょ)をも見出(みいだ)し得ざるは残念の至に存候(ぞんじそろ)。然し御存じの如く小生は一度思い立ち候事(そろこと)は成功するまでは決して中絶仕(つかまつ)らざる性質に候えば嘔吐方(おうとほう)を再興致し候(そろ)も遠からぬうちと信じ居り候(そろ)次第。右は発見次第御報道可仕候(つかまつるべくそろ)につき、左様御承知可被下候(くださるべくそろ)。就(つい)てはさきに申上候(そろ)トチメンボー及び孔雀の舌の御馳走も可相成(あいなるべく)は右発見後に致し度(たく)、左(さ)すれば小生の都合は勿論(もちろん)、既に胃弱に悩み居らるる大兄の為にも御便宜(ごべんぎ)かと存候(ぞんじそろ)草々不備」

 何だとうとう担(かつ)がれたのか、あまり書き方が真面目だものだからつい仕舞(しまい)まで本気にして読んでいた。新年匆々(そうそう)こんな悪戯(いたずら)をやる迷亭はよっぽどひま人だなあと主人は笑いながら云った。
 それから四五日は別段の事もなく過ぎ去った。白磁(はくじ)の水仙がだんだん凋(しぼ)んで、青軸(あおじく)の梅が瓶(びん)ながらだんだん開きかかるのを眺め暮らしてばかりいてもつまらんと思って、一両度(いちりょうど)三毛子を訪問して見たが逢(あ)われない。最初は留守だと思ったが、二返目(へんめ)には病気で寝ているという事が知れた。障子の中で例の御師匠さんと下女が話しをしているのを手水悖à沥绀Δ氦肖粒─稳~蘭の影に隠れて聞いているとこうであった。
「三毛は御飯をたべるかい」「いいえ今朝からまだ何(なん)にも食べません、あったかにして御火燵(おこた)に寝かしておきました」何だか猫らしくない。まるで人間の取扱を受けている。
 一方では自分の境遇と比べて見て羨(うらや)ましくもあるが、一方では己(おの)が愛している猫がかくまで厚遇を受けていると思えば嬉しくもある。
「どうも困るね、御飯をたべないと、身体(からだ)が疲れるばかりだからね」「そうでございますとも、私共でさえ一日御(ごぜん)をいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」
 下女は自分より猫の方が上等な動物であるような返事をする。実際この家(うち)では下女より猫の方が大切かも知れない。
「御医者様へ連れて行ったのかい」「ええ、あの御医者はよっぽど妙でございますよ。私が三毛をだいて圆靾訾匦肖取L邪(かぜ)でも引いたのかって私の脈(みゃく)をとろうとするんでしょう。いえ病人は私ではございません。これですって三毛を膝の上へ直したら、にやにや笑いながら、猫の病気はわしにも分らん、抛(ほう)っておいたら今に癒(なお)るだろうってんですもの、あんまり苛(ひど)いじゃございませんか。腹が立ったから、それじゃ見ていただかなくってもようございますこれでも大事の猫なんですって、三毛を懐(ふところ)へ入れてさっさと帰って参りました」「ほんにねえ」
「ほんにねえ」は到底(とうてい)吾輩のうちなどで聞かれる言葉ではない。やはり天璋院(てんしょういん)様の何とかの何とかでなくては使えない、はなはだ雅(が)であると感心した。
「何だかしくしく云うようだが……」「ええきっと風邪を引いて咽喉(のど)が痛むんでございますよ。風邪を引くと、どなたでも御咳(おせき)が出ますからね……」
 天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿叮嚀(ていねい)な言葉を使う。
「それに近頃は肺病とか云うものが出来てのう」「ほんとにこの頃のように肺病だのペストだのって新しい病気ばかり殖(ふ)えた日にゃ油断も隙もなりゃしませんのでございますよ」「旧幕時代に無い者に碌(ろく)な者はないから御前も気をつけないといかんよ」「そうでございましょうかねえ」
 下女は大(おおい)に感動している。
「風邪(かぜ)を引くといってもあまり出あるきもしないようだったに……」「いえね、あなた、それが近頃は悪い友達が出来ましてね」
 下女は国事の秘密でも語る時のように大得意である。
「悪い友達?」「ええあの表通りの教師の所(とこ)にいる薄ぎたない雄猫(おねこ)でございますよ」「教師と云うのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」「ええ顔を洗うたんびに鵝鳥(がちょう)が絞(し)め殺されるような声を出す人でござんす」
 鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で含嗽(うがい)をやる時、楊枝(ようじ)で咽喉(のど)をつっ突いて妙な声を無遠慮に出す癖がある。機嫌の悪い時はやけにがあがあやる、機嫌の好い時は元気づいてなおがあがあやる。つまり機嫌のいい時も悪い時も休みなく勢よくがあがあやる。細君の話しではここへ引越す前まではこんな癖はなかったそうだが、ある時ふとやり出してから今日(きょう)まで一日もやめた事がないという。ちょっと厄介な癖であるが、なぜこんな事を根気よく続けているのか吾等猫などには到底(とうてい)想像もつかん。それもまず善いとして「薄ぎたない猫」とは随分酷評をやるものだとなお耳を立ててあとを聞く。
「あんな声を出して何の呪(まじな)いになるか知らん。御維新前(ごいっしんまえ)は中間(ちゅうげん)でも草履(ぞうり)取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございましょうともねえ」
 下女は無暗(むやみ)に感服しては、無暗にねえを使用する。
「あんな主人を持っている猫だから、どうせ野良猫(のらねこ)さ、今度来たら少し叩(たた)いておやり」「叩いてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつの御蔭に相違ございませんもの、きっと讐(かたき)をとってやります」
 飛んだ冤罪(えんざい)を蒙(こうむ)ったものだ。こいつは滅多(めった)に近(ち)か寄(よ)れないと三毛子にはとうとう逢わずに帰った。
 帰って見ると主人は書斎の中(うち)で何か沈吟(ちんぎん)の体(てい)で筆を執(と)っている。二絃琴(にげんきん)の御師匠さんの所(とこ)で聞いた評判を話したら、さぞ怒(おこ)るだろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん云いながら神聖な詩人になりすましている。
 ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄然(ひょうぜん)とやって来る。「何か新体詩でも作っているのかね。面白いのが出来たら見せたまえ」と云う。「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? 誰(だ)れの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ない。全体どこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「僕の翻訳している名文と云うのは第二読本の中(うち)にあると云う事さ」「冗談(じょうだん)じゃない。孔雀の舌の讐(かたき)を際(きわ)どいところで討とうと云う寸法なんだろう」「僕は君のような法螺吹(ほらふ)きとは違うさ」と口髯(くちひげ)を捻(ひね)る。泰然たるものだ。「昔(むか)しある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽が馬子(まご)の書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと云ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家(ほんけ)のような事を云う。主人は禅坊主が大燈国師(だいとうこくし)の遺誡(ゆいかい)を読むような声を出して読み始める。「巨人(きょじん)、引力(いんりょく)」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもりだが表題だからまず負けておくとしよう。それから早々(そうそう)本文を読むさ、君は声が善いからなかなか面白い」「雑(ま)ぜかえしてはいかんよ」と予(あらか)じめ念を押してまた読み始める。

ケートは窓から外面(そと)を眺(なが)める。小児(しょうに)が球(たま)を投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中に擲(なげう)つ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼等はまた球を高く擲つ。再び三度。擲つたびに球は落ちてくる。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物を己(おの)れの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」

「それぎりかい」「むむ、甘(うま)いじゃないか」「いやこれは恐れ入った。飛んだところでトチメンボーの御返礼に預(あずか)った」「御返礼でもなんでもないさ、実際うまいから訳して見たのさ、君はそう思わんかね」と金縁の眼鏡の奥を見る。「どうも驚ろいたね。君にしてこの伎倆(ぎりょう)あらんとは、全く此度(こんど)という今度(こんど)は担(かつ)がれたよ、降参降参」と一人で承知して一人で喋舌(しゃべ)る。主人には一向(いっこう)通じない。「何も君を降参させる考えはないさ。ただ面白い文章だと思ったから訳して見たばかりさ」「いや実に面白い。そう来なくっちゃ本ものでない。凄(すご)いものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩画をやめたから、その代りに文章でもやろうと思ってね」「どうして遠近(えんきん)無差別(むさべつ)祝à长婴悚┢降龋à婴绀Δ嗓Γ─嗡驶伪趣袱悚胜ぁ8蟹沃沥辘坤琛埂袱饯Δ郅幛皮欷毪葍Wも仱隁荬摔胜搿工戎魅摔悉ⅳ蓼扦怵徇`(かんちが)いをしている。
 ところへ寒月(かんげつ)君が先日は失礼しましたと這入(はい)って来る。「いや失敬。今大変な名文を拝聴してトチメンボーの亡魂を退治(たいじ)られたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。主人だけは左(さ)のみ浮かれた気色(けしき)もない。「先日は君の紹介で越智東風(おちとうふう)と云う人が来たよ」「ああ上(あが)りましたか、あの越智東風(おちこち)と云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上(あが)っても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈(こうしゃく)をするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あの東風(こち)と云うのを音(おん)で読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮(きんからかわ)の煙草入(たばこいれ)から煙草をつまみ出す。「私(わたく)しの名は越智東風(おちとうふう)ではありません、越智(おち)こちですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井(くもい)を腹の底まで呑(の)み込む。「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近と云う成語(せいご)になる、のみならずその姓名が韻(いん)を踏んでいると云うのが得意なんです。それだから東風(こち)を音(おん)で読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に仱盲聘工蔚驻殡吘虮扦慰祝àⅳ剩─蓼峭陇丹埂M局肖菬煠瑧趺裕à趣蓼桑─い颏筏蒲屎恚à韦桑─纬隹冥匾搿O壬蠠煿埽à护耄─蛭栅盲皮搐郅螭搐郅螭妊剩à啶唬─臃丹搿!赶热绽搐繒rは朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管(きせる)で膝頭(ひざがしら)を叩(たた)く。吾輩は険呑(けんのん)になったから少し傍(そば)を離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボーを御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰(えら)んで金色夜叉(こんじきやしゃ)にしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮(おみや)ですといったのさ。東風(とうふう)の御宮は面白かろう。僕は是非出席して喝采(かっさい)しようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも諏gで軽薄なところがないから好い。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀(くじゃく)の舌とトチメンボーの復讐(かたき)を一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳(ぎょうとく)の俎(まないた)と云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人は解(かい)さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化(ごまか)しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率(しんそつ)に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿(さ)したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管(きせる)を大神楽(だいかぐら)のごとく指の尖(さき)で廻わす。「どんな経験か、聞かし玉(たま)え」と主人は行徳の俎を遠く後(うしろ)に見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左(さ)のごとくである。
「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風(とうふう)から参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云う先(さ)き触(ぶ)れがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物(こっけいもの)を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブを焚(た)いて室(へや)を煖(あたた)かにしてやらないと風邪(かぜ)を引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気(のんき)な僕もその時だけは大(おおい)に感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体(もったい)ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜(ロシア)と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦(しんく)をして御国(みくに)のために働らいているのに節季師走(せっきしわす)でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以(もっ)て来て、僕の小学校時代の朋友(ほうゆう)で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気(あじき)なくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番仕舞(しまい)にね。私(わた)しも取る年に候えば初春(はつはる)の御雑煮(おぞうに)を祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風(とうふう)が来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免蒙(こうむ)る事に極(き)めてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手(どて)三番町(さんばんちょう)の方へ我れ知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風が御濠(おほり)の向(むこ)うから吹き付ける、非常に寒い。神楽坂(かぐらざか)の方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変淋(さみ)しい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐる馳(か)け廻(めぐ)る。よく人が首を縊(くく)ると云うがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつの間(ま)にか例の松の真下(ました)に来ているのさ」
「例の松た、何だい」と主人が断句(だんく)を投げ入れる。
「首懸(くびかけ)の松さ」と迷亭は領(えり)を縮める。
「首懸の松は鴻(こう)の台(だい)でしょう」寒月が波紋(はもん)をひろげる。
「鴻(こう)の台(だい)のは鐘懸(かねかけ)の松で、土手三番町のは首懸(くびかけ)の松さ。なぜこう云う名が付いたかと云うと、昔(むか)しからの言い伝えで誰でもこの松の下へ来ると首が縊(くく)りたくなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首縊(くびくく)りだと来て見ると必ずこの松へぶら下がっている。年に二三返(べん)はきっとぶら下がっている。どうしても他(ほか)の松では死ぬ気にならん。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出ている。ああ好い枝振りだ。あのままにしておくのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、誰か来ないかしらと、四辺(あたり)を見渡すと生憎(あいにく)誰も来ない。仕方がない、自分で下がろうか知らん。いやいや自分が下がっては命がない、危(あぶ)ないからよそう。しかし昔の希臘人(ギリシャじん)は宴会の席で首縊(くびくく)りの真似をして余興を添えたと云う話しがある。一人が台の上へ登って縄の結び目へ首を入れる途端に他(ほか)のものが台を蹴返す。首を入れた当人は台を引かれると同時に縄をゆるめて飛び下りるという趣向(しゅこう)である。果してそれが事実なら別段恐るるにも及ばん、僕も一つ試みようと枝へ手を懸けて見ると好い具合に撓(しわ)る。撓り按排(あんばい)が実に美的である。首がかかってふわふわするところを想像して見ると嬉しくてたまらん。是非やる事にしようと思ったが、もし東風(とうふう)が来て待っていると気の毒だと考え出した。それではまず東風(とうふう)に逢(あ)って約束通り話しをして、それから出直そうと云う気になってついにうちへ帰ったのさ」
「それで市(いち)が栄えたのかい」と主人が聞く。
「面白いですな」と寒月がにやにやしながら云う。
「うちへ帰って見ると東風は来ていない。しかし今日(こんにち)は無拠処(よんどころなき)差支(さしつか)えがあって出られぬ、いずれ永日(えいじつ)御面晤(ごめんご)を期すという端書(はがき)があったので、やっと安心して、これなら心置きなく首が縊(くく)れる嬉しいと思った。で早速下駄を引き懸けて、急ぎ足で元の所へ引き返して見る……」と云って主人と寒月の顔を見てすましている。
「見るとどうしたんだい」と主人は少し焦(じ)れる。
「いよいよ佳境に入りますね」と寒月は羽織の紐(ひも)をひねくる。
「見ると、もう誰か来て先へぶら下がっている。たった一足違いでねえ君、残念な事をしたよ。考えると何でもその時は死神(しにがみ)に取り着かれたんだね。ゼームスなどに云わせると副意識下の幽冥界(ゆうめいかい)と僕が存在している現実界が一種の因果法によって互に感応(かんのう)したんだろう。実に不思議な事があるものじゃないか」迷亭はすまし返っている。
 主人はまたやられたと思いながら何も云わずに空也餅(くうやもち)を頬張(ほおば)って口をもごもご云わしている。
 寒月は火悚位窑蚨帳藪à─Z(な)らして、俯向(うつむ)いてにやにや笑っていたが、やがて口を開く。極めて静かな調子である。
「なるほど伺って見ると不思議な事でちょっと有りそうにも思われませんが、私などは自分でやはり似たような経験をつい近頃したものですから、少しも疑がう気になりません」
「おや君も首を縊(くく)りたくなったのかい」
「いえ私のは首じゃないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻くらいに起った出来事ですからなおさら不思議に思われます」
「こりゃ面白い」と迷亭も空也餅を頬張る。
「その日は向島の知人の家(うち)で忘年会兼(けん)合奏会がありまして、私もそれへヴァイオリンを携(たずさ)えて行きました。十五六人令嬢やら令夫人が集ってなかなか盛会で、近来の快事と思うくらいに万事が整っていました。晩餐(ばんさん)もすみ合奏もすんで四方(よも)の話しが出て時刻も大分(だいぶ)遅くなったから、もう暇乞(いとまご)いをして帰ろうかと思っていますと、某博士の夫人が私のそばへ来てあなたは○○子さんの御病気を御承知ですかと小声で聞きますので、実はその両三日前(りょうさんにちまえ)に逢った時は平常の通りどこも悪いようには見受けませんでしたから、私も驚ろいて精(くわ)しく様子を聞いて見ますと、私(わたく)しの逢ったその晩から急に発熱して、いろいろな譫語(うわごと)を絶間なく口走(くちばし)るそうで、それだけなら宜(い)いですがその譫語のうちに私の名が時々出て来るというのです」
 主人は無論、迷亭先生も「御安(おやす)くないね」などという月並(つきなみ)は云わず、静粛に謹聴している。
「医者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱が劇(はげ)しいので脳を犯しているから、もし睡眠剤(すいみんざい)が思うように功を奏しないと危険であると云う远悉坤饯Δ撬饯悉饯欷蚵劋浞瘠湟环Nいやな感じが起ったのです。ちょうど夢でうなされる時のような重くるしい感じで周囲の空気が急に固形体になって四方から吾が身をしめつけるごとく思われました。帰り道にもその事ばかりが頭の中にあって苦しくてたまらない。あの奇麗な、あの快活なあの健康な○○子さんが……」
「ちょっと失敬だが待ってくれ給え。さっきから伺っていると○○子さんと云うのが二返(へん)ばかり聞えるようだが、もし差支(さしつか)えがなければ承(うけたま)わりたいね、君」と主人を顧(かえり)みると、主人も「うむ」と生返事(なまへんじ)をする。
「いやそれだけは当人の迷惑になるかも知れませんから廃(よ)しましょう」
「すべて曖々然(あいあいぜん)として昧々然(まいまいぜん)たるかたで行くつもりかね」
「冷笑なさってはいけません、極真面目(ごくまじめ)な話しなんですから……とにかくあの婦人が急にそんな病気になった事を考えると、実に飛花落葉(ひからくよう)の感慨で胸が一杯になって、総身(そうしん)の活気が一度にストライキを起したように元気がにわかに滅入(めい)ってしまいまして、ただ蹌々(そうそう)として踉々(ろうろう)という形(かた)ちで吾妻橋(あずまばし)へきかかったのです。欄干に倚(よ)って下を見ると満潮(まんちょう)か干潮(かんちょう)か分りませんが、に郡蓼盲皮郡绖婴い皮い毪瑜Δ艘姢à蓼埂;ù☉酰à悉胜铯桑─畏饯槿肆嚖惶Y(か)けて来て橋の上を通りました。その提灯(ちょうちん)の火を見送っていると、だんだん小くなって札幌(さっぽろ)ビールの処で消えました。私はまた水を見る。すると遥(はる)かの川上の方で私の名を呼ぶ声が聞えるのです。はてな今時分人に呼ばれる訳はないが誰だろうと水の面(おもて)をすかして見ましたが暗くて何(なん)にも分りません。気のせいに違いない早々(そうそう)帰ろうと思って一足二足あるき出すと、また微(かす)かな声で遠くから私の名を呼ぶのです。私はまた立ち留って耳を立てて聞きました。三度目に呼ばれた時には欄干に捕(つか)まっていながら膝頭(ひざがしら)ががくがく悸(ふる)え出したのです。その声は遠くの方か、川の底から出るようですが紛(まぎ)れもない○○子の声なんでしょう。私は覚えず「はーい」と返事をしたのです。その返事が大きかったものですから静かな水に響いて、自分で自分の声に驚かされて、はっと周囲を見渡しました。人も犬も月も何(なん)にも見えません。その時に私はこの「夜(よる)」の中に巻き込まれて、あの声の出る所へ行きたいと云う気がむらむらと起ったのです。○○子の声がまた苦しそうに、訴えるように、救を求めるように私の耳を刺し通したので、今度は「今直(すぐ)に行きます」と答えて欄干から半身を出してに蛱鳏幛蓼筏俊¥嗓Δ馑饯蚝簸稚耍à胜撸─蜗陇闊o理に洩(も)れて来るように思われましてね。この水の下だなと思いながら私はとうとう欄干の上に仱辘蓼筏郡琛=穸群簸螭坤轱wび込もうと決心して流を見つめているとまた憐れな声が糸のように浮いて来る。ここだと思って力を込めて一反(いったん)飛び上がっておいて、そして小石か何ぞのように未練なく落ちてしまいました」
「とうとう飛び込んだのかい」と主人が眼をぱちつかせて問う。
「そこまで行こうとは思わなかった」と迷亭が自分の鼻の頭をちょいとつまむ。
「飛び込んだ後(あと)は気が遠くなって、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこも濡(ぬ)れた所(とこ)も何もない、水を飲んだような感じもしない。たしかに飛び込んだはずだが実に不思議だ。こりゃ変だと気が付いてそこいらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだつもりでいたところが、つい間違って橋の真中へ飛び下りたので、その時は実に残念でした。前と後(うし)ろの間違だけであの声の出る所へ行く事が出来なかったのです」寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織の紐(ひも)を荷厄介(にやっかい)にしている。
「ハハハハこれは面白い。僕の経験と善く似ているところが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。……そしてその○○子さんの病気はどうなったかね」と迷亭先生が追窮する。
「二三日前(にさんちまえ)年始に行きましたら、門の内で下女と羽根を突いていましたから病気は全快したものと見えます」
 主人は最前から沈思の体(てい)であったが、この時ようやく口を開いて、「僕にもある」と負けぬ気を出す。
「あるって、何があるんだい」迷亭の眼中に主人などは無論ない。
「僕のも去年の暮の事だ」
「みんな去年の暮は暗合(あんごう)で妙ですな」と寒月が笑う。欠けた前歯のうちに空也餅(くうやもち)が着いている。
「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭がまぜ返す。
「いや日は違うようだ。何でも二十日(はつか)頃だよ。細君が御歳暮の代りに摂津大掾(せっつだいじょう)を聞かしてくれろと云うから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷(うなぎだに)だと云うのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日は堀川(ほりかわ)だからいいでしょうと云う。堀川は三味線もので賑やかなばかりで実(み)がないからよそうと云うと、細君は不平な顔をして引き下がった。その翌日になると細君が云うには今日は三十三間堂です、私は是非摂津(せっつ)の三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂も御嫌いか知らないが、私に聞かせるのだからいっしょに行って下すっても宜(い)いでしょうと手詰(てづめ)の談判をする。御前がそんなに行きたいなら行っても宜(よ)ろしい、しかし一世一代と云うので大変な大入だから到底(とうてい)突懸(つっか)けに行ったって這入(はい)れる気遣(きづか)いはない。元来ああ云う場所へ行くには茶屋と云うものが在(あ)ってそれと交渉して相当の席を予約するのが正当の手続きだから、それを踏まないで常規を脱した事をするのはよくない、残念だが今日はやめようと云うと、細君は凄(すご)い眼付をして、私は女ですからそんなむずかしい手続きなんか知りませんが、大原のお母あさんも、鈴木の君代さんも正当の手続きを踏まないで立派に聞いて来たんですから、いくらあなたが教師だからって、そう手数(てすう)のかかる見物をしないでもすみましょう、あなたはあんまりだと泣くような声を出す。それじゃ駄目でもまあ行く事にしよう。晩飯をくって電車で行こうと降参をすると、行くなら四時までに向うへ着くようにしなくっちゃいけません、そんなぐずぐずしてはいられませんと急に勢がいい。なぜ四時までに行かなくては駄目なんだと聞き返すと、そのくらい早く行って場所をとらなくちゃ這入れないからですと鈴木の君代さんから教えられた通りを述べる。それじゃ四時を過ぎればもう駄目なんだねと念を押して見たら、ええ駄目ですともと答える。すると君不思議な事にはその時から急に悪寒(おかん)がし出してね」
「奥さんがですか」と寒月が聞く。
「なに細君はぴんぴんしていらあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉のように一度に萎縮(いしゅく)する感じが起ると思うと、もう眼がぐらぐらして動けなくなった」
「急病だね」と迷亭が註釈を加える。
「ああ困った事になった。細君が年に一度の願だから是非叶(かな)えてやりたい。平生(いつも)叱りつけたり、口を聞かなかったり、身上(しんしょう)の苦労をさせたり、小供の世話をさせたりするばかりで何一つ洒掃薪水(さいそうしんすい)の労に酬(むく)いた事はない。今日は幸い時間もある、嚢中(のうちゅう)には四五枚の堵物(とぶつ)もある。連れて行けば行かれる。細君も行きたいだろう、僕も連れて行ってやりたい。是非連れて行ってやりたいがこう悪寒がして眼がくらんでは電車へ仱毪嗓长恧⒀ネ眩à膜踏─亟丹辘胧陇獬隼搐胜ぁ¥ⅳ荬味兢罋荬味兢坤人激Δ趣胜獝櫤筏皮胜郅椁螭扦搿T绀秸撙艘姢皮猡椁盲品aでもしたら四時前には全快するだろうと、それから細君と相談をして甘木(あまき)医学士を迎いにやると生憎(あいにく)昨夜(ゆうべ)が当番でまだ大学から帰らない。二時頃には御帰りになりますから、帰り次第すぐ上げますと云う返事である。困ったなあ、今杏仁水(きょうにんすい)でも飲めば四時前にはきっと癒(なお)るに極(きま)っているんだが、撙螑櫎rには何事も思うように行かんもので、たまさか妻君の喜ぶ笑顔を見て楽もうと云う予算も、がらりと外(はず)れそうになって来る。細君は恨(うら)めしい顔付をして、到底(とうてい)いらっしゃれませんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時までにはきっと直って見せるから安心しているがいい。早く顔でも洗って着物でも着換えて待っているがいい、と口では云ったようなものの胸中は無限の感慨である。悪寒はますます劇(はげ)しくなる、眼はいよいよぐらぐらする。もしや四時までに全快して約束を履行(りこう)する事が出来なかったら、気の狭い女の事だから何をするかも知れない。情(なさ)けない仕儀になって来た。どうしたら善かろう。万一の事を考えると今の内に有為転変(ういてんぺん)の理、生者必滅(しょうじゃひつめつ)の道を説き聞かして、もしもの変が起った時取り乱さないくらいの覚悟をさせるのも、夫(おっと)の妻(つま)に対する義務ではあるまいかと考え出した。僕は速(すみや)かに細君を書斎へ呼んだよ。呼んで御前は女だけれども many a slip 'twixt the cup and the lip と云う西洋の諺(ことわざ)くらいは心得ているだろうと聞くと、そんな横文字なんか誰が知るもんですか、あなたは人が英語を知らないのを御存じの癖にわざと英語を使って人にからかうのだから、宜(よろ)しゅうございます、どうせ英語なんかは出来ないんですから、そんなに英語が御好きなら、なぜ耶蘇学校(ヤソがっこう)の卒業生かなんかをお貰いなさらなかったんです。あなたくらい冷酷な人はありはしないと非常な権幕(けんまく)なんで、僕もせっかくの計画の腰を折られてしまった。君等にも弁解するが僕の英語は決して悪意で使った訳じゃない。全く妻(さい)を愛する至情から出たので、それを妻のように解釈されては僕も立つ瀬がない。それにさっきからの悪寒(おかん)と眩暈(めまい)で少し脳が乱れていたところへもって来て、早く有為転変、生者必滅の理を呑み込ませようと少し急(せ)き込んだものだから、つい細君の英語を知らないと云う事を忘れて、何の気も付かずに使ってしまった訳さ。考えるとこれは僕が悪(わ)るい、全く手落ちであった。この失敗で悪寒はますます強くなる。眼はいよいよぐらぐらする。妻君は命ぜられた通り風呂場へ行って両肌(もろはだ)を脱いで御化粧をして、箪笥(たんす)から着物を出して着換える。もういつでも出掛けられますと云う風情(ふぜい)で待ち構えている。僕は気が気でない。早く甘木君が来てくれれば善いがと思って時計を見るともう三時だ。四時にはもう一時間しかない。「そろそろ出掛けましょうか」と妻君が書斎の開き戸を明けて顔を出す。自分の妻(さい)を褒(ほ)めるのはおかしいようであるが、僕はこの時ほど細君を美しいと思った事はなかった。もろ肌を脱いで石鹸で磨(みが)き上げた皮膚がぴかついてs緬(くろちりめん)の羽織と反映している。その顔が石鹸と摂津大掾(せっつだいじょう)を聞こうと云う希望との二つで、有形無形の両方面から輝やいて見える。どうしてもその希望を満足させて出掛けてやろうと云う気になる。それじゃ奮発して行こうかな、と一ぷくふかしているとようやく甘木先生が来た。うまい注文通りに行った。が容体をはなすと、甘木先生は僕の舌を眺(なが)めて、手を握って、胸を敲(たた)いて背を撫(な)でて、目縁(まぶち)を引っ繰り返して、頭蓋骨(ずがいこつ)をさすって、しばらく考え込んでいる。「どうも少し険呑(けんのん)のような気がしまして」と僕が云うと、先生は落ちついて、「いえ格別の事もございますまい」と云う。「あのちょっとくらい外出致しても差支(さしつか)えはございますまいね」と細君が聞く。「さよう」と先生はまた考え込む。「御気分さえ御悪くなければ……」「気分は悪いですよ」と僕がいう。「じゃともかくも頓服(とんぷく)と水薬(すいやく)を上げますから」「へえどうか、何だかちと、危(あぶ)ないようになりそうですな」「いや決して御心配になるほどの事じゃございません、神経を御起しになるといけませんよ」と先生が帰る。三時は三十分過ぎた。下女を薬取りにやる。細君の厳命で馳(か)け出して行って、馳(か)け出して返ってくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前頃から、今まで何とも無かったのに、急に嘔気(はきけ)を催(もよ)おして来た。細君は水薬(すいやく)を茶碗へ注(つ)いで僕の前へ置いてくれたから、茶碗を取り上げて飲もうとすると、胃の中からげーと云う者が吶喊(とっかん)して出てくる。やむをえず茶碗を下へ置く。細君は「早く御飲(おの)みになったら宜(い)いでしょう」と逼(せま)る。早く飲んで早く出掛けなくては義理が悪い。思い切って飲んでしまおうとまた茶碗を唇へつけるとまたゲーが執念深(しゅうねんぶか)く妨害をする。飲もうとしては茶碗を置き、飲もうとしては茶碗を置いていると茶の間の柱時計がチンチンチンチンと四時を打った。さあ四時だ愚図愚図してはおられんと茶碗をまた取り上げると、不思議だねえ君、実に不思議とはこの事だろう、四時の音と共に吐(は)き気(け)がすっかり留まって水薬が何の苦なしに飲めたよ。それから四時十分頃になると、甘木先生の名医という事も始めて理解する事が出来たんだが、背中がぞくぞくするのも、眼がぐらぐらするのも夢のように消えて、当分立つ事も出来まいと思った病気がたちまち全快したのは嬉しかった」
「それから歌舞伎座へいっしょに行ったのかい」と迷亭が要領を得んと云う顔付をして聞く。
「行きたかったが四時を過ぎちゃ、這入(はい)れないと云う細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分ばかり早く甘木先生が来てくれたら僕の義理も立つし、妻(さい)も満足したろうに、わずか十五分の差でね、実に残念な事をした。考え出すとあぶないところだったと今でも思うのさ」
 語り了(おわ)った主人はようやく自分の義務をすましたような風をする。これで両人に対して顔が立つと云う気かも知れん。
 寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは残念でしたな」と云う。
 迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切な夫(おっと)を持った妻君は実に仕合せだな」と独(ひと)り言(ごと)のようにいう。障子の蔭でエヘンと云う細君の咳払(せきばら)いが聞える。
 吾輩はおとなしく三人の話しを順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間を潰(つぶ)すために強(し)いて口を邉婴丹护啤ⅳ筏猡胜な陇蛐Δ盲郡辍⒚姘驻猡胜な陇蜴窑筏盲郡辘工毪郅四埭猡胜ふ撙坤人激盲俊N彷叅沃魅摔挝覂崳à铯蓼蓿─瞧粒à丐螭绀Γ─适陇锨挨槌兄筏皮い郡⑵匠#à栅坤螅─涎匀~数を使わないので何だか了解しかねる点があるように思われていた。その了解しかねる点に少しは恐しいと云う感じもあったが、今の話を聞いてから急に軽蔑(けいべつ)したくなった。かれはなぜ両人の話しを沈黙して聞いていられないのだろう。負けぬ気になって愚(ぐ)にもつかぬ駄弁を弄(ろう)すれば何の所得があるだろう。エピクテタスにそんな事をしろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭も太平(たいへい)の逸民(いつみん)で、彼等は糸瓜(へちま)のごとく風に吹かれて超然と澄(すま)し切っているようなものの、その実はやはり娑婆気(しゃばけ)もあり慾気(よくけ)もある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒(ばとう)している俗骨共(ぞっこつども)と一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通の半可通(はんかつう)のごとく、文切(もんき)り形(がた)の厭味を帯びてないのはいささかの取(と)り得(え)でもあろう。
 こう考えると急に三人の談話が面白くなくなったので、三毛子の様子でも見て来(き)ようかと二絃琴(にげんきん)の御師匠さんの庭口へ廻る。門松(かどまつ)注目飾(しめかざ)りはすでに取り払われて正月も早(は)や十日となったが、うららかな春日(はるび)は一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭の面(おも)も元日の曙光(しょこう)を受けた時より鮮(あざや)かな活気を呈している。椽側に座蒲団(ざぶとん)が一つあって人影も見えず、障子も立て切ってあるのは御師匠さんは湯にでも行ったのか知らん。御師匠さんは留守でも構わんが、三毛子は少しは宜(い)い方か、それが気掛りである。ひっそりして人の気合(けわい)もしないから、泥足のまま椽側(えんがわ)へ上(あが)って座蒲団の真中へ寝転(ねこ)ろんで見るといい心持ちだ。ついうとうととして、三毛子の事も忘れてうたた寝をしていると、急に障子のうちで人声がする。
「御苦労だった。出来たかえ」御師匠さんはやはり留守ではなかったのだ。
「はい遅くなりまして、仏師屋(ぶっしや)へ参りましたらちょうど出来上ったところだと申しまして」「どれお見せなさい。ああ奇麗に出来た、これで三毛も浮かばれましょう。金(きん)は剥(は)げる事はあるまいね」「ええ念を押しましたら上等を使ったからこれなら人間の位牌(いはい)よりも持つと申しておりました。……それから猫誉信女(みょうよしんにょ)の誉の字は崩(くず)した方が恰好(かっこう)がいいから少し劃(かく)を易(か)えたと申しました」「どれどれ早速御仏壇へ上げて御線香でもあげましょう」
 三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン南無猫誉信女(なむみょうよしんにょ)、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)南無阿弥陀仏と御師匠さんの声がする。
「御前も回向(えこう)をしておやりなさい」
 チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急に動悸(どうき)がして来た。座蒲団の上に立ったまま、木彫(きぼり)の猫のように眼も動かさない。
「ほんとに残念な事を致しましたね。始めはちょいと風邪(かぜ)を引いたんでございましょうがねえ」「甘木さんが薬でも下さると、よかったかも知れないよ」「一体あの甘木さんが悪うございますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「そう人様(ひとさま)の事を悪く云うものではない。これも寿命(じゅみょう)だから」
 三毛子も甘木先生に圆欷筏瀑Bったものと見える。
「つまるところ表通りの教師のうちの野良猫(のらねこ)が無暗(むやみ)に誘い出したからだと、わたしは思うよ」「ええあの畜生(ちきしょう)が三毛のかたきでございますよ」
 少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころと唾(つば)を呑んで聞いている。話しはしばし途切(とぎ)れる。
「世の中は自由にならん者でのう。三毛のような器量よしは早死(はやじに)をするし。不器量な野良猫は達者でいたずらをしているし……」「その通りでございますよ。三毛のような可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたって、二人(ふたり)とはおりませんからね」
 二匹と云う代りに二(ふ)たりといった。下女の考えでは猫と人間とは同種族ものと思っているらしい。そう云えばこの下女の顔は吾等猫属(ねこぞく)とはなはだ類似している。
「出来るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所の野良(のら)が死ぬと御誂(おあつら)え通りに参ったんでございますがねえ」
 御誂え通りになっては、ちと困る。死ぬと云う事はどんなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも云えないが、先日あまり寒いので火消壺(ひけしつぼ)の中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上から蓋(ふた)をした事があった。その時の苦しさは考えても恐しくなるほどであった。白君の説明によるとあの苦しみが今少し続くと死ぬのであるそうだ。三毛子の身代(みがわ)りになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出来ないのなら、誰のためでも死にたくはない。
「しかし猫でも坊さんの御経を読んでもらったり、戒名(かいみょう)をこしらえてもらったのだから心残りはあるまい」「そうでございますとも、全く果報者(かほうもの)でございますよ。ただ慾を云うとあの坊さんの御経があまり軽少だったようでございますね」「少し短か過ぎたようだったから、大変御早うございますねと御尋ねをしたら、月桂寺(げっけいじ)さんは、ええ利目(ききめ)のあるところをちょいとやっておきました、なに猫だからあのくらいで充分浄土へ行かれますとおっしゃったよ」「あらまあ……しかしあの野良なんかは……」
 吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。
「罪が深いんですから、いくらありがたい御経だって浮かばれる事はございませんよ」
 吾輩はその後(ご)野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団(ふとん)をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震(みぶる)いをした。その後(ご)二絃琴(にげんきん)の御師匠さんの近所へは寄りついた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから軽少な御回向(ごえこう)を受けているだろう。
 近頃は外出する勇気もない。何だか世間が慵(もの)うく感ぜらるる。主人に劣らぬほどの無性猫(ぶしょうねこ)となった。主人が書斎にのみ閉じ唬à长猓─盲皮い毪韦蛉摔Я丹朗Я丹坤仍uするのも無理はないと思うようになった。
 鼠(ねずみ)はまだ取った事がないので、一時は御三(おさん)から放逐論(ほうちくろん)さえ呈出(ていしゅつ)された事もあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云う事を知っているものだから吾輩はやはりのらくらしてこの家(や)に起臥(きが)している。この点については深く主人の恩を感謝すると同時にその活眼(かつがん)に対して敬服の意を表するに躊躇(ちゅうちょ)しないつもりである。御三が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今に左甚五郎(ひだりじんごろう)が出て来て、吾輩の肖像を楼門(ろうもん)の柱に刻(きざ)み、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上に描(えが)くようになったら、彼等鈍瞎漢(どんかつかん)は始めて自己の不明を恥(は)ずるであろう。
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 楼主| 发表于 2006-1-4 09:06:59 | 显示全部楼层
吾輩は猫である

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