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楼主: hmily_1983

中国怪奇小説集_捜神記(六朝)(日文版)

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 楼主| 发表于 2005-12-10 14:08:33 | 显示全部楼层
白水素女

 晋の安帝(あんてい)のとき、候官(こうかん)県の謝端(しゃたん)は幼い頃に父母をうしない、別に親類もないので、となりの人に養育されて成長した。
 謝端はやがて十七、八歳になったが、努(つと)めて恭謹の徳を守って、決して非法の事をしなかった。初めて家を持った時には、いまだ定まる妻がないので、となりの人も気の毒に思って、然るべき妻を探してやろうと心がけていたが、相当の者も見付からなかった。
 彼は早く起き、遅く寝て、耕作に怠りなく働いていると、あるとき村内で大きい法螺貝(ほらがい)を見つけた。三升入りの壺ほどの大きい物である。めずらしいと思って持ち帰って、それを甕(かめ)のなかに入れて置いた。その後、彼はいつもの如くに早く出て、夕過ぎに帰ってみると、留守のあいだに飯や湯の支度がすっかり出来ているのである。おそらく隣りの人の親切であろうと、数日の後に礼を言いに行くと、となりの人は答えた。
「わたしは何もしてあげた覚えはない。おまえはなんで礼をいうのだ」
 謝端にも判(わか)らなくなった。しかも一度や二度のことではないので、彼はさらに聞きただすと、隣りの人はまた笑った。
「おまえはもう女房をもらって、家のなかに隠してあるではないか。自分の女房に煮焚(にた)きをさせて置きながら、わたしにかれこれ言うことがあるものか」
 彼は黙って考えたが、何分にも理屈が呑み込めなかった。次の日は早朝から家を出て、また引っ返して籬(かき)の外から窺っていると、一人の少女が甕の中から出て、竈(かまど)の下に火を焚きはじめた。彼は直ぐに家へはいって甕のなかをあらためると、かの法螺貝は見えなくて、竈の下の女を見るばかりであった。
「おまえさんはどこから来て、焚き物をしていなさるのだ」と、彼は訊いた。
 女は大いに慌てたが、今さら甕のなかへ帰ろうにも帰られないので、正直に答えた。
「わたしは天漢(てんかん)の白水素女(はくすいそじょ)です。天帝はあなたが早く孤児(みなしご)になって、しかも恭謹の徳を守っているのをあわれんで、仮りにわたしに命じて、家を守り、煮焚きのわざを勤めさせていたのです。十年のうちにはあなたを富ませ、相当の妻を得るようにして、わたしは帰るつもりであったのですが、あなたはひそかに窺ってわたしの形を見付けてしまいました。もうこうなっては此処(ここ)にとどまることは出来ません。あなたはこの後も耕し、漁(すなど)りの業(わざ)をして、世を渡るようになさるがよろしい。この法螺貝を残して行きますから、これに米穀(べいこく)をたくわえて置けば、いつでも乏(とぼ)しくなるような事はありません」
 それと知って、彼はしきりにとどまることを願ったが、女は肯(き)かなかった。俄かに風雨が起って、彼女は姿をかくした。その後、彼は神座をしつらえて、祭祀(さいし)を怠らなかったが、その生活はすこぶる豊かで、ただ大いに富むというほどでないだけであった。土地の人の世話で妻を迎え、後に仕えて令長となった。
 今の素女祠(そじょし)がその遺跡である。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 14:09:14 | 显示全部楼层
千年の鶴

 丁令威(ていれいい)は遼東(りょうとう)の人で、仙術を霊虚山(れいきょざん)に学んだが、後に鶴に化(け)して遼東へ帰って来て、城門の柱に止まった。ある若者が弓をひいて射ようとすると、鶴は飛びあがって空中を舞いながら言った。
「鳥あり、鳥あり、丁令威。家を去る千年、今始めて帰る。城廓故(もと)の如くにして、人民非なり。なんぞ仙を学ばざるか、塚々(るいるい)たり」
 遂に大空高く飛び去った。今でも遼東の若者らは、自分たちの先代に仙人となった者があると言い伝えているが、それが丁令威という人であることを知らない。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 14:09:47 | 显示全部楼层
箏笛浦

 廬江(ろこう)の箏笛浦(そうてきほ)には大きい船がくつがえって水底に沈んでいる。これは魏(ぎ)王曹操(そうそう)の船であると伝えられている。
 ある時、漁師が夜中に船を繋いでいると、そのあたりに笛や歌の声がきこえて、香(こう)の匂いが漂っていた。漁師が眠りに就くと、なにびとか来て注意した。
「官船に近づいてはならぬぞ」
 おどろいて眼をさまして、漁師はわが船を他の場所へ移した。沈んでいる船は幾人の歌妓(うたひめ)を載せて来て、ここの浦で顛覆(てんぷく)したのであるという。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 14:10:13 | 显示全部楼层
凶宅

 宋の襄城(じょうじょう)の李頤(りい)、字(あざな)は景真(けいしん)、後に湘東(しょうとう)の太守になった人であるが、その父は妖邪を信じない性質であった。近所に一軒の凶宅があって、住む者はかならず死ぬと言い伝えられているのを、父は買い取って住んでいたが、多年無事で子孫繁昌した。
 そのうちに、父は県知事に昇って移転することになったので、内外の親戚らを招いて留別(りゅうべつ)の宴を開いた。その宴席で父は言った。
「およそ天下に吉だとか凶だとかいう事があるだろうか。この家もむかしから凶宅だといわれていたが、わたしが多年住んでいるうちに何事もなく、家はますます繁昌して今度も栄転することになった。鬼などというものが一体どこにいるのだ。この家も凶宅どころか、今後は吉宅となるだろう。誰でも勝手にお住みなさい」
 そう言い終って、彼は起(た)って厠(かわや)へゆくと、その壁に蓆(むしろ)を巻いたような物が見えた。高さ五尺ばかりで、白い。彼は引っ返して刀を取って来て、その白い物を真っ二つに切ると、それが分かれて二つの人になった。さらに横なぐりに切り払うと、今度は四人になった。その四人が父の刀を奪い取って、その場で彼を斬り殺したばかりか、座敷へ乱入してその子弟を片端から斬り殺した。
 李姓の者はみな殺されて、他姓の者は無事にまぬかれた。
 そのとき李頤だけはまだ幼少で、その席に居合わせなかったので、変事の起ったのを知ると共に、乳母が抱えて裏門から逃げ出して、他家に隠れて幸いに命を全うした。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 14:10:44 | 显示全部楼层
蛟を生む

 長沙(ちょうさ)の人とばかりで、その姓名を忘れたが、家は江辺に住んでいた。その娘が岸へ出て衣(きもの)を濯(すす)いでいると、なんだか身内に異状があるように感じたが、後には馴れて気にもかけなかった。
 娘はいつか懐妊して、三つの生き物を生み落したが、それは小鰯(こいわし)のような物であった。それでも自分の生んだ物であるので、娘は憐れみいつくしんで、かれらを行水(ぎょうずい)の盥(たらい)のなかに養って置くと、三月ほどの後にだんだん大きくなって、それが蛟(みずち)の子であることが判った。蛟は龍(りゅう)のたぐいである。かれらにはそれぞれの字(あざな)をあたえて、大を当洪(とうこう)といい、次を破阻(はそ)といい、次を撲岸(ぼくがん)と呼んだ。
 そのうちに暴雨出水と共に、三つの蛟はみな行くえを晦(くら)ましたが、その後も雨が降りそうな日には、かれらが何処からか姿を見せた。娘も子供らの来そうなことを知って、岸辺へ出て眺めていると、蛟もまた頭(かしら)をあげて母をながめて去った。
 年を経て、その娘は死んだ。三つの蛟は又あらわれて母の墓所に赴き、幾日も号哭(ごうこく)して去った。その哭(な)く声は狗(いぬ)のようであった。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 14:12:18 | 显示全部楼层
秘術

 銭塘(せんとう)の杜子恭(としきょう)は秘術を知っていた。かつて或る人から瓜を割(さ)く刀を借りたので、その持ち主が返してくれと催促すると、彼は答えた。
「すぐにお返し申します」
 やがて其の人が嘉興(かこう)まで行くと、一尾の魚が船中に飛び込んだ。その腹を割くと、かの刀があらわれた。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 14:13:18 | 显示全部楼层
木像の弓矢

 孫恩(そんおん)が乱を起したときに、呉興(ごこう)の地方は大いに乱れた。なんのためか、ひとりの男が蒋侯(しょうこう)の廟(びょう)に突入した。蒋子文(しょうしぶん)は広陵(こうりょう)の人で、三国の呉(ご)の始めから、神としてここに祀られているのである。
 蒋侯の木像は弓矢をたずさえていたが、その弓を絞って飄(ひょう)と射ると、男は矢にあたって死んだ。往来の者も、廟を守る者も、皆それを目撃したという。
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