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源氏物语の部屋

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发表于 2006-1-21 14:11:39 | 显示全部楼层 |阅读模式
  枕草子に対してものの哀れの代表作品:


言わずと知れた『源氏物語』・・・。ではその概略を・・・。
作者:紫式部
主人公は、前半:光源氏/後半:薫
五十四巻五十四帖
古典文学の最高峰
「あはれ」の文学
写実的・叙情的表現
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 楼主| 发表于 2006-1-21 14:13:35 | 显示全部楼层
『源氏物語』は五十四帖からなる壮大な物語ですが、現在ではその構成を三部に分けるのが通説になっています。

第一部:「桐壺」~「藤裏葉」
主人公光源氏の誕生、多様な恋の遍歴、不遇な時代を経て準太上天皇(上皇に準じる地位)になるという栄華に到達する約四十年間を描いている。
第二部:「若菜上」~「幻」
若き日の過ちの因果に苦悩する源氏、傷つけあい悩む人間の内面を中心に、出家を決意する源氏の晩年十四年を描いている。
第三部;「匂宮」~「夢浮橋」
源氏の宿命の子である薫の世代に移り、恋に揺れ動く姿を宇治を背景に描いている。
    特に、「橋姫」~「夢の浮橋」を「宇治十帖」という。

ここで、『源氏物語』が書かれた時代背景について少し触れておきましょう。

10世紀から11世紀にかけて藤原氏による摂関政治は全盛期を迎えました。
摂関政治の権力が天皇との外戚関係に依存していたため、自分の娘を後宮に入内させ、様々な方法で天皇の関心を引かせようとしました。
こうした社会の中では、自分の娘が他の娘より、より魅力的であることが望まれます。
そのため、優れた女房をスカウトして娘の教育を任せたのです。
こうして集められた女房たちは才色優れ、またその教養を競い合いました。(さぞ華やかだったことでしょうね。)
ここに、女流文学が開花し、多くの優れた作品が誕生したのです。
これらの作品に共通していることは、和歌を巧みに使いながら現実社会と人生とを追求し、理想の世界を描こうとした点でしょう。
『源氏物語』の作者、紫式部もそんな中、藤原道長(ふじわらのみちなが)にスカウトされた女房のひとりでした。

『源氏物語』は、『竹取物語』、『古今和歌集』、『伊勢物語』などの、さまざまな先行文学の影響をうけながら、物語文学として完成された作品です。
文体が流麗で、この作品が後世の文学に与えた影響は非常に大きく、平安時代の後期の物語や、中世の謡曲、近世の小説などにもその影響を見ることができます。
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 楼主| 发表于 2006-1-21 14:19:32 | 显示全部楼层
登場人物の紹介
1、葵の上(あおいのうえ)
政界の第一人者・左大臣の姫君。源氏の最初の正妻。春宮妃にもとして育てられたため気位が高く、源氏とは不仲。四歳年上。車争いに敗れた六条御息所の生き霊にとりつかれ、夕霧を出産後命をおとす
2、明石の上(あかしのうえ)
住吉の神の酔夢を信じる父の意思により、須磨流浪中の源氏と結ばれる。生まれた姫を紫の上に託し、長い年月を日陰の身で送るが、姫の入内後はじめて母娘の対面がかなう。
3、明石の中宮(あかしのちゅうぐう)
明石の上とのあいだになした源氏にとって唯一の娘。紫の上に養育され、春宮妃、中宮へと出世していく。その運命は、明石の入道が早くから予知していた。
4、明石の入道(あかしのにゅうどう)
明石の上の父。子孫は帝と皇后の地位につくという、夢枕に立つ住吉の神の夢告を信じて、一人娘を源氏に嫁がせた。
5、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)
前の東宮と六条御息所の姫。十四歳で伊勢神宮に奉仕する斎宮に立ち、母を伴い伊勢に下る。京に戻ってのち母を亡くし源氏の養女となり、冷泉帝に入内。梅壺の女御を経て中宮につく。秋を好み、紫の上と風雅な春秋の争いをする。
6、槿の君(あさがおのきみ)
源氏のいとこ。朱雀帝の御世に賀茂神社に奉仕する斎院になり、槿の斎院ともよばれる。知的で教養の高さを源氏に重んじられ、朝顔の花にことよせて求愛されるが身をかわす。
7、浮舟(うきふね)
大君、中の君の異母妹。薫と匂の宮の二人の愛の板ばさみに苦しみ宇治川に入水するが、横川の僧都に助けられる。小野の里に身を隠し、やがて浮世の一切を捨て出家する。
8、右大臣(うだいじん)
桐壺帝の弘徽殿の女御や朧月夜の父。朱雀帝の御世、母方の祖父として権勢をふるい、源氏失脚を謀る。
9、空蝉(うつせみ)
中流階級の慎み深い人妻。方違えの夜源氏に忍びよられるが、二度と近づけず、一枚の衣で女の誇りの高さを源氏に教える。
10、近江の君(おうみのきみ)
頭の中将が愛人に産ませた娘。玉鬘に対抗して捜し出されたが宮中の生活になじまず逃げ帰る。
11、大君(おおいぎみ)
宇治に住む八の宮の長女。幼くして母に死なれ、俗念をたった父に育てられる。姉妹愛が強く、妹の中の君の結婚に心を砕き、薫の求愛を受けることなくこの世を去る。
12、大宮(おおみや)
桐壺帝の妹で、左大臣の妻。頭の中将と葵の上の母君で、葵の上死後夕霧をひきとる。頭の中将の娘、雲居の雁も大宮のもとで育ち、幼い二人に初恋が芽生える。
13、落葉の宮(おちばのみや)
朱雀帝第二皇女。結婚した柏木が、妹宮、女三の宮に心を移し嘆く。柏木没後、夕霧に想いをよせられ心乱される。
14、朧月夜(おぼろづきよ)
時の権力者右大臣の姫君。朱雀帝に寵愛されるが、それ以前に源氏と恋に落ち、入内後も逢瀬を重ねる。その密会が発覚して源氏は失脚、須磨へ身をおくることになる。
15、女三の宮(おんなさんのみや)
朱雀帝の第三皇女。源氏のもとに十四歳で降嫁、正夫人となるが、あまりの幼さに源氏を悩ませる。柏木との密通により罪の子薫を産み、栄華を極めた源氏の晩年を狂わす。愛することも愛されることも知らず、若くして出家する。
16、薫(かおる)
宇治十帖の編の主人公。源氏の子として育つが、実は女三の宮と柏木の不義の子。出生の秘密により暗い影をひきずり、大君、浮舟との恋も暗い結末をむかえる。
17、柏木(かしわぎ)
頭の中将の長男。落葉の宮と結婚するが、女三の宮に恋い焦がれ、罪の子薫をもうける。源氏の刺すような目に秘事露見を怯え、衰弱のあまり他界する。
18、桐壺帝(きりつぼてい)
源氏の父帝。身分の低い桐壺の更衣をこよなく愛し、更衣没後も生き写しの藤壺の宮を妃にむかえる。藤壺と源氏の間の皇子を慈しみ、源氏に幼い春宮の後見を託して死去。のちに源氏が、このときの父帝を思い罪の子薫を抱く。
19、桐壺更衣(きりつぼのこうい)
源氏の母。帝の寵愛を一身に受けたため第一夫人の弘徽殿の女御の嫉妬にいたぶられ、源氏三歳のときに病死。
20、雲居の雁(くもいのかり)
頭の中将の姫。夕霧とともに祖母大宮のもとで育ち恋仲になるが、父の反対にあい長いこと結ばれない。結婚後、夕霧の恋に悩まされる。
21、源の曲侍(げんのないしのすけ)
源氏を慕う老女。若き日の源氏と頭の中将が、老女の恋の手練手管にふりまわされる。
22、紅梅右大臣(こうばいうだいじん)
頭の中将の二男。長兄の柏木亡きあと一家を守り、二女を匂の宮に嫁がせようとするが叶わない。
23、弘徽殿の女御(こきでんのにょうご)
桐壺帝の妃。朱雀帝の生母として権勢をふるい、帝にかえりみられなかった恨みを、源氏失脚ではらそうとする。
24、(新)弘徽殿の女御(こきでんのにょうご)
頭の中将の姫。冷泉帝に入内し、梅壺の女御、のちの秋好中宮と中宮の座を争い敗れる。
25、惟光(これみつ)
源氏の乳母の子で、忠実な部下。若い日の源氏の恋の通いを手助けする。娘・藤の曲侍が夕霧と結ばれる。
26、左大臣(さだいじん)
葵の上、頭の中将の父。桐壺帝の忠臣で、元服後の源氏の後見をし、冷泉帝即位にも力をかす。
27、末摘花(すえつむはな)
故常陸の宮の姫。没落貴族で常識に欠けるが、人柄の良さで終生源氏の援助を受ける。鼻先が赤いため紅花の別名、末摘花とよばれた。
28、朱雀帝(すざくてい)
桐壺帝の第一皇子。源氏の影を感じながら奔放な朧月夜を愛していく。生母弘徽殿の女御の野心に振りまわされるが冷泉帝に譲位し、愛姫女三の宮を源氏に降嫁させて出家する。
30、玉鬘(たまかずら)
夕顔と頭の中将の姫。三歳で母に死別。貧しくさすらい二十歳すぎに源氏に引き取られる。美しく思慮深く、源氏をはじめ多くの貴公子に恋慕されるが、無骨者の髭黒の大将に奪われて妻におさまる。
31、頭の中将(とうのちゅうじょう)
左大臣の長男。葵の上の兄。源氏の親友で学問、政治、風流ごとの好敵手。雲居の雁と夕霧の仲を許さなかったり、娘を冷泉帝に入内させて中宮の座を争うなど、源氏への対抗意識が強い。女三の宮にはかない恋をした柏木は、長男。紅梅右大臣は二男。
32、中の君(なかのきみ)
宇治の俗聖八の宮の二女。妹思いの姉、大君の庇護のもと、匂の宮夫人となる。両親もなく零落の身は薫の後見で安定するが、薫の思慕をさけるため、大君の生き写しの異母妹浮舟を引き合わせる。
33、匂の宮(におうのみや)
今上帝の女三の宮。母は明石の中宮。源氏の孫。薫とともに六条院の縁につながる貴公子として華やかに生きている。情熱的で奔放な性格。薫への対抗意識が強く宇治の中の君を強引に妻にし、浮舟をはさんで三角関係になる。
34、八の宮(はちのみや)
地位争いに敗れ、零落して宇治に住む桐壺帝の第八皇子。妻にも先立たれ、出家同然の身で大君、中の君を育てる。仏道への探求が深く、その生き方に薫が魅かれる。
35、花散里(はなちるさと)
桐壺帝の妃のひとりである麗景殿の女御の妹。穏やかで人柄のよさが源氏に好まれる。
36、光源氏(ひかるげんじ)
桐壺帝の第二皇子。母は桐壺の更衣。才能、容姿、ともにすぐれ幼少より光り輝く君と称せられるが、母方の家柄が低いため臣下にくだって源氏姓を名のる。父帝の妃藤壺の宮を思慕し、道ならぬ恋のはてに不義の子冷泉帝をなしてしまう。宮への思いを断ち切れず多くの女人と恋の遍歴を重ねるが、紫の上を生涯の伴侶とし、深く慈しんだ。須磨より帰還後栄華を極め、準太上天皇に昇り、皇女女三の宮の降嫁を得るが、宮と柏木の不義の子薫の誕生により、苦悩の晩年をおくる。
37、髭黒の大将(ひげぐろのたいしょう)
貴族の優雅さを持ち合わせていない無骨者。玉鬘への恋情のあまり強引に奪いとって妻にする。
38、藤壺の宮(ふじつぼのみや)
桐壺の更衣に生き写しの美しい桐壺帝妃。帝に愛されるが源氏に恋い慕われ、不義の子冷泉帝を出産する。その罪の深さに苦しみ、皇子を命を懸けて帝位につかせる。桐壺帝亡き後源氏に心乱されるが、若くして出家。源氏三十二歳の折、この世を去る。
39、蛍兵部卿の宮(ほたるひょうぶきょうのみや)
源氏の弟宮。恋する玉鬘を蛍の仄かな光のなかに見て、ますます思いを募らせるが、髭黒の大将に奪われてしまう。
40、紫の上(むらさきのうえ)
藤壺の宮の姪。十歳まで祖母の尼君と山深い寺で暮らす。その後源氏の二条の邸に引き取られ、美しく聡明な女性に養育される。正妻葵の上亡きあと妻になり、理想的な女性として源氏の栄華を支えるが、晩年女三の宮の降嫁により正妻の地位を奪われ悩み苦しむ。生涯にわたり源氏に愛された唯一の女性。
41、夕顔(ゆうがお)
源氏十七歳のとき、夕顔の花が縁で結ばれるが、物の怪にとりつかれて急死。一夜の花のようにはかなく散った姿は、源氏に美しい思い出をのこす。かつて頭の中将の恋人で、二人のあいだの姫が玉鬘。
42、夕霧(ゆうぎり)
源氏と正妻葵の上の子。学問を愛し、まじめな性格で、雲居の雁との幼い初恋を成就させ結婚する。親友柏木の死後、未亡人落葉の宮と結ぶ。
43、冷泉帝(れいぜいてい)
桐壺帝第十皇子として帝位につくが、実は源氏と藤壺の宮の罪の子。宮の死に嘆き悲しむ源氏の様子から出生の秘密を知り、のち、孝心から源氏を準太上天皇に立てる。
44、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)
前の春宮の未亡人。誇り高く、源氏の若い情熱を独り占めできぬ嫉妬から、源氏が愛するあまたの女人に生き霊となってとりつく。夕顔や葵の上を死にいたらしめ、死後もその霊は紫の上や女三の宮に祟りをなす。斎宮の姫、のちの秋好中宮の母。
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 楼主| 发表于 2006-1-21 14:23:43 | 显示全部楼层
「源氏物語」五十四帖
第一部
                                                                                       
第一帖 桐壺(きりつぼ)/光源氏誕生から十二歳まで
いつの帝の御代であったか、宮中の桐壺に住まいを賜る更衣は、帝の寵愛を一身に集めていた。そのため、ほかの妃たちに嫉まれ、いじめぬかれて病づき、とうとう幼い皇子ひとりを残して死ぬ。帝は最愛の更衣が忘れられず、やがて亡くなった更衣によく似た藤壺の宮を妃に迎える。桐壺の更衣の残した皇子(主人公)は、父帝のもとで、美しく賢く成長するが、いつしか母の面影に似た藤壺の宮を慕うようになっていた。帝は、この光り輝くような皇子を、ことのほか愛していたが、人相見の予言や後見のないことを考慮して、十二歳で元服すると同時に臣籍に下して、源の姓を与えた。以後、主人公は光源氏の君と呼ばれる。源氏は左大臣の姫君葵の上と結婚して左大臣の婿となり、政界での足場を築くが、心の内には、藤壺の宮への苦しい恋の思いが募っていった。
 
第二帖 帚木(ははきぎ)/光源氏十七歳(中将)
源氏もいまや青年になった。ある五月雨の続く夜、源氏は宮中の宿直所で、親友の頭の中将やそのほかの仲間と女の品定めの論議に花を咲かせていた。それぞれの経験したさまざまな女の物語を、あわれ深くも面白くも聞くうちに、源氏は、仲間のひとりの言った「中流の女に思いのほかにすぐれた掘り出しものがある」という言葉に興味を覚えた。翌日、源氏は方違(外出する方角に障りがあるとしてさけること)に、紀伊の守の邸に泊まった。そこに紀伊の守の若い継母にあたる伊予の介の後妻(空蝉)が来合わせていることを知った源氏は、夜しのびこんで空蝉と契る。はかない逢瀬が心に残り、忘れられない源氏は、空蝉の弟(子君)を手なずけて、再び空蝉に会おうとはかるが、空蝉は固くこばむ。
 
第三帖 空蝉(うつせみ)/光源氏十七歳(中将)
空蝉のことがあきらめきれない源氏は、ある夕暮れ、子君に案内させて、人目を避けて紀伊の守の邸にしのび入った。そこで源氏は偶然、空蝉とその継娘が碁を打つ姿を垣間見する。中流の女のつくろわぬ姿を見るのは、源氏にとって初めての経験だった。その夜、人びとが寝静まってから、源氏は空蝉の寝室へ忍び入るが、いちはやくそれを悟った空蝉は、すばやく部屋をのがれ出てしまった。源氏はあとに残された継娘と契ってしまう。心に染まぬ一夜を明かした源氏は、せめてもと空蝉の脱ぎ残していった薄衣を持ち帰り、むなしくその人をなつかしむのだった。源氏に歌を贈られた空蝉もまた、かなわぬ恋に人知れず嘆く。
 
第四帖 夕顔(ゆうがお)/光源氏十七歳(中将)
同じころ、源氏はある高貴な女性のもとへひそかに通っていた。それは、前皇太子の未亡人六条の御息所であった。ある日、御息所のもとへ行く途中、源氏は思い病にかかる乳母を見舞った。その折、夕顔の花のはいかかる粗末な隣家にふと目をとめた源氏は、その家の女(夕顔)から歌を贈られる。その後、この女に通うようになった源氏は、何ごころもなく素直にひびき寄る夕顔の愛らしさに強く引かれ、夢中になる。八月十五夜、夕顔を訪れた源氏は、暁に彼女を近くの廃院に連れ出す。ふたり水入らずのときを楽しむが、その夜半、源氏の夢枕に怪しい女が現れ、夕顔は急死する。自らも重い病に寝ついた源氏だったが、ようやく癒えて、夕顔の侍女右近に事情をきくと、夕顔こそ、頭の中将が雨夜の品定めの折に語った愛人、女の子までもうけながら行方知れずになった、あのものはかない女だった。
 
第五帖 若紫(わかむらさき)/光源氏十八歳(中将)
春の終わり近く、源氏は瘧病のため、北山の聖のもとへ出かけた。山路の春景色を楽しみながら歩いていた源氏は、ふとこぎれいな僧坊に目をとめた。夕暮れ、この僧坊のそばに忍び寄った源氏は、小柴垣の内に、日ごろ恋い慕う藤壺の宮にそっくりの美しい少女(のちの紫の上)を垣間見る。この少女は実は藤壺の宮の姪で、祖母の尼君とともにこの庵に身を寄せていたのであった。何とかしてこの少女を手元に引き取りたいと願う源氏は、祖母尼君の死後、父兵部卿の宮が迎えにくる前夜、奪うようにして少女を自邸二条の院に迎え取る。あどけなく愛らしいこの姫に、藤壺の宮の面影を重ねながら、源氏はその成長を楽しみに、教え育てる。いっぽう、王命婦のはからいで、藤壺の宮と夢のような一夜を過ごした源氏は、会ってのちいっそう苦しい思いにさいなまれる。しかも、藤壺の宮は、源氏の子を身ごもったのである。
 
第六帖 末摘花(すえつむはな)/光源氏十八~十九歳
優しくものはかなかった夕顔や、ただ一度の契りだけで身を守り通した空蝉のことが忘れられない源氏は、今は亡き、常陸の宮の姫君(末摘花)が一人寂しく暮らしていると聞き、心をそそられる。朧月夜の宵、乳母子の大輔の命婦の案内させ、源氏は常陸の宮邸を訪れた。琴の音を聞いて帰るところを、頭の中将に見つけられて、以後二人は競ってこの姫に文を通わす。秋になって、ようやく源氏は姫君に会ったが、その人柄は無口で引っ込み思案、期待外れの味気ないものだった。その後、足は遠のきがちになるが、ある冬の日に末摘花を訪れた源氏は、翌朝、庭の雪明かりに、その容姿をすっかり見てしまう。その醜さ、わけても先の赤い鼻にあきれ果てた源氏だったが、末摘花の頼り少ない貧しい境遇に同情し、見捨てないで物質的援助をしようと決心する。二条の院では、紫の上が、美しく愛らしく成長していた。
 
第七帖 紅葉賀(もみじのが)/光源氏十八~十九歳(中将)
源氏十八歳の冬、帝の朱雀院への行幸に先立ち、宮中で試楽が催された。源氏は頭の中将と青海波を舞ったが、その美しさ、みごとさはこの世のものとも思われなかった。行幸当日の、紅葉に映えた源氏の舞は、また一段とすばらしかった。左大臣家の葵の上は、源氏が二条の院に新しく女を迎え取ったという噂に、内心おもしろくないが、気位の高さから、うち解けた恨み言も言わない。二条の院の紫の上は、ますます愛らしく源氏になつき、雛遊びに熱中している。年が明けて二月の十日すぎに、藤壺の宮は男御子を出産した。帝の喜びはひとかたではなく、自ら御子を抱いて源氏に見せるが、その皇子の顔が源氏に生き写しであるにつけ、藤壺の宮と源氏の胸の内は、いよいよ恐れと悩みに責めさいなまれる。七月には、藤壺の宮は中宮に立ち、源氏は宰相に昇進する。帝は、退位ののちは次の東宮に藤壺腹の若宮を、とのお心づもりでいられる。
 
第八帖 花宴(はなのえん)/光源氏二十歳(中将)
源氏二十歳の春のこと、御所で桜の宴が催された。御前で詩を作る会や舞楽などが披露されたが、源氏のあでやかな美しさと才能の豊かさは、ひときわ目立つ存在だった。藤壺の宮も、胸に複雑な思いを秘めて、源氏の姿を見守るのだった。宴果てて、源氏は藤壺の宮の面影を求めて、後宮の庭をそぞろ歩きしていた。ちょうど弘徽殿の戸口が開いていたので、ふとそこへ入っていった源氏は、華やかな声で「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさみながら歩いてくる若い女に出会った。抱きとめると、なよやかで愛らしい。思わずその場で契ってしまうが、やがて短い春の夜が明け、源氏はその女の名前も聞かぬまま、扇だけを交換してあわただしく別れる。女はどうやら右大臣家の息女の一人であるらしい。それから約一ヵ月後、源氏は右大臣家の藤の宴に招かれ、そこでようやくあの朧月夜の女君を探し当てたのである。
 
第九帖 葵(あおい)/光源氏二十二~二十三歳(大将)
帝のご譲位ののち、朱雀帝が即位され、東宮には、藤壺腹の皇子(実は源氏の子)が立たれた。院は、源氏に東宮の後見を頼む。六条の御息所は、日ごろつれない源氏への未練を断ち切るため、娘が伊勢の斎宮に定まったのを機会に、一緒に伊勢へ下ろうと考えるが、容場に決心はつかない。賀茂の祭りの御禊の日、御息所は、行列に加わっている源氏の晴れ姿を一目見ようと、忍び姿で出かけたが、折から見物に来合わせた葵の上の供人に、車を無惨に押しやられ、辱められる。このときの恨みが解けない御息所は、われ知らず生霊となって、懐妊中の葵の上を苦しめ、ついに若君(夕霧)出産後まもない葵の上をとり殺してしまう。御息所の生霊を目の当たりに見た源氏は、彼女を疎む気持ちを抑えきれない。葵の上の喪が明けて二条の院に戻った源氏は、美しく成長した紫の上と初めて枕を交わした。
第十帖 賢木(さかき)・第十一条 花散里(はなちるさと)/光源氏二十三~二十五歳(大将) 
六条の御息所は、源氏との仲を思いあきらめ、伊勢下向を決意した。このことを知った源氏は出立も間近い秋の末、嵯峨の野の宮に御息所を訪れ、別れを惜しんだ。桐壺院は病が重くなり、帝に東宮と源氏のことを遺言して、崩御した。藤壺の宮は三条の里邸に帰り、世の権勢は、すべて右大臣と大后へと移っていった。朧月夜の君は、尚侍として出仕していたが、源氏との仲が切れず、二人は人目を忍んで危うい逢瀬を重ねていた。源氏は、藤壺の宮への思いを忍びきれずに再び迫るが、藤壺の宮はこれを拒み、険しい時勢下での東宮の安泰を願って、源氏の恋慕を断ち切るため、出家する。翌年の夏、病のため退出していた朧月夜と、忍ぴ逢いを続けていた源氏は、雷雨の晩、右大臣に現場を発見され、窮地へと追い込まれていく。逆境にある源氏は、花散里のやさしくゆかしい人柄に、心を慰められるのだった。
 
第十二帖 須磨(すま)/光源氏二十六~二十七歳
尚侍の君との密通が露見して以来、源氏にとって政界の情勢は日々厳しくなっていった。位官も削られ、このうえは最悪の事態に陥る前に、と自ら須磨の地へ退くことを決意する。左大臣家に預けてある若君、藤壺の宮、父院のお墓などを次々に訪れて別れを惜しむが、なかでも紫の上が別れを悲しむようすに、何よりも心が残るのだった。須磨でのわぴ住まいが始まった。源氏は都の女君たもと文のやりとりにわずかに心を慰めるが、やがて季節は秋から冬へと移り、わぴしさは募ってゆくばかりである。年明けて春がめぐってきたころ、都から親友宰相の中将(頭の中将)が世間の目をくぐって訪れ、共に楽しいひとときを過ごす。三月上巳の日、海辺に出て祓えをしていると、急に空がかきくもり、激しい暴風雨に襲われた。夢には怪しい物影が現われ、源氏は須磨の地を離れたいと思うようになった。
 
第十三帖 明石(あかし)/光源氏二十七~二十八歳
嵐は何日も続き、いっそう激しくなった。源氏と供の人々は、住吉の神に一心に祈ったが、とうとうやかた館に雷まで落ちかかってきた。その夜半、疲れてまどろんだ源氏の夢枕に、亡き父、桐壺院が現われて、住吉の神の導きによってこの浦を去るよう諭す。翌朝、やはり住吉の神のお告げに従って、迎えに来た明石の入道の船に乗り、源氏は明石の浦に移り住んだ月のよい初夏の一夜、琴や琵琶で源氏のお相手をしていた入道は、長年娘にかけていた期待を源氏に打ち明け、娘に会ってくれるよう頼む。入道の娘(明石の君)と契りを結んだ源氏は、都の紫の上に、文でそれとなく事情を打ち明ける。都では、あの嵐の夜に帝が夢で故院とお目を見合わせて以来、眼病を患われ、その他凶事が続いていた。翌年七月、帝はとうとう源氏召還の宣旨を下す。源氏は折から懐妊中の明石の君と別れを惜しんで帰京し、再び政界に返り咲いた。
 
第十四帖 澪標(みおつくし)/光源氏二十八~二十九歳(権大納言から内大臣へ)
帰京した源氏は、まず父桐壺院の法要を営んだ。翌年二月、東宮は元服し、まもなく朱雀帝の退位、東宮(冷泉帝)の即位があった。源氏は内大臣に昇進し、再び源氏一門の栄える世になった。明石では、三月に姫君が誕生した。源氏は、占い師の予言なども思い合わせ、姫君の将来に立后を期待して、乳母なども都から遣わし、五十日の祝いにも心を尽くす。秋、源氏は住吉神社にご願ほどきに出かけた。ちょうど明石の君も参詣に来合わせたが、源氏の行列の盛大さに身分の隔たりを感じ、再会することもなく引き返していった。そのころ六条の御息所は、娘の前斎宮とともに都に戻っていたが、まもなく源氏に娘の将来を託し、死去した。源氏は、残された前斎宮の後見をし、藤壺の宮ともはかって、朱雀院からの申し入れに背いて、冷泉帝へ入内させようと計画する。
 
第十五帖 蓬生(よもぎう)・第十六帖 関屋(せきや)/光源氏二十八~二十九歳(権大納言・内大臣)
源氏の須磨、明石退居中、都には源氏を思って嘆く女君が多かったが、中でも末摘花の境遇は哀れであった。暮らしむきも困窮、頼りとする乳母子の侍従も、心柄のよくない叔母によって連れ去られてしまった。源氏帰京後もその訪れはなかったが、末摘花は荒れた邸に埋もれてじっと待ち続けた。翌年の夏、源氏は花散里を訪れる途中、末摘花の邸の前を通りかかってようやく思い出し、生い茂った草を分けて訪れ、再会した。末摘花の変わらぬ心に打たれ、源氏は末永くその面倒をみることにした。いっぽう空蝉は、源氏帰京の翌年、夫常陸の介の任期が終わり、上京してきた。ちょうど逢坂の関まで来たとき、折から石山寺へ詣でる源氏の一行と行き合うことになった。紅葉に映える源氏一行の美しさを見るにつけ、つらい宿世を嘆く空蝉だったが、二人はわずかに文を交わし合って、共に昔を偲ぷのだった。
 
第十七帖 絵合(えあわせ)/光源氏三十一歳(内大臣)
前斎宮は、源氏と藤壺の宮を後楯として、帝のもとへ入内する。昔この斎宮が、伊勢へ下る儀式の折の美しさを、忘れがたく思っていた朱雀院は、結構な品々に添えて歌を贈った。斎宮の女御は絵が得意なので、絵を好む冷泉帝の寵愛がしだいに深まっていく。他方、弘徽殿の女御の御父権中納言(頭の中将)は、対抗意識むきだしの態である。名人たちに新しく面白い絵を描かせ、御所にさしあげる。そこで源氏も、斎宮の女御に秘蔵の由緒ある絵を贈った。こうして宮中では絵がさかんになり、藤壼の宮の御前で、斎宮の女御方、弘徽殿の女御方に分かれて、絵合わせが行われた。やがて再度の絵合わせが、帝の御前で催されることになった。当日は、双方から名画の数々が出されて優劣つけがたい。が、最後に出された源氏白筆の、須磨、明石時代の絵日記の感動の深さはたとえようもなく、この一巻により斎宮の女御方の勝ちが決まった。
 
第十八帖 松風(まつかぜ)/光源氏三十一歳(内大臣)
源氏は明石の君に上洛をすすめるのだが、明石の君は自分の身分の低さを思ってためらっている。そこで明石の入道は、大堰の河畔の所領内にある邸を、明石の君が母尼君や姫君とともに住めるように手入れした。源氏も惟光を遣わし、十分に心を配るのだった。入道を明石の浦に残し、明石母娘は大堰に移る。邸の風雅さに心なぐさめられるものの、源氏の訪れのないのが頼りなく、故郷恋しさが増す。紫の上に遠慮していた源氏は、ほどへてこの邸を訪ねた。そして姫君の愛らしさに胸を迫らせ、ますます美しさと気高さの加わった明石の君と語り明かすのだった。翌日、源氏はこの邸に近い桂に建てている寺に赴き、仏事や仏具の用意をする。邸に戻ると、明石の君の弾く琴の音が松風に添って響き渡り、忍びがたい風情であった。帰京した源氏は、可愛らしい明石の姫君を二条の院に引きとって養育することを紫の上に相談し、賛同を得る。
 
第十九帖 薄雲(うすぐも)/光源氏三十一~三十二歳(内大臣・従一位)
明石の君は、悩みに悩んだ末、姫君を紫の上に託すことを決意する。二条の院に引きとられた姫君は、子供好きの紫の上になつき、健やかに成長してゆく。翌年は、太政大臣が亡くなったのをはじめ、さまざまな凶事が続いた。三月、帝の母后、藤壺の宮が崩御した。人知れぬ思いを胸に秘めている源氏の嘆きは深い。四十九日も過ぎたある夜、帝は、昔から仕えている夜居の僧都の奏上により、出生の秘密を知る。驚き、煩悶する帝は、凶事が続くのは、自分が源氏に父としての礼を尽くさないためと考え、源氏に譲位の意思を漏らすが、源氏は固辞する。その秋、斎宮の女御は、二条の院に里下がりしていた。ある雨の夕暮れ、源氏は女御とのしめやかな語らいのうちに、思わず恋心を訴えるが、自分を抑え、春の好きな紫の上と秋を好む女御のためにも、四季折々の庭を楽しむような生活をしたいと考える。
 
第二十帖 槿(あさがお)/光源氏三十二歳(内大臣)
朝顔の姫宮は、御父式部卿の宮の服喪のため斎院の位を下りて桃園の館に帰り、叔母である女五の宮とともに住む。昔から姫宮を慕っている源氏は、女五の宮の見舞いを口実に、桃園を訪ねた、しかし姫宮の態度はよそよそしい。そのつれない扱いを嘆きながらも、源氏の思いはいっそう募るのであった。前斎院に対する源氏の執心は世間の噂となり、紫の上の心は痛んだ。とある雪の日、源氏は女童に雪ころがしをさせて、紫の上を慰める。そして、藤壺の宮をはじめ、自分が親しくした女君たちのことを紫の上に話して聞かせるのだった。その夜の源氏の夢に、藤壺の宮が現れ、自分のことを話題にしたことを恨んだ。明けてから源氏は、藤壼の宮のためということを内緒にして、厚い供養をするのだった。
 
第二十一帖 乙女(おとめ)/光源氏三十三~三十五歳(内大臣から太政大臣へ)
源氏の長男の公達が元服した。祖母の大宮の不満をよそに、源氏が若君(冠者の君・後の夕霧)に与えたのは六位の官位である。人にちやほやされずに、十分学問できるようにとの配慮の上のことだった。これにこたえて勉励した冠者の君は、寮試を受験し、優秀な成績を修める。このころ、斎宮の女御立后し、源氏は太政大臣に、昔の頭の中将は内大臣に昇進した。弘徽殿の女御の立后が果たせなかった内大臣には、もう一人の姫君(雲居の雁)があり、冠者の君とともに大宮に預けられていた。この二人が相思の仲なのを知り、内大臣は立腹した。内大臣の胸のうちでは、雲居の雁は次の后がねなのである。雲居の雁は内大臣のもとに引きとられ、ふたりは別れ別れとなるのだった。源氏は六条の院を造営し、全体を四つに分け、それぞれ四季にふさわしい御殿とした。そして、春の御殿は紫の上、夏の御殿は花散里、秋の御殿は中宮、冬の御殿は明石の御方が住むことになった。
 
第二十二帖 玉鬘(たまかずら)/光源氏三十五歳(太政大臣)
夕顔の死後も、源氏はその人のことを忘れられない。この夕顔の遺した姫君(玉髪)は、乳母夫妻とともに筑紫に下って十数年を過ごし、美しく成長していた。その美貌ゆえに、求婚者は多かったが、中でも隣国の大夫の監という勢力者の所望ぶりは傍若無人なほどである。玉鬘を御父内大臣に対面させるつもりの乳母は、求婚をふりきるため、上洛する決意をした。逃避行のような旅の末、無事に玉髪一行は京へ着き、初瀬詣での途中、タ顔の侍女であった右近と奇しくも同宿する。人々は、涙ながらに再会を喜び合うのだった。六条の院へ参上した右近から事の次第を報告された源氏は、驚きながらも喜ぷ。そして、子だくさんの内大臣のもとへやるより、自分のもとに玉鬘を置こうと考えた。花散里の夏の御殿へ迎えられた玉髪は、夕霧と姉弟として扱われることとなった。師走になり、源氏は女君たちに似合いの衣裳を贈り、新年への心くばりを示すのだった。
 
第二十三帖 初音(はつね)・第二十四帖 胡蝶(こちょう)/光源氏三十六歳(太政大臣)
正月になった。源氏は六条の院で、紫の上と新春を祝い、女君たちの御殿へ年賀にでかける。どの方も趣深く新春を迎えているが、特に、わが子からの初めての便りを喜ぷ明石の御方のようすに心ひかれ、元旦早々ここに泊まった。翌日は年始客の応接をして過ごし、夜は管絃の宴があった。このにぎやかな数日のあと、源氏は東の院に住む末摘花や空蝉を訪ねた。今年は男踏歌があったが、長男タ霧も加わっており、踏歌の人たちの中でも目立ってあでやかなのを、源氏は喜ぶのだった。桜の花盛りのころ、春の御殿で船楽が行われ、まるで極楽の催しのように華やかであった。中宮の季の御読経もすみ、衣更えの時節となる。玉鬘のもとへは、多くの文が届くようになった。兵部卿の宮や髭黒の右大将や、実は玉鬘の異母弟の柏木からのものなど多士済々である。源氏まで玉鬘への思慕をあらわにするようになり、父内大臣との対面を心待ちする玉鬘はいたたまれぬ思いであった。
 
第二十五帖 蛍(ほたる)・第二十六帖 常夏(とこなつ)・第二十七帖 篝火(かがりび)/光源氏三十六歳(太政大臣)
源氏の恋慕に、玉鬘は悩んでいた。また、源氏の弟君、兵部卿の宮の執心も格別である。初夏のある夕方、宮が玉鬘を訪れている折、源氏は多くの蛍を放ち、その光の中の玉鬘の美しさに宮はますます魅せられる。五月雨のころ玉鬘は絵物語に熱中し、源氏は物語論にかこつけて言い寄るのだった。夏の盛りのある日、源氏は若い殿上人たちと釣殿で涼んでいた。その際、内大臣が最近引きとった近江の君という姫君に上品さの足りないことを話題にし、内大臣を皮肉る。玉髪は、実父と源氏がしっくりいっていないのを悲しむのだった。内大臣は近江の君の教養のなさに頭を痛め、弘徽殿の女御のもとで教育してもらうことにする。玉鬘はしだいに源氏に馴れ親しんできた。庭に篝火を焚いて二人して添い臥した宵、夕霧や柏木たちの笛の音が聞こえたので、源氏は彼らを呼んで合奏する。玉鬘に恋する柏木は、玉鬘を意識するあまり、すっかリ緊張してしまうのだった。
 
第二十八帖 野分(のわき)/光源氏三十六歳(太政大臣)
秋に入り、野分(台風)の激しく吹き荒れる日があった。六条の院では、秋を好む中宮が、さまざまな秋草を丹精して植えているのをはじめ、いつもは見事な館も、さんざんの被害を受けた。女房たちは暴風雨のあとの事なので、右往左往の騒ぎである。そこへ風の見舞いにやってきた夕霧は、紫の上をすき見し、その美しい姿が忘れられなくなる。翌日、再び六条の院を訪れた夕霧は、まず花散里を訪れ、次に源氏の使いで中宮を見舞う。その後、源氏みずから夕霧を伴って、女君たちを見舞いにでかけた。中宮からは、強風が心細かったとのご返事があった。明石の御方は、源氏が見舞いの言葉をかけただけで立ち去るので、名残惜しげである。玉鬘のところで、この姫君と源氏が戯れ合うのを見た夕霧は、父娘にあるまじき態度とばかり疎ましく思うのだった。花散里のところでは、衣裳を仕立てて、衣更えに備えている最中であった。
 
第二十九帖 御幸(みゆき)・第三十帖 藤袴(ふじばかま)/光源氏三十六~三十七歳(太政大臣)
十二月、大野原へ御幸があった。この行列を拝観に出かけた玉鬘は、帝の端麗さに目を奪われる。実父内大臣も立派ではあるが、帝の高雅さには比べようもなかった。源氏は、玉鬘を宮仕えさせる心づもりで、内大臣に、玉鬘のほんとうの素姓を明かした。驚喜した内大臣は、玉鬘の裳着の腰結役を引き受ける。裳着の儀式は盛大に行われ、内大臣と玉鬘はようやく父娘の対面を果たしたのだった。裳着を終えた玉鬘は、尚侍となるようすすめられるが、宮仕えの気苦労を考えてためらっている。ある日、祖母大宮の喪に服している玉鬘を、やはり同じ喪服姿の夕霧が、源氏の使者として訪れる。その折、蘭の花に託して、玉鬘への思いを明かすのだった。尚侍になった玉鬘は、十月に参内することになった。源氏も内大臣も、この姫君を自慢に思っているようである。
 
第三十一帖 真木柱(まきばしら)/光源氏三十七~三十八歳(太政大臣)
弁のおもとという女房の仲立ちで、髭黒の大将は玉鬘と結ばれた。内大臣はことのなりゆきに満足しているし、髭黒は有頂天である。当の玉鬘は、好きでもない男と結婚する不幸を嘆いていた。源氏はこの縁組が気に入らないままに、仕方なく認め、婚礼の儀式を立派に行う。そして、恋しさのあまり玉鬘の部屋を訪ねた源氏は、尚侍として参内することをしきりにすすめるのだった。ある日、髭黒の北の方は乱心して、玉鬘のもとへでかける準備をしている髭黒に、発作的に香炉を投げつける。髭黒は以後恐れて、北の方に近づこうとしない。このことを聞いた北の方の父式部卿の宮は、北の方を実家に連れ戻した。一緒について行った娘の真木柱は、父への愛着をこめて歌を残して去ったのだった。翌春、玉鬘は参内し、帝に親しく言葉をかけられる。髭黒は気が気でなく、急いで玉鬘を自邸へ連れ帰った。十一月、玉鬘は男児を産んだ。
 
第三十二帖 梅枝(うめがえ)・第三十三帖 藤裏葉(ふじのうらば)/光源氏三十九歳(太政大臣から准太上天皇へ)
明石の姫君が東宮へ入内する準備を兼ねて一二月十日に源氏は香合わせを催し、その夜は管絃の宴を楽しんだ。翌晩、中宮を腰結役として、姫君の裳着の儀式が行われた。前後して東宮が元服し、まず左大臣の娘が入内する。明石の姫君は四月入内のはこびとなった。内大臣は、年ごろとなった雲居の雁を見るにつけ、夕霧との仲を堰いたことを悔やまずにいられない。夕霧は、源氏に縁談をもちかけられても見向きもせず、雲居の雁を思い続けていた。しかしその意は届いておらず、若い二人はそれぞれに苦しんでいた。その年の春の大宮の命日、極楽寺で同席したのをきっかけに、内大臣は夕霧を自邸での藤の花の宴に招く。夕霧は、晴れて雲居の雁との結婚を許され、長年の恋を実らせたのだった。明石の姫君の入内につき添った紫の上は、退出する際に明石の御方と初めて会い、心を通わせ、姫君の世話をまかせる。秋、源氏は准太上天皇、内大臣は太政大臣、夕霧は中納言に昇進した。
 
 
 
 
第二部
                                                                                       
 
第三十四帖 若菜 上(わかな じょう)/光源氏三十九~四十一歳(准太上天皇)
朱雀院は病重く、出家を決意した。それに先立ち、愛娘、女三の宮の婿選びを検討する。候補者の中で、柏木はことに熱心に名乗りをあげていた。女三の宮の裳着をすませた後、朱雀院は剃髪した。源氏が院を見舞うと、院はかねて心に決めていたとおり、源氏に女三の宮の将来を託すのだった。新年、玉鬘によって源氏四十の賀宴が催され、二月、女三の宮の降嫁があった。源氏には幼子のように頼りない宮と映った。紫の上は、若く身分高い宮の降嫁に煩悶するが、つとめて仲むつまじく宮と接する。翌年、明石の女御は男子を出産し、喜びにわく中、明石の入道は深山に隠遁した。女三の宮への思いが強まるいっぽうの柏木は、桜のころ、六条の院で催された蹴鞠に加わっていた。ちょうど、女三の宮の部屋の御簾を猟が引き上げてしまい、宮の姿があらわになる。柏木は、雅やかで愛らしいその姿を目のあたりにし、ますます胸を熱くするのだった。
 
第三十五帖 若菜 下(わかな げ)/光源氏四十一~四十七歳(准太上天皇)
冷泉帝は譲位し、明石の女御の一の宮が新東宮に立った。源氏は、女君たちを連れて、住吉神社にご願果たしに詣でた。翌年正月、六条の院の女君たちで音楽を競い合う女楽が華やかに催された。その夜、紫の上は突然胸を病んで倒れ、やがて二条の院へ移された。中納言になった柏木は、女三の宮の姉の女二の宮を北の方に迎えているが、女三の宮への思いは募るばかりである。六条の院が人少なになった日、柏木はついに宮のもとへ忍び人った。紫の上には六条の御息所の怨霊がとり憑き、一時は危篤になるが、もち直した。ある日源氏は、懐妊した女三の宮を見舞い、柏木から宮にあてた文を見つけ、宮が宿しているのが柏木の子だと知る。源氏は、自分と藤壺の宮との過失を思い合わせ、罪の報いにおののくのだった。十二月に、朱雀院五十の賀の試楽が六条の院で行われる。源氏は宴席で柏木を皮肉り、酒を強いる。柏木は畏怖のあまり退席し、そのまま病床に臥してしまった。
 
第三十六帖 柏木(かしわぎ)/光源氏四十八歳(准太上天皇)
柏木の病は重っていき、加持祈祷も効をなさない。女三の宮は男児を産むが、衰弱が激しく、我が身の業の深さを悩み、出家する。そのころ、宮の病気平癒の祈祷に六条の御息所の霊が現れ、自分が紫の上と女三の宮に憑いたのだと言って、哄笑した。帝は柏木を権大納言に昇進させて、回復を期待する。しかし柏木は、北の方女二の宮の身を案じるばかりで、自らは死を覚悟している。昇進祝いをかねて夕霧が見舞いに来た折、源氏の許しを得るのに口添えしてほしいと頼み、さらに女二の宮の後見を託して、まもなく柏木は死去した。その無体な振る舞いを憎んでいた女三の宮も、さすがにあわれに思うのだった。三月になり、若君(薫)の五十日の祝いがある。その顔立ちは柏木によく似ている。源氏も若君を抱いて、今となっては亡くなった相木をあわれに思い、しみじみ世の無常を感じるのだった。夕霧は柏木の遺言を守って、しぱしば女二の宮を慰めに通う。
 
第三十七帖 横笛(よこぶえ)・第三十八帖 鈴虫(すずむし)/光源氏四十九~五十歳(准太上天皇)
相木の一周忌が来た。源氏は残された薫を可愛く思うにつけても、厚くその父の供養をするのだった。ある日、夕霧が女二の宮を訪ねての帰り、女二の宮の母御息所から柏木遺愛の笛を贈られる。その夜、夕霧の夢に相木が現れ、この笛はしかるべき別の人に伝えてくれるよう告げる。夕霧は笛を持って六条の院を訪れ、あわせて柏木の遺言に言及したが、源氏はとぽけて見せる。笛は源氏に渡されたが、源氏は胸の内で、この笛を譲られるべき者は、薫以外にないと思う。夏の盛り、出家した女三の宮の持仏開眼供養が盛大に営まれた。花の盛りの宮を見て、源氏は今さらながら恋情を抑えられない。秋の十五夜、源氏が宮と歌を交わしながら鈴虫の声を聞いていると、夕霧や兵部卿の宮がやって来た。その後、一同で冷泉院を訪れ、源氏は中宮の部屋へも寄る。中宮は、母の六条の御息所の霊を鎮めるために出家したいと考えているが、源氏は賛成しない。
 
第三十九帖 夕霧(ゆうぎり)
 
第四十帖 御法(みのり)/光源氏五十一歳(准太上天皇)
紫の上はさきの重病以来、ひどく弱っている。三月、後生のためにと、紫の上の主催で法華経千部の供養が見事に行われた。紫の上は、自分の命の短いことを感じ、ひとしおあわれを覚える。夏、衰弱は増す一方で、退出してこられた中宮や、日ごろ可愛がっている三の宮に、それとなく遺言をするのだった。秋、紫の上はいよいよやせ細り、高貴に無垢な様子に見える。少し気分のよい夕暮れ、中宮と源氏の三人で歌を詠み交わしているうち、紫の上の容態は急変し、消えるように息をひきとった。源氏は悲しみのあまり茫然としてしまい、万事をとりしきったのは夕霧であった。亡くなってなお美しい紫の上を見守るこの父子は、涙をとどめ得ない。その日のうちに葬送が行われた。源氏は出家を望むが、紫の上を追っての出家と取り沙汰されるのも恥ずかしいので、思い直す。前太政大臣や冷泉院の中宮をはじめ、弔問は絶えず、どの人も深い悲しみに閉ざされていた。
 
第四十一帖 幻(まぼろし)/光源氏五十二歳(准太上天皇)
新しい春を迎えても、源氏の悲しみは深まる一方である。兵部卿の宮以外の年賀客に会うこともなく、親しい女房たちを相手に、紫の上のありし日を偲んでいた。明石の中宮は御所に戻ったが、三の宮を源氏の手許に残して行く。無邪気な三の宮の言動に、源氏の心はわずかになごむのだった。六条の院の女君たちの中で、女三の宮は仏道にうちこんでいて、とりつく島もない。明石の御方は相変わらずの奥ゆかしさである。源氏は明石の御方と、昔話をしんみりと交わした。花散里からは、夏の衣裳に添えて源氏を慰める歌が届く。ひき籠っているばかりの源氏を、夕霧は心配している。秋の紫の上の一周忌法要では、極楽曼荼羅などを供養した。年の暮れ、源氏は側仕えの者に形見分けをして、出家の用意を始める。文は処分し、紫の上の手紙も尽きぬ名残を断つように焼いてしまう。年末の仏名会も終え、源氏は来年の年賀の準備を格別にと命じるのだった。
 
雲隠(くもがくれ)
 
 
 
          
第三部
    
 
第四十二帖 匂宮(におうのみや)
 
第四十三帖 紅梅(こうばい)
 
第四十四帖 竹河(たけかわ)
 
第四十五帖 橋姫(はしひめ)/薫二十~二十二歳(宰相の中将)
光源氏亡きあと、その子(実は、柏木と女三の宮の子)薫と、今上の第三皇子匂宮とが、世間でも評判の貴公子であった。そのころ、源氏の異母弟八の宮は、世間から見捨てられ、北の方亡きあとは二人の姫君とともに、都を離れた宇治川のほとりに、仏道に深く心を傾けながらひっそりと暮らしていた。宇治山に住む阿闇梨を介して、八の宮のことを知った薫は、その生き方に心惹かれ、しばしば宇治を訪れ、八の宮と親交を結ぶ。三年後の秋、たまたま八の宮不在の折に宇治を訪れた薫は、琵琶と箏の琴を合奏する二人の姫君を、月明かりに垣問見る。そのなつかしく、優しい風情に心を奪われた薫は、特に姉君、大君の気高く嗜み深いようすに強く惹かれるのだった。十月、再び宇治を訪れた薫は、昔、柏木の乳母子であった弁という老女房から、出生の秘密を語られ、初めて実父を知る。弁から柏木形見の文反故を受け取った薫は、一人もの思いに沈むのだった。
 
第四十六帖 椎本(しいがもと)/薫二十三~二十四歳(宰相の中将・中納言)
薫から、宇治の姫君たちのようすを聞き、心をそそられていた匂宮は、二月二十日ごろ、初瀬詣での帰りに、宇治の右大臣邸に中宿りした。お迎えに来た薫とともに、管弦の遊びを楽しむが、身分柄、姫君たちの邸へ出向くことはできず、せめてもと、文を贈った。ご返事は妹の中の君が書き、以後二人は文のやりとりをするようになる。七月、久しぶりに宇治を訪れた薫に、八の宮は、自分亡きあとの姫君たちの後見を依頼する。秋が深まるにつれ、八の宮は死期の近いことを予感してか、姫君たちに、軽はずみな結婚をせぬようにと遺言して、山寺に参詣し、そのまま他界した。悲しみにうちひしがれる姫君たちのもとへ、薫、匂宮双方から、ねんごろな弔問の文が届けられる。年の暮れ、深い雪を分けて宇治を訪れた薫は、大君に、中の君と匂宮の結婚をすすめ、大君を想う自分の胸中をほのめかすが、大君は素知らぬ顔に振る舞う。
 
第四十七帖 総角(あげまき)/薫二十四歳(中納言)
八の宮の一周忌が近いころ、薫は宇治を訪れ、法要の世話をした。大君への想いを歌に託して訴えるが、大君は代わりに妹の中の君を薫に、と考える。秋深まって再び宇治へ赴いた薫は、弁の君の案内で姫君たちの寝所に忍び入った。が、大君はいち早くこれに気づき、中の君を残して姿を隠す。薫は人違いと知って、中の君と何事もなく一夜を語り明かした。薫は思い悩み、大君の計らいを無にするため、かねて宇治への仲立ちを懇望する匂宮に、中の君をめあわせようと決心する。薫の手引きで、中の君の寝所に忍び入った匂宮は、新婚の三目間を宇治へ通い、美しい中の君への愛情を深めるが、その後は不自由な身分柄、訪れも途絶えがちである、十月、匂宮の催した宇治川の紅葉狩りで、宮の意に反して、都の貴族たちに姉妹の姫君は無視されてしまう。加えて、匂宮と右大臣の姫君との婚儀の噂に、大君は絶望し、重病となる。薫の必死の看病も空しく、大君は薫に看取られ他界した。
 
第四十八帖 早蕨(さわらび)/薫二十五歳(中納言)
大君を失った悲しみに閉ざされる宇治の山荘にも、新春がめぐってきた。折しも、宇治山の阿闇梨から、初物の蕨、土筆などが、中の君に贈られた。中の君はこの春、匂宮に引き取られ、京の二条の院に移ることになった。薫はそれを喜び、上洛の準備に行き届いた心遣いをするが、心の内には、大君の面影に似通う中の君をあたら他人のものとしてしまったことが、今さらながら悔やまれるのだった。中の君は、手厚く二条の院に迎えられた。右大臣は、六の君と匂宮との婚儀をためらい、薫の意向を打診するが、薫にその気持ちはない。桜の盛りのころ、薫は二条の院を訪れ、中の君と、亡き大君を偲んで語り合う。匂宮は、こうした二人の仲に、かすかな疑いを抱くのだった。
 
第四十九帖 宿木(やどりぎ)/薫二十四~二十六歳(中納言から權大納言、右大将)
帝は、母を亡くした女二の宮のため、薫を婿にと心決め、内意をほのめかした。いっぽう、匂宮と右大臣の六の君との婚儀は、八月と決まった。この噂に、中の君の不安は増すばかりである。薫も、中の君を匂宮に譲ったことが悔やまれ、煩悶する。二条の院の中の君を見舞うにつけて、薫の恋心は募ってゆくのだった。六の君との結婚後、匂宮の夜離れが続き、傷心の中の君は、宇治行きの相談を薫に持ちかけた。薫は想いを仰え切れず、思わず中の君の袖をとらえたが、懐妊のしるしの帯に気づき、身を退いた。薫の執心に困惑した中の君は、亡き姉、大君に生き写しの異母妹、浮舟のことを薫に打ち明ける。年明けて二月の初めに、中の君は男児を出産し、ようやくその立場も安定した。薫は女二の宮と結婚し、帝の婿となったが、大君への追慕の情は消えない。たまたま、宇治の旧邸で浮舟の一行に出会った薫は、大君にそっくりの浮舟を垣間見、心惹かれるようになる。
 
第五十帖 東屋(あずまや)/薫二十六歳(右大将)
薫は浮舟に惹かれながらも、外聞をはばかって文を贈ることもできない。そのころ、浮舟の母、常陸の介の北の方は、なんとかして浮舟によい縁をと願い、左近の少将との縁組みをとり決めた。ところが、浮舟が介の実子でないことを知った少将は、もともと介の後見が目当てなので、実子である妹娘に乗りかえてしまう。母君は浮舟の不運を嘆き、二条の院の中の君を頼って、浮舟を預けることにした。二条の院で、匂宮や薫の立派な姿を垣問見た母君は、次第に娘の結婚に高い理想を持ち始めるのだった。母君が退出したそのタベ、匂宮は、見慣れぬ美しい女、浮舟を発見して強引に近づく。危うく事なきを得たが、これを聞いた母君は驚いて、浮舟を三条の隠れ家に移す。弁の尼から浮舟の所在を聞いた薫は、ある宵、三条の家を訪れ、浮舟と契りを結ぶ。翌朝、薫は浮舟を車に乗せて宇治へ伴い、亡き大君の代わりにこの女を宇治に隠し置くことにした。
 
第五十一帖 浮舟(うきふね)/薫二十七歳(右大将)
匂宮は、夕暮れに見た浮舟が忘れられない。正月、宇治から中の君に屈けられた文を見た宮は、送り主が浮舟らしいと気づく。さらに大内記の話から、この女が、薫が宇治に隠し置く女らしいと知って、宮は真相を確かめるべく宇治へ出かけた。格子の隙間から見ると、まさしくその女である。匂宮は、薫の声音をまねて浮舟の寝所に忍び入った。匂宮は翌日も京へ帰らず、浮舟も、惰熱的な匂宮に次第に心が傾く。二月、宇治を訪れた薫は、もの思わしげな浮舟に、いとおしさが増し、京へ移す計画を語る。二月二十日ごろ再び宇治を訪れた匂宮は、浮舟を対岸の小家に連れ出し、二日間を水入らずで過ごす。薫の計画に対抗して、匂宮も三月末に浮舟を京へ移そうと準備する。二人の男性の間に立って、浮舟の苦悩は深まり、ついに入水を思い立つ。薫と匂宮の文使い同士の鉢合わせから、事情を知った薫は、浮舟に詰問の手紙を送り、浮舟はいよいよ追いつめられていった。
 
第五十二帖 蜻蛉(かげろう)/薫二十七歳(右大将)
宇治では、浮舟の姿が見えず、大騒ぎとなった。侍女の右近と侍従だけが事情を知っていて、宇治川に身を投げたものと推測する。駆けつけた母君に事情を語り、亡骸もないまま、簡素な弔いを出した。薫は、こうなったのも、自分が浮舟を淋しい山里にほうっておいたため、と悔やまれ、愛らしい生前の面影がしきりに偲ばれる。匂宮も、悲嘆のあまり病みついてしまった。薫は、四十九日の法要を手厚く営み、遺族の世話などもする。蓮の盛りのころ、中宮の法華八講が催された。法会の果てた日、薫はふとした折に、女一の宮の姿を垣間見て、そのたとえようもない美しさに心を奪われた。妻の女二の宮に、女一の宮の面影を求めて同じような衣裳を着せてみたり、亡き式部卿の宮が残した姫君に心を寄せてみたりする薫だったが、結局思いは、宇治の姫君たち…大君、中の君、浮舟の上へと帰ってゆくのだった。
 
第五十三帖 手習(てならい)/薫二十七~二十八歳(右大将)
そのころ、比叡山の横川に高徳の僧都が住んでいた。その母尼が初瀬詣での帰途、宇治で発病したため、下山した僧都は、人気のない宇治の院の裏庭で、正気を失って倒れていた美しい女を発見する。同行の妹尼は、亡き娘の身代わりを得たと喜んで介抱し、一行はこの女を小野の草庵に連れ帰った。僧都の修法で、女はやっと意識をとり戻したが、出家を願うばかりで、身許を明かそうとしない。これこそ、失踪していた浮舟であった。草庵で世を忍んで暮らす浮舟には、妹尼の婿であった中将が言い寄るのも、いとわしいばかりである。妹尼の留守中、下山した僧都に懇願して、浮舟はついに出家を遂げ、その後はわずかに心晴れる思いである。年明けて春、浮舟は、自分の一周忌法要に心を尽くす薫の動静を伝え聞く。いっぽう、浮舟の消息は、僧都から中宮、そして薫へと伝わった。薫は思い悩んだ末、僧都に会って事情を確かめようと、浮舟の弟を連れて、比叡山へ向かう。
 
第五十四帖 夢浮橋(ゆめのうきはし)/薫二十八歳(右大将)
薫は、今一度浮舟と対面したいと願う。比叡山で供養をすませた翌日、横川の僧都を訪れ、小野に隠れ住むという女のことをたずねた。僧都は、薫の思い人を早まって出家させてしまったと、胸もつぶれるばかりであるが、正直に一部始終を物語った。浮舟の生存を確かめて、薫は夢のような思いに涙ぐむ。小野への案内を僧都に頼んで断られるが、自身の道心が深いことや、浮舟を迷わすはずのないことなどを語り、結局、浮舟の弟小君に持たせる文を書いてもらう。いったん帰京して翌日、小君は僧都の文を持って小野へ向かった。僧都の文は、浮舟に還俗をすすめるものであった。浮舟は簾ごしに弟を見て心乱れ、母を思い涙をこぽすが、薫に再び会う気持ちはなく、人違いであると言い通すのであった。小君は満たされぬ思いのまま帰京し、待ちかねていた薫はすっかり気落ちして、果てには、誰かが浮舟をかくまっているのではないかと、あらぬ疑いまで抱くのだった。




 
  
 
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