060422天声人語
「運命」。この一言に大きな重みがあった。今はサハリンと呼ばれる樺太(からふと)に出征して63年ぶりに故国の土を踏んだ元日本兵、上野(うわの)石之助さんの言葉だ。
“命运”。一个沉重的词语。这是原日本兵上野石之助所说的,他曾出征如今被称为撒哈林的桦太,事隔63年他又重新踏上了故土。
記者会見で、これまで帰国しなかった理由を問われ、ロシア語で述べた。「答えたくない。ただ運命だった」。戦後の生活については「どんな状況になっても生き抜いていく。それしかなかった」。テレビ画面での、言葉を絞り出すような姿は、たどってきた人生の厳しさをうかがわせる。一方で、83歳で見せる軽(かろ)やかな身のこなしや時折の笑顔に、今の暮らしは静穏なのだろうと想像した。
记者招待会上,上野被问及为什么之前没有回国时,他用俄语说:“我不想回答。这全都是命运的安排。”关于战后生活,他说:“无论如何也要活下去。仅此而已。”从电视画面上上野挤牙膏似的说话样子上,可以看出他所经历的人生之严酷。而另一方面,83岁的他所呈现出来的轻快的举止以及不时绽露的笑容,能让人想象出他如今生活的安宁。
1945年の8月に日本が戦争に敗れた後も、樺太ではソ連軍との交戦がしばらく続いた。生きて敵の手に落ちるまいと、多くの人たちが自決している。
1945年8月,日本战败后,在桦太,与苏联军队的交战仍持续了一段时间。许多人为了不被敌人生俘而自杀了。
上野さんは戦後もサハリンに滞在していたが、58年から消息不明となり、2000年に戦時死亡宣告を受けた。最近になって、妻の故郷のウクライナに居ると分かった。
上野战后仍留在了撒哈林岛,可是从1958年起,他便失去了音讯,2000年时被宣告为战时死亡。直到最近才知道他住在妻子的故乡乌克兰。
ウクライナといえば、映画「戦艦ポチョムキン」の舞台となったオデッサを連想する。オデッサは、古代ギリシャの叙事詩にも出てくる英雄オデュッセウスにちなむという説がある。
说起乌克兰,叫人联想起电影《波坦金战舰》的故事发生地敖德萨。有一种说法认为,敖德萨这个地名源自古希腊叙事诗中的英雄奥德修斯。
オデュッセウスはトロイでの戦争を10年戦い、帰国するまで更に10年を費やした。その20年という不在の3倍もの間、上野さんは異郷で過ごした。この長い不在と帰還は、戦争で帰れなかった多くの人々の「運命」をも思い起こさせる。今はふるさと岩手の山河(さんが)に包まれて、家族と時を共にする喜びに、ゆったりとひたっていただきたい。
奥德修斯在特洛伊战争中浴血奋战了10年,又花了10年时间才回到了祖国。然而,上野在异乡度过了那20年的三倍。他漫长的失踪与回归,叫人不由得联想起许许多多因战争而回不来的人的“命运”。希望如今身处故乡岩手县山水的怀抱中的上野,细细品味与家人团聚的喜悦。
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日本老兵“阵亡”60年后惊现乌克兰
本报综合消息 1945年8月二战结束时,23岁的日本士兵上野石之助被派往俄罗斯远东地区撒哈林岛作战,但从此他却音讯全无,并于2000年被正式宣告已在战时死亡。但是,在“阵亡”60年后,目前83岁高龄的他竟突然在乌克兰现身,并将于本月19日重返日本,看望家人。
据报道,这名日本老兵名叫上野石之助,现年83岁,是日本东北部岩手县人。他曾在1945年8月被派往俄罗斯远东地区的撒哈林岛(即原中国库页岛)和苏联军队作战,最终日军战败。但战争结束后他却没有回日本,从此仿佛人间蒸发一般。
60年来,上野始终没有和家人联络。2000年,他的家人认为他可能早就在撒哈林岛战争中丧命,并同意政府宣告他已阵亡。
但令人惊讶的是,在“阵亡”60年后,上野石之助却突然在乌克兰现身。17日,其家人得知,他目前生活在乌克兰首都基辅市,而且身体很健康,正准备回国探视阔别60年的亲人。据透露,流落到乌克兰不久后,上野就娶了一名当地女子为妻,并生下了3个孩子。此后,他们一直在乌克兰生活。
由于2000年上野已被宣布死亡,因此从“技术角度”说,他只能作为一名乌克兰公民,以乌克兰护照返回日本。 |