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不思議工房7 妹の遺言 台词听写

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发表于 2010-1-11 21:31:22 | 显示全部楼层 |阅读模式
早就想要 不思议工房 的台词,人说 声色狼 有,但是我进不去
没有办法,还是自己动手吧。
总算听写完了一部了,意外的花费了很长时间
应该错的不多吧?呵呵,自己觉得听的很用心
不过水平有限肯定有错误的,请各位大大指正啦


1.日常で起こる些細で不可思議な出来事。それが人の思考と行動に影響を与えていく過程と結末を知りたいとは思いませんか?この物語は、あなた自身の好奇心と願望に基づいて構成されています。ともすれば、見落としてしまいがちのいつもの風景の中に、あなたが不思議工房を見つけることができるように、お手伝いしましょう。
2.「お兄ちゃん、大好き!」六つ下の妹の口癖、幼いころからいつも僕の後ろについて離れない。気が付くと、袖口をしっかり握って離さない。ちょっと邪魔者扱いすると、もう見る見るうちに目に涙を溜めて、僕を睨む。そのくせ、僕の命令を待っているときの顔は、本当に生き生きして輝いていた。僕は悪ガキで、妹は子分だった。そんな彼女は、中学生になっても幼い時と何も変わらない。たった一つのことを除いては、妹は白血病で、余命半年と宣告された。小学六年生の時、両親が離婚した。父親はギャンブル好きで、家に金も入れず、あげくに女を作って家を出た。このとき、妹はまだ五歳だった。父は仕事を口実に、家にいることは少なかった。たまに帰ってきたと思ったら、泥酔状況でよく母に暴力を振るった。その光景を、僕は妹と震えながら見ていた。母がたまらず家の外に飛び出すと、今度は父は僕たちに襲い掛かった。父に殴りつけられても、妹には手を出させないと、歯を食いしばって耐えた。妹は「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼びながら、背中に隠れて泣いていた。いつしか父が眠ってしまうと、母が戻ってきて、三人で泣いた。そして、僕は泣きながら母に言った、「お母さん、何であんなやつはお父さんなの。」母は黙って泣いているばかりだった。そうなると、決まって妹が「お兄ちゃん、お母さんをいじめないで」と言った。僕はその言葉にまた泣いた。母は、父の代わりに生活費を稼いでいたから、やつれてきっていた。それは僕にも妹にも分かっていた。そして、まもなく、父は家を出て行った。
 それから一年も経ったある日曜日、母が僕と妹を遊園地に連れて行ってくれた。父がいる時には叶わなかった親子三人水入れずの楽しい一時だった。僕が中学一年、妹が小学校に上がったばかりのごろだった。忘れもしない、空が青く澄み切っていて、日差しが肌に心地よい。五月晴れだった。身長が足りずにジェットコースターに乗れなくて駄々をこれる妹に、母がキャンディーを買ってあげた。それでも泣き止まない彼女を、僕は肩車し、周りを走り回った。「そーら、兄ちゃんジェットコースターだ。」妹はキャーと言って、必死に僕にしがみついた。それを見て、母が笑った。メリーゴーラウンドに妹と一緒に乗った。妹が前に、僕が後に、くるくる回る木馬の上で、彼女はきゃっきゃっと笑った。それを母は手を振りながら見ていた。コーヒーカップには三人で乗った。妹はここでもおおはしゃぎだったが、僕は少し酔ってしまった。カップを降りて少し休んでいると、妹は心配そうに僕に顔を覗き込み、黙って、手に持っているものを差し出した、妹が大好きなソフトクリーム。僕は焦った。「大丈夫だ、兄ちゃんは強いから、もう平気だ、さ、溶けないうちに早く食べるんだよ。」強がって力瘤を見せてやったら、彼女は安心した様子で、ソフトクリームにぱくつき、時々僕にもお裾分けしてくれた。その日の夕食は豪華だった。豪華と言っても、単に外食にしたにすぎないが、外で食べると言うことが僕たちにとっては、とても新鮮なことだった。本当に楽しい一日だった。母も、僕も、妹も、初めて味わう幸福な一時だった。その日の夜、自宅に帰ったところで、母は倒れ、帰らぬ人となった。
 3.過労だった。もともと体の丈夫ではない母は、無理をし過ぎた。父の暴力に耐え、子を育って、家計を支えることに母の体は耐えられなかったのだ。葬式の日、眠ったような母を見て、妹が「お母さん、何時起きてくるのかなあ」と僕に尋ねた。僕は妹を抱きしめて、泣いた。釣られて妹も泣き始めた。僕たちは葬式の間中、泣き続けた。
 その後、僕たちは親戚に預けられた。母は早くに両親をなくし、一人娘でもあったから、その遠い親戚に。初めて見る家、初めて見る顔、僕たちは歓迎されていないと言うことはすぐにも分かった。僕たちは狭い部屋を宛がわれ、食事も家族とは別という生活が始まった。慣れない環境に、妹は暗く沈むばかりで、夜になれば、決まって寝言で、お母さんのところに帰りたいようとうなされる。僕は何度もはっとして目覚め、その度に涙を流しながら、妹を抱きしめた。僕がしっかりしなければ。父親の代わりを、母親の代わりを、頑張って務めよう。そう思いながら、眠りに付く毎日だった。それでもまだ、最初はよかった。何時までもなつく様子もない兄弟におじおばは腹を立って、そのうち、食事も満足に与えられなくなった。お腹が空いたと泣く妹に、僕は自分の分を分け与えている毎日だった。あるとき、妹はお菓子を盗み食いしたと、折檻された。僕は猛烈に反抗した。「お菓子ぐらいいいじゃないか。」おばの返事は拳固だった。僕は殴り倒された上に、罵声を浴びせられた。「居候のくせに、おいてもらっているだけでもありがたく思え」と、僕は睨み返すのは精一杯だった。力で抵抗することはできる。しかし、それでは本当にここを追い出されてしまう。そうなれば、僕たちには行く場所がない。俯き、自分の震える拳を押さえつけるようにじっと見た。そうだ、中学校を出たら働こう、そうすれば、自分の力で生活できる。僕たちは晴れて、自由の身になれる。僕はそう決心し、歯を食いしばった。
 それからの三年間は、気の遠くなるような長さだった。朝は妹を小学校に送ってから登校した。下校時間になれば妹を迎えに行く。妹が心配だったからだが、妹自身朝の分かれた時に泣き、僕が迎えに行く時まではいつも一人でぽつんと校庭にいた。僕の顔を見ると、満面の笑顔で、駆け寄ってくる。それ自体は僕にとってむしろ喜びだったし、励みでもあったが、困ったのはやはり食事だった。この地域では、小学校は給食だったが、中学校は弁当持参だったからだ。もちろん、おばが僕に弁当を持たせてくれるわけもない。毎日飢えを忍ぶために水をがぶ飲みした。朝夕に出るわずかな食事ではとても足りなかった。お金さえあれば。中学生で稼ぐ方法がないものか。考えた末、浮浪者が空き缶を集めたり、ゴミ箱から読み捨てられた雑誌を拾い集め、路上で売っているのを真似てみることにした。学校帰り、妹を連れて、空き缶や雑誌を拾い集めている姿は、母親が生きていったら、とても見せれらない姿だったが、僕は必死だった。「お兄ちゃん、これどうするの」と聞かれて、「これでお菓子が買えるからさ」と答えると、妹は本当にうれしそうだった。その笑顔だけが、僕の支えになっていた。ところが、始めて見たもののまったくうまくいかない。空き缶を業者に持っていても、「お前中学生だろう」と言われて金を払ってもらえない。路上で雑誌を売っていると、すぐさま補導された。警察所に迎えに来たおばに罵倒され、家に帰れば、おじに殴られた。晩飯は抜きだと言われた。悔しさと空腹で部屋で丸くなって泣いた。すると、妹が心配そうに近づいてきて、茶碗一杯の自分のご飯を差し出した。さっきから腹がぐうぐう鳴っている。妹にもばればれだ。しかし、それを受け取るわけには行かない。「大丈夫だ、兄ちゃんは腹が減ってるんじゃなくて、お腹の調子が悪いだけだ。しばらく寝てれば治る。」そういって、布団を被った。情けなくて、涙が出た。妹に知られたくなくて、こっそり泣いたつもりだったが、いつの間にか布団にもぐりこんだ妹も隣で泣いていた。
 4.翌日、妹を学校に送り届けてからの昼休み、何気に見たかばんの中に紙袋があることに気が付いた。何だろうと思って開けて見ると、中からラップに包まれた、不格好なお握りが出てきた。二つ折の紙が添えられていて、それを開いたら、妹の字だった。「お兄ちゃん、これ食べて、元気出してね。」クレヨンで書いたへたくそな字だった。夕べ、妹は食事を取らずに、この情けない兄のために、生まれて始めて、弁当を作ってくれた。
 僕はその弁当を手に、校舎の屋上に上がった。誰にも邪魔されたくなかった。一人で噛み締めたかった。空が青々として気持ちよかった。雲の形が妹の顔に見えて、思わず、涙を溢しそうになった。僕は制服の袖で顔を拭うと、一気にそれを口にほおばった。    具もない、のりもない、味のないお握りだったが、最高においしかった。食べながら、また涙がぽろぽろ落ちて、その塩加減が、微妙にお握りの味を引き立てた。
 ラップに付いた米の一粒も逃がさないと食べていると、後から声がした。「おい、こいつ、泣きながらお握り食ってるぜ、馬鹿じゃないの。」その声に釣られて、爆笑する声も聞こえた。僕は最後の一粒を口に入れると、ゆっくりと立ち上がって、その声に向き直った。学年の不良グループがせせら笑うようにして立っていた。連中を見た瞬間、自分でも驚く言葉が口をついて出た。「もう一度言って見ろ」「あ」連中の顔色が変わった、と同時に、すでに囲まれていた。俺たちを笑うやつは許さない。妹の気持ちを、僕たちの絆を、第三者によって踏みにじられた怒りに、僕は全身を震わせた。「なんだ、てめー、偉そうに」一人が言い終わらないうちに、その顔面に拳を叩き込んだ。どうとのげけぞり倒れる様を見て、ほかの連中がいきり立った。「このやろう」何人かが叫びながら一斉に襲い掛かってきた。無我夢中で、自分がどう立ち回ったかも覚えていない。気が付くと、五六人が足元に倒れ、呻き声をあげている。僕は呆然とそれを見下ろしていた。これまで、積もり積もった怒りと悲しみが爆発したと言うことは自分でも理解できた。しかし、それよりも、この連中を叩きのめす力が自分にあったと言うことに僕自身も驚いた。その時、教師の怒鳴り声が聞こえた。「お前たち、そこで何をしている?」午後はずっと職員室にいた。そろそろ下校時刻が近づいていることが気になった。生活指導の教師が言った「お前の家の人間は、誰にも迎えこようとしないなあ。」それはそうだろう。前に警官に呼ばれたことでもうんざりしてるはずだ。学校に呼ばれたぐらいで、くるわけもない。「先生、俺、そろそろ妹を迎えに行かなきゃ・・・」生活指導はフーとため息をついて、ドアのほうを顎で指した。その先に視線を移すと、妹の姿があった。「あっ」妹は僕の顔を見るなり、顔はくしゃくしゃして走りよってきて、僕に抱きついて泣き出した。妹の肩越しに女性の姿が見えた。「事情は多少は分かっているつもりだ、向こうの先生に頼んで、連れてきてもらった。迎えがないと困ると思ったなあ。」生活指導の声を聞きながら、僕は妹を抱きしめ、嗚咽した。
 
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 楼主| 发表于 2010-1-11 21:32:27 | 显示全部楼层
5.しかし、この事件がその後の僕を変えた。暴力が金を生むということに僕は気づいてしまったのだ。実はあの屋上の乱闘の際、誰にも言ってないことがある。連中が倒れている中、最初に笑ったやつに近づいた僕は、その脇腹に蹴りを入れた。ウーと呻いてうずくまったやつは、必死に僕に許しを求めた。「これで勘弁してくれ!」やつの手には財布が握られていた。どうせ人から巻き上げたものに違いないと、躊躇なくそれを受け取った僕は、中の札を抜き取って、やつに投げ返した。そのときに、教師の怒鳴り声が聞こえたのである。僕は慌てて札をズボンの後ポケットに押し込んだ。連中は喫煙と暴力沙汰の常集団として目をつけられていたから、一緒に問題を起こしたとして、僕も同様に自宅謹慎となった。だが、この謹慎が問題だった。一日中あの家にいられるはずがない。それに、登校しなければ、妹に怪しまれてしまう。それだけは、絶対に避けなければ。朝は妹とともに登校し、帰りも一緒に下校する。その日課が守った。問題はその間だった。時間はたっぷりある。僕は宛もなく繁華街をうろついた。そこで、ぱったりと出会ったのが、あの不良どもだったのである。連中は相変わらずのメンバーで、屯していたが、僕の姿を発見すると、目をそむけて、そそくさと立ち去ろうとした。それを僕は呼び止めた。「ちょっと、話したいことがある。」連中は少し様子の違う僕に目を見張った。
 かつあげ、引ったくり、置き引き、万引き、すり、金を得られる悪いことは、すべてやった。何時しか僕は連中のリーダーとなった。その金で妹にお菓子を買い、たらふく飯を食わせてやった。小学校は私服登校だから、いつもぼろぼろの同じ服を着ていた妹に新しい服を買ってやった。ランドセルも新調した。靴も買い換えた。妹はそのたびに無邪気に喜び、僕に抱きついた。妹の笑顔を見るのが好きだった。お兄ちゃん、ありがとうって言われるのが好きだった。その一方で、心が痛んだ。ごめん、本当は兄ちゃん、悪いことをしてるんだ。だからお金持ってるんだ。本当にごめん。いつも心の中で妹にわびていた。それだけに、悪いことをしている自分を知られたくない。補導されたり、警官に捕まるようなどじは、絶対に踏んではならない。特に、おじおばの口はふうじなければならない。僕はやつらを徹底的に脅した。一度妹が学校に行っている時に、家の中でめちゃめちゃに暴れ、家具を壊しまくった、おばは悲鳴をあげて、うずくまった。怒って殴りかかってきたおじを叩きのめした。もはや僕のほうが体力的にも勝っていることを知らしめるためだ。「俺をこんなふうにしたのは、お前らだからなあ。」僕はそういって条件を示した。二度と家では暴れない。その代わり、妹に優しくすること、そして、妹に僕のことをばらさないこと。僕はおじを襟首を掴んで言った、「もし妹に言ったら、お前らを殺す。」
 それからの僕は有頂天だった。もう何も怖いものはない。ただ慎重にことを運ぶだけだ。
仲間にはできるだけ学校で問題を犯さないよう指示した。普通の生徒を装えようと、その分、外では好き勝手やる綿密に計算して、しくじることのないように、そして、手に入れた金で遊ぶ。きびしい規律も課した。例え捕まっても、決してほかの仲間のことは口外しないこと。守れないものには制裁を加える。見せしめもやった。そして、僕に逆らうものはいなくなった。最初は妹のためだった、妹と自分のためだった、それが何時しか自分のエゴのためだけになっていることに僕は気づいていなかった。妹の送り迎えは仲間にさせた。いじめられてないかの見張りもさせた。必要と思うものは何でも買い与えた。その分、僕は家に帰る日が少なくなった。おじおばが約束を守っていることに安心して、そして、妹から笑顔が消えた。
 6.十二月も半ばに差し掛かった寒い晩、仲間がしくじった。万引きの現場を巡回中の私服警官に抑えられたのだ。警官はほかにもたくさんいた。仲間のほとんどはぱくられ、僕は逃走した。「やばい、連中は必ず口を割る、そうなったら、もうおしまいだ。警官が家にやってきて、妹にばれてしまう。妹はあの家に置いたまま、僕は施設か何かに入れられてしまう。もう妹の顔を見ることも、妹を守ることもできなくなってしまう。どうすればいい、僕はどうすればいいんだ。」無我夢中で走っていたら、家の明かりが見えた。もう何日も帰っていない家。何の考えも浮かばないまま近づくと、門の外に立っている妹の姿に気づいた。体を震わせている。気温は相当低い、慌てて駆け寄った。「どうしたんだ、こんな夜遅くに、何かあったのか。」妹はただ首を振った。それがどういう意味か分からずに、僕は畳み掛けるように聞いた。「分かった、いじめられたんだなあ、家の連中に、それで追い出されたんだなあ。」妹は涙をためためで、首を振るばかりだった。僕の勘違いが膨張した。「あいつら、許さない!」逆上して家の中に飛び込もうとしたが、強く引っ張られて、僕は一瞬立ち止った。見ると、上着の袖を、妹が必死に握っている。こんな小さい妹が、と思うほどに強く握っている。僕は、ここで始めて気づいた。妹の服装に、最初にこの家にやってきた時のあのぼろ服だった。もう小さくなってきつきつになっている。僕は慌てた。「どうして兄ちゃんの買ってあげた服を着ない?なぜ靴を履かない?」たしなめるつもりはなかったが、つい口調が強くなった。すると、妹が消え入りそうな小さな声で、もう新しい服要らない、お兄ちゃんの買ってくれたもの、何も要らないと言った。「どうして?」狼狽する僕に、、妹が抱きついて、泣きじゃくった。そして、お兄ちゃんがいないなら、もう何も要らないと。衝撃が走った。震えが止まらなかった。妹はこの寒空の中、毎日こうして、僕の帰りを待っていたのだ。妹をぎゅっと抱きしめると、僕は嗚咽した。「ごめん、ごめんよ、兄ちゃんが悪かった。」僕は声をあげて泣いた。妹も泣いた。そうだ。妹がほしかったのは、新しい服でも、靴でもない、父親も母親もいなくなり、たった一人になった肉親の僕に、そばにいてほしかっただけなんだ。そんな当たり前のこと忘れて、金ほしさに盗みを働き、グループのリーダーになって、有頂天になり、あげくに大切な妹を一人ぼっちにして悲しませた。僕は馬鹿だ。大馬鹿やろうだ。僕は立ち上がると、妹の手を取った。「行こう、兄ちゃんと一緒に。」妹は「うん」といって、笑った。久々に見る妹の愛らしい笑顔だった。僕たちは、そのまま夜の闇に姿を消した。もうここには二度と戻ってこないだろう、そう考えていた。
 7.妹と手をつないで夜の街を宛もなく歩いた。ネオンの中を歩く。まだ年若い兄と、幼い妹、行き交う人々が、好奇の目で見る。でも、そんなことはもう気にならない。妹は本当にうれしそうだ。その妹を見て、僕も幸せに浸る。僕たちは幸福のまっただの中にいる。そんな気さえしてくる。この時間が永遠に続けばいいのに。
 街を抜けて、公園に出た。空が澄み切って、星空が広がっていた。妹が「きれい」と言った。僕は妹を抱き寄せ、空を見上げた。「本当だ、本当にきれいだなあ。」妹は僕の顔を見て、にっこりすると、お兄ちゃん大好きと言った。「そうだ、ブランコにのろう。」僕は立ち上がると、妹の手を引き、二人でブランコにのった。膝の上に妹を乗せて、こうしてブランコを漕いでいたら、ふと、母と三人で行った遊園地のメリーゴーラウンドを思い出した。「久しぶりだなあ。」妹も分かっているようだった。僕の膝の上で無邪気にはしゃぐ妹に姿に、僕は、涙が止まらなくなった。しばらくして、二人でベンチに腰掛けた。夜風で、体が冷え込んできているのが分かる。僕は自動販売機で買ったホットココアを妹に渡した。妹はそれを受け取って温かいと言って、両手の中で転がした。僕はホットコーヒーだった。二人で意味もなく乾杯して、笑った。遠くにサイレンの音が聞こえる。飲み物で、体の中から温まってきたごろ、僕は静かに言った。「兄ちゃんと、一緒にいたいか。」妹は「うん」と言った。「兄ちゃんとどこまでも一緒に来るか。」妹はまた「うん」と言った。僕がしゃがんで背中を差し出すと、飛び乗ってきた。「誰にも邪魔されないところに、行こうなあ。」僕はそういいながら、目の前の川にざぶざぶと足を踏み入れた。進むたびに、水位あがってくる。妹が怖いと言った。腰まで浸かったところで、寒いと言った。肩まで浸かったら、冷たいと言った。がむしゃらに首にしがみついてきた。後一歩踏み出したところで、「お兄ちゃん、苦しい」と叫んだ。ゴボという音が聞こえた。僕は我にかえった。妹の頭は水面の下だった。「ウアー」
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 楼主| 发表于 2010-1-11 21:33:27 | 显示全部楼层
8.僕は慌てて岸に戻った。ずぶ濡れの妹を芝に横たえて、人工呼吸をした。げぼうと水を吐き、「うう」と苦しそうに呻いた。僕は妹に覆いかぶせると、号泣した。「許してくれ、馬鹿な兄ちゃんを許してくれ、本当に何も分かってない、この愚かな兄ちゃんを許してくれ・・・」妹に被さっていると、体温が急激に低下しているのが分かった。唇が紫色で、全身ががたがたと震えている。「まずい。」妹を抱えると、僕は走り出した。病院に、どこか病院に連れて行かなければ、一刻も早く、どこか、どこか。
 公園を飛び出したが、視界の中にそれらしき建物が見当たらない。もう通りには人の姿が見当たらない。無我夢中で駆け出した。「だれか、助けてくれ!」どこを走っているのか、見当さえつかない。闇雲に走っているだけに過ぎない。病院じゃなくても、どこか家に飛び込んで助けを求めるんだ。ようやくそれに気づいたとき、目の前に扉が開いたままになった木戸を見つけた。妹を抱えて、そこに転がり込んだ。中がどうなっているか、探る余裕もない、とにかく叫んだ。「お願いします、妹を助けてください。」奥でガタと椅子から人が立ち上がる音がした。「どうしたのかなあ。」老人の声だった。「妹が、妹が、僕のせいで・・・」もう声にならなった。ずぶ濡れになって嗚咽する僕とぐったりした妹の様子を見て、老人の目つきが変わった。「早くここを出て、前の家に助けを求めなさい。」「救急車を呼んでください、早く!」「早くしなさい!」追い立てられるように外に飛び出した。すると、黒猫が脇から飛び出してきて前を走った。目の前にある家の門に飛びつくと、激しく鳴いた。その後に続いて、僕も呼び鈴を何度もならしながら、叫んだ、「助けて、助けてください!」すると、中から老夫婦が顔を出した。二人は僕たちの姿を見るなり、慌てて中に引き入れてくれた。婦人が毛布に包んでくれ、その間、主人が救急車を手配してくれた。妹は急性肺炎を起こしていて、もう少しで手遅れになったとことだったと病院で聞かされた。妹は、助かった。
 9.老夫婦は本当に優しい人たちだった。子供がいないことを常々残念に思っていたとかで、僕たちの保護者になることを買って出てくれた。僕たちの事情をあらいざらい知った上で。僕は保護監察処分を受けた。週に一度保護司と面会し、生活状態の報告と反省文を提出する。「少年法」に基づく保安処分としては、一番軽いものだった。もちろん、妹とも一緒に暮らしている。しばらくして、老夫婦は養子縁組してくれた。僕たちはこの養父母の元から学校へと通った。僕たちに本当の意味での幸せが訪れた、新しい家族と言う幸せが。それから二年が経った。僕は中学三年、妹が小学三年生の時、卒業後の進路を決める時期が近づいていた。僕は就職に決めていた。養父母が高校進学を進めてくれたが、僕は少しでも早く社会に出て、きちんと稼ぎたかった。妹の将来を考えれば、お金を貯めておく必要があったし、初老の養父母の恩に報い、少しでも役に立ちたいと思ったからだ。僕は近くの鉄工所で働くことになった。四年の歳月が流れ、僕は19歳、妹が13歳の、中学一年生になった。妹は本当に美しく、可憐な少女に成長した。それでも、小さかったごろと変わらずに僕を慕ってくれる。僕の自慢の妹だ。職場の仲間と一緒に遊びにも連れて行った。仲間たちは妹を見るたびに、「ほー」とため息をついた。僕は鼻が高かった。「お前ら、妹に手を出したら、絶対にゆすさないからなあ。」そういって、連中に睨みを聞かせると、決まって妹が顔が赤らめて、下を向いた。周りにはいつも笑いが溢れていた。しかし、やっと掴んだはずの幸せもそう長くは続かなかった。
 10.妹が突然倒れた。学校から救急車で運ばれ、連絡を受けた僕と養父母が病院に駆けつけると、妹は病室のベッドの上にちょこんと座り、ただの貧血なのと申し訳なさそうに笑った。「そうか、びっくりした。よかった、ただの貧血で。」ホット胸をなでおろしていると、妹が「心配かけちゃって、ごめんね」と言った。「とにかく、ゆっくり休むんだぞ。」と言い含めたところで、僕たちは主治医に呼ばれて、席を立った。そして、主治医から告げられた事実に、言葉を失った。急性骨髄性白血病。発見が遅れたため、余命半年と宣告された。「そんな、ばかな、先生、何かの間違いでしょう。」僕は主治医に詰め寄った。しかし、主治医は首を横に振るだけだった。養父母は唇を噛み締めている。その横で、養母が泣き崩れた。僕は頭が混乱して、どうして言いか分からずに、ただうろたえた。「そんな、妹が白血病なんて、しかも半年しか生きられないなんて、うそだ、そんなの、絶対うそだ、うそだ。」僕はそう叫んで、病院を飛び出した。妹との幼いころからの思い出が、頭の中をぐるぐる回る。妹の笑顔がぐるぐる回る。それを振り切るように、僕はがむしゃらになって町中を走りぬけた。心臓が破裂しそうになって、これ以上走れないと、立ち止まったとことで、奇妙な看板を発見した。戸板に筆でなぐり書いたような文字で「不思議工房」と書かれてある。なぜだが、その看板に眼を奪われていると、足元で黒猫が「ニャー」と鳴き、その瞬間に、脳裏に、ある光景がよみがえった。見覚えがある。あの時はろくに見ていなかったが、この看板も、引き戸も、家のたたずまいも、そして、この黒猫にも、確かに見覚えがある。あの時、妹を抱えて駆け込んだ。老人がいた。老人に言われて養父母に出会った。養父母の家の前にあるはずのこの家は気づくとなかった。養父母もそんな建物が知らないといっていた。だから、あれは夢だと思い込んでいた。僕は引き戸を急いであげると中に飛び込んだ。がらんとした倉庫のような部屋の中央に、ほつんと大机に座っている老人の姿が見えた。僕は一気に駆け寄って、懇願した。「お願いします、妹を、僕の妹を助けてください。」すると、頭の上から、確かにあの時と同じ老人の声が聞こえた。「承知しました。」涙ながらに顔をあげると、老人は紙と鉛筆を差し出した。「これにあなたのお名前と住所、そして、注文を書きください。」注文という言葉に少し引っかかったが、ためらう余裕もない僕は、そこに「妹を助けてください」と書き込んだ。「では、これを。」老人は「控え」と「請求書」と書かれた封筒を差し出した。「後払いの成功報酬となっております。」報酬が必要なのか、そんなものいくらだって払ってやる。「ありがとうございました。」僕は、それをズボンのポケットに押し込むと、老人に一礼して、「不思議工房」を後にした。これで、妹は助かる。僕は全力で病院へと駆け戻った。
 病院に戻ると、心配顔で待っていた養父母から骨髄移植のことを聞かされた。血縁者の場合の適合率が25%と低く、養父母は年齢的に、対象とならないと言うことだった。僕は神にも祈る思いで検査に望んだが、結果は不適合と出た。そうなると、骨髄バンクの適合ドナーを待つしかない。しかし、ドナー登録者は圧倒的に不足していたし、適合の確率は非常に低く、移植を行うまでに、数ヶ月から一年かかると、説明された。間に合わないかもしれない。僕はその思いをすぐさま振り払った。大丈夫、ドナーはすぐに見つかる。妹は必ず助かる。一度僕たちを助けてくれたあの老人が約束してくれたんだ。
 11.妹の闘病生活が始まった。抗癌剤の副作用で、苦しむ彼女の姿を見るのは、つらかったが、僕は努めて明るく振舞った。「そうだ、退院したら、家族みんなで旅行に行こう、どこがいいかなあ、行きたいとこがあれば、ちゃんと言うんだぞ。」妹はうれしそうに笑った、あの幼いころのままに。その様子を見て、僕はいっそう決意を固めた。そうだ。病気に苦しむ妹のそばにできるだけいてやろう。そばにいて励まし続けよう。ドナーが見つかるその日まで、妹を元気付け、少しでも、苦痛を和らげてやるんだ。翌日から、僕の忙しい毎日が始まった。朝の出かけと帰り、休日は、一日中病院にいた。妹の衣類やほしいものは僕が運んだ。養父母ももちろん手伝ってくれたが、僕の役目だからといって大概は自分でやった。妹に病気のことを知られまいと、明るく振舞い、将来の夢を語った。妹が不安にならないよう、できるだけうまくやったつもりだ。外出許可を取り、妹を車に乗せて、連れ出したこともある。本来なら、体に負担のかかることが避けたかったが、妹に新鮮な気持ちを味わわせてやりたかった。しかし、そんな妹も、日に日に弱っていった。ドナーはまだ見つからない。僕は焦った。本当に見つかるのだろうか、不安が詰まった。そのうち、妹の髪がばっさり抜けるようになった。妹はショックで泣き続けた。鏡を見ては、そのたびに変わる自分の姿に、悲鳴をあげた。そんな妹を初めて見た僕は狼狽え、「大丈夫だ、お前何時までもかわいいよ」と、慰めにもならない言葉で、元気付けようとした。妹が不意に言った。「お兄ちゃん、私、死にたくない」と。妹がすでに自分の病気について気づいていたことに衝動を受けたが、それよりも、「死」と言う言葉が、現実的に迫ってきて、僕は驚愕した。とっさに、妹を抱きしめ、声を詰まらせた。「大丈夫だ、きっと治るから、何があっても、兄ちゃん、お前と一緒にいるから。」不覚にも病室で始めて涙が流した。妹も泣いていた。僕は必死に、不思議工房を探した。しかし、どういうわけか、あの建物が見つからない。あったはずの場所にないのだ。僕はその空き地を前に、呆然と立ち尽くした。不思議工房に賭けた、一縷の望みは、絶望へと変わった。あれはやはり夢でしかなかった。妹はついにろくに口も利けないほどに衰弱した。僕はいつも妹の手を握り締めていることしかできなかった。そして、ドナーはついに見つからなかった。
 
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 楼主| 发表于 2010-1-11 21:34:27 | 显示全部楼层
12.最後の瞬間がやってきた。妹の唇がかすかに動いた。それは、やっと聞き取れるほどの小さな声だったが、僕には分かった。「お兄ちゃん、お父さん、お母さん、ありがとう。」そういって、僕と養父母の見守る中、妹は天国に行った。「ワァー、アー」僕は妹に覆い被さって、今までに我慢した涙の数だけ泣いた。堰を切ったように、涙が溢れてとまらなかった。一頻り泣いた後、看護士から、一冊の日記を手渡された。妹から渡してほしいと頼まれたのだという。最初のページを恐る恐る聞いた。そこには入院した時の日付が記されていて、その後に、僕との会話がびっしりと書き込まれていた。今はとても見る勇気がないと、日記を閉じると、あるページに写真が挟まっていることに気づいた。そこを聞くと、妹と車で外出した時に通りかかった人に取ってもらった二人のツーショット写真が出てきた。元気なピースサインを送る妹の姿に、また涙がこぼれた。そこは最後のページだったようだ。少し大きめな字で「読んで」と書かれである。僕はそのページに目を走らせ、声に出して読んだ。
お兄ちゃんへ
 きっと私が死んで大泣きしてるころかもね。でも、心配しないで、私はお兄ちゃんのおかげで、とても幸せだったんだから、これだけは言いたくて。二人の写真、ここに挟んでおいたんだ。私ね、弱虫だから、お兄ちゃんがいなかったら、とっくに死んじゃっていたかも、だから、人より短い人生だったけど、もう大満足なんだよ。恋もしたしね、お兄ちゃんに。でね、一つだけ約束してほしいの、私の分まで、絶対に幸せになってね。私はいつでも天国から見守っているから。これは私の遺言だからね。大好き、お兄ちゃん、本当にありがとう。
 もう声にならなかった。その続きに養父母へのメッセージも書かれていたが、読むことができなかった僕は日記を開いたまま、また泣いた。涙がページを濡らして、慌てて日記を閉じた。養父母も泣いている。大事な一人娘、妹を失って、僕たちは家族三人で泣き続けた。
 葬式の日、妹を見送るまで、僕は日記をずっと抱えたままだった。日記は全部読んで。ずっと不幸だと決め込んでいた妹の人生は、実は幸せだったんだと改めて思った。最後を迎えるその時まで、なあ、こんな兄ちゃんでも、少しは役に立ったんだなあ、兄ちゃんは弱虫だから、しばらくはずっと泣いて暮らしていると思う。でも、お前と約束したことは必ず守るよ。絶対に、お前の分まで幸せになる。兄ちゃん、頑張るから。
 この日は、あの三人で行った遊園地の時のように空が青く澄み切っていた。見上げると雲の中に、死んだ母と仲良く手をつないで歩く妹の姿が見えた。
 13.しばらくして自宅部屋の本棚の中から、表書きに「請求書」と書かれた白い封筒が見つかった。僕ははっとしてその封を切った。そこには次のように書かれていた。
 
当工房は人の生き死にに直接かかわることはできません。あなたの妹を最後に救ったのはあなた自身です。妹の分まで、幸せになってください。請求額はございません。
                                  不思議工房
 
僕は独り言のように口に出して見た。「違いますよ、僕が妹に救われたんです。あの未遂の時と今回と。」その後再びあの空き地に行って見たが、やはりそこには、不思議工房はなかった。
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发表于 2010-1-15 13:30:56 | 显示全部楼层
太强了~我听了福山润的那个也挺好的~不过不明白的地方好多的!
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