一話(2)
' {* G" `& F: [$ m0 [「――艶子、艶子ーっ!」, x+ t$ M8 `: z1 u* J
裏返った男の叫び声に、詞子たち三人は思わず顔を見合わせ、また様子を窺うと、この家の主――中納言藤原国友が、両手足をばたつかせ、全身で慌てながら娘の名をひたすら連呼していた。
1 r4 t% i2 W, i- O$ V「まぁ、お父様ったら、あんなに取り乱して……」5 e, G6 B. { Z) Z! Z+ ~7 M* e3 J
「しかも鬼の前で何度も名を呼んでますよ。迂闊ですね」7 z3 Z: B# K9 p" l
「こんなときこそ殿が落ち着いてくださらないと、皆がどうすればよいのか……」
$ u; E( C2 S, x$ \, T そう言っている間にも、鬼は暴れる艶子を引きずって、外に出ようとしている。& l+ a4 t0 }6 r- p% X8 i, y
「つ、艶子、艶子! ――おい、誰か早く艶子を助けないか!」3 X4 L7 e7 u4 x) X( r1 J' }; p
主の命令で、家人たちがそれぞれ鞘から抜いた剣を構え、弓に矢を番えるものの、どの男も腰が引け、威嚇のために発する声にも勢いはなく、鬼を恐れているのは明らかだった。1 z* l; V- Q) j, _
「いやーっ! お父様っ、お母様ーっ! 誰かっ……命婦、伊勢! あ、初雁っ、誰か……早く助けなさいよーっ!」# n% e& M0 L, x1 b
名指しされた女房らは、とっくに気絶しているのか腰が抜けているのか返事すらせず、父親も相変わらず慌てているだけで、母親など姿すら見えない。1 N& t6 ^- D" h( X
とうとう鬼は、艶子を連れて簀子へと出てしまった。雨が容赦なく叩きつけ、艶子は叫ぶことすらできなくなる。
# \) o. P/ k- D$ U# r 詞子は、ゆっくりと立ち上がった。
; L! H9 s2 [# U' ?( b( T& m「姫様」
2 i, t% y) ]; ? v 葛葉が、咎めるような口調で詞子を呼ぶ。
0 n: D) i* c& V+ t「いくら殿も男衆も腰抜けとはいえ、姫様がどうこうなさろうだなんて無茶ですよ」
1 v* P' k4 l" W( {2 Q「でも、ここで腰が抜けていないのは、わたくしだけだわ」
! Q; B, O$ h3 X5 H4 `' x「おやめなさいませ。あの我儘な妹君のために、姫様がそこまでされることはありません」
$ R- d6 \0 a+ Q* `( S- a「そ、そうですよ! 相手は得体の知れないものですよ!?」
) l4 ], Y2 R) ^% L7 N, H 必死に袖を引く淡路を、詞子は雷鳴と絶叫の中にあって、かえって奇妙なほど落ち着き払って見下ろしていた。
) n" S Z* o$ ^ O2 l- H「……艶子が助けてと望むなら、助けるしかないでしょう?」4 I+ N8 K5 n6 S7 t% J. A3 B( M/ k7 B
「姫様……」
0 y: t# [* Y- e2 I1 J「それが、わたくしに与えられた天命だもの」
: E7 B8 |8 P# n; O/ _5 F F' ]充分な明かりがあれば、その暗い瞳が見えただろうか――( U# G( s4 j5 }; Y8 @- W2 [# X
小袿の襟元を直し、詞子は柱の陰から出ると、一番近くにいた家人に手を伸ばした。
6 k9 q, q' N$ e R# s7 D「その弓と矢を、わたくしにお貸しなさい」
) W2 ?; c7 q4 q5 D. U「は……へっ?」- Z% \$ i: K- A+ r
若い家人が目を瞬かせているうちに、詞子はさっさとその手から、弓と矢を一本奪い取る。それを見て、ため息をついて淡路と葛葉も立ち上がった。
) M% N7 j, s Q2 c8 ~4 I「姫様、弓矢をお使いになったことなどございませんでしょう……」, ^3 k5 ]1 n/ q
「ないわ。力が要りそうね」
* a4 Z" ]3 v2 y B( ]9 T2 g「お手伝いします」$ c) |! A# Y1 x
淡路に袖を押さえさせ、詞子は弓の握りを掴み、矢を番えた。葛葉が矢を引くのを助ける。
* Q. e+ v) `; r「こ――詞子!? 何をする!?」" c' l2 i) j0 `/ h, Z
雨降る外に向かって弓矢を構える詞子を見て、国友が脳天から突き抜けたような声でわめきながら、あたふたと駆け寄ってきた。* q4 E4 }# o6 ]3 } E
「このままでは、艶子が連れていかれますわ」' i$ e( e/ a* ~0 f, E) o( u/ R
「だ、だが、おまえ、もし艶子に当たったりしたら……」6 A u5 A: c7 T+ q0 W3 ~" Y
「当たらないようにお祈りなさいませ」2 j+ _% Y, e4 V; I5 s
淡々と言って、詞子は葛葉に頷く。
6 Y0 s7 ]: d6 v: p* Q「見える?」
- Y% Q! u+ v- m「雷が光れば、どうにか」+ m4 w4 q* C9 B3 k
「合図をしたら、手を離して」
, ]0 X) Y" i- s0 G- { 稲光の間に見えた鬼は、もはや抗う力を失った艶子を脇に抱えて庭に下り、門へと向かおうとしていたが、艶子の衣や長い髪が雨に濡れて重くなっているのだろう、運ぶのに苦労しているようで、動きは鈍かった。 |