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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2004-6-12 23:00:00 | 显示全部楼层
06月13日
) R; l; v) S! H/ f& c0 B
$ k: Z) p( i- k6 o6 {) a7 m5 y 9 `$ e7 C* n' p+ f9 g
 「よく私が父の部屋に入っていくと、父は読んでいたメモから目を上げて、いったいこの子は誰なのだろうという顔をしたものだ」。レーガン元米大統領の娘パティ・デイビスさんが幼いころの思い出を『わが娘を愛せなかった大統領へ』(KKベストセラーズ)でつづっている。 * d0 G2 }1 j9 ?3 x/ X, M

7 R5 G8 I4 ]. Z; C 母のナンシー夫人は薬物依存で、娘を「虐待」していた。父は「虐待」などあるはずがないと言いはり、子どもたちには無関心だった。娘時代のパティさんが見たレーガン家の風景は暗かった。 & a) S7 q9 O; o- S, z
+ `' p# w8 D  d" p1 o' L
 とはいえ、俳優・政治家の家庭である。客が来ると「突然わが家は幸せな家庭に早変わりし、来客は観客となってそのショーを見物するのだ」。パティさんは両親に反抗を続けた。大統領になったレーガン氏がソ連を非難し、軍備増強を唱えるのに反発、反核邉婴颏筏俊B樗aにもおぼれた。
4 ^7 |" N& L1 c9 {! n- c
; B* T, V% V8 l9 U$ S( A; B& O 90年代、レーガン氏のアルツハイマーが進行するとともに、パティさんは両親との「和解」を進めた。11日夕、カリフォルニア州に戻った父の棺(ひつぎ)を前に、パティさんは心優しい別れの言葉を述べた。自分が飼っていた金魚が死んで埋葬するとき、父が小枝で十字架をつくってくれた思い出を語りながら。 * W7 ^  }/ Q7 `% G3 q& J+ P
6 U/ K* d7 A: A! A
 ナンシー夫人が「永遠の楽観主義者」(タイム誌)だったと語るレーガン氏には、パティさんとは違う家族像が映っていたのだろう。家族で撮った昔の写真を見て「崩壊家庭ではなかった。皆愛し合っている」というのが口癖だった。2 }# j+ Y' {& V3 v/ ?5 T

. j( ]# L( b: R% u% C* E 一見どこにでもありそうな、しかし、特別な呙虮池摛铯丹欷恳患窑蝿eれの儀式だった。
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 楼主| 发表于 2004-6-13 23:00:00 | 显示全部楼层
6月14日は新聞休刊日のため、「今日の朝刊」ページは更新がありません4 p9 u6 C& v( g9 c% p

4 N/ p1 [1 b3 |! E. x( d( KOO辛苦了,每天很早就上来贴。我偷懒到现在了。8 b  k1 M! E9 g! \
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发表于 2004-6-13 23:00:00 | 显示全部楼层
最近总是起的很早。
; O- l2 U7 u, [
2 j8 v- I) \" h+ @最少的一天1点多到家6点多又出门了,劳碌命啊。
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发表于 2004-6-14 23:00:00 | 显示全部楼层
06月15日
5 ~" }, u: |- A1 B4 r( y/ C
/ O) H( ]! ]+ ^ 3 h, r, U3 u0 A& L
 「毎春、梅の花が咲きだすと、『昇る朝日の国』は、野球相手に、恒例の全国的な恋愛事件を開始する」。「プロ野球にみるニッポンスタイル」を副題にしたロバート・ホワイティングさんの『菊とバット』(サイマル出版会)の一節だ。 9 ~- E$ Y$ t; \# T6 i* i
$ O7 R/ G* q& D5 R3 [
 プロ野球を通じて日米文化比較に踏み込んだこの本が出たのは、77年だった。「日本は、ほとんど一夜のうちに、目のキラキラ光るピッチャーやホームランバッターたちの国に、ベースボール狂たちの国に、変貌する」
2 U3 H: u$ R, d% t0 @* K: O0 u; ~! O7 E) {
 こんな熱狂の時代に輝いていたチームの一つ、近鉄バファローズが合併するという。名将・西本幸雄監督に率いられ、79、80年と連続してリーグ優勝しながら、日本一への壁を越えられなかったことを思い出す。
0 B0 s  Q5 w3 L% D4 A% X! n& A4 |8 j6 q+ b) M: ~  d
 熱狂の時代は、その後長くは続かなかった。「なるようになれ、って心境ですね」。プロ野球はこれからどうなるかと問われた随筆家江國滋さんが答えたのは80年代半ばだった。「狭い日本に果たして二リーグ制が必要なんでしょうかね。ちょっと古いかもしれませんが、一リーグ八チームの頃のことが懐かしいですね」(『プロ野球よ!』冬樹社)
& U7 y6 n0 G+ w3 O
+ P% j& u" B, k+ V% j& e 近鉄とオリックスの合併で、1リーグ制になるという観測があるようだ。スター選手の脱日本や、人々のサッカーへの傾きを見れば時代の流れのようにも思われる。しかし「1チーム減即1リーグ減」では短絡的過ぎないか。
% q9 h: p+ C0 z( O1 f
; \3 K/ E# v$ ]" g 戦いのさなかに、合併を宣告される身もつらいだろう。これまでに果たせなかった日本一の夢を成就する機会が、今年で最後になるとしたら。
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发表于 2004-6-15 23:00:00 | 显示全部楼层
06月16日
+ b9 n, E/ R1 }' L$ U & }- D$ m4 h" h3 h" U' L
8 [9 x, k1 f' V, S& `6 {  j
 アイルランドのダブリンの市街から10キロほど南東へ、電車で行く。小さな駅から海岸沿いに数分歩くと、丈の低い円筒形の塔が見えてくる。ナポレオンの侵攻に備えてイギリス軍が設けた砲塔の跡だ。
7 I4 ?8 _* G9 h* ?- F, \. W
" o% ]( f1 K8 f8 t$ M( z アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説「ユリシーズ」は、1904年6月16日、このマーテロ塔に住む青年たちの朝の会話で始まる。この日は、後に妻となるノラとジョイスが初めてデートした日だという。ダブリンを背景に、中年の新聞広告勧誘員ブルームと妻モリー、文学青年スティーブンらの織りなす1日の物語がつづられる。
4 X; [1 W* H  ~" p/ A- v
7 U* M" i0 \- L' D) M; I' L ユリシーズはギリシャの叙事詩「オデュッセイア」の主人公オデュッセウスの英語名だ。小説は叙事詩の構成を下敷きにしているが大冒険や漂泊は無い。しかし「意識の流れ」の手法で描いた文学の極みの一つとして世界の読者や研究者を引きつけてきた。
# E, m# k/ T% q6 F7 o" z: k4 G1 c
, D+ X# ?1 ]$ O; D2 x 「『ユリシーズ』は、彼が見、聞き、小耳に挟んだことのすべての精髄であり、聖化であり、冒涜であり、大真面目であると同時に喜劇的で(略)小波が寄せて来て韻律を刻み、馬が駆け牡牛がのそのそと歩く」(『ジェイムズ・ジョイス』ペンギン評伝双書) / j" c6 H7 t7 v2 v

' j( H# _" k  P! [4 F6 l& ]) H 角を曲がるとまた角で、曲がっても曲がっても行き着かない迷路の感じもある。人々の営みが複雑に交錯する都市そのものが迷路であり、人と人との関係も、人間を形作る器官もまた迷路と言えなくもない。 5 J. Y* s. k6 Y6 t1 U# l/ h  x
) _* v, Q* S" z# r7 }0 p' h7 y
 ダブリンでは先日、100年前のあの日のブルームの朝食にちなむ無料朝食会が開かれ、大勢でにぎわったと、英紙にあった。
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发表于 2004-6-16 23:00:00 | 显示全部楼层
06月17日
3 K, E1 E  b" r+ u+ A+ p, d . z! h. q/ X, K7 W# c7 D
 奇術師の苦悩というのがあるそうだ。観客をあっといわせる素晴らしい奇術をしてみせる。しかし裏にあるのは、往々にして「あまりにばからしくて、奇術師自身恥ずかしくて認めたくない」ようなトリックだという(C・プリースト『奇術師』早川書房)。その落差におののく。
, h. P; v$ g2 |6 L  H+ J7 m  L0 F, r8 D: E; H
 イラクでの多国籍軍への自衛隊「参加」について政府が「基本的考え方」を示した。憲法の枠をいかにすり抜けるか。「奇弁」をもってのつじつま合わせに、下手な奇術を見せられているような気分に襲われた。
. n( L) S" f# R0 l# L* q
5 [$ e* p. `( g5 s. w. ^' n2 z まず「参加」という言葉の伸縮に着目した。狭義の「参加」だと憲法に抵触する。意味をあいまいに広げてすり抜けようとした。それにも無理があるのだろう、「考え方」からは「参加」という言葉が消された。
: S& k6 f' s2 |( d# ~5 ~( q0 p- z# Q7 F0 ~
 「指揮権」も障害だ。多国籍軍の指揮下に入ると、憲法が禁じる武力行使を命ぜられる恐れがある。ここは伝統芸の「自在訳」で切り抜ける。国連安保理決議の指揮権のくだりを翻訳で薄め、独自解釈を可能にした。陳腐な仕掛けで彩られたこの「憲法すり抜け術」に、とても拍手を送る気にはなれない。 0 f( d% G0 i5 J' [

" v7 @3 j1 e2 {$ A, V4 b& X8 x  ^4 N 先の小説『奇術師』に登場する中国人は、虚空から金魚悚虺霈Fさせる華麗な技で有名だった。仕掛けは簡単で、中国服の下、ひざに金魚悚颏悉丹螭沁んでいた。舞台では足を引きずりながら歩かざるをえない。秘密がばれないように、彼は舞台を離れても足をひきずって歩いた。生涯続けた。 0 I4 r" ~8 {5 Y7 ]- S  p9 R  A0 _

8 t! d# C* i# C8 H 無理な仕掛けやつじつま合わせはその場だけではすまない。将来に禍根を残す。
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发表于 2004-6-17 23:00:00 | 显示全部楼层
06月18日
7 Y. \- O: J% V9 q( `
# p; H  R7 ^, r: t7 W" k: z 「9・11同時多発テロ」が、日本でも起きていたとしたら。そんな恐ろしい想像に駆りたてるのが、米議会独立調査委員会の報告書である。
/ ~" [: S8 z3 p4 t' O
. w* S8 r/ k& f  B5 `7 \ 首终撙稀⒚妆就沥坤堡扦胜|南アジアから太平洋を飛ぶ米航空機を同時にハイジャックし、爆破や日本などへの攻撃に使うことを検討していた。米在住のジャーナリスト、青木冨貴子さんの『FBIはなぜテロリストに敗北したのか』(新潮社)で読んだ「ボジンカ」計画が、すぐに思い浮かんだ。 $ ^* C& ~( {5 q6 }! K
+ D! s' g; {2 Q: Y5 P4 D
 93年、世界貿易センタービルの爆破事件が起きた。95年に逮捕された主犯格のラムジ・ユセフ受刑者は、太平洋上で12機の米旅客機を同時爆破する計画を立てていた。4千人の死を見込み、成田発の6機が含まれていたとある。
; j8 _9 ~6 f. x/ y, a( d. I* v, N8 Q( W! o+ r3 l
 ユセフ逮捕で「ボジンカ」計画は消えたはずなのに、なぜ息を吹き返したのか。委員会の報告に、こうあった。9・11首终撙违膝辚
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发表于 2004-6-18 23:00:00 | 显示全部楼层
06月19日
1 R2 u% D( j; F1 C% k5 ~+ i ! R: u8 i7 [+ s% Q3 @  m" Y
 多いようであり、少ないようでもある。全国推計で82万人になるというアルコール依存症の人の数だ。 $ h8 e: b5 `! @! Q& B! b# A# ?/ L% X

& y  V: w. q( W5 x) }  v3 e 福井県や徳島県、東京の世田谷区、大阪・堺市の人口に匹敵すると聞けば、大変な数だと思う。しかし、成人男性の約2%、50人に1人と聞くと、控えめの感じがしないでもない。
$ u# b; D  k) g) h1 f' q9 n
0 W# X' v5 X) h: ` 「一杯目の微醺が二杯目、三杯目と僅かに重なっていると思うまもなく、あなやもあらせじ、羽化登仙(略)忽ち、爛酔、泥酔の域に達してしまうのは、日本的酔っぱらいの特質らしい」。酒酔いのアンソロジー『酔っぱらい読本』(講談社)に収録された埴谷雄高の「酒と戦後派」の一節だ。
5 c) c% [% u& `9 w0 C  h& b$ x: F% c: O
 「百薬の長」「憂いの玉箒(たまばはき)」と、類のない効用を備えてはいるものの、「酒が酒を飲む」「酒に呑(の)まれる」と、程良いつき合い方が難しい。厚生労働省の研究班がよりどころにした世界保健機関の远膝ぅ丧楗ぅ螭摔狻革嬀皮伍_始、終了、あるいは量に関して行動を統制することが困難」との一項があった。
% f4 s6 v. `9 [1 E1 g0 g2 R& f/ w7 l+ Z# {
 酒との深いつき合いといえば、この人である。〈かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ〉牧水。俳句ならば、この人がいる。〈ほろほろ酔うて木の葉ふる〉山頭火。『酔っぱらい読本』には、やはり、あの人も入っている。 ' O* _* f" X* R+ E& }* u

' ]! [. Q$ a) @2 a3 z  S0 M 「私は、弱い男であるから、酒も呑まずに、まじめに対談していると、三十分くらいで、もう、へとへとになって、卑屈に、おどおどして来て、やりきれない思いをするのである」(太宰治「酒ぎらい」)。入水から56年。今日が桜桃忌で、誕生日でもある。
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 楼主| 发表于 2004-6-19 23:00:00 | 显示全部楼层
■《天声人語》         06月20日付
& n7 v! O2 x, C7 P. z / m/ s8 n& B1 z
- C: P( o7 ?/ Q+ ~2 E
 「飲食物に勇気のあるほうではない」という作家の司馬遼太郎が案内人に勧められ、琵琶湖の水を茶碗(ちゃわん)にくんでおそるおそる飲んだ。ヨシが群生しているあたりの水だった。「じつにうまかった」と記した(『街道をゆく24』朝日新聞社)
* J" v' @+ ]7 z! D. O5 _. k$ ^7 e
2 K0 B! S8 F2 h* F$ g/ X$ M6 e+ o1 h2 @5 s2 A6 A, Z4 [3 L
. l( m* N7 n; [$ m* u  K) u6 p# P
 浄水能力だけでなく、ヨシ原には魚が産卵し、育つゆりかごの役目もある。水鳥の生息地でもあり、湖岸の浸食を防ぎもする。「里山の写真家」今森光彦さんが、琵琶湖をテーマに2冊の写真集『湖辺(みずべ)』『藍(あお)い宇宙』(いずれも世界文化社)を出したきっかけも、老漁師そしてヨシ原との出会いだった。
: T$ N) b5 Q/ f6 f: z, t/ O$ l" W$ E
  a" W5 F5 q- A
; p8 e  C% w. f; I  B: x% I
 琵琶湖で漁をする80歳の漁師に連れられて行ったヨシ原で今森さんは感じた。「包容されているような心地よさ」があり、「疲れた体の中に精気が甦(よみがえ)ってくる」独特の宇宙だ、と。長く撮り続けてきた里山にいるのと同じような安らぎだった。 . n% o/ ~# Q/ J" P1 {1 g* A0 ^
# G& J) M1 A: c. T9 N" r, C/ u
' g8 S& i# t6 k. S$ g# w' f

/ Z; E& V6 M' [+ \- L5 `; ? 写真集を見ていると、琵琶湖という湖が実に多様な顔を持ち、複雑な表情を見せることがわかる。美しい風景だけでなく、湖辺に暮らす人々の息づかいが伝わってくるのが、今森さんらしい。 ( Y. W; K- |8 q6 {. R1 [' |) ]

" G% e/ J2 p( f& T
4 p$ V! Y. y% c$ I  m# z
  }8 q* {5 ]2 b& F- A& N1 f 戦後激減を続けた琵琶湖のヨシ原をめぐっては、政府の都市再生本部が昨年、再生に向けてプロジェクトを進めることにした。民間団体もいろいろな試みをしている。今森さんは、老漁師のように湖辺で暮らし、湖に頼って生活の糧を得ている人々の「共生の知恵」を大事にしたい、と語る。
/ b9 A" _9 z* j+ W/ q& w, N: i- @! U3 |2 [) L

" c7 P3 z' ^# a% Z8 P1 m0 ~
. V5 l4 X& b$ a; N% i1 U 〈近江の海夕波千鳥汝(な)が鳴けば心もしのに古(いにしへ)思ほゆ〉(柿本人麻呂)。古来、さまざまな感慨を与えてきた湖だった。 ' U% y# @6 k6 h6 w" p1 {9 D7 m( v! G

8 W  F) d( r8 T: w5 y8 X
, t* s" N' v! J! T5 w) _
; b4 W8 ?; X1 c  j
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发表于 2004-6-20 23:00:00 | 显示全部楼层
06月21日2 e* E( l6 x/ n0 w
# A( W$ b  I- v7 A0 \; N/ o& i

" m. B+ O- _5 l4 T1 T0 F6 S 最初は「青いカビのようなものか」と思ったという。しかし、よく見ると何か木の根のようなものもあり、紐(ひも)のようにも見える。 + I  e0 p! X8 T( r+ K: C% [6 q
& ?5 {1 h4 [0 [7 ^
 目が慣れてきた時、日差しが少し強まり明るくなった。凝視する。茶色に近い色の緒を結び、青い服を着た人の姿が、かすかに見えた。「人物だ! 壁画だ!」
- P# `6 a# U) C2 i* A/ P% v# P/ e6 Q6 F/ N( K
 72年3月、奈良県明日香村の高松塚古墳での壁画発見の瞬間を、網干善教・関西大名誉教授が記している(『飛鳥高松塚古墳』学生社)。それから30年たって撮影され、今月刊行された『国宝 高松塚古墳壁画』(中央公論美術出版)の写真で、西壁の白虎の部分が劣化していることがわかったという。   n& |1 c2 }& u, A( K- K9 k

1 {# a2 a, d6 C% Q2 ]/ o9 D* J 映画『フェリーニのローマ』のシーンを連想した。カメラは地下鉄の工事現場に入ってゆく。掘削機が壁に穴を開ける。突然、その先に古代の壁が現れる。描かれた人物像が鮮やかだ。新発見と思う間もなく、色が急速に薄れ、像は消えてゆく。現代の空気の作用を極端に表すかのような印象的な場面だった。
; m, m1 w7 c8 k2 l0 E/ [# N
: R+ o% L. S0 X! H6 V 本の写真を見ると、確かに、白虎の像の輪郭は薄れているようだ。たけだけしい表情もぼやけて、虎というより猫の気配も漂う。退色が進まないことを願うが、姿形がしっかり保たれている絵もあるようだ。特に「飛鳥美人」たちの口元の赤は鮮やかだ。 4 K/ W3 Y7 s1 D6 t/ I

6 K: T& c! j+ R 高松塚古墳の隣接地に、「壁画館」がある。掲げられた絵は模写だが、それでも、胸に迫ってくるものがある。それは、はるかな古代の絵が、すぐ隣り合った闇の中で、今も確かに息づいているとの思いから来るようだった。
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发表于 2004-6-21 23:00:00 | 显示全部楼层
  06月22日
+ \- h6 O- l5 b' V6 l" f' @5 O 1 n- X1 [1 J6 C: ], ]7 j# e8 X
 通りかかった小学校の脇の路地で立ち止まった。路地よりも身の丈ほど高い校庭から垂直に下りたコンクリートの白い壁に、茶色い輪ゴムのようなものと、さ恪─Δ搐幛い皮い搿
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发表于 2004-6-22 23:00:00 | 显示全部楼层
06月23日$ L0 p& z& t1 ^* W0 u9 ?" ~

8 @- I+ k7 ~( @% { 台風が去った昨日、東京は梅雨明けのような青空と真夏を思わせる暑さに見舞われた。接近する台風の多さといい、この暑さといい、少々異常ではないか。
  o4 r  k" f. x) C2 Z( _- V( s5 J7 v0 F9 k: a
 気象庁はこう説明する。台風はふつう、太平洋高気圧の西の縁に沿って北上する。いまの季節だと中国大陸の方へ向かうことが多い。今年は高気圧が例年より北東にずれていて、台風を日本列島に向かわせている。真夏のような暑さは、6月下旬には珍しいことではない、とも。
: J+ v. z7 A; n% y" X: ?
! h6 ?' |( |6 n& i8 {# m, B  T 沖縄はそろそろ梅雨明けだ。「六月は雨期のおわる頃」と始まる牧港(まきみなと)篤三さんの詩「島を雨が蔽(おお)うた」は「その六月に 島全体を 戦争が 蔽うた」と続く(『沖縄の悲哭』集英社)。住民を巻き込んでの地上戦を強いられた1945年の沖縄戦の描写だ。 ( [! b! V* ^; Z7 r

5 {+ p" E8 u" C7 n. s 「雨と泥と飢えとにさいなまれ」逃げまどった人々が米軍の砲弾に倒れていった。従軍記者だった牧港さんは戦後、戦場の悲惨さを語りつづけた。「軍隊は決して国民を守らない」「戦争というものは、人間が人間でなくなるんですよ」。そう主張してきた牧港さんは今春、91歳で亡くなった。
9 f! O' B2 V. T* @2 u) B+ s7 e+ c; O$ F2 u, ]; U) z  Q; A  k
 きょう23日は、沖縄戦の組織的な戦闘が終結した日とされる。「慰霊の日」として、20万人以上といわれる犠牲者を追悼する。イラクでの多国籍軍参加を決めたばかりの小泉首相も参列する。地元の高校生は「戦争をしないと決めたこの国で」と題した詩を朗読する。
# Z4 F- U, e$ T) e  g% S; Y6 W- ?
2 ?: y2 {* g, {& l 「慰霊の日」は、梅雨明けと重なることが多い。昨日の強い日差しにかつて参列した追悼式の日の、抜けるような青空と太陽とを思い出した。
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发表于 2004-6-23 23:00:00 | 显示全部楼层
  06月24日 0 @1 F5 o9 ]6 ~% {0 j3 }! U
; m0 n/ {' N8 V) A- u0 T7 t+ V- g
 「とことんついていない」。年金改革法を人生に見立てれば、そんなぼやきも出てくるだろう。紆余曲折(うよきょくせつ)を経てやっと世に出たと思ったら、条文にミスが見つかった。どこまでも「悲摺工膜蓼趣Α
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 楼主| 发表于 2004-6-24 23:00:00 | 显示全部楼层
■《天声人語》             06月25日付
0 V8 g2 C, r. x5 a! n  D 
. x! u8 c$ d3 K0 f! a- l; N9 A) b" U
 「私は人生でまちがいをひとつ犯しました……」。ノーベル賞の化学賞と平和賞を受けた米国の物理化学者ライナス・ポーリングにあてて、あのアインシュタインが、こう書いているという(『アインシュタインは語る』大月書店)。 8 O- z0 H2 W2 }/ h8 V

7 O7 g9 c: L# P' @6 E7 ~* o7 |/ f4 L7 d5 [

. w" J' }- A* c+ N3 o- W- a# \, R 第二次大戦が始まる39年に、彼が、ルーズベルト米大統領に原爆を開発するよう勧める手紙に署名したことを指す。ナチス・ドイツの方が先に開発したらとの切迫した思いに駆られていたにせよ、この述懐は重い。
! S8 Q3 W, r$ x! p+ J* ~
6 l  I8 h3 T2 U  Y/ K
' m) Z' |5 y5 ]3 m# ~* I- A* c) Y$ m) H2 A  v
 科学技術が高度に発達するにつれて、「できる」ことと「すべき」こと、あるいは「すべきでない」ことを巡って、科学者や、社会の側の選択が問われる場面が増えた。
/ C% X6 A0 c* R3 q" _
; X6 Y# C! A: N2 `) o8 j
6 c) B( G' J" _# A
1 l; G# f1 z! [- ^/ A 日本の総合科学技術会議の生命倫理専門調査会が、ヒトクローン胚(はい)づくりを容認する方針を決めた。基礎的な研究に限定し、クローン人間づくりを防ぐための胚の管理の徹底といった枠組みが整うまでは実施を凍結する、とはしているが。
# Z/ _3 V  K4 A0 p5 V
2 {8 c7 }% \9 T& ?' l( e1 J; z
/ V% `; N6 c- `3 y+ Y
, B) B: s1 G3 x0 z" V7 V8 L8 u クローン胚は、拒絶反応の少ない細胞や臓器を作る再生医療への期待があり、米国などでは研究が進んでいる。一方で、今回の容認の先に、クローン人間の出現まで連想してしまう人も、少なくはないのだろう。 - F( I9 p2 |: i7 a5 ]

9 L- l' J4 ?% {5 D- k
2 t/ ?2 \+ P$ Y9 t, P% B
* G2 Q! ?4 A* N アインシュタインの言葉を、もう一つ記しておきたい。「人間自身とその呙丐伍v心が、つねに、あらゆる技術的努力の主たる関心でなくてはなりません。……私たちの頭の創造物が人類にとって呪いではなく恵みになるようにするためです。図と方程式のまっただ中にいても、このことをけっして忘れないでください」
+ V5 p# `" [2 i, L9 {$ \9 y) v1 @9 D

3 X" N9 T$ o0 x; t+ `; o. r( D+ r3 M
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发表于 2004-6-25 23:00:00 | 显示全部楼层

; [; V0 g1 q! Z9 b) k* w9 ~" |1 O6 Q1 I
06月26日付 7 p" w* G9 D0 s2 E" J9 d; ?
6 r! Q2 B2 u9 D! |. E6 O, C

. X$ l1 ~& X! }+ H1 c) ~/ H4 u9 T8 V$ E2 z- Y. i$ Z2 B
--------------------------------------------------------------------------------
+ i* G0 ~! j) D' R& k- e: o' w; v; d8 k0 o& A

1 f/ |' J% L. Y/ Q  X; l: C
3 R3 O7 H! R- c8 e' E2 _$ }■《天声人語》) K: I4 T1 {( R% C- W$ v
* k% U& U% s/ P1 M! F" H4 n

+ f% [) }9 I+ P: K) @2 X # Y" s% [! z3 z, X& C  |# ^
 
7 a  i( R# M; s6 N. N. `  V" Y: W$ j- }: o: g) f; G# `
 1950年6月25日の夕方、早稲田大学1年の野坂昭如さんは、東京の銀座の辺りで、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)を知った。
3 }7 ^- ?1 g& E# [9 w4 _
; F1 e/ V1 [9 q8 e5 ]! s3 g$ A6 R' q$ ~" \

. L, T0 ?: k7 _' t. H. b 「いよいよ来た――アメリカは原爆を使うだろう、されば、ソ連も用いる、向うからして、敵の後方基地といえば日本の、九州板付、佐世保――そして東京周辺には、厚木、座間、横田、横須賀がある、都民の大半は死ぬ」
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 すぐに地下鉄で上野駅へ行き、列車に飛び仱盲茤|京を離れた(『20世紀精神史』毎日新聞社)。この開戦の直後、外務省内の研究会で、ある専門家は、第三次世界大戦が起こる確率は80%もあると予想していた。 9 h/ i7 W" M6 N8 z2 Z
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 10年ほど前に報じられた「スターリン秘密資料」にも、次の大戦を想定したかのような記録がある。北朝鮮側にとって戦況が悪化した50年秋、スターリンは「戦争が避け得ないなら、日本軍国主義が再建される数年後ではなく、今にしよう」と中国の毛沢東に呼びかけていた。それから半世紀余、世界大戦こそ無かったが、戦争は世界の各地で起こり、半島の分断は続いている。
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 「本放送は北の放送とともに幕を下ろします。(北朝鮮の)人民軍の皆さんありがとう。末永い幸撙蚱恧辘蓼埂埂D蟼趣巫罱K放送に、北側のスピーカーは「統一のその日に会いましょう」と応じた。軍事境界線一帯で互いの体制批判を続けてきた宣伝放送が、先週終わった。
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. A2 k4 L& x% q アテネ五輪では、両国選手団はシドニーと同様、同時入場する。その時流れるのは、古歌「アリラン」。峠の道は、なおも険しいが、小さな「同調」の積み重ねに、望みをかけたい。 ( n$ t) n1 |% F! x

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