2007年11月26日(月曜日)付+ I5 E* M; E4 V c
サッカー日本代表のオシム監督(66)は、祖国ユーゴスラビアの解体や、ボスニア内戦といった辛酸をなめてきた。それゆえだろうか。口をつく言葉は奥が深い。民族の悲劇が、名将の人生に、深々とした陰影を刻んでいるように見える▼動じない精神力と、異文化への広い心が持ち味である。それを戦争体験から学んだのかと聞かれ、「(影響は)受けていないと言った方がいい」と答えたそうだ。「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が…」(木村元彦『オシムの言葉』)▼内戦の死者は20万を数え、サラエボの街は破壊された。街の一角に、監督が生まれ育った地区がある。そこで起きた悲劇を描く映画『サラエボの花』が、近く東京の岩波ホールで上映される。内戦下の組織的レイプを見据えて、内容はずしりと重い▼この映画に、脳梗塞(こうそく)で倒れる直前のオシム氏が文章を寄せている。愛してやまない故郷を、「すべての者が共存し、サッカーをし、音楽を奏で、愛を語らえる場所だった」と誇らしげに思い起こしている▼その故郷を、「人類のモラルと良心がかき消された、世界史上に類のない場所になってしまった」と言い切るのは、辛(つら)かっただろう。燃えるような郷愁と、戦争への憎悪が渦を巻く、切ない一文である▼オシム氏の容体は予断を許さないと聞く。現役時代の氏は、ハンカチ一枚の隙間(すきま)があれば、3人に囲まれても突破したそうだ。危機を突破して、新たな言葉を聞かせてくれるよう願う。
) \5 S b' C2 H5 u) E. G; r: w 〈あったことか、なかったことか〉。ハンガリー民話はこう始まることが多いという。そして、例えば主人公の将来に触れて〈死んでいなけりゃ、生きてるだろうさ〉と結ぶ(岩波文庫『ハンガリー民話集』)。ほのぼのとした味わいだ▼ある一編は、居酒屋で飲んだ3人のかみさん。勘定は亭主をだませなかった者が払うと、店主に告げた。全員、まんまと夫に一杯食わせて店に戻ると、店主が「分かった。勘定はわしがもつ」▼あったことか、なかったことか、温室効果ガスの排出枠という見えない物を、日本がハンガリーから買うそうだ。京都議定書の約束を守るため、かの国が約束以上に減らしたいくらかを、日本が減らしたことにする。ありふれた気体で商いが成立するとは、昔人もびっくりだ▼ロシアや東欧には排出枠が余っている。すべて放出すれば、各国はそれを買うだけで京都の誓いを果たせるらしい。これでは、温室ガスを元から減らそうという気がしぼまないか▼もちろん一番ひどいのは、最大の排出国なのに議定書を離脱した米国だ。豪州も離れたが、議定書の批准を公約した野党が先の総選挙で政権奪回を決めた。ブッシュ大統領に近い指導者が次々に退く▼主要国が責任を果たさねば、温暖化のツケは「3人のかみさん」のように、地球という店がかぶることになる。海面はせり上がり、島国は領土を減らすだろう。海のないハンガリーの人々が将来、はるか東の列島をこう記すことのないよう祈る。沈んでいなけりゃ、まだあるだろうさ。