2008年02月06日(水曜日)付
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きのうの本紙川柳欄の〈雪国にごめん都の三センチ〉に、思わずにやりとした。わずかな雪で交通機関は乱れ、転倒者が続出する。作者は埼玉の人らしい。雪深い地のたくましさを思い、いささかの自嘲(じちょう)を込めて詠んだとお見受けした▼思えば、雨や風に対する受け止め方は、日本中、そう違いはない。10ミリの雨は、どこに降っても「10ミリ」だろう。5メートルの風もしかりである。しかし雪は、暖地なら数センチでニュースになる。片や豪雪地なら、この程度はチリが舞ったほどでしかあるまい▼江戸時代の越後人、鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』には、雪の激しさと暮らしの労苦のさまが詳しい。〈されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興のたのしみは夢にも知らず〉。雪を恐れ、そして畏(おそ)れる心情を、言葉を尽くして説いている▼その雪を甘く見たのだろうか、冬の山から報道が相次いだ。長野のスキー場では、大学生2人が雪崩で亡くなった。広島ではスノーボーダー7人が吹雪の中で行方不明になった。こちらは幸い、全員無事に見つかった▼吹雪と雪崩は難儀の双璧(そうへき)だと、『北越雪譜』は言う。現代の管理されたゲレンデも変わりはない。まして一歩踏み出せば、豪雪に慣れ育った人々をも葬ってきた、ごまかしのない純白の世界である▼雪氷学の草分けだった中谷宇吉郎は、状況次第で様々に姿を変える雪を「天から送られる手紙」と呼んだ。それを悲しい手紙にしてしまってはなるまい。うっすら3センチの都会でも、白銀の招くスキー場でも、甘く見るのは禁物である。 |