|
|

楼主 |
发表于 2005-6-22 14:32:49
|
显示全部楼层
|
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
( q0 R7 G& y& z4 n- x2 N! S# S) e
2 G {) Y" Y" e$ [) M* z 陳勝、字は渉。河南省陽武県(今の登封県)の日雇百姓であった。あ: B4 o* x0 Z. E5 `/ f
る日、仲間たちとともに田を耕しているとき、陳勝はふと、鍬を投げす
1 N& I- n, @- u! f+ A: t1 gてて丘にかけ上がり、しばらく悵然として天を仰いでいた。彼の胸は、$ p, g: d- E8 T* \( l
秦の圧政に対する憤りと、自分たちのみじめな境遇に対する恨みとにふ- y$ \4 A) \6 X5 f7 G
さがれていた。しかしその裏では、彼の胸はまた、将来への野望に燃え
9 g+ Q/ a( E" I0 Y# r立っていたのである。やがて彼は、仲間の者たちをふりかえって口走っ, @* R0 n: C3 t9 ?7 N" b7 f$ H6 J
た。& s( A2 \3 L# j, }" j/ ~ Z8 e
% h" s% w+ n# k( u& V
「将来おれが出世をしても、お互いに忘れないようにしようぜ。」
% q. X8 K2 ^8 ~( s! B8 Q9 W 「なにをねぼけているんだ」と仲間の百姓たちは笑った、
5 e, E+ h% Y5 h5 y/ u 「お互いに日雇百姓じゃないか、出世なんてねごとはよせ。」/ R, w6 [5 g9 z: W
5 b) U. e! O8 g( @& ^& O6 ]& j. c 陳勝には仲間のその言葉がかなしかった。おれの気持ちは彼らには通
3 D: e$ d7 f3 h9 wじないのだ、と思うと、彼はため息をついて言った。; p9 w7 m6 x2 \3 F. {
! o/ Y8 [8 u1 J) H0 Y1 r0 s4 o
「ああ、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」
9 s/ M8 l+ O0 l; b4 a, n: p* d (燕や雀のような小鳥には、大鳥の大志はわからない!)
, C4 Q! e R1 f' m4 W6 X; N' b [' |' }+ Y/ J" m3 S
その陳勝は、秦の二世皇帝の元年(B.C.209)七月、河南の各県から" D' K* ~- N( \& j$ ~" g: _+ S
徴用されてきた九百名の貧農たちとともに、長城警備のために漁陽(河3 B% ?; ^% ~, x$ [8 j; F
北省密雲県)へ送られてゆく途中、安徽省の「き県」(今の宿県)の大
$ f1 F+ U4 `. }( b0 n- R5 W沢郷というところで、おりからの長雨にとじこめられていた。このあた
" ^6 d# i h+ b" y5 I0 Wりは淮河の支流が網の目のように走っている湿地帯で、雨が降るとたち; a+ o" M3 h5 J/ f; h$ f8 l
まち道が通じなくなった。徴用兵たちの漁陽に到着すべき期日は迫って
. Q4 E# ]6 S2 X& z; a1 t1 R$ l; Kいた。秦の軍法はきびしく、もし遅れたならば彼らは斬罪に処せられる
- e( z" a/ R3 P$ Bのだった。だが、大沢郷から漁陽までは三千里、今すぐ強行軍をしても
! U7 P/ M' s8 X, y; p期日までに着くことはすでに不可能であった。しかも徴兵官たちは終日% Y% G' a e& @" g& A7 _7 E
ゆうゆうと酒を飲んでいる。彼らには罪を逃れる便法もあるのだった。: {* q4 S6 h# q
/ [) Z( I: }; L' Z' r5 Q. y このとき陳勝は、同じく徴用兵の呉広とともに秦に反旗をひるがえす
! l Z0 w' W7 ^ことを证盲俊規凇⒆证鲜濉㈥栂谋h(河南省太康県)の貧農で、兵士/ i! q6 j) C1 R o
たちのあいだに人望があった。* I) |. i s M! c _6 H- r7 @
2 R+ A7 Z" {! l# y3 v+ o
陳勝と呉広とは、ひそかに兵士たちの不満をつのらせ、反抗心をあお, L# p$ o7 `8 a5 e3 |
り、また、彼らの迷信を利用して、魚の腹の中に「陳勝、王たらん」と
. _, r/ x' ], t* p朱書きした布切れを入れたり、陣営の傍の祠にかくれて狐の声をまねて
6 p- _( _: |' x8 j$ w A4 A5 C「大楚(楚は秦にほろぼされた彼らの祖国)興らん、陳勝、王たらん」1 `& {: |# S" f# j! }
と鳴いたりして農民たちの心を陳勝に引きつけながら、九百人の一隊が
# U- r7 o+ Y0 q0 Z3 I7 {ともに立ち上がるべき機会を待った。
8 v7 K @; j4 M5 \1 R" q- l : p/ J1 E5 E, `
やがてその時は来た。呉広は事をかまえて徴兵官を怒らせ、彼が剣を
( T+ r3 \5 f H5 {3 A, P/ H G' A抜いたと見るや奪い取って逆に徴兵官を斬り殺した。その時陳勝は兵士& {: J9 [! N" c6 u% j2 R
たちを静めて号令した。% J5 D5 \6 f2 W7 B( \/ T" ]/ L0 a
$ D: T2 ~( r1 W: g3 G6 q7 W- F 「おれたちの生きる道は一つしかない。
' ~% w6 H/ [: i! e) H: C T8 \ それは、おれたちを苦しめ通してきた秦と戦うことだ。
! b% s6 K+ o+ u: L, b おれたちの国をおれたちの力で興そう。! }7 h ^: S) L$ l r
おれたち百姓だけが7 V2 h" G9 Z B4 {3 o) ]$ H$ n
虫けらのように辱められていることはないのだ!」
, G: U$ @" K1 Y2 p" O6 e
) z$ e' I( y; i そして陳勝は声高く叫んだ。
$ _4 q( D5 n! \6 d+ ], t1 W
4 v8 x; B4 j# k( W+ ^. ~8 i& D 「王侯将相寧ぞ種有らんや」
( N$ S) v- V* M2 M( ] (誰も皆同じ人間ではないか!王侯にも将相にも皆なれるのだ!)5 A( |7 s2 j' f) N, R+ G% A
" l I$ m; b1 S% ?: |1 f
九百人の農民兵たちは、どっと喚声を上げて陳勝に応えた。こうして
- p$ N, f* T* H2 L大沢郷に蜂起した農民軍は、たちまち「き県」をおとしいれ、一軍は東
5 i* t6 `/ t1 M* c9 Y$ x" _+ \- r進して東城(安徽省定遠県の東南)に向かい、陳勝・呉広の主力軍は西
9 B( S. D3 `% _9 R進して陳(河南省淮陽)に向かった。長らく秦の圧政に苦しめられてき* E3 w9 @4 ~" q' }
た各地の農民たちは、みずから武装して陳勝の軍に加わり、陳に入城す
) v0 u; X0 |' Y: ^" @- {るころにはその兵力は数万に達した。陳勝は陳で王と称し、国号を張楚
; I# C4 u4 o5 |) I3 A(楚を大にするという意)と名づけて秦に対抗した。つまり、陳勝を首' R# A. C6 m2 l' ~; r9 }' D9 k
班とする革命政権が樹立されたのである。これは中国ではもちろん、世3 L) q5 v1 _) Y0 Z: E6 N
界史上最初の、そして大規模な農民蜂起であった。4 q9 P T5 _* g# a/ [, m
(『史記』陳渉世家)
, a4 k6 d. S+ {0 i; U
# F ~/ M) R5 |0 \1 h9 P, Q 事のはじまりを為すことを「陳勝呉広を為す」というのは、陳勝と呉
9 X& w) x( {; y! h# g広が大沢郷に立ち上がった、このことに由来する。 |
|