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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2008-8-27 12:40:42 | 显示全部楼层
2008年8月27日(水)付# o( [. f& I. ^, j

1 o4 O3 L1 W8 g# Z4 N 美食家の北大路魯山人は、料理哲学を様々な言葉で残した。〈どうしても料理を美味(おい)しくつくれない人種がある。その名を不精者(ぶしょうもの)という〉。魯山人が没する前年、この信念に挑むかのような商品が世に出る。熱湯だけで出来上がる「チキンラーメン」だ▼日清食品が世界初の即席めんを売り出して、おとといで丸50年になった。腹ぺこを3分で片づけるインスタント技術に、器いらずのカップ型も加わり、食の風景は一変した▼学生時代、仕送りの谷間を、チキンではなかったが即席めんが埋めてくれた。湯を切っためんに中濃ソースを絡めて焼きそば風にし、粉末スープは別に食す。妙な一汁一菜はしみじみうまかったけれど、袋にプリントされた「盛りつけ例」がまぶしかった▼貧乏学生がすがった即席めんは今、緊急援助に欠かせぬ品となった。各国メーカーでつくる世界ラーメン協会は、ミャンマー水害と四川大地震の被災地に計100万食を送った。きょうも誰かが湯を注ぎ、細く長く、命をつないでいるだろう▼世界で年に1千億食が消費されている。中心は中国で、日本の食文化が逆上陸した形だ。生みの親の安藤百福(ももふく)翁は「半世紀」を1年待てなかったが、発明品のグローバル化を見届けての大往生だった▼空(す)き腹にまずいものなし。この格言に、魯山人も異は唱えまい。即席めんのうまさは、万国、五感より腹加減で決まり、すすれば当座の元気は出る。逆境でこそ輝く一杯。食べ物が偏在するこの地球で、太く長く続きそうな「ハングリー」との二人三脚である。
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发表于 2008-8-28 09:08:04 | 显示全部楼层
2008年8月28日(木)付
' w, G/ R' ^! v  h+ ~
: f, J1 S& g1 ?2 E4 H# [; e! W アフガニスタンの民話に、千年を生きた大蛇が美しい娘に化け、カブール領主の妻に納まる物語がある。この地域、東西文化が豊かに溶け合った古(いにしえ)は美女の顔、戦火絶えない今は怪蛇の相であろう。その蛇が、青年の善意に見当違いの牙をむいた▼現地で農業支援をしていたNGO職員、伊藤和也さん(31)が殺された。政府・多国籍軍とイスラム武装勢力の抗争が続く壊れた国。最近は治安が一層悪化し、外国人を狙う犯罪が増えていたという▼伊藤さんが所属するペシャワール会は、一帯で20年以上も活動している。医師の中村哲さんを中心に病院や水路を作り、住民の信頼は厚い。伊藤さんは現地語を話す指導者として慕われ、たくさんの村民が捜索に加わった▼サツマイモ、お茶、牧草。青年が荒れ地に根づかそうとしていた作物は、来るべき平和を底から支えるはずだった。収穫は空腹を満たし、換金されて生活を豊かにする。「子どもたちが食べ物に困らないように」と汗を流したそうだ▼ご両親の悲痛、いかばかりか。一時流れた解放情報に、母順子さん(55)は「マグロの刺し身を食べさせてやりたい」と喜んだそうだ。好きで選んだ道ながら、人助けに行った息子に死ぬ理由はない▼撤収していればとも思う。だが、国を背負わぬ組織だからできることもある。ペシャワール会幹部は言い切った。「絶対に逃げない」。会の真価は〈誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする〉。夢半ばだったが、本物の国際貢献に身を投じた日本人を誇りたい。
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发表于 2008-9-1 12:32:36 | 显示全部楼层
2008年8月29日(金)付
/ B- s( Q$ m1 J  ?* m, p* b6 X  s; ]
 釣れた釣れた、さあ帰ろうという時に、水の底から「置いてけ~置いてけ~」の声。江戸に伝わる「置いてけ堀」だ。霞が関村の農水堀にも、昨年来、通りすがりの政治家があれこれと置いていった。地位に名誉、将来まで。あの声がまた、聞こえてきた▼農水相、太田誠一氏の政治団体が、家賃いらずの秘書宅を「主たる事務所」と届け出て、事務所費や人件費を計上していた。この支出に実体があるかどうかが問われている。氏を「育てる会」なる団体は、実のところ、どれほど育てたのか▼農水相といえば、安倍内閣で「政治とカネ」の鬼門だった。事務所費にしても、多くの政治家が釈明に追われた因縁の費目だ。それを踏まえたはずの、改造内閣の身辺調査。ザルどころか真ん中に大穴である。残り少ない信頼の水が、音を立ててこぼれている▼この際、太田氏は堂々と領収書を示し、歯切れよく説明してほしい。口が重い人ではない。中国製ギョーザの中毒事件では「消費者がやかましいから(国内対策を)徹底していく」と言い放った。そう、国民は政治家のカネ繰りにも余計な関心を寄せる、いや、やかましい▼耳を疑う「集団レイプをする人はまだ元気があっていい」は5年前。古傷の再録は本意ではないが、大臣という地位を得た後の「生傷」がいけない。選んだ人の眼力も怪しい▼「安心実現」内閣だという。民の心配ごとが山とある時、危機感を欠いた「慢心失言」内閣では、有権者からおいてけぼりを食らうだろう。秋風に乗り、政権末期のにおいが漂う。
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发表于 2008-9-1 12:33:06 | 显示全部楼层
2008年8月30日(土)付
- x3 Q- n3 P+ }
& R9 a3 ^  r3 T5 ~' S2 w. `5 \5 O+ } 感激も演技もてんこ盛りの、いい笑顔だった。最初の黒人奴隷が北米に運ばれて4世紀、同じアフリカ系の血を引く政治家が、とうとう米国の頂に手をかけた。民主党が大統領候補に指名したオバマ氏。激しい予備選が技に磨きをかけたのだろう。受諾演説に、無用の高ぶりは見られなかった▼「変化はワシントンからは来ない。ワシントンに向けて起こる」「後戻りはできない。未来へ行進しよう」と全米に訴えた。45年前のワシントン大行進で、黒人解放の父、キング牧師が「私には夢がある」と語りかけた、まさに同じ日だった▼牧師は、暗殺される前年の遺著『黒人の進む道』(猿谷要訳)で、「確信と信頼に基づいて」「熱狂的声援をおくれる」黒人政治家を渇望した。そして「その人は白人の政治的な会議のなかでも……尊敬をもって扱われるであろう」と見通した▼オバマ氏は牧師が思い描いた「奴隷の子孫」ではない。父はケニアからの留学生、母は白人。ハーバード出のエリートでもある。「分類」の難しい来歴は、強みにも弱みにもなろう▼党大会の直前、氏の暗殺を企てたとして白人3人が捕まり、ライフルや弾が押収された。キング牧師の夢が現実に近づくほど、時代を逆に回す力も強まりかねない。米国史をかけた挑戦なのだと実感する▼あらゆる障壁、妨害を乗り越え、褐色の手で頂を引き寄せるのか。スタジアムを埋めた8万の歓喜に肌の色の別はない。人種の壁をめぐる長い長い絶望と夢の果て、「異色」を背負う47歳が、最後のコーナーを抜けた。
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发表于 2008-9-1 12:33:22 | 显示全部楼层
2008年8月31日(日)付
# H) i+ D" C; ?% }
& D; e& n; M; n 北京での「平和の祭典」にわいた夏、戦争を語り、平和の重みを訴える人々の姿が日本の各地にあった。忘却を拒み、風化にあらがって、未来を見つめる8月の言葉から▼広島の原爆の日、山口県下松市の集会に野坂清子さん(79)は姿を見せた。市原爆被害者の会の会長を務め、毎回参加している。「私たちにはもう何もできません。ただ体の続く限り、こうやって集会に出るだけ。あの日を風化させないように」▼横浜市に住む成田富男さん(78)は、自作の紙芝居でシベリア抑留の苦難を伝えている。40枚の絵をめくった後、「日本に帰ってうれしかったのは、戦争をしない国になっていたことだった」と話を結んだ▼細菌戦で知られる731部隊の隊員だった千葉県の篠塚良雄さん(84)は各地で証言集会を開いてきた。「部隊にいたころ、考えることをやめていた。自分の行動の意味を考えれば気が狂ってしまう」。自分たちがしたことを闇に葬るわけにはいかない。そんな一心で全国に足を運ぶ▼盛岡市の駒井修さん(70)の父親は、捕虜虐待の罪で戦犯として処刑された。息子として謝りたいと昨夏、被害者の元英兵に会い、手書きのカードを渡された。「過去を悔やみながら振り返らないでください。二度と帰ってこないのだから。現在を賢く改善してください。未来に向かって恐れず進んでください」とあった。重い言葉を胸にこの夏、戦争を語る活動にいそしんだ▼世代を超えて悲劇を受け継ぎ、平和を守り継いでいく。戦後生まれの責任を、夏逝く空にあらためて思う。
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发表于 2008-9-1 12:34:35 | 显示全部楼层
2008年9月1日(月)付
  y, m( ~5 s% A* c- T$ G
$ a+ L7 j& N/ f8 y' {1 D 東京の下町、谷中(やなか)には広い墓地がある。昨年亡くなった日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーさんはその散策を好んだ。散策するうち、あることに気づく。〈大正十二年九月一日と昭和二十年三月十日に死んだ人々の墓がいかに多いか〉と、随筆集『谷中、花と墓地』(みすず書房)に書き残している▼前者が関東大震災、後者が東京大空襲なのは言うまでもない。片や天災、片や戦災の違いはあるが、どちらも東京を炎で包み、壊滅的な被害をもたらした。その天災から85年経(た)ち、きょうは「防災の日」である▼天災は忘れたころにやって来る、と戒めに言う。だが、このところの列島は、忘れる暇もないほどに、地震、竜巻、水害――と見舞われ通しの感がある。数日前も東海や関東が記録的な豪雨に襲われた▼「何十年も住んでいるが、こんなのは初めて」と、被災した人はしばしば口にする。きのうまでの無事も、きょうの安全を保証してはくれない。自然はときに、想像を超える無慈悲な牙を我々にむく▼世界でも、中国四川省の大地震、ミャンマーのサイクロンと大災害が相次いだ。そのせいもあってか、本紙の読者アンケートでは、いつになく防災意識が高まっている。「他人事(ひとごと)ではない」が、昨今のキーワードらしい▼関東大震災の後には、「この際だから」が流行語になったという。諸事を見直したり、改めたりする枕詞(まくらことば)のように語られたそうだ。夏が過ぎ、台風の季節はもって本番。この際だから、身近な防災策を見直して、万が一に備えるとする。
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发表于 2008-9-3 13:59:56 | 显示全部楼层
2008年9月2日(火)付% h) l/ l3 c$ q; F- a/ ]& u8 K

0 {: |7 P1 C. x 〈谷川の岸に小さな学校がありました……さわやかな九月一日の朝でした〉と、宮沢賢治は書き出す。夏休みが終わって子どもたちが登校してくる。そして教室の机に、赤い髪の転校生がぽつんと座っているのを見つける▼山の子らは、突然やってきた都会風の転校生に驚いて泣き出してしまう――ご存じ『風の又三郎』の冒頭である。名作を思い出しながら、きのうの夏休み明け、突然いなくなる先生に泣く子はいなかったかと心配した。こちらは大分県の学校の話だ▼この春から教壇に立っている21人が、不正に合格したとして採用を取り消される。うち1人はすでに、夏休み中に辞職した。ショックを受けた子もいるだろう。さわやかさとは程遠い2学期の始まりである▼去った担任に、ある児童が「またこの学校に帰ってくるもんね」と手紙を書いたと聞いて、胸が痛む。自主退職は明日が期限だが、だれも自分では口利きを知らなかったという。周囲と教委の罪は小さくはない▼9月1日の教室には、夏と秋がゆきあうような、不思議な空気がある。子ども心にも夏の終わりは寂しい。そんな感傷を先生の姿と声が断ち切って、新しい学期への意欲がさざめき出す。子どもの季節を回すのに、先生はなくてはならない存在だろう▼『風の又三郎』の先生も、〈むかしから秋は一番からだもこころもひきしまって、勉強のできる時〉だと話して、季節を回した。不正のウミを出し切りつつ、子どもたちへの影響を最小限にとどめる。県教委に課せられた前代未聞の宿題である。
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发表于 2008-9-3 14:00:27 | 显示全部楼层
2008年9月3日(水)付/ L6 n' Y) d  t- q
, d9 G7 u. f4 M
 運動会の季節、福田首相の辞任に「棒倒し」が浮かぶ。小沢民主党が揺さぶるのは当たり前だ。だが気がつけば、味方のはずの与党は、棒を守る手を休めている。休めるばかりか、揺さぶりをかける者までいる▼〈みづすまし味方といふは散り易(やす)き〉鷹羽狩行。だれを味方として頼みうるか。深い孤立感と閉塞(へいそく)感があったのだろう。民意にもそっぽを向かれたきりだ。むざむざ倒される前に、というのが父親に続く「二代目宰相」の美学だったかもしれない▼執拗(しつよう)を嫌う淡泊さを、哲学者の和辻哲郎は名著『風土』で日本人の美質と見た。だが潔いあきらめは、時と場合によっては無責任の別名になる。自身が好んで口にした「国民の目線」から見れば、辞任は無責任と呼ぶほかはない▼安倍前首相の辞任のとき、小欄は「平沼騏一郎を思い浮かべる」と書いた。戦前、「欧州の天地は複雑怪奇」と言い残して8カ月で政権を投げ出した人だ。今度は歴史をひもとく必要もない。1年に2度もの騒動は、世襲議員の多い政治のひ弱さを示して余りあろう▼佳境の米大統領選を思う。徹底的に吟味され、食うか食われるかの長丁場を経て権力の座につく。タフでなければ勝ち上がれない。そして、国民の投票で選ばれたという正統性に、4年の任期は支えられる▼海の向こうの民主主義の光景に、わが政界をかえりみる。もうこれ以上、与党が民意を問わずに権力の座にしがみつくことはできまい。敵も味方もガラガラポンの解散・総選挙で、立てるべき「棒」を決めるのは国民である。
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发表于 2008-9-5 09:33:59 | 显示全部楼层
2008年9月4日(木)付
7 K3 I7 C" V% ^/ U* ]4 K
1 g- L, F) t' w 「鉄の女」でさえ、と言うべきか。英国のサッチャー元首相が認知症との報道に、時の流れを感じる方もおられよう。国を率いた現役時代、彼女は政治について、「予期しないことが起こると、いつも予期していなければいけない」と言っていた(『政治の品位』内田満)▼日本で言う「一寸先は闇」だろう。ところで今回、福田首相の政権投げ出しが、かの人にもその寸言どおりだったかどうか、気にかかっている。麻生太郎自民党幹事長のことだ▼ひと月前、福田氏に熱望されて幹事長役を受けた。そのときすでに「福田後」のやりとりがあったそうだ。2人が「あうん」の間柄になっていたと聞けば、やはり国民より党利党略、何が安心実現内閣か、と不信感はいや増す▼総裁選の日程は、まるで計ったようだ。告示から選出まで、先に決まっていた民主党の代表選に、皆既日食のように重なる。女性候補も出馬をめざす「自民劇場」に対し、「民主座」は地味な一人芝居になるらしい。前者の影に後者はかすむ。そんな見方がもっぱらだ▼政治を巡る寸言は古今に多く、「政治とは妥協の芸術」というのもある。妥協と言えば聞こえは悪いが、折り合える最善の解決を見いだしていく営み、ということだろう。首相ともなれば、強靱(きょうじん)なリアリストにしか務まるまい▼「再選されることばかり考えていると、再選に値するのが難しくなる」も味わい深い。毎度の「政策より政局」では期待もしぼんでしまう。「再選」を「政権維持」に置き換えれば、与党の標語にもなるだろう。
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发表于 2008-9-5 09:34:21 | 显示全部楼层
2008年9月5日(金)付
/ q: `. p& _+ a. t. ]- R/ u) I! I+ k2 P, v+ K" f( Y) i( D# Z9 `7 P
 1904年に米国のセントルイスで第3回のオリンピックが開かれた。そのマラソンは「キセル事件」で歴史に残る。へばった選手が通りがかりの車に乗って先へ行き、再び走り出して先頭でゴールした▼さすがにバレて失格になった。本人は冗談のつもりだったらしいが、「メダルを盗もうとした」と非難され、競技から追放されてしまったそうだ。フェア精神には背くが、どこか憎めない失格でもある▼現代の失格は、主にドーピングで起きる。北京五輪のハンマー投げで2位と3位の選手が失格する可能性がある。その場合は、5位の室伏広治選手が銅メダルになるという。昨日からメディアが伝えるニュースは、しかし、朗報とばかりは言えない▼前回アテネでも、室伏選手は1位の失格で金メダルに繰り上がった。再び、となれば選手個人にとどまらず、「メダル泥棒」の横行する「治安の悪い」競技という印象を与えかねない。フェアに戦う選手たちにはつらいことだろう▼検査と新薬物のいたちごっこ。ついには遺伝子まで操作する「遺伝子ドーピング」など、不正は人間の身体深くへ潜行しつつある。「薬」の字源は呪術師の振る鈴ともいう。北京の感動をくれた選手すべてが、鈴の音の誘惑に打ち勝っていたと信じたい▼ところで冒頭のマラソンは、キセル男に次いで「2位」に入った選手が優勝した。この選手は、いまで言う「ドーピング常習者」だったらしい。このときも、酒と興奮剤を飲んで走ったそうだ。スポーツと薬物の関(かか)わりは、かくも古くて新しい。
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发表于 2008-9-8 07:59:09 | 显示全部楼层
2008年9月6日(土)付" r- v* H0 y2 P% L' g* y
: G) c  z. W7 U% m! W- T6 I, }
 映画の故・黒澤明監督が「羅生門」のあとに作った映画の評判は、散々だった。「当分は冷や飯を食わされる」と覚悟を決め、憂さ晴らしに川へ釣りに出かけた。ところが、何かに引っかけて糸がぷつりと切れる▼仕掛けの予備はない。ついていない時はこんなものかと帰宅すると、奥さんが飛び出して来た。ベネチア国際映画祭で「羅生門」が最高賞を取ったと知らされる。自作が参加していることさえ知らなかったと、自伝につづっている▼歳月は流れて、今年のベネチアにも「日本の風」が吹く。最高賞を競う部門に3作品が招かれた。北野武監督「アキレスと亀」、宮崎駿監督「崖(がけ)の上のポニョ」、押井守監督「スカイ・クロラ」である▼宮崎、押井作品はいまや日本のお家芸のアニメ映画だ。わびしく釣り糸を垂れた黒澤と違い、3人とも現地入りして、自作のお披露目に会見にと忙しい。前評判は良いと伝わっている▼3本はどれも、監督の哲学や技量に裏打ちされた深い世界がある。しかし国内を見渡せば、そうした作品ばかりではない。いま作られる多くは、ベストセラー本や人気テレビドラマの映画化なのだという。海外での評価の一方、邦画全体の底は案外浅いのが実情らしい▼生前の黒澤も、邦画の商業主義に辛口の意見をしていた。そして晩年まで、「まだ映画が何かよく分かっていない」と口にした。映画人にとっては永遠の問いに違いない。きょうは没して10年の命日。そしてベネチアの賞はあす発表される。金獅子のゆくえを見守っていることだろう。
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发表于 2008-9-8 07:59:37 | 显示全部楼层
2008年9月7日(日)付( X  w$ }" Q- s7 k, c

. M$ F" P2 w; T  M5 @/ e2 i 大相撲初のテレビ中継は、NHKの本放送開始から3カ月後の1953(昭和28)年5月16日だった。その日、北海道の洞爺湖畔で、農協職員に男の子が生まれた。後の大横綱にして日本相撲協会の理事長、北の湖である▼テレビ史に刻まれた夏場所の優勝は平幕の時津山がさらうが、「栃若」時代が始まろうとしていた。「柏鵬」から「輪湖」「若貴」へ、北の湖の半生は大相撲の隆盛と重なる。大衆化を担ったそのテレビが昨今、「土俵の外」ばかりを映している。画面の真ん中に、理事長の渋面がある▼露鵬と白露山の兄弟力士に、大麻吸引の陽性反応が再び出た。先に解雇された若ノ鵬に続き、ロシア出身の関取ばかりが同じ「決まり手」で転がるのか。秋場所を1週間後に控え、相撲協会は土俵際だ▼あろうことか、白露山の師匠は理事長その人。不祥事のたびに口をついた「師匠の責任」が、今度は自らの首をしめる。こういう時の無口や仏頂面は、公益法人のトップに似合わない▼辛口で知られる横綱審議委員、内館牧子さんは5年前、理事長と対談した後で「とても頭のいい方です」と書いた。「出るべきところと引くべきところ」を熟知していると▼現役時代は大きいのに速く、憎らしいほど強かった。自ら「引退が近い」と察したのは、最後に優勝した84年の夏場所、場内に「頑張れ」の声援が飛んだ時だという。13歳で入門し、土俵一筋。慣れない説明責任を求める声の中、小さくなってサウナに通う姿は哀れさえ誘う。間違いなく「引くべきところ」である。
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发表于 2008-9-8 07:59:55 | 显示全部楼层
2008年9月8日(月)付5 H+ G  L: n, D0 f' C
  I9 R; k7 ^) w. j) m5 [
 学生運動がしぼみ、田中角栄内閣ができた1972年、テレビ界はフジ系「木枯(こがら)し紋次郎」の人気にわいた。主人公はニヒルな渡世人、レギュラーは紋次郎役の中村敦夫さんだけという異色の作品だ▼大阪の朝日放送は、同じ「反体制」時代劇でも、主役級を複数にしてこれに挑む。〈晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消す〉の語りで始まる「必殺仕掛人(しかけにん)」である。商売として悪を葬る話は批判もされたが、視聴率は紋次郎を抜き、後のシリーズ化につながった。多くの役者の絡みがツボにはまると、「1+1」が3にも4にもなる▼政局の算術も同じだろう。きょう告示の民主党代表選は、しかし、足し算のしようがない小沢一郎氏の独演らしい。この現職、剛腕で鳴らすが、紋次郎ほどの新味はない▼かたや幕が開きかけている「自民劇場」は、複数も複数、麻生太郎氏を軸に老若男女が絡む「群舞」の様相だ。腕より華を見せ、「計画倒産」の声まである政権投げ出しをちゃらにする魂胆とみえる。この党の、瀬戸際の生命力には恐れ入る▼政治ショーはもういい。せめて、新総裁をめざす諸氏は政策論を戦わせ、勝ったら必ず小沢代表との党首討論をお願いしたい。この秋の騒動を、「次の次の首相」を品定めする機会と考えよう▼まごうことなき政治の節目である。「晴らせぬ恨みを……」と思い詰めることもないが、ここで「あっしには関(かか)わりのねえこって」と、紋次郎を気取ってはいけない。すぐそこに総選挙という、国民の「ワンマンショー」が控えている。
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发表于 2008-9-9 11:22:49 | 显示全部楼层
2008年9月9日(火)付0 x2 M! \$ L; z. T- |" a

8 x( I, n7 T3 D5 q9 H 先ごろ小欄で触れた哲学者の和辻哲郎は、日本の風土の特徴として「湿気」を重く見た。朝霧や夕靄(もや)、たなびく霞(かすみ)など、湿潤な大気の濃淡は、日本人の情緒に深く結びついてきたと考察している▼霧の中から現れる川舟。おぼろに潤む月――。ものの輪郭をぼかす湿潤は、季節季節に日本人の琴線をかき鳴らしてきた。とはいえ、暑い季節の湿気は風雅とはいかない。このところ列島には湿った空気が流れ込み、関東以西は蒸し暑さが居座っていた▼しっとりなら風情だが、じっとりは不快である。その天候が昨日から変わった。大陸の高気圧が乾いた空気を連れてきた。まだ真夏日の所もあるが、物陰は涼しく、心なしか空も高い▼〈夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ〉と古今和歌集にある。二つの季節が行き交う空を「ゆきあいの空」と呼ぶ。体ひとつで暑さに耐えるしかなかった古人は、秋が夏を追いやる日を待ち焦がれたことだろう▼『徒然草』の兼好法師は、季節の推移に万物の流れる姿を見た。〈春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通い……〉。同様に、死はすでに生の中にひそんでいると、哲学的な思索もめぐらせる▼さて人の世に目を転じれば、政界も、自民と民主の「ゆきあい」の風景だ。夏が生き残るか、秋が勝つか、天下分け目だろう。そして角界には、秋風どころか嵐が吹きすさぶ。事が事である。霞よろしく責任をぼかす逃げ技は今度ばかりは使いようもなかった。
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发表于 2008-9-10 08:44:12 | 显示全部楼层
2008年9月10日(水)付  ]2 Q+ B# y( A( N+ T/ A% I) |

( g3 W" h/ x/ _7 {6 h7 { 福田首相は能が好きかどうか知らないが、世阿弥の書いた能楽の秘伝書『花鏡(かきょう)』に「離見(りけん)の見(けん)」という言葉がある。舞台で舞う自分を見物人として冷静に眺める、もう一つの目が必要という意味だ▼「自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違う」と辞任会見で見えを切った福田さんは、だから能役者向きかもしれない。ならば辞任表明後、記者団の「ぶらさがり取材」に1週間も応じなかった沈黙は、自身の目にどう映っていたのだろう▼国民に意思を伝える機会を、自らつぶしてきたことになる。おととい久々に姿を見せ、だんまりの理由を「(自分の発言で)政治の情勢が影響されてはいけない」からと述べた。この「政治の情勢」は、翻訳すれば「政局」にほかなるまい▼つまり「党利によろしい環境」であって、国民のための政治ではない。思惑含みの辞任を質(ただ)されたくないのだろうが、「首相」のバトンはまだその手にある。あとは野となれと、国政への責任を忘れてもらっては困る▼福田さんが総裁に選ばれた時、小欄はやはり世阿弥の『風姿花伝』から一節を引いた。「たとえ跡取りでも、不器量の者には奥義を伝えるべからず」。そして増えつつある世襲政治家の志や責任感を案じた。1年たって、不安は当たったようである▼「一寸先は闇」は何も政界の専売ではない。災害あり、経済不安あり、国際問題あり。国民生活のいたる所で、あす何が起きるやも知れない。総裁選の祭りに浮かれず、最後まで褌(ふんどし)を締めてかかるのが、せめてもの奉公だろう。
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