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 发表于 2008-9-9 11:22:49
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| 2008年9月9日(火)付/ }' L  Z' {) B& E7 ? , b" _4 Q) g$ h5 W- H, D$ u; Z
 先ごろ小欄で触れた哲学者の和辻哲郎は、日本の風土の特徴として「湿気」を重く見た。朝霧や夕靄(もや)、たなびく霞(かすみ)など、湿潤な大気の濃淡は、日本人の情緒に深く結びついてきたと考察している▼霧の中から現れる川舟。おぼろに潤む月――。ものの輪郭をぼかす湿潤は、季節季節に日本人の琴線をかき鳴らしてきた。とはいえ、暑い季節の湿気は風雅とはいかない。このところ列島には湿った空気が流れ込み、関東以西は蒸し暑さが居座っていた▼しっとりなら風情だが、じっとりは不快である。その天候が昨日から変わった。大陸の高気圧が乾いた空気を連れてきた。まだ真夏日の所もあるが、物陰は涼しく、心なしか空も高い▼〈夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ〉と古今和歌集にある。二つの季節が行き交う空を「ゆきあいの空」と呼ぶ。体ひとつで暑さに耐えるしかなかった古人は、秋が夏を追いやる日を待ち焦がれたことだろう▼『徒然草』の兼好法師は、季節の推移に万物の流れる姿を見た。〈春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通い……〉。同様に、死はすでに生の中にひそんでいると、哲学的な思索もめぐらせる▼さて人の世に目を転じれば、政界も、自民と民主の「ゆきあい」の風景だ。夏が生き残るか、秋が勝つか、天下分け目だろう。そして角界には、秋風どころか嵐が吹きすさぶ。事が事である。霞よろしく責任をぼかす逃げ技は今度ばかりは使いようもなかった。
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