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发表于 2008-11-30 22:41:42
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2008年11月26日(水)付
# J" w5 @. J* p, J7 n) G' t% ]〈堪忍のなる堪忍は誰もするならぬ堪忍するが堪忍〉は、人生訓をうたう道(どう)歌(か)の中でもよく知られている。その教えが昨今はあやうい。誰もするはずの堪忍さえできず、ささいなことで堪忍袋の緒を切らす人が、世代を問わずに増えている。
, g: C9 _! ^* E' _' W2 a. A当節は「キレる」と表記される。本紙の記事には17年前に初登場し、10年前から急に増えた。キレる人が増えたから言葉が広まるのか。言葉が広まってキレる人を誘発するのか。いらだつ空気は世を覆って、募るばかりに感じられる。
, h) u( {4 n: R% M1 P* \# k2 ~そんな社会から、学び舎(や)だけが例外とはいかないらしい。「子どもの暴力」に手を焼く学校の実情が、文部科学省の調べで浮かび上がった。感情を抑えられずに暴発する子が、こちらも増えている。$ B" T7 X" _4 [& W7 c9 k
机を投げる(小学校)、はさみで同級生の背中を刺す(同)、すれ違いざまに肩がぶつかってけんかになる(中学校)……。いらだちというガスに、他人への非寛容が導火線になって火がつくことが多いようだ。 A+ U, F, I7 P8 L l- p
先日の本紙で、歌人の俵万智さんが、電車内で耳にした会話を語っていた。誰かとメールのやり取りでトラブルがあったらしく、「そのときばかりは頭に来て、面と向かって電話したよ」と言っていたそうだ。
) ^, L' a9 a: x0 d電話では「面と向かった」ことにはなるまい。なのにそう思うほど、メールや仮想空間の浸透で、友達同士が話さずに付き合う世界が広がりつつあるのだろう。そうした中で自意識ばかり肥大すれば、寛容はますます失われないか。堪忍袋の緒が細った社会は、子どもにも大人にも生きづらい。 |
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