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发表于 2009-1-22 10:43:58
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2009年1月18日(日)付0 `, [3 ]/ t' C, [5 W
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' B8 T1 l+ U5 u d5 S7 s 生まれて初めて、東京大学の本郷キャンパスに立ち入った。昭和史の舞台の一つ、安田講堂の前に立つ。逸話の重さ、残像の激しさのためか、焦げ茶の建物は意外に小さく見えた▼40年前のきょう、講堂を本丸にして構内に立てこもる学生約700人の強制排除が始まった。出動した機動隊は8500人。学園紛争の天王山、2日にわたる安田講堂攻防戦だ▼学生の演説と警察の退去警告、上空の取材ヘリ。講堂に向けて催涙弾と放水、逆の弾道で火炎瓶と投石が飛び交った。警視庁の担当課長として現場を指揮した佐々淳行(さっさ・あつゆき)さんは、それらが織りなす音の渦を「交響曲不快」と表現する▼先々の不利益を承知でとどまる学生らは、命がけで職務にあたる機動隊員に必死で抵抗した。講堂に籠城(ろうじょう)した島泰三(たいぞう)さんの著にある。「人生の暮れ方に至っても、私は後悔していない。歴史のひとつの局面で、果たすべき義の一端を担うことができたのは、わが人生の欣快(きんかい)である」▼賛成の代わりに「異議なし!」、反対と言わず「ナンセンス!」。全共闘の運動を革命ごっこと嘲(あざけ)るのは楽だが、ベトナム反戦でも大学改革でも、時代と社会に向き合う一途さはまぶしい。その「熱いバトン」を落とした世代の、勝手な感傷だろうか▼テレビの特番で、佐々さんが昨今の青年の冷めようを案じていた。「若者は怒らなきゃ。40度は困るが38度くらいの熱は出してほしい」。あの週末と同じ冬晴れの構内を、センター試験の受験生が埋める。「果たすべき義」に出会える日々、彼らにありやなしや。 |
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