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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2004-8-2 05:35:24 | 显示全部楼层
08月02日 ' m( s8 D& H+ H8 d/ j( {: [
; a+ F! n8 Q- n( Q
 夏の音というと、まずセミの鳴き声を思い浮かべる。騒々しい音とはいえ、夜になれば静まるし、秋風とともにやがて消えていく。騒がしさのなかに移ろいのはかなさを秘めている。 % c7 [* m1 Q2 j. r! G

/ K2 f5 F% I8 a5 X0 u% Q 風鈴はどうだろうか。音で風を知り、涼しさを感じる。昔の人の知恵である。こちらは、ときおり微風に揺れて、ちりんと澄んだ音を響かせる。それくらいが好ましい。騒がしく鳴り続けては興ざめだろう。実際、近隣騒音として苦情の対象にもなるらしい。〈風鈴の鳴らねば淋し鳴れば憂し〉(赤星水竹居) 4 y9 Y. C8 S+ j1 p! s7 g

% a2 x# k! k" m5 d( p 風鈴は、涼しさだけでなく、怖さにつながることもある。静まりかえっているなかで不意に聞こえてくると、ぞくっとさせられる。不吉な使者の到来を思わせるときがある。〈ま夜中の風鈴が鳴るおそろしさ〉(萩原麦草) & r% `! C  M# l1 c0 d

# Z' e" a/ x: s セミの鳴き声は、アブラゼミの暑苦しいジージー、降り注ぐようなクマゼミのシャーシャーなどいろいろ形容されるが、こんな表現もある。〈母逝き四十九の昼すぎぬ呪(じゆ)といひて幹をはなるるつくつく法師〉(岡井隆)。四十九日の法要の午後、法師と名のつくセミが「呪」と鳴いて飛び去る象徴的な光景だ。 # _% C: H  p' i8 o5 r; }$ [

2 t& a& z* X/ w0 K 長い地中生活を終えてわずか1、2週間、地上で鳴いて命絶える。セミの一生への共感もあって、人々は自分の思いをさまざまに託す。 7 H6 s1 l1 {* _  C- w

! C% l& j1 ^7 N+ ? 〈蝉時雨(せみしぐれ)子は担送車に追ひつけず〉(石橋秀野)。結核を病んだ彼女は壮絶な闘病生活の末、戦後まもなく38歳で亡くなった。ベッドに横になって撙肖欷胱苑证柔幛瞬肖褂鬃印ⅳ饯筏匹互撙筏挨欷趣Вà剩─筏懁ⅳ~唱だ。
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发表于 2004-8-3 05:11:39 | 显示全部楼层
08月03日$ V, Y6 ]& _4 |$ R) i

1 b% y7 L7 t0 U3 ~ 4 y% \9 r; K  c) _5 W# F
 「戦争が起きるのは、二つの国が互いに相手を誤解するからである。異なった民族同士を隔てている諸々(もろもろ)の偏見が根絶されるまでは、我々は平和を手にすることができないであろう」。近代五輪の父クーベルタンは、アテネで第1回大会が開かれた1896年に、こう書いた(『オリンピックと近代』平凡社)。 7 {2 `$ q( h5 N# J3 P

. S+ }! k) }- g0 S: I そして平和を手にするために「あらゆる国の若人を定期的に一カ所に集め、肉体の力と敏捷(びんしょう)さとを友好的に競わせることほど有効な手段が、ほかにあろうか」と続ける。教育家らしい思いがにじむが、1935年には大会が「単なる見世物芝居、無意味なスペクタクル」になりかねないと憂慮していた(『世界を映す鏡』平凡社)。 1 i% H" I' ^. s6 s6 l6 M5 l8 x

  h/ h3 F, L, \* m& l  U% v それ以前に、こう語ったとも伝えられる。「もし輪廻(りんね)というものが実際に存在し、再びこの世に生まれてきたら、わたしは自分が作ったものを全部こわしてしまうであろう」(『続・オリンピック外史』ベースボール・マガジン社)。肥大する五輪が、金や薬や政治にまみれるのを見通していたのか。
, N& _# o+ R& E4 E. B
9 f. o& i5 R0 U: i; }/ U アテネでの2度目の五輪が10日後に迫った。空を仰ぐ迎撃ミサイルは、五輪の新断面だ。シドニー大会以後、世界は9・11テロと二つの戦争を体験した。イラクでは戦闘が続く。古代オリンピックに倣って休戦しようにも、相手が定まらない。
5 ]1 M( Z9 b) S6 f5 t3 {
* b' [& n' R4 }4 }5 S# t% f  H. L 仮に今年の大会が米国での開催だったとしたら、参加をためらう国はないだろうか。そもそもイラクへの先制攻撃は、あの通りに行われたか。 7 y  _$ j4 I4 T. M

$ ~$ d/ X( A) L2 h$ \4 n 大会の平穏を願いながら、現実とは少し違った歴史を思い描いた。
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发表于 2004-8-4 04:58:33 | 显示全部楼层
08月04日 8 V! r' S2 b- E, g6 c
  \/ e4 I) a1 s4 L
 体感としてはもう十分すぎるほど知っている。それを数字で知らされると、暑いというより、熱い。6、7月の平均気温は、東、西日本とも観測史上最高となった。この100年で東京の年平均気温は3度も上がった。都会では、健康の上からも、夏休みの重みが増している。 , H8 [* p" r+ i% N' Z2 T* l

' j3 N* k: y1 h2 W4 Y 今よりはしのぎやすかったはずの19世紀末、明治22年の夏休みのことである。第一高等中学校の生徒だった数え23歳の夏目漱石は、8月7日から30日まで千葉・房総へ友と旅した。直後に書き上げた紀行文が「木屑録(ぼくせつろく)」である。
/ h% E2 f  B! u" `3 v
$ a, u  I. L7 p 「余児時誦唐宋数千言喜作為文章……」。すべて漢文で、中国文学者の吉川幸次郎さんは「おそらくは明治時代の漢文としてもっともすぐれたものの一つ」と評したという。
- a# T- K+ G/ ]# i0 v$ N, Y5 `- `" y: X4 H4 i
 『漱石の夏やすみ』(朔北社)で高島俊男さんの独特の訳を読む。「我輩ガキの時分より、唐宋二朝の傑作名篇、よみならつたる数千言、文章つくるをもつとも好んだ」。漱石青年の心意気が見えるようで面白い。「これを木屑と命名せしは、お粗末無用のものたることを、ことさら表明するためである」
' c; j# O8 M! `7 x! m0 u5 j, l+ N# ?- ]$ v  i8 C2 Z7 c
 100年前の今頃には、12歳の龍之介君が「暑中休暇中の日誌」を書いていた。「八月三日 曇小雨/いやなまつくろな雲が二つ三つ北の方にあたまを出したと思ふともう空一面にひろがつて まるでうすゞみの様な色になつたので 楽しい水泳も出来ず 復習と読書とにふけりました」(『芥川龍之介未定稿集』岩波書店)   k# A3 ~* A! n5 a! \1 h' W
9 a3 `( T( l' F. B, M
 これからが、夏休みの盛りだろうか。それぞれの一夏(ひとなつ)が刻まれる季節でもある。
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发表于 2004-8-4 20:51:33 | 显示全部楼层
干嘛都这样啊。
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发表于 2004-8-5 05:49:05 | 显示全部楼层
08月05日
$ Y3 e, g" A) Q: z9 ~6 q
* k2 m& q/ o2 S 地中に埋まってしまったこともあった。大津波をかぶったこともある。いずれも映画や小説の中での出来事だが、異常な事態に襲われるニューヨークの自由の女神像は、米国や地球の破滅の象徴のように描かれてきた。 6 b+ S2 b+ m0 J) b3 s3 B" m# o

2 M& z$ o! E% w5 k  x. _ 9・11同時多発テロという異常事態で中断していた女神像の内部観光が、約3年ぶりに再開された。以前は入れた像の本体は閉鎖中で、行けるのは台座までというから、足元までの復活である。
9 p$ T* J! Z( M7 Z
5 I. n0 S) K7 ]6 ~; K2 W1 h 「米国ベットロー島に建設したる自由神が、燭を執りて世界を照らす銅像は、世界第一の大像にて、建設当日の式はいと厳(おごそ)かに行われ(略)定めし奇観なるべし」。米国の独立100年を記念し、仏国民から友好の印として贈られた女神像が除幕された1886年の「東京日日新聞」の記事だ(『「自由の女神」物語』晶文社)。 9 K$ u" p0 n0 ?3 w" b
8 O! Z( i- T9 c, Q8 {& ]
 やがて像の近くのエリス島に移民の入国を審査する施設が置かれ、千数百万人が通過してゆく。人々がふり仰ぐ女神像の台座には、19世紀の米国の詩人エマ・ラザラスの詩が刻まれた。「もの言わぬ唇もて彼女は叫ぶ……我に委ねよ 汝の岸辺にうち棄てられ/倦み疲れ 貧しさに喘ぎ/自由に焦がれて 群なす汝が民を」 9 q7 m! p& n3 D* M: `9 Z. Q
' j4 S  b- g" n+ b/ T" {
 像に近づいてみると、左の足はまっすぐだが右足は違うと分かる。曲げて後ろにけろうとしている。一歩を踏み出そうとする姿が、新天地を目前にした往時の人々の一歩と重なって見えた。
9 O0 I, h$ I, c5 |0 J  @$ M8 o5 a' ]" R& `. O3 {7 @
 9・11以降、米国は武力に訴える方向に大きく踏み出したかに見える。それを見続ける女神は、もの言わぬ唇で何と叫んでいるのだろうか。
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发表于 2004-8-6 04:57:44 | 显示全部楼层
08月06日
9 z- r* S7 Z& l8 f
7 A" j5 P6 T8 D 「私は逃げたのです。瀕死(ひんし)の重傷を負った学友を救おうともせず、卑怯にも逃げてしまったのです……」。映画監督の竞托郅丹螭稀⑿驴巍核饯螒檎唬ㄑ也ē弗濂衰⑿聲─恰ⅲ矗的辘搜絼訂T先で空襲に遭った時のことを書いている。
% y( ^# d% G# S6 [
9 t' ]6 i8 r( w! \! | 米軍機に爆撃され、一緒にいた10人は、ほとんど即死状態だった。なぜ自分だけが生き残ったのか。戦後もこの問いをひきずってきた兢丹螭稀ⅲ保澳昵挨恕⒕悉窑丹筏丹螭沃ゾ印父袱饶氦护小工蛞姢俊
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发表于 2004-8-7 04:51:21 | 显示全部楼层
08月07日
! |9 A( i0 f8 M- j# z1 D# l  L
# f. J6 Z9 w6 y" \$ y 言葉が独り歩きし、ある人物を語るとき枕詞(まくらことば)のように使われるだけでなく、流行語になり、やがては歴史に残る言葉になってしまう。今週、95歳で亡くなった20世紀を代表する写真家アンリ・カルティエブレッソンをめぐる「決定的瞬間」という言葉もその一例だ。
# k. k  J4 w8 n4 @! N5 S( L8 O- {5 T, g# r! Y9 v7 a- x
 1952年、母国フランスとアメリカで同時発売された写真集の題名に由来する。原題を離れて英訳が『決定的瞬間』とした瞬間、この言葉は勝手に飛翔(ひしょう)を始めた。もちろん写真の衝撃力があればこそである。誤訳とはいわないが、意訳による思わぬ展開だった。 : @+ E; T" `2 {& f0 D

  S" o  d( @7 T' R$ D 歴史的事件の瞬間をとらえた写真集ではない。フランスの詩人が「まったく奇蹟に類するあの傑作」と評した写真は、水浸しの広場で男がひょいと跳び上がる光景である。やがてパリの雑踏に消えていったであろう無名の男も、自分の姿が歴史に刻み込まれるとは夢にも思わなかっただろう。 # r6 Z% t; j) ~9 ?

% F" w' t8 b" \& B. g0 @" G カルティエブレッソン自身、目立たない風貌(ふうぼう)の人だった。一瞬にして周りに溶け込み、雑踏に紛れ込むことができた。写真家木村伊兵衛は、忍者のようだ、と形容した。被写体を見つけると、動きが速くなり、不意に姿を消したりする。獲物を狙うハンターのようでもあったらしい。 0 L4 u2 Q2 o  ]" m. r8 Z( K

" G7 h( t  W3 v& I3 C+ J) f 「最も些細(ささい)なことが大きな主題になりうる」。そう考える彼は「日常」のなかに「非日常」をかぎつける人だった。「瞬間」に「永遠」を見つける人といってもいいかもしれない。
6 Y& a3 Q1 k4 Q& O; a6 {, W1 z& Y# q4 R8 I/ Z2 q
 彼の写真を見ていると、ささやかな人生も、身近な街角も「決定的瞬間」に満ちていることを思い知らされる。
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发表于 2004-8-8 08:48:05 | 显示全部楼层
08月08日   r" q& z  v# w3 \$ W
. l( H5 S. T' B/ s- m7 v
 虫にしては、「文」というありがたい文字を名前にいただいて一見厚遇されているかのような蚊だが、虫偏につく「文」は単に羽音のブーンを表すらしい。古今、蚊の愛好家というのはあまり見あたらず、嫌われ者の代表のような虫である。
4 }7 K! L# P: e9 K0 ]. a4 q" J4 e# a( W" v% V4 M
 眠くなって横になったが、蚊が顔のまわりを飛びまわる。「いとにくけれ」と清少納言も邪険に言い放った。蚊遣(かや)りといって煙で撃退するか、蚊帳をつって侵入を防ぐか。古来の知恵である。〈川風や灯火消えて蚊屋の月〉(幸田露伴)。蚊帳には独特の風情もあった。
' h" A' N: @4 P6 e
" G) c1 ~  Y) M6 [( d5 \4 O- F うっとうしいだけでなく、蚊はいろいろな病気のもとを撙证长趣铯盲皮俊1泵驻橇餍肖筏皮い胛鳐圣ぅ霟幛猡饯Δ坤咨撙瞍舛啶い韦膝蕙昆楗浇椁工毳蕙楗辚ⅳ扦ⅳ搿%ⅴ榨辚蛑行膜恕⑹澜绀悄觊g3億人を超える患者が出て、毎年100万人以上が死んでいる。 4 P& q0 q# P8 D0 I, C4 Z, u

. Q1 M! R& j* B2 ? 日本ではあまり目にしなくなった蚊帳が予防に貢献している。たとえば、今年創立25周年の「難民を助ける会」は、ザンビアのアンゴラ難民にこれまで1万張の蚊帳を配布した。夜行性のハマダラカから身を守るのに役立てている。
. A3 O% O% S7 O. m: h0 K/ }- Y1 `# W/ {8 E, q
 難民家族からはこんな声が寄せられた。「生後3カ月から蚊帳を使い始めた2歳の子は2回しかマラリアにかかっていない。生まれたときから蚊帳の下で寝ている下の子は一度もかかっていない」。「助ける会」の日本人スタッフもこれまで2人がマラリアで亡くなった。
& R, U1 _6 K0 Y1 k& z* m
: P1 \- W7 W7 j* u! s- I; U9 e 〈血を分けし身とは思はず蚊の憎さ〉(丈草)。虫偏に「去」と改称して退場を促そうか。
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发表于 2004-8-9 05:00:21 | 显示全部楼层
8月9日は新聞休刊日のため、「今日の朝刊」ページは更新がありません。
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发表于 2004-8-10 05:05:14 | 显示全部楼层
08月10日+ ?6 `5 b; S: d% G* _% K: q

* P7 o- d1 O5 p  @$ ^* N# B) t アテネ五輪が今週末に始まる。今大会で、メダルの図柄が一新された。古代ギリシャの詩人、ピンダロスの祝勝歌の一節が、裏面に刻まれている。 + l3 K( d" b$ z) X
: a. |  H2 o& X9 V" S
 「黄金の冠を戴く競技の母オリュンピアよ、/真実の女王よ!」。紀元前460年の、少年レスリングでの勝者アルキメドンを讃(たた)えている(『祝勝歌集/断片選』京都大学学術出版会)。
3 G% m6 s" \4 c. y6 ^4 H! P
: }$ q' [. i$ j) n 古代オリンピックでの優勝は、大きな名誉だったが、不正もあった。紀元2世紀に、旅行家パウサニアスが著した『ギリシア記』(龍渓書舎)には、オリンピアのブロンズのゼウス像が、規則を破った選手たちに科した罰金を基に作られたとある。「財貨でなく足の速さと身体の強さを使ってこそ、オリュンピア祭競技の勝利を見つけることができる」。こんな銘が刻まれた像もあった。
; P  \# p1 w: f5 i
, s+ B) M% U  ^) P% P; m パウサニアスは、ダモニコスという男の「暴挙」についても記す。彼の息子と、ソサンドロスとが勝利の冠を賭けて格技を行うことになった。彼は息子を勝たせようと、ソサンドロスの父に財貨を贈った。罰金は、やはり神像になった。 6 H4 s" Z( ^6 n3 X% C& r

0 P" e, _, s' W; \ 近代オリンピックでも、不正や疑惑は後を絶たない。政治利用や薬物まみれ、商業主義。罰で神像を作るなら、どれほどの数になったことか。「開催地買収」の工作が、続いているかのような報道もあった。 " n4 w4 s' C& Q) w: ~. k

3 t& Q. Y2 ?) a# C$ Q$ ~ ピンダロスは、こうも詠(うた)った。「はかない定めの者たちよ! 人とは何か? 人とは何でないのか? 影の見る夢――それが人間なのだ」。はかない限りある身が、企(たくら)みなしに見る夢の中にこそ、永遠が宿ることもある。
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发表于 2004-8-11 05:14:24 | 显示全部楼层
08月11日
3 v# @* j1 R# _7 P+ n  B$ B
" V* k/ E" L9 T. c. c# N, D 1976年、昭和51年といえば、ロッキード事件で世の中が大揺れした年である。この年に哕灓蚴激幛块v西電力美浜原発3号機(福井県美浜町)で、いたましく、重大な事故が起きた。太い配管が破裂し、噴き出した高温高圧の蒸気を浴びた作業員多数が死傷した。
7 l$ F+ f  f5 P6 `1 n) P, T# k6 F# g, q
 本来点検すべきだった破裂個所は、哕為_始以来一度も検査されなかった。点検台帳への登録もれとその見逃しがあり、昨年ようやく気付いた後も、点検は先送りされたなどと報じられた。 # C$ V) A( c  x5 ?4 S

% _1 M9 U; x) J! O  B7 k 破裂した管の写真がすさまじい。鋭利な刃物で切り裂かれたように破れ、紙のようにめくれた。当初は厚さが1センチあったのに、最も薄いところは1・4ミリにまですり減っていた。76年には、輝くような新品だったのだろうが、今は茶色いぼろ切れのようにやつれ果てている。 6 W  t5 K, X1 g  P* j9 B
9 W0 ?7 |* m4 S6 L" K3 F" I5 `
 数学者で哲学者でもあったバートランド・ラッセルが書いていた。「機械は、美しいから崇拝され、力を授けるから、尊重され、恐ろしい姿をしているからにくまれ、奴隷状態をおしつけるから、きらわれる」(『懐疑論』角川文庫)。 $ P4 J: Z6 t$ F- Z

! F& z  B8 F' {7 d' j/ l* Y, Z( Y, X 破裂した配管は太さが60センチ近くもあった。ある時は美しく、またある時は、原発という巨大な機械を支える力強い腕のように見えたかも知れない。しかし今は、恐ろしい姿になった。
6 f5 \! g( O' t, x1 l- j5 |) B/ J' o8 A  d: ~
 その姿は、点検という機械との大事な対話を怠った関電の重い責任を問うているだけなのだろうか。常に暴走の可能性を秘めた原発と人間とが、今後どう向き合ってゆくのか。行政や、電力を使う側にも向けられた、無言の問いかけに見えた。
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发表于 2004-8-11 07:43:59 | 显示全部楼层
jajiuma さん 頑張で
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发表于 2004-8-12 04:33:28 | 显示全部楼层
08月12日: Y, q4 M+ @0 |. g) f
0 ]7 S2 `3 [" n8 _/ e' H2 V
 明治時代に、文章の言葉遣いを話し言葉に一致させる言文一致の邉婴黏俊V行膜司婴恳蝗摔恰父‰叀工胜嗓蛑筏慷~亭四迷が、「余が言文一致の由来」を記している。
$ j- O( `) Y: k  ~6 I' ?" t
; d% X- y- F- J& b2 T 「何か一つ書いて見たいとは思つたが、元来の文章下手で皆目方角が分らぬ。そこで、坪内先生の許(ところ)へ行つて、何(ど)うしたらよからうかと話して見ると、君は円朝(ゑんてう)の落語(はなし)を知つてゐやう、あの円朝(ゑんてう)の落語(はなし)通りに書いて見たら何(ど)うかといふ」。仕上げた作を見た坪内逍遥は「忽(たちま)ち礑(はた)と膝を打つて、これでいゝ、この儘でいゝ、生(なま)じツか直したりなんぞせぬ方がいゝ」(『明治文学全集』筑摩書房)。
1 j3 |+ N! H- g3 @% d3 R# W5 ?5 r  @+ X
 幕末から明治期に活躍した三遊亭円朝は「落語中興の祖」「近代落語の祖」と呼ばれる。人情話に長じ、「牡丹灯唬à埭郡螭嗓Δ恧Γ工胜勺宰鳏喂终劋猡韦扦庵椁欷俊!附袢眨à长螭摔粒─瑜旯终劋韦挙蛏晟悉菠蓼工毪⒐终劋肖胜筏壬辘工辖创螭藥à工浚─辘蓼筏啤⒂啶昙南à护─侵陇拐撙猡搐钉い蓼护蟆埂!刚婢袄邾保à筏螭堡い丹亭Y(ふち)」の枕だ。 & Z9 G* z) Z- n- ^# W' @# G  s

! }3 Q/ w4 f$ `, l 1900年、明治33年に他界したが、昨11日が命日だった。墓のある東京・谷中の全生庵(ぜんしょうあん)では「円朝まつり」が催されており、8日には、法要などがあった。落語家らの模擬店が境内に並び、浴衣姿の若い人たちや家族連れでにぎわっていた。 1 d1 W4 R9 x' {1 T9 a) o

- O3 v3 W: G; Q0 J. N3 m 円朝は幽霊の絵を集めていたという。幽霊画数十点が、本堂脇に展示されている。生首を持つ幽霊などに混じって、足のある幽霊も居て、エアコンの冷気とともに、おかしみも漂っていた。 & M2 J6 @6 @$ t
$ M9 {2 Q# N) Z" C9 I, O! h! P
 眼を閉て聞き定めけり露の音(『三遊亭円朝』青蛙房)。これが辞世で、享年62だった。
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发表于 2004-8-13 04:52:43 | 显示全部楼层
08月13日
$ K0 T4 i; s5 t3 N; J1 f  x
4 P: ]3 [9 ~: v' g" s$ Z; I 「私は小さな国の人間であります」。ギリシャで初めてノーベル文学賞を受けた詩人、イオルゴス・セフェリスは、63年の受賞の演説で述べた。「私の国は岩の多い地中海に突出した半島でありまして、そこに住む人びとの勤勉さ、海、それに太陽の輝きのほかには、あえてとりあげて誇るものは何一つないのであります」(『ノーベル賞文学全集』主婦の友社)
  ?! m, a5 e& `( |' S% r) E) n  [, ~& W; z9 k) w, e9 Q
 彼は外交官でもあり、第二次大戦中はエジプトなどに亡命したという。長いトルコの支配の後、19世紀に独立したギリシャだが、大戦後も王政復古、軍部独裁、共和制と軌跡は複雑だった。 # R+ j' j+ h5 x
, K$ M! B! P1 r
 オリンピックの開会式で印象深い青と白の横縞(よこじま)が鮮やかな国旗は、風土と歴史を映している。青は海と空、白は純潔と平和を表すという。9条の縞には諸説ある。ギリシャ神話のゼウスの9人の娘を表す、独立戦争での勝ちどきの「自由か死か」が9音節だから、独立戦争が9年続いたから……。
* T8 }  I6 {+ d+ T% a( @  D
& c; t3 ~3 E- H8 q- d, U3 c 東西文明のはざまにあるギリシャは、度々異民族に支配された。一方、古代の都市国家で築かれた文化は国境を越えて広まった。「ヨーロッパの哲学の伝統についての最も確かな一般的な特性描写は、それがプラトンについての一連の脚注から成り立っている、ということである」。英国の哲学者の言である(『ホワイトヘッド』講談社)。
  [9 h/ y0 F/ g6 S4 ^6 _% r% R6 e6 c
8 k1 a4 r2 i9 E6 ~% N セフェリスは詠(うた)う。「わずか かなたに/花をつけた扁桃の樹が/太陽にきらめく大理石が/くだけた波のひろがる海が みえる」 4 a; I/ b# F4 |/ j, t' U5 u

4 c2 ~4 }% Y, e, p8 w! E3 ^4 ~ 扁桃(アーモンド)の茂る、小さな、そしてきらめく故郷へ、五輪は今、戻りついた。
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发表于 2004-8-14 05:10:38 | 显示全部楼层
08月14日4 j* C$ P/ u+ H7 e  d8 r  ]6 w6 M

) a* C' a( b3 L+ z; t- X1 P アテネ五輪の聖火は、開会式へ撙肖欷肭挨衰ⅴ恁荪辚工吻黏耍辈搐筏俊%辚螗豫ⅳ翘枻閽窕黏丹臁⑽宕箨懁蜓菠盲垦驻ⅲ睬倌昵挨私à皮椁欷骏靴毳匹违笊竦瞍巫阍摔趣猡搿9糯椁未螭蕰rの輪が、そこで静かに閉じるかのように思われた。
9 j2 l+ e! w* p" Q2 c! r; k  `+ o" I9 B
 以前、この丘に登った時、野良犬を何匹か見た。パルテノン神殿へ続く道の植え込みには、大型の、ライオンのような毛色の老犬が、口からあぶくを出して伏せていた。場所柄か、老犬はディオゲネスを連想させた。
' c" r, G6 ^% ?3 s5 i! V+ q+ m1 k- d0 o, H$ N
 古代のキュニコス(犬儒)派と呼ばれる哲人の一人だ。学派名は、行状が、犬のごときもの(キュニコス)だったから、あるいは、派の開祖が講義を始めたのがキュノサルゲス(白い犬)という体育場だったからなどとされている(『ギリシアの詩と哲学』平凡社)
( `& W* v: t8 N3 |0 e+ G4 k; m5 J
 いわば無一物無所有の生活を理想とし、酒だるに住んだというディオゲネスには逸話が多い。ある時、アレクサンドロス大王が彼を訪ねた。大王が「所望するものは」と尋ねると、ひなたぼっこしていた哲人は答えた。「何もいらない! 日陰にならないようにしてくれ」。「余がもしアレクサンドロスでなかったら、ディオゲネスであることを望んだであろう」と大王に言わせたという。 5 R6 F0 ?2 d0 O/ n0 X
5 f; j3 _& i) _
 アテネでは、五輪を前に野良犬が捕獲されたと聞く。老犬ディオゲネスは、どうしているだろう。「何もいらない! この騒ぎだけは早く終わりにしてくれ」とほえているか。
7 y' l! o2 L$ m  {/ [2 _" R3 Q. H% x$ }! P3 T! P
 五輪に「逸話競技」があったなら、犬の哲人は、メダル確実かも知れない。
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