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发表于 2004-8-3 05:11:39
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08月03日$ z1 q5 ~8 s& ~& K! m& E8 e
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「戦争が起きるのは、二つの国が互いに相手を誤解するからである。異なった民族同士を隔てている諸々(もろもろ)の偏見が根絶されるまでは、我々は平和を手にすることができないであろう」。近代五輪の父クーベルタンは、アテネで第1回大会が開かれた1896年に、こう書いた(『オリンピックと近代』平凡社)。
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% j1 \) v* W9 ]& e3 v7 K9 O1 C そして平和を手にするために「あらゆる国の若人を定期的に一カ所に集め、肉体の力と敏捷(びんしょう)さとを友好的に競わせることほど有効な手段が、ほかにあろうか」と続ける。教育家らしい思いがにじむが、1935年には大会が「単なる見世物芝居、無意味なスペクタクル」になりかねないと憂慮していた(『世界を映す鏡』平凡社)。 3 N7 s, U: }5 c3 b* V
, c4 t" V1 C0 e それ以前に、こう語ったとも伝えられる。「もし輪廻(りんね)というものが実際に存在し、再びこの世に生まれてきたら、わたしは自分が作ったものを全部こわしてしまうであろう」(『続・オリンピック外史』ベースボール・マガジン社)。肥大する五輪が、金や薬や政治にまみれるのを見通していたのか。 & b4 j" f+ _: f, j* t
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アテネでの2度目の五輪が10日後に迫った。空を仰ぐ迎撃ミサイルは、五輪の新断面だ。シドニー大会以後、世界は9・11テロと二つの戦争を体験した。イラクでは戦闘が続く。古代オリンピックに倣って休戦しようにも、相手が定まらない。 ; O# V- h% b* J- z& q6 M5 \. N* R% } }
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仮に今年の大会が米国での開催だったとしたら、参加をためらう国はないだろうか。そもそもイラクへの先制攻撃は、あの通りに行われたか。 ; I) l9 o! D3 z G! X0 s' f7 A0 X3 D
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大会の平穏を願いながら、現実とは少し違った歴史を思い描いた。 |
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