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发表于 2004-9-1 05:58:39
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09月01日
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2 B* z& E" ?8 U. k. U こんなところで切ったらあかんがな、なに?地震?――そのまま電話は不通になった。1923年9月1日正午ごろ、山本権兵衛内閣の組閣の原稿を東京から電話で受けていた大阪朝日新聞でのことだ。
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通信途絶の中、最初の情報は鉄道関係からだった。「東海道沼津付近を中心として近来稀有(けう)の強震」があり、特急が立ち往生した、との号外を出したのが午後2時である。
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軍は情報を持っているだろう、と取材したが「連絡がつかんで困っている。朝日さん何か情報はないか」。夕方、横浜港に停泊中の船からの無電で、大規模地震であることを知った。さらに詳しい情報を伝えたのは、その船から神奈川県の警察部長が大阪、兵庫県知事と大阪朝日にあてた無電だった。夜9時すぎである。
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M% j6 z' \8 e 社屋が焼失した東京の記者は惨状を伝えるため次々大阪に向かった。車で出発した3人は、橋が落ちていた相模川を泳いで渡った。あとは徒歩である。「君は速く歩きすぎるよ」「弥次喜多じゃあるまいし、急ぐのは当たり前じゃないか」。空腹と疲れで口論しながらの旅だった。途中から汽車に仱辍ⅲ慈粘⒋筅娉栅俗扭い俊3植韦筏啃凑妞虾磐猡藪鬏dされた。
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, t, P6 c& ?, _' _6 p4 ?- [ 関東大震災はメディアの世界にも衝撃を与えた。情報過疎の中、流言から朝鮮人虐殺事件が起きるなど深刻な課題も突きつけられた。震災後、ラジオへの関心が高まり、2年後の放送開始につながった。
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通信技術が格段に発達した今日、「隔世の感」との思いもするが、過信こそ最も危険、という教訓を忘れてはならないだろう。 |
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