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发表于 2004-9-17 04:50:41
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09月17日 9 ]+ w* G3 v: @/ L- \
% X, } S$ q, G 今も君のいない寂しさがスクラムを組んでやってきます。長崎県佐世保市の小学校の事件で娘の怜美(さとみ)さんを奪われた御手洗(みたらい)恭二さんの思いが、独特な表現を通して伝わってくる。その思いの底には、言葉にはならない深い悲しみがあるのだろう。
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: s' R5 m4 m* {9 _+ I 事件から百余日、家裁は、同級生の女児を自立支援施設へ送るという保護処分を決めた。その決定要旨の「居場所」という文字が目についた。
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会話でのコミュニケーションが不器用な女児にとって、交換ノートやインターネットが唯一安心して自己を表現し、存在感を確認できる「居場所」になっていた、とある。ホームページに書かれたことなどを「居場所」への侵入ととらえ、その怒りが事件につながったとする。しかし、その文章などは、他人に殺意を抱かせるようなものでは決してなかったという。
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栃木県小山市で起きた幼児誘拐事件では、3歳の弟に続いて、4歳の兄が遺体でみつかった。思川(おもいがわ)という切ない名をもつ流れが、まれにみる残忍な事件の現場となってしまった。凶行は、憎んでも憎みきれないが、幼いふたりが、どこかで安心できる「居場所」を得られなかったものかと悔やまれる。
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「居場所というのは、大人にとっても、子どもにとっても同じ意味を持つ……自分の家には居場所がないと感じている親がいるとしたら、間違いなくその子どもも自分の家に居場所はないと感じているものだ」(『現代のエスプリ別冊』・岩月謙司) 8 u" f# R/ w& `
; n9 G, j5 u1 k$ j1 G, t 人は、それぞれの心の居場所を探している。しかし、それを見つけるのは容易ではない。 |
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