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发表于 2004-10-9 04:37:06
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10月09日 $ }+ y5 `0 v: Y
2 \6 M% h0 H1 M& R9 g4 |6 c2 t& z$ C 「私は力によってしかこの地位を維持することができない……私が恐るべき者でなくなれば、私の帝国は滅ぼされる」。『ナポレオン言行録』(岩波文庫)の一節だ。彼が帝位に就いたのは、ちょうど200年前である。この年、缶詰の原型をつくったニコラ・アペールに、ナポレオンが設けた懸賞金1万2千フランが贈られたという。 ( ~" D2 P$ V3 y5 t& v: f
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アペールは食品を詰めた瓶を熱して中の空気を出し、コルク栓で密封した。後に英国人が器をブリキにする。缶切りがない頃は「ノミとオノで開けて下さい」という注意書きもあった(『缶詰百科』柴田書店)。 , I2 H! n/ n, e+ W. i
9 Q0 f% a- D- E+ }0 c+ m& k9 U% M' H. e ナポレオンの懸賞は戦争とのつながりが深い。当時の保存食は干物や塩漬けで、兵士は栄養失調に陥った。彼が新貯蔵法を募らせたのも「恐るべき者」であり続けるためだったのか。 ' V1 L3 X" I8 R( C% z$ u
, u+ Z# K1 N$ _) D0 h 米国では南北戦争で缶詰生産が急増した。日本でも、日清、日露の戦争で缶詰業の礎が築かれた。日清開戦の年、軍医でもあった森鴎外は医学会誌に「諸種ノ牛肉缶詰ノ成分ニ就テ」という報告を書いた。 ( D% ?; u) M7 _3 `# } K. S2 R
. D! Y/ q/ N& H3 H5 V 国内外の5種の水分、脂肪などを分析し、重さや固形分を比べた。「缶詰ハ旅行、行軍等ニ携帯スベキモノナレバ……内国製牛肉佃煮ハ甙嵘献钶Xクシテ、而モ固形分ニ富メル者ナリ」(『鴎外全集』岩波書店)
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3 E/ N8 l, E1 g2 r% m( { 明治10年、石狩川のサケを使う官営の缶詰工場ができた。日本缶詰協会は、生産が始まった10月の10日を「缶詰の日」にしている。近年はレトルト食品が伸びているが、それでも、瓶と缶を合わせ、国民1人あたり、年に37個を開けているという。 |
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