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发表于 2004-11-7 05:11:12
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11月07日' E/ S" z/ y/ s/ g' w, ?9 t
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オト、マリ、フリツ、アンヌ、ルイ。この欧風の名が、森鴎外の家では於菟、茉莉、不律、杏奴、類となって、子どもたちに付けられた。
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「コドモミナニ」。こんなくだりも見える、鴎外から子らへの絵手紙など、多くの資料がみつかった。次女で随想家の小堀杏奴の遺品だという。
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「父の背中に寄りかかっていると、父の太い首筋に葉巻と雲脂(ふけ)のまじった懐しい匂いがする」。杏奴は『晩年の父』(岩波文庫)に、思い出を記している。「父は私を『アンヌ、アンヌ』と呼んだ。そして愛称の意味もあるのか、アンヌにわざと『コ』を付けて、『アンヌコ、ヌコヌコや』などといってふざけた」 0 E2 h# d0 i* a1 t# r Z
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長女の茉莉は、こう書いた。「父の愛は私に対しても他のきょうだいに対しても、素晴しく、その表現は完全以上であり、殆ど常識の外れたものであった」(『父の帽子』講談社文芸文庫)。鴎外の、どんな場合の顔を思い出しても「不愉快な影がない。浅ましい人間の心が覗(のぞ)いていた事がない」 - j4 z8 d/ ^/ W7 B
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東京都文京区の鴎外の旧居跡は、区立鴎外記念本郷図書館になっている。「鴎外と漱石-書簡からみた明治の二大文豪の交流」展が開かれている(12月15日まで)。鴎外の手製といわれる和綴(わと)じ本があった。雑誌に載った漱石の作品のページを切り取って綴じ、子どもたちに与えたという。 & A1 v; }/ M, G, h
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杏奴の遺品の方には手製の教科書があった。彼女は、鴎外の手を「大きい、骨ばった」と回想している。その手でなしたこまやかな「作品」には、父親・林太郎の思いと願いが込められているようだった。 |
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