第二十二回
僕の子供のころは、買い物をするには、定価の決まっていない買い物が多かった。それで、店の人とうまくなじみになって、買い物のやり取りをする要領が大事なことだった。同じものを買うにしても、要領が悪くドジだと、高い値段で買わされてしまう。ふだんからのつきあいだって、買い物のときになって、( ① )のだった。
これは、ある意味で、不平等なことであった。同じものを買うのに、相手しだいで値段が変わる。ドジだと、損になる。
いまでは、定価が決まっている。平等に、誰でも同じ値段で、買い物ができる。しかし、ときにはそれが、②ちょっと味気ない気がしないでもない。何よりも、要領を身につけようと、努力することがなくなった。店の人と関係をとり結ぼうと、ふだんから心がけることがなくなった。平等なかわりに、冷たい関係になってしまった。
なんどかドジをして、だんだんと要領を覚えていくものでもあった。その意味では、店の人というのは、要領の先生であった。(中略)
値段の交渉をするということは、買い手のほうでも、その値段へ意思を介入することであった。与えられた定価のもとでの、買うか買わないかだけの判断ではない。そして交渉に参加したからには、たとえそれが高い値段であったとしても、それは買い手の責任に属する。つまり、自分の意思で、自分の責任で、値段を判断する余地が残っていたのだ。
このことの逆として、自分で判断し、自分で責任を取る機会は、平等や公正の名のもとに、だんだんと少なくなってきているのではないだろうか。さらにそれが、学校などで、共同で買い物をしたりするものだから、ますます自分から③遠くなっているような気がする。
どんなに平等や公正を保証された社会になっても、終局的に自分を守るのは、自分の判断と自分の責任だ、と僕は考えている。そして、不平等で不公正だった昔の買い物は、その判断や責任を訓練していたような気もするのだ。
ふだんからの関係に気をくばり、要領よくふるまうのは、ズルイこととされている。それでは、平等で公正にならない。
にもかかわらず、不平等や不公正の中で要領よくたちまわるズルサ、そのことの意味を、もう一度、考え直してみてもよいのではないだろうか。要領を否定した制度は、人間の関係を信頼しないことで、平等が強制されているような気もするのだ。
(森毅「居なおり数学のすすめ」講談社による)
「問1」( ① )に入れるのに最も適当な言葉はどれか。
1 ものになる
2 ものをいう
3 ものにする
4 ものともしない
「問2」②「ちょっと味気ない気がしないでもない」とあるが、どういう理由からか。
1 不平等で冷たい関係になってしまったから
2 店の人と関係を取り結ばなくてはいけなくなったから。
3 要領を身につけようと努力することがなくなったから。
4 人間関係で苦労する必要がなくなって、薬になったから。
「問3」③「遠くなっている」とあるが、何が「遠くなっている」のか。
1 要領の先生
2 自分で買い物をする機会
3 平等や公正を保証された社会
4 自分で判断し、自分で責任を取る機会
「問4」筆者は「要領」という言葉を、どういう意味で使っているか。
1 物事の一番大事な点
2 本能的に身についている能力
3 物事をうまくやるためのコツ
4 苦労や努力をしないでうまくたちまわること
「問5」この文章の内容と合わないものはどれか。
1 要領よくたちまわるズルサもわれわれには必要である。
2 要領よくたちまわることは人間の信頼関係を壊すことになる。
3 どんな世の中でも、自分で判断し自分で責任をとることが、自分を守ることになる。
4 平等で公正な世の中で、われわれの人間関係は面白みのない冷たいものになってきた。
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