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楼主: bgx5810

中国故事物语(已载完)

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 楼主| 发表于 2005-6-20 21:56:57 | 显示全部楼层
他山の石
9 P" \: e" Z4 w# J
& q  s0 ~# P9 y" T" M0 r
「他山の石、以て玉を攻くべし」という言葉は、他処の山から出る普通
9 ^; ?8 Q  `" @. z! \& H% D1 ]( Nの石でも、この山から出る玉を磨くことができるという意味で、石を小
5 f- e+ D5 L6 b9 f3 @! B- @4 U% e& p人に喩え、玉を君子に喩えて、君子も小人によって修養をつみ、学徳を! J- s4 B+ S0 C: f( r& z: I
つんでゆけることを言い、「詩経」の「鶴鳴篇」に見える。. R! o! v1 @+ p. K- H, B- ]& [
 
8 f% G# j& o' g; x) [" \   鶴は九皐に鳴いて 声 野に聞こゆ
, H# c% K& q- k* p   魚は潜んで淵に在り 或いは渚に在り, z! o. J6 l7 F- N
   彼の園を楽しめども 爰に樹檀有り$ u. A6 l) N7 \3 E# Z
   其の下にこれ落葉あり 他山の石 以て錯と為すべし: `& T, n! w; S+ g5 v: W
 
$ f; ^7 \) A" u' Z" k% o   鶴は九皐に鳴いて 声 天に聞こゆ
# s4 }9 Y( J# Z0 b   魚は渚に在り 或いは潜んで淵に在り
3 r( o# K. {2 G5 ~* t/ Q  o! I$ n   彼の園を楽しめども 爰に樹檀有り
% s  g+ {5 W* {6 ]: e1 t   其の下にこれ穀あり 他山の石 以て玉を攻くべし
# O0 {( a& a+ w0 T6 |1 O( R. ^. b 
& Z: P' ?1 D) w# I   鶴が山深い沢で鳴いても、その声は四方の野にも、更には天に4 k2 p9 Z+ N% T5 }( e' C
   も聞こえるように、身に栅ⅳ欷小⒛郡摔弦姢à胜趣狻ⅳ蝄
/ Z* p6 i' E+ ]- Z5 B   ずから形にあられる。魚が淵に潜んだり渚に浮遊したりするの
! q$ K% s( Z- S% D9 Y   は自然の習いであるが、理のあり方も、魚が時に応じて浮き沈1 _. k: m8 I3 i7 h) l& K( i
   みするのと同じであって定まってない。園に檀(香木)があって、
6 \/ ]2 K$ Z, B9 s9 V+ ~   そこで楽しく安らおうとしても、その下には汚い落ち葉が散り
" C" A7 I1 f. @9 h   しいていてままならない。粗悪な石といえども玉を磨くための1 E0 o  u, J/ F/ B( v8 N( v
   砥石となるので、玉はそれによって光を発し、器をなすように、- {7 V" `0 q) ~0 _& y9 g. a2 O4 {4 L
   小人といえども君子の修養のために役立つので、決してこれを; f( P1 _9 ^4 L+ k& O
   決してこれを捨て去ることはできない。 ' A  g) o8 S$ i/ A* o: {* w; F- L
   e! D) v; o9 g9 x, U2 I4 X) ]! J
 
, ]. @7 R: \2 m: D: x, [) N「他山の石以て玉を攻くべし」は「切磋琢磨」(骨角は切ってのち磋き、. S7 F- ?+ _( a) ^
玉石は粗く琢いてのち更にヤスリで磨く=「詩経」衛風)などと共に、昔0 g5 {) I6 ?- l( Q# c8 ^
から修養のための名句としてしきりに用いられてきたが、われわれの使6 S4 V' F& P2 d' B. a4 v9 p& \
い慣れた言葉に軽く置きかえるとすれば、「人のふり見てわがふり直せ」2 g  d. }. F7 n1 k1 H) p+ r( m5 ?6 @
と言うところであろう。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 21:57:24 | 显示全部楼层
蛇 足

1 q6 V" [" I0 Y  J7 h* Q$ H, O. d
楚の懐王六年のことである。楚は、令尹(楚の官名・宰相)の昭陽に兵
0 B$ n" J; T$ `を与えて魏を攻めさせた。昭陽は魏を破り、さらに兵を移動して斉を攻
' d- f- w- x0 Y1 K# H  Mめようとした。斉の閔王はこれを憂慮し、たまたま秦の使者として来朝
. ^, E( e' H# O, p/ \1 N( \8 Qしていた陳軫に、どうしたらよいか相談した。
$ N- w! X# q2 W2 Y 
* J9 i% V0 a6 Q7 {. }2 m- w. S 「御心配には及びません。( ]1 G9 g. a1 D/ `0 c$ g
  私が参って、楚に戦いをやめさせましょう。」0 e7 R6 L% M6 [3 A$ s' A$ N
 
  W1 H" Q$ j) z: k 陳軫は、ただちに楚軍におもむいて、陣中で昭陽と会見して言った。
+ z! `$ s9 b/ K1 A 
" ?5 R& k' s; V& K 「楚国の法についてお尋ねします。7 j, ~2 k: C0 I- M  X
  敵軍を破り敵将を殺した者には、% w9 |$ y8 b( b
  どのような恩賞が与えられますか?」
: g$ e2 j5 `. E5 w1 G 
3 I8 L; g% h$ U; t7 h6 I7 A8 G/ c 「上柱国に任命され、
2 [* j3 o/ [; H  上級の爵位の珪(玉)を賜わります。」; F7 p. S- j: X& @
 
7 m' K! h  n" A7 E 「上柱国以上の高位高官がありますか?」. U2 j8 @" s! t8 g. g$ o$ S( O
 
: G$ s: W' L5 j5 q8 p 「令尹です。」$ a. p- J7 e, `" c% t
 
) O  d2 y& V( n6 E, d+ D) t 「いま、あなたは、すでに令尹です。0 G  o3 B* V! Z  L, \7 C
  つまり、楚の最高の官位におられます。9 N+ u1 K! d% I$ O8 @9 ^
  そのあなたが斉をお伐ちになったところで、
! Z* ^0 S# R) x9 f0 q$ B: q  いたし方ないではありませんか。6 Y+ V9 Z$ [: j' O
  たとえ話を申し上げましょう。
9 h  L6 {; X8 Q 6 P& e* D) h. ^( k( R8 V
   《ある人が、下僕たちに大杯にいっぱいの酒を与えました2 Y  Z8 b' ^: b! p2 c
    ところが、下僕たちが口々に言いました。
: D7 k' l4 P* N* H) V2 A. L 
0 A6 R8 P4 u8 Q  [2 G* u- j$ v    「数人でこれを飲んだら、たらふくは飲めない。8 ]. |! ^# Y8 [  W; l
     地面に蛇を画いて、一番先にできあがった者が、- F( [* E9 d2 q$ ~! P
     一人で飲むことにしようではないか」# u0 }5 }( J% R$ V6 Y: p
 7 }: n' K+ Y$ w/ P( }: Q- A
    「よかろう」4 L/ K1 ?. r% V$ E8 l
 ! {9 d& ^& y% ?( W' X$ \( P
    ということで、一斉に画きはじめましたが、やがて一人
. K/ |# l2 n& t0 M# U    が、[俺の蛇が一番先に画けた]と言って、酒杯を挙げて
. Z- |& K# f/ v2 F5 i/ R    立ち、[足だって画けるぞ]と、画きたしました。足を画2 @5 r. z: n. _/ a& s- g& a. @0 \
    き終わったところで、遅れて蛇を画きあげた者が、その' {1 q6 D  e8 O- K3 q
    酒杯を奪って飲み、
; e) }6 q7 @" @$ [ 
- o5 y& n4 Z6 U2 N/ Z* S; `    「蛇に足なんかあるものか。  f# I( y  j: K3 O4 x
     おまえは、いま足を画いた。' O% q; V1 e4 U1 W$ Y" O
     これは蛇ではないぞ」6 z; d9 S% z( o: A+ l; L: k. p
 
& b  ]$ b) F9 U" p5 m2 C7 a    と申したということです。》
5 o" V% f8 f  U  _ 7 B7 h, |( l( Y1 M3 v: b# e
  すでに、あなたは楚の大臣です。
# W$ E; J* t% j% G4 \" e$ V  そして魏を攻めて、魏軍を破り、その将軍を殺しました。' Y" D- c4 V1 c  {4 a
  これ以上の功績はありません。$ m# |7 |$ x* K
  最高官位の上には、もはや加うべき官位はないのです。
8 q2 z. K. C5 q' U  それなのに、あなたは、- ^2 n& [3 r  N+ A
  また兵を移動して斉を攻撃しようとしておられます。
$ ^; Q. _+ G1 h4 i' c7 H) a  また勝利をおさめられましても、% S& f% O" t& t% |4 J7 p
  あなたの官爵は、現在以上にはなりません。
1 |& P3 u! S' l8 S1 W% i& c  もし、敗れたならば、* h2 K+ G' m; `' b: E
  身は死し、官爵は奪われ、
1 q6 _4 Z, n; {$ Y  楚でとやかく謗られることでしょう。( I$ x2 T0 h! |( f; F
  これでは、. \4 c6 Y: h5 D3 W. ?) E4 t$ [7 h
  蛇を画いて足まで画くようなものです。
' t/ S$ g; W8 ?$ V( ]( }( c  戦いをやめて、) g( Q. c, W/ D4 {8 p8 F5 c
  斉に恩恵を施された方がよろしいでしょう。- o* B8 G2 c, G6 i3 M5 ~
  そうすることが、+ g" ^% T1 ~5 [
  得ることのできるものを十分に得て、# h. |) a& U+ N+ Q5 b( Q1 V; l2 ~
  しかも、失うことのない術というものです。」
" ?: d* p  Z. u" ` 
, p. e9 }3 }  _6 Y" K4 w: D* Y  昭陽は、なるほどとうなずいて、兵を収めて去った。4 h. g8 i, I- ]- t+ b
 
+ k3 M9 p8 z8 A7 T% j; f7 } 4 v4 O0 s9 L2 m+ s: _9 Y
 この話は、「史記」の「楚世家」と、「戦国策」の「斉策(閔王の項)」に
0 X9 T( Y" \# r# W+ [ある。両者の叙述に多少の異同があるが、大体は同じである。* v" }7 K0 s* I1 P- {9 \
 本稿は史記によって書いた。蛇足――無用のことをする――という言* {  Q: v0 d% }7 S
葉は、この話に由来するのである。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 21:58:03 | 显示全部楼层
多々益々辨ず

" P3 I7 d. @/ i. C" c! D' ^
7 {$ y  n# O5 f0 A9 q$ x5 a漢の高祖劉邦は宿敵の項羽を打倒して天下を統一した(BC.202)が、国
# X( P% i: y* @+ @% f. A家の基礎はそれだけでは安泰というわけにはゆかなかった。高祖のもと
0 U% G; Y+ _0 d9 Rで項羽と戦った猛将達が、今では漢にとって危険な存在となっていた。
. e/ ?- _  [" d8 u2 G2 b8 d4 P* j彼はみな、高祖のためという忠栅瑜辘稀⒆苑证翁煜陇驂簸撙屏Δ韦甛
$ f+ t9 t6 A! K8 ]( Qりに戦った野心家なのである。皮肉なことではあるが、漢の成立のため
$ I  |: |- p* m1 _# {に大きな働きをした者ほど油断がならないということになるのである。
  o: t# z" i! Hその筆頭はいうまでもなく楚王韓信であった。高祖は韓信が項羽の将で
1 u7 `. W- o2 gあった鍾離昧をかくまっったことを理由として韓信を捕え、位を下げて
1 j* ~/ g9 Z4 m3 w2 S淮陰候にした。7 |1 i& g9 v0 _  q; o
 9 M& z+ F" J5 s; P- h
 ある日、高祖は淮陰候韓信と諸将の能力について話した。甲は何万の2 ~2 g5 _1 W5 Y0 w9 b0 y
軍を指揮する力があるが、乙はそれには及ばぬと品定めをしてゆくうち
, q* ~0 B) o* tに、話は当の二人のことになった。
8 o" E2 }6 y7 n8 p% b9 K 
  U' ?& V/ n" q9 I' w( q7 Z 「わしはいったい、
7 x' H7 G4 t2 g3 O0 o  何万くらいの軍の将軍になることができるだろうか?」
' l6 w: D  T# u 3 C7 i; k- ?: r  @/ W
 「さよう、陛下はせいぜい十万くらいのものでございましょう。」
4 H3 H* S. x# \ 
5 I) q% L8 u& g4 V% ~# X7 k% g# B1 B 「なるほど、では貴公はどうなのだ?」# x# g! [* |, X9 ^; U* u
 
( N5 X9 i$ Z3 y$ ~; d  r* @ 「わたくしは多々益々辨ずで、; ?0 g1 X- b# L
  多ければ多いほどよいのです。」( L! S+ t' O* t& K# d4 r
 
: [/ Q- u, }/ u& D& X+ U/ Y《ははは……》と高祖は笑っていった。
# Y% h, g$ [# R* p 8 m" U4 V; R  A& c6 h- p# w. }* M+ V
 「多々益々辨ずなら、) k7 y/ `9 n9 x, j5 V
  どうしてわしに捕まったりしたのだ?」
( y+ W; H4 R# m0 [* [0 b5 ?8 ] 2 b6 ]4 t6 ]) g
韓信は言った。: O- }, |% B6 Y' W, D; y6 I$ z
 . d+ H2 {$ K8 r2 X
 「それはまた話が別です。! ^) t, B* I% t/ M/ e. X
  陛下は兵に将たることはできなくても、
' ?7 d- K  r+ f0 O: |' ^+ H  f3 o9 g  将に将たることがおできになります。, ~( [$ c& B0 b& a- v7 y
  これがわたくしが陛下に捕えられた理由です。5 }! {  v' g2 @# t% D, Y
  それに、1 o0 J2 z6 q& }* i! K1 [
  陛下のお力はいわゆる天授のもので、' x+ V% y* d$ H; m
  人力のおよぶところではありません。」
2 C% S/ K2 K) K4 k" ] 
8 r1 \7 E1 i; V$ i1 s& s 
" K9 W% @8 |- Y# ^ この物語は「史記」および「漢書」のもとに記すところで、有名な「多々
6 t; B! E) z$ p1 w  }益々辨ず」はここから出たのである。ただ「漢書」に「辨ず」となってい( W# y1 o) o0 n, @9 M  b) ~/ {
るのが「史記」では「善し」となっている違いがある。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 21:58:29 | 显示全部楼层
玉に瑕
0 @  \* P0 |) |4 F9 O. u

. u9 y* ?! \, F) B) c6 d たとい豹の外套でも、斑が雑然としていては、狐の外套の純粋な毛色
+ Z3 ?* B* j+ k9 Z7 `; F% `1 ?. \のものに及ばない。また、白璧(璧は環状の玉の事)でも、考があれば、
. W+ H/ S# U$ G0 X宝物とはいえない。以上は、完全に純粋なものの得難いことをいってる4 h+ u, e. S! @* C% u9 r% O" Z
のである。――* {7 W9 q7 u* X/ C* k
 % |  v+ W* o8 r; M- b6 m& m' G
 1 q0 o4 W+ M' ?7 c
 これは「淮南子」の「説林訓」にある言葉である。今日いうところの
1 L+ I& F! |/ j& D1 v1 W! e【玉に瑕】とは、少々言葉が違っている。4 k2 C8 e: Y5 r1 a7 N; {! L
 5 F- o$ @0 @4 H/ A! Z) `
 因みに、同じ「説林訓」に、! ^1 p% a* a6 ?- g; k0 ]
 " y% Z* T3 e- }0 q) W4 h2 Z( U
 「鼠の穴があいてるから修理しなければいけない、# b# F5 b. U* X8 m8 I9 V
  などと下手にいじると、
1 \. |# a; m! `  村の入口の門(里閭)をこわしてしまうことにもなりかねない。
6 _/ V2 ^& z& S8 d  T3 b( u1 h  ニキビを潰して、面疔になってしまうこともある。
, Y$ j' g4 c3 W* D. r' H  これは、珠玉に瑕があるのを、
2 T% k0 q* G5 E1 q  そっとしておけばなんともないのに、
0 f8 W/ [* u$ E1 H6 B  しまおうとして割ってしまうようなものだ。」+ w& M/ j5 b4 f# }& v, `: n2 }1 C
 0 ]% W8 x' ?# v; d+ P/ G4 u5 L
 という言葉がある。  [& I% L+ C: \: x6 I% Y  F  _" ^9 R
 ) M8 i: \3 c6 ]- q
 しかし、こちらは「なまじなことをすると却って事態を悪くする」と
5 M+ G6 K" h- b" ^8 m. B3 d" {' Cいう意味だ。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 21:59:01 | 显示全部楼层
竹馬の好

& _6 R+ g7 I! b6 V; u) s1 v6 M
/ E* j6 T+ p# ^1 T& e5 s晉の殷浩は字を深源といって、見識も度量もあり、若い時から評判が$ s# H3 }$ H" r. b, X  F
高かった。叔父の融とともに「老子」や「易」が好きで、浩と融とでは、口
: U( a- v. P3 A+ Y, y8 lでやりとりすれば融は浩に言いまかされ、物を書けば融が浩に勝つとい( b9 E* [/ m/ ~. @* v/ i1 r1 w
う具合で、風流を口にするほどの人はみなこの二人を本家本元にしてい- ]) n; R* u' k; e0 m
たのだった。# k$ N5 J5 m3 j- X7 b/ V/ ~
 
4 P2 V' A; X' z 
) K3 ^$ r) h- [ あるとき、人が浩にたずねた。
1 ~# Z% N8 b) k* k' A , J$ w3 p' {' L) M
 「役人になろうとするとき棺桶を夢に見、
( n) I( n5 G# j: a  財を手に入れようとするとき、
" g4 d; J6 J/ y: N8 T* V( o  きたないものを夢に見るのはどうしたんでしょうね。」
: N" o0 V' g# Y  j& | 
2 K  H6 j6 Q6 O5 t0 q そこで殷浩は答えたのである。
+ Y$ b" j9 W+ L6 x! f( Z" } * J1 ^4 \, _  G& X
 「役人はもともと腐って臭いものなんだよ。
+ P1 h, @+ U9 U, p+ `3 O8 c; ?$ X  だから役人になろうとすると人が死んだ姿を夢に見る。7 f8 s/ ?7 i0 S) Q' H# U
  銭はもともとちりあくた。% ?- A; H. a1 X8 d4 E
  だから銭が手に入ろうとするときたないものを夢に見るんだ。」
' O, A4 m: T+ n! x6 V( ^7 f! X 8 D1 L0 S& ?; r* O
 世間の人は名言だともてはやした。$ t5 B: h9 h8 `, }, ]6 D! U
 
5 C% r$ I/ h6 O0 k5 k8 j; n 
# ], e' ?: |$ h+ h# v0 [/ R 殷浩は誰が何と勧めようと官途につこうとせず、十年というもの先祖0 A* q* h" ?& `$ n7 j! n2 Q( s* A
代々の墓の所へこもったきりであったが、功臣を相継いでなくした簡文
/ e( q9 T( X7 ~: Q0 f帝の懇望もだしがたくついに建武将軍楊州刺史になった。これは当時、- D- N& u, o5 u; W1 j
桓温が蜀を平らげて帰って来、勢い当たるべかざるものがあったので、9 i0 {" F$ Z- i2 ?
簡文帝は内外に名声のある殷浩を手許において片腕として桓温に対抗し
6 a, b2 Z, J" J9 p* dようとしたのである。このために二人はたがいに疑いの目で見合うよう
6 @1 Z7 _8 i+ f1 R2 r6 j/ oになり、王羲之が二人を仲直りさせようとしたが、浩は応じなかった。
2 n5 ]$ \$ q0 f8 d4 V ; h* U8 Z2 u8 l9 P% G5 D+ E
 その頃、後趙の王の石季竜が死んで、胡族の間に騒乱がおきていたの
( {% Y4 ~( ]# Qで、晉ではこの期に一挙に中原を回復しようと、殷浩を中軍将軍都督楊
# a) h6 n- J9 S3 q; k) S予徐エン青五州軍事に任命したので、浩は中原を定めるのはわしの任で, ~/ h2 F) ~4 `* z2 ~, h* d
あると勇躍して出発したのであるが、出発の際落馬したので、人々はみ- J, H4 L0 s& _2 Y
んな縁起でもないといったのである。; ^$ V1 P% D6 a% W% a
 / j$ g/ P9 I& P* t
 殷浩はつまるところ姚襄にさんざんに敗れて帰って来た。それをよい1 h! T% l, T8 ]# |1 X8 w7 W: H
ことにしたのが桓温である。直ちに浩の罪をならして上書し、ついに浩% p. N  t. N4 G# x; S
を庶人に落として東陽の信安県(今の浙江省衢県)に流してしまった。* z5 B: E0 i' K# C- o  p. \) L# t
 
& Y. @2 ]# r" I% V" t0 [0 E0 b. a 
+ m( o, ^( n; Z 殷浩が流されてから、桓温は人にこう語った。) V4 v. j: T4 [: e; c
 ( `4 N# K* `) O& T$ B
 「わしは子供のころ、2 A, ~/ |  e: Z; r; ?* p6 E5 ~
  殷浩といっしょに竹馬にまたがってあそんでいたが、
' l# n/ d5 C. A  わしが竹馬を棄てさると、殷がいつも取っていた。
! i0 X' I7 g9 @  だから、あれはわしの下に出るのが当然だ。」
% i7 ]$ G! S( S* E/ L - N; ]: r1 N' Z& e( t
 この言葉が「竹馬の好」の出典で「世説新語」の「品藻篇」、「晉書」の1 p" i3 T; U6 G
「殷浩伝」などに見える。
( z: X2 h" S& c6 g5 h1 H " \9 Z7 E/ g* f( D
 2 `6 c6 o& F  Q$ q$ I, X% J
 竹馬は竹を切ってこしらえた馬で、子供が遊戯につかうものである。
8 S" B# o$ A' t「後漢書」の「郭キュウ伝」にも、「童児数百人がそれぞれ竹馬にまたが
6 X" ]' U7 h: M# L# b. p" C* i. ]5 @: mって道すじでお迎えした。」と言う語があり、唐の杜牧の詩にも「漸く竹; ?0 \- E* J6 W5 i& H$ O1 [7 \
馬の戯を抛つ」なる句がある。
* `6 V2 E1 J5 n. T 
  L, L1 s0 K8 D, _ " q. [+ b7 F# ?/ }* ?% ?# j: e
 配所にあっての殷浩は、口にうらみがましいことをいうでもなく、し8 h6 J8 C, w, J7 U5 O. v" x; V
ごく平静に談詠に日を送っていて、流謫の身という感じは全然見えなか
# v3 U4 Z2 z" P5 F2 s" H+ F% b8 oったが、ひねもす空に向かって「咄々怪事」、なんたるふしぎぞと指で2 k& i2 ?) @/ A% [
書いていたという。# a1 O2 T. u+ D: b
 * r! g, W4 k* i/ H
 その後、桓温が浩を尚書令にしようという手紙をよこしたので、浩は
2 l* }" s0 F! H' y# T9 i/ N9 t5 K8 Hよろこんで承知し、返事を書いて、まちがいないようにと数十回も入れ. I5 }4 K/ j% V4 `
たり出したりして見ているうちに入れ忘れ、あげくに空手紙が桓温に届
9 a' l" K' \% X4 g1 ~いたので、桓温はカンカンになり、それっきりかまわなくなって、浩は" p- i% {8 u/ C9 x& U, b
永和十二年配所で果てたのであった。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 21:59:29 | 显示全部楼层
長鋏帰来らんか

9 |( ~9 l  D, o* Y( p  O, g# u9 _( Z5 r* `* I# P! c
戦国時代の斉の宰相孟嘗君は、食客を好んだので天下の士が集まり、8 L% Y/ m, j; |( ~( _5 ]
中には罪のあるもの、逃亡中の者までやって来た。8 b0 Z. s" b( b7 w' o
 
2 S: O) ^/ ~/ D% p0 L 或る日、はるばる孟嘗君を訪ねてきた馮驩と言う男があった。草履ば# l; P. M7 m2 y: H
き、ボロボロの衣服である。孟嘗君は彼を伝舎という三等宿舎にとどめ/ u( u! K7 Q2 v6 u3 z- h7 G3 ^
ておいた。が、十日ほどして馮驩はどうしているだろうかと宿舎の舎監, J. y7 b7 T3 X$ k
に聞いてみると、馮驩は彼の唯一の持ち物である長剣のつかを叩きなが
" ?: A1 P1 J" z( hら、
) |9 o3 b8 S1 M / e" I/ C8 N5 e: X+ u
   帰って行こうか わが長剣よ
# k9 s$ S: X/ o   ここの食事にゃ 魚もない4 x1 R2 Y' [: Z' z/ y$ m  F
   (長鋏よ 帰来らんか 食に魚なし)5 T% [( C. W: s! _3 x1 r' E
 : r8 R, X. v% B1 S$ ]* b
 と歌っているということである。これを聞いた孟嘗君は、馮驩を一段: D5 e* z2 c, [7 v  N% ~  C& r- @: T8 `
格上の幸舎という宿舎にかえてやった。ここの食事には、魚がついてい' R0 P2 m8 H+ {) N3 o7 Q- A+ |
た。それで満足したものと思っていると、五日ほどして馮驩はまた長剣
2 k  B, O& E2 y8 D  U0 X: Z" _3 d! qのつかを叩いて歌っているという。+ R" j# T' n! h# `, x3 _
 
9 W6 j# U3 k5 V6 W0 R- o   帰って行こうか わが長剣よ. I9 \6 d% @, u
   そとへ出るにも 馬車がない
1 g1 S8 c$ `! K+ A/ G) S+ }- S& n1 p   (長鋏よ 帰来らんか 出ずるに輿なし)- \3 @* t) g8 J) R- U, T/ ?
 
; a+ W- V' i0 n; c) L! E 孟嘗君は最上等の代舎という宿舎へ移してやった。ここは外出するの
! N' |/ `" ?6 [6 v& s$ aに佄铯膜い皮い郡韦恰ⅳ丹皮长螭嗓长今T驩氏も満足であろうと思っ8 D& q3 A4 b, q
ていると、さに非ず。五日もたつとまたぞろ馮驩氏は長剣を叩いて、$ n1 ]9 O% m! T4 J! g- {8 j
 
3 n0 E# f, R. F+ v   帰って行こうか わが長剣よ
1 U6 g3 C' j- K& d+ o6 z6 X' J   妻子もなけりゃ 家もない' C0 _% t; A0 l
   (長鋏よ 帰来らんか 以て家をおさむるなし)
$ Z# N9 w& k+ m: e" q1 z# U' w& k 
4 G+ \* ^0 b2 V と歌い出したという報告である。居候の分際としては、これは少々贅* r$ ?8 b1 s9 v8 @3 h) s
沢な注文であったのだろう、孟嘗君もさすがに不愉快なかおをしてその
% D2 n/ n: E' r4 H& a0 }# f% qまま放っておいた(この話を「車魚の嘆」という)。
+ p* |# J+ s& e5 n0 g1 ? ; V- P) Z0 [* ]6 U' _2 h: _
 0 h, S5 s6 {/ K
 さて、食客三千人と言われた孟嘗君である。その費用を捻出するだけ+ c  }1 X6 ^& I9 C% R# I; w/ T: n
でも大変であった。そこで采邑の薛の領民に金を貸付けて、その利息で
- i! a8 h- t% y# `0 g" s/ eやりくりをつけようとしたが、一年たっても、利息どころか元金もろく
3 a; \( u8 S4 C- y% i( eに返ってこない。そこで舎監の推薦で例の馮驩氏がその取り立てに就く
; f# _$ h# i7 p' I1 W5 ?% W* cことになった。) u8 Y: D% Z- ]/ Y" Y
 
; M6 w8 J' k% ~# C* f- C 薛に赴いた馮驩は、かき集めた十万銭の利息で、借り主の全部を招待; j; a$ A* V5 O9 J( h9 x
して、酒を買い肥えた牛をもとめて宴席をはった。宴たけなわになった4 h! I2 t$ R5 \8 _7 v
頃、一人一人、借用証書と照らし合わせて、利息支払いについての期日
; S! w8 b/ }& R9 c# r1 `; T# c/ Tと方法を相談した。話し合いの簡単につく者もあるが、中にはまったく- z9 A! R. H- l
返済の手段のない者も多かった。馮驩は利息を払える者とは期日を確約
0 o* o( g$ ~. N. ^$ {2 qし、どうしても払えない者からは借用証書をあずかり、それを傍らの火. u6 z8 c9 V" v  M
中に投じてしまった。一座の者がみなハッとしている中で、立ち上がっ5 Z+ ]8 S0 c/ v0 i" E8 I
た馮驩は、& Z" X' s9 M1 }% d6 n
 
, b* T" K  k( `* k% ` 「孟嘗君は諸君に銭を融通したのは、: j% |3 _% |# B, W9 p/ `! `/ L, R
  生業の資に当てて諸君の生活の安定をはかろうとしたのであり、0 s  o! i9 o7 |1 f* ?0 A( n
  また、利息を取り立ててるのは、
6 ?) j4 S! R% x) w  食客を養う費用にあてるためであります。
9 b2 ^% m5 Q, p( y  いま、余裕のある人々は支払いの期日を約束したし、
. }7 i  s5 T1 z2 I$ D  本当に困っている人々については、
- j# c- \9 u1 n" \  その証書を焼き捨ててしまいました。
6 l3 A4 H( ~7 E: E% h% n0 n5 q  これがわが君の本当の心にそう解決です。
. }+ U5 y% g, H3 z' J  どうぞ、ここを弁えて、今日はうんと召し上がって、
- I% W4 K, `- e4 ?4 _7 Q  明日からはそれぞれ、一層生業にいそしんで下さい。」
. G( g; v7 m) r. T5 ` % _, ]* u8 D1 ^' t1 c6 l# ]
 と説いた。孟嘗君はこれを聞いて、カンカンに怒って馮驩を呼びつけ
- L- Y% ^$ _: w& M3 i  Q; N1 _たが、馮驩が、. H, c8 Z: F% P( p6 {" _
 
2 v+ n  E6 ?( G4 L4 ]& l 「取れぬ者からは十年待っても一文も取れるものではありません。$ [& j+ G  I1 C/ Y
  私はそんな無用な証書は焼きすてて、9 y" m* v) z1 `! P- q
  金の代わりに、3 h3 w2 B- R* r: z0 [
  君の心とするところを領民に刻みつけ、
! X* R  V0 K' j  R0 g8 b* a" @  君の名誉を高めて参ったのです。
. H. ~; t; \8 C& W9 v0 H8 W  これがどうしていけないのでしょうか。」
: D6 t. U1 n* R9 W, ^# k& S( b) O 
# [3 i) z6 e0 S" M3 e+ J と説くのを聞いて、俄に怒りを収め、かえって馮驩に礼を言ったとい* s9 r- O1 U" @4 r5 a
う。
% Y* G! @1 z, |5 p ( V2 y. y" t" H- f
 
5 U3 |* _! K* D  u& D4 Z. S のち、宰相の位を追われた孟嘗君が失意の心を抱いて所領に帰ると、
' G* z8 ]# m* g/ W領民は境界まで出迎えて、孟嘗君を慰めた。三千人と称された食客も皆  h1 a! }) H8 v. @4 I
そのもとを散り去ったが、ただ馮驩一人は最後までふみ止まり、斉王に" d$ D3 z/ F+ @3 E; M* S2 r: z% T
説いて、孟嘗君は再び宰相の位に返り咲くことができた。6 {) c, R! V- J* _. L  A( T
                   (「戦国策」・「史記」孟嘗君伝)
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 楼主| 发表于 2005-6-20 21:59:48 | 显示全部楼层
朝三暮四

" o: M& R. t3 b1 r5 X% y  G
2 N0 {! ^/ q, ~3 G; M 宋に狙公という人がいた。狙とは猿のことで、その名のように狙公は" a. W. e7 y/ d: q& I7 G
たくさんの猿を飼い、家の者の食べる物をへらしてまで猿に食わせると4 {& H1 q5 d# o( ^8 b& A; V
いう猿好きであった。狙公には猿の心がよくわかり、猿にもまた狙公の$ \0 O8 ^2 ?* C4 D
心がわかったという。なにしろ多数の猿だから、その食料もばかになら6 P: `8 k. z: X8 E9 k" D. s
ない。狙公はだんだん困ってきて、猿の飼料を制限するよりほかなくな; q+ u+ t! x6 ?, T
ったが、そのために、せっかく自分に馴れている猿の機嫌をそこねては* `2 `& ?5 a& c$ S  \, J
まずいと思い、まず猿たちにこう言った。1 x4 K( J4 T2 s) {! M. p& N  r
 2 s* R) X: i& Y
 「お前たちにやるドングリを、7 E; t# C  @* l5 w  x* b
  これからは朝に三つ、: Y! s) ~+ l# l4 ~/ b- G
  暮に四つにしようと思うがどうだ?」
; v8 z! O9 a$ N# y  [: p 
+ p, P3 T6 @' g! r' ` すると猿たちは皆怒り出した。朝三つでは腹がすいてしょうがないと
2 A, P4 c4 g7 c4 x! Cいう猿の心が狙公にはわかった。狙公は内心しめしめと思いながら、こ
; ^. h1 z. T1 M; Cう言いなおした。
# x7 V( Y' [$ o! w' y" M1 w 
! c4 _: m7 Q# j6 R" B* ]* } 「それじゃ、
( ~4 z7 t1 O% J  朝は四つ、暮に三つということにしよう。
$ N5 G/ i! m7 S  O8 R  そうすればよかろう?」# t; ?4 A3 D# j9 |3 O! a
 . A  y3 `7 i9 o" T' q/ {4 `
 猿たちは皆喜んでうなずいた。
, X1 u8 n( D1 p, f: V  A/ z+ f$ X$ q: W# r ; H4 f& C" f# a& f- S
 
0 c, d2 O* b2 B' }6 [; A) t この寓話は「列子」の「黄帝篇」と「荘子」の「斉物論」とに出てい
# k' o# u/ p( P2 |+ T; Aる。だが、寓する意味はややちがう。
7 r9 a! T3 m. h- I& W 
( h" ]& W# e. f2 f1 |+ j ) x! z  q4 `: O9 m+ p
「列子」の場合は、
" J' _$ y! W/ ^1 O" l. D「朝三暮四も朝四暮三も実質は同じでありながら、猿たちは朝三に怒り
& a! R2 ?7 V+ h+ H. N朝四に喜んだ。知者が愚者を唤jし、聖人が腥摔蚧絡するのも、狙公
4 u  f3 m7 ?  B" O8 [3 m/ E8 [が知を以て猿たちを唤jしたのと同じである。」と結んでいる。9 L0 P9 E0 {7 A2 c. P6 ^6 m
 2 M" ~4 {$ R3 w1 t! F
 
% k4 R4 O/ D% `3 F「荘子」の場合は、唤jされる者の中に立ち入って、
5 r2 {# d, r6 F3 j) D「神明を労して一を為し、しかもその同じきを知らざるなり。これを朝8 |# A& A* Z" o2 u4 d% L7 y' M
三という。」と述べて、そのあとにこの「朝三暮四」の故事を挙げ、是非( ?# n: w$ O9 K  G9 G0 ?
善悪に執着する者が、達観すれば一であることを知らず、いたずらに心1 o# r8 z9 {2 V( w# S1 t1 W
を労して偏見を生じることの例えとしている。
) A0 M4 `% w2 Z2 k  E 7 F* l$ t0 t8 [. w/ e! d7 a  X
 
3 S/ ?/ {8 a- `% T. V$ A" r! _) M だが、現在で「朝三暮四」の言葉は、狙公が猿を唤jしたということ( b* x$ T. `, R0 e: h; m) J4 V
から、「人を唤jしてその術中に陥れること」とか「詐術を以て人を騙2 I& [5 t" y: Q! h' `  T6 i
すこと」とかの意味に使われている。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 22:00:12 | 显示全部楼层
杜 撰
# u+ ]. \* O5 J1 `5 r( |
( f7 M8 D) _0 F8 v- f# P
 杜黙という人がいた。詩を作ったが、どうしても韻律に合わない。そ: Q) p7 Q2 d% N$ A0 J
こで物事の格式に合わないもののことを「杜撰」というようになったとい
* y# Z2 F) @$ m( V/ `5 S! E; uう。撰とは著作するという意味である。, |8 t# @* h: d. T) p) N3 @
 
0 _; Y& B7 q8 k7 l/ w* d また俗に杜とは《その土地に産れた土産の物》といわれている。たと( _# F; D' c$ U4 w: A1 \, N- F
えば、自分で作った薄くてまずい地酒のことを杜酒という点などは、杜& ~. f% K9 F8 H8 M. s  `' ~7 J8 T
撰のいわれと同じことだ。+ J: S! H6 [  {) \, {8 E2 d1 L
 
) C: U8 t( J( i* q 以上は宋の王楙が経籍の異同を考証し、訂正するために書いた「野客# T* A; _" ?! y& F- ]( k
叢書」という本にのっている。, s- U: ?, H- G2 p4 R
 2 e, ]: T& u7 p
 
1 F( t; Z) S6 P4 T- n' Z- E8 C 一般に道教は、中国古来の神仙説と、老子の道を融合したものとされ  G+ A9 M* C& O0 N
ているが、漢末に仏教が渡来してからこれと衝突、理路整然と書かれて, [) u; ~' N' R' m
いる仏典に対抗するため、それに似せて経典をつくり、儒教で潤色し、
. v3 P. a  O& F+ x7 w仏教の大蔵経に対して「道蔵」と名付けた。( l" m. u0 n" f8 {$ w
 
# t& e9 Z! I5 _; P 宋の釈文瑩が、北宋の雑事について書いた「湘山野録」には、この道- M# U" W2 }8 X, u4 z5 v
蔵にふれて次のように論じている。
4 u4 _6 g0 f/ |6 u 
. ]9 G. [- W- \$ u+ k- j5 ^9 e3 T( v  「道蔵五千余巻は、道徳経二巻だけが本物で、のこりは全部蜀
) Q5 ^+ h; H$ d4 k) |! E; H! f   (四川省)の学者杜光庭(唐の末から五代にかけての人、のち
/ l0 {  V" q; B6 d* P   に天台山に入って道士となった)が撰したにせものである。, O2 g6 ?" N/ f  n- S' G0 V& i
   それ以来、とるに足らぬにせもののことを杜撰というように. V# I% }* h1 K7 r
   なった。」' R+ q& |7 p2 S9 l; I
 ( F  M4 I  j  h! d9 c7 A
  「盛文粛公が節神道碑を作り、その碑文の撰をした。ある人が
  B/ f7 `/ u  t/ B( _" `  b6 j   《どなたの撰ですか》とたずねたところ、盛はあわてて《度
; P2 }4 X0 t7 l+ \% w! u: O5 ?   の撰だ》と答えたため、満座の人が大笑いをした。文粛は杜# W& Q+ l& ^5 l' o
   黙より前にいた人だから、杜撰という言葉のいわれは相当古
+ d3 z6 {) N: {8 Z2 E   いといえよう。」
8 W+ y$ A; |9 C" y$ F" M : m2 v9 V' o* V
 9 P: h% T- z* `" c, ?
 また明の徐渭の詩話「青籐山人路史」には、次のような話がのってい
0 k4 }1 g9 X2 K( m2 Q! ^る。: m8 z, C& K* e( ?% q/ _; g6 f
 
0 M  s5 s9 _, K9 y" S& v( V  V) Z  「杜という字の音はもともと土と同じだったのが、のちに土の( G- d1 k& o+ _; p6 l' t
   代りに杜を用いるようになった。いまの人は専ら一つのこと
: b% b. C) f' T  H8 `   ばかり知って、全般的なことのわからぬ者のことを士気とい' j& s0 P6 y, u" v( e9 @, n
   っているようだが、これすなわち杜である。」
  z  H& [) ^1 P+ D! B+ ~ 
8 j; ~2 o3 T1 P" f3 V( s 
( k! P) f1 ~2 T6 l2 [0 Q 以上のように、杜撰とは、基づく所がなく、うその多いことをいって+ z# R0 J9 I* f# z3 X
いたが、最近では、とくにあやまりの多い著作のことをいうようになっ+ Z$ z6 Z  W2 N: R% k2 v
た。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 22:00:33 | 显示全部楼层
恙なし
5 h' Z9 @; ^5 r% H7 }
2 L3 u9 C' _" H3 t1 _* q# f) y
楚の国の文人政治家である宋玉は、その文才と忠義とを以てあまりに
4 t/ m, P, e8 N, I3 R8 |3 ]& gも有名な屈原の一番弟子であるが、その文才はともかくとして万事師匠. I$ h4 a: E  e0 P4 B/ e0 y0 L
とはちがっていた。容姿も国士の風格のある屈原の厳しさはなく、あま
0 U* C0 Q2 M. Q. p# Jりずけずけ直諫するような危険な真似は好まない。同じく楚に仕えて大
0 O$ X: b8 [- s  T$ ^8 ?夫にまでなっているが、上の人に意見を言う時にも穏やかに遠まわしに
  I5 R( h* B. P& T/ j2 u諷刺するのである。むしろ女と酒と詩歌の華やかな宮廷生活のなかで、3 f  a1 a7 M  i2 ~
自分の天分のよき開花をたのしむ宮廷詩人であり、エピキュリアンであ
4 c% \/ ]- F7 b3 Dった。
% P& O( _7 m- |. Z; W. L& M9 g 1 [- `. D+ s) I/ g0 O; I. }
 この宋玉にも、一つだけ悲痛な思い出がある。かの天才的な詩人であ8 g4 W/ j  i% Z! ~+ V; @% Q0 C4 c2 K: W
り、情熱的な政治家であった屈原の晩年の悲劇は、さすがに彼の胸にも0 i: U" Z5 @% G- o3 b' k
深い感銘を残していたものとみえる。そこで『楚辞』の「九弁」のよう
' p# {( }, ?4 E3 ?な哀切をきわめた作品が生れたのだろうが、凄絶な秋の気から説おこし% C. I6 J, ^* ^9 I; `6 d
て、屈原の罩窑戎兢未煺郅谓U過を、自然の風物そして人事を錯綜せし
. G+ v7 n) f4 X* J+ H* U, J9 r4 W* eめて変化の妙を尽くして述べる。+ S) j$ y: h# z* C
 
( i. ?8 [9 `- [% G' Y& a  B  R+ c  「願わくは不肖の躯を賜うて別離せん。志を雲中に放遊し、精+ k2 n& v# q2 A0 r, u  C) X; ?* k
   気の摶々たるにのりて、精神の湛々たるをはす。……専々と: T+ M' A, P3 H, W/ {+ o
   化う可からざるを計る。願わくは遂に推て臧と為ん。皇天の
8 Z& x  D4 A4 W/ J  ^/ o+ J; ~   厚徳に頼り、還って君が恙無きに及ばん。」$ d. i) G: ~! _: B" W( w) A
 
' ^& |% U" F  Z2 G. g8 p( r( \6 e( F 讒言によって王のもとをはなれ、辞職するのやむなきにいたった屈原' x& D; h. V0 m, g9 @1 l$ t& l- ^  n
が、いつかわが君の恙なき時に、お眼にかかりたいと願っているのであ
" A( z2 m/ w- f3 fる。恙は虫が人の腹に入って人の心を食うもの。そこで昔の人たちは恙
# h% i& @" {; V; Y$ K5 P9 Y: u, a( ^0 \なきやと問うようになったというが、この説は全く誤っているという人3 S! @5 x9 a# Y: i9 E0 F- M9 D
もあってたしかではない。
; L) {/ ~7 \% h  j) l3 ? 
9 }  n5 \4 [8 z0 ~' v' f% q# S& q$ a . V4 p' {( O5 b' Q  S3 v
 また『史記』の「匈奴列伝」の「漢、匈奴に書を遺りて曰く、皇帝敬
9 m5 R, i  h( [8 {  eんで問う、匈奴の大単于、恙無しやと。」という文句は、『楚辞』の場
1 h* I" D. Z7 L, S( N) O- L' y合とまったく同じ用例である。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 22:00:56 | 显示全部楼层
庭 訓

! Q: p3 j2 @" e. q0 W! A) n3 R( Y$ |) @6 U  j
孔子がその子の伯魚にどんな教育を行っていたか――つまり、常日ご
5 V3 e* {' t, Z% ^0 K2 {; f- ?ろ聖人・君子人として道を説いてきた孔子でも、自分の子の教育となれ
" W& q( h! B8 l5 i# p1 l, q9 Mば、一般の弟子とは区別した特別な教えをさずけているのではないか―' R' o1 g. K% K  v% z6 o6 W* N, t( g) @
―と思った孔子の弟子の陳亢というものが、ある時、孔子の子、伯魚に
9 D- A; i! P# @: H! w6 eむかって聞いたことがある。* {) G. u  ^% x3 y$ Q5 ^
 
1 ^% z  v# t% Q8 r  t 「あなたは先生のお子さんですから、
& e# g# N0 c/ e! v) ^  なにか私どもとは違った教えを( f9 e6 {$ h9 G( O! ^4 T& E# S
  先生からお聞きになってはいませんか?」: D* g) Y, a4 q9 u7 R( Z
 
; _) X8 T0 a+ B) i これに対する伯魚の答えはこうであった。
, h5 k9 O  f# a 5 s  f3 e' e& G1 g. ?8 {; T
 「いいえ、そんなことはありませんよ。
- v: a  T7 i2 ^  こういうことがあっただけです……それは、/ V3 O( D+ K) S- {+ m
  いつか父上がおひとりで庭先に立っておられた前を、
! f/ b' Y6 v4 c9 k" F6 ~  私が小走りに通りすぎようとしますと、# i; F- p3 [1 c# b# N  O9 e
  父上から声をかけられて、
, G" h3 T; i( ~8 L* Q  『お前は詩経を学んだかな?』とたずねられました。0 y0 ]) Q5 M" I2 G9 l/ X, d
  『いいえ、まだ学んでおりません。』と答えますと、
) ?; c3 q. N3 [8 M  『詩経を学ばなければ、正しくものを言うことはできんぞ。』# U# t, h0 b* g) j1 s3 k
  ということでした。
) O! p: `& w8 z. P  そこで私は、$ f8 K2 _) B/ ?, r
  それから詩経を勉強したのです。
, O6 b; X, T0 Q5 K% j7 e/ O0 e & q9 ~, V  V+ l! _$ A
  その後また或る日、) `2 X# O! o* ]  o5 d8 a
  やはり同じように庭先にたたれている父上の前を、( z' t7 K# |0 ^/ B. Z. S
  小走りに通りますと、こんどは
2 d" s0 j2 M: M1 e' `, L  『お前は礼を学んだかな?』というお言葉でした。6 P, h/ m+ d2 |+ Z5 v
  『いいえ、まだ学んでおりません。』と答えますと、
  S8 d4 c  @3 v/ n  『礼を学ばなければ、行いのより所がでてこぬものだよ。』
: y6 U. p# Q9 J! M  といわれました。- ~8 D/ Q( }' W
  そんなわけで、
7 y& d  L" p  `  q; W5 e  私はそれから礼を学んだような次第です。」   (「論語」季子篇)9 Z4 n" c; {9 f4 Q
 " U9 M4 ?) u6 b
 8 q5 p; v$ D* C% v2 k
 詩と礼とは孔子のもっとも重視した修学のもとであったのだが、その. S. ^6 n3 A& G% F
詩と礼についてもわが子といえども、庭で出会う時くらいしか、特別な
! x% A' Z3 f+ |8 s教えをとこうとしなかったことを示すエピソードであるが、ともあれ、
' ?% D: F9 p! ?1 B庭訓の語は、この語から出て、家庭のおしえ、家庭教育という意味に使
0 N+ l# x$ k' hわれることになった。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 22:01:22 | 显示全部楼层
鉄面皮

( x8 M( q$ w5 d' }) @( W/ Y
& n% y6 y; Z- F3 i$ ^" P王光遠という者がいた。学問も才能も相当にはあって、進士の試験に3 R9 D! b& O* H3 d4 |, }
も合格した。ところがこの男、ひどい出世主義者で、上役はいうにおよ
6 o% f3 \4 }0 g: fばず、権勢のある人のところには、どうしてツテを求めるのかわからな* `" i) @2 L: j: g8 V
いが、しきりに出入りしてゴマをする。しかもそれが並ひと通りのこと
7 o6 }5 v- _# k8 v, p7 Z& yではなく、人前もはばからず、まるで太鼓持ちのような真似を平気でや
1 e/ G, M9 Y! P5 b- d2 i  fるのである。
( a8 r4 y+ h+ A 
6 `* a4 p8 K4 y* x 「いやどうも大したもので、
4 _' n3 U/ _: U: U# k  こんな立派な詩は、1 p" \, ]& M( }- i
  わたくしなどにはとうてい作れませんな。2 R  e2 f% C; C$ o1 Q+ O4 S# [
  いかにもお人柄が偲ばれて、
5 a0 k8 i6 G# p$ A  神韻縹渺と申しますか、
+ i5 D( }$ @% ]4 ]- U" C  李太白も遠くおよびません。」! S3 q* Y! S( t
 " i  B! `7 b) ]6 I% Z. v* S
 などと歯の浮くようなことを平気でいってのける。傍らの人がどんな! n! V( P$ k" b+ m( C$ b; j
顔をしようと、一向に意に介さない。相手が酔っぱらっていて、どんな
$ O" b3 k, D' B0 P' y3 Vに無体なことをしても、怒るどころかヘラヘラ笑っている。
4 t$ v; m( Z9 K4 u+ H& G7 e 9 B: M1 S+ {9 t# N1 r( ^3 S
 ある時も、酔った相手が、なにかのはずみで、鞭を手にして、
$ e. ^  B: n6 h$ e( G( g 
5 b- s5 N% I/ Q8 _ 「貴公を打つが、よいか?」, `  P0 K4 W" [$ f6 j
 : }+ H0 E$ {6 M; n0 c
 というと、# C  C% d. T0 D/ f! _
 
$ H4 p" \, s2 B 「閣下の鞭なら、喜んで……。」/ `) d' y- `% l
 
  B, d' }! }5 w% J2 e' q) |& r と、背中を向けた。2 E; t" b9 l( a  R' S2 Y2 p5 B; L; `
 * R' ?2 f+ k( B. x
 「よし、それなら。」; t! p. n# a( t$ O$ Z
 4 L/ L' d, s) ~2 l' Q* v3 q- K7 e
 酔っぱらいは立ち上ると、本当に光遠を鞭で打った。彼はそれでも怒& L$ @3 H9 }- f' q1 w
りもせず、相変わらずお追従を並べて御機嫌とりをした。
( T9 {2 E: w. ^ % @: O' V$ a* |( y
 同席していた友人が後で、2 b: R% z" T+ \6 H, I7 X
 
- n2 v+ |2 `! J/ a 「君は恥を知らんのか?
9 P" l0 C) ]) T+ A9 ]$ v. q  満座の中で、
6 N( C0 v4 \0 c  D: X+ L3 w$ Z' q  あんな仕打ちをされて黙っていることはあるまい。」' ^& e1 P$ d. R0 v0 y
 + N* h6 L6 F' ?2 j: Y7 \2 R
 というと、光遠は平気なもので、
( ^1 `! b" s  H$ { , E5 _  \0 N& {/ O8 o8 Q7 n
 「だって君、
! g# m7 M! {+ h. x7 |$ h% ^; q. T  あの人にとり入っておけば、
; X% v2 _, y  p6 u  悪いことはないだろう。」* V  k: r* ]7 I# B$ W! j  b  D$ X
 
. h4 ?1 Z: L7 u9 I" H$ q7 I といったので、友人も呆れてしまった。時の人は彼のことを、『光遠
' g5 ^4 V" N# @, V/ N9 S( ]; C顔厚きこと、十重の鉄甲のごとし。』といった。【鉄面皮】の語はここ
& J# b" h& _+ b' ~# s% Gからでたもの。                   (「北夢瑣言」)
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 楼主| 发表于 2005-6-20 22:01:48 | 显示全部楼层
轍鮒の急

& O$ y% {$ U* B0 c) l/ r& ~9 j3 W& |) Q' j
人間は上を見て栄耀栄華を望めばきりがないが、これはそんなぜいた
, N& F6 }/ y0 @くな話ではない。生きるか死ぬかの瀬戸際に追いこまれて、わずかばか" \7 ^9 ~2 B4 b5 a7 {& s/ N
りの救いを渇望する者の心情を、往来の車の轍の迹の水溜まりに落ちこ
5 C- k" H# Y9 S# q, Lんだ鮒の危急に託して語るのである。8 `1 I, a  _% G9 A9 i1 a
 3 p2 N4 E( q  g) r
 元の話は『荘子』の「外物篇」に出ている。荘子はご存じのように先9 b! |' H9 H* Q. H+ `
秦時代の奇矯で皮肉屋の哲学者、それだけに日ごろの暮らしも楽な方で
" x6 I5 ?& X/ g* d7 ^6 k% sはなかったが、貧乏なんぞなんのそのとばかり、精神の自由に生きるこ
$ `" a( u% i- Vとを楽しんだ人である。しかしさすがの荘子も、あるときは無一文にな
5 d' O& v2 m9 W$ xって、飲まず食わずの日が続き、たまりかねたものと見える。さるとこ
& \% H- k$ n' Xろの代官をつとめている羽ぶりのいい友人のところに、食い代の借金に
) g5 Z; x1 t& p$ A# T8 X出かけて行った。相手は内心迷惑とは思いながら、無下に断ることもで1 h& z$ T& |* @! I2 c' q% E& B
きぬので、苦しまぎれにこんな逃げ口上を使った。3 w7 n' U6 H$ [$ @& O
 ; u" `7 b  B  F; B) d
 「ああ、いいともいいとも。
' |$ D/ d" N+ l( g! R6 \) O  二三日うちには領地から取りたてる税金がはいるはずだから、
8 c, t: r/ E# u1 f7 R  はいったら三百金ぐらいは融通してあげられるよ。7 n$ @5 |( L0 X8 y( j6 ~; e( u+ O. n
  それまで待っていてくれたまえ。」4 z) T4 x6 \% R; G! ?& L
 / o7 m' }4 `; l% N: S
 荘子にしてみれば、三百金なんていう大金が欲しいわけじゃない。目
3 }* D! q1 p1 b前の飢えを満たすに足りるだけのわずかばかりの金をと思い、恥をしの' V0 `) t3 k7 K" X; _3 t" L, o) l& c
んでやって来たのに、体よく断りを言われて、情けないやら癪にさわる
# S( x# x  Y- d7 d! ]やら、そこでプンとして言ってのけた。
1 v6 M" D* }* Y' @9 _# A ) v" m7 C) P7 v) h: g2 z5 x
 「いやどうもありがとう。; e1 n9 C1 r, N2 k- V
  だがそれには及ばんよ。」
1 o3 j9 A! x5 X* i+ h9 w4 L" M9 A' o 4 U$ w- y. j: O6 d* _: A0 z& e! L( `
 それから、例の皮肉な調子でこうつけ加える。5 |; I: S& ]/ a, ^
 
" z9 y& F8 k" p0 l2 _) t 「ところでさっきね、
1 S3 }4 G  h- ]# y6 \  おれがここに来る途中で、
+ r! W3 |5 T3 J2 p5 a; i# r! G  おれを呼びとめる奴があるのさ。6 b4 w& S9 p/ @+ n
  誰かと思ってあたりを見まわすと、7 g+ H6 `. E7 t. }4 t
  往来の車の轍の迹の水溜まりに鮒が一匹いるじゃないか。4 N6 \) D6 [) e5 c
 
2 t. r4 D7 S9 e  }3 C; w& B; L  n- e  『いったいどうしたわけだい?』7 D2 ?% j) H  S, A) ?
 
! N- A4 w9 [$ ?6 ^+ ?% o! x  と聞くと、奴さん、
7 l* a0 X/ y5 y7 L7 f- O0 t, I ! T0 l* J  {% A& n5 }
  『こんなところに落ちこんで、
2 h; z$ W4 I' F. |   どうにも動けず苦しくてたまりません。' ~3 N: e6 f& w* @' l
   何杯かの水を撙螭扦啤- z8 ]+ e9 w: [$ \' N; p; \
   私を助けて下さいな。』
7 z: h0 m8 D% z( K8 K5 C & O2 a3 K! T3 M* q/ E2 m
  と言うんだ。
. _6 i' R: P( I, b* \  そこでおれは面倒臭いからこう答えてやったよ。& b$ [( L, g+ Y7 z. W9 f8 Y
 : ]! X' y' ~, i: N; o/ q& u/ ?8 u
  『ああいいともいいとも。
& [0 @- d' j; G) w  E% L   おれは二三日のうちに、
/ ]9 `0 y" W. D# z% M   南方の呉や越に遊説しにいくところだから、4 S6 Y" e/ o1 t4 Y
   そのついでに西江の水を、
! p' V( D9 \; h8 G   どっさりここまで押し撙螭扦皮浃毪趣筏瑜Α$ F/ D7 a" R* H+ A* o- P( @% U
   それまで待っていろよ。』  u6 `5 k, W4 ], A. q( Y0 }
 
' `1 Q: S0 z2 f9 K  とね。
- x8 ?, u/ |, n4 g5 I: Y; n  そうしたら、鮒の奴、& y$ `( u& c$ `. t
  プンとしておこりやがったよ。) J: U& z+ V$ _. z
 
0 a% b' |4 Z& c5 H, U1 ~8 L8 t  『私はいま、
0 p( k3 F: i$ G& E6 N: h  Y   どうしても要るだけの水が得られずに困っているんですよ。
' {' `. W9 f5 G, i2 {0 O   何杯かの水さえあれば助かるところですが、4 v# @6 v/ |9 e* x( P
   あんたがそうおっしゃるのならもうよござんす。% J6 v4 F! o3 E% C
   いっそのこと、
! `+ M2 k1 J. Y   後で乾魚屋の店先に私の死骸を探しに来てもらいましょうや。』
) L  @2 j6 X* k4 R" ^ . B7 f4 ?+ V' c; r2 H- a
  ってね。  e- b& ~2 }9 Y' ~- S1 q- q. D
  いやどうもお邪魔したな。
8 A- c# a3 `! X9 i' o  失敬するぜ。」0 ?& ?; D8 G. I+ H
 
% m! s! Y% i* w. n2 \ : c( g- v! b& p7 H, B$ f% Z
 自由人としての荘子のプライドは、精神の屈辱に耐えてまで腹の飢え
* C! d1 f' t, ]  T7 S* zを満たそうよりは、むしろ飢死を選ぼうという気概を示すのであるが、2 Z0 Q& E/ r& H. o: I' `' o; S3 M
普通に使われる『轍鮒の急』ということばは、つまり差し迫った困難欠2 z* E$ N( O6 e# Q, A! f5 Z5 \0 c
乏という意味で使われる。7 ]/ c# ?1 I( ^0 P
 4 \8 j; r. B. k, A. |3 [
 ひどく卑近なたとえだが、読者の中にも、こんな経験をお持ちのかた8 @  p; h9 v* f+ l% |  M  ]' K. G
は少なくないだろう。そのかたが煙草好きの御仁であったとする。日ご9 y" w& X0 H& B
ろは大のピース党だが夜更けまで仕事(むろん遊びでもいい)していて、
+ h. d. ~) p) m! A, |$ _あいにく煙草がきれてしまった、煙草屋も起きている時刻ではない。そ* d( `; s0 B: M& d1 {7 V
れでも無性に一服喫みたい、となれば、火悚位窑驋瓘hし、誰かが喫
' D8 d" B5 @8 @: O& q" F0 @" H, pみさしの新生半本でも見つけ出せば、鬼の首でも取ったような喜びかた0 `: W- V6 n0 C7 C+ ~
で、それに火をつけるに違いない。明朝のピース十箱より、眼前の新生
: E4 ^: M( e" m半本のありがたさが身にしみる。轍鮒の心情もそれでお察しいただけよ
2 e' ~/ {/ F* g- Y$ K3 bうというものである。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 22:02:06 | 显示全部楼层
天衣無縫
0 n) i$ Q0 W# V

3 ]1 ^  ~- f. F6 Y+ @夏も盛りのころである。郭翰という男が、あんまり暑いので、部屋か
* ~7 }1 `  b+ S/ @: g; Xら庭に下り涼をとりながら寝ていると、天に一角から何もののかが、ふ
, J' x! u/ f3 u  s& ^+ y2 i' V! Xわりふわりと降ってくる。(さてはて、人工衛星でもあるまいが、一体- \6 {$ S% B5 Y
なんだろう?)とはまさかだが、だんだん近づいて来るものを見ると、
8 @" p* E5 i1 R5 Q8 g5 G- f  Yそれは美しい女である。郭翰は茫然と見惚れていたが、
1 j+ D- u( Z! q9 S; @ 
$ x9 c& C# i' a3 @  y9 q) a: U 「あなたは一体、誰なんです?」
& F9 \  p! M0 d3 N9 s" l) R0 Y 
: `# [% b# |" F' c9 @ と訊ねると、その美しい女は、: X* I2 C9 @+ d0 }% y
 
! {; q( p. \. I; ]  m& S8 Y 「私は天上からやって参りました織女(天女)です。」+ u4 J4 v3 T2 E, j$ e5 w
 
6 W' P, ?) k8 i という。' f7 t: I4 l/ |7 Z$ B
 " e1 k% \0 d, @" _) y
 郭翰が傍らに寄ってゆくと、いとも軽やかで、さらさらと柔らかく美
. L$ u- ~& J& g1 w  ~しい天女の衣服には、どこを眺めてもまるっきり縫い目というものがな' ?7 L+ t  I' G. B
い。縫い目がないとすれば、衣服を作るのに、鋏断ちをしたり、針縫い* p8 z; A) s7 O! F7 x5 j5 y% x! N
をしたりしないわけで、一枚の布をつくるとき、その布がそのまま着物2 O1 a; P! G# M6 H
の形につくられていなければならない。郭翰が首をひねって衣服に縫い
* y& v0 P1 p' S3 v& R8 I' d目のない理由を訊ねると、天女はさも当たり前といったふうで、0 H, b' c( q4 x
 $ j, J4 j& d5 l
 「私どもの着る天衣というのは、  X) l, n4 l# X" ~9 U2 U
  もともと針や糸など使いませんもの。」
$ b$ W% D. K; d- R7 T+ d) l8 m4 k # L. f2 }* [. o' R# L
 と答えたという。(「霊怪録」)& V" D+ c) F' f6 K) K1 c% T" L
 
1 D0 `! p( a, P2 i 0 }6 E. `! i4 d& f3 {. v
 この天女の衣服に縫い目がなかったということから、詩文や書画で、
7 a5 C& h+ }; k- ~9 ]! q4 U小細工がなくて、おのずから見事に、さらりとできたものを「天衣無縫」
- @( {0 s1 Z  I+ \8 tというようになった。天上から流された仙人(謫仙)といわれた唐の李白
" |1 X  E. ?- K6 e  B$ y8 Yなど、まさに天衣無縫の詩才というに価する。
1 j! `6 I# x- y6 ]8 h ' T2 n8 h; }' [# p
 わが国の羽衣の故事でも、天女が下界へやってきて、漁師に羽衣を取  M& g2 {. @) k* [/ t/ V, Q1 r& J
られてしまうが、天には国境がないはずだから、この天衣もやはり縫い5 J* [$ \% ]+ p* E
目がなかったことだろう。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 22:02:33 | 显示全部楼层
天知る 地知る 子知る 我知る
; a8 s6 G/ o% _! W" B

. f/ j! ]0 U1 ~9 o. i1 Q. i 後漢時代には、宦官がはびこり、官僚も腐敗した時代であったが、高
! g% ^9 d5 a9 w( U) f潔な官僚もないわけではなかった。第六代の安帝のころの楊震も、その
: _+ F" o( Z4 Y2 }6 W) Z一人である。  D: I, c4 y$ Q8 w
   p( ?3 ?3 g- M- Y& ?! M  q( a
 楊震は、関西(函谷関以西の地。陝西・甘粛二省の地)の出身で、非常
( E! A0 e  f* _1 Q1 vに博学であり、また、清廉潔白な人物であったので、当時の人たちから# d" C' |! M0 o- V$ r( H
「関西の孔子」と称揚された。その楊震が東莱郡(山東省掖県)の太守に任0 ?6 f/ h# i* h
命されたときのことである。赴任の途中、昌邑で宿についた。すると、, l+ P$ o  p2 S
その夜おそくなってから、昌邑県(山東省金郷県)の県令(県の長官)の王
1 i4 [" ]. m5 F密が、ひそかに訪ねてきた。9 r; F: n! T2 m+ D
 
& H: x" d, @5 [3 N2 P' E5 Y 「太守さま、お懐かしゅうございます。
9 s3 |' E$ Z6 A& t  荊州(湖北省襄陽県)で、1 `$ ~9 [0 E0 ~: ~& j
  お引き立てをいただいておりました王密でございます。」+ l, R, p, L* W) [4 M1 P
 # D3 t: l+ Q6 u5 r8 Q
 「おお、しばらくだったな。」
1 P# o5 p# T- ~" m, H ' e: p4 k% k( u6 `- Q
 楊震は王密をおぼえていた。かつて荊州の刺史(監察官)をつとめてい
. d8 l* t- s$ Z; ]3 ^たころ、その学識をみこんで、茂才(官吏登用試験に合格した人。一般8 `; ^% ^2 o7 U9 ^; v
に秀才というが、後漢では、始祖の光武帝の氏名が劉秀であったので、/ }0 q6 p. b: j+ P
はばかって茂才といった)に挙げてやった男である。二人は、いろいろ  s1 z* ^, e9 `. |
と昔話に興じたが、そのうちに、王密がふところから金十斤(現在のい
4 G6 V/ H8 z& f& Uくらに相当するかは不明。かなり大金らしい)をとりだした。楊震にお
* d2 `* v. p$ _& Z5 {くろうというのである。しかし、楊震は、おだやかに、だが、断乎とし0 h$ I" Y1 V" }$ j/ [6 y# D5 d" J
てはねつけた。& C( |/ Y6 o9 t- w* B# E% I+ N& f5 q
 8 z/ s0 G8 J# w$ `  U& P# Z( p6 r
 「わしは、0 b0 D/ B7 S8 p. d; j4 E  F
  昔なじみの君の、1 x2 j3 [. \& W/ ^( b6 f
  学識も人物もハッキリとおぼえている。
- R6 H  I2 l! s/ i! l5 ?  それなのに君は、9 H  ]9 Y+ I0 i1 J5 V0 P
  わしがどういう人間であるかを、: T- R' d' y. n5 B6 D( r- x+ e" U
  忘れてしまったのか?」3 q) r7 @& e+ }8 V/ M6 O
 4 z6 ]- Q! ^6 b* ~- U- `
 「いいえ、太守さま。$ c8 ~% M4 p' f/ c$ s: e/ w
  太守さまがどんなに高潔な方であるかは、3 G. I. `) A! j
  肝に銘じております。0 R- l7 o) X4 W
  ですが、これは、
- v4 F+ f- ?6 _8 B8 C4 d' V  べつに賄賂といったものではありません。
) y0 b  s& B' K  K4 g  ただ、むかし御恩にあずかりました、& I1 X$ y' l  U% v1 S7 i  Z6 X
  ほんのお礼です。」7 u5 f2 x/ j+ \" K7 H# M
 0 j. d; F1 C' v6 D& @- X
 「君は、わしの見込みどおり、# I1 K1 u. |  b; E1 Y7 P
  立派に成長して県令になった。
2 Z5 D7 ~/ w6 _- B. i  まだまだ栄進して世のために尽くすことだろう。
' `8 L& L# ^+ ~9 F) m# N  わしに対する恩がえしは、! [, b3 k2 Z$ f7 E1 a: P+ z9 ^0 w
  それですんでいるではないか。」5 H3 T  ~( z: M  C5 R% v# ?  ~$ v
 
. _& i. o# h1 X7 w; Q9 [ 「いえ、太守さま。) j0 T2 n+ K/ H1 t7 p! K. e$ t( g
  そんなに堅ぐるしくお考えになりませんように、+ N" i9 |; F3 ]. H/ D/ z3 W6 M$ L8 Q
  それに、こんな夜中ですし、
5 j. v& v' Q2 w7 W  また、この部屋には、" d' p! X5 S1 ^) w# s" N% W
  太守さまと私と二人しかおらず、7 u3 \6 W" Z- D8 e
  誰も知らないのですから。」
6 r; h; a- P) b! [; e6 ^  a- j3 K + U* Q  ~' O1 w* ?2 z* M
 依然として、楊震はおだやかに王密をみつめていた。一瞬、その眼が* ]$ Q+ N4 `# l1 @* n
チカと光ったが、静かに諭したのである。* Y3 @' G$ [- Z& D$ M, o
 
2 I9 j) W# ^0 Y* X. C5 y 「誰も知らないということはないだろう。
+ I  D/ N( [: R. \/ u% A  まず、天が知っている。8 ?" D$ S4 l+ f: _; _9 O/ [+ }
  地が知っている。8 [. ?4 ?8 D. F0 V( ?' p, a
  それに、君も知っている。7 v8 @- k  J4 q4 q* u
  わしだって知っているではないか?」
/ K$ w( q6 K" C% @/ q  (天知る、地知る、子知る、我知る。)
8 Y2 E7 H9 c& b 
# t  H- K, g5 g9 k% w さすがに、王密は愧じいって引きさがったのであるが、その後、楊震. V& s3 J/ V* C; O" t3 X2 D
の高潔さはますます磨かれて、やがて太尉(兵事をつかさどる最高官)に
1 u0 l- ~1 k; x: P4 k4 s' _, Bのぼったのである。
) b$ J4 N) ]+ { 
1 y4 t9 f( x# a" q 
! Q0 [* E% k4 y' G+ u この話は、『後漢書』の「楊震伝」と、『十八史略』の「東漢、孝安) A. c9 v6 S7 Y% |/ H. C
皇帝」にある。【天知る、地知る、子知る、我知る】を「四知」という。
2 q' B: g1 ~9 l4 s「楊震伝」では、「地知る」が「神知る」になっているが、「地知る」
$ z1 ?1 j  P( @% g, _# c% `3 iの方が有名である。
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 楼主| 发表于 2005-6-20 22:02:58 | 显示全部楼层
天高く馬肥ゆ

- y8 Y1 A6 ]% i" t8 P& g- |, O' g. \' B" O; m
むかし中国(中原)は、しばしば匈奴(ツンヌ)という北方民族に辺境を
# p6 k5 E7 K# z3 l0 x) v侵され、あるいは本土に侵入して荒らされ、歴代の王朝は、その防戦に
5 ~6 j) `# {/ c( [悩まされ通しだった。
& L' G" s, @: m; M 
' {) D' g0 p( [% x: E! O この匈奴は、蒙古民族あるいはトルコ族の一派といわれ、殷の初めご0 \, u6 o: }& I* K* x
ろに興り晉の初めごろ亡びたそうだが、ともかく周から秦・漢・六朝と、
5 K/ Z: L2 ~% y6 {  @約二千年にわたって中国の悩みの種となった剽悍な民族。秦の始皇帝の0 y+ q# J0 c$ d2 s; t2 Z+ S$ v9 A7 r$ c
ように、遠くこれを討ち払い、その侵入を防ぐため、万里の長城を築い
! H  ^/ W% K0 O* Pた帝もあれば、漢のように美人をその首領(単于という)に贈って、懐柔
2 ^8 C" U6 P/ P# |; v7 o1 x( }しなければならなかった弱腰王朝などさまざまである! O8 v- U. M4 U; {
 ; I$ w9 ^8 G$ w8 s- C: e
 匈奴は侎Rと騎射が大得意、いつも集団を作って風のように襲いかか
* G' f( ^* d! R: q# h/ \り、矢の雨を降らせて人馬を殺傷し、財物をかすめては、再び風のよう% `& z' Y7 y4 ]( k& S
に去って行くのが常だった。3 i( V  Y* l$ q) L/ H
   m" i& x6 t- c; m2 C2 ~2 a. j
 彼らの住居は、中国本土の北に広がる広大な草原。放牧と狩猟が主な- W$ s2 R# M1 h9 r
日常だった。こんな大草原の唯一の交通機関は馬だ。女でも子供でも、
! e+ `: Q6 N3 I- k( k' j" U0 c自分の足の一部のような気持で馬に仱毪贰ⅳ饯欷扦胜堡欷小ⅳⅳ閈
2 F$ ~. s9 {) O/ Y! o- xゆる用が足せない生活でもあった。* n% v+ F6 {; w$ J+ R% `
 
) @# [. _4 w$ F# {9 g2 e& Y7 f! U  s 春から夏にかけ、一面の草原で、腹一ぱい草を食べた馬は、秋になる0 U4 }# ^5 v( k9 [) d( M
ころは丸々と肥えている。やがて草は枯れ、草原には厳しい冬がやって
8 k% P, k9 A( c$ R! d- \来る。十月に入れば、日中でも零度を越すことはまれで、もう放牧はで
5 B! I$ e; ?/ X0 l4 I, _' Jきない。匈奴は、えさを求めてうろつく狼や狐などを追って蕭条たる草
! m& U8 f% e* A6 o原を走り廻る。家畜がねらわれることもたびたびである。零下何十度の& }, _6 C6 r" h  S* J
酷寒と、厳しい風雪に堪える幾月がある。肥えていた馬も、この冬の間
, K) C1 W3 P- Aは、自分の身体を食って、生き延びねばならない。春になるころは、馬
' n! w8 S' P( L7 s2 dもゲッソリとやせ衰える。春から夏にかけての蓄積がなければ、馬は飢9 M& P: B; m- K/ _: n5 n, a
えと寒さで、参ってしまうほかはない。
0 b& K3 K9 Q5 K/ j2 J5 g1 a" C0 @ . F) _6 s! z3 x( f+ Y
 草は枯れ、馬は肥えた。草原はカチンカチンに凍った。秋の空はあく' b6 K# i; W: u# \) I
まで高い。冬の来る前、草原には、しばらく晴天が続く。冬のカテを求/ ?) U; l. y$ H/ P( c# l
め、匈奴たちは朔北の風に仱盲啤⑴つ悉伪就沥搜氦芳膜护搿7胜╘3 M% y# y2 E/ x7 C( ^5 p0 `
た馬にまたがり、よく整備された弓矢を携え、匈奴は走り来り、走り去
1 z3 B# H+ F; ]7 G4 l7 e/ n4 mる。だから、秋になると北方に住む中国人は恐れた。9 g) t1 ]' x1 x- u6 h1 h" M
 
, Q* `5 v7 {6 L 「また、
6 P! N- D2 ^% h0 W! F" a. H" M  あの匈奴が攻めて来る。( _, H& r  \/ D1 E; ~
  防戦の準備はよいか……。」) k" @( D# V0 Q* _5 C
 - y# b# ^6 V2 {" m  B8 H3 z6 \1 S
 辺境を警戒する兵士たちは、城塞に入って弓のツルを張り替え、ヤジ
1 k2 X9 z0 ~, A7 Z3 S; n3 E  Kリや剣を磨き、見張りを一層厳重にする。カッカッという馬蹄の音が、6 }3 n, N* E4 B
つなみのように押し寄せる日ももう近い。
5 ]8 z, B5 d  V 
/ X6 d% R* m6 x' Z% [5 x2 }& V 
$ g& m4 v7 a& w8 P 『漢書』の「匈奴伝」にいう、
6 ~: y! |; N6 X7 Z. i( {   D6 |% }# P7 N" q4 P
 「匈奴秋に至る。馬肥え弓勁し。即ち塞に入る。」と。
& ^; s5 T" x' D( I1 U 1 |- t) o* a  m
 * r' K4 D; C; f3 n- ?, w7 x* G
 杜甫の祖父、唐の杜審言は、匈奴に備えた辺塞に出で立って征友人の0 ]6 C$ R, Q+ N2 U0 v  B5 `: u
蘇味道に一篇の五言排律を贈り、# |. p; k/ g; Z
 
, q1 {9 p: L4 [! B  i3 _" f  q+ ] 「雲浄くして妖星落ち、秋高うして塞馬肥えたり」
# c% N6 P' _: u, z& b" d 3 P! k; \$ W7 t  M& D: o0 c
とうたった。この《塞馬》は、漢軍側の塞の馬を指している。7 y' u' {4 D: ~, {) p- o0 a
 
; s; M$ x, n- c( k8 i 
( k; U* T" Q# |9 Z" R! I 一般には、「天高く馬肥ゆ」とか「肥馬秋天にいななく」とかいわれ
3 T! f  j6 i+ n% G5 X$ `ている。これはむしろ、秋になって食欲が進み、肥えるという意味の方
, t# O' L+ C/ r+ X% s0 |& B6 \が強いようだが、もともとは、いまのべたような事情からだ。
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