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发表于 2005-6-20 22:02:58
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天高く馬肥ゆ " W M8 P M2 k# ~+ g& I# B
7 C( {" P' i- R) Iむかし中国(中原)は、しばしば匈奴(ツンヌ)という北方民族に辺境を
( P# e5 n$ C7 S) ?9 ]/ q( I侵され、あるいは本土に侵入して荒らされ、歴代の王朝は、その防戦に
$ f1 }* U' v, K3 |悩まされ通しだった。7 t9 M+ h, w7 @2 S2 g( S9 P3 ^
( t4 C7 b$ j- W; A( m0 t. _! X この匈奴は、蒙古民族あるいはトルコ族の一派といわれ、殷の初めご
0 V) _3 ]" @' r R. dろに興り晉の初めごろ亡びたそうだが、ともかく周から秦・漢・六朝と、
% |4 o% w( s' {8 n0 }+ l約二千年にわたって中国の悩みの種となった剽悍な民族。秦の始皇帝の! j, q' [. \9 \* n
ように、遠くこれを討ち払い、その侵入を防ぐため、万里の長城を築い" k" U& K- u/ t8 k* x; o
た帝もあれば、漢のように美人をその首領(単于という)に贈って、懐柔7 I% ]6 [ M# ^& D9 d, g. ]# H' `
しなければならなかった弱腰王朝などさまざまである
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6 t% n; J' W [& d- R. y5 ]9 L }; D 匈奴は侎Rと騎射が大得意、いつも集団を作って風のように襲いかか6 L, v0 Z- B6 t, Q7 p
り、矢の雨を降らせて人馬を殺傷し、財物をかすめては、再び風のよう2 X* \( x/ v" l) B) H
に去って行くのが常だった。2 L0 V0 C; h9 S( J" M
4 W' ?& F5 ?7 G* W3 D9 U7 C2 ^ 彼らの住居は、中国本土の北に広がる広大な草原。放牧と狩猟が主な
7 G4 y1 p3 A$ T; Z% A5 W日常だった。こんな大草原の唯一の交通機関は馬だ。女でも子供でも、
* i! Y9 c3 P, O5 @5 v5 R* h自分の足の一部のような気持で馬に仱毪贰ⅳ饯欷扦胜堡欷小ⅳⅳ閈, w& I. @& g6 K# ^+ Q {& s- ^
ゆる用が足せない生活でもあった。
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% x$ |/ ~+ J& @+ B2 t' M 春から夏にかけ、一面の草原で、腹一ぱい草を食べた馬は、秋になる
% B2 Z. L7 T0 A# Y9 a/ w# @& Hころは丸々と肥えている。やがて草は枯れ、草原には厳しい冬がやって
% B d- m. W3 V6 q! @1 m$ o来る。十月に入れば、日中でも零度を越すことはまれで、もう放牧はで
3 s) A) B9 d9 eきない。匈奴は、えさを求めてうろつく狼や狐などを追って蕭条たる草& x3 `( ?8 c( v/ Z: z
原を走り廻る。家畜がねらわれることもたびたびである。零下何十度の
+ ~9 O6 M/ J( U+ q3 O酷寒と、厳しい風雪に堪える幾月がある。肥えていた馬も、この冬の間- M9 S6 u& Q4 h7 p4 d% r
は、自分の身体を食って、生き延びねばならない。春になるころは、馬
% H9 |( h, j# Z4 R) Sもゲッソリとやせ衰える。春から夏にかけての蓄積がなければ、馬は飢
" x: ], n6 }( w5 l1 Cえと寒さで、参ってしまうほかはない。& i( `1 B, R1 k* [
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草は枯れ、馬は肥えた。草原はカチンカチンに凍った。秋の空はあく
+ w' f: y: R2 r( `; z7 v+ d* b: Eまで高い。冬の来る前、草原には、しばらく晴天が続く。冬のカテを求
3 _% j& C3 S4 l) A! ?8 h0 e, Jめ、匈奴たちは朔北の風に仱盲啤⑴つ悉伪就沥搜氦芳膜护搿7胜╘
7 o( u% p4 w4 |3 B5 M5 xた馬にまたがり、よく整備された弓矢を携え、匈奴は走り来り、走り去6 w) P) i8 h, U$ _/ j
る。だから、秋になると北方に住む中国人は恐れた。7 j0 T0 m' u+ j+ _1 _
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「また、5 s W8 S4 [* T1 ~# C
あの匈奴が攻めて来る。
. D, Q5 e. R/ G7 J% i8 v$ d 防戦の準備はよいか……。」
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辺境を警戒する兵士たちは、城塞に入って弓のツルを張り替え、ヤジ% x1 q( X- d4 m9 m6 [, H, S
リや剣を磨き、見張りを一層厳重にする。カッカッという馬蹄の音が、
' v# Q7 F9 E3 |7 |/ F2 cつなみのように押し寄せる日ももう近い。
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. u" l& E- z2 E/ V% ]% H 『漢書』の「匈奴伝」にいう、
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「匈奴秋に至る。馬肥え弓勁し。即ち塞に入る。」と。
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杜甫の祖父、唐の杜審言は、匈奴に備えた辺塞に出で立って征友人の
, r! ?! P1 k, P* o4 V+ g2 o/ t. u蘇味道に一篇の五言排律を贈り、
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, m1 `4 T, n& t9 r# j: {! o 「雲浄くして妖星落ち、秋高うして塞馬肥えたり」3 F) @$ O) E1 h9 Q" |# M! E8 Y
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とうたった。この《塞馬》は、漢軍側の塞の馬を指している。
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2 i" | k* L8 z* M 一般には、「天高く馬肥ゆ」とか「肥馬秋天にいななく」とかいわれ" D8 u5 U0 b8 [' ]/ c
ている。これはむしろ、秋になって食欲が進み、肥えるという意味の方
% `% e @ d) S2 k0 O1 z' G7 gが強いようだが、もともとは、いまのべたような事情からだ。 |
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