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楼主 |
发表于 2005-6-20 22:02:33
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天知る 地知る 子知る 我知る
: A& h' Z& I! B$ I+ |- E$ D/ q5 J9 g/ {( p
後漢時代には、宦官がはびこり、官僚も腐敗した時代であったが、高; _" s5 k9 a; J$ I
潔な官僚もないわけではなかった。第六代の安帝のころの楊震も、その
9 `/ h- ^) x" q0 h一人である。 M( k7 V7 e( d6 g& I0 y# S5 D
- W+ q" z7 ~$ ^1 n8 r( W 楊震は、関西(函谷関以西の地。陝西・甘粛二省の地)の出身で、非常9 D e0 W* x! r+ Y/ n
に博学であり、また、清廉潔白な人物であったので、当時の人たちから
+ w7 V3 [2 R3 S「関西の孔子」と称揚された。その楊震が東莱郡(山東省掖県)の太守に任
) |" n- Q" a9 E9 j0 r# F命されたときのことである。赴任の途中、昌邑で宿についた。すると、" F. A P6 P) \5 V7 Q5 n) K' A
その夜おそくなってから、昌邑県(山東省金郷県)の県令(県の長官)の王9 f, X3 c, T, n8 Z8 @# `6 x- ]
密が、ひそかに訪ねてきた。1 ?2 X( I* k0 C2 Y0 I7 n# U1 N4 D, y
: F, v. n5 T, `5 X0 E% E @ 「太守さま、お懐かしゅうございます。
$ w7 D: B; s5 c* H 荊州(湖北省襄陽県)で、
/ n( M6 n2 g- w v8 _ お引き立てをいただいておりました王密でございます。」- G9 [3 `3 S' L, b* q* V* u" y
) A' y- I2 z* Z/ @/ G 「おお、しばらくだったな。」
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, R- X2 C) @$ W6 z: o4 l 楊震は王密をおぼえていた。かつて荊州の刺史(監察官)をつとめてい
1 D6 N& N! u4 o; S2 \9 D9 }たころ、その学識をみこんで、茂才(官吏登用試験に合格した人。一般' {! j# \0 H4 z; M' l. f" L1 e
に秀才というが、後漢では、始祖の光武帝の氏名が劉秀であったので、
( `+ K+ _0 X0 Y: i9 iはばかって茂才といった)に挙げてやった男である。二人は、いろいろ( A! R, K4 b$ x1 h
と昔話に興じたが、そのうちに、王密がふところから金十斤(現在のい/ V- m. D/ b4 n ^/ @8 [
くらに相当するかは不明。かなり大金らしい)をとりだした。楊震にお/ e- g9 K2 Q6 ? \$ O& ~! [
くろうというのである。しかし、楊震は、おだやかに、だが、断乎とし- _: G* F5 Z8 R" B/ y* A
てはねつけた。% W3 W" C4 F% n
+ X8 h1 A, g$ W: g4 s 「わしは、
5 C% X8 m; f, A( P 昔なじみの君の、' `) M& c' z" i# S$ N
学識も人物もハッキリとおぼえている。5 v4 e- B4 H! |
それなのに君は、
4 R. H0 G! K, F4 C: C s+ g わしがどういう人間であるかを、# v1 i' p4 m9 ~' h9 i
忘れてしまったのか?」8 l( H7 F: F7 P
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「いいえ、太守さま。
) ]8 M$ H \. O- ?+ U) R( e: O 太守さまがどんなに高潔な方であるかは、
8 K2 ^, Z" A3 H0 s) H. q6 j1 k9 w 肝に銘じております。' \" }2 T, [5 I5 e8 h4 l
ですが、これは、
# R1 H% H3 B# M0 u) ` べつに賄賂といったものではありません。/ W: e: r8 ~3 G- t: a* E
ただ、むかし御恩にあずかりました、
, x s$ c2 F8 g: Z. j: M" D ほんのお礼です。」
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) P+ z1 o" w! T( D+ m 「君は、わしの見込みどおり、2 J$ `' n8 Q5 Y$ b
立派に成長して県令になった。1 O; j: h' z9 Y; l+ z/ q: q5 n
まだまだ栄進して世のために尽くすことだろう。
/ G: g0 _ l7 M. N わしに対する恩がえしは、
) S7 q4 e! N$ n, `7 p5 m それですんでいるではないか。」
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「いえ、太守さま。
) t# a5 R+ U" N& c: L! y, C そんなに堅ぐるしくお考えになりませんように、7 C4 A! O" w3 d% D
それに、こんな夜中ですし、6 j) v2 k# L8 H, L8 P# P/ k
また、この部屋には、
! r& T7 U7 B7 `1 t) E 太守さまと私と二人しかおらず、) }& N7 f+ z! |9 d
誰も知らないのですから。」
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! X! L: \3 _0 H) [; l. [ 依然として、楊震はおだやかに王密をみつめていた。一瞬、その眼が
o+ b7 Z- `9 S' _. D% j% ]チカと光ったが、静かに諭したのである。1 V8 D0 i1 I# I
. U7 @# p* Y, F/ H: d 「誰も知らないということはないだろう。
. D7 |" b; M$ ?! ]+ `0 X まず、天が知っている。% F8 B" I/ X! D5 Q
地が知っている。7 S9 r1 E7 j+ G
それに、君も知っている。+ N- E+ k$ \& J9 p1 P" c q
わしだって知っているではないか?」4 j4 L0 f$ C+ H3 k2 I2 I
(天知る、地知る、子知る、我知る。)
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$ J9 d$ r6 z* v1 j5 O さすがに、王密は愧じいって引きさがったのであるが、その後、楊震, {6 f8 k4 O6 O, W( K" d/ p6 t2 \
の高潔さはますます磨かれて、やがて太尉(兵事をつかさどる最高官)に
& i. V& m; f( ~- o2 p, Vのぼったのである。
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この話は、『後漢書』の「楊震伝」と、『十八史略』の「東漢、孝安/ G- Z. b P# S
皇帝」にある。【天知る、地知る、子知る、我知る】を「四知」という。
" G. ?' ?9 b6 c! H( \0 \5 y「楊震伝」では、「地知る」が「神知る」になっているが、「地知る」8 [) i! y( }( w1 d
の方が有名である。 |
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