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发表于 2005-6-21 08:43:29
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掣 肘 2 T: |5 \) f. ?2 N l
. ~; T0 J0 d- L7 w( a0 E+ h# f( B孔子の弟子にフク子賤という人があった。魯の哀公に仕えていて、亶
$ C0 O' \9 @8 n父という地を治めることになったが、フク子賤は、魯公がそのうちつま
( p2 ^. K0 \) s% ^らぬ小人輩の讒言に動かされて、自分の思うような政治が行えなくなっ7 }* X. H6 K' o7 B) B* z, p
てはこまると思ったので、魯公の側近の役人二人をかりうけて、これと
# i6 O* {/ G8 |% w& z9 w- q一緒に亶父に赴いた。任地について役人たちがみな挨拶をのべにやって+ J/ T! e; e3 S |9 A4 K9 f
きたところで、フク子賤は、魯公のもとからつれてきた二人の役人に書
1 Q+ x' J8 D! g) F7 D) O類を書くことを命じた。4 C- e& b, S4 p8 l$ x: [3 U W
& z& \# X2 h) O( _2 r さて、二人のものが筆をとって書きはじめると、フク子賤はその傍ら
, ?3 y/ K* ^6 [- vにあって二人の肘をちょいちょいとひくのであった。できあがった書類
5 g( ^1 _- Y9 z! }! }は当然字画が曲ったり、ふるえたりしていた。しかしその書類を受けと6 K9 _! M2 N% z) m3 `& @1 S
ったフク子賤は、字がまずいといって二人を叱りつけたものであった。0 S' _9 H7 y* }) d: U# Y
そこで大いに憤慨した二人は、ただちにフク子賤に辞任を申しでた。す6 q" s5 i. n q5 `
るとフクは平然とこう答えた。
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「貴公らの書はまったくなってないね、+ [5 e! l7 t0 O6 t
これじゃ使いものにはならないから、
' Z, h4 }% R% k0 f; }: i# m お望みならばさっそく帰りたまえ。」
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. P: F p: p/ t) U. g- z } 亶父を去って帰りついた二人は、その足で魯公に謁見してこう報告し$ g! ]& v' @, z6 R1 I9 e
た。
, J' C0 R R) e. M1 `
; X, d$ s6 P0 {6 S, V( M' y 「フクさんのためには、
8 s4 l0 V6 N. H; X0 [ 働くどころか書きものすらできません。」
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% b$ `) v0 U% i5 N 魯公がいぶかしんでその理由をきくと、, w3 v$ C& a i% f2 |
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「フクさんは、いきなり私たちに書きものを命じましたが、
1 R, k2 c$ ?. }+ S6 K! k はたから肘を押えたり、つついたりするので、% b/ C2 l: ~2 @7 q( U6 X/ z C
字が思うように書けません。
u! |2 t& _3 D それでいて、
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4 b+ U' S% t2 _" H0 p3 V% [0 _0 ]3 I 『お前たちの書はへたくそで使いものにならない』
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とさんざんお叱りになるのです。
; Z0 U6 s/ O, w5 A 同座していた役人たちも、, q6 y* C( l% ^* ?7 h/ y- y
みな笑っておりましたが、 W# \2 Y' z! U# B1 i/ \4 g7 z
こんな馬鹿馬鹿しいことでは、
5 R& K: M" n' {! p7 L# z 私たちには働きようがありませんので帰って参りました。」, k( D2 Y6 ^( L" G/ ^7 v+ l
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というのであった。; |: Y$ L \" I: A* P9 ~1 K5 x
" x; S' ]# W1 H6 w: c! z8 W I* [ これをきいた魯公は思わず嘆息していった。
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. X# K! L! G9 n+ Q 「それは、私の不明をフク子賤が諫めようとしてのことだろう。' E: h$ z* G% f* ^
おそらく私は、
5 p! V3 O7 E* c) m* q( @* @ フク子賤の政治のやりくちを乱して、8 R$ y$ \* v+ q6 F8 n* y7 A. s
思うさまの施政をやらせなかったことが、" A/ P0 L4 M F$ J1 o
度々あったのに相違ない。. R) }$ J0 I/ d/ n- v% o
これを知らなければ大きな過ちをおかすところであった。」' j! F* D2 m' P$ @8 x0 [
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こうして、自分の信頼する側近を亶父につかわしてフク子賤にこう告
+ R* D$ o, B7 U4 dげさせた。
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「今からは、9 H. J9 F0 \2 V
亶父の地は私の所有でなく、
1 Q# x( G, M" V9 ]1 q 子の所有である。
3 X0 d* e, p2 N2 K; j0 O 亶父でなすべきことは、
' V! ]) ]! a6 v7 J0 t 子の思う通りに行って下さい。
" l1 C1 f9 X0 ^. `! y& O& a& N 五年をへてからその報告をうけましょう。」
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9 p- O% e, L. ^1 _ G フク子賤はつつしんでこれを承諾し、自分の思うままの施政にはげむ
! K+ t( q0 D# T/ X; E( _# @" |; tことができた。
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その後三年をへて、巫馬旗というものが、ボロボロの百姓姿に身をや: R( a4 g$ ~+ O* |
つして亶父に赴いてその徳化のさまを見たが、夜、漁をするものがあっ4 [6 n1 H2 i5 n; {; H$ P; [
て、せっかく網にかかった魚をまた河に放しているところに出会った。5 s! n: u- L! m* T4 M
不思議に思った巫は、その漁師にたずねた。
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7 y3 H" K$ F8 y8 K, @ 「漁をやっているのに、
s. ]5 g8 N$ B" t/ M$ d4 n せっかくの獲物をなんで放しなさるのかね?」$ j) q+ T7 V0 B( }
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「フク子賤さまが、
& t3 ~ a! j" J8 \9 Z- D) E0 F: ` 小さいうちに魚をとってしまうのは、
( ?" f: c, ]; M" K4 m/ S みんなのためにならんとおっしゃるだでな。
' d5 i& k7 g- J. @& c 小さい魚がかかれば放してやるまでだよ。」
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7 `$ L( c' b7 a& I( m8 X, \$ b4 @5 S という返事であった。
! k& q% P9 I, }' j5 r# x 2 b" }) u* E0 d1 B, O; o
巫は大いにその治政に感嘆させられたということである。+ ~+ r# ^9 F7 {( \: h
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) V: D, W0 S( ]% g
これは、「孔子家語」と「呂氏春秋」に見える話であるが、ここでは
$ K8 A. R$ F' y: Y: H) s2 V「呂氏春秋」の「審応篇」によった。) {0 V3 e8 F" j2 T _2 u6 R' g
(「孔子家語」では亶父は単父となっている)
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8 g- h: O. d4 N8 }' [+ a% @( _% s 掣肘とは、この話にみられる通り、人の肘を制約してその動きを束縛$ c t2 N, u2 _& h1 v# F! f
すること、他人の自由を制すること、他人の仕事に邪魔をするという意
; u7 d8 q( e4 a. P味をもっている。 |
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