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发表于 2005-6-21 08:44:11
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折 檻 & l$ O2 E7 d, Z9 E; s5 M& c
& L4 G7 l, ?( x1 Z前漢第九代の孝成帝の世。この頃から、中国古代史にしばしば出て来 A0 X, u) n: Z% w, V
る宦官と外戚たちが勢力を得、政治までも支配するようになってきた。, u2 f2 y: R; W; A' L) W
孝成帝の時の外戚は王氏で、一族いずれも立身出世し、政治を思う通り- V. x& T: N; \7 E1 ]
に動かしていた。この有様を見て憤慨したのは南昌(江西省)の長官、梅4 K; o$ h8 q+ j2 a
福という気骨のある男、帝に上書して言った。( O, c7 w6 g! ]5 A7 ?
# K u9 C4 G8 D& W6 j 「いま外戚の権力が日に日に盛んとなり、4 I( j m5 \8 t* K3 E/ w
そのために漢室の威光は地に落ち、
+ F0 ` q( E1 Z n1 f4 ~1 D 帝の威令もサッパリ行われていません。. X& p9 o2 v( z9 i7 F, S
陛下はこの実情を何と思召すか。" `, r7 h2 ]+ X, h u' v* T& @( o# q
先帝以来の忠臣石顕を追放されて以来、- A, u0 g4 \' e+ l& ]
日食や地震が多く、3 j' f; D$ F! ?( n
水害に至っては数え切れません。
' S6 A$ L T; \' W( Y& Q あの天下が乱れた春秋時代にさえなかったほどの、
3 _8 D6 V' o# L+ S0 I 天変地異のありかたです。
8 h& f4 P8 O. U, _9 U これは政治が正しく行われていない証拠です。」: W) R- _' ?0 I+ ?
! p% J7 e5 C/ Q& Z5 | だが、帝は一向反省する色もなく、ますます王氏一族を重用し、安昌
# b. K& p B* W# ]& t3 G侯張禹までが、帝の師である故をもって、政治にまで参画するようにな* C; J6 y; t# d% G2 j; [% f
った。いままで黙っていた官吏や人民もこの乱脈ぶりには、ついには非
: Q' V7 u# K% X& }) w! [" }/ o& ^難の声を上げるようになり、帝の許へはその非を諫める上申書が殺到し2 V0 S6 r& k- h- Z- S2 O' b0 J
た。
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さすがの帝も多少あわてて師の張禹の所へ出かけ、これらの上申書を
, J Y7 {/ k; P3 w/ y1 h$ J5 }" P見せ、「どうしたらよいか?」と相談した。ところがこの禹先生、名前は
% }+ M. }3 [1 vむかし黄河の水を治めて聖人とたたえられ、天子にまつり上げられた夏
* p4 t3 Y$ X0 q: f8 @の禹王と同じだが、その了見は月とスッポンほどにも違う腰抜けのイン% i$ R' D5 O: X
チキ学者、「もしや王氏の一族に恨まれでもしたら……」と心配し、
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「恐れながら、
& J8 e, p2 Y4 ]" F( r$ C 春秋時代の日食や地震は、4 V1 H/ k. F/ a$ d0 W E
諸侯が互いに殺し合ったり、# }3 r5 q! b" p9 U5 [
外敵が侵入したりしたせいであろうかとも思われますが、' H% A; N1 w( j7 E8 N- m1 z
何しろ天変地異の意味は深遠で、
) F2 N5 k, n2 C! a- T. s, D: L- [ とてもうかがい知ることはできません。# l6 \! s5 J0 R0 |; F* H
ですから聖人孔子も、; t0 x5 N: r: X3 c
あまりこうしたことには言及しておられませんし、
1 y2 G" m% f R8 ^+ ?8 h. X 性と天道については、
- Q4 \# p9 j6 `8 H 愛弟子の子貢でさえ教えてもらえなかったほどです。4 R3 S( i4 T& J0 n. `
それをろくろく学問のこともわからぬ小人どもが、8 x8 w$ a7 C" G b
とやかくいって人を惑わすとは、
& Q( Q" z7 V0 h% ?( z1 Y まったくけしからぬことです。
# W% e+ X* |2 K1 L; l そんな輩のいうことなんぞ、5 w Z6 w# b f
一切気にされる必要はありません。」4 ]! v5 a6 W; g/ n* V4 l
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と、まことしやかに答えた。帝も、「なるほど」と思って、一そう王氏
: i2 q% b7 ]8 G3 E一族や禹を信任した。そこで業をにやした槐里の知事の朱雲という男、
" E: o, g$ K, W6 F帝の前にまかり出、
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「願わくば陛下の御物蔵にある鋭利な剣をいただいて、
' u! i6 \! r/ \! i6 { 悪人の首をはね、! |) M/ U5 l- p+ |& W0 O3 q5 a N# L
ほかの者への見せしめにしたいと思います。$ J2 z( H7 L. e
何とぞお許しのほどを……。」
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と願った。帝はたずねた。! l- k# T3 e/ N! r8 v% ]
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「それは一体だれじゃ?」) H# z3 R! T/ p/ C% _: E( [. `, ]( Y
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「安昌侯張禹にございます。」
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8 y0 o" ]# }0 w* V; m9 ? 帝は真っ赤になって怒った。- F" d' ^+ N4 M% r: R' J9 c
' P) P! o2 }7 w! R t% g+ e, m 「黙れ、無礼者、
$ y: \3 z( e- m" l/ l8 y% o おのれは卑しい分際で、" H% ]4 [$ f$ _6 h2 C0 w
朕の師を満座の中で良くも侮辱しおったな。
& q9 s8 O8 n% J; [0 i もはや許さぬ。
- c ~$ Z+ {* H: L+ M9 \3 _ こ奴を引っ立てて首をはねい。」& Q1 d: h3 h) n
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「ハッ。」と答えた御史(官吏の罪を糾明する役目)はいきなり雲を殿上6 Q. h1 t l/ o& h: b4 c( }
から引きずり下ろそうとした。雲は必死に手摺り(檻)に掴まり、なおも# m% _. ?5 c$ p
叫んだ。, @# t3 c5 D! d
2 z- ~7 V% A2 |. a/ { 「陛下、しばらく臣の言うことをお聞き下さい。」
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# t! {! a" f9 [ 御史も力いっぱい、雲を引きずり下ろそうとする。雲は手すりを離さ# S$ |. X8 F. E
ない。とうとうその手すりが折れ、二人は壊れた手すりもろともドウと3 F6 S2 U2 x% m. q2 |0 S
地面へ落ちた。
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) p7 `* _6 |: {- A/ i 「臣のこの身はどうなろうともいといません。
* |+ t! Z+ z! n5 I! H1 T ただ陛下の御代が気に掛かるばかりでございます。4 v6 X( M- ^0 S
何とぞご明察のほどを……。」
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と血涙にむせびながら訴え続けた。
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この有様を見ていた将軍の辛慶忌、雲の態度に打たれたが、パッとそ% d u r( U. K& z! t' t. r
のそばへ飛び降り、頭を地面に叩きつけ、額からタラタラ血を流しなが8 B) D, C" k3 k: y8 V4 y9 e q
ら、帝にその無证蛟Vえ、思い止まるよう諫めた。初めはカッとなった1 U, L' h! E5 D+ t9 |/ S
帝も、二人の国を思う真心に感じ入り、* l1 Y0 H: @6 P# Z9 Q( l0 o
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「朕が悪かった。7 C5 W8 \8 ~( t C% s8 z
すんでのことに、! `( {, R0 }- Q2 O3 a/ ]
あたら忠臣を失うところであった。6 T8 l8 e7 ~1 i1 ], Y5 [
よくぞ身を挺して諫めてくれた。」; O/ l3 c# {- s4 J- D
! l8 S) g5 h O6 ]8 [: s8 q と機嫌を直して奥へ入っていった。9 K* {- C2 U' J# O
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その後、家臣がこわれた手すりを直そうと帝に願い出たところ、; Z( G+ U7 g" T+ G0 G
1 b4 [2 I! ~( _6 |/ x 「いや直すには及ばぬ。
% s0 m1 w7 _) t/ h, | それは直諫の忠臣の記念だ。) M) [( Y6 a0 G" u* o
あれを見るたびに、
1 U2 W, Y4 S2 z6 a, R# Y! a% ~ 当時のことを思い出し、; l5 l1 f0 E& U
政治を正すいましめとしよう。」
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: r' {7 M% m5 D5 o/ ] と、修理するのを許さなかったので、帝の在位中はそのままにしてお( K# @3 R! @( n+ G' P
かれたというが、こんなことぐらいで王氏一族の専横がやむものでもな& @7 \0 m$ R! F8 j
く、逆臣王莽に帝位を奪われて、前漢は亡びるのである。 p; q' d0 I! w0 b. c9 s
(「漢書」朱雲伝、「十八史略」). \" B- a# N4 l2 H# \% S) {- E4 p
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5 N1 M1 D2 V9 H9 b4 Y& b なお、折檻と同じ意味で「切諫」という言葉が使われているが、これは
+ M( P: `9 w7 k, f+ g) O- B7 L+ i「史記」の「主父偃伝」にある、「明主は切諫(厳しい諫言)をにくまない」と6 {3 f3 k, V6 O; m( ^% W# w
いう言葉から来たものである。 |
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