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 楼主 |
发表于 2005-6-22 08:46:52
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 四面楚歌  
1 r6 x( e& n- n8 {" a 
* n" e* A; o( t% i6 @楚の覇王項羽は、漢王劉邦と五年間にわたって天下の覇を争ったが、 
" @. G: i3 G+ {# H+ b+ D' N) y「力」と「気」だけに頼って范増のような纸摔蓼且娤蓼椁臁ⅳ筏坤 
* A3 h( b( l/ Oに劉邦に圧され、ついに天下を二分してこれと講和した。だが張良・陳5 {' n# p7 f8 E% C1 d, k 
平の計略によって、東へ帰る途中、垓下(安徽省霊壁県の東南)で韓信の9 |4 o( n8 N2 h, h1 @% f 
指揮する漢軍の重囲に陥ってしまった。漢の五年のことである。 
& r* A; J: Q& O) {; t ) i% V+ V, n$ B 
 項羽は戦いに敗れて、兵少なく、食尽きていた。やがて夜になった。 
8 [* \6 g, T, x7 J1 Gするとどこからともなく、歌声が起こってきた。あるいは遠く、あるい  H& e" g9 e3 U1 U7 O: X# Z 
は近く、東からも、西からも、北からも、南からも、歌声は起こってく- h2 u# }' z1 q. e 
るではないか。耳を傾けると、それは楚の歌声なのだ。張良の計略だっ( {3 k+ ?" I! O% s" S- K 
た。果たして楚の出征兵――農民たちは、なつかしい故郷の歌声をきい2 m* r1 q; @4 n4 ?1 C 
て、望郷の思いにかられ、戦意を挫かれて脱落していった。漢軍に下っ 
/ d6 N) y, u2 f7 M. b& g8 gた楚の九江の兵たちが歌ったのだった。( V4 ~; `/ P8 s/ K) \, n 
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 項羽は四面楚歌するのをきいておどろいて言った。 
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 「漢はもう楚を取ってしまったのか。 
  _2 G0 i; E  V) l& z8 h8 ]  何というおびただしい楚人だ!」: e0 a' y* L. d, |: m, k9 S' B 
 * a' x, ?" v; j. q& O 
 四面楚歌――孤立無援の重囲に陥ったのだ。もはやこれまでと思った+ g4 D1 m+ q1 v" W% Q; C  }) v9 A 
項羽は、起きて帳の中に入り、訣別の宴を張った。0 _: j, Q, N& `+ Y: \2 z- D 
 4 Z  W* Y& o/ z6 [ 
 項羽の軍中に虞美人という寵姫が居て、影の形にしたがう如く、いつ$ y; }% g2 }9 N3 ]) j 
も項羽のそばをはなれなかった。また、騅という駿馬がいて、項羽はい# k, K, X* M9 r7 O6 t 
つもこれに仱盲皮い俊 
  M% H1 V+ C1 @; x: i3 | 1 O2 B; m0 ~" x! o2 j/ r7 q. { 
 項羽は虞美人があわれであった。彼は悲歌慷慨し、自ら詩を作って歌1 k  j6 t: ]. l 
った―― 
8 A% H/ A- n! J& z' _& r  
  q1 H% i0 W, _6 p8 O   力、山を抜き、気、世を蓋う。 
( K% ]2 j+ `1 f) s' F   時、利あらず、騅、逝かず。" G4 r) [. C- [9 k 
   騅、逝かず、 奈何すべき。 
: A" F, R3 d: O9 s  S$ I8 h   虞や、虞や、 若を奈何せん。 
9 [* z9 c# c. B3 w8 l# G  k* R  
% B5 V9 R, j1 d% R% a 反復して歌うこと数回。虞美人も別れの悲しみを込めて絶え入らんば' H' l$ H. U  C: ^0 D( u: e  X 
かりに和して歌った―― 
: O+ {: T! j2 }7 w: f& N  
9 {8 d3 G: [$ y) ^# L   漢兵已に地を略す、; `) E1 G$ ]6 U' ~* s# r5 M8 L 
   四方楚歌の声、 
/ z5 B4 t/ j5 k4 M" a; {   大王意気尽きぬ、4 V" G. X, I1 z+ r" X- d/ N 
   賤妾何ぞ生に聊ぜん。, U6 x1 P, m: W' {+ d8 p 
  
# e# W0 c) u& ~1 c; ~  p! S, ?# s 鬼をもひしぐ項羽の顔に幾すじかの涙が流れた。左右のものもみな泣8 R8 L8 X1 a2 W. R+ C 
き、誰一人として顔を上げうる者はいなかった。悲愴の気、堂に満ち、9 p. ~3 p4 d4 i; Z+ \; H1 | 
虞美人はヒシとばかり項羽に取り縋る。だがもはや如何ともしがたい。9 g2 }, p& L: p3 B  o 
「何でおめおめ生きておりましょう」そう歌った虞美人は、果たして項羽 
2 J+ K" T! N$ b: `  }4 b  Oに宝剣を乞うて軟肌に突き立て自決してしまった。 
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 その夜、わずか八百余騎を従えて脱出した項羽は、翌日、漢軍に突入# R; e/ B! m- I! A3 ~% ^8 ] 
し、みずから首をはね、三十一歳で死んだ。故郷に心引かれていったん' K" y  h2 Z( A% m 
烏江まで走ったものの、挙兵した自分がおめおめ江東へ戻る心を恥じた" j4 E) P: i9 V6 O4 w 
覚悟の上の自決であった。            (「史記」項羽本紀)' Z4 P5 y  Q/ E" }+ h+ \& I2 j, H, S 
  
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* I/ @* }7 [9 f 虞美人の血が滴った土の上に、やがて廻ってきた春、端麗な花が咲い& F" m7 U7 a/ n' L, E2 c 
た。その花は虞美人の在りし日の姿のようにやさしく、虞美人の貞潔な 
+ i" r% q4 J+ p: }& Z血のように紅く、英雄項羽の呙騻筏螭烙菝廊摔涡膜韦瑜Δ吮筏瞈 
. A9 b& E% B( d$ w+ gに風に揺れていた。人々は、この花を虞美人の生れ代わりと考え、虞美 
- o; Z9 t4 k( q: r& o人草(ひなげし)と呼んだ。唐宗八大家のひとり、北宋の曾鞏に、「虞美. ?! m, S# A$ ]7 m- ~ 
人草」という一詩がある。その中にいう――8 z3 h! q& Y, h$ E% g 
  
! i( n$ b7 L. b5 n/ Z& P- w   三軍散じ尽きて旌旗倒れ、 
& j' K/ m5 [9 @+ {9 g8 d) x   玉帳の佳人坐中に老ゆ。% b/ V% y. W1 p  M1 m4 d) B 
   香魂、夜、剣光を逐って飛び、6 Q1 I, l. W# Y+ p; {( a1 @ 
   青血化して原上の草となる。7 M5 v# [& P: `; Y" V$ S" E 
   芳心寂寞として寒枝に寄る、 
3 h. _# o( i8 q  ]; e+ j4 a   旧曲聞き来たりて眉を斂るに似たり。 
4 I. d! c, F$ j6 L, Q! S' d( e   哀怨徘徊して愁いて語らず、, ]! H/ _3 t! U$ q2 I( J 
   恰も初めて楚歌を聞きし時の如く。. m* }! C5 S8 A4 r. l9 N$ _6 Z; o 
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; B7 y$ F) a9 y: ^; e  全軍尽く敗れて軍旗倒れ、4 |+ r% @6 H1 k1 R5 L; ~( X. ^, E* @ 
  玉帳の佳人は敗戦の悲しみに色蒼ざめて、! k0 _( v8 G7 k/ Y+ S 
  いながらに老けてしまった。 
& R  x5 p6 `  @# p  その香魂は、夜陰、一閃の剣光とともに飛び、3 z: H5 ]* V5 O9 w 
  その碧血は化して原頭の草となった。6 _' l* o0 J3 U5 e3 B! j" X% ~ 
  いま、佳人の魂は侘びしげに、この寒々とした枝に宿り、 
! r6 L/ q& l. V4 q+ A6 R; W2 {+ f' Z  紅の花には、 
5 b1 E; y2 f) Z" t, p$ o) u  項王の歌った「抜山蓋世」の歌を4 |7 T% e' K+ Q, I5 m 
  傷ましげに眉をひそめて聞いていた、 
9 x  z, H' o1 B( n# r4 D$ l  あの時の虞美人さながらの風情がある。 
) ?& [. C1 I% S) T  さあれ、 
/ k. E# ^5 \5 K- I" C, v5 F2 C  哀怨を抱いて原頭をさ迷う佳人の魂は悲愁のあまり語らない、* D! H: g; d, V1 y( {4 H 
  四面の楚歌を聞いたあの敗戦の夜のように。 
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 ――というほどの意味であろうか。 |   
 
 
 
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