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发表于 2006-5-15 21:19:59
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瑶の小説「心有千千結」日本語拙訳です。
「心有千千結」
第6章
晩餐の席で彼女は再び耿克毅に会った。階段が使えない老人の為にダイニングは二階に設えられ、特別設計らしい照明は少しもまぶしさがなく柔らかで静謐な光を投げかけている。そのやや赤みがかった光の中で老人の顔は病院にいた時よりも溌剌として見えた。
「部屋は気にいったかな。雨薇」
老人は尋ねた。
「ちょっと良すぎます」
彼女は率直に答えた。ふかふかのベッドになんでも揃っている化粧台、それに独立したバスルーム。
「あんまり豪奢な部屋には泊まったことがないんです。父の事業が順調な時でさえ」
「若い娘なら時には贅沢も必要だ。夢も見なければいかん」
老人は江雨薇を暖かい目で見ながらいった。彼女はすでに老人のお気にめさない白衣を着替え黒いセーターと赤いスカート姿になっている。衣服は流行遅れだったがそれは逆に彼女の若さとスタイルを際だたせた。
「夢ですか?」
江雨薇は淡々と笑った。
「あたしが夢見る少女に見えまして」
「お前くらいの歳なら誰でも夢を見るものだ。わしでさえそうだった」
江雨薇はそっと目を伏せた。
「私の場合本当に・・半端な忙しさじゃなかったんです。夢どころか私がいつも思っていたことは弟たちにどうやって食べさせるか、それにどうやって学費をひねり出すかというただそれだけでした」
「一息つくことも必要だな」
老人は赤ワインの瓶を手にとるとグラスになみなみと注いだ。
「わしが長生きすればそれだけお前は給料を多くもらえるわけだ。それならわしの長寿を祈って乾杯してくれんか」
「いけません!」
江雨薇はあわてて遮った。
「お酒は絶対禁止です」
「堅いことを言うな。葡萄酒をほんの少しだ」
老人は言った。
「しばらく看護婦という事を忘れろ。お前を歓迎し、わしがまだ生きてることを喜び、そしてお前の未来の為に乾杯しよう」
「お酒を飲んだことがないんです」
「じゃあ今日が最初だな」
「じゃあ」
江雨薇は長い髪をかきあげた。
「一杯だけ」
二人はグラスをあわせた。
「健康と幸せを祈って」
彼女がごくごくと一気にワインを飲み干したので老人は目を丸くした。
「なんてこった。初めてじゃなかったのか」
「そんな事言いましたっけ?」
老人は微笑むとそっと酒を啜り食事を始めた。テーブルの上には丹念に造られた主菜が四皿にスープが一皿並んでいる。彼女は一口食べてそれが四川風だという事に気づいた。
「あら、北方の方だと思ってました」
「そうだ。だがわしは南方の料理が好きなんだ。李媽はたいしたやつでな。東西南北あらゆる地方料理が造れて一度に三卓は平気だ。以前この家がにぎやかだった頃なんぞ最高で45人の客を招待したが全部李媽が一人でまかなった」
「どうして今は招待なさらないんですか」
江雨薇は老人が一人で食事をしてる光景を寒々しく想像した。
「あれは」
老人は酒をまた一口啜った。表情はけわしく声は沈んだ。
「ここに居るのがわしだけになってからだ。あれからこの家は変わった」
彼女は老人をじっと見つめて言った。
「どうしてあの人を連れ戻さないんですか」
その途端、老人は持っていた箸をテーブルに落とすと恐ろしい眼差しで彼女をにらんだ。その声は氷のようだった。
「お前は今なんと言った。誰を連れ戻すだと」
「あなたの息子さんですわ。耿さん」
彼女は老人の眼光に射られ身体をこわばらせながらも視線をまっすぐ老人に向け続けた。
「息子だと」
老人の咆哮は続いた。
「お前はあのくそ息子ども二人の事を言ってるのか。奴らは奸計を尽くしてわしから銭を搾り取る事しか考えとらん。あのバカどもを呼んでわしを早く殺したいか」
「あの方達じゃありません」
彼女は言った。
「あなたのもう一人の息子さんです」
「もう一人の息子だと」
老人は目を剥いた。
「なにをたわ言ぬかしとる」
「たわ言は言ってません」
彼女ははっきりとことさら明瞭に答えた。
「若塵はあなたの大切な息子さんなんじゃありませんか」
その言葉を口にした時彼女は自分がもう後戻りできなくなった事を悟った。束の間あたりを静寂が支配した。風の音が聞こえる。遠くを走る汽車の汽笛と階下の時計が時を告げる音も。そして自分の胸の鼓動まで。
江雨薇は老人の視線を感じながらも自分がとんでもない事をしでかしてしまったというプレッシャーに卓上の四川料理を見つめるだけだった。死のような静けさに背筋を冷たいものが流れた。そうしてどれぐらい時間がたったかやがて老人はついに口を開いた。ひときわすさまじく。
「顔を上げろ、江!」
老人は今度は名前で呼ばなかった。彼女は号令をかけられたように顔を上げた。
「まっすぐこっちを見ろ」
老人はまたもや蒼白になり眼を血走らせている。
「お前はなにを知っているか言ってみろ!」
さながら軍法会議だった。彼女はそっと一枚の紙片を手元から取り出し老人の前に置いた。老人は顔を近づけると感電したようにぴくりと震えそれを手にとった。
「どっから持ってきた」
依然声は厳しい。
「お借りした本に夾んであったんです」
彼女は小さな声で答えた。老人は黙ったままじっとその紙片に見入った。ゆっくりと老人から怒りの色が消えていった。ゆっくりと。老人はやがて椅子に深くもたれかかった。青ざめた顔に今度は苦痛がとってかわった。老人は首をふり小さくつぶやいた。
「そうだ。わしの息子だ。わしが一番愛して心痛めたな。誰がなんと言おうとあいつはわしの息子だ」
「そうだと思ってました」
江雨薇はまた言わずもがなを始めてしまうのだった。
「あなたとあの人は本当にそっくりです。会ったとたんわかりました」
「なんだと」
老人は聞き逃さなかった。
「なんであいつを知ってる」
「あっ、それはその・・」
彼女はしまったと思ったがもう言ったものはひっこめられない。
「えっと・・それは」
「どこであいつと会ったんだ。言ってみろ」
老人はひきさがらなかった。
「言ってみろ。お前は他にまだなにか隠しているだろう」
「あれは・・」
縮み上がった彼女はとうとう白状した。
「病院でした」
「病院だと?」
老人はいぶかしんだ。
「そうです。病院の中や外で」
彼女は勇気を奮い起こしまっすぐ老人に向かって言った.
「あの人はあなたを心配して三度も来ました。でもあなたに知られたくないからいつも離れた場所で私に尋ねたんです。知らせるなって言われたのにあたしつい口がすべって・・。でも言わせてください!私はたしかに息子さんに会いました。そしてあなた方親子の間にいったいどんな事があったかは知りません」
彼女は目の前の料理を押しやりすっくと立ち上がった。彼女は自分でもわからない感情に駆られて眼に涙を浮かべた。
「もしも私があなたならあの人をきっと連れ戻します!なぜならあの人こそ世界じゅうで一番あなたを愛しているからです!」
そう言うと彼女は身を翻し自分の部屋へ駆けこんだ。彼女は部屋の中で混乱した自分の気持ちを整理しようとした。どうしてあんな事を言ってしまったんだろ。自分はさほど事情を知っているわけでもないのに。それに他人が人の家庭の問題に割り込んでどうなろう。彼女は自分に腹をたて、また後悔もした。
彼女は世界から忘れ去られたように一人闇の中で物思いに沈んでいたがやがて夜も更けた頃誰かが扉をノックした。
「どなた?入ってください」
入ってきたのは李媽だ。にこにこしながらお盆を持ってやってきた。そこにはトーストにバター、スクランブルエッグ、それに熱いミルクが載っている。
「旦那様からですよ。江お嬢さん」
李媽は笑いながら言った。眼差しに。
「あなたがたぶん何も食べていないだろって」
「・・」
江雨薇は差し出された食べ物を見てはっとした。こんがり焼かれたトーストと卵のたまらなくいい匂いが食欲を呼び覚ました。彼女の空きっ腹がぐうと鳴った。
「冷めちゃうから、早くお食べなさい!」
李媽はまるで我が子に言う様に彼女に促した。江雨薇は椅子に座りなおすとすぐさまぱくぱく食べ始めた。その様子には微塵もためらいが無い。本当に腹ぺこだったのだ。李媽はそれを好ましげに見ながら言った。
「それから食べ終わったら旦那様の部屋へ行ってあげてちょうだい。自分で注射出来ないって困っておいでだから」
「あちゃ!」
彼女は口いっぱいに入れたスクランブルエッグを思わず吹き出しそうになった。そうだあたしは付き添い看護婦だったんだ!
「終わったらそのままテーブルの上に置いときなさい。また片づけに来るからね」
李媽はそうして部屋を出て行きかけたが扉付近で立ち止まり数秒江雨薇の顔をじっと見てから言った。
「江お嬢さん、あなたが来てくれて本当に嬉しいのよ」
「そうですか?」
彼女は少し戸惑った。
「もし私でなくても誰か他の看護婦が来たのでしょうけど」
「そうじゃないの」
李媽は首を振ると感激したように江雨薇に言った。
「今まで旦那様にあそこまで言った人はいませんでした」
彼女は熱っぽく言った
「あなたが晩餐の時に喋った事ですよ。もしも・・」
彼女は少し間を空けた。
「もしもあなたなら”ぼっちゃん”を連れ戻せるかも知れないわ。そうなったら本当にいいんだけど」
江雨薇は面食らった。この李媽はさっきの会話をみんな聴いてたらしい。しかも彼女が”ぼっちゃん”を連れ戻すって?いったいどうやって?それにしても若塵と他の兄弟二人、培中と培華、なんで名前が揃ってないんだろ。スクランブルエッグを前に彼女はしばし考え込んだがすぐに首を振った。もう気にしないでおこう、自分はただの看護婦なんだ。
食事を全部平らげて顔を洗うと彼女は耿克毅の部屋へ急いだ。ベッドの上で横になっていた老人は彼女をそっと見やった。
「申し訳有りませんでした、耿さん」
彼女はもじもじと謝った。
「さっきは失礼なこと言ってしまって」
「もう食事はすんだかな」
老人は彼女の言葉が聞こえないふりをし、何事もなかったように優しく尋ねた。
「ええ、おかげさまで」
彼女は少し赤くなりながらテーブルの上の医薬品箱を開け注射器を取り出した。使い捨てなので煮沸消毒しなくていいので助かる。彼女はアルコールに脱脂綿を浸した。
「やってくれ」
老人は注射される間じっと大人しくしていた。
「脚のほうはいかがですか」
「ちょっと疼痛がある」
「麻痺するよりは良いと思います」
彼女が答えると老人はちらりと彼女を見た。
「いつも打てば響くお前みたいな娘は珍しいな」
「動かないでください」
彼女はベッドの縁に腰かけた。
「脚の血行を良くするためにマッサージしますから」
老人は言われるまま素直にした。
「今度はお前が暴君になりそうだな」
老人の言葉に彼女はくすっと笑った。
「きっと暴君は伝染病なんでしょう」
「やれやれ」
老人は嬉しげに言った。
「ようやく笑ってくれたな。これで仲直りだ」
「もともと争ってなんかいないじゃありませんか」
彼女はマッサージを続けながら言った。
「それに私はただの雇われ看護婦にしか過ぎませんし」
「わかった、わかった」
老人はすぐさま反応した。
「そのよそよそしい言い方はやめてくれんか。もう聞き飽きたぞ」
「仕事に忠実だといやがられるし、そうでないと出しゃばるなって言うし、本当にどうればいいのかしら」
彼女は軽くため息をつくと黙ってマッサージを続けた。しばらく部屋は静まりかえり、青で統一された室内に幽玄な時間が流れた。机の上にはおそらく李媽が活けたのであろう万寿菊が一輪。そういえば今は菊の真っ盛りなのだ。
「お前はさぞ不思議に思っただろう。培中、培華、そして若塵。なんで息子達の名前が揃っていないのか」
老人は突然口を開いた。きわめて自然に。彼女は無言のまま老人を見た。
「そもそも若塵は妻の子供ではない。いわばわしの私生児だ。この意味はわかるな?」
彼女は一瞬手を止めたがすぐにまた続けた。
「若塵の母親はわしの秘書だった。華奢で小さくてまだ少女っぽさを残した女だった。わしに何も求めず籍はおろか金さえ受け取ろうとしなかった。だが若塵が産まれた時だけあいつは泣いて言った。この子の命はまるで風に漂う塵のようなものだと。それでわしはその子に若塵と名付けた」
老人はそこで眼を細めた。
「だがなんと聡明で強情な子だったろう。わしに生き写しなその子をわしは限りなく愛した」
老人は続けた。
「若塵が6歳になったある日、友だちと喧嘩して帰ってきた。全身傷だらけになって母親に尋ねた。『お母さんは妾なの?』と。
わしは暁嘉のあれほど悲しむさまを見たことがなかった。あいつは若塵を抱きしめて一晩泣いておった。そして次の日若塵をわしに預けてこう言った。この子を正式な養子にしてほしいと。わしはあいつに誓った。必ず面倒を見ると。実際あの時わしは妻としてもあいつを選ぶべきだったかも知れん。しかし事業が成功しだし社会的地位の出来つつあったわしはスキャンダルを恐れ、また妻は自殺さえしかねなかった。わしは暁嘉に言い繕い続け時間稼ぎをした、そしてある日暁嘉は忽然とわしの目の前から去っていった。
・・そして久しくして暁嘉が日本の華僑に嫁いだと聞いた。わしはあいつが去って始めてどれだけ深く愛していたかを知った。あいつが去ったことでわしの人生の半分も終わったんだ。わしは暁嘉を取り戻そうとしたが駄目だった。そしてわしは持てる愛情の全てを若塵に注いだ」
老人はそこまで言い終えると天井を凝視した。その顔にいつもの厳格さはなく深い哀しみが浮かんでいる。
「若塵は成長するにつれ、わしに似て負けず嫌いに、母親に似て聡明で感じやすい子になった。本と絵画を好み十歳で早くも詩をつくり絵の才能を発揮した。あいつはわしの生活の中心だった。友だちも多く朗らかでおごらず、あいつさえいればこの家は笑いと元気さで満ちあふれた。わしら親子の仲はこれ以上ないほど良好だったんだ。わしは自分の可愛がり加減が度を過ぎていたこともわかっていた。だがこんな生い立ちの子に誰がそうせずにいられるだろう」
老人は再び黙った。江雨薇は水差しを取ると老人の唇に持っていった。老人は一口含むと再び語り始めた。
「わしは家の中で若塵の生い立ちを口にすることを堅く禁じた。若塵には実の母親がすでに死んだことにしておいた。あいつはわしの妻を敬いはしたが母親とはしなかった。あいつは家の中でしだいに浮き上がっていき更にわしの寵愛は妻の実の子供、培中と培華にとって眼の中の釘となった。あいつらは若塵に嫌がらせをしようと素性について陰口を叩き始めた。そしてあいつは十八になりこの「風園」を建てる時に天才的な才能を発揮した。しかしそれはわしに大きな誤った決断をさせた。わしはあいつを自分の会社へ連れて行き部下達に紹介し、あいつはたかだか二十歳そこそこで専務になった。培中と培華はどうしたかって?わしはそこまで考えていなかった。妻と二人のその息子から若塵に向けられた嫉妬がどれほどすさまじかったか。その時若塵は大学で文学を専攻し書籍集めに熱中し貪欲に知識を吸収して仕事どころじゃなかったようだ。だがそんな事も知らずわしがある日調査すると会社の金が100万元近くもあいつの名前で借り出されていたんだ」
老人はため息をつき首を振った。
「わしは激怒し、ひどく若塵を責めた。お前はわしの短気がどんなものか知っているだろう。傍らで培中が煽った為にわしの怒りは更に高まった。あいつは全く身に覚えがないと言ったがわしはその時聞く耳など持たんかった。おまけに培中が口からでまかせを並べたて若塵はとうとう大声で叫んだ。『たしかに俺は妾の子だ、あんた達には目障りだろう、俺があんた達の金を盗んだって言うのか、じゃあ言ってやる、俺はあんた達の汚い金と根性をずっと軽蔑してきたんだ、20年間ずっとな、二度とあんた達の顔は見たくない!』
それが若塵が出奔した最初だった。わかるだろう、わしの性格でこんな事が許せるかどうかが。しかも最も寵愛した息子からのこんな言い方が。しかしそれから半月後だ、わしは見つけた。無くなった100万元は実は妻と二人の息子がしめしあわせてやったものだと言う事を。やつらはその罪を若塵になすりつけたんだ」
老人はそう言うとゆっくり深呼吸した。江雨薇は今は手を動かすのも忘れただ
じっと老人の話に聞き入っていた。
「それからどうなさったんです?」
「それからか」
老人は続けた。
「わしはあまりに傲慢だった。傲慢過ぎた。わしは自分の過ちを認めるよりもまず二人のバカ息子に心底激怒した。わしはあいつらに若塵を探させ連れ戻すよう命じたが若塵は絶対に戻ろうとはしなかった。わしは怒りのあまり妻と二人の息子をこの家から追い出し縁を切った。そしてその事が伝わるとようやく若塵は戻ってきたんだ。だが、今もはっきり覚えている、あいつはわしの前に立ちこう言った。
「お父さん、僕たち母子が味わったのと同じ苦労をもう一度誰かに味あわせるのはやめてくれ」と。
若塵がそう頼む以上どうしていかんと言えるだろう。わしは妻と二人の息子を再び呼び寄せた。わしはこれで全てうまく行くと思いこんだ。この一件が兄弟の仲直りのきっかけになる筈だと。だがそれは甘い期待だった。三人の間の亀裂は深まるばかりで更にわしと若塵の関係も次第に壊れていった。頑固で負けず嫌いの若塵はあまりにもわしの血を受け継ぎ過ぎていた。あいつは決してわしを許そうとしなかった。そしてある事でそれは決定的となった」
老人が身を起こそうとしたので江雨薇は慌てて身体を支えた。
「何があったんですか」
「ある冬の日、日本から一通の手紙が届いた。暁嘉が京都の病院で肺病のために死んだという知らせだった。わしはその時あいつが結婚して三年後男に捨てられ日本を放浪していたことを始めて知った。だが困窮の中でも誇り高いあいつはわしに何の頼りもせずそうしてほとんど行き倒れ同然で亡くなった。その時のわしの気持ちがわかるか。わしは日本に行きあいつの骨を拾った。そして若塵は狂ったようにわしを非難した
「母さんは生きていたんじゃないか、それなのに放ったらかしで見殺しにするなんてあんたは人間じゃない、畜生だ!」
わしはもちろん自らが責めを負う気持ちに偽りはなかった。だが子が親をそこまでなじる非礼にわしは思わずあいつを殴った。そうしてあいつは二度目の家出をした。
この時の家出は1年間近かった。なぜなら大学二年の夏休みにあいつは退学ししばらく兵役に行ったからだ。その間に培中と培華は結婚しよったがどっちもろくな嫁じゃなかった。培中に三人目の子供が出来た時わしはまとまった金を彼らにやって出ていけと命じた。培華はひどく腹を立てわしに喰ってかかりおった。
「俺たちを追い出すのはあの妾の子の為だろ、あんな本当はどこの馬の骨かわか
らん奴!」
わしは培華をぶんなぐった。翌日あいつ達は出てゆき、わしはと言えば昏倒し台北大学病院へ入院することになった。最初の発病だ。そして一週間ほど無意識のまま目覚めた時枕元に居たのは若塵だった」
老人はそこでしばし口を閉じた。寂しげな微笑が口元に浮かび眼はかすかに潤んでいる。江雨薇は時計を見た。もうすでに12時を過ぎている。夜は深く窓の外の夜景と天上の星は境目を無くそうとしていた。彼女はそっと申しでた。
「そろそろお休みにならないといけませんわ。後のお話は明日また伺わせてください」
「いいや」
老人は何かにせかされる様だった。
「もう少しだ、最後まで聞いてくれんか。わしは言ってしまいたんだ」
「わかりました」
江雨薇は優しく促した。
「おっしゃってください」
「若塵は帰ってきた。だがあいつは以前の若塵じゃなかった。陰気でしかも怒りっぽく無気力になり、いつもわしを恨む様な眼でにらんだ。日々口喧嘩が絶えずわしらの心はしだいに離れていった。いつしかわしらは「仇敵」に変わったんだ。おまけに培中と培華はあいつが帰ってきたのは遺産目当てだとあちこちで吹聴しおった。あいつは激怒し酒に乱れ四六時中わしにからんだ。
「いつかこのクソ忌々しい腐れ縁をぶった切ってやる」
わしはあいつがそう言いながらもわしから離れない理由を知っていた。あいつは暁嘉の子であると共に間違いなくわしの子だったからだ。自分にわしと同じ血が流れている事実に逆らえきれなかったんだ。だがあいつの堕落した様子は我慢できるもんじゃなかった。わしはあいつを罵りあいつはわしを罵った。わしらはまさに「仇敵」以外なにもんでもなくなった」
老人はため息をついた。
「どうだ、こんな親子が他にいると思うか」
彼女はそっと首を振った。
「そして妻が世を去り風雨園に残されたのがわしと若塵の二人になった時、わしは急に孤独を感じ始めた。新しい状況はわし達に仲直りのチャンスを与えたかのようだった。わし達はお互い歩み寄りを模索した。だがまたその時だ。若塵がろくでもない女にひっかかったのは」
老人は口をゆがめ、江雨薇は注意深く耳を傾けた。
「女の名は”紀靄霞”と言った。わしは生涯その名前を忘れん。若塵より三歳年上で世慣れた奴だった。あいつがその女を連れてきた時わしは一目で女の魂胆を見抜いた。わしは若塵に近づくなと忠告した。女は金が目当てで本心ではないとな。だが若塵はわしの言葉を聞ききいれるどころか激怒した。好きな女を侮辱され愛情を疑われたと思いこんだ。あいつはわしに毒づきわしを守銭奴だと言いおった。そして自分の母親もその欲の犠牲になったんだと。わしは自分の傷口に触れられた事に我を忘れて怒った。わしらは罵りあい互いに呪いの言葉をぶつけあった・・とうとうわしはたまらず出て行けと叫んだ、二度とそのつらを見せるな、二度とこの風雨園の敷居をまたぐな、永遠にお前の名は聞きたくないと。そうして今度こそあいつは本当に出ていった。死んでも帰らないと言いながら」
江雨薇はじっと老人の瞳をのぞきこんだ。
「それはいつの事なんですか」
「四年前だ」
「じゃあ出ていかれてからもう四年になるのですね」
江雨薇は少し驚いて尋ねた。
「この四年の間、消息は届かなかったんですか」
老人の眼が彼女をちらりと見た。
「わしらは親子の縁を切ったんだぞ」
老人はそう言ったがすぐに力なく笑って首を振った。
「ああ、知ってはいる」
「まだその女性と御一緒なんですか」
「女と住んだのはたった一年だった。その女はわしから何もまきあげることが出来ないとわかるとおさらばした。あきれた話だ。奴は若塵と別れる前にわしのところへ来て金をゆすろうとした。手切れ金を払えば別れてやると言って。わしが一銭も払わんと答えると女はさっさと若塵を捨て今ではどこかの社長の後妻だ」
江雨薇はじっと老人の顔を見ていた。
「わかりました」
彼女は言った。
「それこそがあの人の帰らない理由なんです。あの人はとても自尊心が強いのだと思います。愛した女性に騙されたショックと、最初に忠告してくれたあなたに対しての負い目からあなたに会わせる顔がないんでしょう。それに自分自身に対しても」
老人ははっとしたように彼女を見た。
「お前の言うとおりかも知れん」
老人はこっくりと首を縦に振った。
「わしもあいつも負けず嫌いだ、自尊心は人一倍強い。わしらはお互い言ってはならん事を言い過ぎた。どうして一方から歩みよれるだろう」
老人は寂しく微笑んだ。
「どうだ。今宵お前はある金持ち一家の痴話を聞き通した。もしも小説にするならさぞかし面白いものが書けるぞ。父親と憎みあう三人の息子のドラマが」
江雨薇は立ち上がった。
「いいえ、違います。耿さん」
彼女は心から感じた事を口にした。
「あの人はあなたを憎んでなんかいません、決して」
「お前は若塵のことを言ってるのか」
「そうです」
江雨薇は老人が横になるのを助け、安定剤を飲ませた。
「あなた方に必要なのはお互いが意固地を捨てることだけです。私にはわかります。あの人はきっと帰ってきます」
「ほう、そうかな」
老人は半ばうとうとしながら答えた。
「もしも帰られたらその時は辛抱なさってください。決して責めたりされませんように」
彼女は部屋を後にしようとして扉の近くで振り返った。
「それではおやすみなさい。耿さん」
老人の部屋を出てから彼女はゆっくりとした歩調で自分の部屋に戻った。頭の中には千千(ちぢ)に乱れる様々な思いが去来した。老人と若塵の名がいつまでも彼女の脳裏から去らなかった。彼女はこうしてここでの最初の夜を眠れないまま過ごしたのだった。 |
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