|
|
发表于 2006-8-7 16:06:39
|
显示全部楼层
2006年08月06日(日曜日)付( t; ^; ]" ?- @9 y! v
$ S% R' v% }8 b 広島市の平和記念資料館の前に立つ。開館は1955年で、今年、国の重要文化財に指定された。故丹下健三さん設計の格子状の外観が印象的だ。そこから原爆ドームを望むと、間に鞍(くら)のような原爆慰霊碑が見える。この碑も丹下さんの設計だが、曲折があった。4 o' a+ M( O9 D' \. E
3 M. J6 ~8 Q* r* ?* e 丹下さんは、親しかった日系米国人の彫刻家イサム・ノグチに設計を頼んだ。できた模型を前に感嘆する。「おおらかな気宇に溢れているものであった。古代の玉のようなおおらかさをもっていた」(ドウス昌代『イサム・ノグチ』講談社)。
7 X1 M8 o) g# W- S8 Q9 V+ f' i3 K Z6 y& K2 {' F% H
しかし市側から不採用の通知が届く。ノグチは知人に書き送る。「丹下さんがぼくに言ったのは、アメリカ人であるからかも、という言葉だけでした……心をえぐられるほどに深く傷つきました」
6 Y1 L+ ^" C; [, I
$ Y9 A& {6 C- r 広島市は、この碑の5分の1の模型作品を購入した。高さ約90センチの黒い玄武岩製のアーチだ。半円形の古墳のようなどっしりとした姿は、確かに人をおおらかな思いへと誘う。6 L& J1 [- g( l# A- Q! E5 j, C
9 Q& o7 m1 k0 D& d$ R7 l7 n3 Y
ノグチは言った。「私は世界は一つであると考えている。有史前の芸術はどこのものでも似かよっている」。「幻の慰霊碑」からは、国籍や民族を問わない、似かよった原初の時への希求が感じられた。
' P; V* k8 x }, H& N; P, D, P: U' g. C1 e1 f" @) I3 Q5 A# ~! p5 ~
昨日、広島市で「ピースキッズ・ワールドサッカー・フェスティバル」が開かれていた。イスラエルやパレスチナ、米、中、韓、日などの子供、10チームが参加した。言葉が違い、国の歴史も様々な少年たちが、ヒロシマで同じ一つのボールを追う。その姿は、国の壁に挑み続けたノグチとも重なって見えた。 |
|