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发表于 2005-6-22 13:37:49
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鶏鳴狗盗
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「芸は身を助く」という諺があるけれど、これは「芸」が「身」ばか
9 o# l0 u- V6 S; a/ N' X) C9 Uりでない、その主君・朋輩の危険まで救ったという話。またもうひとつ
7 a! A* Z R/ U# oひねくっていえば「馬鹿と包丁は使いようできれる」、下らん人間がひ
8 `. _0 v& V4 g* A( Lょんなことで、とんでもない役に立ったという話と解してもらってもよ1 h" X( l$ E1 G9 m
い。
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5 d& S& K2 e( I; B# R0 t 7 B" k2 H I6 }9 @) Q: c8 p8 }
さてその話というのは――
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そのむかし秦・楚・斉・燕・韓・魏・趙と列国の抗争華やかなりし戦, o: B- U4 a; h) O' S( K+ ~
国時代も早やなかばをすぎた頃のことである。斉の王族のひとりで、薛, |6 Y% ?4 t' f/ |: U* J* g
の地に封ぜられた靖郭君田嬰の子供に孟嘗君田文という人がいた。田嬰
) ^! G' q8 f# r0 ?には四十余人の子供があり、田文は身分の低い妾の生れ。しかも当時の0 s: {+ c: [7 ` k# J: h
俗説では「五月五日に生れた子供は父母に仇をする」といわれた五月五2 ?% b. t/ G- g z$ k r* ]
日の生れで、父からもはじめはいい顔をされなかったが、実は中々の才- m7 ~4 ~8 ]& k% g! d
物で、やがて父の後を継いで薛の城主になると、善政おさおさ怠りなく" Y8 N9 F3 G( c
、ことに莫大な財産を惜しみなく投じて、幕下に天下の人材を集めにか
2 s" F# x% F% O+ v. ?かったので、一時孟嘗君のもとに身をよせた食客は何千という数であっ
. C, H4 G; G- F4 {# m9 X' v5 bたといわれる。食客の面々いずれもわれこそはと自信たっぷりな天下の
" R2 o$ z+ Y& e: J% }& L) T- f6 Z: s: O豪傑どもだが、中にはこの話の主人公のように狗盗(こそ泥)の名人や、5 S; W: @9 H' P3 E
猫八まがいの声色屋で、朋輩連中から白い眼で見られる男もまじってい$ l; j0 d* e+ g
た。, u, c- i7 [2 O w6 F1 N
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5 r! L( R4 h! S8 [% b! N そのうちに孟嘗君の人物名声を聞き知った秦の昭襄王が、孟嘗君を自
9 W2 {( r4 F9 I8 q国の宰相に招聘したいと申し出る。孟嘗君は周囲の人の反対もあって一
, k0 N( V' s4 _$ b' b時は行き渋ったが、自分が秦の宰相になるのは母国斉の為にもなる事と+ s5 k& ?9 Z6 @3 R7 Z5 r v4 T& B
覚悟を決め、えりすぐった食客の何人かを引きつれて秦の国に赴き、高
* |' H/ W8 B* o X価な狐白裘(狐の白い脇毛の皮衣)を手土産にして昭襄王に目通りした。; W2 B( `/ Y1 B; U, ?( z
王は約束に従って宰相に任命するつもりでいたが、
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! x }3 C. ~8 b3 G& }9 A 「斉の王族の血筋の者を宰相にするのは秦の不為。」
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. Q1 @5 C L/ P7 Y$ y: N という反対が出て約束は一時とりやめ、そうかといって孟嘗君をこの' N: F8 H9 R5 N3 D
まま帰せば、王の仕打ちに怨みを含んで秦に仇するは必定というので、
/ e9 ?, `, w' g/ a% C. Oよりより孟嘗君を闇に葬る計画が持ちあがってきた。% K* O2 g: Q$ M/ c2 e2 q
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その計画を察した孟嘗君は、頭を絞ったあげく、王の寵姫に泣きつい
: Z/ t" w3 O% v* c- b2 [' Jて帰国のとりなしを願いでると、
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「とりなしてあげてもいいけど、2 s- |; P& w6 p* I
お礼は王様へのお土産と同じような狐白裘でなければ嫌。」6 `1 M+ i# c5 p/ [9 L
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という無理難題。孟嘗君にしてみれば高価な狐白裘をそうたやすく二
0 u* _7 u) ?& r( f# t枚も手にいれるあてはないので閉口していると、それをきいた食客の中
" Q' A1 F6 l" ]からのこのこまかり出たのが、あの狗盗を売り物の男。見事に秦王の宮7 s# }6 l2 z; s8 [7 i5 `: o1 F
中に忍びこんで献上した狐白裘を盗み出してきた。そうとは知らぬ寵姫
2 E9 g- V& o* H0 @6 ~は大喜びでそれを受けとり、昭襄王を口説いて孟嘗君の帰国を承知させ
& u* g1 V& K$ [" e5 \てしまった。) y5 ]5 U9 q7 @9 i7 a* `
: j# |; _& Q: e) N- q5 L 孟嘗君の一行は、愚図愚図していればまた危険と、即日秦都咸陽を脱( u, s. d, c- ]1 v. z8 y' `* V
出して国境の函谷関へ向かう。一方、昭襄王は孟嘗君の帰国を許したこ
6 z- Q* M) b B$ I. }/ iとに後悔のほぞをかんで、追手の兵を差しむける。9 _& S! U" j3 B* P j
T3 b) @8 Y3 ^- ]8 { 孟嘗君の一行が函谷関についたのは、まだ夜明け前。この国の掟で関
2 n9 o2 P( d6 p1 i7 ^の門は一番鶏が鳴くまでは開けられない。愚図愚図していれば追手に追: _. u; x9 v7 M F& f
いつかれる。一行が青息吐息でいると、こんどは食客の中から別の男が. y6 A# N, S: L( ?/ g8 F
のこのことまかり出た。あの猫八まがいの声色屋である。自信ありげな
; I- d+ z- O& G% z+ q1 r" f# Y男の姿がすたすたと暗闇の中に消えたかと思うと、まだ夜明けには間が: @, @( _2 v3 r
あるというのに、なんと爽やかな一番鶏の鳴き声。それにさそわれてか: f5 f) ^, u6 h. U2 Z# e; z
ほかの鶏までがいっせいにときをつくる。ねぼけまなこの関門の番卒た6 Y, ?0 a' h. B& ]6 \
ちが、なかばいぶかしげに大門の扉をあけるのを待ちかまえて一行は難
* w( {, ~6 y6 D, C4 Wなくそこを通りこし、あとは馬に一鞭、闇に紛れて脱出に成功した。$ f" P( j9 @* o. }0 j+ c
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昭襄王の追手が関についたのは、そのわずかに後の事だったという。& e5 o- C& A' [. Q
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清少納言の、「夜をこめてとりの空音ははかるともよに逢坂の関はゆる
6 w: e. O, |4 j2 b6 m2 Sさじ」はこの「鶏鳴」の故事を引いたものである。 |
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