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发表于 2005-6-22 10:07:42
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肯綮に中る + u9 k# U5 O# X7 x
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戦国時代の話である。梁の文恵君(恵王)のところに庖丁つまり庖の丁
! `. n$ l. T& C! ]7 M3 [という料理の名人がいた(いま国語で料理用の刃物を庖丁というのは、
, I; F8 |' |2 \この人の名の転訛したものである)。 彼が牛を料るときの巧みさといっ
& u1 S* q7 p/ I4 {) aたら、牛の体に左手を軽く触れ、左肩をそっと倚せかける、その手の触
& N8 p. w, R+ r D/ Sれかた、肩のよせかた、さては足の踏んまえかた、膝のまげかたにいた+ Q( o9 D7 z {, e
るまで、まことに見事この上なしで、さて刀を動かしはじめれば、骨と
4 N# ~5 f7 \7 m- X" j6 u肉とがサクリと離れ、切りはなたれた肉塊はパサリと地に落ち、さらに
# y! B* H! E1 X刀を進めればザクリザクリと音をたてて肉がほぐれる。すべてがリズミ. c% B+ X$ l$ B& S" d# w3 W+ @
カルで、いにしえの舞楽である「桑林の舞」や「経首の会」を思わせる' B7 U' y$ ]5 S+ \! o2 `3 B7 L
ほどであったという。さすがの文恵君も感嘆して、
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/ M5 J( m. v- j 「あありっぱなものだ。
D( `9 c% n1 T2 M0 Y9 c 技とはいえ、名人ともなればここまでくるものか。」
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2 k" d8 j" _) Y4 ^& Z$ Q. f- u すると庖丁は刀をわきに置いて一息しながらこう答えた。
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「いえいえ、私の志すところのものは『道』でございます。' n6 t8 _3 v, `6 W' Q
技以上のものでございます。3 c& v! a2 `- a; n9 F
もちろん私とてもはじめて牛を料ったころは、: ? K" S4 M0 ~
牛そのものに心を奪われて、手もようつけ得ませなんだが、
' k! R/ j7 U$ h$ ]# g' l3 X1 \ 三年もするうちに牛の全形などすこしも気にならなくなりました。
/ q# z v! Z6 [5 p ただいまでは、全く勘をたよりに、
0 I9 H% w1 j G9 \2 O! W2 y- F d 目で見ずともりっぱにしこなせます。
E+ R0 S+ ]4 ~# e つまり五官(耳・目・口・鼻・形)のはたらきがやんで、) M6 R% d3 z c6 G; \6 I! ?# A4 z& _4 y
精神のはたらきだけによるとも申せましょう。
3 ]. I" e. t5 y% R& y# S; @ なればこそ、牛の体の自然の理に従って大きな隙間に刃を揮い、
4 ^6 N/ K4 F y7 _6 X, M- | K# Q. Q 大きな竅穴に刃を導き、全く無理を致しません。
( `& e+ q6 y: ~2 u2 D* \) ], U ですから今まで一度だって刃を肯綮に当てた事はございませんし、% {3 r# Y; L4 |1 _# H. e
ましてや大きな骼に刃をうち当てるようなしくじりなどは、
: ]& y# r+ a7 u3 I: [- g 思いもよらぬことでございます。」
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肯綮の肯とは骨に纏わりついた肉、綮とは筋と骨のいりくんだ場所。
7 p/ n! g/ K1 ?5 N" x! Nだから「肯綮に中る」といえば、事の急所・要所に触れるという意味に
- k8 C$ h- d* x3 B用いられるのである。+ g7 P7 S5 _' L6 I. F/ L
, q: z6 Y( D: {- L 庖丁の名人譚はさらにつづく、5 L8 K% u# f0 T% P9 u g" C
9 r0 z4 l! u; h2 v& w Q" a, J5 y- K 「まあ腕達者な料理人ともなりますれば、! ]( O4 W2 ]: q
時たま刃を割く程度でございますから、0 m9 \4 C* d0 D9 a
年に一本の刀で事たりますが、
( @# W" B1 S, b' J6 c' ^2 _ なまくらの料理人などは、- M3 K g. ^) F) N* J+ V
えてして刃を骨にうち当て折ってしまうので、* `9 Q- l9 c1 t& m+ {
月ごとに一本の刀が必要でございます。# t) j7 v/ K5 F! P. M& b
ところが私のこの刀は使いはじめてからすでに十九年、1 f4 b9 G3 e) y3 @, Z
何千頭の牛を料ったかも覚えませぬが、
8 u, d! p! \. \6 i7 ]+ E5 G 御覧のとおり、
* |% M1 M- i6 q" N& n# \1 H8 O 刃は研ぎたてのようにピカピカで刃こぼれ一つございません。
2 b3 U' Z3 B* f; F それというのも牛の骨筋には、6 |3 k$ _0 A" b% M
おのずからなる隙間というものがございますので、
4 x, b6 M% v3 b. {' p+ B 厚みのない刃をその隙間に入れるとすればいささかの無理もなく、, c/ ]$ Z1 Y, g {& A0 }) V: Y& R
楽に刃を使いこなすことができるわけでございます。4 L# D8 i# Z1 X7 H. \) ?
もちろん私とても筋や骨の族がりあつまっているところに、
' A* k4 w% ~+ q- O7 O 手をつけますときは、* f l: L0 o* Q" P, ]* ?
むずかしいと見てとるとシャンと心をひきしめ、7 }; Z j4 e( E: A' {) f/ f! A/ r. a
じっと目をそそぎ、- G* Z% ]) ~5 M5 I" F( ^! |
手のはこびを遅くし、
" z; ~! n+ J2 c, x いと細心に刀を動かします。
/ @$ }! G* k/ c7 _5 q そして急処を切り抜け、
5 E( t3 E1 g/ D. N2 e, s, m 大きな肉塊があたかも土塊のように、
2 w. b b; }, ? ドサリと地上にはなれ落ちるのを見とどけたときには、
* p v, c5 r/ E/ C さすがにホッとして刀を手にしたまま立ちあがり、
. A; N1 @9 ]- `' \ 四辺を見まわして、% C# R$ b/ R1 g9 w* T: z# j
ゆりと満ち足りた心持で刀を拭い蔵いこむのでございます。」: g4 N- H' U0 e# y; A$ C
# P+ ]$ n: ~! v6 }) b この話を聞くと、文恵君は重ねて感嘆して言った。
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「ああ、なんともはやりっぱなものじゃ、* N, \0 I# P1 g& r& I8 V' ?9 V
わしはいま庖丁のはなしを聞いて、, h4 C, d. Y6 l8 H' B: m
養生の道をも会得することができたわい。」
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文恵君の会得した「養生の道」とはなんであるか。この物語を書き伝
( [" [5 H8 z \+ H7 a9 Fえた哲人荘子は、この話の前置きにこんなことを書いている。
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/ ]4 O& H: E; [0 h 「われわれ人間の生命には涯があるが、その知欲には涯がない、5 e$ ^' ?2 l- V
涯ある身を持って涯なき知識・欲望を追求するのは危険なことだ、
7 o' @( G3 P9 g/ S と知りながらもこれに引きずられるのは、) J; ~, J, f& |0 O0 t( N! }( ^
ますますもって危険なことだ。/ n" N# d1 a& W0 A5 ]4 u: [, I
だから善を為すも名利に近づかず、4 B' d* G" z8 t4 v
悪を為すも刑戮に近づかず、+ p& {& e0 t4 u
善に偏らず悪に偏らぬ無心の境地を守って、
' ?; w( f: f* | ?1 A1 Y1 x. M 自然にあることを生活の基本原理とすれば、9 J* y$ {! J6 I) Q% w8 r2 e$ |
わが身を保ちわが生を全うし、0 h8 P# ^1 b6 g" ~8 X: x5 r
親に孝養をつくし、天寿を尽くすことができるというものだ。」
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人知のさかしらを捨てて無心に自然へ随順することが「生を養う」根/ H: D# B: ]5 ?& C
本の道であり、庖丁の体験談もまたこの自然随順を示唆するのである。 |
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