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发表于 2005-6-22 13:53:06
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風蕭蕭として易水寒し
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1 L7 d( I5 ?2 P5 U: [ 春秋戦国の時代には、敵国の王侯を刺殺するために、一本の匕首, c1 d% E7 N: P: J+ X4 h
(短剣)に全てをかけて敵地に入り込む刺客が、ことに多かった。そ! P3 T- Y1 {, {+ z! @
の最も著名なのが荊軻である。: N% Q2 K- r# x6 m3 B0 ^3 k4 J
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荊軻は衞の生まれだったが、祖国に用いられず、国々を遍歴して燕
1 i7 @/ W! x/ h4 ?: l% Kに行き、そこで巷に人望の高かった任侠の士・田光の知遇を得ていた。
! X: w7 E3 T0 ^% ]彼はまた筑(琴に似た竹製の楽器)の名手の高漸離と意気投合し、い8 l9 C2 Y' s% V7 j% t/ S" ~
つも二人で酒を飲み歩き、酔うと高漸離は筑を鳴らし、荊軻はそれに/ c4 S( W* B } I7 `( z. L Y
和して歌い、傍若無人に振る舞っていたが、巷に酔いしれているかと7 e0 d+ n1 f6 z- E2 Y% d, W
思えば独居して書を読み、また剣を磨くことも怠らなかった。1 D0 O+ s, A9 o" P" u5 Y* ^+ X
1 D7 N/ h# q) \' [! Z2 Z2 l 秦が着々と天下統一の歩みを進めている頃であった。韓を滅ぼし、
* _0 B) k; P# N趙を滅ぼした秦は、趙と燕との国境を流れる易水に臨んで、将に燕に& X: q2 P. l3 i& R. c8 m2 n2 C& X
攻め入る態勢を整えていた。その時燕の太子の丹が秦王・政を刺すべ
2 k6 c0 _- R6 R6 iき刺客として選んだのは、田光であった。だが田光は自分の老齢を考
" k! g- H. q1 X) [3 `$ c+ C5 nえて、荊軻を薦めると、その決意を励ますために、自らは首をはねて
: r& I, J: c7 p3 t$ h6 P% P4 D8 i死んだ。大事を命じられながら果たし得ない老骨の身の、それが太子
8 j9 J6 v; L& z6 Dのためになし得る唯一の道だと思ったのである。
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! ?0 m C. ?+ Z( l そのころ、秦から樊於期という将軍が燕に逃れてきて太子丹の元に
, N9 E9 k0 p) D7 Z. O( S7 w7 X身を隠していた。荊軻は秦王が莫大な賞金をかけて樊於期の首を求め
( R" g) O R8 I2 a# l+ Oているのを知ると、その首と、燕の督亢の地図を持って行けば秦王は5 q# v3 w( W( L1 H- X
心を許して引見するに違いないと考え、そのことを太子丹に申し出た。
& V2 g8 N4 H0 _, l5 I4 z太子丹は荊軻を一刻も早く秦へやりたいと焦慮しながらも、樊於期を
; ` y* I6 h. u% I' r$ _+ d斬るには忍びない様子である。荊軻はそれを知ると、自ら樊於期に会9 O* Z. V3 h$ x% t7 n/ R7 Q# z
って死を求めた。それが秦王に対する樊於期の恨みを晴らし、太子丹
# ^! P* d/ q, K+ A, t, aに対する恩にも報い、かる燕の憂いを除く道であると説いたのである。
' _+ E$ P, Q+ y3 Q) F5 G9 z―――樊於期は田光がしたのと同じように、荊軻の前で自ら首をはね
, } n2 C# ?+ R! Oて死んだ。3 N+ b, w. t% O9 g& B
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樊於期の首と、督亢の地図とのほかに、荊軻はともに秦へ行くべき- e; T( l& h+ W9 Z5 ?# }; O
友人を待っていた。太子丹は秦舞陽と言う若者を副使として荊軻につ
# ]! V; Q' [+ y/ Q9 k: ~! I. }けたが、荊軻には秦舞陽が頼みとするに足りる男とは思えなかったの& W6 i5 E9 l! j9 b" H& \
である。友は遠方に居てなかなか来なかった。太子丹は、既に出発の
7 ~& Y7 c' O! j; N' j準備を整えながら荊軻が立たないのを見ると、いよいよ焦慮して、秦
1 ~: ]7 ~, G# J1 q. b9 A& m舞陽一人を先に行かせようとした。荊軻は心ならずも友を待たずに行) v8 O& H+ `, H
くことに決めた。秦舞陽を一人やることは危ないと思ったからである。
6 C! ?8 O0 {: H4 H) t3 c0 l1 `: Dそれに時期も切迫している。太子の焦慮も解らぬではなかった。2 P/ ^$ ?! J) E- d% K, g: q
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太子丹をはじめ、事を知っている少数の者は、服を喪服に替えて荊( K9 n+ g) J7 ?) E8 N8 c: i8 @/ k
軻達を易水のほとりまで送っていった。いよいよ別れの時である。高8 c+ Y7 H% @! u
漸離は筑を奏で、荊軻はそれに和して歌った。易水の風は冷たく人々3 X" e7 q8 M8 g/ a- U* Z6 m% {$ j
の肌を刺し、高漸離の筑と荊軻の歌声とは悲壮に人々の心をふるわせ
, L4 w' K k- f$ ]8 Uた。秦へ行けばおそらく生きては帰れないであろう。これが荊軻を見
5 E: w5 Z- V" L* K( g( u7 nる最後かと思うと高漸離は暗然と涙ぐみ、密かに涙を拭いかつ筑をか
5 v% y1 }% o4 H' M4 jき鳴らして友を送った。荊軻は進みながら歌った。
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風蕭蕭として易水寒し、
1 K0 g# [+ ^7 B! |- S& d5 A9 K J 壮士ひとたび去ってまた還らず。
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# V0 F- }) k- P% m* v# O2 s その声は人々の肺腑をえぐった。人々は皆、眼を怒らして秦の方を& ?, N' Q; V! M& @" E1 u- K) m
睨み、髪逆立って冠を突くばかりであった。―――すでにして荊軻は
; p. u5 F2 Z2 ?( y去り、ついに振り向くこともなくその姿は遠くなっていった。# A/ J( U& q& G* M- L Z! n* g2 E0 x
8 A$ G/ Q% g, d( S: C9 P 秦へ行った荊軻は、樊於期の首と督亢の地図とを伴って、秦王政に
% V) r+ B8 L0 ]! S近づくことを得たが、匕首一閃、秦王は身を引いて、荊軻の手にはた1 M& y: J* S1 {; J9 D
だ王の袖だけが残った。後ろから王を抱きとめるはずの秦舞陽は、も
5 l& ^; A' M y" I$ R+ Jろくも人々にねじ伏せられていたのである。荊軻はついに志を遂げる8 a9 e$ \0 x- p8 I& u$ H
ことが出来ず、自ら自分の胸を開き、指さして秦王に刺させた。秦王: U0 Z" l, u* I/ e, i3 v& E
政の二十年、燕王喜の二十八年、紀元前二二八年のことであった。政9 B0 [! B w, j) _8 |4 @1 V- a
が天下を統一して始皇帝と号したのは、それから七年の後である。
1 G! }: f8 r+ ~; n- d (「史記」刺客列伝) |
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