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发表于 2007-2-25 16:42:48
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2007年02月25日(日曜日)付, y- Z' Q+ U8 H9 T, l% j
0 q+ [$ y; d* e& Y3 t9 {5 g( Y 「アンネの日記」のアンネ・フランクの父親が第二次大戦の初期に書いた手紙が米国で見つかった。米への移住ビザの仲介を知人に頼んだ数通で、先ごろ公表された。
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/ f9 [1 k6 l' F# D! O5 Q/ r7 M 移住の理由を、父は「2人の娘のために」とつづっている。だが結局ビザは得られず、一家はナチスに捕らえられ収容所に送られる。多感な日記をつづった次女アンネは、過酷な日々の果てに15歳で息をひきとった。
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手紙の公表の際、説明役の歴史学者は「(もしビザが出ていれば)アンネはいま、ボストンに住む77歳の女性であったかもしれない」と語ったそうだ。悲しい名を残さず、人が平凡に生きられる。その重みに思いを寄せた言葉だろう。! x* {% b+ p! _: X+ a: s/ x7 q5 ?
+ ]" N" `6 z2 v$ @' q i 思い起こすのは、同じ大戦初期にリトアニア領事代理だった杉原千畝(ちうね)のことだ。迫害におびえる多くのユダヤ人に、日本を経由して第三国へ抜けられるビザを出した。外務省はドイツとの関係に配慮して発給不可を指示したが、杉原はビザを出し続けた。
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その「命のビザ」の物語を、東京の劇団銅鑼(どら)は15年にわたり上演してきた。9年前のニューヨーク公演で「スギハラに救われた」という女性が名乗り出た。団員を郊外の自宅に招き、古びたビザを見せて、来し方を語った。, b4 }& i8 j3 t O- n! i
' \4 P3 D2 i& r' w, X ビザを受けたとき、アンネの享年と同じ15歳だった。姉と2人でシベリア鉄道を経て敦賀に着き、横浜から船で米に逃れたという。戦後に米国人と結婚し、5人の孫のいる静かな暮らしを送っていた。この人とアンネの運命は、入れ替わる可能性もあっただろう。名もない人生を築けることの幸せを思う。 |
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