2007年04月25日(水曜日)付
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まれにではあるが、時代には意志があるかのように、政治家を生み出すことがある。亡くなったエリツィン?前ロシア大統領は、ソ連を終焉(しゅうえん)させた政治家として、そんな一人に数えられよう。- C# M( Q. t1 J' d l V4 p
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貧しい農家の生まれだった。自著によれば、生後すぐの洗礼のとき、司祭が桶(おけ)で水浴させたまま引き上げるのを忘れた。母親が気づき、人工呼吸で命を取りとめたという。厳寒の小屋で、家族は山羊(やぎ)に体をくっつけて暖を取ったそうだ。 " x$ ^+ P+ k# K
9 }) g+ i) ~; H7 o- d7 t 政治家は、大衆の心を瞬時につかむ幸運に巡り合うことがある。エリツィン氏にとってそれは、91年8月の保守派クーデターだった。政府ビル前で戦車によじ登り、巨体を仁王立ちさせて「抵抗せよ」と市民に呼びかけた。大衆の熱狂を一身に受けて、その年の暮れのソ連解体に突き進んでいった。% W. B v, o( q( P
* R% I' W1 {% e だが時代の求めは、そこまでだったのだろう。冷戦が終わると、その後は経済の失敗、流血の武力行使、側近政治……と急速に輝きを失っていった。人気は地に落ち、99年の辞任後は国内でも忘れられた存在になっていた。
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* }6 b$ t# l( G7 d6 ^; R- a エリツィン氏の人生に、耳慣れたことわざが重なる。オムレツを作るには卵を割らなくてはならない――氏はソ連という固い卵を割る役目を授かり、それを果たして、旅立っていった。: d/ a* F4 _" T# x- k1 N" W z
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98年春に来日したとき、首脳会談のあったホテルで、一般の結婚披露宴に顔を出してスピーチする茶目(ちゃ?め)っけを見せた。ホテルのゴルフ場には、来日を記念して「エリツィン桜」が5本、植えられた。今年も立派に花を咲かせたと聞く。 |