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发表于 2005-6-22 13:56:43
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邯鄲の夢
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唐の玄宗の開元年間のことである。
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呂翁という道士が邯鄲(河北省、趙の旧都)の旅舎で休んでいると、み
+ J( H' k7 ?+ y3 Z+ j5 Dすぼらしい身なりの若者がやってきて呂翁に話しかけ、しきりに、あく
9 h6 h* A" K; I4 \6 kせくと働きながらくるしまねばならぬ身の不平をかこった。若者は名を
0 z# }0 E8 }! w6 N廬生といった。
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/ c6 M* K# A4 v! J" q$ ]% x; l: L やがて廬生は眠くなり、呂翁から枕を借りて寝た。陶器の枕で、両端$ C, ?7 H& H; Q+ o' ^
に孔があいていた。眠っているうちにその孔が大きくなったので、廬生) M- V8 m. m% l8 u4 W/ k, H3 Y( @
が入っていってみると、そこには立派な家があった。その家で廬生は清# I7 ] H$ ~# o
河の崔氏(唐代の名家)の娘を娶り、進士の試験に合格して官吏となり、
2 ?* l d/ F4 u+ w) Jトントン拍子に出世をしてついに京兆尹(首都の長官)となり、また出で; T. R. F& q8 l' m& P
ては夷狄を破って勲功をたて、栄進して御史大夫部侍郎になった。
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! M' W. W |! i ところが、時の宰相に嫉まれて端州の刺史(州の長官)に左遷された。1 C. @; w" h4 ^3 Q0 U
そこに居ること三年、また召されて戸部尚書に挙げられた廬生は、いく
' e5 ~$ o+ }/ P$ b( @0 U1 ?, K, Uばくもなくして宰相に上り、それから十年間、よく天子を補佐して善政1 @/ V) S0 _6 g6 g% }6 s8 b; ~7 e( ^
を行い、賢相のほまれを高くした。/ ~& f; p, H* e A L1 T
; T) a, o" J6 W$ M4 o7 @6 L6 v 位人臣を極めて得意の絶頂にあったとき、突然彼は、逆伽趣筏撇钉╘4 G$ S# ` r V8 ]- L$ z
られた。辺塞の将と結んで峙绚颏郡椁螭扦い毪趣いo実の罪によっ
4 \0 t: P* T& n# q& }5 Hてであった。彼は縛につきながら嘆息して妻子に言った。
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「わしの山東の家にはわずかばかりだが良田があった。
- l: c- ^' G/ N 百姓をしておりさえすれば、
" A) o2 h( Y* W8 j# Y! k" B' | それで寒さと餓えとはふせぐことができたのに、( N N5 R5 a$ g
何を苦しんで禄を求めるようなことをしたのだろう。
2 k+ P; r+ k9 I. Q そのために今はこんなザマになってしまった。
% G( C" c* K7 u8 h4 ?3 V9 N 昔、ぼろを着て邯鄲の道を歩いていたころのことが思い出される。
$ l c$ j) Y, `1 Z" Q あのころがなつかしいが、今はもうどうにもならない‥‥。」
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k. H* a' a g7 ?6 @; E 廬生は刀を取って自殺しようとしたが、妻におしとめられて、それも3 Z5 Z0 c# Y5 \3 [
果し得なかった。ところが、ともに捕らえられた者たちはみな殺された
+ S& k3 @/ `, f1 ?のに、彼だけは宦官のはからいで死罪をまぬがれ、驥州へ流された。3 ^- N9 L5 o7 S/ B2 J5 n* z
9 i3 M' h6 S$ I 数年して天子はそれが冤罪であったことを知り、廬生を呼びもどして! C% w4 L; S g! Q+ V
中書令とし、燕国公に封じ、恩寵はことのほか深かった。五人の子はそ- X5 j% e+ K4 \" X% \
れぞれ高官に上り、天下の名家と縁組みをし、十余人の孫を得て彼は極
2 o7 a5 {/ x2 \9 U' H9 vめて幸福な晩年を送った。やがて次第に老いて健康が衰えてきたので、# n$ b* [% z+ J
しばしば辞職を願い出たが、ゆるされなかった。病気になると宦官が相
6 {7 p0 A- N; f; l5 k Y8 c. E6 @( Bついで見舞いに来、天子からは名医や良薬のあらんかぎりが贈られた。
1 O5 @5 Z& @' [5 v4 {5 Yしかし年齢には勝てず、廬生はついに死去した。
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; i q3 X2 t8 E 欠伸をして眼をさますと、廬生はもとの邯鄲の旅舎に寝ている。傍ら
3 `5 d! w% o4 x. f# t6 ?0 Jには呂翁が座っている。旅舎の主人は、彼が眠る前に黄粱を蒸していた: s; \& ], p$ D0 |
が、その黄粱もまだ出来上っていない。すべてはもとのままであった。
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「ああ、夢だったのか!」. _+ g. s% s, x) V
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呂翁はその彼に笑って言った、- y P! n- } P& r# P$ w R1 n
「人生のことは、みんなそんなものさ。」; Q! q$ F8 {$ `" i
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廬生はしばらく憮然としていたが、やがて呂翁に感謝して言った。+ D/ H+ K' n! U- q T7 q$ L& w
「栄辱も、貴富も、死生も、何もかもすっかり経験しました。$ V$ ^! i# M, r) C9 I i
これは先生が私の欲をふさいで下さったものと思います。! j) Z% p/ A) i! P+ F- I
よくわかりました。」
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$ N, q% n# M0 X3 b) Q 呂翁にねんごろにお辞儀をして廬生は邯鄲の道を去っていった。; W6 L, l8 j* o
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, v5 l& I$ ?6 e: u g2 Z 以上は、唐の沈既済の小説「枕中記」のあらすじである。同じような
5 q% g" E/ t( N$ E) b説話の簡単なものは、すでに六朝時代の干宝の「搜神記」のなかにも見
l4 L, l# r% L# ]3 B# Hられる。
7 _" j2 i/ I q 「枕中記」より後のものには唐の李公佐の小説「南柯太守伝」、明の
0 d$ ^6 w9 f- G, A. d: }$ H7 w湯顕祖の戯曲「南柯記」が同じ構想のものである。2 o u3 x. U# p1 l
2 ?$ D' }- m: r; x この「枕中記」の説話から、栄枯盛衰の極めてはかないことをたとえ; B, N% G; ^/ r. b
て「邯鄲の夢」とか「一炊の夢」「黄粱の夢」という言葉が生まれた。6 }7 Q2 x+ E8 {& X
また「邯鄲の枕」とも「邯鄲夢の枕」とも言う。 |
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