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发表于 2007-8-7 08:36:22
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天声人語
( H- C5 U& O( ^' Y# z2007年08月05日(日曜日)付- f e# c! D9 H. H
4 t7 q, X; v( q+ o g' `3 w$ V江戸城・大奥の礎を固めたのは3代将軍家光の乳母、春日局(かすがのつぼね)とされる。60半ばでの辞世は〈西に入る月を誘(いざな)ひ法(のり)をえて今日ぞ火宅を逃れけるかな〉。欲に満ちた火宅を春日局が仕切った17世紀前半、はるか西方では「イスラムの大奥」が栄華を極めていた。# x4 O% n8 `- N5 S' b& ?6 A& m
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オスマン帝国の都、イスタンブールの輝きを伝える「トプカプ宮殿の至宝展」が、東京・上野の都美術館で始まった(9月24日まで)。1000人もの女性が暮らしたハレム(後宮)の品々は、バラの香りに抱かれて並んでいる。/ Q5 |9 X, M) M
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ハレム、またはハーレムと聞けば殿方は落ち着かないだろう。この言葉は、もっぱら一夫多妻の背徳を帯びて欧州に伝わり、世界に広まった。アングルの「トルコ風呂」(ルーブル美術館蔵)では、多くの裸婦が妖(あや)しく憩う。
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( I: B |* H9 s 現実のハレムは、世継ぎを争う場だった。奴隷市場から連れてこられた異教徒の美女たちが、作法や教養、歌舞を身につけ、君主スルタンの寵愛(ちょうあい)を競う。首尾よく男子を産めば、母后として国に君臨する道も開けた。% N" ]1 W) D, \/ q( N. Y O
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化粧箱、羽根うちわ、出産用のいす、ゆりかご。自分を飾り、勝ち残るための道具は華やかで、どこか悲しい。小型のうちわは、見知らぬ男との「会話」にも使われたという。例えば、頬(ほお)からずらせば「愛してる」になった。) F# w1 K) y0 l$ L: Z$ ]; t
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ハレムが育んだ文化は、時が博物館へと押しやった。言葉には官能の澱(おり)だけが残された。大奥と同様、その名が風俗産業に多用されていることを知れば、往時の女性たちはうちわを左耳にあてるかもしれない。「ほっといて」と。 |
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