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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2007-8-7 08:36:44 | 显示全部楼层
天声人語$ H* }' ^0 a7 K# Z/ c6 B' ]
2007年08月06日(月曜日)付$ P' @  X7 @4 N, |. C) O- }4 s
4 x) O+ c7 [6 ]* O0 T
松浦理英子さんの短編に『肥満体恐怖症』がある。巨体が苦手な女子学生が寮で肥満の先輩3人と同室になり、ねちねちいじめられる話だ。握った手を離さず先輩の一人が言う。「あなたさえ太ればこの部屋は肉の帝国となるのよ。美しいと思わない?」
$ ^: N5 t3 O1 D! i5 @: I6 N  }  _& \3 c- I0 i
 米ハーバード大の研究チームが「肥満は伝染する」との説を発表した。肥満の友を持つ人が太る可能性は、そうでない場合より57%高いという。1万2000人の人間関係を32年追跡した結果だ。3 }' o# l' ~" a4 a- [$ |* f

  f4 A! d/ V9 }8 U  a 兄弟姉妹や夫婦の共太りなら体質や食生活の仕業かと察しがつく。ところが、友人間の「感染力」は兄弟や夫婦間より強かった。研究チームは「親しい人が太っていると肥満への抵抗感が薄れる」とみる。
+ k/ q0 y4 W1 D; ~/ I9 c, O# x9 E. \! D
 漫才の今いくよ・くるよ師匠のように、45年の親交にして見事に両極の体形を保つ例もある。でも、友人の膨らみに接しているうちに肥満の許容範囲が緩み、節制する気がなくなるという理屈は分かりやすい。4 O/ P! z+ a$ r

: _3 B8 k5 k1 N, [; M; R 米国を旅した時の、甘湯につかるような心地よさを思い出す。歩く男も座る女も、こちらが肥満見習いに見える肥えようだ。目が合えば「なんだい細いね」と言われた気にもなる。バーガー屋のポテトは思わず、しかし迷わず「大」にした。. Z. g4 u1 r8 ~
5 E5 Y3 u  i2 k3 C" ^8 b
 米国の成人は3割超が太りすぎという。170センチ/85キロを肥満としない甘い基準でこれだ。3人の仲間で1人は肥満という勘定。交わるたび、戯れるほどに互いの許容範囲は緩まり、津々浦々、皆がぷよぷよになる。こうして、安穏だが美しくない「肉の帝国」ができる。
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发表于 2007-8-7 08:37:06 | 显示全部楼层
天声人語: S( M/ Z0 Q2 e# t2 `
2007年08月07日(火曜日)付
$ n0 |; P/ k5 d  z  W0 K7 Y+ P4 E3 U! C( h7 H: k6 h. \
「原爆の日」の朝、広島の街を通り雨がぬらした。平和記念公園の川べりを、千羽鶴を抱えた高校生が通る。献花をたずさえ、お年寄りが歩く。: p; ?2 [4 o$ D! k: c2 a
% m) M, U+ H# c: h8 h
 投下された8時15分、原爆ドームの上空を仰いでみた。雲間にうっすらと青空がのぞく。「その時」を告げる鐘にあわせて、約600メートルの中空(なかぞら)で炸裂(さくれつ)する巨大な火の玉を思い描いた。現実なら、私は瞬時に消滅するだろう。容赦なく抹殺される我が身を思えば、心は冷える。
6 z+ U# W' |9 d
' T2 v8 }0 ?: q0 j. @  Z 想像をめぐらしたのは、『原爆詩一八一人集』(コールサック社)という本を広島の書店で見つけたからだ。きのうが発行日である。栗原貞子「生ましめん哉(かな)」、原民喜(たみき)「コレガ人間ナノデス」。名高い原爆詩とともに、今の詩人の作品も多く収録している。
6 x2 f% i  ~% k4 A) S# F. B0 }! R; v5 d. ]4 l
 被爆体験者は少ない。想像力で言葉を紡いできた。戦後生まれの江口節さんの「朝顔」は、〈いつものようにその人は出かけた/いつものように汗を拭(ふ)きながら/いつもの空に/6000度ものまぶしいはなびらが開くなぞ/知るはずもなかった…〉。何十万の命に向けて炸裂した核兵器のむごさを突く。
7 C3 r- ]* i/ C$ r% K7 C
7 f7 u9 u' S8 o% G8 J4 y- k 時とともに被爆者は亡くなり、平均年齢は74歳を超えた。原爆の日以外は記念公園もひっそりする。風化なのだろう、広島市の小学生の5割は投下日時を知らない。原爆の惨をどう伝え継ぐか、模索が続いている。
: K  `# w4 ^8 ?) j9 p# V, ~7 R4 P/ ^; r# c3 _: W, M/ V
 広島・長崎を最初で最後にしなくてはならない。そんな思いが『一八一人集』にこもる。年内には英語版も出るという。被爆国の詩人の深い言葉が、世界の人々に響けばいい。
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发表于 2007-8-8 07:30:09 | 显示全部楼层
2007年08月08日(水曜日)付- q6 r! r3 D# G. C% r

7 w0 S8 L8 D1 ]+ \" \; r8 z4 n0 S 年齢のサバを読むといえば、ふつうは実年齢より若く言うことだろう。だが漫画家の手塚治虫さんは、亡くなるまで実際より2歳年上だと信じられていた。8 c7 i+ v$ S* B
; b4 b' R' F7 y4 e( `
 戦後すぐ、デビュー作の掲載が決まったとき、17歳だった。正直に年を言うと、若すぎて編集者を不安がらせるかも知れない。大人に見せようとサバを読んだ年齢が、そのまま流布したという説がある。& X. w1 z5 @& V& q# b! X
$ M9 S3 f8 I# I' c
 偉業に花を添える逸話と違って、どこか切ない「サバ読み」が、各地の自治体で発覚している。大学や短大を卒業したのに、高卒者の試験で採用されていた「学歴詐称」である。神戸市、大阪市などで相次ぎ、先日は横浜市でも分かった。免職や停職など、厳しい処分が下っている。. x+ a7 ?; d& T3 @$ ^
+ k( P4 Z8 \3 r* F
 同情論もあるが、高卒者の就職機会を奪ったというとがめは、やむを得ないだろう。それよりも発覚した数である。大阪が約1000人、横浜は約700人というから、たまさかの不心得ではない。
* m0 v$ R4 a0 Z; L$ a
1 Q8 d8 _" p5 ]4 G( ?3 G- ? 大阪では、バブル崩壊後の就職氷河期に増えたという。この時期に社会に出た「さまよえる世代(ロストジェネレーション)」の、背に腹代えられぬ策だったのか。せっかく身に付けたものを捨てての身過ぎなら、暮らしは定まっても、喪失感があっただろう。/ p+ j' w7 [2 T* d% V' W- w
; ]. B! Z' {, Q9 i* L: p# ]
 思い出すのは、〈まだ何もしてゐないのに時代といふ牙が優しくわれ噛(か)み殺す〉の歌だ。歌人の荻原裕幸さんが、25歳の閉塞(へいそく)感を詠んだ。時代という牙はいま、25歳から35歳の世代に、ひときわ苛烈(かれつ)に噛みついている。切ないサバ読みは、はざまの世代からの、秘(ひそ)かな異議申し立てだったかもしれない。
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发表于 2007-8-10 14:37:24 | 显示全部楼层
近ごろの漫才には、「もうええわ」という言葉が頻発するそうだ。2人が掛け合い、話がかみ合わないと「もうええわ」。捨てぜりふを放って打ち切る。ここで客席はどっと笑うのだろう。9 G$ a3 Z) O0 f$ E# {

2 J3 Z- }& h0 i6 L7 | こちらは笑ってもいられない。長野県に公共事業を評価監視する委員会がある。煙たい意見を述べる委員らに、県は「もう結構」とばかり、任期半ばで辞職を勧告したという。うち1人の有識者は、意思確認もないまま解任されてしまった。
7 j$ X- A) r! h5 `; Z/ s# B: W! R2 ?: ]! O- I; r
 長野は昨夏、「脱ダム」を掲げた前知事から、ダムを是とする現職に代わった。県側は否定するが、勧告された委員らは「邪魔者の一掃か」と不信を募らせている。行政と漫才は違う。異なる意見に根気よく耳を傾けるのが、治の王道ではなかったか。
4 ^3 Q% _4 P$ D! P6 `9 R& W, L+ i1 V2 i; H0 r0 @+ V
 「議論の必要なし、問答無用。こういう笑いに浸り続けるのは危険なことじゃないですかねえ」。落語の桂歌丸師匠が以前、本紙に意見を寄せていた。結びには「笑いに限った話ではありませんよ」。異質なものを排除しがちな時代への警鐘に、わが意を得たものだ。6 k% U& t6 R1 X' ^
- Z& c1 k9 u  r* ~4 R3 C: [8 ~
 似たことは、国政にもある。安倍首相肝いりの、集団的自衛権をめぐる懇談会もそうだろう。メンバー13人をぐるり見渡せば、行使の容認に前向きな人ばかりだ。世論を分かつ大テーマなのに、異なる声を聞く耳はないらしい。7 P( B+ I9 j+ T! p9 ]

: Q1 `  L* P" k( Q: { 論敵について、勝海舟が言ったそうだ。「敵がないと、事が出来ぬ。国家というものは、みンながワイワイ反対して、それでいいのだ」。おおらかさと懐の深さは、今は昔の無い物ねだりだろうか。
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发表于 2007-8-10 14:40:42 | 显示全部楼层
2007年08月10日(金曜日)付5 |+ w' j- _6 h+ f$ I1 E1 c1 f

9 Z; q+ k) U' R: `平和祈念像の青い筋肉の上を雲がゆっくり流れる。あの日と同じ南の風だ。正林克記(まさばやし・かつき)さん(68)は62年前、その風の中でセミ捕りをしていて、白い光と爆風を浴びた。「お父さん助けて」。腹に竹が突き刺さり、思わず戦死した父を呼んだ。背中の妹は「お母さん」と小さく震えた。
# t; I% q: J$ I$ m/ L3 m3 m" `7 Z) N$ Z: |
 きのうの長崎原爆忌で、正林さんは「平和への誓い」を読み上げた。「立場や都合で原爆投下を正当化してはならない」。クマゼミの合唱を超える声だった。  [  E6 U) H% `: ]
/ p+ n7 ^! d" h  G5 R+ `, \
 正林さんたちの夏を引き裂いたB29のスウィーニー機長は、直後の9月、長崎に入り、廃虚の爆心地から青空を見上げる。この時の心境を回想録で「後悔も罪悪感もなかった」と記した。罪悪感を抱くべきは日本の指導者たちだと。7 _: I! q' Q2 ?4 K

3 s6 S: k2 I  ^( u3 a- Q! v 機長はカトリック信者だった。日本有数の信者の街、浦上を全滅させたと知る由もない。二つの原爆が戦争を終わらせたという「落とした側の論理」を貫き、04年、84歳で逝った。  T- I' ^& V6 C/ K) p

/ Z7 b: ^* a. M! f. Y" ]0 V9 ~ 彼らの第1目標だった小倉は、近くの空襲の残煙で目視がきかなかった。投下に3回挑んで燃料を費やし、第2目標の長崎に賭けることになった。曇天だったが、その時だけ一瞬、雲が切れたという。+ h' v8 z0 e4 I; w+ v2 V

% U; U. e* H3 L- w8 i- p/ i: G ヒロシマから74時間47分。いくつもの必然と偶然が産み落とした二つ目は、機長に勲章を、真下の7万4000人には死をもたらした。幾多の残酷な出会いを「しょうがない」の言葉でくくった防衛相は去り、与党は民意の報いを受けた。被爆者の悲願、核廃絶への道は険しい。「目を覚ませ」と南風に言わせ、また夏がゆく。
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发表于 2007-8-11 10:25:58 | 显示全部楼层
2007年08月11日(土曜日)付) Q/ @0 g5 z7 ^! \  U
$ p8 o4 N" V' P0 ]; U9 u
夏の夜を涼しくするのは怪談だが、「幽霊」と「お化け」は似て非なるものらしい。幽霊は、うらむ相手をねらって出るそうだ。伊右衛門にたたる四谷怪談のお岩さんは、そのお仲間である。
) b$ T. t5 V; v
( X- U& x& U  y3 B お化けは土地や物に憑(つ)いて、誰が通りかかっても出る。井戸で皿を数える皿屋敷のお菊さんは、こちららしい。以上は、江戸風俗に詳しかった故・杉浦日向子さん監修の書に教えられた。もともと身元のおぼろげな方々ではあるが、言われてみれば、そうかという気もする。
( u) Q* R' E* w, N" f, B2 J) S- \0 F0 r( ?. J! K2 g( Y& J8 \8 z$ u' x. c& C
 親戚(しんせき)筋でもあるまいが、水木しげるさんの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の脇役に「ぬりかべ」なる妖怪がいる。その元の姿が、江戸時代の絵巻に描かれているのが、先ごろ分かった。夜道を歩いていると壁にぶつかったように進めなくなる――そんな悪さをする妖怪だと伝わる。; s' a* ~! _' R

" e4 M; G* \6 v' t( B0 t 水木さんは、巨大な壁に小さな目と足を付けて、とぼけた味わいに描いた。絵巻は獅子の体つきをして、三つ目に牙まである。おどろおどろしい風体は、古人がそれだけ怪異を恐れたからなのか。
% G& j7 O2 @5 ]) L
$ Q2 W9 G% ?$ \8 I+ s 寂しい夜道は、遠く感じる。歩いてもなかなか着かない。その感覚が「ぬりかべ」の正体なのだろう。伝わる妖怪の数だけ、古来の暮らしや自然に根ざした「理由」があるようだ。
9 i" p' b: \) j) z* M, E: J# D) v, U0 y( D& A$ X. P
 やわらかい感性ゆえか、「妖怪に出会う」なら子ども時代だと水木さんは言う。目的を持たず、ぼんやりするのがコツらしい。さて盆休み。田舎へ帰る子もいるだろう。都会と違う草木のそよぎ、夜の深さ。ゲーム機は置いて、妖怪に出会う夏も悪くない。
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发表于 2007-8-12 15:43:42 | 显示全部楼层
要是有译文就好了
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发表于 2007-8-12 22:05:13 | 显示全部楼层
你可以自己试着看看啊,不懂的就查查字典
% L$ F, ?+ L3 B3 o+ {& b9 J8 m虽然困难重重,但对学习是很有帮助的.
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发表于 2007-8-12 22:10:00 | 显示全部楼层
2007年08月12日
/ `+ B+ q* R- F1 _. X
& W3 |2 ~5 p1 X$ Y0 A≈ブル〖スの谨拨∽、と使いて酶毛のり灰さんを蛔う客は负りつつあるだろう。きょうが寐栏から100钳と使き、里箕面も烦参を雕み鲁けた古裹の栏扯を蛔った。レコ〖ドだけではない。始を秽孟に纳いやる参だと、里孟の爸啼でも参わなかった客である。* ?" h) N0 z) {2 l
& L; P; q% j3 ~+ [$ |
 士箕と恃わらぬドレスで神骆に惟ち、萎乖参を参った。アイシャド〖に靠っ乐な庚谷、つけまつげ。≈稍多康だ∽と符始が跑棠ると、≈∈こんな稍达翁が∷燎撮でステ〖ジに惟って、どうなるのですか∽と咐い手したそうだ∈∝ブル〖スの谨拨ˇ酶毛のり灰≠等绅当灰∷。
& B3 D, D7 L) B; \; H6 ]) Q/ U- }0 [' \
 办刨だけ、神骆で点いたことがあった。跺剑の泼苟答孟でのことだ。参の庞面に叫封炭吾の布った骡镑らが、办客ひとり飞伍して面郝していった。こらえきれず、秦を羹けて无を萎したという。9 J+ \$ h1 z4 Y; [- ?, l0 ?

6 C, X6 J9 c* G! `$ a& |3 n9 { 酶毛さんを点かせた泼苟を、泣废势柜客が纳った鼻茶≈TOKKO 泼苟∽が惧鼻されている。陡慨弄极曲のイメ〖ジばかりが势柜では动い。だがリサˇモリモト雌颇は铭谦な艰亨で、傅骡镑の≈栏きたかったよ。秽にたくはなかったよ∽という塑不にたどり缅く。: ]1 X7 @5 R8 q+ e; C" b& x
& J- Q  r1 J( I1 j1 |5 c  J( `# K
 ≈泼苟始∽というロボットじみた客粗など、どこにもいなかったのである。≈始晃∽という泼侍な客粗も。茂もがただの客粗だった。そのことを、酶毛さんは尸かっていた。
5 s/ z* g& v( ]" |/ C1 a
9 W/ F" W6 c$ {4 h 涟俐の爸啼で、烦参を使きたがる始はいなかった。リクエストはきまって浇痊戎∈おはこ∷のブル〖スだった。栏きて耽ることを搓っているただの盟たちのために。そう前じながら参ったと、揉谨は稿に揭阐している。
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发表于 2007-8-13 14:28:10 | 显示全部楼层
哎呀,13号的还没来啊,等等
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发表于 2007-8-14 09:35:52 | 显示全部楼层
前日が新聞休刊日でしたので、13日の「天声人語」はありません。ご了承ください。
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发表于 2007-8-14 09:36:13 | 显示全部楼层
2007年08月14日(火曜日)付
' z# s. n3 i- R& g! r5 l7 e8 D. a4 v$ {- n- N2 m. q0 D/ A1 ]
明治生まれの大歌人斎藤茂吉は、正直な人だった。会食で鯉(こい)料理が出たときのこと、隣の膳(ぜん)をしげしげと眺め、鯉を替えてほしいと頼んだ。隣のが大きく見えたからだ。だが替えてみると、今度はそれが小さく見えてきて、また元に戻してもらった(『文人悪食(あくじき)』嵐山光三郎)。5 `- n; ~( y) i3 a$ C
: F0 `3 V, a. V( F# L0 ^5 g0 ^
 茂吉ほどではないにせよ、隣の芝生は青く見える。お盆休みの今なら、「隣の車線は速く見える」だろうか。渋滞の中、あっちが速いと車線を変えたとたんに、動かなくなる。舌打ちした経験は、だれにでもあるだろう。
  Q$ `& Z; L% Q- \/ }! L( f. D9 C! ]5 i6 j6 S
 ふるさとや行楽地への行き来で、各地の高速道路は激しい渋滞だ。きのうは休みの折り返し点だったのか、午前中は下りで、夕方になると上りで、長い車の列ができた。そしてきょうがUターンラッシュのピークだという。( h. k* B/ i0 b7 T  [
+ v/ b$ i3 D0 k. c+ q
 自然渋滞は、ささいなことで起きるらしい。東大大学院の西成活裕・准教授によれば、何かの拍子に一台の速度が落ちると、後続は次々にブレーキを踏む。その減速が連鎖して渋滞になるそうだ。防ぐには、最低でも40メートル以上の車間距離が必要だと、著書『渋滞学』で述べている。9 s; h& R4 N+ y7 c
0 s' ^4 F1 J2 o/ X' g
 急ぐ旅でも車間は詰めない方が、結局は早く着くのである。あっち、こっちと車線を変えるのも、渋滞に輪をかけるだけらしい。
, U2 X$ y7 c4 I0 X$ w0 v; i. C2 ~1 J
 自分が追い抜いた車はすぐ視界から消える。だが抜かれたときは、お尻を長く見続けることになる。それが、自分の車線は遅いと錯覚する一因だと、米などの大学が報告している。五十歩百歩と心得て、「隣の幸福」をねたまぬよう走りたい。
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发表于 2007-8-16 15:17:59 | 显示全部楼层

天声人語

2007年08月15日(水曜日)付! Z- [8 ~3 Z8 o$ K. S

# b+ c/ H* i8 |- [, {, l- } 昭和と切っても切れない人だからか。夏のきわみに、この春死去した城山三郎さんをめぐる本の出版が相次いでいる。17歳で入った「軍隊」が残した傷痕から出発し、生涯をかけて戦争を追究した作家である。' H! ^% M) V5 a4 P3 A

% _& X" \9 ^" ^- [) y3 \ 亡くなる前年にお会いしたとき、特攻の話になった。戦争末期に「桜花」という特攻機があった。着陸する車輪さえなく、体当たりだけを目的に作られた兵器である。あるとき米国の航空博物館で、城山さんは実物を見る。あまりにも狭い操縦席に、胸をしめつけられた。
1 M* g+ {2 c1 X: k% T8 o3 R$ S" T: k! \! e* j/ R& T
 若者が身体を折りかがめ、兵器の一部となって乗り組んでいく。悲劇的な姿が脳裏に迫った。人格など顧みられず、人間が消耗品扱いされた時代を痛感したという。死んでいった兵への愛惜を語り、「行かせた者は許せない」と目をしばたかせていた。
. k+ P' n* k! y
0 E3 G4 ?1 D. U そして、城山さんのいない8月15日が巡る。人命を湯水のように戦場につぎ込んだ指導層の責任を、城山さんのように問う戦中派もいる。横浜の飯田進さん(84)は、南方での餓死、病死のありさまを書き残そうと、時間と競争の執筆を進める。. z% @1 W; Y9 m8 C) x

6 s. w) n4 v& w( \! Q 自らも死線をさまよった。軍部は拙劣な作戦を繰り返し、補給もなく、おびただしい兵を野たれ死にさせた。その責任に目をつぶって、惨めな戦死者を「英霊」と呼べば、戦争の実相を隠すと思うからだ。' _$ n9 X3 K0 ?; ?

8 g0 x( R3 a! U  `4 i7 `9 f0 s この夏の、城山さんをめぐる一冊に、若いころの本人の詩があった。戦争を、〈暖い生命を秤売(はかりうり)する〉ものだと突いている。気骨の作家の遺訓が聞こえてくるような、62年目の蝉(せみ)時雨(しぐれ)である。
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发表于 2007-8-16 15:19:50 | 显示全部楼层
2007年08月16日(木曜日)付  F9 d6 \: [' P7 c7 X/ v

8 X" J2 s, p5 q& J* A# S* r戦没した人たちの思いが働いたのかと、時々不思議に思うことがある。終戦の日が、盆と重なることだ。迎え火、送り火、精霊流し。戦争の記憶と相まって、日本人の情念がいちばん深まるときであろう。
0 W) w/ M7 Z( Y% e8 h
9 \5 p3 x  L: S* ^9 k9 @; I( [' ? いつもは静かな東京の千鳥ケ淵戦没者墓苑も、きのうは献花に埋まった。海外での死者のうち、引き取り手のない約35万人の遺骨が眠っている。今年は新たに、各地で収集された973柱が納骨された。だが、なお116万人もの遺骨が祖国の土を踏めないでいる。
! G) M+ q& ]# M  \7 i' Z: w& w
& j/ P1 k8 g* P3 j8 B 人の生きた証しは様々だが、骨は最も素朴なものだろう。南方の熱帯林で苔(こけ)むしていた、日本兵のしゃれこうべに、詩人の茨木のり子さんは胸を痛めた。〈生前/この頭を/かけがえなく いとおしいものとして/掻抱(かきいだ)いた女が きっと居たに違いない〉。# f4 q% a1 w, ^7 L8 X7 D

7 j# _6 J! A; y6 f7 a 詩は、〈小さな顳●(こめかみ)のひよめきを/じっと視(み)ていたのはどんな母……〉と続く。昨日の全国戦没者追悼式に最高齢で参列した松岡コトさん(101)は、長男を亡くした。遺髪は届いたが骨は戻らず、母はずっと、無骨(むこつ)の墓に線香を立ててきた。8 }; ~  T/ T7 e  H+ e- x

; r$ b1 V5 ^  K5 f 日本人ばかりではない。戦中、朝鮮半島から大勢が日本に動員された。日本で亡くなり、各地の寺や山野に見捨てられた遺骨は少なくない。帰してほしいと求める声が、韓国からも起きている。
2 l5 |; L/ z) {4 g, g- a& T- H2 N) I
 〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ〉で知られる詩「骨のうたう」を書いた竹内浩三も、戦死して骨は帰らなかった。白木の箱の軽さに泣いた多くの遺族の無念も、戦争の罪深さとして心にとどめたい。 * s8 V8 z9 Z( l/ v* ^9 M* t3 g
! F% j$ g8 ?, b' u$ s
(●は「需」の右に「頁」)
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发表于 2007-8-17 10:04:55 | 显示全部楼层
2007年08月17日(金曜日)付, F/ |) `. L/ @# j- F

  |" f3 Q9 h; G3 F1 X! V学生時代にネパールを旅したとき、街道の茶屋に入った。主人がコップを洗うのを見ていると、まず10個ばかりをテーブルに並べ、その一つに水をいっぱい入れた。; ^7 @& y. S* \5 U( C& K# u& p- s$ D

; {3 t! x. u* k6 W6 z1 z- t4 s6 H: ] 次に、その水を隣のコップに移した。さらに隣に、また隣に、と移していった。それが、「洗っている」のだった。1杯の水で10個を洗うのである。谷川までの水くみが重労働なんだ、と主人は言った。水の貴重さに驚き、節約の知恵に恐れいったものだ。
% c. }5 C, h2 s" z5 z% P" O. V3 E8 l; P+ Y! J) R. u
 思い出したのは、本紙の声欄で大分市の女子中学生、小沢●(●は王へんに「争」、じょう)さんの投書を読んだからだ。●さんは中国福建省で育ち、3年前に母親らと日本に来た。向こうでは夏には水不足になり、日に何度も井戸の水をくみに行ったという。水の大切さが身にしみているといい、日本での節約ぶりを書いていた。0 [6 q# w2 O% C( A; I4 x7 g6 d4 k

  t! ~9 Z( ^+ k8 d  l5 f( k 電話で聞くと、大きなバケツを天秤棒(てんびんぼう)で担いで水を運んでいたそうだ。いまも、洗面器に水をためて顔を洗う。それを捨てずに掃除に使う。学校の水場で友達が水を掛け合っていると、「もったいない」と思ってしまう。% |: k" H6 o/ P, M1 Q' ~

- e& z) M, T6 Z+ C% Z# t! P- B- N 今年上映された仏映画『約束の旅路』の一場面が、重なった。干ばつのアフリカ難民キャンプから救われた少年がシャワーを浴びる。少年は排水口を両手で押さえ、「ダメ」と叫んで、流れていく水を必死で止めようとする。& e8 E3 O: V# d2 k: ?
' I6 i) D3 _0 v
 猛暑にうだって、水のお世話になる日々である。水ゆたかな国土に感謝しつつ、胸に手を当てて、わが無駄遣いを自省する。●さんにならって、せめて蛇口のこまめな開け閉めぐらいは心がけることにしよう。
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