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发表于 2007-9-17 11:06:20
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2007年09月16日(日曜日)付* B9 N: j' X, M( A9 ?
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近所の公園に、淡い紅色をした秋海棠(しゅうかいどう)の花がひっそり咲いている。日陰を好む花だという。木立の下の暗がりが、そこだけ明るいように、ぽっと色づいている。
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またの名を断腸花と呼ぶのは、悲しみを誘うかのような風情のゆえらしい。作家の永井荷風は、この花を愛(め)でて庭に植えた。居宅を断腸亭と称し、名高い日記「断腸亭日乗(にちじょう)」を42年にわたって書き継いだ。戦前から戦中、戦後を自由な精神で貫く日記の筆を起こしたのが、90年前のきょうである。6 B B1 X6 a& X$ c3 G2 Y; P) Y
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〈九月十六日。秋雨連日さながら梅雨の如し〉。以来、死の前日まで、時勢に背を向け、それでいて確かな時代への目は変わらなかった。盛り場や色街を徘徊(はいかい)しながら、中国への侵略を「長期戦争に窮し果て、俄(にわか)に名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用い出した」と見通していた。
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別の日には〈米国よ。速(すみやか)に起(た)ってこの狂暴なる民族に改悛(かいしゅん)の機会を与えしめよ〉と激しい。玉音放送を知って、〈あたかも好し……祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ〉。世捨て人ゆえに、目は覚めていた。# |' d+ u/ v& T o! B7 k! V. v
4 @# O5 I# m( G' m* v 荷風は日記を公表するつもりで書いたそうだ。今ならブログを開いただろうか。インターネット上の日記ともいえるブログの開設者は、国内で800万人を超す。閲覧者は4000万ともいう。誰もが表現者になれる半面、言葉による暴力といった負の面もある。
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$ r4 G \* E) s' Z 「断腸亭日乗」には、登場する人々へのあけすけな批評はほとんどない。言葉の達人はきっと、言葉の切っ先がいかに鋭く人を突くかを、よく知っていたのだろう。 |
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