2007年10月01日(月曜日)付
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$ {* H: }* ?: N8 u6 o: H, r% k# c' W5 O/ P 「泥と炎」と形容された戦火の果てに、インドシナ3国の首都が相次いで陥落したのは1975年のことだ。4月にカンボジアと南ベトナム、8月にはラオス。命の保証もない現地に日本のフリー写真家も身を挺(てい)し、生々しいフィルムを世界に発信した。
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「誰も行かないところへは、誰かが行かなければならない」。武力弾圧下のミャンマー(ビルマ)で落命したカメラマン、長井健司さんの口癖だったという。戦争や紛争を伝えるジャーナリストに脈々と受け継がれてきた情熱であり、使命感だろう。
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4年前、戦争不可避のイラクから、日本の大手新聞、テレビは撤退した。入れ替わるようにフリーの写真家らが現地を目指した。「攻撃される側」から報道するためだ。茶の間に届いた映像や写真の多くは、その情熱がもぎとった真実だった。戦火の下に、長井さんもいた。5 {& w; P+ s, E9 O+ l3 j
* G7 ~: ?, H9 E& Y 物静かな人だったという。先天性の障害に苦しむイラクの少年に、紙おむつを届ける優しさもあった。功名心ばかり先走る者もいる業界である。そこにあって、紛争解決のために何ができるか、をいつも考えていた。
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戦場カメラマンの武器は「笑顔」だけだと聞いたことがある。憎めない笑顔を持つか否かが、生死を分ける局面もあるらしい。今回はしかし、背後からの問答無用の射殺だった。こんな蛮行には、やわらかな武器は使いようもない。
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0 ]) @* F ?6 e 遺体は、右手がビデオカメラを握る形に硬直しているそうだ。非業の死と、命と引き換えの最後の映像が、ミャンマー民主化の力になることを願う。 |