|
发表于 2006-5-11 17:05:39
|
显示全部楼层
公園の梅の木の下に、青い実が落ちている。先刻の小糠(こぬか)雨で実の皮にできた滴が、5月の東京の空を映す。やがて雲間から日が差し、木々の若葉が光り始めた。
公园里,梅花树下,青色的果子掉落地上。方才的毛毛细雨在果子上凝成一颗颗水珠,水珠映出5月东京的天空。不一会,太阳穿过云层照射下来,嫩绿的树叶霎时熠熠生辉。
「
若草の上をあるいてゐるとき、/わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく……ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして」。萩原朔太郎は、この季節を愛した。「若くさの上をあるいてゐるとき、/わたしは五月の貴公子である」(『月に吠える』)。
“走在嫩绿的青草上,鞋踩过的地方留下白色的足迹……啊啊,将所有的忧愁抛却”。 萩原朔太郎深爱这个季节。“走在5月的草地上,我是五月的贵公子”( 《吠月》)
20代の頃に妹に送った手紙には、新緑は、夏の盛りのどす黒いような不快な青とは違うと書いた。「見るからに晴々した透き通る様な青です」。朔太郎は、昭和17年、1942年の5月11日に55歳で他界した。
20几岁时,他在给妹妹写的信上说,夏天浓浓的墨绿给人的感觉很不舒服,新绿就不一样了。“那是一种看起来很明快、晶莹的绿”。 朔太郎于昭和17年,即1942年的5月11日去世,享年55岁。
詩誌「四季」の追悼号には、高村光太郎や斎藤茂吉、室生犀星らの文が並んでいる。中に、「師よ 萩原朔太郎」と題する三好達治の詩があって、毎年この時期になると読み返す。
诗刊《四季》出了一期追悼刊,登载了高村光太郎、斎藤茂吉、室生犀星等大家的诗歌。其中有一首三好達治的诗,标题是《老师啊 萩原朔太郎》,每年这个时候我都会重读一遍。
詩人としては認められていたが、世間の常識とは大きな隔たりを痛感しつつ生きた朔太郎に、まず「幽愁の鬱塊」と呼びかける。「あなたのあの懐かしい人格は/なま温かい熔岩(ラヴア)のやうな/不思議な音楽そのままの不朽の凝晶体」だったとうたう。
作为一个诗人朔太郎的才华得到了大家的认同,然而他一直痛切地感觉到自己与这个世界格格不入,因此诗中一开始就称他为“幽忧愁团”。诗中写道,“您的人格,令人怀恋/您就象温热的熔岩/您就是那神妙音乐,凝结而成的不朽晶体”
「夢遊病者(ソムナンビユール)/零(ゼロ)の零(ゼロ)」と書き、「あなたばかりが人生を ただそのままにまつ直ぐに 混ぜものなしに 歌ひ上げる」と記した。確かに朔太郎の詩句は、詩の源泉からわき出る、混じりけのない流れだったかも知れない。逝って64年。自らを貴公子と呼んだこの季節には、若草の上をゆく姿が、薫風の中によみがえるような気がする。
说他是“梦游病人/零中的零”,又写“只有在您诗歌中,才能找到纯粹的、不掺任何杂质的人生”。确实朔太郎的诗句可能是从诗之源泉喷涌而出的、没有任何杂质的清流。过逝64年。在这个朔太郎将自己比作贵公子的季节里,他那在嫩草上飘然而过的身姿仿佛在这和煦的春风中复苏了。 |
|