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发表于 2006-6-27 13:53:46
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30年以上前のことだが、通っていた中学校に米国から日本人の女生徒が転校してきた。英語はもちろん完璧(かんぺき)で、2カ国語を滑らかに話すバイリンガルに会ったのは、初めてだった。
这是30年前的事,我所在的中学来了一个转校生,是从美国回来的日本女学生。英语当然呱呱叫,我还是第一次见到会流利地说两个国家语言的双语系人。
「これが本場の英語か」と驚いた。ところが、休み時間になると、その子が1人の同級生に「○○ちゃん、久しぶりね」と話しかけている。2人は数年前、米東部の日本語補習校で同窓だったという。
我惊呆了,“原来这才是地道的英语啊”。休息的时候,我看到那个同学跟另外一个同学打招呼“小○○,好久不见啊”。听说2人是同窗,几年前同时就读于美国东部的一所日语补习学校。
だが、もう1人の子は米国帰りの経験はおくびにも出さず、英語の時間にはわざとカタカナ発音で読んでいた。同質性を重んじる日本社会では目立ってはいけないという処世術だったのかもしれない。
可是,另一个同学却只字不提美国生活经历,上英语课时,还特意将英语发成日式音。也许这是他的处世之道,在重视求同心理的日本社会,尽量不让自己显得与众不同吧。
帰国子女が増えた今は、どうだろう。バイリンガルは、英語と日本語を自由に行き来できると思われがちだ。幼児英語ブームや、小学校から英語を教えるのも、バイリンガルへのあこがれが背景にあるからではないか。だが、そんな単純な話ではないようだ。
在归国子女日渐增多的今天,又是怎样一种情况呢。通常会认为双语系人能够在英语和日语之间游刃有余。幼儿英语热,从小学开始学英语,其背景都是出于人们对双语系人的向往吧。可是,事情没有这么简单。
英語学習者向けの週刊紙「朝日ウイークリー」(6月25日号)が彼らのホンネを座談会で特集している。自分がどちらの国の人間なのかアイデンティティーに迷う。英語では明るくオープンなのに、日本語では別人格になる。帰国子女は日本の会社では使えない、という先入観にも直面する。悩みは尽きない。
面向英语学习者的周刊《朝日周刊》(6月25日)为他们开了一个座谈会,让他们道出了自己的心声。其实他们很迷茫,不知道自己究竟是哪个国家的人,没有归属感。说英语的时候很奔放很开朗,说日语的时候好像变了一个人。归国子女必须面对很多问题,比如很多人有一种先入为主的观念,认为归国子女不适合日本公司。各种烦恼无穷无尽。
しかし、複数の言語と文化に触れた経験から、「たぶんどの国に行っても、その国を理解しようという許容範囲が広いと思う」(英字紙記者)という面もある。外国語の能力よりも、そうした心の柔軟さこそ、彼らから学ぶべき点かもしれない。
可是,另一方面,因为他们接触多国语言多国文化的缘故,“我认为他们的包容能力比较强,无论到哪个国家都会努力理解并接受该国的一切”(英文报记者)。或许,从这些人身上,我们要学习的不是他们的外语能力,而是这种柔软、包容之心。 |
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