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发表于 2006-10-27 18:08:43
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10月27日
眼下に、戦後の混乱したウィーンの街が広がる。遊園地の観覧車の中で、男二人が相対している。粗悪な密造ペニシリンの売人になったハリーに旧友マーチンスが問う。「子供の病院へ行って、君の犠牲者を一人でも見たことがあるのか」。キャロル・リード監督の「第三の男」の名場面の一つだ。
战后混乱的维也纳大街在眼前展现。游乐园的参观车中,有两位男子正在面对着谈话。老朋友马切恩斯问贩卖私制的品质很差的青霉素的哈利:‘到儿童医院去时,沦为你的牺牲品的人一个都没看到过吗’。这是恰劳鲁•力杜导演的影片《第三个男子》中有名的场景之一。
ハリーは、観覧車の下の方に虫のように小さく見える人々を指して言う。「あの点の一つが動かなくなったら——永久にだな——君は本当にかわいそうだと思うかい」(『グレアム・グリーン全集』早川書房)。
哈利指着参观车下方,看上去小得就象是小虫似的人们说:‘那些点中的一个不能动了—永远的—你真的认为很可怜吗’
軍事史研究家の前田哲男さんは、この場面を、第二次大戦の「戦略爆撃」と重ね合わせて述べている。「空中高く他者への生殺与奪権を保有することになった時代の不条理を鮮やかに描き出した」(新訂版『戦略爆撃の思想』凱風社)。
军事史研究学家前田哲男先生,将这个场面与第二次世界大战的‘战略轰炸’联系到一起述说到:‘鲜明地描述了那个在空中高高地掌握他人的生杀予夺大权时代的不合理性’。
20世紀の初頭に生まれた飛行機が無差別爆撃に使われ、おびただしい市民が殺されてきた。独軍によるスペイン・ゲルニカへの爆撃から、旧日本軍による中国の重慶、連合国側による独・ドレスデン、日本へのじゅうたん爆撃、そして原爆投下。点のような人、あるいは点にすら見えない遠い相手への爆撃は、戦後もベトナムやイラクなどで続いた。
将20世纪初期诞生的飞机用于不加区别的狂轰烂炸,杀死众多的居民。从德国对西班牙的轰炸开始,到旧日本军对中国重庆、联合国方面对德•日本的地毯式轰炸、接着是投下了原子弹。对象小点一样的人或是更远地连点都看不清的对方进行轰炸,战后在越南与伊拉克还在持续。
1938年から5年余に及んだ重慶への爆撃の責任を問う裁判が、東京地裁で始まった。原告の言葉が重い。「無差別爆撃は私に、一生続く身体と精神の傷を与えました」
东京地裁进行裁判,追究从1938年开始5年多的时间对重庆轰炸的责任。原告的话很沉重‘不加区别的狂轰烂炸在身体与精神上带给了我一生的伤害’
無差別爆撃の傷は、日本にも深く残っている。人間を単なる「点」と見た時代を省み、その実相を未来のために記憶したい。
日本也深深地遗留着这种不加区别的轰炸所带来的伤害。希望能反省那个将人看作仅仅是个点的时代,为了今后请牢记当时的真相。
[ 本帖最后由 summony16 于 2006-10-27 10:29 编辑 ] |
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