|
俳句・短歌・詩、いずれも感動を露出した作品に良いものは少ないと思います。ここでいう感動の露出とは「悲しい」だの「嬉しい」だの「辛い」だの「楽しい」だのの直接的表現を指していると思います。作者がいくら感動したからといって、感動した自分の感情を述べても読者は「ああ、作者は感動したのだ」とわかるだけで読者が同じ感動を抱けるわけではないでしょう。感動を伝えるには読者に「追体験」させる必要があります。「感動の元」を読者の心に言葉を介して再現させるのが詩歌です。特に世界中で最も短い詩である俳句は、作者自身の感情表現を入れる余裕はないはずです。ぎりぎりまで削られた言葉は余計な描写ができない分、読者に自由な「読み方」「感じ方」を許し、ときには作者の感動を上回る熱い情念を惹き起こすやもしれません。それと、俳句に限らず、昔の日本人は感情の露出を嫌います。上品でないとみなすようです。
でも、あまり禁止事項にこだわらず、楽しく自分カラーの俳句を詠まれてもいいんじゃないですか |
评分
-
1
查看全部评分
-
|