咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
查看: 1112|回复: 0

[推荐]雷峯塔

[复制链接]
发表于 2004-3-2 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
雷峯塔の倒壊について

訳:竹内好



 杭州西湖の雷峯塔が倒れたそうである。そう聞いただけで、私が直接見たわけではない。けれども、私は、倒れる以前の雷峯塔ならば見たことがある。ボロボロの塔が、湖と山の景色のなかに影を投げかけて、山に落ちかかった太陽がそのあたり一面を照らしている、というのが「雷峯の夕照」で、西湖十景のひとつである。「雷峯の夕照」の実景は、私も見たことがあるが、別に大したものではない、と私は思う。



 けれども、数ある西湖の名勝のなかで、私がもっと早く知ったのが、この雷峯塔なのだ。白蛇さまがこの塔の下に鎮められている、と私の祖母が、昔よく話してくれた。許仙(きょせん)という人が二匹の蛇を救けた。青いのと白いのだった。しばらくして、白蛇が恩返しに、女に化けて許仙のもとに嫁いできた。青蛇も、小間使いに化けてついてきた。ある和尚、それは法海(ほうかい)禅師という、得道の禅師だったが、許仙の顔に妖気があるのを見て、――妖怪を女房にしている人の顔には、妖気があるものなのだが、これは非凡な人でなければ、見出すことができない――彼を金山寺(江蘇省の鎮江にある)の法座の後にかくした。白蛇さまが、夫をたずねて来たところが、「金山は水びたしになった」というのである。私の祖母が話すと、はるかに面白いのだが、おそらくこれは、『義妖伝』という弾詞(琵琶歌のようなもの)から出たものであろう。だが、私はその本を見たことがないので、「許仙(きょせん)」とか「法海(ほうかい)」などを、果たしてこう書いてあるものかどうか知らない。とにかく、白蛇さまは、ついに法海の計略にかかって、小さな悚韦胜朔猡袱长幛椁欷皮筏蓼Αcは、地中に埋められ、その上に鎮めの塔が立てられた。それが、この雷峯塔なのである。その後も、「白状元(状元は一番で進士に及第したものをいう)、塔を祭る」といったたぐいのことが、まだいくらもあったようだが、いまはみな忘れてしまった。



 その頃、私の唯一の希望は、この雷峯塔が倒れてしまうことであった。後に大きくなってから、広州へ行って、このボロボロの塔を見たとたんに、不愉快になった。その後、本で、杭州の人はこの塔のことを「保叔塔」とも呼んでいるが、「保俶塔(ほしゅくとう)」と書くのが本当で、銭(せん)王の息子(唐末五代の頃、杭州を国都とする呉越国の王、銭俶のこと)が造ったものである、と書いてあるのを見た。そうすると、塔のなかには、むろん白蛇さまはいないわけなのだが、それでも、私はやはり不愉快であり、相変わらずそれが倒れてしまえばいいと思っていた。



 いま、それはついに倒れた。天下の人民の喜びはどんなだろう。



 こういったのには、証明となる事実があるからだ。呉(ご)、越(えつ)(江蘇、浙江)地方の山間や海辺へ行って、民意を探ってみたまえ。百姓や爺さん連中から、お蚕女、ルンペンにいたるまで、脳髄にいくらか障(さわ)りのあるお方は別として、白蛇さまを気の毒に思わなかったり、法海(ほうかい)がでしゃばりすぎると咎めだてしない者が、いったい一人でもいるかどうか。



 和尚というものは、元来、お経を称えることだけにかかずらっていればいいものなのである。白蛇が勝手に許仙(きょせん)に熱をあげ、許仙が勝手に妖怪を娶ったのが、ほかの者に何の関係があろうか。それを、彼がお経を放りだし、横からいらざる口出しをしたのは、たぶん嫉妬の気持ちがあったからなのだろう、――いやそれに違いない。



 聞いたところでは、その後、玉皇(ぎょくおう)大帝(道教では最高の神様)も法海(ほうかい)がでしゃばって、人命に危害を与えるにいたったのを咎めて、かれを逮捕して処分しようとした。ところが、彼はあちこち逃げまわって、とうとう蟹の甲羅のなかに禍を避け、二度と出ようとはせずに、今日なおそのままでいるということだ。私は、玉皇大帝がやったことについては、文句をつけたいことを心中にいくらももっているのだが、ただこの件についてだけは、きわめて満足している。というのは、「金山が水びたしになった」事件は、たしかに法海が責任をもつべきであって、玉皇大帝の処置はまことに正しいものだからだ。ただ残念なことは、その頃、私がその話の出典を聞いておかなかったことで、もしかすると、『義妖伝』中にはなくて、民間の伝説であるかもしれない。



 秋たけて、稲の実る頃ともなると、呉、越のあたりに蟹が多くなる。真っ赤になるまで茹(ゆ)でてから、どれでもよいからひとつとって、背の甲を開けてみると、中に黄味のところと、膏(あぶら)のところがある。雌だったら、石榴(ざくろ)のようなまつ赤な卵がある。これらを食べてしまうと、必ず円錐形の薄い膜がでてくるから、小刀で、その円錐の底のところから、そっと切りとり、取り出して、裏を外にひっくりかえすと、破りさえしなければ、羅漢(らかん)のようなものになる。頭、顔があり、身体があって、坐っている。われわれのところでは、子供たちは、これを「蟹和尚」と呼んでいるが、これが、中に隠れて避難している法海なのである。



 かつての日、白蛇さまは塔の下に押しこめられており、法海禅師は蟹の甲のなかに隠れていた。が、いまは、この老禅師だけが、ひとりで静かに坐っていて、蟹の種族が絶える日にならなければ、出ようにも出られないでいる。かれは塔をたてたときに、塔は結局倒れるものだということには、考えいたらなかったのだろう。



 ざまを見ろ。



   (一九二四年十月二十八日
回复

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2024-5-6 20:40

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表