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初めて日本語という美しい言語を耳に入れたのは高校時代の時である。丁度あの時は大学進学の一番緊張な時期で、いい大学を入れるよう誰でも一生懸命教科書の山に埋めて、読んだり書いたりしていた。
私も勿論そうですよ。大学とは心の中の美しくて遥かな夢と言えるだろう。ながら族である私は、もし音楽を聞かないと勉強することはどうにもできない。これは高校時代も卒業したの今も変わらない。あの時は日本のドラマーと曲はすごく流行していたため、意味はわからないけど買ってきたのだった。優しくて和やかな歌声を聞いているうち、気持ちはよくなり、心も静んで勉強も覚えも易くなっってきた。不思議であるかもしれないけど、事実はそうだった。あの頃は聞くだけで、歌えるという程度ではまだ届けていなかった。
大学の進学試験の後、成績を待つほか出来事はなかった。暇つぶしとして映画を見たり、音楽を聞いたりし、空しくてたまらない。美しい日本曲を習うのではって思いつつ日本語を接触し始まった。但し、五十音図もわからない私にとっては、それは簡単なことではなかった。結局あの時一番流行っていた、特に一番好きな「東京ラフーストリー」の主題曲も歌えなかった。本当に気を失ってしまったよ。「取り敢えず諦めよ」と自分にそう言った。
日本のドラマも多少見ていたけど、一旦中国語に訳したら、雰囲気がまったく違うと強く感じられた。日本語だったら、内容が全然わからないのだった。日本語が聞き取れば、との思い出はあの頃から浮かび出した。
多分日本語と縁があるかもしれない。進学依頼書で専攻を日本語に選択した。その後ある外国語大学に入学し、日本語を勉強してしまった。
今はもう卒業して一年間に経った。通訳としてある合資会社に勤めている。実力はままで70%理解できるのレベルだけであり、勉強し続けなければならない。実は、外国語の勉強者として、誰でも外国に一回行きたいのだ。留学にしても、仕事にしてもいいのだ。国内ではなんと言っても雰囲気足りない点は強く感じられる。自分自身もひとつの例である。但しまだチャンスがないため、ますます自分の力でレベル向上しかできない。私はそう思います。

すこし、添削しました。ドラマー=>ドラマ。美しい文章です |
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