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有没有人知道日语发音和苏州方言的关系

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发表于 2006-12-28 08:22:22 | 显示全部楼层 |阅读模式
有没有人知道日语发音和苏州方言的关系,或者推荐一些参考书文献什么的,毕业论文用,急啊~~
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发表于 2006-12-29 01:58:07 | 显示全部楼层
1800年前左右,苏州属于三国的吴国,当时日本从中国第一次大规模引进文化、经济等先进成果。
大量吴地发音的汉语词汇进入日语,日本人称之为“吴音”。苏州方言是吴地的代表性方言,当然会有很多发音融入日语。
但当时的苏州方言和今天的苏州方言区别有多大,我就不知道了。。。。
当然,即使是今天,吴越语方言区(包括江苏、上海、安徽、浙江)的一些发音同日语中部分汉语词汇的共通之处,是可以明显感觉到的
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发表于 2006-12-29 05:05:23 | 显示全部楼层
有的感觉和无锡方言很像....
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发表于 2007-1-1 18:05:10 | 显示全部楼层
胡说,那来什么关系,没有关系滴!
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发表于 2007-1-3 07:01:49 | 显示全部楼层
ご‐おん【呉音】
「ごおん」を大辞林でも検索する


古く日本に入った漢字音の一。もと、和音とよばれていたが、平安中期以後、呉音ともよばれるようになった。北方系の漢音に対して南方系であるといわれる。仏教関係の語などに多く用いられる。

呉音と漢音の概要については、「なぜ音読みが幾通りもあるのか?」に書いたので、未読の方はそちらを先にお読みいただきたい。本稿では、呉音と漢音の具体的な見分け方について述べることにする。


京都の町の随所にある辻地蔵。その周りに子供たちを集め、菓子などをふるまう地蔵盆という行事もある。ともに、新開地である横浜では見られない。
 呉音は一言で言って「抹香くさい」。つまり、仏教語という感じがするものが多い。「経文」「成就」「殺生」「勤行」などがその例である。しかし、仏教が日本語に与えた影響は深い。たとえば「人間」という言葉は仏教語である。仏教的な考えではあらゆる生き物(衆生)は死ぬと業に応じて6つのステージ(六道)に生まれ変わるが、そのうちの一つが「人間道」であり、他に「天上道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」がある。「チクショー、このガキ!」と罵倒するときには、知らず知らずのうちに二つも仏教語を用いていることになる。常に殺し合いをしていなければならない「修羅道」からは「修羅場」という言葉も生まれた。「人間いたるところ青山あり」という句はよく、「人間悪いことばかりじゃない。いつかはいいこと、楽しいこともある」という意味に誤用されるが、漢詩に由来するこの句の「人間」は「じんかん」と読み、人間世界のことである。「青山」とは、「墓」のことであり、全体の意味は「世の中にはどこにでも骨をうずめられる所がある。だから一つの所に執着するな」という意味である。このように、漢籍(漢文、漢詩など)に由来する語は漢音読みをする。

 今日では漢音が呉音より優勢であるが、それは漢籍を通して入った漢音が庶民の間に急速に広まった明治以降のことである。明治に西洋語の翻訳のために作られた新語もほとんどが漢音読みであった。しかし、江戸時代以前の庶民の間では、漢音読みの漢語はほとんど普及していなかった。庶民が知っていた漢語は、より古く入った呉音読みの漢語にほぼ限られていたといってもよい。数を数えるときの「二、六、万」は呉音で「に、ろく、まん」と読み、漢音で「じ、りく、ばん」と読むことはない。助数詞の「人、枚、丁」も「にん、まい、ちょう」と読み、「じん、ばい、てい」とは読まない。「人」などは、「遊び人」のように和語ともすんなり結合している。「幕」「情」などの一字漢語も「まく」「じょう」と呉音読みして、「ばく」「せい」と漢音読みはしない。しかし、江戸時代以前から、漢音がしだいに呉音を駆逐する傾向はあった。お寺の「境内」などは「きょうない」と呉音読みしそうなものだが、漢音で「けいだい」と読んでいる。このように、呉音の本丸ともいうべき仏教語にまで漢音が入り込んでいる例も少数ながらある。

 以上、呉音と漢音の分布の概要について述べてきたが、これ以後は、音の面から、両者を体系的に比較してみたい。

 まず清濁が対立するときは、濁っているのが呉音、濁っていないのが漢音である。ただし、日本語には複合語をつくるとき、あとの言葉が「ふるだぬき」のように濁る「連濁」という現象があるので、言葉の頭で比較していただきたい。「大地」「土星」「上陸」は呉音、「大会」「土地」「上人」は漢音である。「上人」は仏教用語が漢音で読まれる数少ない例の一つである。

 「神奈川大学(私立)」「神戸大学(国立)」はいずれも「神大」と略されるが、前者は「じんだい」と呉音で、後者は「しんだい」と漢音で読まれる。現在の中国語には音韻としての濁音がないが、呉音にはあったのであり、それがなくなる傾向がすでに漢音の段階で始まっていた。

 つぎにm、nといった鼻音と非鼻音が対立する場合は、鼻音が呉音、非鼻音が漢音である。「末尾」「武者」「美男」「憤怒」は呉音、「末子」「武士」「男性」「激怒」は漢音である。「怒」の場合は母音も異なっているが、これについては後述する。「イ」「エ」や拗音の前では呉音のnが漢音では「ジ・ゼ」のようになる。「縁日」「天然」「柔和」と「休日」「自然」「柔道」とを比べられたい。鼻音が非鼻音化する現象は世界中の言語で見られる。「三郎」を「さぶろう」と読むのも、本来「サム」だった「三」が非鼻音化して「サブ」となったからである。

 呉音と漢音の違いは、母音の部分においてより顕著である。中国語の母音は日本語の「アイウエオ」では分類しきれず、それをどれにあてはめるかの解釈の違いもあるが、呉音と漢音のそれぞれのもとになった音がすでに違っていたのが主要な理由である。さきに、「怒」という字が呉音で「ヌ」、漢音で「ド」となる例をあげたが、これは「図」の字が呉音で「ズ」漢音で「ト」となるのと同じである。もとの音はそれぞれ"du","to"であった。「ズ」が昔は「ヅ」と書かれていたのもこのためである。以下、由来はさまざまだが、説明を簡潔にするために一括して言えば、「ウ」音と他の音とが対立するときは、「ウ」音が呉音、それ以外が漢音と考えてよい。「口調」「有無」「留守」「大工」「功徳」などは呉音、「人口」「有名」「留年」「工場」「功績」などは漢音である。

 呉音と漢音の対立で目立つのは「ヨウ」と「エイ」の対立である。「明星」を「ミョウジョウ」と読めば呉音で、「メイセイ」と読めば漢音でそろえたことになる。「京」の字は「東京」では「キョウ」と呉音読みされるが、「京浜」となると「ケイ」と漢音読みになる。明治初期の東京には「トウケイ」と呼ばれていた時期がある。「正月」と「正義」、「人形」と「形式」、「落丁」と「装丁」、「平等」と「平気」、「怨霊」と「幽霊」など、この例はあげれば切りがない。なお、「ヨウ」はもともと「ヤウ」であった。だから、「ヨウ」と「エイ」の対立は、「ヤク」と「エキ」の対立と同じことである。「ヤク」と「エキ」の例としては、「配役」と「使役」、「磁石」と「宝石」、「(比叡山)延暦寺」と「還暦」などが挙げられる。

 「兄弟」と「師弟」、「体育」と「体裁」、「新米」と「渡米」などの場合は、「アイ」が呉音、「エイ」が漢音である。関西の私学として有名な関西大学は「かんさい」、関西学院大学は「かんせい」(さらに正式には「くゎんせい」)である。これはミッション・スクールである関学が仏教臭の強い呉音読みを嫌ったためだという。

 「エ」が呉音、「ア」「アイ」が漢音という例としては、「下界」と「下流」、「人間」と「時間」、「解熱」と「解釈」、「外科」と「外国」、「象牙」と「毒牙」などが挙げられる。「外」「牙」の場合、ともに濁音となっており、漢音では清音というさきほど述べた原則に反するように思われようが、これは、子音がngという鼻音であるため、gとkの対立とは異なるからである。「オ」が呉音、「エ」が漢音という例としては、「建立」と「建築」、「荘厳」と「威厳」、「祇園」と「公園」などがある。「オ」が呉音、「イ」が漢音という例としては、「黄金」と「砂金」、「騒音」と「母音」、「近藤」と「近代」、「六法全書」と「六朝(りくちょう)時代」などがある。「エ」が呉音、「イ」が漢音という例には、「作務衣」と「着衣」、「戯作」と「遊戯」、「毒気」と「空気」などがある。

 熟語をつくるとき、呉音同士、漢音同士で読むのが普通であり、組み合わされる字の読み方によって呉音か漢音かが分かる例が多いのだが、もっぱら、あるいはたいてい呉音読みする字やたいてい漢音読みする字の場合、組み合わされる字の如何を問わずその読み方を守るため、呉漢がまざりあった読み方になるときがある。「音声」を「オンセイ」と読むと、「オン」は呉音(漢音は「イン」)、「セイ」は漢音となるのがその例である。呉音でそろえるのなら、「大音声(だいおんじょう)」のようになるはずである。「美男」も呉音でそろえるなら「みなん」、漢音でそろえるなら「びだん」となるはずである。

呉音と漢音


在家の方が法事などでお坊さんが唱えるお経を耳にされるとき、どういった内容のお経を唱えているのか分からないという経験は少なからずお持ちのことと思います。例外を除いてお経は音読みの素読で唱えられることがその原因です。


音読みにも呉音と漢音があります。呉音は揚子江南部の下流域に3世紀に栄えた魏・呉・蜀の国(現在の蘇州・上海地方)で話されていた漢字音です。ですから呉音といいます。仏教が日本に伝来したのは538年。朝鮮半島の百済の国からでした。当然のことながら経典は呉音で読まれていた訳です。しかし、7世紀から9世紀、中国は随・唐によって統一されます。彼ら北西部の民族が話す漢字音を漢音といいます。
桓武天皇は中国での標準語たる漢音を正式な漢字音(正音)と定める勅まで発令しております。しかし、当時の仏教界では慣れ親しんだ呉音での読み方が根強く残りました。今日、仏教語をほとんど呉音で読むのはその影響が色濃く残っているからです。


では、呉音と漢音とではどういった音の違いがあるのか見てみることにしましょう。まず数字をイチ、ニイ、サン、シイ、ゴウ、ロク、シチ、ハチ、ク、ジュウと読むのが呉音。イツ、ジ、サン、シ、ゴ、リク、シツ、ハツ、キュウ、シュウと読むと漢音。その上の単位の百、千、万は呉音で、漢音ならばハキ、セン、バンとなります。


次に釈迦如来、今皆さんは「シャカニョライ」とお読みになったと思いますが、それは呉音で読まれたからです。漢音で読むとどうなるかというと「セキャジョライ」になります。同じように、阿弥陀如来を漢音で読むと「アビタジョライ」、観世音菩薩は「カンセインホサ」となります。
 受話器を取ると「えんじょうじ」さんですか?と聞かれることしばしばです。いえ「おんじょうじ」ですが。電話の主は園城寺の園を漢音で読み、城寺を呉音で読まれたことになります。


呉音で読み始めたならば、呉音で統一し、漢音で読み始めたならば漢音で統一するのが原則です。最澄は漢音読み、空海、円仁、法然、日蓮等は呉音読み、円珍、親鸞は呉音で読んでも漢音で読んでも同じです。そこで、私の法名・敏明の場合はどうかといえば、敏の呉音はミン、漢音はビン、明の呉音はミョウ、漢音はメイです。つまり私の法名は漢音と呉音読みの混合型ということになります。

ホーホケキョ(法華経)。もし、鶯が漢音で囀ったならば、ハーハカケィ。
 次号では呉音、漢音で読むお経について書くことにします。(梅村 敏明)

呉音と漢音(仏教用語の読み方)
 仏教美術の用語の読み方は、日常使う言葉とは異なることがあり難しい。

 例えば、月光、文書、食堂、彩色、選択、変化、利益などは、仏教用語では、がっこう、もんじょ、じきどう、さいしき、せんじゃく、へんげ、りやくと読み、日常の読み方で読むと、なんと常識のないということになってしまう。

 奈良法隆寺に行った時の事、お昼は、法隆寺の中に食堂があるから、そこで昼食を食べようと言われ、行ってみると国宝の食堂(じきどう)があったという、笑えない実話があった。

 本来、中国語は、漢字一字に対し、読み方は一通りだが、このように音読みに対しても複数の読み方があるのには、歴史的な背景がある。

 中国では、3世紀、魏、呉、蜀の三国時代、呉の国は江南にあって、建業(今の南京)を首都として江南一帯を統治しており、この地方一帯を「呉」の地と呼んでいた。その後の南北朝時代に入っても、南朝は晋、宋、斉といずれも建康(建業を改名)を首都として漢文化を伝えていた。

 日本に最初に漢字を伝えたのは、百済であるが、百済は朝鮮半島の南西部の黄海に面しており、中国との交流は、もっぱら当時の文化の中心であった南朝と盛んに行っており、百済の漢字音も、この地域の言語「呉音」をもとにしていた。日本には、6世紀に百済から仏教が伝来したが、当然漢訳の教典も「呉音」によって読み下していた。

 しかしながら、7,8世紀に入ると、北方の五胡十六国の内鮮卑族から出た北朝(北魏、北周)が、隋ついで唐を建国して中国を統一したため、本来の漢民族は南に追いやられてしまった。北朝の字音は、南朝の「呉音」に対し、「漢音」と名づけられる。

 隋、唐による中国統一後は、日本も、統一王朝である隋、唐に、多くの留学生や留学僧を遣隋使や遣唐使として送り、大唐の文化を受け入れようになり、793年、桓武天皇は遣唐使らの進言を入れて、今までの呉音を改め、北方の漢音を正式の字音とするように勅命を下した。それ以来、今日まで漢文はもとより、公式の用語は漢音で読まれることになった。しかし、当時、社会的に力のあった僧侶達は呉音に慣れ親しんでいたため漢音の使用に反発し、漢音は完全に呉音に取って替わることができなかった。このため、日常生活に定着している字音や、寺院などでは、「呉音」が生き続けて来たのである。

 結局、江戸時代の後期には次のように使い分けられていた。

   儒教     - 漢音

   仏教     - 呉音

   和歌・国学  - 呉音

   詩文雑書   - 漢音・呉音

 字音には、この他、宋代(10~13世紀)以降、禅宗や貿易によって移入された新しい南方音である、唐音(宋音とも呼ばれる)もある。

 そして「この3つの音の変化の顕著な例として、「明」と「行」という文字が挙げられる。

文字  呉音 漢音 唐音  
明  ミョウ メイ ミン
明星、灯明 明暗、黎明 明朝体  
行 ギョウ コウ アン  
行事、苦行 行動、励行 行脚


 

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发表于 2007-1-3 07:03:28 | 显示全部楼层
楼主慢慢看啊~现在没有这方面的权威史料,考证起来很难的
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 楼主| 发表于 2007-1-24 21:51:25 | 显示全部楼层
辛苦了啊~~谢谢谢
前天去导师家里才听说学校的外教也在写这个题目——博士论文的题目~~
偶真是想死啊~~
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发表于 2007-1-28 21:50:58 | 显示全部楼层
真的好强啊,佩服!
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