「言葉の壁を越えるために日本語を勉強しています」のような言い方がよく耳にするが、あえてここで警鐘を鳴らしておきたいのが「壁を越える」ところか、その学んだものが壁になっていることをぜひ頭の中に入れていただきたいのです。8 d8 j, a" J& I+ G, z
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事実上日本語が上手になればなるほど日本人との間に誤解が生じやすいからのです。気持ちが形にばっかり取られて、日本人が伝えようとしている事になかなか気が付かないのです。「日本語には表面から言わないで、裏からいうのが好まれる」という傾向が誰にでも認められています。
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. H6 ^& \. N7 y. L; o0 h 長年カナダの大学で日本語を教えている先生が「教え子にあなたと呼ばれている時、砂を噛んでいるような気がする(听学生称我为「あなた」时,就象嚼了一口沙子似的)」とご自分の著書に書いてあります。 |: S3 ^* s+ H6 I8 E% o% q
また、中国の工場で働いている社員が日本人の上司と喧嘩するときに「あなた」を使って、くびにされたこともあったようです。このような例を見ていると、いったい何のために一生懸命日本語を覚えたの、何も知らないほうがマシじゃない。何も知らなかったら相手も許してくれる、「言葉が分らないからしょうがない」と。日本語が上手になるにつれて、相手の日本人がだんだんこちらが外国人であることを忘れてしまう、日本人と同じような考え方を持っているはずと思い込んでしまいます。そして誤解が生じ、さらに恨みに変わり、そして……' C! v7 B: k E3 y! r% F+ s
, A: t% z0 \, M' t# \ 「配慮表現」をご専門とする姫野伴子先生が次のような例をあげています。. r- U$ R8 |# T$ F% \" p, A9 M8 M
先生のところの研究生になるための面会を求める留学生から一通のメールが届きました。& P, C3 n4 D% d) L0 j4 r/ n5 l4 {6 c
その内容とは: Y/ g$ S1 V! X# [2 S* g. M
「25日の1時なら大丈夫です。それでは25日にまた先生と話し合いましょう。」" w- O6 z) k, D& J
先生が「25日の1時ということで承知しました」という確認のメールを送った時に「日本語を専門に勉強しようとしていらっしゃる方なのでお教えしますが、面談を求めた側が『話し合いましょう』という表現を使うのは不適切です」という内容を書き添えて、送ったのです。
" z; H. V, o7 e+ Rそれに対しての返事がまた来ました。) H# u# v8 J7 K
「さすがモダリティ表現の専門家ですね。確かにあの『話し合いましょう』はちょっとおかしいとわかりました」, {! `* r. t' S. @/ D. H" s" @
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先生がこの事例に対して次のように書いてあります。+ @: d8 m; o0 N8 J
「このように畳み掛けられると、『配慮表現』の誤用例収集に関心のある教師以外、ちょっと会う気も萎えてしまうのではないでしょうか。
* W, x8 M5 L: f# H7 G' w7 K: _$ [2 z7 @ この学生の用いた表現で問題となる点を列挙すると以下のようになります。
' K- T7 P a t/ Xア、「~と話し合う」という、対等かつ双方向的な行為を表す格助詞および動詞の選択! |: }7 k( U1 M
イ、「~ましょう」という、聞き手側の利益になる行為を誘い掛け、かつ話し手が決定権を握る文末表現形式の選択* j" c1 v/ v3 e' h) I
ウ、「さすが~」という褒め
# e- J& ?# n& k: vエ、間違った表現を用いたことへのお詫びがないこと
& O& w" e( P# e$ S# r# Pオ、間違った表現を指摘してもらったことへのお礼がないこと
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約束の日に緊張していた留学生に対して、先生が「極めてまじめかつ礼儀正しい印象を与える若者でした。面談すること自体を断っていたら、無礼だという印象だけが残ったでしょう。本人にはもちろん無礼に振舞おうという気は全くなかったのですから、この事例と同じような日本語表現をして損をした日本語学習者が大勢いるのだとすれば、日本語教育の責任の大きさを痛感します」と述べています。
4 K% z' o& W9 v. M+ F O (月刊『日本語』2004年3月号をご参考ください)
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( E: K' g1 F5 v" C: N" T& @" o ここで私が言わんとしている事はもうお分かりになるでしょう。
- a; s! E9 W. U# s# X* k「言葉の壁を越えるために学んだものが新たな壁となって目の前に現れる時」が必ず来ます。これだけは信じていただきたいのです。少なくとも「橋」のような役割を果たしている方にはこころに止めていただきたいのです。 |