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[其他] 《日本文学》作家集

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发表于 2007-5-2 23:01:23 | 显示全部楼层 |阅读模式
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:12 编辑

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:01:56 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:12 编辑

日 本  作  家  紹  介
ひとすじの道――「作家紹介」 東山(ひがしやま) 魁夷(かいい)(1908~  )。日本画家、随筆家(ずいひつか)。横浜市生まれ。本名新吉。東京美術学校日本画科(がか)に在学中、二回帝展(ていてん)に出品し、1931年同校を卒業。1933年~35年渡欧(とおう)し、第一回日独(にちどく)交換留学生として、ベルリン大学哲学(てつがく)美術史科に学(まな)ぶ。帰国後、官展を中心に活躍。つねに風景画にとりくみ。純度(じゅんど)の高い澄(す)んだ近代画境を追求している。日本芸術(げいじゅつ)院会員。1969年文化勲章(くんしょう)受章。代表作「残照(ざんしょう)」「道」「朝明けの潮」ほか。随筆(ずいひつ)に「わが遍歴の山河」「風景との対話」などがある。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:02:15 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:13 编辑

月夜(つきよ)――「作家紹介」 瀬(せ)戸(と) 内(うち)晴(はる)美(み)(1922~  )。女流小説家。法名寂聴(じゃくちょう)。徳島市生まれ。東京女子大学国語専攻部卒業。在学中に結婚して中国に渡り、1女をもうける。北京から引き揚げ後、恋愛のため離婚し、創作活動に入る。昭和31年「女子大生(だいせい)?曲愛玲(チュイアイリン)」で新潮同人雑誌賞を受賞し、32年「新潮」に発表した「花芯(かしん)」がポルノと評され、一時文壇を遠ざかり、35年、伝記文学に新局面を開いた「田村俊子(たむらとしこ)」(第一回田村俊子賞)で再起、才能が花ひらく。38年、「夏の終わり」で第2回女流文学賞を受賞し、作家としての地位を築(きず)く。以後(いご)、「かの子繚乱(りょうらん)」、「美は乱調(らんちょう)にあり」など強烈な女たちの伝記的小説や私小説系の作品「みれん」、「不惑妬心(ふわくとしん)」などを多数執筆(たすうしっぴつ)。昭和48年11月中尊寺(ちゅうぞんじ)で得度受戒(とくどじゅかい)、仏子号(ぶしごう)は寂聴。53年大律師(だいりっし)となる。54年、京都の嵯峨野(さがの)に「寂庵(じゃくあん)」を建て、60年には在家のための道場「サガノサガノ」を開く。56年より徳島県で文化講座「寂聴塾(じゃくちょうじゅく)」を開くなど多彩に活躍。62年岩手県浄法寺町(いわてけんじょうぼうじまち)の天台寺住職に就任(しゅうにん)。また63年4月には敦賀(つるが)女子短期大学長に就任。日本文芸家協会、日本ペンクラブ会員。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:02:32 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:13 编辑

砂漠への旅――「作家紹介」 森本(もりもと) 哲郎(てつろう)(1925~  )。評論家。東京都に生まれた。東京大学卒業。大学では哲学?社会学を専攻。朝日新聞記者を経て、現在は文明論から言語のほか、紀行(きこう)、文芸評論など、枠にとらわれない評論活動を続けている。主な著書(ちょしょ)に「文明の旅」「あいまいな言葉」「サハラ幻想行(げんそうこう)」「ことばへの旅」などがある。「砂漠への旅」は「四季の旅――花のある風景」(1978?4 ダイヤモンド社)によったものである。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:02:51 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:13 编辑

友情について――「作家紹介」 中村(なかむら) 光夫(みつお)(1911~1988)。評論家、劇作家、小説家。明治大学名誉教授、日本近代文学館常務理事。本名は木庭一郎(こばいちろう)。東京の生まれ。昭和10年、東京帝国大学文学部フランス文学科卒。昭和24年より明治大学勤務、27~28年東京大学講師、35~36年京都大学講師。学生時代から文芸批評に手を染め、11年「二葉亭四迷論(ふたばていしめいろん)」で文学界賞を受賞し、新進評論家として認められた。戦後も「風俗小説論」をはじめ多く作家論を発表、またカシュの「異邦人(いほうじん)」?政治小説などのテーマをめぐり、丹羽文雄(にわふみお)、広津和郎(ひろつかずお)らと論争を展開。38年小説「わが性の白書」や戯曲(ぎきょく)「パリ繁昌記(はんじょうき)」「汽笛(きてき)一声(いっせい)」を書き、話題となった。42年「贋(にせ)の偶像(ぐうぞう)」で野間(のま)文芸賞を受賞、57年文化功労者。主な著書に「谷崎潤一郎(やざきじゅんいちろう)論」「志賀直哉(しがなおや)論」「中島敦(なかじまあつし)研究」「二葉亭四迷(ふたばていしめい)伝」「モーパッサン」などがある。また、「中村光夫全集」(全16巻、筑摩書房(ちくましょぼう)も)刊行された。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:03:31 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:13 编辑

美しい別れ――「作家紹介」 渡辺(わたなべ) 淳一(じゅんいち)(1933~  )。小説家。直木(なおき)賞選考委員。北海道上砂川町(かみすながわちょう)に生まれる。札幌(さっぽろ)医学大学医学部卒。医学博士。中学時代から短歌に親しみ、のち医学と文学を志す。大学在学中同人雑誌「東檣(とうしょう)」に参加。卒業後昭和41年から整形外科講師をしていたが、心臓移植(いしょく)事件をさなかの43年に大学を辞めて上京、作家生活に入る。母の死を医者の目で捉(とら)えた「死化粧(しけしょう)」で新潮社同人雑誌賞を受け文壇にデビュー。テレビ?ラジオドラマも執筆。45年運命の力に翻弄(ほんろう)される人間のかよわさを描いた「光と影」で直木賞を受賞し、55年には「長崎ロシア遊女館(ゆうじょかん)」で吉川英治文学賞を受賞。明治時代を中心とした歴史的伝説的なもの、男女の愛と性のものなど幅広く活躍。ほかに、「小説?心臓移植」「ダブル?ハート」「女優」「花埋(はなう)み」「ひらひらの雪」「うたかた」「二つの性」「空白の実験室」など数多くある。「渡辺淳一作品集」(全23巻、文芸春秋(しゅんじゅう))も刊行されている。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:03:57 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:13 编辑

元日(がんじつ)のこと――「作家紹介」 井上(いのうえ) 靖(やすし)(1907~1991)小説家。日中文化交流協会会長。国際ペンクラブ本部副会長。北海道上川郡旭川町(かみかわぐんあさひがわま)に生まれた。昭和11年京都帝国大学文学部哲学科卒。同年大阪毎日新聞社に入社。その後、昭和26年5月まで約15年間、記者生活を送った。学生時代に「サンデー毎日」の懸賞(けんしょう)小説に「初恋物語」などが入選し、昭和11年「流転(るてん)」で千葉(ちば)亀雄賞(かめおしょう)を受賞。戦後になって多くの小説を書き始め、昭和24年「闘牛(とうぎゅう)」で芥川賞(あくたがわしょう)を受賞。昭和26年毎日新聞社を退職し、以後作家として幅広く活躍。代表作はほかに、現代小説として、「猟銃(りょうじゅう)」「ある偽作家(ぎさっか)の生涯(しょうがい)」「氷壁(ひょうへき)」「射程(しゃてい)」などがあり、歴史小説に「風林火山(ふうりんかざん)」「淀どの日記」「おろしや国酔夢譚(すいむたん)」、また、中国大陸(たいりく)や西域(せいいき)を題材(だいざい)にしたものに「天平(てんぴょう)の甍(いらか)」「楼蘭(ろうらん)」「敦煌(とんこう)」などがある。さらにまた、中国をはじめ、海外を多く旅行し、昭和55年「井上靖とNHK『シルクロード』取材班(しゅざいはん)」に対して菊池寛(きくちかん)賞が与えられた。昭和15年文化勲章(くんしょう)を受章した。「井上靖小説全集」(全32巻、新潮社)、「井上靖歴史小説集」(全11巻、岩波(いわなみ)書店)、「井上靖エッセイ集」(全10巻、学研(がっけん))が刊行されている。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:04:18 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:13 编辑

初秋海浜記(しょしゅうかいひんき)――「作家紹介」 豊(とよ)島(しま) 与(よ)志(し)雄(お)(1890~1955.)。小説家、翻訳家。福岡県生まれ。東京帝国大学仏文化(ぶつぶんか)卒。東大在学中の大正(たいしょう)3年、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)?菊池寛(きくちかん)?久米正雄(くめまさお)らと第三次「新思潮」を創刊。そこに掲(かか)げた「湖水と彼等」のなかに、のちの知的で神秘的(しんぴてき)な「反大正的(はんたいしょうてき)」作家の風貌(ふうぼう)はよく現れている。大正期にユゴーの「レ?ミゼラブル」やロマン?ロマンの「ジャン?クリストフ」を翻訳。「生(しょう)あらば」「反抗」「野ざらし」「人間繁栄」などの作品集を刊行。晩年の力作(りきさく)は「山吹(やまぶき)の花」。随想(ずいそう)、評論集に「書かれざる作品」がある。「近代説話(せつわ)」のジャンルを開拓。また「夢の卵」「街(まち)の少年」「エミリアンの旅」など児童文学においても詩的精神と幻想にみちた新鮮な作品が多い。没後(ぼつご)久(ひさ)しく経て再評価の声が起こった。「豊島与志雄著作集」(全6巻、未来社)が刊行されている。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:04:37 | 显示全部楼层
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美を求める心――「作家紹介」 小林(こばやし) 秀雄(ひでお)(1902~1983)。評論家。東京神田に生まれ。昭和3年3月東京大学を卒業。高校時代は第一高等学校で送ったのだが、在学中いろいろな文学活動に加(くわ)わり、はやくもその鋭(するど)い感性を磨いてきた。大学在学中、ランボオ、ボードレール、ジッド、バルザックから多くの思想を吸収、サント?ブウブ?テーヌにも批評の方法を学ぶ。卒業後、まもなく志賀直哉(しがなおや)の知遇(ちぐう)を得て奈良に約一年滞在する。翌春東京へ帰り、「様々なる意匠(いしょう)」を執筆(しっぴつ)、「改造」の懸賞募集に応募して二席となる(一席は宮元顕治(みやもとけんじ)の「敗北(はいぼく)の文学」)。同論において独自の言語理論を展開、同時代の文学批判(ひはん)を行う。その後、波瀾(はらん)に富んだ評論活動を行い、近代批判の創始者として広汎(こうはん)な影響を及ぼした。昭和42年文化勲章(くんしょう)を受章。主な著作に「私小説論」「作家の顔」「蘇州」「無常といふ事」「私の人生観」「近代絵画(かいが)」「本居宣長(もとおりのりなが)」などがある。「新訂小林秀雄全集」(全15巻、新潮社)が刊行されている。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:04:58 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:13 编辑

鳥――「作家紹介」 大江(おおえ) 健三郎(けんざぶろう)(1935~  )小説家、評論家。日本ペンクラブ副会長、芥川(あくたがわ)賞選考委員。愛媛(えひめ)県に生まれた。東京大学仏文学科(ほとけぶんがくか)卒業。東京大学在学中に「奇妙な仕事」を発表。「死者の奢(おご)り」で作家として認められ、1958年「飼育(しいく)」で芥川賞を受賞、新しい文字の旗手(きしゅ)的存在となる。1994年「万延元年(まんえんがんねん)のフットボール」、「個人的な体験」などでノーベル文学賞を受けた。初期の短編では、死?挫折(ざせつ)?戦争?疫病?監禁(かんきん)等の限界状態下にある若者の世界を、独特の文体で想像力豊かに追求した。その後、「見るまえに跳べ」、「われらの時代」などの作品で現代の青春の汚名(おめい)」、「個人的な体験」などの作品で、さらに「万延元年のフットボール」、「みずから我が涙をぬぐいたまう日」などの作品で日本の風土に根ざした人間の深層を追求している。また、ほかに「厳粛(げんしゅく)な綱渡り」、「持続する志(こころざし)」、「鯨(くじら)の死滅(しめつ)する日」、「ヒロシマ?ノート」、「沖縄ノート」、「核時代の想像力」などのエッセーもあり、対談(たいだん)「原爆後の人間」、インタビェー録「世界の若者たち」、ノーベル文学賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」もある。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:05:17 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 12:13 编辑

たこになったお母さん――「作家紹介」 野坂(のざか) 昭如(あきゆき) 小説家、元?参院議員、日本ペンクラブ理事。神奈川県鎌倉市(かまくらし)に生まれ、早稲田大学文学部仏文科中退。少年期に体験した戦災(せんさい)による妹の死、放浪(ほうろう)、飢餓(きが)が独自のアナーキーな思想、生き方を決定した。大学在学中、様々なアルバイトをし、コント作家、CMソング作詞家などをする。1963年「エロ事師たち」を刊行、そのモラルの世界に彼の思想ははっきり示されている。1968年戦争?占領(せんりょう)体験を描いた「火垂(ほた)るの墓(はか)」、「アメリカひじき」の両作(りょうさく)で直木賞を受賞、以来秩序(ちつじょ)への反逆を独得の戯作(げさく)的文体で哀しみをベースに作品化し始めた。”“焼跡闇市派(やけあとやみいちは)”を自称(じしょう)し、歌手やタレントとしても知名度が高い。1972年「面白半分(おもじろはんぶん)」編集長として「四畳半襖(よじょうはんふすま)の下張(したばり)」裁判で刑事事件の被告となる。1974年参議院選に立候補(りっこうほ)し落選したが、1983年に当選。世俗(せぞく)に激しくかかわる一方、ぼうだいな小説やエッセイを量産し続けている。他の作に「一九四五?夏?神戸」、「骨(ほね)餓身(がみ)峠(とうげ)死人(ほとけ)葛(かずら)」、「死屍(かばね)川原(かわら)水子草(みずこぐさ)」、「砂絵(すなえ)呪縛(じゅばく)後日怪談(ごじつかいだん)」、「俺はNOSAKAだ」、「日本土人(どじん)の思想」などがある。

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:05:38 | 显示全部楼层
水泥棒(みずどろぼう)――「作家紹介」 黒井(くろい) 千次(せんじ)(1932~  )小説家、日本文芸家協会理事、日本近代文学館専務理事、芥川(あくたがわ)賞選考委員。東京都にうまれ、本名長部舜二郎(おさべしゅんじろう)。1955年3月東京大学経済学科卒業、4月富士重工に入社、勤務するかたわら小説を書き続け、1970年退社し、作家生活に入る。1958年、「青い工場」を発表、1969年「時間」が芥川(あくたがわ)賞候補になり、翌年、「時間によって芸術選奨・文学部門新人賞受賞。1984年、「群棲(ぐんせい)」で谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)賞受賞。初期の頃は企業体験を生かし、巨大企業に生きる労働者の生態に焦点を当て、メカニズムによる人間疎外(にんげんそがい)のテーマが多かった、近年は日常性そのものの混沌(こんとん)と不安を描くようになり、純文学路線を歩(あゆ)んでいる。作品はまた、「走る家族」、「五月巡歴(じゅんれき)」、「隠れ鬼」、「星からの一通話(いちつうわ)」、「眠れる霧に」、「たまらん坂(さか)」、短篇集(たんぺんしゅう)「指・涙・音」、随筆集(ずいひつしゅう)「草の中の金の皿」、「任意の一点」などもある。
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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:05:57 | 显示全部楼层
伊豆の踊り子――「作家紹介」 川端康成(かわばたやすなり)(1899~1972)。小説者。大阪市天満此花町(てんまこのはなちょう)に生まれた。1924年東京大学国文学卒。2歳で父、3歳で母、10歳で姉を失った。大正3年祖父が死んで全くの孤児となる。病床の祖父が写されている「十六歳の日記」が処女作(しょじょさく)。一高時代最初の伊豆の旅での経験が「伊豆の踊り子」に描かれた。大正10年東大同級生らと第6次「新思潮」を発刊。「招魂祭一景」などを発表。「新思潮」の発刊を通じて菊池寛(きくちかん)を知り、以後恩顧を受けた。大正13年横光利一(よこみつとしかず)らと「文芸時代」を創刊、新感覚派(しんかんかくは)の中心メンバーとなる。川端は、横光と共に、その代表作家と注目されるようになるが、川端はその運動の中心的存在であったわけではない。むしろ表現上の実験はあるが伝統的抒情(じょじょう)を基本として、虚無(きょむ)的態度を強め、独自の美意識を求め感性の昇華に努力する。主な著作(ちょさく)に「感情装飾」「十六歳の日記」「伊豆の踊り子」「雪国」。戦後に「千波鶴(せんぱつる)」「山の音」「古都」などがある。昭和23~40年日本ペンクラブ会長をつとめ、33年には国際ペンクラブ副会長に推されるなど国際的作家として活躍し、43年に日本人として始めてのノーベル文学賞(ぶんがくしょう)を受賞。47年4月、逗子(ずし)マリーナの仕事部屋でガス自殺をした。「川端康成全集」(全35巻(かん)・補(たすく)2巻、新潮社)が刊行されている。
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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:06:20 | 显示全部楼层
城(き)の崎(さき)にて――「作家紹介」 志賀(しが) 直哉(なおや)(1883~1971)。小説家。宮城県にうまれ、東京で育つ。学習院を経て、東京大学国文科中退。明治43年4月武者小路(むしゃこうじ) 実篤(さねあつ)、有島武郎(ありしまたけお)、木下(きのした)利(り)玄(げん)、里見弴(さとみとん)らと「白樺(しらかば)」を創刊。ここに作家としての生涯(しょうがい)の道が確立されたわけだが、それ以前からの小説家志望は実業家として成功をおさめた父親からの容認を得ず、年一年と両者は対立して確執(かくしつ)を深めて行った。だが、壮年期(そうねんき)に入り、初めて長年にわたる父親との不和(ふわ)が解けてしまう。以後、青年期の動乱は去って、壮年期の静謐(せいひつ)な調和的生活が続き、そのまま老年期を迎える。志賀氏の作品は私小説(ししょうせつ)、心境小説と呼ばれるものが多いが、その簡潔で厳しい文体は近代散文の典型として高く評価されている。昭和24年、文学勲章を受章。主な作品に「暗夜(あんや)
航路(こうろ)」「和解(わかい)」「城の崎にて」「小僧(こぞう)の神様」などがある。「志賀直哉全集」(全14巻。岩波(いわなみ)書店)が刊行されている。
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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:06:37 | 显示全部楼层
こころ――「作家紹介」 夏目 漱石(1867~1916)小説家、英文学者。本名、金之助(きんのすけ)。東京生まれ。1893年東京大学英文科卒業後、松山中学校(旧制)・第五高等学校(旧制)などの教職を歴任(れきにん)後、1900年、文部省(もんぶしょう)留学生となり、イギリスへ留学した。1903年帰国し、第一高等学校(旧制)・東京大学で英文学を講じた。処女作「吾輩は猫である」によって世に認められ、以降「倫敦塔(ロンドンとう)」、「坊(ぼっ)ちゃん」、「草枕(くさまくら)」、「野分(のわき)」などを発表、文名を高めた。1907年教職を辞(じ)し、朝日新聞社専属執筆者(しっぴつしゃ)として入社、本格的な作家生活に入る。最初の新聞連載小説「虞美人草(ぐびじんそう)」の文明批評の視点(してん)を継承(けいしょう)しつつ、「三四郎(さんしろう)」、「それから」、「門(もん)」の三部作に近代人の愛と罪を掘下(ほりさ)げ、生死の間をさまよった修善寺大患(しゅぜんじたいかん)と愛娘(まなむすめ)ひな子の死を体験後、「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」、「行人(こうじん)」、「こころ」の後期三部作では人間の信と死を追求、自己の過去(かこ)を照射した「道草(みちくさ)」を経って、「明暗」連載中(れんさいちゅう)に没(ぼつ)した。広く深い教養と社会的関心のもとに、近代日本人の生き方を根源(こんげん)的に問い続け、朝日文芸欄(ぶんげいらん)を主宰(しゅさい)して自然主義を相対化した姿勢は余裕派(よゆうは)と見られた。評論に「文学論」、「文学評論」、「現代日本の開化」などがある。
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