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楼主: akira-chen

[其他] 《日本文学》作家集

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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:07:05 | 显示全部楼层
俳句――「作家紹介」 松尾(まつお) 芭蕉(ばしょう)(1944~1694)。俳人。本名宗房(むねふさ)。初期の号は桃青(とうせい)。城主(じょうしゅ)の子藤堂良忠(とうどうよしただ)(蝉吟(せんぎん))に仕(つか)え、ともに俳諧(はいかい)を志し季吟に学んだ。のち真文(しんもん)、談林(だんりん)の俳風を越えて、蕉風を樹立した。その特色は、身近なものを素材として対象に没入(ぼつにゅう)、そのものと一つの境地に達して本質をとらえ、俗談平語(ぞくだんへいご)で表現するもので、閑寂味(かんじゃくみ)や余情を持つ。著書(ちょしょ)に「芭蕉七部集」
「奥の細道(ほそみち)」などがある。
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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:07:29 | 显示全部楼层
和歌――「紹介」 万葉集(まんようしゅう) 歌集。八世紀後半のころに大伴家持(おおとものやかもち)によってによってほぼ今のような形に編集されたかといわれる。全集二十巻。歌数約四千五百首。歌の形式には、短歌・長歌。旋頭歌(せどうか)・仏足石歌(ぶっそくせきか)の四種がある。短歌は五七・五七・七の形で、長歌は五七・五七・・・・・・七の形、旋頭歌は五七七・五七七の形、仏足石歌は五七五七七・七の形をとっている。「万葉集」に収録(しゅうろく)されている短歌は約四千百七十首、長歌は約二百六十首、旋頭歌は約六十首、仏足石歌は一首、連歌一首となっている。歌の分類は巻十六までは、「相聞(そうもん)」(人間相互の愛情の歌)、「挽歌(ばんか)」(人の死を悲しむ歌)、「譬喩歌(ひゆか)」(心情をものにたとえてよんだ歌)、「雑歌(ぞうか)」(分類に入らぬ歌)に分けられ、巻十七以下は分類されていない。「万葉集」の歌風の特色は、傾向(けいこう)の面から見ると、素朴・素直(すなお)・写実的・男性的・現実的などがあげられる。これを調子や修辞の面から見ると、ニ句切・四句切(よんくきり)(五七調―重厚なリズム)が多く、終止形止め・助詞止めも多い。また、枕詞(まくらごと)・序詞・対句(ついく)なども多用され、歌う形の面影(おもかげ)をとどめているものも少なくない。
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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:07:50 | 显示全部楼层
竹取物語――「紹介」 伝奇物語。 伝承(でんしょう)された説話を基にして十世紀中ごろまでに成立。作者は未詳。日本では、現存する最古の物語。
  竹取の翁(おきな)が竹の中から見つけたかぐや姫(ひめ)は、成人するとともに類のない美人となった。そこで五人の貴族が結婚を申し込み、姫の難題(なんだい)によっていろいろ苦労や失敗(しっぱい)をする。やがて帝(みかど)も姫に入内(じゅだい)を進められたが、姫は八月十五夜、天(あま)の羽衣(はごろも)を着て空に帰ってしまった。帝は悲しみのあまり、姫の残した不老不死の霊薬(れいやく)を焼かせられたが、その煙が今の富士の嶺(みね)に立ちのぼる煙(けむり)であるというのである。
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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:08:06 | 显示全部楼层
平家(へいけ)物語――「紹介」 軍機(ぐんき)物語。作者は未詳。鎌倉(かまくら)時代初期の成立。琵琶(びわ)法師によって語り伝えられたり、書き加えられたりして、多数の異本(いほん)が生じた。この名称は特に平家一門の栄華(えいが)と没落(ぼつらく)とを描いたことに由来する。つまり、平家一門の栄枯盛衰(えいこせいすい)を描いたもので、平(たいら)清盛(きよもり)の父忠盛(ただもり)が昇殿(しょうでん)を許されたことからの一門の栄華を明(あき)らかにして、平家討伐(とうばつ)の計画(けいかく)、源氏(げんじ)の挙兵(きょへい)、一門の都落(みやこお)ち、最後壇の浦(うら)での滅亡(めつぼう)までをしるしている。合戦(かっせん)を主題とした戦記物語であるから、勇壮な内容と調子を持っているが、反面女性中心の哀話(あいわ)などに見られる王朝風(おうちょうふう)の優美(ゆうび)さも合わせ持っている。しかも、滅亡していく平家に同情を持って描きながらも仏教の無常観でこれを大きくつつみ、叙事詩(じょじし)的に構成し、悲哀感(ひあいかん)を全体ににじみ出させている。文体は和漢(わかん)混合体で、雅語(がご)、俗語(ぞくご)、漢語(かんご)、仏語(ぶつご)などを巧みに取り入れ、また、リズム感のある文章は、語り物として特色をよくだしている。
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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:08:27 | 显示全部楼层
徒然草(つれづれぐさ)――「作家紹介」 兼好(けんこう)。随(ずい)筆(ひつ)家(か)、歌人。本名は卜部(うらべ)兼好(かねよし)。出家(しゅっけ)して兼好と音読みした。父は吉田神社の神官(しんかん)、兄は神道(しんとう)研究の権威者として有名な慈遍大僧正(じへんだいそうじょう)。兼好は蔵人(くろうど)として後(ご)二条(にじょう)天皇に仕(つか)えたと思われるが、三十歳ごろに出家したらしい。比叡山(ひえいざん)の横川にこもり、その後関東方面に旅(たび)したが、晩年は京都の双(ならび)が岡(おか)に住んだ。和漢の学・有職故実(ゆうそくこじつ)に通じ、幅広い教養を身につけていた。和歌(わか)は二条為世(ためよ)に学び、歌風は平明で、頓阿・慶雲・浄弁らとともに四天王と呼ばれている。随筆集に「徒然草」、家集に「兼好法師集」がある。
  「徒然草」は鎌倉(かまくら)時代後期にできた随筆集である。序段のほか243段から成り、内容は、大部分が人生・社会についての随想・故実の考証・自然観照・滑稽談(こっけいだん)なども含まる多方面に及んでいる。文章は簡潔・明快な擬古(ぎこ)文体で、名文として高く評価されている。
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 楼主| 发表于 2007-5-2 23:08:46 | 显示全部楼层
方丈記(ほうじょうき)――「作家紹介」 鴨長明(かものちょうめい)(1155~1216)。歌人、随筆家、説話集編者(しゅうへんじゃ)。通称(つうしょう)菊大夫(きくたいふ)。法名連胤(れんいん)。生家は代々京都鴨(賀茂)神社の禰宜(ねぎ)の家がらであった。二十余歳(よさい)で父を失い、前途は頼りうすいものとなる。三十歳を過ぎた彼は、社会的不安や一身(いっしん)の不幸を越えて、歌と管弦(かんげん)の道におのれの生きる道を見いだしていったようである。四十歳の時ついに後鳥羽(ごとば)上皇(じょうこう)に見いだされて和歌どころの寄人(よりゅうど)となったが、五十二歳のころ出家して蓮胤(れんいん)と号した。方丈記は建暦(けんりゃく)二年(1212)、六十歳の時の述作(じゅっさく)である。建保(けんぽう)四年(1216)没(ぼつ)、六十四。著作に「方丈記」「無名抄(むめいしょう)」「発心集」などがある。
  「方丈記」は鎌倉(かまくら)時代の初期の成立。前半に人生の無常とさまざまな悲惨事を記(しる)し、後半にはそういう苦難を見聞した作者が閑居(かんきょ)生活に入ってからの様子を述べている。流麗・簡潔な名文であるから、後代多くの人に愛読(あいどく)された。
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发表于 2007-5-23 13:43:34 | 显示全部楼层
お疲れ様でした。あなたが使っている教科書は私の同じです。遼寧省の人でしょう
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发表于 2007-5-24 16:22:56 | 显示全部楼层
真的是辛苦了!
应该不是上海的吧?
阿有其他的资料了呀?
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