|
楼主 |
发表于 2008-4-14 10:21:31
|
显示全部楼层
新幹線には独特の匂いがある。グリーン車にはまた少し違った独特の匂いがある。余計に払っている料金分のぜいたくな匂いがあると辻は思う。
進行方向に向けて真中からやや後ろ、左側の座席だった。悪くない。ショルダー・バッグを足元に投げ出し、シートを少し倒して寄りかかり、キヨスクで買った漫画週刊誌を開いた。三角巾は目立つのではずしておいた。退屈そうな表情を作って、前後と右に客がやってきて座るのを待った。
新幹線グリーン車の"長箱"は、仕事場とする東京近郊の電車の"箱"以上に運が必要だった。いくつもの電車を乗り換え、カモを値踏みし、タイミングを図って近づく、という回転の良さがない。一発勝負の博打に似ている。自分の周辺に豊かな金脈が存在するか否かにかかってくる。ただし、確率は高い。特別料金を払っても十分に見合うだけの、十数万円という稼ぎが期待できる。運が良ければ数十万円。一千万円入りの手提げバッグにぶつかったスリの話もあるくらいだ。
東海道新幹線のグリーン席の乗客の多くはなかなか良い財布を持っている。そして、赤ん坊のように他愛いなく眠る。あるいは、本や雑誌に音楽にノート・パソコンに没頭する。他人には徹底して無関心だ。そして——。
夏場、男性諸君は、財布の入った背広を脱いで窓際の座席のフックに掛けておく。そこは自分の領分だと信じている。自分の座席内の場所だから安心だとごくあたりまえのように思い込んでいる。
ひかり三三七号は東京駅を発車した。
前の座席には四十前後の中間管理職風の男が座った。背広は脱がない。隣はパステル・グリーンの立襟のスーツを着て、女性アナウンサーのように行儀良く膝をななめにそろえた小柄な老婦人だ。後ろは空席だ。新横浜で乗車してくれるといいが。今のところ、この席にはあまり運がついていない。
やはり、本職の"箱"で勝負すべきだったかなと、自分の弱気を少し後悔した。一発勝負に勝つためには、最低でも博多の二往復くらいは必要だった。まあ、いい。だめなら、自分から出歩いて見つけるまでだ、通路を歩きながら。トイレを待ちながら。ホームに降りながら。機会はある。この車両の網棚に幸運が転がっている可能性だってあるのだ。
『あのねえ、あなた、お仕事は何をなさっているのかしら?』
隣の老婦人が話しかけてきたのは、まだ列車が新横浜に到着する前のことで、辻はまったく不意をつかれてドキリとしてしまった。きれいに切りそろえた白髪のオカッパ。遠慮のない明るい丸い目をしていて、人なつこくニコニコ笑っている。ただの世間話のとっかりに しては、心臓に悪い台詞だと辻は腹を立てた。だいたい、新幹線の、それもグリーン席では世間話など仕掛けないのが暗然のルールである。ルール違反をするのは決まってこういうおめでたい顔つきのばあさんなのだ。
『色々と、ね』
辻は面倒臭そうにつぶやいた。少しでも隙を見せると、ばあさんはかさにかかってしゃべりつづけるかもしれない。
『ええ。色々、ね』
相手は落ちつきはらって繰り返した。
『今の若い人は色々というのが好きよね。私の息子も、色々が大好きでねえ。色々と商売に手を出して一時はビルを十個くらい持っていたことがあったわ。今は三つくらいに減ってしまったけれど、それでもまだ懲りずに色々をやっているわよ』
息子がビル三つのオーナーということは母親もやはり金持ちだろうか、上品な身なりだし、骨ばった指にはめているエメラルドは本物だとするとまことに巨大だが、これはもしかするとネギをしょったカモがすりよってきて自己紹介をしているのかもしれないと、辻はひそかに舌なめすりした。
『父親がそんなだから孫もビジネスマンなの。今日は私が帰るからってお弁当を作ってくれてね、まあなんてカワイイと思ったら、九百八十円も払わされたのよ』
老婦人は丸い目をくりくり動かした。
『なんで九百八十円もするのか、さっぱりわからないの。見せてくれないの。開けてびっくりの玉手箱なんですって。どう思う?私はなかなか商才があると思うのだけど』
辻もそう思った。
『あとでいっしょに食べましょうよ』
『いや。俺はさっき食ったばかりだから』
『そんなこと言わないでよ。私、何が入ってるのかと思うとドキドキしちゃって、こわくてきっと開けられないわ。お願いだから、ぜひ、つきあってちょうだいよ』
『孫って、年、いくつよ?』
『四歳よ。男の子。父親そっくりなの』
断固として断る口実を考えているうちに、列車が新横浜に到着し、後ろの席に二人連れが座った。窓際に父親らしき男が陣取り背広を脱いでフックにかけてくれたのはありがたかったが、隣に十歳くらいの女の子がいる。子供は目ざとい。いやだなと思う。
商才のある四歳児の祖母はしゃべりつづけていた。もし、仕事をする必要がなかったら車中の暇つぶしには格好の話だった。彼女の人生は波瀾万丈であり、それを語りつくす術を心得ていた。静岡駅を通過する時、ばあさんはやっと十八歳だったが、空襲で家を焼け出されて戦後に一家で奈良に越し、女学校で数学の教師と熱列な恋愛を始めたところだった。辻は狸寝入りを始めた。目を閉じてから五分ほどして、ようやく朗朗としたソプラノの声が『あらまあ』と一オクタープ低くつぶやいてとぎれ、静寂が訪れた。待ちかねた静寂だったが、どうも居心地が悪かった。隣の席からは身動きする気配が伝わってこない。偽の寝顔をいつまでもじっと見つめられているようで、頬のあたりの筋肉がぴくぴくとひきつれてきそうだった。
『ねえ、パパ!』
その時、後ろの席の女の子がかん高い声で叫んだ。辻の心臓ははねあがった。
『あたし、凍ったみかんが食べたくなった』
『そんなもの、どこにあるんだい?』
とパパは眠そうな声で返答し、辻は本日の運勢について再び悪い予感を抱いたのだった。
列車は浜松の駅を通過した。隣の老婦人はすやすやと眠っていた。辻は起こさないように気をつけながら、シートをいっぱいに倒した。老婦人は半分くらいしかリクライニングをしていないので、シートの背もたれの隙間から後ろの席がよく見えた。パパはガラス窓に頭を押しつけて熟睡していた。その娘はコミックスに没頭していた。ようやく仕事のできる環境が整ったようだった。好機を逃してはいけない。一分後には老婦人が目覚めるかもしれないし、女の子が凍ったスイカを欲しがるかもしれない。
辻は窓に身体の正面を向け、夜景に見入るようなふりをしながら、左手を窓とシートの隙間に差し入れて、ゆっくりと伸ばしていった。指先がフックに掛けた背広に触れる。ひにゃりした布地の感触を楽しみながらさらに指を伸ばし、背広を揺らさないようにしてふくらんだポケットを探した。やはり、内ポケットだ。財布の感触。窓ガラスを鏡代わりに使って老婦人がおとなしく眠っていることを確かめる。列車の揺れに逆らわないようにリズムを身体に刻み込むようにイメージし、人差指と中指でチョキを作り、その二本の指で端をはさんでそっとポケットの中から持ち上げていく。 |
|