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发表于 2012-1-11 16:33:03
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九月は長雨と台風の季節だった。三沢屋敷の壊れかけた屋根や、はずれかけた鎧戸や、抜けかかった床にとって、大変危険な季節だった。建設会社は応急処置には乗り気でなかった。ちょっとした修復作業が被害を拡大させる恐れがあることを強調し、やるならば根本的、徹底的にリフォームする必要があるが、それは新たに家一軒を建てるよりも金がかかることをはっきりと告げた。古い家屋の維持は巨大な費用がかかるのである。
三沢にとっては年中行事のようなものらしい。九月が来る度に借家人は不平を訴え、建設会社は本格的改築を勧める。小金はあるが大金はないと大家は言い続けてお茶を濁してきたが、今年ばかりは様子が違っていた。借家人が不平を言うかわりに、自ら屋根に登ってしまったのだ。
その男は雨漏りをバケツで耐えることを拒否して、庭から梯子を立てて、遺跡のような屋根に修繕に出かけた。まだ肩が完治していないというのに。昼間薫ははらはらしながら同居人が屋根から転がり落ちてくるのをじっと待った。奇跡的に彼は五体満足で梯子を降りてきた。その日を境に雨漏りはぴたりとやんだ。彼が直したのは屋根だけではない。芸術的に変形した鎧戸を開閉可能にし、廊下の床の穴もベニヤ板で補強した。大工顔負けの腕前だった。
男を見る大家の目が明らかに変わった。ただのゴロツキから、役に立つゴロツキに昇格したようだ。だが、昼間は思っていた。あのヒネクレじいさんは最初から辻牧夫が気にいっているんだろう。彼はどこか妙に人好きのするところがある。そうでなければ、いくら自分が巧みにそそのかしても、肩の治療はともかく、隣に住んで良しとまでは言わないだろう。
占い師とスリの同居生活は一カ月を経過した。辻牧夫はとんと出てゆく気配を見せず、右手が使えるようになると、鍋やらフライパンやら食材やらを買い込んできて料理をおっぱじめた。本格的に居座るつもりだろうかと昼間薫は呆れた。
スリのプライドとは大変なものである。彼は本気で復讐するつもりだった。一見あっさりした気性に見えるだけに、あてのない探索を日々繰り返す執念、その無駄な根気とも言うべきものが、昼間には不思議に思えた。
休日以外はほとんど顔を合わせる機会がなかった。昼間が起きる頃には辻はすでに外出しており、街占から戻る頃にはすでに眠っている。彼はこの家で占いの顧客と絶対に鉢合わせしないように神経質なまでに気を配っていた。
お互いに相手の詮索はしなかった。過去のことも未来のことも知らない。一つ屋根のしたにいても、行きずりの他人だという距離間がこの奇妙な同居生活を支えていた。
九月の最後の週は毎日雨が降った。街占に出られない夜はトランプ・ゲームと決めていたが、現在、借金返済のため自粛中である。仕方がないので、得意客と飲んだり、占いの出前に行って過ごした。ふだんは断るような気前のいいチップも受け取り、いつも以上ににこやかに振舞い、喜ぶ相手には必要以上のお世辞を並べ、あまり深刻でない相談の時はイカサマまがいの良いカードをどんどん繰り出した。お金はたまったが疲れもたまった。
その日、昼間薫は、夕闇の中を降りしきる雨を客間の北側の窓から眺めながら、客用のソファーにぐんにゃりと伸びていた。顧客の国会議員が株の投資について占いの出前を求めていたが気が進まなかった。恋愛問題、人生問題であれば、洞察力、分析力、己の美学、哲学を総動員して、カードを足掛りに何かを語ることはできる。経済問題についてはお手上げだった。株の何たるかもよく知らない。もちろん、顧客も相場についての実践的なアドバイスを望んでいるわけではないので、知りたいのは、今は良い時期か悪い時期かということなのだ。潮が来ているかどうか。占い師としては、己の霊感をずばり試されることになる。やはり、中本や姉が言う通り、司法試験に再トライすべきだろうか。弁護士になれば霊感を問われることはまずなかろう。
突然、胸の奥から突き上げるように、カードがやりたい、と思った。タロットではなくトランプである。七ならべでもいい。一勝負十円でもいい。「カスバ」に行きたい。自分ややらなくても、人の勝負を見ているだけでもいい。グラスにジム・ビーム、つまみにピーナッツ、BGMにバド・パウエル、封を切ったばかりのトランプのにおい、軽口の応酬、運と金のささやかなやりとり。
仕事に行けばおそらく十万、霊感が当ればご祝儀にプラス二十五万。博打に行けばおそらく五万、運が悪ければマイナス五万。最高の差額で三十五万か。それは辻牧夫に借りたのとほぼ同じくらいの金額で、やはり金というのはアブクに似ていると妙に醒めた気持ちで思うのだった。
雑念を排除し、集中力が戻ってくるよう、目を閉じて雨音に耳を傾けているうちに、いつのまにかうたたねをしたらしい。ジンジンジンと鳴る旧式の電話のベル音に昼間は跳ね起きた。くだんの国会議員が約束をキャンセルする電話で、当方より先方のほうが霊感がありそうだと昼間は思った。
窓の外は暗がりだった。ひたひたと陰気な雨の音が続いていた。強い空腹を感じた。こうなると、禁を破るのはいともたやすい。世界中で自分のいる場所が「カスバ」以外にあるとは思われなかった。意志の弱さを嘲笑った。ついでに喜びのあまりバグズ・グルーブのテーマを口笛で吹きそうになった。
イタリア製の猫足の電話台の引き出しを開け、生活費を入れている古びた革の札入れを取り出した。二十万くらい入っているはずだ。万札を五枚勘定して抜き取ろうとした時、玄関で物音がした。ぎょっとして、お札を丸めてズボンの後ろポケットにねじこみ、あわてて引き出しを閉めた。廊下を通り台所に向かっていく軽い足音。
昼間はふうと息を吐き出した。自分の金をどう使おうと自分の勝手じゃないか。盗みの現場を見つかった泥棒のように泡を食うことはない。しかし、まさに、そんな感じがした。借金を返さずにいる以上、手持ちの金は本来みな辻牧夫のものだともいえる。
客間を出て、玄関から続く廊下の左側の台所に首をつっこむと、辻が冷蔵庫茶色い卵を並べているところだった。
「よう」
とふりむいて彼は言った。挨拶に「よう」と言う人間はいそうでいないものだが、と昼間は妙なことを考えた。
「飯、食う?チャーハンでも作るけど」
一瞬うなずきそうになった。彼のチャーハンはうまかった。チャーシューもザーサイもネギも特別なものではないというのに、味付けの秘訣か、中華鍋の揺すり方のコツか、店の味とも家庭の味とも違う独特のうまさがあった。昼間が誉めると、中華屋で育ったからさ、と辻は照れた。どこの町にもあるケチな中華食堂だよ、わかるだろ?
「出かけるから」
と昼間は断った。食べてから出かけてもいいのだが、それではなんだか二重の裏切りになるような気がした。さりげなく言ったつもりが、声はそっけなく響き、辻は相手の口調などをいちいち気にするタチではないと思いつつ、かすかな自己嫌悪を覚えた。
「今夜は仕事がないから、ゆっくり銭湯にでも行って、ぶらぶらしてきますよ」
うかつに言い訳を初めて、おや、これでは「カスバ」の前に銭湯に寄らないといけなくなったなと少しいらいらした。
「風呂なんか、隣で借りればいいじゃん」
「隣はどうもね・・・・・・」
昼間は口ごもった。じいさん、風呂貸してよ、とずかずか乗り込んでいく辻の人なつこさはとてもじゃないが真似できない。
「ここから壊れたんだってな。台風で真っ二つ」
三沢から話を聞いてきたのか、辻はそんなことを言い出した。
「つぶれちまったほうにあったのが、食堂に風呂場?昔は豪勢なお屋敷だったそうじゃないの」
「よほど愛着があるんでしょうね」
と昼間はうなずいた。
「半分だけでも残そうとするんだから。十年くらい前らしいですけど、大正時代の擬西洋館を完全に修理、復元するのは、まあ天文学的なお金が必要だということで、三沢さん、あきらめたわけですよ。それで、住み心地のいいレプリカをこしらえた。こちらは個人に貸すつもりじゃなかったみたいですね。公共の財団とかね。何かの資料館とか文庫とか美術館とかそんなものを作りたかったらしい」
「とんでもないジジイだ。お化け屋敷がいいとこだ」
「まあね」
昼間は笑った。それじゃ、と辻に背を向けて玄関のほうに行こうとすると、
「昼間さん」
と呼びとめられた。辻がいつのまにか背後に歩み寄っていた。振り向くと、彼の長い指が肩のあたりにあり、その二本の指の間にしわくちゃのお札が一枚はさまれてひらひらと揺れていた。
「ハンカチじゃないからな。ポケットからのぞかしちゃダメさ」
昼間はハッとしてズボンの後ろポケットに手をやった。強いショックを感じた。身につけている物を盗られるという、しかも魔術のように軽々と鮮やかにスリとられるというのは、どこか、人前で裸にされたような恥ずかしい頼りない悔しい感情的体験だった。そんな思いが露骨に顔に現れていたのだろうか。辻は一歩後ずさると、照れと後悔の入り混じったニヤニヤ笑いを浮かべた。
昼間はいつものように場をやり過ごす適当な台詞を口にできなかった。それほどショックが大きかった。あるいは、禁を破って博打に出かけようとしている後ろめたさのようなものも尾をひいていたのかもしれない。自分がどんな男といっしょに暮らしているのか、初めて本当にわかった気がした。
「あんたは財布を持たないタイプじゃないと思うけどね」
辻はぽつんと言った。彼らは人を見る時に第一にそんなことを考えるのだろう。財布を持っているか、どこに持っているか、どんな中身の財布なのか。
「ええ。たいがい持ちますけどね」
これ以上の沈黙は不当な非難になると思って、昼間は答えた。
「俺の育ての親は言ってたよ。博打に行く時はでっかい財布を持ってけってね」
辻は言った。博打という言葉に昼間は再びショックを受けた。
「現ナマをバラして持ってると、もうその金を捨てたもんだと、てめえのもんじゃないとどっかでそういう考えがあるんだとさ」
「博打をよくやる人なんですか?」
けだし至言だ、と昼間は感心した。
「すきだよねえ」
溜め息をつくように辻は答えた。
「でもね、早田のお父ちゃんはわけのわかったギャンブラーだよ。風向きの悪い時には無理しない。負けても引ける。でかい勝負はしないし、まあお母ちゃん恐いからな」
「趣味、の域ですね」
「俺の親父のほうはそうはいかなかったよ」
辻は台所の窓から闇の中を降りしきる雨を見やりながら、つぶやいた。
「俺の親父と早田のお父ちゃんは家が隣で博打仲間だったんだけど、親父のほうは完全にイカれていたね。とっつかれてた。仕事もやめちまってさ。けっこう腕のいい時計職人だったらしいんだけど、俺が物心ついた頃はもう博打一本よ。カミさんには逃げられて。ガキは隣ンチに放り込んで」
思いがけず身の上話が始まり、昼間はいささか緊張してスリの青年の横顔を見つめた。
「競輪競馬くらいにしときゃ良かったんだけどよ、ヤクザもんと無茶なレートの麻雀をやりだして、後はもう地獄までまっさかさま。二月の朝に、新宿の横丁で、ぐでんぐでんに酸っぱらって、凍死体で見つかったわけよ」
「それは・・・・・・事故ですか?」
「まあね。身体に傷とかなかったからね」
辻は昼間のほうに視線を戻すと、急にはにかんだように笑った。
「つまんねえ話だけどさ。俺としては、誰かが博打をやってると、凍死体にならねえといいなと、ついつい気になるわけよ」
軽い口調だが心がこもっていた。
「私は・・・・・・」 |
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