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楼主: koume88

日文小説『神様がくれた指』

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发表于 2008-5-1 20:08:56 | 显示全部楼层
有中文版对照吗?
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 楼主| 发表于 2008-5-7 13:56:44 | 显示全部楼层
不好意思,没有中文版的,自己慢慢看,多看几遍就能懂了,呵呵。
最近没时间更新,真是对不住各位了。接下的几天会尽快更新。
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发表于 2008-5-7 17:09:25 | 显示全部楼层
都是你一个字一个字打出来的吗?
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 楼主| 发表于 2008-5-21 13:19:34 | 显示全部楼层
是呀,打出来的.
不过要用业余时间,所以更新比较慢.
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 楼主| 发表于 2008-6-11 11:22:05 | 显示全部楼层
ごめん、この間は北京へ旅行に行ったので、長い時間で小説を更新してなかった。
これから、続きます。

  隣を起こさないように息をひそめて腕時計の針を見つめる。咲が二十歳のバースデー・プレゼントに買ってくれたスウォッチのブラック・フライデー。鼓動が少しずつ高まっていく。掌にじわりと汗を感じて、これはいかんと左のほうをジーンズでこする。妙な緊張感だ。やはり自分は一発勝負の"長箱"より、テンポのいい"箱"のほうが性にあっている。
  十分。
  ゆっくりと視線をめぐらし、聴力を研ぎ済ませる。通行人はいない。こちらに注目している人も、しそうな人もいない。後ろの席の女の子がびっくり箱の中身のようにふいに飛び出してくると困るが、偶然が二度は続かないだろうと割り切った。
  相手は右側にいる。右手を使いたいが我慢する。座席の肘かけに右腕は固定して上半身をねじって窓に背中を向け左手が楽に届くようにした。人に見られたら不自然な体勢だが人に見られないことを前提としている。
  彼女の腕と手は鞄を守るように周辺をぐるりと取り巻いている。本当に守らなければならないのは横腹ではなく、ジッパーのある上部なもだが......
  簡単な仕事だった。ジッパーの端を指でつまんで、ゆっくりと静かに引き開けるだけ。車両四つ離れたトイレで、辻は獲物の中身を確かめた。まず財布。シャネルの白っぽい牛革の札入れで実にスマートな造りだが、中身もいたってスマートで、千円札一枚にコイン少々、カードもない。何度も中を改めて、辻は首をかしげて歯ぎしりした。信じられない!まあ、待て待て。いくらなんでも、千円札一枚でグリーン席に乗る奴はいない。ここにどっさりと入っているのだ!これが楽しみなのだ!
『畑山不動産』とネームの入ったずっしりと厚みのある茶封筒。A4サイズくらいのものを二つ折りにして布テープで厳重に口を止めていた。苦労してテープをはがすと、また同じテープで止められた同じ茶封筒が出てきて、ぐるりと取り巻いたテープを苦労してはがし、ついについに箱を開けると、文庫本が二冊重ねてあり、隙間にはびっしりと緑色のビー玉がつめこまれていた。
  正体を見破るのに数秒かかった。
  これは、もしかして、九百八十円で売りつけられた例の"お弁当"か?文庫本の裏表紙がご飯、ビー玉は、そうだな、枝豆か?うっかりそんな推理を働かせてしまい、それから、瀕死の金魚みたいにパクパクと口を開けたり閉じたりした。
  バッグの中はじっくりと探った。他の財布や封筒の類はないはずだ。あのばあさんは本当に千円しか持っていないのだろうか。それとも腹にサラシでも巻いて大枚を隠し持っているのだろうか。席に舞い戻って、ばあさんを叩き起こして詰問してやりたい気がした。実に残念だ。彼女が"お弁当"を開ける時の顔だけは見たかったのに。
  辻はショルダー・バッグから、超薄手のビニール手袋とハンカチを取り出して、財布の指紋をきれいにぬぐった。次に、コンビニの袋を出して、"弁当"の中身と財布を入れて口をきつく縛る。封筒と箱は細かく破いて便器に流す。それから、トイレを出て、コンビニの袋をゴミ入れに押し込んだ。
  さてー。
  固定しておかなければならないはずの肩が危険信号を発するようにジンジンと痛んでいた。
  車内アナウンスがまもなく名古屋へ到着しますと告げている。
  一瞬、迷った。が、すぐに動いた。
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 楼主| 发表于 2008-6-11 11:47:47 | 显示全部楼层
7
    予定は色々と変わるものだ——というのが名古屋市内のビジネスホテルのベッドの上でよく冷えた缶ビールを飲みながら一番に浮かんできた感想だった。
  出所後にビールを飲む予定。最初はもちろん早田家のちゃぶだいで皆で祝杯を上げるつもりだったし、次は西武新宿線の少年スリを居酒屋へ連れていくつもりになったし、結局のところ東京から遠く離れた馴染みのない町の殺風景なホテルで一人きりでラガービールをごくごくあおっている。
  冷たく、苦く、辛い。
  舌や胃袋より心臓にしみるような缶ビールの味だった。辻は、まったく骨の髄からくつろいでいて、そのことを何となく後ろめたく感じていた。一人きりでいることが嬉しい。嬉しくて嬉しくて思わずニンマリ笑えてきてしまう。血管の中を自分の血液がようやく、じゅんじゅんと正常にめぐりはじめた気分。なんたる解放感!どこへでも行ける。なんでも出来る。なんでも出来る!しかし、この感情は、明らかに、早田の家族への裏切りだった。
  ベッドの背板に枕を立てて、頭と左肩をもたせかけ、足はクロスさせて、身体全体の力を抜いている。左手にビールのロング缶。一本目は一気に飲み干し、二本目は少しペースダウンしてあおっている。右肩がずきずき痛むが、どうってことはない。どんどん飲み続ければ、そのうち痛みも薄らいでくるだろう。
  久々に口にしたビール、それもすきっ腹に入れたアルコールはよく効いた。頭も身体もぼうっと燃えているのに胃袋だけひにゃり冷たい。ビールは空腹にかぎる。渇いた喉と空っぽの胃袋を張りのある液体がひたひた満たしていく感覚がたまらないのだ。群青色のじゅうたんに長細い銀色の空缶を三本転がして、ようやく満足した。腕時計を見ると十時半過ぎだった。ほろ酔いの身体をだるそうに動かして足元のバッグを引き寄せた。ショルダー点バッグの内ポケットのジッパーを開く。事務用の茶封筒を一つ取り出した。
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 楼主| 发表于 2008-6-17 10:15:35 | 显示全部楼层
封をしていない口を開けて中からお札をまとめて取り出そうとして、どうもベッドの上では落ちちかなくて床に降り、入口を背にしてあぐらをかき、背中を丸めて胸の前で抱え込むようにして、もそっとつかみだす。パラパラと繰る。もちろん、それほどもったいをつけるような大金ではない。ただの習性である。久屋大通駅のトイレで確認して額はわかっているので、数えるというよりはお札の手触りを楽しんでいるのだ。
  万札が十三枚、五千円札が一枚、千円札が八枚。次に内ポケットからビニール袋を出して縛った口を開き、コインも勘定した。全部で千三百四十二円。合計十四万四千三百四十二円とすぐに暗算する。この暗算の素早さ、正確さも彼の特技である。目標の半分までは届かなかったが、スタートのつまずきを思うとかなり挽回したのではないかと納得した。
  名古屋到着前の数分で、トイレ付近、通路付近、どちらもすれ違いざまに背広の内ポケットを狙って仕事をした。きわどい仕事になった。スるという所作そのものより、カモの下車駅がわからないところが、実にきわどくて危険だった。トイレのカモの財布には乗車券がいっしょに入っていて行き先が東京だと知れたが、通路のカモのほうは不明だ。隣席の白髪の老婦人、トイレのカモ、と少なくとも二人の被害者がまだ乗っている"長箱"に長居は禁物で、辻自身は名古屋で降りるしかなかった。
  下車したあとは、ひたすら急いで改札を抜け、一番手近な地下鉄桜通線にもぐりこんだ。もし三人目の通路のカモが名古屋で降りていたら駅で騒ぐはずだ。一刻も早く手の届かないところへ逃げ去るにかぎる。五分近く乗ってから、久屋大通で一度降りてトイレで財布の中身を調べ、入れ物は始末した。五万六千七百十二円と八万七千六百三十円。なかなか常識的な良い財布であった。カードの類は少し考えてから捨てた。身分証明書の電話番号や生年月日の組み合わせをクレジット・カードのCD機で試すのは意外と成功率が高いものだが、土地勘のない場所で夜間にやるのはうまくない。
  宿代はもったいなかったが、出所した夜にいきなり野宿というのもいやだった。むくつけき男どもが鼻先でごろごろしている環境も当分まっぽらだったのでカプセルホテルやサウナはパスして電話帳で見つけた今池のビジネスホテルを奮発した。
  お札を元どおりに封筒に戻し、ショルダー・バッグの内ポケットのジッパーを閉めて、枕の隣に置いた。
  何か食べ物を手にいれてくるか、面倒臭いからこのまま眠ってしまうか、それとも......。電話機を見つめていた。クリーム色の平たい四角いプッシュホン。五分ばかり頭をひねったが連絡をしなくても良い理由は何一つ思いつけなかった。
  誰が受話器を上げるだろう。お父ちゃんか耕二ならいい。ダチにばったり会って飲むから帰れないとでも告げればいい。もし、咲の細かい澄んだ声が川崎の彼方から電話線を伝って流れてきたら、そんな適当な嘘をつけないし、一言もしゃべれずに絶句してしまいそうな気がする。
  咲に嘘はつけなかった。嘘をついたほうがいい場合でも、なぜか、どうも、ぼろぼろと本当のことをしゃべってしまう。盗みの詳細、少し勤めた仕事先でのトラブル、女の子とつき合ったこと別れたこと。
  咲はたいていはおとなしく黙って聞いているだけだったが、ごくたまに素朴な、それが辛辣にも響く感想を述べることがあった。そんな言葉を辻はいちいちよく覚えていた。——どうやって、ウチに帰るのかな?
  小学校の頃だった。電車の中で財布を盗られた人がどうやって家へ帰りつくのか、彼女は単純に知りたがったのだ。
——駅から歩けるウチだといいけど。バスの定期があるといいけど。帰れなくなったら、その人どうするのかな?
——タクシーで帰りゃいいさ。家の前で待たしておいて金を取ってくるのさ。交番へ行けばオマワリが貸してくれるし。
  まともに返事をしている自分が、なんだかずいぶんとマヌケに思えたものだ。
  千円札一枚でグリーン車に乗っていたばあさんは、どうやって家へ帰っただろうと、辻はぼにゃりと考えた。正直正銘の富豪で、新大阪駅に運転手つきのロールスロイスが待っていたのかもしれない。そうなら良いのだが......。
  タイトルも見なかった二冊の文庫本、暗緑色の十数個のビー玉、三重になっていた不動産の封筒、自分が盗って壊して捨ててしまった"お弁当"の記憶。
  盗むのはお金だけではない、そのお金を使うはずだった予定、相手の人生の一部を無残にもぎとっていくのだ、といつかお母ちゃんに説教されたことがある。
  別に"お弁当"を盗むつもりはなかったのだ。不動産屋の封筒でラッピングした孫が悪いのだ。やれやれ。どうでもいいよ。そんなことは。辻はうんざりして思った。馬鹿げている。感傷的になるのは、まことに馬鹿げているし、まことに危険なことだった。
『もしもし』
『——ああ』
『おやっさん?』
  短い沈黙のあと、がばりと身を起こすような気配があり、
『お?よう!マッキーじゃねえのか?』
  と鼻にかかったダミ声が受話器の向こうで吠えた。
『俺だけどサ』
『おい、おめえ、どこにいんだよ?』
『......ちょっと遠くに』
『外国かな?』
『もうちょっと近くに』
『はっきりしろよ!』
『どこだって、いいしゃないよ』
『よかねえよ!勘太の野郎が夕方ウチまで来やがってよう、俺がおめえを押し入れに隠してるんじゃねえかって疑うんだぜ』
『お父ちゃんが?』
『おめえ、とりあえず、一度は家帰ってやれよ。親分の真似しなくていいからよ』
『......』
『早田の親分も、若い頃、出てきたばっかで電話寄越して、今パリなんだけどね、なんて、あのとぼけた声でさ。こちとら、ぶったまげたもんよ。おめえ、どこにいんだい?』
『名古屋だよ』
『シケてるな』
『どういう意味だよ』
『もう"買った"のかい』
『まあね』
  しばらく沈黙がおりた"買う"というのは古い隠語で、スる行為のことだった。早田勘介は、とうの昔にすたれたような、そんな時代がかった言葉を使うのが好きだった。勘介の一番弟子の西方三太郎もその習癖を受け継いでいた。
『そうかい』
  西方はどっしりと太い声を出した。彼は、小所帯ながら一家を構えてスリ業を営む、今時珍しい"親分"である。
『そっちで、いい引きがあったのかい?』
『そんなんじゃねえよ。なりゆきの仕事さ』
『そうだな。おめえは、組んでやるのが嫌なんだよな』
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 楼主| 发表于 2008-11-17 10:58:19 | 显示全部楼层
  早田勘介の死後、何度に西方に「ウチへ来ないか」と誘われたが断ってきた。勘介に一人立ちを許された十八歳の時から、ずっと"一匹狼"を通している。相棒と呼吸を合わせ、獲物を分け合うよりも、好き勝手に一人で動くほうが楽だった。迷惑を掛けることも掛けられることもない。
 「お父ちゃんに言っといてくれよ。しばらく帰らないって。心配するなって」
 「なんで自分で言わねえんだよ。俺ンとこなんてかけてないで、さっさと電話すりゃいいだろう」
 「それがいやだから、おやっさんとこ、かけてるんでしょ。頼まれてよ」
 「絶対に御免だね。勘太ならいいけどよ、かみさんがやってきて俺をぶんなぐらア」
 辻は声をたてずに笑った。そして、その話題を打ち切りにして——当人がどう言おうと西方に伝えておけば必ず早田家に彼の消息が伝わるのは間違いなかった——、質問した。最近、西武新宿線で仕事をすることがあるか、こういう風体の高校生くらいのスリ・グループを知らないか。電話代のことが頭をかすめたが、早く情報が欲しかった。
 西方は知らないと言った。その連中とどういう係わりがあるのかと逆に問われたので、あいまいに答えて電話を切ってしまった。
 下着の替えがないのでシャワーを浴びるのはやめた。眠ろうと思って明かりを消すと、急に空腹を覚えた。でも、出かけるのは気が進まなかった。知らない町、肩の痛み、疲労、明日の仕事。まあ、いいや。腹っぺらしで眠るのは何も初めてってわけじゃない。
 小鳥のように朝寝起きの習慣が身についていたが、なかなか眠りにつけなかった。目が冴えてしまっている。部屋の暗がりに心身が馴染まなかった。重く、息苦しく、薄気味悪い。刑務所の中は、夜でもこうこうと電気がともっていて馬鹿に明るいのだった。
 明かりをつけた。
 ほっとした。少し物悲しい気分になった。晴れてシャバに出てきたというのに、暗がりが怖いとはとんだお笑いぐさだった。
 その時、ふと、昼間という小男に笑われたことを思い出した。ムショぼけしたという辻を、一年ぐらいで目がくらむのかとあっさり笑ったあの男。目はくらむし、闇は怖いし、なんだか情けねえんだよな、と辻は心の中でつぶやいた。昼間氏は金策に成功しただろうか。自分は今日中に東京へ戻れなくさったし、三十六万円はもう必要ないかもしれない。
 昼間の家賃を肩代わりするというのは、スリを始めるための口実に過ぎないのだが、それでもやはり、あの男に借りを返したいと思っていた。気まぐれな並みはずれた好意に対し、同じく気まぐれな並みはずれた好意で返礼したいのだった。
 明日、朝一番の新幹線で東京に向かい、目標額が達成して、とりあえず三沢屋敷へ行ってみようと決心した。
 こうこうと部屋の明かりをつけたままで、スリの若者はようやく平和な眠りについた。
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 楼主| 发表于 2008-11-17 17:23:53 | 显示全部楼层
8
 檜山法律事務所にかけた電話は、若い女の子の声が応答し、すぐに義兄に取り次いでくれた。幸運はそこまでだった。義兄はこれから人に会うけれど九時までには帰宅するから家に来て待っていてくれないか、久しぶりに一杯やりながら話をしようと、あわただしい陽気な口調で一方的に決定した。
 えらいことになったなと昼間は呆れた。檜山の家は広尾の高級マンションで、リビングのサイドボードには義兄の趣味である珍しいアイリッシュ・ウィスキーがぞろぞろ並んでいた。一杯やることに関してはまったく異存はなかった。ただ、リビングのサイドボードの脇のソファーに姉が並んでいなければの話である。おおいに、いやな予感がした。こんな予感がはずれるようでは占い師の看板を下ろさなくてはならないだろうし、当たるようでは赤坂のボロ屋敷の看板が比喩ではなく現実に消えることになるかもしれない。姉の前で借金の申し込みなんてできるわけがない。
 広尾駅前の明治屋で義兄の好きなブルーチーズを手土産に買ってから、ガーデンヒルズの西麻布寄りの建物を訪ねた。八時五十五分。オートロックのプッシュボタンで部屋番号を押すと、予感通りに、この世で一番聞きたくない人物の声が耳に届いた。防犯カメラを通して姉の目が自分を見ているのかと思うと早くも落ち着かなくなった。
 「薫です」
 緊張を振り払うように、めったに使わないファーストネームをはっきりと告げると、「どうぞ」
 法廷用ではなく、顧客用でもなく、日常用の姉の声がそっけなく響いた。
 エレベーターを上る間に、用意しておいた三つのストーリーのどれを使ってこの場をやり過ごそうかと考えた。決心がつかないうちに6Fについてしまった。

 姉の冬美とは九つ年が離れている。身長もたっぷり五センチは負ける。マンダリン・オレンジの洗いざらしのムームーをふわりと着て、ミドルのウェービー・ヘアをタオル地の太いバンドでまとめ、派手な目鼻立ちをさらに強調する絶妙なフルメイクの口紅だけが落ちているのが妙にセクシーな美女である。「さっき道雄から電話があって、少し遅くなるから先に二人で一杯やっていてくれって。どうする?」
 どうする?と尋ねるのが冬美らしいところで、相手の思惑を尊重しているようで実はとりつくしまがないほど無愛想なのだった。
 「それなら、後日、出直します」
 昼間は慎重に答えた。
 「義兄さんがゆっくりできる時に」
 「あら、そうなの」
 冬美はくっきりとアイラインを入れた二重の目で冷たく弟を見つめた。
 「二人でこそこそやりたいわけね」
 図星なのだが、まさかそうも言えず、
 「いいんですか?姉さん、つきあってくれるんですか?時間があるんですか?」
 儀礼上そう言うと、冬美は肩をすくめて、くるりと背を向けて玄関ホールを横切って、リビングへ通じるドアを開けた。
 リビングに明かりはついていたが、冷房はほとんどきいていなくて、冬美もまだ帰宅したばかりかもしれないと昼間は思った。
 毛足の長いグレーのじゅうたん、凝った細工のイタリア製のサイドボード、大きな革のソファー・セット、釣り鐘型のガラスを連ねた豪華なシャンデリア。リッチなリビングの定番のようなインテリアなのに、どうも事務所の匂いがすると昼は感じ、夫婦で弁護士をやっている、しかも流行っている法律事務所を経営していることへの一種のひがみだろうかとおかしくなった。
 「眞子ちゃんは?」
 小学四年生の姪でもからかって時間をつぶせないものかと期待して尋ねると、サマーキャンプで軽井沢だという。
 「三日で五種類くらいの仮病を使ってみせたけど、あきらめて出かけたわ」
 昔、ガール・スカウトの優秀なリーダーだった姉は信じられないという口調で話た。
 「あの子、変にデリケートなのよ。ママに、お祖母ちゃんに似ているのかしら」
 ちょっと不本意そうに付け加えた。
 「あなたにも似ているわね」
 姉の目から見ると、自分は母親似なのかと昼間は不思議な気がした。姉は父親に生き写しだった。容姿、性格、人生の目的までも。
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 楼主| 发表于 2008-11-18 14:46:09 | 显示全部楼层
  冬美はブルーチーズを受け取って台所へしまいに行き、お盆にバカラのグラスを二つとアイス・ペールと水差しを載せて戻ってきて、サイドボードに並んだ洋酒の瓶を迷わずに一つ抜き出した。昼間の知らない銘柄のスコッチだった。オンザロックを作ってもらう。良い香りだ。スモークの利いたきりっとした辛さが舌を刺す。
 姉と差し向かいで酒を飲むのは、父が卒中で亡くなったすぐ後、遺産分けの話をした時の一度きりだった。あの時の冬美は、弟が依頼人であるかのように終始一貫して、事務的で穏やかな態度をとっていた。
——あなたは勘当さてれいるけれど、法律的には無意味だし、父ももちろん遺留分のことは承知しているから、きっちりそれだけの額が残されています。
 ・・・・・・といっても、たいした額ではなかった。残っていたのが借金でなかったのが不思議なくらいで、父は腕のいい弁護士ではあったが腕のいい経営者とは言い難かった。弱者の人権擁護を生涯のテーマとして手弁当で奉仕することが多く、弁護士会の政治活動などは嫌悪していた。事務所の維持は借金との戦い。そのために病弱な母も常に外で働いていた。母は父より先に逝った。父にすりへらされて寿命よりはるかに早く逝ってしまったように息子は感じた。彼が二十歳の時だった。もともと呼吸器系が弱く、気管支炎が持病のようだったが、肺炎をこじらせて、あっけなく他界してしまった。美しかったが、影の薄い女性だった。いつも夫の顔色ばかり見ているような妻だった。もし、母が生きていたら、自分は勘当を言い渡されるまで父に逆らうことができただろうかと、時々昼間は考える。スコッチをすすりながら母の顔を思い浮かべようとして、それがなかなかはっきりと映像を結ばないのをもどかしく感じていると、「あと二年ね」
 姉が急に独り言のようにつぶやいった。
 「三十まで」
 「——私?」
 いき遅れの娘の年の話のようで、思わず、昼間は聞き返してしまった。
 「ワタシって言うの。気障ねえ」
 「格好をつけてるわけじゃないですよ。使い分けがなくて便利なんです。仕事と生活の」
 「それでも気障よ」
 姉はテーブルからキャメルの箱を取って一本取り出し、銀のダンヒルのライターで火をつけた。
 「そのデスマス口調もね」
 昔——例えば大学生の頃——は、冬美にどんなふうにしゃべっていたのか、昼間はどうしても思い出すことができなかった。
 「個人的な見解を述べると」
 冬美は上品に薄くたなびくような煙を吐き出した。
 「モラトリアムは三十歳までね。三十を過ぎて自分と向き合えない人間は見苦しいわよ」
 「中本と同じ見解ですね」
 「少し違うわね」
 冬美は正方形のぶあついガラスの灰皿に、一センチばかり吸った煙草を押し付けて消した。姉が、いつも、そうしたひどく贅沢な吸い方をすることを昼間は思い出した。理由は知らない。聞いてみようと思ったこともない。昼間は占い師になった時に煙草をやめた。愛煙家だったので大変つらかったが、謎めいた白いドレスの占い師がヤニ臭くては興ざめだ。
 「中本君は、いまだに、あなたの頭のネジが飛んだと思い込んでいるわよ。私は違うの。もっと確信犯だと思うの。ポルシェが高速の追い越し車線をわざと八○キロかっきりで走ってるのよ。余裕を見せているわけ。悪ふざけというか。お遊びというか」
 冬美はまた新しい煙草に火をつけた。
 「ねえ?立派なものじゃないの。占いで食べていくのはなかなかむずかしいと思うわ。一流の接客術よね。判断力、弁論能力、雰囲気作り。たいした才能よ。貴重な人生体験だと思うわ。」
 「ものすごい見解ですね。街角に立って占いをやるのも、弁護士の修業の一環ですか」
 昼間はグラスの氷をチャラチャラと鳴らしながら、姉の言葉が皮肉ならいいが意外と本気かもしれないと思って、恐ろしくなった。
 冬美は黙っていた。まだ長い煙草を灰皿でさっさとオシャカにして、相手が何かしゃべるのを待っていた。
 「まったく、あなたたちは・・・・・・」
 と昼間は仕方なく続けた。
 「人間は二種類しかいないと思っている。弁護士と弁護士になれなかった人間」
 「あなたたち、というのは、弁護士全員を指しているの?それとも私とパパのこと?」
 父さんと姉さんと中本と、それからかなり多数の弁護士の皆さんだと昼間は思った。
 父親は息子が司法試験を断念することを許さなかった。なまじ自分にそっくりで特別優秀な娘などを持ってしまうと、息子の何もかもがお粗末に見える。叱責の言葉の端には必ず姉の名がちらついた。冬美は、冬美は、冬美は、・・・・・・なのにおまえは!
 「ねえ。あなた、自分に超能力があると信じているの?」
 冬美は思いもよらない角度から攻撃を仕掛けてきた。痛いところをつかれて一瞬ひるんだ。
 「どうでしょうかね」
 はぐらかすように微笑んだが、隙を見逃すような相手ではなかった。
 「占い師としてのあなたの成功はサイキックな力によるものじゃないと思うの。あなたに神秘主義者の匂いはないわ。超能力じゃなくて能力があるのよ」
 そんなこと、断言しないでほしい、と昼間はしみじみと悲しくなった。客の前でカードを並べる時にいつもかすかな不安と罪悪感を覚えるのは、自分が権利のない土地にずかずかと踏み込んでいるのではないかという思いだった。ひらたく言うと、これは単なるイカサマではないかという・・・・・・。
 昼間は溜め息をつくようにつぶやいた。
 「姉さんには関係ないでしょう」
 それは負けを認める一言であり、会話のルールを破る一言であり、本来、昼間のプライドが許さない感情的な一言でもあった。
 冬美はフィルターぎりぎりまで吸った短い煙草を、何か忌まわしい物でも見るかのように顔をしかめて揉み消した。姉はまだ自分に何か期待している、とその短い吸い殻を見て昼間は悟った。でも、なぜ?姉弟愛だなどとぬかしたらこのリビングの洋酒の瓶を全部持って帰ってやるぞ。社会正義というならまだわかるけど、それもたいがい迷惑である。
 「道雄に何の用件?」
 姉はオリーブ色のタオル地のヘアバンドをはずすと、ゆるいウェーブをあてた髪を指先で軽くほぐした。
 占いの客の金銭的トラブルを専門家の手に委ねたほうがいいと思い、義兄を、檜山法律事務所を紹介したい——というストーリーを語るつもりだった。まったくの嘘ではない。そういう客がいないわけではない。ただ、目下のところ、その客は、まだ、弁護士への相談料より占い師への見料のほうが安くていいと迷っている様子だった。
 「借金のお願いです」
 昼間はきっぱりと言うと、姉の目を静かに見つめた。
 「いくら?」
 相手は動じなかった。
 三十六万と言おうとして思い直して五十万と答えた。明日までに五十万。
 何に使うのかと冬美は尋ねなかった。黙って席を立つとりビングのドアを開けて出ていって、階段を上るスリッパの軽い足音がかすかに昼間の耳に届いた。ああ、やれやれと溜め息をつく。いつの日も姉は自分より一枚上手である。ここで説教でも始めてくれたら落ちこぼれの弟役をのんびり務めているだけでよかったのに。
 グラスにスコッチを新たについて、透明な薄茶色の液体をしげしげと眺めた。ローマで出会った占い好きの老女マルチェラは、昼間薫の瞳の色がウィスキーに似ていると不思議がったものだ。東洋人らしくないと。どこか西洋の血が混じっているのかと。そうではない。色素が薄い東洋人もたまにはいるのだ。母親譲りの目と髪と肌の色だ。淡い色。希薄な生命力。
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 楼主| 发表于 2008-11-18 15:11:00 | 显示全部楼层
 黒髪に薄黄色の肌の標準的東洋人、強靭な生命力を誇る東洋人が目の前に現れた。手にした茶封筒を彼の前に差し出した。檜山法律事務所の名前入りの封筒は、ちょうど一万円札五十枚分くらいにふくらんでいて、ありがたくも不吉な予感が現実のものとなったようだ。
 「今度からは私のところへ来てちょうだい。道雄のところじゃなくてね」
 タロット・カードの裁きの女神のような容赦ない口調で姉は言った。
 「次回があってもいいわけですか」
 昼間が受け取る気配を見せずに尋ねると、
 「悪ぶるのはやめて」
 冬美は彼の手の中に封筒を押し込んだ。
 「気取るのもやめて」
 昼間は丁重に頭を下げた。そして、気取った口調で丁重にお礼を言った。
 
 外気はもったりと重かった。これで心置きなくあの暑い家に帰れるのかと思うと、何やらヘラリと疲れた笑いが口元に浮かんでくるのだった。サラ金に行くべきであった。いやまったく、五十万円を手に入れたというよりは、身ぐるみ剥がれてむきだしの尻を五十回叩かれたような気分がした。
 義兄さんに会えなかったなあと少し寂しく思い、あの姉を堂々と妻にしている男はどんな神経と肝っ玉を持っているのだろうとつくづく驚異の念を抱くのだった。
 封筒の中身がまるで爆弾か毒物のように物騒に思われた。金をそのまま三沢に渡してしまったら、明日から、暑い家で寝起きして、カードを手にして、暑い路地に見台を出して客の話にじっくり耳を傾けるという気力が、日々の生活を継続する気力が根こそぎなくなってしまいそうだった。
 この金は使えない。この金を使わずに家賃を払う方法が一つだけある。
 ギャンブル。
 五十万円元手があれば、もう五十万を稼ぐのは夢物語ではない。一万円から十万円は作り出せるが百万円となるとなかなかむずかしいことを昼間は骨身にしみてわかっている。五十万もあれば・・・・・・
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 楼主| 发表于 2008-11-21 15:24:32 | 显示全部楼层
9
 「「エブリ・ナイト」?あら、いいわね!」
 突然の電話にも驚いた様子もなく、女優の北キタは元気に声を張り上げた。
 「でも、今、あたし、アジがないのよ。三日前に運転席で逆立ちしたの。スリップ事故。伊豆の山奥でね、見物人がいなくて残念だったな。それで、カレラを修理に出しちまったから、タクシーで行くわね。先に入って待っててくれる?」
 
 六本木の防衛庁の裏手の路地にある、会員制カジノ・バー「エブリ・ナイト」は、モデル・エージェンシーやデザイン事務所などの酒落たテナントの目立つビルの地下にある。看板は一切出ていない。ぶあつい木の一枚扉にはチャイムもノッカーもなく、一見の客が近寄れないように出来ている。
 三ヶ月前の深夜に初めて来た時は最初から北キタが一緒だった。階段を降りてここへ立ったとたん、まるで自動ドアか、オカルト・ハウスのように扉がすっと開くのに驚いたが何のことはない、中から監視カメラでチェックしているだけである。
 今日もノックする前に勝手に扉は内側に開いた。ただし三十センチほど。黒いタキシード姿のドア・マンはジェラール・フィリップに似た美麗な顔を用心深く隙間からのぞかせた。昼間が自分と女優の名前を告げると、静かに一礼してドアを大きく引き開けた。
 砕氷で作ったような奇妙な形の大きなシャンデリアが白く輝いている。じゅうたんは赤葡萄酒色。緑のラシャ張りのゲーム・テーブルがくっきりと浮き立って見える。いつ見ても胸のときめく色彩である。バカラ、ブラック・ジャック、ルーレット、クラップス、セブン・スタッド・ポーカー。ディーラーは皆若い女性で白いタキシードで宝塚のように男装している。
 正面奥にバーがある。カウンターと四つのボックス席。バーテンの吉原は有名人で、彼の辞書に不可能の文字はないと言われている。どんな珍しい洋酒を注文しても、出てこなかったためしはない。カクテルは芸術作品である。食事はイタリアンの軽食。各種のピザがうまい。
 昼間はルーレットとポーカーのテーブルの間を抜けて、奥のバーのカウンターの隅に陣取った。吉原は中央の二人連れの男の相手をしており、イワン・レンドルに似た目のくぼんだバーテンが注文を聞きにきた。
 「アンチョビ・ピザとコーヒー」
 と昼間は頼んだ。宵の口のバーで――それも吉原のようなバーテンのいるバーで――コーヒーを注文するのはいかにも不粋だった。しかし、背に腹はかえられない。姉のところで飲んだオンザロックはただ二杯半だが、ハード・パンチャーのボディーブローのようによく効いていた。酒は決して弱いほうではない。姉と飲むとアルコールのまわりが速いというのはどんな科学的根拠があるのだろうと、強い香りのブラック・コーヒーをゆっくりすすりながら考え始めた。
 まだ夜は長かった。「エブリ・ナイト」の営業時間は一時までだが、二時から本物の"夜"が始まる。一杯やりながらゲームを楽しむお洒落な遊び場が、一杯やりながら現ナマのやりとりをするお洒落な修羅場に変貌する。色とりどりのプラスチックの丸いチップは、今はただのオモチャだが、午前二時以降は同じビルの三階にあるアート・スタジオで換金できるようになる。むろん法律違反である。オマワリさんに見つかれば、皆、即逮捕である。入口のドア・マンは二人になり、店の外やビルのまわりなどに用心棒がさりげなく巡回を始める。連中は皆、拳銃を所持しているという噂がある。
 しかし、「エプリ・ナイト」は換金できるアングラ・カジノの中では、かなり安全な店だった。店主はビルのオーナーであり、財界の大物の私生児と噂のある若手実業家の藤堂だ。地元の警察と暴力団への根回しは万全という話だった。

 北キタは十一時過ぎに現れた。公証四十五歳だが、まったく年齢不詳だ。形のいい頭蓋骨を強調するベリー・ショート・ヘア、見事なピジョン・ブラッドのピアス、刺繍入りのヌードカラーのロングのクリップ・ドレスの上に白いシルクのガウンを袖を通さずにふわりと羽織っている。抜群のプロポーション。顔は山羊に似ている。
 「東横線で来たわ。速いと思って」
 北キタは優雅な身のこなしで、昼間の隣のスツールにすべりこんだ。自宅は大倉山なので日比谷線直通の電車に乗れば六本木まで一本で来られるが、この身なりでは舞台の上のストリップ嬢のように注目を集めただろうと昼間は思った。
 「あなたを待たせたらいけないと思ってとっても急いだんだけど、でも、こんなに早く来てどうするの?」

 北キタはバーテンの吉原に指二本で挨拶してマティーニを注文した。そして、昼間のコーヒーとピザを見て、とがめるように眉をつりあげた。
 「何さ?胃に穴でもあいたわけ?ねえ、あなた、まさか素面で、廃盤レコードやりトグラフやアンティーク・ドールのやりとりをしようなんてつもりじゃないでしょうね?」
 平常の営業時間の「エブリ・ナイト」は、ゲームの勝ち点をカードに記して、一定期間内に高い点数がたまると、希少価値の芸術的な景品をもらえるというサービスがあった。
 「違いますよ」
 昼間は相手の勢いに押されて少し困ったように微笑んだ。
 「久しぶりだから、ゆっくりお会いしたかったんですよ。キタさんがこんなに簡単につかまるとはおもわなかったし」
 「何、あたしは暇なもんよ。また独り者になると、あきれるほど時間があるわ」
 舞台、テレビ、執筆、取材、遊び、恋愛、どんな過密スケジュールでも、北キタは決して忙しいと口にしなかった。昼間は彼女の私生活の細部にいたるまでよく知っていた。占いの顧客なのである。彼女のようにエキセントリックで自己主張の強いタイプほど、占いのようなあいまいなものに深くのめりこむ傾向があるようだった。
 「さあさあ。誘ったのはあなたなのよ。気持ち良く酔っぱらってちょうだいよ。あたし、素面の相手とゲームするのは大嫌いなのよ」
 昼間はライト・ビアを注文して北キタにたまにらまれてから、仕方なく次はワイルド・ターキーのソーダ割りに切り替えた。
 まもなく午前一時になる頃、昼間はこの店に来たこと、いやこの店に早く来すぎたことをはっきりと後悔した。連れはもうジンのカクテルを七種類くらい飲んでいた。こちらはソーダで胃袋が破裂しそうになり、四杯目からはオンザロックに切り替えたが、なんだって、よりによって大きな勝負を控えたこんな時にこれほど酒を飲み続けなければならないのだろうとぐらぐらする頭で考えていた。
 北キタが無類の酒好きで底なしのザルだということと、「エブリ・ナイト」の会員すべてと親密な関係にあるということが原因だった。俳優、推理作家、漫画家、ロック・シンガー、テレビプロデューサー、画廊経営者、DJ、コメディアンなどが入れ替わり立ち替わり現れては北キタの隣のスツールに座り、そのつど新しい酒が注文されて昼間の目の前にもドカンと並ぶのだった。
 占い師の営業という面では大成功の夜だった。北キタは皆にマルチェラを最大限の賛辞を添えて紹介し、五人が強い興味をしめし、二人がその場で予約を入れた。
 もともと、「エブリ・ナイト」というのはそういう場所なのだった。会員やゲストであることのステイタスを生かし、粋に遊びながら仕事や私生活での人脈を拡大するナイト・クラブ。
 しかし、酔っぱらった。必要以上にうんと気持ち良く酔っぱらってしまったようだ。
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 楼主| 发表于 2008-11-21 15:25:07 | 显示全部楼层
 ブラック・ジャックはカードの合計点数をできるだけ二十一に近づけるという単純なトランプ・ゲームだ。カジノのディーラーが親で、複数の客と勝負する。
 「エブリ・ナイト」のカードはU.S.プレイング・カード社のスタンダード・タイプで、七デッキをシューケースに入れ、最初の十枚をディスカード(捨て札)として除く。客のカードはすべて表にして配られる。カード・カウンティングやイカサマを防ぐための本式のカジノのやり方である。
 昼間は一デッキをディーラーの手が配り、自分の手で開くやり方が好きだった。イカサマはやらないがカウンティングの真似事はできる。何よりカードにタッチしないと気分が乗らない。地元赤坂の六丁目にある喫茶店「カスバ」には、同じような考えのカード仲間が集めって古風なトランプ博打をするのだが、レートはあくまで趣味の域で、五十万円で五十万円を稼ぐのには向いていない。
 「スプリット」
 と昼間は言った。声がヨコヨコしているのが自分でもわかった。「カスバ」に行けば良かったかな。あそこでも酒は出るが、少なくとも自分のペースで飲むことができる。五人の面子から五万ずつ巻き上げれば――たったの二十五万か・・・・・・。半分か。いやはや、五十万円というのはまことに大金である。
 よろしい。今は「エブリ・ナイト」にいるのだ。女優のゲストでなければ来られない豪華なアングラ・カジノにいるのだから、少しくらい声がヨコヨコしていようが、頭がウロウロしていようが、よろしいではないか。
 手札はエースが二枚。やっと少しツキがまわってきたようだ。親のアップカードは6だから、今度こそ勝てるだろう。そうとわかっていればもう少し張り込んだのに、と歯ぎしりしながら、五千円分のチップを二枚追加する。スプリットというのは同じ点数のカードが二枚配られた時、足さないで分けて二つの手を作り、同額のチップをもう一つの手にも賭けるというオプション・ルールである。
 カードが配られる。エースのスプリットの場合、一枚ずつしか要求できず、普通、裏向きにされるが、徹底して表で来る。2、そして3。冗談だろう?隣に座っている北キタが低い声でウフフと笑い出した。どうしたら、そんなにポカなカードが続けて来るの?と彼女の目が問いかけている。知るものか!唇が逆向きに曲がってへの字を描いた。ツキの問題だ。判断の問題ではない。とにかく、すべてが裏目、裏目に出るのだ。確率的に少ない方向に走り、昼間に損をさせる。
 お隣のハンドは5が二枚。もちろん、スプリットせずに十点にしてカードをもらう。ジャックが来た。絵札は十点だから二十点。
 「来た来た」
 と北キタがつぶやき、手でスタンドのジェスチャーをする。なるほど良い芸名をつけたものだと昼間はうらやましくなった。
 ディーラーは念入りに手入れされた爪と、念入りに調整された眉を持つ美人だったが、鉄仮面のような無表情でホールカードをオープンにする。8が現れた。合計点数は十四。ディーラーのハンドが十六以下の時はドローというルールがあるので、彼女は新たなカードを引いた。
 8、9、10、もしくは絵札!と昼間は心中で叫んだ。親がバストしてくれさえすれば二万円を失わないで済む。それどころか二万円を手にいれることができる!
 カードは2。合計点数十六。まだ引かなければならない。昼間は背筋がゾクリとした。バストの確率が高くなった。こんな形勢の悪い勝負を逆転できれば、運もツキも向いてこようというものだ。
 来い、来い、来い、来い、来い・・・・・・!
 6、7、8、9、10、もしくは絵札!
 再び心の中で絶叫したつもりがうっかり声に出していて、店内の注目を一身に浴びた。いや、店中の人間に一人残らずにらまれたというほうがいい。プレー中の私語は禁止というのがマナーだった。プレー中の絶叫はやはりマナーに反するのではないか。
 すべては酒が悪いのだ。少し飲みすぎた。顔が熱く火照っているのは恥ずかしいからではなくて飲みすぎているからである。あるいはもっと飲んだほうが良いかもしれない。酔っぱらうと恥ずかしいことをきれいに忘れられるから。
 ブラック・ジャックのテーブルのディーラーの手は宙に静止していた。昼間の掛け声に金縛りにあったように。今、その手が再び動いて新たなカードをつかんだ。
 5!二十一点!
 「よしてよ!負けちまったじゃないの」
 北キタが小声で毒づいた。
 「あんたがコイコイコイコイコイなんて言うもんだから」
 「どうですか?このへんでマティーニでも一杯」
 昼間は誘った。
 「いいわね。ツキが落ちそう」
 北キタは椅子から腰を浮かした。
 「飲んで取り戻さないとね」
 「もちろん、そうこなくっちゃ」
 昼間もゆらりと立ち上がった。
 二人は手を取り合って、店内のバーに踊るような足取りで歩いていった。
 吉原の作るカクテルは絶品である。「エブリ・ナイト」は素晴らしい店である。
 「あなた、楽しそうね」
 北キタは少し呆れたように笑った。
 「あたし、だから、あなたが好きなのよ。とっても負け方がきれいなのよ」
 「まだ、負けてませんよ」
 と昼間は力強く言った。
 「五万円あれば五十万円作れる」
 「そういうことも、まあ、ありうるけど」
 北キタは首をかしげた。
 「ねえ?ありうるでしょう?」
 昼間は無邪気に北キタの顔をのぞきこみ、グラスのカクテルを口に運んだ。
 吉原の作るマティーニは絶品である。「エブリ・ナイト」は素晴らしい店である。
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 楼主| 发表于 2008-11-28 14:49:35 | 显示全部楼层
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 正午に客が来ることになっていた。予定通りに来て見料を払ってくれれば一万円が手に入るはずだが、今更一万円を手に入れてどうなるというのだろう。
 午前五時に帰宅して、蒸し風呂のような二階の部屋で四時間ばかり熟睡して汗を一リットルばかりいて目覚めた。パジャマが二枚目の皮膚のように全身にぴったり貼りついていてひどく気持ちが悪い。気持ちが悪いのは肌だけではない。胃袋も頭も、ぐいともぎとってゴミ入れに捨ててしまいたいくらい不快な存在だった。まさに、この頭は不要だと昼間は思った。二日酔いの多くは自己嫌悪とともに味わうものだが、今朝は自己嫌悪に陥れるほど自分の心身に執着がなかった。神様に頼んで、もう少しまちもな水準の頭と交換してもらおう、それまではこの布団から起き上がるのをやめようと考え始めた。
 しかし、だらだら寝そべっているには、あまりに暑すぎた。それに、ゆうべの「エブリ・ナイト」でのことを思い出さずにいることもできなかった。姉に借りた五十万円をパーにしてしまったのは、まあ、いい。真剣勝負の結果、武運つたなく敗れ去ったのなら、まあ、いい。酒を断りきれずにのんきに泥酔して、いつのまにか紙クズをふりまくように捨て去ってしまったのはあまりと言えばあんまりだった。
 必要な金なのだ!
 にもかかわらず、自分はあの金をカジノにわざわざ捨てに行ったのではないかという気がした。姉に恩義を感じたくないなら姉に近寄らなければ良いのだ。姉ではなく義兄に頼むつもりだったことは言い訳にならない。
 ああ、そんなことは、もうすべてどうでもいい。自分が優柔不断で無計画で見栄っぱりなろくでなしなことは前々からよくわかっているし、もう一度再確認したところで、この壮絶な頭痛やむかつきが減るものでもなかろうに。
 昼間は布団からのそりと起き上がった。
 この和洋折衷の古風な西洋館の二階は二間続きの和室だった。襖を開けはなって、二部屋の窓という窓も常時開けはなって、一番風の通りの良い場所に敷き布団だけの万年床をこしらえてある。もうじきここで眠れなくなると思うと恨みがましいような奇妙な愛着を覚える小さないように寝床であった。
 昼間は寝床から一番近い北向きの窓辺に歩み寄って、ギシギシといやな音をたてる鎧戸を壊さないように気をつけながら、いっぱいに開け広げた。まぶしい晩夏の光に目がくらむ。晴れ上がった空が何やら青い怪物のように圧倒的な迫力でのしかかってくる。そのまま首を垂れて視線を落した。
 二つの建物の中間にある門の扉は開いていた。自分が五時に帰ってきた時は閉めておいたので、三沢医師が開けたものと思われる。三沢は頑健な年寄りらしく早起きで、夏は六時頃に目覚めて、狭い芝生の庭で、うーふーとうなりながらストレッチ体操のようなものをやっている。さて、あのじいさんのところへ何時頃出頭して、ここを出て行くことを告げようかと考えていると、門をくぐって入ってくる人物が目に止まった。
 少し猫背のノッポの男で黒いベースボール・キャップをかぶり、ブルー・ジーンズにダンガリー・シャツ、黒い大きなショルダー・バッグを肩からさげている。
 夢で見た人物が現実に姿を現したような奇妙な感覚に陥った。昨日、新宿の街角で拾ってきたスリの男が、今、なぜ、またここにやってくるのだろう。しかも、彼はためらいがちにゆっくりと歩いていて、あたりをうかがうように落ちつかなげにきょろきょろと視線をめぐらし、一度足を止め、また歩き出し、また足を止めた。彼の職業のことを思うと、まさにトラブルが服を着て訪ねてきたようだったが、昼間はなぜか嬉しいような気持ちがした。
 気になる男だった。家まで連れてきながら深く事情も聞かずに中途半端に放り出してしまったようで、ずっと心のどこかで引っ掛かっていた。上から声をかけようとした。名前も聞いていないことに気づいた。おーい、スリくん、と呼ばわるわけにもいくまい。スリくんは、またのろくさと歩き出し、こちらではなく、隣の三沢医院の建物のほうへ向かった。
 なんだ、診療にきたのか、肩でもひどく痛むのかなと思い、男が三角巾を吊っていないことに気づいた。嫌な予感がした。嫌な予感はもうこりごりだが、怪我が悪いのなら心配だし、彼が三沢を脅したりユスったりしないという保証はどこにもない。
 昼間はよろめきながらパジャマを脱ぎ捨てた。緑の濃淡のチェック・シャツにハーフパンツという一番手近にある服を急いで身につけた。コップ一杯の水で頭痛薬を五錠ばかり飲んで、しかるのちに、そのすべてをさっぱりと吐き出してしまいたいという強烈な欲望にかられたが、少し辛抱することにした。

 診療所の待合室のドアを静かに閉めた。待合室には患者の姿はなく、薄い壁越しに診療室から三沢医師の大きな筒抜けに響いてきた。患者が三角巾をはずしっぱなしにしておいたことを叱りつけている声だった。診療室のドアをノックしようとして、ふと思い直して待合室のソファーに腰を下ろし、耳にすませた。
 スリの男の声は、低くて小さく聞き取りにくい。反対に三沢医師の声はすこしボリュームを下げてほしいほど勇ましくびんびんと鳴った。
 「なんだって?昼間さんの家賃がどうしたというんだ?」
 あまり物に動じないほうだと思うのだが、この時ばかりは号令をかけられたように腰が浮いて半分立ち上がった。
 スリの男が何かつぶやいた。三沢が吠えるように返答した。
 「三ヶ月分の三十六万円だが、あんたがそれに何の関係があるんだ!」
 昼間は立ち上がって壁にすりより、ぴたりと耳を押し付けた。
 少し長い沈黙のあと、言いにくそうにスリの男が口にした言葉が今度は聞き取れた。
 「持ってきました。ここに、届けるようにって、彼が・・・・・・」
 言葉は聞こえたが、意味を理解することができなかった。昼間という男がもう一人いて、その知らない分身が知らないうちにそんな結構な命令を下したのだろうか。
 チーとチャックの開くような細い音、パサパサと紙が鳴るような音。お金を出している様子だ。今、自分がヤモリのように壁に貼りついていることを中の二人が知ったらどうだろう?それより、今、この待合室に三沢の患者が入ってきたら、どうしよう?
 「しかしだね」
 と三沢は怪しむように言った。
 「なぜ、あんたが、だね?昼間さんはどこにいるんだね?」
 「ちょっと調子悪いみたい。俺はゆうべは泊めてもらったんだけど、ヒルマさんが外から帰ってくると、それ、さっきなんだけど、貧血っつうか、暑気あたりっつうか、動けなくなっちまってサ、それで、俺が肩をどうせ診てもらうから届けるってことにしたワケ」
 「よし。確認しよう。どうぜ受け取りも渡さんといけない。二階で寝てるのかね?」
 「寝てるよ。もし少ししてから行ってやってよ。よく眠ってるからさ」
 じゃね、とスリの男は軽く挨拶して立ち上がったようだった。
 昼間は壁から離れた。待合室のドアを開けて廊下に出て音をたてずに閉めた。それから三沢医院の玄関を出て、庭で足を止めて、少し迷った。家の二階でおとなしくのびていたら、降って湧いた幸運のシナリオ通りに三沢がやってきて受け取りを渡してくれるのかもしれない。しかし、それでは、シナリオライターの意図は一生わからないままで終わる。
 「こんにちは」
 と昼間は三沢医院の玄関から出てきたノッポの男に声をかけた。先方は幽霊でも見たように文字通りギョッとして、大きな目をいっぱいに見開いた。
 「また会えるとは思いませんでしたよ」
 姉が聞いたら気障だと罵りそうな台詞を口にして、昼間は人生にはずいぶん面白いことがあるものだなあと感心した。
 「よもや、あなた、貧血と暑気あたらいで寝ている病人を放り出して、出ていったりしませんよね?」
 「もしかして・・・・・・聞いてた?」
 スリの男は非常に低い声で尋ねた。
 「私の病状は、正確には暑気あたりじゃなくて二日酔いです」
 昼間は質問には答えずに訂正を入れた。
 廊下を歩む嵐のような足音がして、やがて三沢医師の大きな身体が玄関から飛び出してきた。
 「昼間さん!」
 三沢は昼間の鼻先に人差指をつきつけた。
 「あんたは、貧血っつうか、暑気たりっつうかで、二階でよく眠っているはず・・・・・・」
 「――なんですけどね、あそこは暑いんですよ。外よりもっとね」
 昼間は三沢の言葉をさえぎった。
 「領収書はあとで頂きに上がります。冷房のきいた店で冷たいものでも飲んで少し頭を冷やしてきますよ」
 「おい、待て。どうも気にいらんな。あれは変な金じゃないだろうな」
 三沢は険しく目を光らせて、昼間と辻を交互ににらみつけた。
 「変な金って何です」
 「警察に追いかけられるような類の金だ」
 「大丈夫です。姉から借りたものです。心配だったら、電話番号を教えますので確認して下さい。檜山法律事務所の経営者の一人で、弁護士です。檜山冬美と言います」
 昼間はてきぱきと話した。胸のむかつきが少しマシになっていた。
 「ほう。お姉さんが弁護士の事務所をやってるのか。本当かね。そういや、保証人の友人ってのも弁護士だったな。まあ、色々な人生があるもんだな」
 三沢は皮肉たっぷりにうなずいた。
 「そう、色んな人生がある・・・・・・、みんなが三沢さんみたいに言ってくれると、ありがたいですね。」
 昼間のほうは大真面目にうなずいた。そしてあとでうかがいますとまた繰り返して、今にも隙を見て逃げ出しそうな隣のノッポの男の無事なほうの腕を引っぱるようにして、門へ向かって歩き出した。
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 楼主| 发表于 2008-11-28 15:27:27 | 显示全部楼层
 路地を出て一ツ木通りに向かう道にある共同ビルの二階の喫茶店に、昼間たちは入った。モーニングやランチのサービスがあり、夜にはカラオケも歌えるという、会社員向きの店だ。午前十時という半端な時間帯のせいか、客は一人しかいなかった。ジーンズ姿で無精ひげをはやした男が、テーブルいっぱいに台本やメモのような紙を広げて書きこみをしている。テレビ局の人間だろうか。
 窓際の隅の席に向かい合って座り、昼間はレモンティーを注文し、連れは困った顔をしながら同じものを頼んだ。
 「朝食は済みましたか?」
 昼間は尋ねた。
 「ここのモーニングはおいしいですよ。サラダのレタスが新鮮で、ヨーグルトのブルーベリージャムがとてもおいしい」
 「じゃあ、そいつにするよ」
 と連れは言った。そして、長い足を狭い席の中で持て余すように位置をずらしながら、
 「なんだか、あんたって人は・・・・・・」
 少し呆れた口調で言い出した。
 「ピストルを頭に突きつけられてても、そろそろ雨が降りますよ、とか言いそうだな」
 「そんなハードボイルドじゃないです」
 昼間は苦笑した。
 「現実に直面するのが苦手、ということらしい。もうじき三十路に差しかかるのにね」
 「あの、医者のじいさんが言うのか?」
 「いいえ、姉です」
 「やっぱり育ちがいいんだな」
 ゆっくりうなずくと、少し恥ずかしそうに目の縁にしわを寄せて小さく笑った。
 「金なんて、余計なお世話だったな」
 「とんでもない。姉に借りたのは本当だけど、もう使ってしまって文無しなんですよ」
 昼間は白状した。
 「でも、なんで、そんな親切にしてくれるんです?あなたにとって、三十六万の金は端金ということはないでしょう?気安く他人にくれてやるほど小さな金額じゃないでしょう?」
 「ま、もともと俺の金じゃないし」
 向こうもあっさりと白状する。
 「医者のじいさんの言うとおりさ。警察が追っかけてくるような金だよ。まあ、あんたのところまで追っかけてはこなりけど」
 「その手で?」
 昼間は三角巾で吊っている右腕を見た。
 「どうやって?」
 「こっちも使える。少し性能は落ちるけど」
 スリの男は左手を目の前にすっとかざしてみせた。
 「ちょっと楽なやり方をした。そんなことはどうでもいいよ。あんたには世話になったからお礼をしたいと思ったけど、それが全部じゃないんだ。まあ、なんていうか、やりたくなっちまったのさ。我慢できなかった。そういうこと。金はいるならもらってほしいけど、恩に着せるつもりはぜんぜんないからさ」
 早口でたたみかけるようにしゃべり、トレーを持ったウェイトレスが近寄ってくるのを見て、ぎょっとしたように口をつぐんだ。
 昼間は紅茶にレモン・スライスを入れて、紅の液体の色が薄くなるのを見てから温まったレモンを受け皿に引き上げた。飲む気にはならなかった。相手は玉子サンドを早いペースでたいらげていた。かなり空腹の様子だった。
 「昔話みたいですね」
 と昼間はティー・スプーンでレモン・スライスを押しつぶしながら、ぽつんと言った。
 「貧乏な旅人を泊めてやると、それが神様で、あとから、びっくりするくらい、いいことがある・・・・・・。どんないいことだったかは覚えてないけれど。そんな話がたくさんありますよ。それから恩返しの話。鶴や狸や」
 「タヌキ?」
 「知りませんか?落語でね、狸が恩返しにサイコロに化けて、いい目を出して稼いでやるんです。もちろん、オチがあるけれど」
 「そんなんじゃないよ。そんなふうに思わないでよ。勝手にやったんだからさ」
 「スリって楽しいですか?」
 どこか爬虫類を思わせる彼の大きな目をのぞきこむようにして尋ねると、返事をしないでへらへらと笑っている。
 「わかりました」 
 昼間はうなずいた。
 「あの家を叩き出されたくないから、ご好意を受けます。でも返しますよ。ちゃんと返します。連絡先を教えてくれますか?」
 「いいってばさ」
 相手はじれたようにかぶりをふった。
 「ツルかタヌキだと思ってくれよ。そんなもんだよ。当面、住み家もわかんねえし」
 「困りましたね」
 本当に困った。困った、どうしようかと思い、酸っぱい紅茶をうっかり一口飲んでしまって、吐き出しそうになった。
 「じゃあ、どうですか?しばらく、ウチで暮らします?私のところで」
 口にしたあとで、なんで、そんあことを思いついたのか、昼間は自分でもよくわからなかった。相手もひどく驚いたようにギョロリと目をむいた。
 「まあ、新たな住まいが決まるまででも。暑いし、風呂はないし、大家は意地悪だし、快適とは言いがたいですけれどね。もし、あなたが家に帰りたくないなら」
 言ってしまってから、最後の一言は余計だったなと少し後悔した。
 スリの男はまじまじと昼間の顔を眺めた。気分を害したり怪しんだりというよりは、むしろ途方にくれたような表情になった。そんな顔つきをすると、彼は正直者に見えた。スリの常習犯が正直者であるという可能性、そのアンバランスな可能性について昼間が考えている間、彼はずっと、窓の外やテーブルの上や天井に視線をさまよわせて黙りこんでいた。沈黙はNOの返事に思えた。
 「ツルは嫁に来たんだっけ」
 しかし、やがて、彼は独り言のようにつぶやいたのだった。
 「俺も朝飯ぐらいは作れるかな。このモーニングより、ちょいマシなやつ」
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