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发表于 2007-12-27 15:53:56
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辻が気づいたのは、電車が田無を過ぎて五分ほど走った頃だった。
スリ眼——。
ハンドバッグやポケットに狙いをつけるスリ特有の目つき。獲物を突き刺すような鋭い視線。ねばっこく動かない視線。
スリ眼というのは、刑事の使う言葉である。警視庁捜査三課の刑事たちは、電車や繁華街などの人込みをうろつき、目つきの悪い奴をチェックし、ひそかにしつこくあとをつけ、そいつが予測通りに盗みをしでかせば召し捕ってワッパをかける。
しかし、スリに言わせてもらえば、目つきの悪いのはお互い様だ。スリ眼を捜す刑事の目も、鋭く怪しくじんわりと底光りする。不快な目つきと気配を感じれば当然スリは手を止めて人込みに隠れる。いわば視線のかくれんぼである。早く見つけたほうが勝ち。うまく隠れたほうが勝ち。
はじめ、辻は「見られている」ことを感じたのだ。ハッとして本能的に刑事を求めて素早く視線を飛ばしたが、相手の目を捕らえることはできなかった。遅れた。逃げした。これが一年二カ月のブランクというものだろうか。悔しさをかみしめながら、用心深くあたりをうかがって、知った顔の刑事、もしくは刑事の匂いのする人間を捜してみる。
この車両には子供と女性と老人が多い。小学生男子のグループ、高校生くらいのカップル二組、漫画雑誌に没頭している学生風数名、居眠りをしたり、あるいは声高にしゃべりたてているたくさんの中年婦人たち。男はほとんどがシルバー世代だ。斜め前の七人掛けのシートの左端で吊り革につかまって立っている二人連れだけが若いが、スーツ姿で商談に没頭していて、どう見ても普通のビジネスマンである。
隣の車両に続くドアは閉じている。ガラス部分から見えるのは、熱心に手帳に書込みをしている三十代のキャリアウーマン風、幼児連れの主婦のグループ、老夫婦。
とりあえず視界に怪しい人間が映らないので、困ったなと思った。気のせいだったのかな。自分の眼力が衰えて刑事が見分けられないのなら世も末だし、刑事など居もしないのに居るような気がするなら立派な刑務所ボケだ。
いや、確かに誰かが見ていた——辻は自らの疑問をきっぱりと否定した。刑事じゃないとすると、あの不快な視線は同業者のものか。スリ眼か。
辻は目を閉じてみた。視線を誘うように、罠を仕掛けるように、そして、心を静めて自分の感覚を研ぎ済ませるように。
気配というのは不思議なものだと思う。五感のうちの視覚を消しても、聴覚、嗅覚の補助がなくても、人が人に向ける意思のようなものを漠然と感じとることがある。
見ている。誰かがこちらを見ている。彼が車内を見まわしたことで、警戒心を抱いた人間。彼が目を閉じたことによって、吸い寄せられるように、再び探りを入れてくる視線。間合いをはかるようにして、ぽっかりとまぶたを開くと、一つ、視線を捕らえた。
意外な視線だった。
向かいの三人掛けシートの端に座っている少女。膝に黒い小型のトートバッグをのせ、その上で参考書のような本を開いている。高校生?いや、受験生とすると中学生か。そんなことはどうでもいい。冴えない少女だ。つやのないぼさぼさした髪を長く伸ばしている。前髪も長すぎる。髪に養分をすべて吸い取られたのか、ぼーだーのTシャツとデニムのスカートからニュウと伸びた手足は棒のように細長い。顔も細く、不健康な肌の色、目だけが奇妙に大きかった。瞬きをしない目。鋭いというより、つかみどころのないぼにゃりした目だ。
少女の前には、吊革につかまって立っている高校生くらいの若いカップルがいて、ふざけて互いにつついたり押したりして始終身体の位置を変えていて、その隙間から、ぼんやりとしているくせに奇妙に執拗な視線が彼に向かって流れていた。
視線が合うと、一瞬、怯えたようにチカリと瞳が光り、たちまちうつむいた。長い前髪が目にかかる。その年頃の少女らしい、はにかみのように受け取れた。
スリ眼とは、ほど遠い......。
辻のほうも、なんだか、はにかんでしまって、居心地が悪くなって、座席でもぞもぞとした。もう一度、少女を見てみたかったが、のぞきでもするような気分になる。どうでもいいや、と唇をすぼめた。刑事も同業者もいないみたいだから、どうでもいいや。あのお嬢ちゃんが何で自分を見ていたかなんて、あんまり考えると恥ずかしくなるじゃないか。
アナウンスが高田馬場への到着を告げた。
『さあ、マッキー、降りるよ!』
お母ちゃんが景気良く号令をかける。気が早いのでさっさと立ち上がってドアの前へ突進すると、もっと気の早いのがいて邪魔するように最前列を確保しにかかる。向かいに立っていた高校生カップルだ。お母ちゃんは椅子取りゲームに敗れた子供のようにむっとした顔つきになった。
辻は遅れてのっそりと立ち上がると長い背中を伸ばして、お母ちゃんの横に並んだ。後ろから、例の冴えない少女が近寄ってきたことを鋭く意識した。電車で仕事をするスリがカモを狙うのは乗降の時が最も多い。
まさかねえ——そう思うのだが、どうしても背後が気になる。
万引きのような感覚でスリを働く素人が増えている。後ろの少女はそれにしても幼い。飢えた子供が盗みを働くという社会ではない。自分はあのくらいの年齢で一人前に仕事をしていたが、まさか似たような境遇ではあるまい。父親か育ての親が腕っこきのスリで主犯として控えているなら話もわかるが、そんな奴は見当らない。
少女は自分の真後ろにいた。自分を狙っているなら、ジーンズの尻ポケットか左肩からさげたナイロンのバッグだが、尻ポケットに金を入れて歩くスリがこの世にいるわけもなくてポケットはぺったんこだし、ジョルダー・バッグは左手でないと届かないだろう。もちろん、彼女は左利きかもしれない。だが、そもそも、俺が金を持っているように見えるか?若くて貧乏臭い男というのは一番スリが嫌う人種だがと辻は考え、そこではたと気がついた。もっと早く気づくべきだった。
少女の右手が伸びる絶好の位置。お母ちゃんの肘からぶらさがっている派手な花柄のビニール製のトートバッグ。ジッパーも留金もないオープンな鞄。無防備なお母ちゃん。にぎやかで太めで目立つお母ちゃん。珍しくきれいなワンピースなんかで着飾ったお母ちゃん。見るからに自営業のおかみさんで、なまじのお金持ちの奥様より小金を現金で持っていそうなお母ちゃん。
プジューッと音をたてて扉が開いた。
様々な動作が辻の身辺で同時に進行する。それらは極めて微妙ではあるが不自然な動作で、動くべきところを動かなかったり動くべき方向に動かなかったりする数個のボディー、そして、問題の場所に伸びていく一つの手。そういうスリのチーム・プレーは知り尽くしている辻だが油断があった。可能性としては少女の単独犯行しか考えていなかった。
ドアの前に先まわりするように立っていた高校生カップルが、互いにじゃれあうのに夢中な様子でホームに降りるのが遅れる。ほんのわずかな遅れなのだが、それでも後に続くお母ちゃんが一瞬立ちすくむ形になる。お母ちゃんのトートバッグに意識をすべて集中している辻の足も一緒に止まる。そこを左後ろからぐいと押された。ふいをつかれて辻はよろめき、体勢が崩れて視線がはずれた。
ほんの一瞬。わすか三、四秒、視線を切っただけ。しかし、あわてて、振り向いた時少女の手は何も握っていなかった。
辻のあからさまな視線が、少女の手から腕にさげたバッグ、そして顔へと往復した。お母ちゃんの財布を盗って自分のバッグへうまくすべりこませただろうか。あのわすかな時間にそれだけのことができただろうか。
少女の顔の表情は落ち着いていた。でも、その目が彼を見ようとしないのは不自然だった。彼の露骨な執拗な凝視に対して、驚く、困る、嫌がる、恐がる、そういう感情をまるで見せずに無視してのけるのは、やはり普通ではない。
盗人。スリ。
それでは、盗みは成功か不成功か?
お母ちゃんの財布は、どちらのバッグに収まっているのか。
『いやだよ、マッキー、よたよたしちまってさ』
何も気づいていないお母ちゃんは、笑いながら辻の腕をとってホームへ引っ張りおろそうとしている。その脇を少女が心持ち足を速めて通り過ぎようとする。
辻は反射的に少女の黒い小型のトートバッグに手を伸ばした。黙ってひったくるのは抵抗があり、一声かけようとして一瞬迷った。そして、まさにその隙に、本物のひったくりが現れた。辻を左側から追い越して降りようとした少女のさらに左手を追い越して降りていく少年。黒いトートバッグを無言でさらっていく。
『待てよ!おい!』
辻は叫んだ。空しい叫びになった。
単純な連係プレーだ。
典型的なグループ・スリだ。
変わっているのは、メンバーがそろってガキだというところだ。
幕が三人、鈎は一人。
鈎は真打ちとも呼び、財布をスリとる引き抜役のことだ。幕はそれを助ける役。周囲の視線から犯行現場を隠し、引き抜き役がカモから財布を奪いやすい位置へ導く。犯行後は、状況に応じて、財布を引き抜き役からリレーする。
もちろん、鈎は、あのぼんやりした目つきの食えない女の子だ。幕は、お母ちゃんの前に立ちふさがるようにした高校生らしきカップルの二人。そして女の子のバッグをリレーして逃げた少年。この少年がおそらく犯行時に辻を突き飛ばして目くらましをしたのだろう。
冗談じゃない、と辻は歯を食いしばった。こんなガキどもにしてやられてたまるか。よりによって出てきたばかりの日に。
絶対にとっつかまえてやる!
『マッキー!こら、走ったら危ないよ!』
三歳児を叱るようなお母ちゃんの台詞を背に受けながら、辻は高田馬場の五番ホームを夢中で走った。
頭にひらめいた予感。
プラットホームを逃げる時の常套手段。
乗ってきた電車の扉が閉まる直前に、少年はいきなり中に飛び込むように姿を消した。間一髪、辻もすべりこんだ。予測していなければ到底無理な動作だった。 |
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