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魔法のラーメン82億食の奇跡~カップめん・どん底からの逆転劇~2

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发表于 2008-1-15 22:51:15 | 显示全部楼层 |阅读模式
トシ子は夫が心配になった。元の職場に様子を見に行った。開発室に足を踏み入れた。夫は汗を流し、ひたすらラーメンを食べていた。声がかけられなかった。トシ子は夫が少しでも食べられるよう食事を小皿に分けた。
大野は必死で具の乾燥方法を調べていた。大学でのある研究を思い出した。フリーズドライ(凍結乾燥法)。抗生物質を作るに使われていた技術だった。物を凍らせ、真空状態にして乾かすと水ですぐ戻る。これで具を作ったらどうか。苦心してビーカーと真空装置で手製の乾燥機を作った。一回の乾燥にかかる時間は20時間。まず野菜から調べた。にんじん、乾燥すると色が白くなり、見た目が悪い。ほうれんそう、ばらばらになり、崩れた。ピーマン、今度は色も形もうまく行った。大野は喜んだ。自信満々でメンバーに見せた。しかし、一人が言った。「ピーマンは好き嫌いが多い。」話し合いの末、没になった。その時、安藤が言った。「日本人がとても喜ぶ具がある。えびだ。えびはめでたい。」大野は驚いた。えびは海産物、あの色や風味を保てるのか。身近な海老で実験を始めた。北陸の甘エビ、乾燥するとぼろぼろになった。東南アジア産の海老、黒ずんで食欲をそそらない。絶対ものにしてやる。大野は海老探しに奔走(ほんそう)した。
その頃、面の松本は行き詰まっていた(束手无策)。ある日、仕事場に社長の安藤が現れた。安藤は言った。「私も昔は無一文(むいちもん)だった。女房と二人でラーメン作りに打ち込んだ。この手でいろんな料理を覚えた。揚げ物には原理がある。うまいてんぷらは最初油の中に沈み、やがて浮き上がると食べ頃になる。ヒントにならないか。」松本ははっと気づいた。金型にぎっしり詰めていた面の量を1割減らし、隙間を作った。油に入れた。隙間が開いた面はいったん沈み、やがて浮んだ。その動きで熱が均等に面に伝わった。見事に中まで揚がっていた。
開発が始まって8ヶ月、卵、肉、ねぎ、大野は海老以外の具を作り上げていた。試作品を作り、お湯をかけると見事3分で戻った。早速、試作品を手に売り込みに向かった。問屋を訪ねた。「扱ってもらえませんか。」中を見るなり、問屋は言った。「これはほんまに食べもんかいな。」日本を代表する商社にも持ち込んだ。担当者が言った。「日本のどの家にもどんぶりがある。逆立ちしても売れない。」メンバーの佐々木雅紘、ショックを受けた。「俺たちは売れないものを開発していたのか。」若者たちに動揺が広がった。
昭和46年5月、会社では百人の社員が試作品を食べた。市場に受け入れられるか。アンケートをとった。誰も好んで買う人はいない。百人が百人反対だった。しかし、安藤は海老さえあれば、売れるんだ。大野は研究所で海老の実験に明け暮れていた。世界の海老は2500種類、しかし、フリーズドライで理想の色と食感が出る海老は見つからなかった。ある日、大野は海老を使った変わった料理があると聞いた。向かったのは大阪市内のホテルのレストラン。出てきたのはシュリンプカプテル、アメリカで人気のオードブルだった。見たことのない剥き海老、インド洋で獲れるプーバランという海老だった。早速取り寄せ、乾燥機にかけた。大野は機械の前で、20時間待ち続けた。乾燥機から出てきた海老は鮮やかな朱色を放っていた。求めていた海老だった。プロジェクトは1日1万食の生産体制に入ろうとした。しかし、問題が起こった。今までのラインでは火力が600万キロカロリーも足りない。その時、一人の男がプロパンガスを持ち込んだ。柴崎俊明、31歳。ライン一筋の男だった。なんと重大のプロパンガス(液化气)をバーナー(燃烧嘴)に繋いだ。前代未聞の一発点火。なべはたちまち、滾(たぎ)った。見事に揚がった面がラインを流れ出した。
昭和46年9月、ついに世界初のカップ面が完成した。会社の命運がこのラーメンにかかっていた。問屋も受け入れてくれない中、一人の男に販売ルート(销售途径)の開拓が託された。会社きっての営業マン、秋山晃久さん、当時29歳。飛込みしかないと腹を括った。秋山はカップ面を抱え、お湯を入れた水筒をぶらさげ、町に出た。競馬場を訪ねた。しかし、興奮した客が熱湯(ねっとう)で火傷(やけど)する。門前払いを食った。次にプロ野球の球場を回った。セリーグは断られた。唯一、許可をくれたのはロッテの本拠地、東京球場だった。疎らな客席をネット裏から外野席まで売り歩いた。ふと気が付くと、ラーメンは延びていた。夜になって、途方に暮れた。見上げるとビルが明かりに点(とも)っていた。そうだ。都会には夜働く人たちがいる。消防署に駆け込んだ。24時間体制で働く男たちがいた。秋山はカップ面を作った。一口食べた消防士、「うまい」と言った。カップ面は夜勤や緊急出動に向かう消防士たちに受け入れられた。工事現場の作業員、夜勤の看護婦、長距離トラックの運転手、不夜城東京。秋山は夜働く人たちにカップ面を売り込んでいた。
プロジェクトは手ごたえを感じた。安藤は言った。「勝負に出る」決戦の舞台は花の銀座。この年、マクドナルドも銀座に進出していた。秋山を先頭に1日で2万食を売り切るという。空前の街頭販売作戦が始まった。11月21日、日曜日、銀座歩行者天国、人並みが溢れていた。秋山が声を張り上げた。「画期的な食べ物ができました。」人々は何事かと足をとめた。大阪の工場ではメンバーたちが知らせを待っていた。松本は仕事が手に付かなかった。大野、静かにタバコを吹かした。午後3時を回った(过了3点)。道端で面をすする者が現れた。歩きながら食べる若者もいた。やがて、人々が行列を作った。2万食が僅か4時間で売り切れた。会社は沸き立った。松本邦夫、同僚の歓声に試食のつらさが吹き飛んだ。一匹狼の大野一夫、仲間たちに言った。「祝杯を挙げに行こう。」名物社長と若者たちの執念の開発、どん底からの一発逆転を成し遂げた。
カップ面の誕生から30年、今国内44社、年間5000億円の一大産業となった。具の開発を担当した大野一夫さん、2年後に会社を辞めた。カップ面で取り組んだフリーズドライの仕事にかけた。日本で始めて、離乳食をフリーズドライで作った。おかゆやスープ、30種類が子育てに役立っている。今年、中国の依頼を受け、フリーズドライの工場を立ち上げた。月の半分は中国で、自分の技術を教えている。フリーズドライの第一人者となった。1991年、ソビエト連邦が崩壊した。経済が混乱し、食糧が行き渡らなくなった。日本政府が援助物資として選んだのは136万食のカップ面だった。ロシアの冬の寒さから人々を救った。インドネシア、チモール紛争では250万食、台湾大地震では5万食。国外内問わず、災害時の貴重な食糧となった。松本邦夫さん自分たちが手掛けた物の重みを知った。ラーメン一筋35年、試食明け暮れ日々を過ごした。去年定年退職、食卓には30年変わらず、小皿料理がならんでいる。今は妻トシ子さんの手料理に舌鼓を打つ。世界で年間82億食、どん底から生まれた魔法のラーメンが地球の食を支えている。  
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发表于 2008-1-16 00:58:11 | 显示全部楼层
头晕!!!!!!!!!!!!!!
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发表于 2008-3-10 14:57:36 | 显示全部楼层
好多字!!混乱~~
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