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楼主: demiyuan

[好书连载] [山田風太郎] 忍法帖系列~魔界転生 上

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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:48:46 | 显示全部楼层
【四】

 ……もう二十何年か前になるであろうか。
 名古屋城の|濠《ほり》|端《ばた》を両方から歩いて来たふたりの武士が、三間ばかりの間隔をおいて、ピタリと釘づけになった。ひとりは尾張藩士らしい姿であったが、もうひとりは|垢《あか》じみた|牢《ろう》|人《にん》|風《ふう》の男であった。
 ただふたりだけ、そこですれちがおうとしたのではない。ほかにも行人がいたし、その行人のだれもが、このふたりが立ちどまったことさえ、特に眼をとめた者はなかった。ましてや、両人のあいだに異様な空気がピーンと張りつめたことなど知るよしもない。
 ややあって、牢人者が声をかけた。
「ひさびさに、生きた達人に逢うたものかな。もしやすると、あなたは柳生兵庫どのではありませぬか」
 すると、武士もうなずいて、
「はじめてお目にかかるが、あなたは宮本武蔵どのではおわさぬか」
 そして、ふたりはニヤリと笑った。
 柳生兵庫は、如雲斎の本名である。――これが、この当代の二大剣人の最初の出会であった。
 兵庫は武蔵を屋敷につれて来て、一夜兵法話を愉しんだ。
 翌日、武蔵は、尾張藩の家老大導寺|玄《げん》|蕃《ば》の屋敷に移った。彼は大導寺を訪ねて名古屋へやって来たものであった。
 大導寺玄蕃は、武蔵を、藩主徳川義直に兵法指南役として周旋する希望を持っていた。尾張藩にはすでに柳生兵庫という師範があるが、江戸の将軍家にも柳生但馬守と小野次郎右衛門という二人の師範があるように、尾張のごとき大藩では、充分武蔵を受け入れる余地があったからである。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:49:16 | 显示全部楼层
しかし、この交渉は成功しなかった。
 尾張藩では、武蔵を非常に愛惜したものの、旧来の柳生兵庫が五百石であるから、新任の武蔵をそれ以上の|禄《ろく》を以て召しかかえることはできないという方針を崩さなかったからだ。この内意をきいて、武蔵はしばらく沈思していたが、
「御縁なきものと諦めるよりほかはござるまい」
 と、|昂《こう》|然《ぜん》と頭をあげていった。そして彼は孤影|飄然《ひょうぜん》と名古屋を去った。――いったい武蔵は、どれくらいの禄をみずからにふさわしいと思っていたのか、というと、どうやら少なくとも三千石は見ていたらしいという。
 そういう話を、柳生兵庫はあとできいた。きいて武蔵を|傲《ごう》|岸《がん》とも、それをついに受け入れなかった藩の処置を痛快とも思わなかった。
「……江戸の柳生ですら一万石じゃからの」
 と、兵庫は|憮《ぶ》|然《ぜん》としていった。
 彼は、武蔵の自負を当然と理解した。そして、それをつらぬき通した武蔵に|羨《せん》|望《ぼう》をおぼえた。兵庫は、武蔵とじぶんと性格的に相通ずるものがあるのを感じていた。おのれをたのむことふかく、容易に妥協することがない。……ただ、それでも五百石に甘んじているじぶんよりも、はるかにそれは強烈である。
 爾来、柳生兵庫――如雲斎は武蔵に|逢《あ》ったことがない。
 武蔵はあれ以来二十数年、なお一剣を抱いて漂泊の旅をつづけていたらしい。如雲斎は武蔵という孤高の人間に、いよいよ敬意といたましさをおぼえた。
 そして、この春、ふと、武蔵が熊本で病んでいるという話をきいたのである。それが再起できぬほどのものであるかどうかは知らず、年も年だ、出来るならもういちど逢うておきたいという望みにつきうごかされた。
 さいわい彼は、あとを一子茂左衛門にゆずり、べつに三百石の隠居料をもらって下屋敷――というより隠居所に閑居している身分である。如雲斎は主君のゆるしを得て、明日にも九州へ旅立とうとしていた。
 そこに突如として訪れた怪異である。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:49:32 | 显示全部楼层
一ト月、彼は待った。
 田宮坊太郎のなきがらはひそかに処置した。
 正雪はこのあいだ、東と西へ、一、二度飛脚を出したようであった。東は江戸で彼が経営しているという軍学道場へであろうが、西へはどこへ飛脚を出したものであろう、そう疑問に思ったが、べつに如雲斎は何もきかなかった。
 お類という娘は――変わったともいえるし、変わらなかったともいえる。
 彼女は妊娠したようにも見えなかった。たとえ妊娠したとしても一ト月くらいで目立つ変化があるわけではないが、それにしても彼女の姿態は変わらなさすぎた。ただ皮膚が青味をおびて、半透明の気味をおびて来たくらいである。にもかかわらず、たしかに何かが変わって来た。それが、眼――ときに名状しがたい凄壮のひかりをはなつ眼にあることを如雲斎は気がついた。
 それに――言語動作が、あくまで尋常であるにかかわらず、どこかふしぎに、夢の中に漂っているか、何かに|憑《つ》かれているようなところがあった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:50:08 | 显示全部楼层
【五】

 一ト月たった。四月の末になった。
 ふたたび如雲斎の旅支度を手伝うために、嫁のお加津が本邸からやって来た。
 それを知って、正雪がいった。
「あまりお待たせするもいかがと存ずる。では例のもの、|御《ぎょ》|見《けん》に入れよう」
 そして彼は、お類が一子を|分《ぶん》|娩《べん》するための一室を拝借したいといった。
「……お加津さまにも御覧ねがいたい。いや、お手伝い下されとは申さぬ」
 その一室に、柳生如雲斎とお加津は待った。
 やがて由比正雪は、お類の手をひいて入って来た。お加津があっとさけんだのは、そのお類が一糸まとわぬ姿となっていたからである。……しかし、腹部にはなんの異常もなかった。ただ彼女の顔は、恐怖ともみえる緊張のために能面のようになり、皮膚はいよいよ青味がかっていた。
「では。――」
 というと、由比正雪は一刀をぬきはらい、そこに立っていたお類の頭上から真一文字に|斬《き》り下げた。
「この世に出でよ、田宮坊太郎!」
「――おおっ」
 と、如雲斎はさけんだ。
 正雪は女を|唐《から》|竹《たけ》|割《わ》りに斬ったのではない。――ただ、そのひたいから鼻ばしら、胸から腹へかけて、うすくすじを入れただけだ。
 いかに兵学者と称しているとはいえ、この男にこれだけの神技があろうとは思われぬ。如雲斎の眼には、はじめから対象の内部にすじが入っていて、ただ正雪の刃風を受けただけで、それがみずからはじけたように見えた。
 一瞬、お類の顔からからだにかけて、赤い線が走った。そこから、顔にもからだにも八方に亀裂が散り、網の目を作ったかと思うと、その皮膚をおし破って、内部からべつの人間がニューと出現して来たのである。
 声にならぬ悲鳴をあげて、お加津は如雲斎にしがみついた。
 刀をつかんだ如雲斎をふりむいて――由比正雪は、片眼をつむって、にっと笑った。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:50:49 | 显示全部楼层
お類は八方に破れた風袋みたいなえたいのしれぬものと化して、たたみの上にぬぎすてられた。中からあらわれたのは、二十歳すぎの美青年――スラリとしていながら、|鞭《むち》のように筋肉のしまった田宮坊太郎その人であった。
 むろん、彼はまっぱだかだ。
 はじめ、天地|晦《かい》|冥《めい》の中にあるように|茫《ぼう》|乎《こ》としてつっ立っていたが、ふいにその|双《そう》|眸《ぼう》がかっと見ひらかれて、じいっと一点にそそがれ、妖しいひかりをはなち出した。――お加津の方へ。
 フラフラと彼は歩き出した。
「田宮」
 と、正雪がさけんだ。
「ちがう、早すぎる。それは柳生さまの御妻女であるぞ」
 田宮坊太郎はふいにがばと座り、両手をつかえた。それが如雲斎にはまるで主人のまえに前肢をそろえた犬みたいに見えた。
「……どうしたのじゃ、正雪。……」
 と、如雲斎はかすれた声でいった。
「もはやお信じ下さりましょうが。……新しい田宮が生まれたのでござります。坊太郎が再生したのでござりまする」
 そういいながら正雪は、いつのまにか用意していた衣服を坊太郎に投げあたえた。坊太郎はそれを身にまといはじめた。夢の中にいるか、何かに|憑《つ》かれたような動作だが、一方で妖炎のチロチロと燃えているような眼をお加津の方へ投げる。――
「こ、こりゃまことに|曾《かつ》ての田宮であるか」
 なおお加津をひきつけたまま、如雲斎はきいた。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:51:20 | 显示全部楼层
「同一人にして、また別人」
 と、正雪は答えた。
「とは?」
「魔人の田宮坊太郎」
「魔人。――」
「剣技は以前の田宮と同一ながら、魂は魔物でござる。……こやつを飼い馴らすは拙者か、あるいはもうひとりのあるお方だけでござろう。正直なところ、拙者にもちと心もとないほどで」
「田宮は」
 と、若い|狼《おおかみ》と相対した老虎のごとき眼でにらみすえながら、如雲斎はいった。
「生まれ変わったら、剣を捨てると申したが」
「それは、剣の天才よ、剣の孝子よともてはやされ、ガンジガラメとなり、ついに剣によって青春を失ったと悔いておる若者の嘆きの声にしかすぎませぬ。いま、新たに再生すれば話はまた別。むしろ、剣によって欲望をほしいままにすることができると知ったなら。――これ、まだ早いと申すに、焦るな」
 と、正雪はまた坊太郎を叱った。これは獣の調教師のようなおもむきがある。
 お加津に、ぶきみにひかる眼を吸いつけて、舌なめずりする坊太郎に不安を抱きつつ、大刀をひっつかんだまま、如雲斎はなおきく。
「正雪。……これは男なら、誰にも成ることか?」
「いや、それは成りませぬ」
「誰にも成らぬと?」
「左様、まずだいいちに、かかる再生をなすことのできるだけの比類なき体力の所有者でなければなりませぬ。次に、是が非でも再生したいという強烈無比の意志を持たねばなりませぬ」
「もういちど生まれ変わりたいという欲なら、この世に生を受けた者なら、誰でも持っておろうが」
「それが、かいなでの欲では|叶《かな》わぬのでござる。人間、ふだんは不足不満をのべたて、|愚《ぐ》|痴《ち》|溜《ため》|息《いき》を吐きちらしておるようでござるが、これで存外死するにあたって、ほぼ大過なき人生であったと|諦《てい》|観《かん》したり、或いは、この業苦にみちた命の終わるのをかえってよろこびとしたり、いやいや大半の人間は、ただただ気力も体力も喪失し、うつろな眼を見ひらいて死んでゆくばかりです。ましてや、いま申したような気力体力絶倫の人は、当然満足すべき生を送ってきたものでござれば――」
「満足すべき生――」
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:51:39 | 显示全部楼层
如雲斎の眉に、苦笑がにじんだ。それをじっと凝視して、
「されば、この再生を行ない得るものは、死期迫ってなお超絶の気力体力を持ちながら、おのれの人生に歯がみするほどの悔いと不満を抱いておる人物、もうひとつ別の人生を送りたかったと熱願しておる人物でなければならぬのでござる。……それほどの人は、存外この世に少ないものでござる」
「死期迫って――」
 如雲斎は、ひとりごとのようにつぶやいた。
「わしはまだ死なぬぞ」
「そのように相見えまする」
 正雪がけろりとしていうのを、如雲斎はわれにかえったようにながめかえして、
「なるほど、死期迫ってなお女と交合するほどの奴は、ただ者ではないかもしれぬ。――で、もしそれほどの人間ならば、相手の女は誰でもよいと申すのか」
「いや、その人間が、深く恋慕しておる女にかぎります」
「ふむ」
「さらに、その女に、あらかじめ術をかけておかねばなりませぬ」
「術」
「されば、はじめこそ子宮に宿し、やがてその子宮を溶かして腹腔に育て、ついにはその体内すべてを子宮と化して、卵を割る鳥のごとくに人を生む女体」
 如雲斎は、たたみの上を見た。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:52:00 | 显示全部楼层
さっき皮袋のごとくぬぎすてられたそれは、いつしか肉色の泥のようなものになり、さらに液体化しつつあった。いまの季節でもおそらく十数日はかかるであろう|屍《し》|体《たい》現象が、数分のあいだに起こりつつあるのだ。
 ただ、当然これにともなうべき腐臭はない。いや、それも腐臭かもしれないが、人間ではなく地に散りたまった花の腐るような甘ずっぱい|匂《にお》いが、あたりいちめんに濃くただよっていた。――しかし、それも如雲斎は感覚しない。
「あの娘。……おのれがかくなることを知っておったのか」
「覚悟しておりました。|惚《ほ》れた男のためには、じぶんはどうなろうといとわぬ女心。哀れと申そうか、あっぱれと申そうか」
「田宮は、生まれ変わったら、好きな女とおだやかな暮らしをしたいと申していたが、生まれ変わったら、その女はこの世におらぬではないか。いや、その女が死ぬことによって生まれ変わるのではないか。両人、それも承知か」
「そういう理窟になりますな」
 正雪はうす笑いした。
「そこが、それ、魔道に|憑《つ》かれ、忍法にとらえられた両人、死をかけて交合する虫のごとく、また死するを承知で産卵のため川をさかのぼる魚のごとく」
「忍法と申したな」
 と、如雲斎はきっと正雪を見すえて、
「由比、その方は、かかる幻怪の忍法をいずれより習った」
「拙者、習いませぬ。拙者には及ばぬことです」
「何?」
「すべて拙者の師のなされたわざでござる」
「そなたにも……まだ師匠があるのか。そ、それは、何という――」
「ここで申しあげてようござりまするが、奇縁、奇縁、先生は熊本に参られるとか、熊本にゆかれて、そこでじかにお|逢《あ》いなされた方がよろしかろう」
「……その人物は、熊本に住む人か」
「いや、そうではござりませぬ。――四国にいって、いまのお類と申す娘に忍法をかけたのち、その足で熊本へ参られたのでござる」
「何のために」
「死期迫った宮本武蔵どのを、この田宮のごとく再生いたさせるために」
「な、な、なんと申す。……武蔵どのを?」
 如雲斎は、彼自身が|瀕《ひん》|死《し》の人のごとき|喘《ぜん》|鳴《めい》をもらした。正雪の顔から、うす笑いが消えた。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:52:30 | 显示全部楼层
「いま、先生の熊本ゆきを奇縁と申しました。またそのことを、拙者飛脚を以て師へお知らせしました。……が、師には、或いははじめから、柳生如雲斎さまが宮本武蔵どのの死に立ち会われることをお見通しであったかもしれませぬ。――」
「武蔵どのは……死なれるというのか」
「わが師がゆかれた以上、そうでござりましょう。あたかも、死の匂いをかぎつける大空の|烏《からす》のごとく」
 正雪は笑いを消したのみならず、むしろ厳粛の気をおびた眼で、
「さて、如雲斎さま」
 と、いった。
「田宮再生のこと、お加津さま、誰にも申してはおられますまいなあ」
「……いってはおらぬはずだ」
「茂左衛門さまにも?」
 如雲斎はじろと嫁のお加津を見た。なかば喪神した、紙のような顔色で、お加津はわずかにうなずいた。――彼女はそのことを、正雪のみならず、|舅《しゅうと》の如雲斎からも命じられていたのである。
 正雪は、そうお加津に念をおしただけで、平伏した。
「では、拙者ども、これにておいとま仕りまする。……ごらんのごとくこの田宮、やがて次第に心のかたちをととのえて参りますれど、いまのところまだ女人に対して獣同然にござりますれば、一刻も早う御当家を立ち去るにしかず――」
 正雪は坊太郎をひっ立てるようにして身を起こした。
「御宿拝借、かたじけのうござった」
「待て、正雪」
 と、如雲斎は呼びとめた。――むしろ、|沈《ちん》|鬱《うつ》な眼をあげて、
「おまえは、わしがこのことを余人の誰にもあかさぬと信じ切っておるように見える。いや、いつぞや、この田宮と女のちぎる場所を借りたは、たんに田宮とわしが旧知の縁であるというばかりでなく、このわしに見せたいからだと申したな。……これほどの怪異、わしに見せて、わしがおまえらをこのまま見のがすものと思うておるか?」
 いま見のがすどころか、そもそも一ト月まえから、この柳生如雲斎が|唯《い》|々《い》[#電子文庫化時コメント 底本ルビ「いゝ」]としてこの奇怪な三人に宿を貸し、黙々としてその行状を見るだけで過ごすのみかお加津に口外することを禁じたのは、ふしぎなことだ。彼のはげしい性格からしても尾張藩士たる立ち場からしても、あり得ないことであり、あってはならないことである。事実、彼自身、じぶんの態度をふしぎに思っている。たんなる好奇心ばかりでなく、何やら夢魔のようなものが、如雲斎の魂をつかんでいるようであった。
 正雪はあたりまえみたいな顔をして、うなずいた。
「左様に信じ申しあげておりまする」
「なぜ?」
「あなたさまもまた、ふたたび生まれ変わりたいと念じておられるお方でござれば」
「なに?」
「あなたさまも、おのれの人生に歯がみするほどの御不満を抱き、もうひとつ別の人生を送りたかったと熱願しておられるお方でござれば」
 柳生如雲斎は、はっと瞳をぬかれたような顔をした。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 11:53:37 | 显示全部楼层
【六】

 ……そもそも柳生如雲斎こそ、柳生家の正系なのであった。
 というのは、彼の父柳生新次郎|厳《よし》|勝《かつ》が、太祖石舟斎の嫡男だったからだ。しかし、この新次郎は、祖領柳生の庄を戦国の嵐から守りぬくためのいくたびかのいくさのあいだに傷つき、若くして不具となった。
 二男久斎、三男徳斎は出家し、四男五郎右衛門もまた討死し、石舟斎は五男又右衛門|宗《むね》|矩《のり》を徳川家康に仕えさせた。文禄三年、まだ秀吉の全盛時代であり、ときに又右衛門は二十四歳であった。
 嫡孫、柳生兵庫はまだ十七歳で、石舟斎はこれを掌中の珠として手もとにとどめおいた。
 剣聖石舟斎は、この孫こそおのれの刀法を伝えるに足る|天《てん》|稟《りん》をそなえたものとし、その性剛強無比、容易に人の下風に立たぬものと見て、二十六歳のときまで|膝《しっ》|下《か》で薫陶したが、このとし、慶長八年、加藤清正の懇望により、ついに加藤家に仕えさせた。二十六歳の若さを以て、三千石の高禄である。同年、彼とは七歳の年長たる叔父又右衛門は徳川家にあって、まだ二千石にしかすぎなかった。
 このとき、石舟斎は清正にむかって、とくに、
「兵庫儀は、ことのほかなる一徹者でござれば、たとえいかようのことを仕出かし候とも、三度までは死罪を御免なされ候え」
 と、願ったという。以て彼のただならぬ性格のはげしさを知るべきである。
 慶長十一年、太祖石舟斎は七十八歳を以て柳生の庄に歿した。
 それからまもなく、柳生兵庫は加藤家を辞して浪人した。祖父が案じたような衝突を主家とのあいだに起こしたというのではないが、やはり奉公を窮屈に思ったからであろう。彼は一剣をたずさえて、諸国を放浪した。
 彼が尾張大納言義直に奉公したのは、それから十余年後の元和の時代に入ってからのことである。すでに四十歳ちかくになっていた。
 このときの彼の受けた扶持は五百石であった。この事実が、時の移り変わりと、そして彼の心境の変化を物語っている。
 兵庫が加藤家に仕えたことと、その後の浪人時代の空白は、徳川家に仕えた叔父の又右衛門宗矩とのあいだに、決定的な落差を作り出してしまった。そしてそれは、時のながれとともにいよいよひろがっていった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 14:29:40 | 显示全部楼层
叔父である。それを不服と思うわけではない。しかし兵庫が釈然たり得ないのは、江戸の柳生一門が、柳生新陰流の本流のごとき顔をしていることであった。
 血統としては、兵庫の方が正系だ。のみならず。――
 太祖石舟斎は、五男但馬守にさえゆるさなかった一国一人の新陰流の印可状を嫡孫の兵庫に相伝したのである。
「但馬、何ぞや。……彼は剣人にあらずして政治家ではないか」
「……江戸柳生何するものぞ」
 この自負と|叛《はん》|骨《こつ》と|冷《れい》|蔑《べつ》は、兵庫、入道して如雲斎となったいまも、ついに彼の胸から去らなかった。いや、年とともにむしろ妄念と化して暗い炎をあげていた。
 |曾《かつ》て田宮坊太郎が彼の教えを請うたとき、「江戸柳生と尾張柳生はちがう。いまわしの指南を受ければ、かえっておまえの剣法に迷いと乱れが生じるだろう」としりぞけたのは、それはそうにちがいないが、一方で、ひとたび江戸の但馬守の剣風の洗礼をあびた者に対する、大人気ないといえばいえる反撥もあったのである。
「……で、ござろうが」
 いま由比正雪がうすら笑いをうかべ、上眼づかいにいうのに、とっさに柳生如雲斎は返答の言葉を失った。
「――と、わが師が申されたのでござる」
「正雪」
 と如雲斎はしゃがれ声でいった。
「……おまえの師とは何者か?」
「九州へおゆき下さればわかるでござろう」
「……そも、何の目的あって、かかる怪異のわざをなす?」
「それも熊本にて、わが師におききなされませ」
 正雪は一礼した。
「では、これにておいとまつかまつる」
 そして、彼が田宮坊太郎をひっ立てるようにして出てゆく姿を、柳生如雲斎は悪夢にうなされたような眼で見送ったまま、それ以上これをとめる力を喪失していた。
 ――史書によれば、田宮坊太郎国宗の病歿したのは、正保二年三月二十三日と伝える。これはそれから一ト月たった四月二十四日の話である。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 14:29:58 | 显示全部楼层
数日たって、柳生如雲斎は孤影|飄然《ひょうぜん》と西へ旅立った。
 はじめの予定では、七八人の門弟を同伴することになっていたが、如雲斎はすべてこれを断わり、考えるところあってただひとりでゆくといい出したのである。
「それは、いかに何でも、六十七歳の御老体が」
 と、子息の茂左衛門はおどろき、気づかったが、如雲斎は、
「ばかにするな、こう見えて、おまえより若いぞや」
 と、一笑した。
 事実この老人は元来大兵肥満、皮膚は黒いあぶらをぬったようにつやつやとして、ぶきみなくらい精気にみちていたが、このとき何かに|憑《つ》かれたように眼が異様なひかりをはなって、茂左衛門を沈黙させた。もともといい出したらきかない性分なのである。
 如雲斎が熊本についたのは五月十九日のことであった。
 熊本は彼にとってはじめての土地ではない。まえにものべたように、彼は若いころ、ここの領主が加藤家であったころ奉公していたからである。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 14:56:32 | 显示全部楼层
地獄篇第三歌


     【一】

 そもそも最初、柳生如雲斎が武蔵を見舞おうという気を起こしたのも、熊本という土地に対する懐旧の念もいささかまじっていなかったとはいえない。
 むろん、それから四十年ほどもたち、領主は細川家に変わっている。しかし旧知の家があって、その知人から如雲斎は、藩老長岡|監《けん》|物《もつ》に紹介された。もとよりそんな因縁がなくとも、柳生如雲斎の剣名はこの熊本にまで知られている。
 監物はすぐに引見して、
「実は、武蔵は岩戸山の霊巌洞に|籠《こも》っている」
 と、いった。
 岩戸山なら、如雲斎も知っている。熊本の西にそびえる金峰山の中の一峰で、そこに雲巌寺という禅寺がある。その寺からまた一山越えた山裏の中腹に霊巌洞という岩窟があって、ここに石体四面の観世音が安置してあるが、めったに常人のゆくところではない。
「武蔵どのは、病んでおるのではありませなんだか」
「この二月のころより病んでおります。病むと同時にそこに上って、ひき籠ってしまったのでござる」
「ほう」
「もともと、武蔵はそこが気に入って、ここ数年しばしばその岩窟内で座禅し、また書き物などをしてはおったが」
 長岡監物は、ふと何かを思い出したように手をたたいて小姓を呼び、何かを命じた。小姓が厚い書き物を持って来た。
「これは武蔵が先年より霊巌洞にて書きつづけ、藩中の弟子にさずけたものでござるが、如雲斎どのならばお見せしてもよかろう。御覧なされ」
 監物はその書き物をさし出した。
 如雲斎は受けとって、それをひらいた。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 14:56:56 | 显示全部楼层
「五輪書」
 という文字がまず眼を射た。
「兵法の道、二天一流と号し、数年鍛練のこと、はじめて書物にあらわさんと思い、時、寛永二十年十月上旬のころ、九州肥後の地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前にむかい、生国播磨の武士新免武蔵守藤原の玄信。年つもって六十」
 そして十三の年より二十八九まで、六十余度の決闘を重ねてきたが、ついに一度も敗れたことはなかったとのべ、
「……それより以来はたずね入るべき道なくして光陰を送る。兵法の利にまかせて、諸芸諸能の道となせば、万事に於て我に師匠なし。いまこの書を作るといえども、仏法儒道の古語をもからず、軍法軍記の古きことをも用いず、この一流の見たて実の心をあらわすこと、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜、|寅《とら》の一点に筆をとって書きはじめるもの也」
 寛永二十年。――いまを去ること二年前である。
 十月十日の夜寅の一点(午前四時)といえば、山上の夜いまだ明けず、寒天の星なお凍る時刻であろう。――以下、「地」「水」「火」「風」「空」の五巻にわけて、これは武蔵が一代のあいだに編み出し、到達した兵法の哲理を解き明かしたものであった。
 一行また一行。
 そこにかかれてある文字は、柳生如雲斎の胸奥に弦音のごとき共鳴りを発しないものはない。
 いくたびもその文字に眼が吸いつけられ、めくってゆく指がうごかなくなるのをおぼえながら、如雲斎はむりにそれを卒読して、
「で、いま、武蔵どのは?」
 と、監物を見あげた。
「霊巌洞で病んでおるらしい」
「だれもそばについておる者はないのでござるか」
「ただひとり、武蔵が以前から使っておる伊太郎という十七八の少年がついて世話をしております」
 と、監物はいった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 14:57:22 | 显示全部楼层
「この三月の半ばごろまでは、当藩の門弟ども数名、なお世話をしておったが、そのころから伊太郎以外は身辺に近づくをゆるさず、ただ伊太郎が食物、水などをとりにくるのを麓で手わたすばかり。……そうそう、十日ばかりまえ、伊太郎が妙なものを注文しおった」
「何でござる」
「|甲冑《かっちゅう》一式。しかも侍大将の」
「ほう」
「きけば、武蔵はそれを身につけたまま死のうとしているらしい」
 如雲斎はしばし沈黙してかんがえこんだ。それからこの剛毅の老人は、ふいにかすかに眼に涙をうかべた。
 侍大将の|鎧《よろい》に身をかため、山上で下界を見わたしたまま死んでゆこうとしている老武蔵。それは彼の一代の夢想を死の瞬間にかなえようとする子供らしい欲望であるかもしれぬ。如雲斎は、その心を思いやって涙をおぼえたのだ。
「武蔵は石の上に座禅を組んでおるが、日に日に衰えてゆきつつあるらしい。……のみならず、そばについておる少年伊太郎もみるみるやつれ、このごろは人間の顔色をしてはおらぬという。あれやこれやで、熊本城下にもいろいろと風評がたち、なかには深夜、岩戸山を亡霊のごとき白い影が上がってゆくのを見たという者まであらわれ……武蔵をいたむ心はべつとして、実はわれらも少々困惑しております」
「亡霊のごとき影。――」
 と、如雲斎はつぶやいた。
監物は眉をひそめて、
「それも、武蔵のあまりに常人とはなれた所業ゆえの流言でござろう。ともあれ、柳生如雲斎どのがおいでとあれば、いかな武蔵でもお逢いせぬということはござるまい。こちらよりお願い申す、如雲斎どの、是非いちど見舞うてやって下されい」
「では、これから」
 と、如雲斎は身を起こした。
「これから? ……きょうは、もう日が暮れますぞ」
「いや、一日おくれてついに生きておる武蔵どのに逢えなんだとあっては、とりかえしがつきませぬ。即刻、参ろう。岩戸山は、拙者も存じておる」
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