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日本汉字的由来

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发表于 2004-10-1 09:00:58 | 显示全部楼层 |阅读模式
  我想找一下日本汉字由来的资料,不知哪位朋友可以告诉我呢。谢谢。
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发表于 2004-10-1 15:00:49 | 显示全部楼层
漢字  
かんじ

漢字はその名の示すように中国の文字である。現在中国はもちろん,古代中国文化圏にあった日本および韓国でも用いられている。漢字はエジプトの象形文字(ヒエログリフ),メソポタミアの楔形(くさびがた)文字などと同じく古代文字であり,しかも現代になお用いられている唯一の古代文字である。過去3000年にわたって同じ文字が断絶することなく用いられてきたことは,中国文化の特異な一面を物語っている。
【漢字の特質】
 通説によれば漢字は他の古代文字と同じく表意文字 ideograph の段階にあるといわれる。表意文字とは1字がある音を表す表音文字に対して,1字がある観念 idea を表す文字で,たとえば漢字の〈日〉は太陽の観念を表すようなものである。しかしより厳密にいえば,漢字は表意文字というよりもむしろ表語文字 logograph であるというべきである。というのは〈日〉は直接太陽の観念を表すというよりは中国語の単語 r≒ または日本語の単語 hiを表すと考えるべきであるからである。もっとも〈日〉の例だと,この文字の古形冥は太陽を象徴していたから〈表意〉といえるであろうが,たとえば〈鯉(こい)〉のような文字になると,この文字自身からはただ〈魚〉に関係があることがいえるだけで,表意はこの場合すこぶる不完全である。〈鯉〉は中国語の l°(日本語なら koi)という語を表すにすぎないのである。この表語性という点では漢字は他の古代文字に比していっそう徹底している。というのはエジプト文字ではその中にすでにアルファベット的使用も見られるし,メソポタミアの文字には音節文字的用法も認められるに対し,漢字では1字1語の原則が貫かれているからである。表音文字では1字は1音ないし1音節(場合によっては数音ないし数音節)を表し,その結合によって語を示すが,いちいちの漢字はそれぞれの語を表し,その語を構成する音の表記という点では1音節全体を表し,音構造は示さない。たとえば英字の m は音素/m/を表しうるが,それ自身ではなんらの語も示さない。これに反し漢字の〈人〉はなんらの音素も表しえないが,それだけで rレn〈人〉という中国語の語全体を示す。すなわち漢字は表音的にはきわめて非能率的である。しかし各字が各語を直接に表し,したがって1字1字が個性をもっている。この1字1語1音節の原則はどうして成立できたかというと,それは中国語という言語の性格にもとづく。
 中国語は単音節・無構造・孤立語の類型に属する言語である。すなわち中国語を形成する語は原則として単音節から成り,しかも各語は形態論的構造をもたず,したがって文構成に際して孤立的である。もっとも単音節性は現代中国語では必ずしも守られていないが,古くさかのぼればさかのぼるほどいちじるしい。このような単純な形態をもつ語を示す文字がその語を分析的に示さず,語を全体として表したのもきわめて自然である。ことに1語の形態が単音節から成るという特色はその語を示す文字を独立した1単位とするに有利であった。かくて1語はそれ自身に固有な文字をもつに至ったのである。もっとも中国語の語彙の中には,もともと2音節から成る語も存在した。たとえば朦朧 mレng l¬ng というような擬態語は多くの場合2音節であったが,この種の語は全体もしくは部分的重複を本質とし,したがって容易に2単位すなわち2音節に分析できたので,1字1音節の原則に触れることはなかった。このようにして各語はそれ固有の文字を占有する結果として,だいたい語の数だけ文字があるということになり,文字の数はおびただしいものになった。また一方ではこの文字はその表す語の音韻構造を分析的に示すことがなかったため,語の音韻形態を示すことが無効であるか,また不完全であり,その結果音からは遊離してしまい,語の音韻変化が行われても,その変化から超然とし,したがって文字は言語変化を超越して固定するに至り,かかる文字でつづられる文語が,ほとんど視覚的言語として2000年に近い長い年月にわたって使用されるという特異な現象を示している。漢文と呼ばれる古典文語がそれである。
【漢字の種類と造字・転用】
 ふつう〈六書(りくしよ)〉と呼ばれる分類がある。六書とは指事・象形・会意・形声・転注・仮借の六つである。このうち前4者が文字の形による分類であり,後2者は文字の転用に関するものである。そして指事と象形が単純な形態を示して基礎をなし,会意と形声とはその複合によるものである。まず象形はその名の示すように物の形に象(かたど)ったもので,〈日〉はその古形では冥で,太陽に象り,同じく〈月〉も月の形を模したものである。そのほか〈馬〉とか〈鳥〉とかのように具象的な物の象形による文字の類を象形と呼ぶ。これはいうまでもなく太古の絵文字から発生したものであろう。具象的な物の場合はこの方法によって作ることが可能であるが,抽象的な観念を示すには他の方法によらなければならない。たとえば数のごとき場合がそうで,これらは〈一〉〈二〉のように線によって示した。これが指事である。〈上〉〈下〉などもその古形は名命であって,線に対して上下の点でこれを示した。
 象形・指事の方法によって要素的な文字が作られたが,これだけでは多くの語を十分に示すことはできない。そこでこれらの要素文字の結合による文字ができてきた。その結合に二つの方法がある。一は要素文字の観念の結合によってある観念を表す語を示すもので,これを会意という。〈武〉という字は〈戈〉と〈止〉の結合で,武という語の示す概念は干戈(かんか)(戦争)を止めることだと説かれている(ただしこの字源解釈には疑問がある)。また〈信〉という字は〈人〉と〈言〉の結合であって,人間の言葉は信を本質とするところからこの結合がなされたといわれる。結合の他の方法は形声あるいは諧声と呼ばれる。これはその示す語の意味のカテゴリーを示す要素(義符)とその語の音形と同音または近似の音を示す要素(声符)との結合である。たとえば〈枝〉は,義符〈木〉はこの語の意味のカテゴリーを示し,声符〈支〉はこの語の音形を示す同音の文字である。また〈河〉も義符〈洪(=水)〉と音符〈可〉の結合で,可(k♂)は近似的に〈河〉の示す語の音形(hレ)を示している。この形声文字の原理は造字の最も有効な方法を提供し,この原理の発明によって漢字を広範囲につくり出す可能性を生じ,漢字の大部分がこの方法によってつくられているといわれる。どこの文字も結局は表音の方式によることによって完成されるが,漢字の場合もその例にもれず,その特異な表音法すなわち形声の原理によって大多数の文字を生み出した。ただしその表音は語の音形の全体的表示にとどまり,要素に分解するに至らず,しかも完全でない。
 以上4種の方式によって漢字はつくり出されたが,しかしそれでも中国語の全語彙を表しつくすことはできない。必然的に既成の文字の転用によってその欠を補うということが起こる。それが転注と仮借である。転注というのはどういうのか,これには種々の説があってはっきりしないが,どうやら,ある文字をそれが表した語と同意,あるいは意味上関係のある他の語を表すに用いた場合であるらしい。たとえば,〈老〉の字で同意の〈考〉を表したような借字である。しかしこのような借字は,語の識別があいまいになるので,のちには声符を加えて区別を図った。〈考〉は〈老〉に声符亜を加えた形声字である。これに対し仮借のほうは適用範囲が広く,ある文字をその字の示した語の音と同音もしくは近似の音をもつ他の語に適用する場合である。〈求〉は元来皮衣(かわごろも)を意味する語を示す象形文字であったが,この語と同音の語で〈求める〉を意味する語に仮借された。その結果もとの皮衣を意味する語には,この〈求〉の字に義符〈衣〉を加えた形声文字〈裘〉を新たにつくり出すに至った。このように仮借の原理は文字の流用を可能ならしめ,その結果生ずる表語のあいまいさを防ぐために,義符の添加が行われて,語の表示を明確にした。形声文字は転注と仮借から声符あるいは義符の添加によって発生したものである。このように仮借は文字の表音性を利用したものであるが,ここに注目すべきは,中国ではこの表音性を発展させて一時は独特の表音文字をつくり出す方向を取ったが,形声の原理を発明することによってあくまで表語の原則を固執したことである。
【起源と変遷】
 この漢字はいつごろつくられたかというと,その起源はわからない。現在知られるその最古の形は殷墟から出土した亀甲,獣骨に刻せられた文字である。これを殷墟文字または甲骨文字(甲骨文)と呼び,だいたい前1500年くらいといわれる。この文字は多分に絵画的であるが,しかしすでにかなり慣習化され,線条的になっていて,けっしてこの文字の原始状態そのままであるとは考えられない。そこで漢字の起源についてはなおいろいろな可能性が考えられてくる。一つの考えは西方に起源を求める説である。古くから漢字とエジプトあるいはメソポタミアの文字との字形上の類似から西方起源説をとなえる人があるが,それは多くは個々の文字の類似にもとづく空想的な説であってあまり信用はできない。しかし近来アメリカの I.J. ゲルブという人は,この問題を古代文化史全般の新しい角度からとり上げ,古代文字の単源説をとなえ,エジプト文字も漢字もメソポタミアのシュメール文字に源を発しているという新説を出した。しかしこの説は実証の域に達せず,やはり中国の中にその起源を求めるほうが無難である。今後中国での発掘によってより原始的な文字が出土することを期待する。
 殷墟文字についで周代の銅器の銘文の文字が知られている。これを金文または鐘鼎文(しようていぶん)という。これは殷墟文字の系統を受け,いっそう慣習化されているが,きわめて華麗な文字である。これは東周の時代にはいっても西方で行われていたが,東方ではやや異なった字体が使われていたといわれる。後漢の許慎の《説文解字》に載せられている古文という字体は東方の六国の文字であるという。やがて西方に秦が興起してくると,金文の系統を引く字体が現れ,これは石鼓文(せつこぶん)によって今日に伝えられている。《説文解字》に記されている籀文(ちゆうぶん)もこの系統であるといわれる。籀文はまた大篆(だいてん)という。秦の始皇帝は天下を統一すると,文字の統一をはかり,新しい字体を制定した。これは大篆の簡略化であって,小篆(しようてん)と称する。いわゆる篆書(てんしよ)はこの小篆である。金文にしろ籀文にしろ,あるいは小篆にしろ,いずれもいわば正式の装飾的な字体であって,鐘,鼎(てい)のような銅器やその他碑文などに用いられたものである。
 これに対して実用的な字体も使用されたと考えられるが,秦の統一後その実用的な字体が表に現れてきた。いわゆる隷書(れいしよ)がそれである。隷書は前漢・後漢を通じて行われたが,漢末になると,これから楷書(かいしよ)が生まれた。楷書に至って漢字の字体は固定化され,今日に及んでいる。いっぽう楷書が隷書から発展する以前から,篆書や隷書をくずした,より簡略化された草書が用いられた。いわば漢字のデモティック・スタイル demotic style である。このほか行書というのは,楷書をややくずした形で楷書ほど角ばらないときに用いられる。
 字体の変遷とともにときどき文字の整理ないし定着化が試みられた。とくに注目すべきは前述の秦の始皇帝の文字統一と唐初の文字整理である。前者はそれ以前に各国で用いられたいろいろの文字や字体の整理統一であった。のち小篆から隷書を通じて楷書に至る字体の変化,〈古文〉の発掘による経書の今古文の複雑な様相,言語の進展に由来する語と文字の関係等々により文字はなお動揺をまぬかれず,加うるに六朝時代の学術・学派の分裂は文字の上にも無統制を生んだ。隋の統一以後南北分裂の学術の統合は諸方面に認められるが,文字の上にもその顕著な現れが見られる。すなわち顔師古の経書の文字の批判にもとづく顔元孫の《干禄字書(かんろくじしよ)》,張参の《五経文字》,元度の《九経字様》などはこの文字整理の所産であり,唐の〈開成石経(かいじようせつけい)〉は経書の文字定着の成果である。だいたい,石経は後漢から文字の標準化を目的としたものであった。唐よりのちも文字の正俗に関する規範的意識はしだいに強化され,各代にわたる字書・韻書の編纂はたいがいこの意識に導かれている。宋の《類篇》ならびに《集韻》,元の《古今韻会挙要》,明の《洪武正韻》,《字彙》などから清の《康熙字典》に及んで漢字の規範は確固たる土台を得るに至った。その間印刷技術の発展に伴って,従来の筆写による流動性がしだいに固定化されたことも忘れてはならない。
【朝鮮,ベトナムへの漢字の伝播】
 漢字は中国固有の文字であるが,隣接の諸国すなわち日本,朝鮮,アンナン(ベトナム)に輸入されて,やがてこれら諸国に根をおろした。しかし3国各自の事情によってそれぞれの発展・消長を異にした。日本(詳細は後述)では漢字をもって漢語を表すとともに日本語を示すにも用い,またその略体から仮名(かな)の発生を見た。朝鮮は韓国では日本と同様,今日に至るまで漢語を表すに用いているが,朝鮮民主主義人民共和国ではこれを廃し,もっぱらハングル(偵文(おんもん))を用いている。しかし韓国でも漢字は漢語の表示にのみ使用し,朝鮮語を示すのには用いない。元来長い間漢字・漢文は朝鮮における正統な文字であり,文語であって,その国字偵文が15世紀に発明されてもその名の示すように,〈卑俗な文字〉であったのである。現在ではこの文字をハングル(大いなる文字)と呼んでいる。ハングル以前には漢字をもって朝鮮語を表すのにも用いていた。新羅時代の金石文や歌謡には漢字の訓読が行われ,とくに助詞・助動詞の類を示すために漢字の音読および訓読を複雑に利用している。その趣は日本の宣命(せんみよう)などに類する。この慣習は文書の中に長い間踏襲され,これを吏読(りとう)と称する。
 吏読はハングル発明後にも李朝末期まで用いられた。また漢文を解釈する場合,日本の送仮名に類する吐というものを用いた。これには漢字をそのまま用いることもあるが,通例は漢字の略体を用い,その中には日本の片仮名によく似たものもあり,音・形ともにほとんど全く同じものもある(たとえば,タを ta に用いるがごとき)。おそらくは日本における漢字の使用は朝鮮における実験にもとづき,これを発展させたものである。朝鮮に漢字の伝来した年代は明確でない。中国文化との接触はひじょうに古いが,ことに漢の四郡設置は中国文化の移植を強度にもたらした。しかしこの中国人の植民地文化はその周囲の文化と格段に相違していたため,漢字が真に朝鮮の諸民族の間に浸透したのはやはり三国時代であったと思われる。だいたい4世紀後半にまず北から高句麗にはいり,ついで南から百済にはいった。新羅は最もおそく6世紀に百済を介してはいった。
 ベトナムも漢代から中国文化の影響下にあり,朝鮮と同様記録には漢字・漢文を用いていたが,ベトナム語を表すに至ったのは14世紀からである。漢字でベトナム語を表すには日本や朝鮮とちがい,その言語が中国語と同じ類型のものであったから,これを漢字で示すことは比較的容易であった。たとえば没(字音 m【t6)をもって m【t6〈一〉を表すようにである。さらに漢字の構成原理を利用して新たな文字をつくった。たとえば月と正とを合体した践が gi『ng1〈正月〉を表すのはまさに会意の方法であり,末(字音 mat6)と目の結合の曙がm∞t5〈眼〉を示すのは形声の原理である。これら漢字および漢字の原理を利用してベトナム語を表す文字をチュノム(字喃)と呼ぶ。しかし16世紀ころから,ヨーロッパの宣教師がベトナム語のローマ字化を試み,19世紀にベトナムがフランスの植民地になると,このローマ字が国字となって,漢字による表記はすたれた。このローマ字をクォク・グゥqu【c‐
gu(国語)と呼ぶ。なお漢字の字形輪郭は,朝鮮のハングルや,契丹・女真・西夏・イ(彝)・ミヤオ族などの文字にかなりの影響を与えている。
【日本における漢字】
 日本へは紀元1世紀またはその前後に,王裸(おうもう)の貨泉が渡来しているから,そのころには,漢字が知られていただろう。ただし,文字の機能まで十分日本人が理解していたかどうかは疑問である。なぜなら奈良時代になっても,史部(ふびとべ)その他,文字に関係ある部は,すべて渡来人か渡来人の子孫で,文字が一般に理解されるようになったのは,ずっと後世と考えられるからである。
[字音]  初めて伝わったころの字音は不明であるが,5世紀から6世紀にかけての遺品といわれる埼玉県行田市稲荷山古墳出土の鉄剣銘,熊本県玉名郡菊水町船山古墳出土の刀身銘や隅田(すだ)八幡の古鏡銘,また推古時代の金石文に残された固有名詞に見られる万葉仮名の字音,奇(カ),移(ヤ),里(ロ),止(ト)などは,漢・魏のころのものと推定される。これらは朝鮮を経て伝来したらしい。下って《古事記》や《万葉集》に主として用いられた字音は,世に呉音と呼ばれる字音とだいたい一致する。これは長江(揚子江)下流地方の六朝ころの音で,日本には推古時代前後に流入し,ひろく一般に行われて,日本の字音の基礎をなした。その後,隋・唐の時代になって都が長安に移され,北方音が標準とされるようになったとき,唐制の模倣に力を注いでいた日本では,宮廷で率先して新しい北方音を取り入れ,音博士は北方音を教授し北方音を正音と呼び,僧尼の得度(とくど)にも正音を修得しなければ許可しないと幾度か布告している。したがって《日本書紀》の歌謡訓注には,漢音が多く取り入れられている。しかし,《続日本紀》宣命の万葉仮名などは依然として呉音によるところが多いのを見ても,一般の日本人は,漢音の学習がかなり困難であったと見える。特殊な漢籍仏典の読誦(どくじゆ)のほかに,官職の呼称に至るまで呉音が多く用いられていた。漢音以後,平安時代にはいって唐が滅び宋の時代になると,中国の字音はかなり変化したが,入宋した僧などが,その音を伝えている。また,鎌倉時代に,禅宗の伝来に伴って新しく伝来した道具や食物の呼称などに従来と異なる字音によるものが少なくない。これらを唐音または宋音と呼ぶ。唐音の名は,宋・元・明・清初までの中国字音の日本に渡来したものを総称する。
 元来中国字音は,1音節が頭子音・介母(かいぼ)・中心母音・韻尾の4部分より成り,さらに各字ごとに平上去入のアクセントをもっていて,日本語の音節が,母音一つ,または1子音1母音の結合から成るような簡単なものではなく,頭子音の種類も《広韻》で41種あり,日本語の13種にくらべてはるかに多い。したがって中国字音は日本語に取り入れられるにあたって極度に変形され,母国でもっていた音の区別が合併されることが多い。これが,日本における漢語の同音語の発生の主因となっている。また,中国字音の韻尾の部分は,日本では1音節化され,韻尾を有する字は2音節となっている。また,漢字の大部分は形声文字であるところから,字音を類推によって定めてしまい,中国の原音にない音を与えているものもある。これを慣用音と呼ぶ。たとえば,耗(もう),滌(じよう)など。これを百姓(ひやくしよう)読みともいう。
[訓]  中国の原義に対応する日本語が固定した場合,それを訓という。たとえば,山をヤマ,花をハナと読む類である。しかし,文化・自然を異にする中国と日本との間では,当然文物の相違があり,たとえば鮎をアユ,桜をサクラと訓ずるが,中国では鮎はナマズであり,桜も日本のような花でないという。このように日本独特の意義に読まれる場合を国訓という。なお日本語を表記するのに,特殊な漢字の転用が慣習化したものを当て字という。
[字形]  奈良時代の書風は王羲之を尊重する楷書体であり,平安時代に至って行書,草書も行われた。篆書,隷書は,日本では普通には用いられない。漢字が万葉仮名として用いられ,その略体から仮名が作り出されたことは,周知のことである。なお,会意によって日本で新しく作った文字を国字,和字などと呼ぶ。たとえば,凩(こがらし),峠,畠(はたけ),躾(しつけ)などで,国字の大部分は音をもたない。なお近来日本でも常用漢字の略体化が行われているが,はやく太平洋戦争前に文部省の国語調査会が約150の略字の使用を許容したが,戦後は当用漢字の制定と並行して131字の略体を発表し,政府の文書や教科書にこれを用い,また新聞・雑誌などにも実施され,その後数次にわたる追補が行われて一般に普及しつつある。⇒仮名
[漢字の制限]  漢字は1字1語を表すので中国では多くの字が使われているが,日本では古く《古事記》が約1600字,《万葉集》が約2600字を用いているにすぎなかった。明治時代以降,新聞が3000字に制限しようとしたが成功しなかった。第2次世界大戦後当用漢字を定めて,政府の文書・新聞・教科書に用いるようになった。日本語の表記に当たって漢字の使用は有害であるとする論もあるが,漢字を使用することによって中国文化を摂取し,仏教を知ることができた日本文化の今日の段階では漢字を全廃することは不可能であると思われる。なお,1981年10月,常用漢字として1945字が内閣により告示されている。
【日本の漢字教育】
 漢字教育および漢字学習は他の文字,たとえば〈かな〉や英語のアルファベットなどの教育および学習とは,かなり方法や性格を異にしている。そのおもな理由は,漢字という文字自体のもつ特殊性と,日本における取り入れ方(たとえば訓読み)の特殊性にある。漢字は1字で音だけでなく意味も表示する文字であるから,その学習に際しては,ある程度の語の意味学習を伴う。そのため漢字を正しく読み書きするようになることは,英語でいえば単語のスペリングと意味を同時に学習していくのと似た効果があり,文字学習が知識や概念の一定の習得と結びつくという利点がある。しかし,指示内容(意味)の数に近いだけの字数があること,多くの字を区別するために形態が複雑になっていること,音読み(呉音,漢音などの区別もある)と訓読みを関連させて覚えねばならないことなどのため,その学習には多大の労力と時間が必要とされる。江戸時代の寺子屋から現代に至るまで,漢字教育に多くの時間をさいてきたのはそのためであった。それにもかかわらず,今日,まだ定型化された系統的な指導方法が確立されているとはいえないのが実状である。今後の実践的努力の蓄積の期待される分野であるが,その際,ある程度の系統的指導の可能な字は,それを配慮して教える(たとえば〈言〉と〈舌〉を教えてから〈話〉を教える),読本の中での用法とともに教えるだけでなく,熟語づくりや用例捜しなどと並行して学ばせる,漢字の発生,種類,作られ方,読み方の規則などをとりたてて学ばせる(漢字文化の学習)などを重視する必要がある。なお学習すべき漢字数は,旧学制時代は義務教育6年間で約1360字もあったことの反省から,第2次世界大戦後は1948年に〈教育漢字〉881字を定め,これを9年間の義務教育期間に学べばよいということになった。この数は58年に6年間(小学校)で学ぶべきことになり,68年には996字となって,若干であるが再び増加の傾向にある。            
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 楼主| 发表于 2004-10-1 17:53:57 | 显示全部楼层
太感谢了,不知这位朋友是哪里找到的呢?
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发表于 2004-10-2 00:42:13 | 显示全部楼层
平凡社「世界大百科事典」
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 楼主| 发表于 2004-10-5 07:17:49 | 显示全部楼层
请问有介绍关于这个内容的网站吗?总是给你添麻烦,真是不好意思。
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发表于 2004-10-5 19:47:26 | 显示全部楼层
↓[PDF] 万葉集に於ける漢字の用字法的研究(2)
www.daito.ac.jp/~hiyo/pdf/ke_38go.PDF
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发表于 2004-10-5 19:48:55 | 显示全部楼层
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/word/japan.html ↓

     日本における文字と文化の問題

1.日本語表記の問題

 日本語の表記は世界でもっとも複雑である。ひらがな、カタカナ、漢字の三種類の文字がつかいわけられており、これらの文字種のちがいは、やまとことば、外来語、漢語という語彙の相のちがいと関連している。

 漢字には、ふるい中国語の音(漢音、呉音、唐音)に由来した発音である音読みとやまと言葉の音である訓読みとが併存している。たとえば、水とかいて「スイ」が音読み、「ミズ」が訓読みである。「スイ」は中国語の音がもとになっている。これにたいし、「ミズ」は、純粋の日本語の音である。「スイ」と「ミズ」は別の言語の音で、「スイ」と「アクア」や「ウォーター」が無関係なのとおなじく、本来は無関係である。水を「ミズ」とよむなら、水を「ウォーター」とよんでもよい。「私は水をのむ」(ワタシハミズヲノム)という漢字かなまじり文は、「私drink水」(アイドリンクウォーター)という漢字英語まじり文と、おなじ混成的表記である。

1.1.日本語における漢字の問題

○漢字の音読みは、中国語の音の発音が日本化したものだが、日本語に四声がないこともあって、音読みをする漢字熟語には同音異義語が非常におおい。たとえば、「コウセイ」という音にたいしては、構成、校正、公正、厚生、攻勢、更正、後生、後世、恒星、など意味に関連性のあまりない一群の語群が対応している。このため、漢語を多用した日本語のスピーチは、耳できいただけでは意味が理解しにくくなる。また、コンピュータへの日本語入力が、かな漢字変換をいちいち確認しての視覚的作業になってしまうことも、同音異義語のおおい漢字に原因がある。

○漢字の訓読みは、やまとことばと漢語を、共通の漢字をつうじて接着させる役割をはたしているが、ひとつの漢字にたいしておおくの訓読みが対応している。たとえば、「生」は、生(なま)、生(き)、生きる(いきる)、生える(はえる)、生む(うむ)、生湯(うぶゆ)、生い立ち(おいたち)など、にた意味のおおくのやまとことばをあらわす漢字としてつかわれる。その結果として、活用語尾のみおくりがをふることいった規則も適用できなくなる。たとえば、活用語尾のみおくたがなとすると、「生きる」と「生える」は、ともに「生る」で区別できなくなる。これは、日本のやまとことばと中国の漢字という異質なものを接合したためにしょうじた、無理である。

○漢字かなまじり文では、漢字がわかちがきの役割をはたしているので、単語の間に空白をいれる必要がない。これは、コンピュータによる日本語処理で、単語のきりだしの問題となる。また、同じ単語も、漢字があるために「生きる」、「いきる」などと、なんとおりにかつづられる。つづりの複数性と単語きりだしの困難は、日本語の情報処理のおおきな障害である。

○漢字は字面のイメージをともないやすい。これが抽象的な思考の障害だとする論者もいる。

○以上は漢字の問題点の指摘である。漢字の積極面をいう論者は、漢字がイメージ的なのを理解しやすいからよいとし、音読みの漢字は造語力にすぐれているとし、訓読みはやまとことばと漢語の接着剤として不可欠とする。この背景には、言語観とイデオロギーの対立もある。

        日本における漢字制限派と漢字推進派の主張

             漢字制限派       漢字推進派

音読みの漢字について  同音意義語のおおさ      造語力    

訓読みの漢字について 読みがと送りがなの問題  和語と漢語の接着剤    

意味とのつながり  イメ-ジ的印象的で安易  イメ-ジ的印象的でよい

コンピュ-タ化   単語のきりだしなど障害  かな漢字変換で克服された

言語観       音声中心主義/正書法の重視 文字中心主義/両チャンネル

イデオロギ-     欧米主義/やまと主義   反欧米主義/東アジア主義



1.2.人名表記と文字フェティシズム

○日本語の人名表記は、上述の漢字の問題を極限まで拡大した、でたらめかつ、混乱のきわみの世界である。日本には、約14万の苗字がある。また、珍妙なよみの個人名も日々うまれている。日本語における文字コードの問題は、人名表記の問題である。

○よみと漢字の対応のでたらめは、苗字と個人名の両方で大規模にしょうじている。苗字には、なぜそうよむかわからないようなものがおおい。たとえば、五十嵐(いがらし)、乃位(のぞき)など。紫田(しばた)は、「紫」を「柴」とまちがえてつかったのを、そのままよみにしてしまったものである。また、いくとおりものよみががあるものもある。四方(ヨカタ、シホウ、シカタ)など。また、ひとつの音に対応する苗字の漢字はきわめておおい。たとえば、「ソガ」にたいしては、蘇我、曽我、十川、十河、宗丘、宗宜、宗岳、宗我、宗賀、崇賀、我何、曽加、曽宜、曽賀、曾宜、曾我、曾谷、素我、素賀、蘇何、蘇宜、蘇宗、蘇賀など、あとJIS第二水準では表記できない文字をつかった「ソガ」が二種類ある。一方、名前のほうは、名前につかう漢字の制限はあるが、漢字とよみの対応の制約はない。このため、緑夢(グリム)などの外国語の音をあててもよいし、温大(はると)など、よみはどうふっても自由である。最近のはやりは、沙矢香(さやか)などの万葉仮名風の表記とよみである。以上の結果として、人名の名簿では、漢字とよみがなの両方を参照しないと個人を識別してよぶことができなくなる。

○苗字には、さらに異字体の問題がある。渡邊・渡辺、藤澤・藤沢、広瀬・廣瀬、程度ではない。手書きにおける字体のすこしの差異も、戸籍の電算化とともに、異字体として登録されてしまう。学校の名簿でも、梯子高などは、JIS第二水準までのパソコンでは、対応するフォントなしとして、ゲタ(〓)で表示されてしまう。「團」という作曲家は、「団」という宛名の郵便物はすべてうけとりを拒否したと自慢している。これは、文字フェティシズム、文字の呪術崇拝をほこっているようなものである。

○日本語の文字表記の混乱を是正するためには、ひらがな表記による名前の音を一義としてもっと大切にし、漢字の字体とよみとの対応は標準的なものに制限する必要がある。ただこれは、文字フェティシズム、漢字への呪術崇拝が、病膏肓の現状では抵抗がおおすぎてむつかしいだろう。



1.3.社会科学における漢語の語彙

○明治期の日本の知識人は、おおくの欧米の事物や学術にかんする膨大な語彙を漢語に訳した。これは、欧米の事物や学術を導入するために必要なことだった。しかし、人文社会科学でもらいられる漢語の語彙は、概念規定があまく、日常生活のはなし言葉とのつながりがよわく(きれる、むかつくなどのマイナスの意味をあらわす和語の身体性との対比)、構成する文字の字面の意味にひきずられたり、文字崇拝的に非日常的なよきものとしてもちいられることがおおい(柳父のいうカセット効果)。

○権利とright・自然とnature

○能記・所記などの奇怪な言語学の語彙

○国際化とInternationalize

○革命・解放・平等/多様性・個性・自由/単独性・非決定性/などキャッチワードによる思考

○日本の学術は、自然科学・技術の分野、人文科学の分野では独創的な成果をのこしたが、社会科学の分野は欧米の学問の翻訳にとどまってきている。これは、言葉を事物をさししめす道具としてきたえていこうとせず、言葉を外来のありがたいおまもりとしてつかうような態度にも原因がある。



1.4.カタカナ語について

○最近のはやりはカタカナ語である。カタカナ語には、技術分野などのようにあたらしい語彙がつぎつぎでてきて日本語化が間にあわないという事情、漢語に同音異義語がおおすぎるなどの事情もあるが、印象操作としてもちいられる場合がおおい。コマーシャルだけでなく、行政なども、舌足らずの外来語を率先してつかっている。外来語の発音は、CVCVの二拍を基本に日本語化されているが、構成要素の意味が把握されていないので漢語のような造語力はもちえず、日本語の語彙の混乱、言葉の呪術的使用の傾向に拍車をかけている。



2.日本語の言説について

2.1.声の文化と文字の文化

○欧米には言葉の本質は声にあり、文字はそれをうつしたものであるというかんがえが根強くあり、科学論文なども19世紀までは音読されていた。今日でも、選挙のさいには、かんがえを声として表明し、声と声を対決させるという文化がのこっている。これを2次的な声の文化という。西欧は、はやくに1次的な文字の文化を確立したが、文字が音素文字であることもあって、2次的な声の文化が公の文化としてつよくのこっている。

○日本文化には、かかれた文字を重視し、声を軽視する傾向がある。落語や露天商などの庶民の声の文化は、文字をしらない層の1次的な声の文化であり、書き言葉をふまえた公的な声の文化は日本ではきわめてよわい。日本でのおおやけのスピーチは、柳田が荘重体とよんだような、漢語ばかりの伝達力、喚起力にきわめてよわい、文字のうつしのような形式的・儀式的なものになってしまっている。日本には、公的なスピーチや議論の文化がきわめてとぼしい。

2.2.官僚と法律家、社会神学者たち、騙り手たち

○漢語だらけの奇怪な日本語の典型例が、官僚や法律家による文である。官僚による文をイアン・アーシーは、整備文とよんだが、官僚たちは整備文をつかって読み手の頭脳を混乱させ、責任をあいまいにしながら、自らの頭も混濁していき、責任をのがれるために誤りから学ぶこともできなくなっている。判決文などの法律の文は、文のながさといい、つかわれる語彙の特殊さといい、奇怪さでは、官僚の文以上である。複雑怪奇な文章をあやつれるのだから頭がいいのだというひともいるが、心理学の知見からすると、まちがいである。かんがえは表現とコミュニケーションをつうじて形成されていくので、簡潔・明快な文章ではなく複雑・怪奇な文章でかんがえを表現していると、かんがえ自体も混乱し、頭脳はしだいに混濁していくのである。人間の知的能力は、表現手段もふくめてのものであり、奇怪な表現を常用していると、知的能力は確実にむしばまれていく。

○奇怪な言葉に思考をのっとられ、頭脳をむしばまれているのは、法学部出身者だけではない。おおくの社会科学者も、「1.3.社会科学における漢語の語彙」でのべたような、キャッチワードによって思考停止におちいっている。個性、自由、人権、国際化などの、現実感や身体感覚によるうらづけをかいて、概念規定もゆるい、社会的是認のおすみつきをえた言葉による思考は、現実的、科学的思考ではなく、神学的思考にちかいものになる。オルテガ・西部のいう大肖稀ⅳ长ΔいΕ悭氓隶铹`ドに思考をのっとられた社会科学者を原型とする知識人のことである。

○社会神学語は法学語より、一般のひとにはわかりやすく、それなりの魅惑もあるが、さらに説得力的、魅惑的なのが、ユング派や宗教学者、美学者などによる、かたりの日本語である。このかたりの日本語は、法学語とはちがってよみてに納得してもらうことをめざしている。また、社会神学語のような教条性もない。はるかに柔軟でしたしみやすい。しかし、かたりよる魅惑にたけたひとは、事実による検証や科学をないがしろにし、魂の救済などをいう傾向がある。科学的思考をきらいなおおくの日本人にかれらのかたりはおおいにアピールする。しかし、現実の問題にどう対処するかという点からは、事実による検証や科学をないがしろにするかたりてたちは、よわくいって無責任な騙り手、つよくいうと「ハメルーンの笛ふき」のような危険な存在になりかねない。



2.3.理科系の作文技術と庶民の言葉

○法学日本語、社会神学語、かたりて・コマーシャルの言葉、などの混乱のなかにあって、簡潔・明快で事実に即した日本語の可能性は、たとえば理科系的なセンスをもった人文学者たちや、きえつつある庶民の言葉のもとにみいだすことができる。

○理科系的なセンスをもった人文学者の代表は、梅棹忠夫である。最近では、「理科系の作文技術」をはじめとする一連の日本語をかいた木下是雄、臨床心理学の中井久夫などである。これらの学者の文章は、明快で事実にそくし、包括的であろうとしており、かつ、あやまりによる修正にひらかれている。日本語の書き言葉の可能性は、法学日本語、社会神学語、かたりて・コマーシャルの言葉などではなく、この方向にあると雨宮はかんがえている。

○日本のような高学歴の消費社会では、大肖獾丐俗悚韦膜い可硖甯幸櫎摔Δ椁扭堡丹欷郡悉胜费匀~をつかっていない。日常の会話でも、個性とか自己実現とか、自由とか、うろんな言葉をつかい、それに思考をのっとられたミニ知識人と化している。身の丈にあった話し言葉の世界は、落語や職人、うりかいをする人の言葉に断片をみることができるだけである。



参考文献

金田一・林・柴田 1988 日本語百科大事典  大修館

橋本・鈴木・山田 1987 漢字民族の決断 大修館

丹羽 1994 人名・地名の漢字学  大修館

柳父 1972 翻訳語の論理 法政大学出版

梅棹忠夫 1969 知的生産の技術 岩波新書

本多勝一 1982 日本語の作文技術 朝日文庫

本多勝一 1994 実戦・日本語の作文技術 朝日文庫

木下是雄 1981 理科系の作文技術 中央公論新書

木下是雄 1994 レポ-トの組み立て方 ちくま学芸文庫

言語技術研究会 1991 マニュアルはなぜわかりにくいのか 毎日新聞社

イアン・ア-シ- 1996 政・官・財の日本語塾 中央公論社

オング 1991 声の文化と文字の文化 藤原書店

梅棹・小川 1990 ことばの比較文明学 福武書店
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发表于 2004-10-5 19:55:35 | 显示全部楼层
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/ingaku/toingo.htm ↓
 唐音語存疑 岡島昭浩 『文献探究』 第25号 1990年3月

  はじめに

 「唐音語」と呼ばれる語群がある。『言海』の「採収語類別表」に96語が数えられる。その表では「唐音語」は漢語とは別に外来語の中に入れられる。『国語学大辞典』「漢語」の項(森岡健二氏)でも「唐音語の多くは物の名として入り、その点でいわゆる外来語に近い」と指摘されるなど、唐音語は〈漢語のうち唐音で読まれるべき語〉と割り切るわけには行かない。
 漢語を「字音語」と呼び替えることがあるが、これは〈字音で読まれるべき語〉ということで、中国に由来するかどうかの詮索をしない呼び方である。つまり「和製漢語」という語のおさまりの悪さを逃れるための呼び方と言ってよく、「漢音語」「呉音語」という言い方は普通はしない(注1)。「唐音語」とのみ言われるのは、「(唐音が)特定の語と結びついて入り、一字一字の漢字の読み方として定着しているわけではない」(前掲森岡氏)ことによるのであろう。
 さて、「和製唐音語」という言い方はないが、「唐音語」であるかいなかの判断基準は、〈その語が禅宗によって中国から渡来した語であるか〉よりも、〈その語が我が国で既存の漢音呉音と異なった読みをされているか〉にあるようである。禅宗によって初めて中国から渡来した語であっても、それが既存の漢音呉音と同じ音形であれば「唐音語」と呼ばれることはまずない(注2)。既存の漢音呉音と音形が違い、その違いのよるところが、中国語の中世近世音への変化によるものであることを確認した上で「唐音語」であると認定できるのである。勿論のこと、その「唐音語」が輸入された時代の日本語の音韻の状態をも考慮にいれねばならない。ところが従来の「唐音語」認定に際してはこういった手続きが充分でなかったと思われる。その字の別の音(又音)の漢音や呉音を、漢音や呉音の転訛を、訓を、それぞれ唐音とみなすことがあったわけである。古くは文献Yで「漢音呉音および古音の外になほ一種別なる音」と唐音を位置付けたが、中国語中世近世音との比較はなされなかったと思しい。
 漢音呉音と違う音形をとるものには唐音の他に慣用音がある。本来なら、中国の中世から近世の音に由来するものを唐音とし、漢音呉音でなく、唐音でもないものを慣用音とすべきであろう。字音研究の分野では確かにそうなっており、従来慣用音とされたものが漢音や呉音であり、唐音であることが明らかになったものも多い(注3)。
 しかし語彙研究においては「唐音語」と認定するに際してそのような作業が行われていないと見える。慣用音は多用され多くの熟語でその音で読まれるのに対し、唐音「語」という呼び方に明らかなように、ある字が他の熟語での読みとは異なる読みをされる場合に、「唐音語」とされることが多いようである。
 以下、「唐音語」である、と言われることのあるものについて、その疑うべきもの、「唐音語」と認定するにはまだ証拠が十分でないものについて考証することとする。かつて「唐音語」であると指摘されたものは多数ある。近世の語源研究の中では多くの語を唐音起源と見為した人もあるが(注4)、これは「唐音」というのが当時の現代中国語であったことを考えると、「唐音語」というよりも、近代の語源研究家の一部にも見られた〈日本語の中国語起源論〉(注5)にも近いといえようか。こうした〈中国語起源論〉ではなくとも通俗的な書物に於ては「唐音語」を説明した中に一見して唐音ではないものが混入していることがある。はなはだしいものをあげると、茄子ナス、図画ズガ、などである。
 このような極端なものは除いても、国語学の概説書などにあげられている唐音語、国語辞典に唐音語と記されているものの中にも、字音研究の立場からは唐音とは見為しがたいものが見える。それを指摘してゆくのが本稿である。
 「唐音語」という場合、さすがに現代中国語によるマージャン用語や中華料理の名や現行の地名などは含めないが、鎌倉時代輸入のもの・江戸時代輸入のものなど多彩である。いわゆる「中世唐音」によるものと「近世唐音」によるものとがあるわけだが、「唐音語」認定に際してもこれを忘れてはならない。これを踏まえた上で、以下の考察は、
 (1)音の上から中世唐音とも近世唐音とも考えられないもの
 (2)中世(以前)から見える語であるのに中世唐音では説明のつかないもの
 (3)呉音漢音であるのに唐音とされたもの
 (4)その他
の四章に分けて考察することとする。
 まず、考証すべき語を挙げ、その語を唐音語と認定している文献を掲げる。洋大文字のものは最後にまとめて文献名が挙げてある。

  [一]

○「お侠」のキャン(NW)
 『日本国語大辞典』では語源説の欄ではなく、項目の下に唐音と記されている。『倭訓栞』中編で「きやん 侠の唐音成へし」とあるのが、唐音説の古いところであろうか。『俚言集覧』に「きやん 江戸の俗語少女のはすはなるをいふ多くは声妓(げいしや)のものにあり(増)きやんは侠の唐音成へし」。井上頼圀・近藤瓶城の増補は『倭訓栞』によるものであろう。他に『新潮国語辞典』、『新明解国語辞典』、山田美妙『日本大辞書』、平凡社『大辞典』、『角川古語大辞典』、『岩波国語辞典』、林大『言泉』(小学館)、三省堂『大辞林』、学研『国語大辞典』、『広辞苑』、堀井令以知『日本語語源辞典』、同『語源大辞典』、『小学館新選古語辞典』、荒川惣兵衛『角川外来語辞典』、『角川新版古語辞典』、楳垣実『外来語辞典』(?付き)、『小学館古語大辞典』は『喪志編』「唐音にて不埒という詞にかなふなり。当世の人男女ともに少し気負ひ、取りしまりなきをきやんなりといふ」を引く。松村明『江戸ことば・東京ことば』教育出版 昭和55年)上34頁(『ことば紳士録』朝日新聞社 昭和46年初版 同年2刷による。52頁同じ)「『倭訓栞』にしたがうべきであろう」、池上明彦『講座日本語の語彙9語誌III』(明治書院 昭和58年)「ほぼ今日の定説となっている」。
 ところが「侠」は入声帖韻(三十九転四等、協と同音、胡頬切、匣母)、漢音ケフ呉音ゲフであって、中世でも近世でも唐音がキャンというンの韻尾を持つ音形になるはずがない。たとえば『聚分韻略』ではケ、『磨光韻鏡』ではヱ、『唐話纂要』ではヤ(巻六遊侠ユウヤ)である。
 唐音説以外の説を掲げるものをあげると、
 『大言海』(『言海』不立項)「きャん(名)■侠■[きんぴら娘ノ略転シタル語カ、倭訓栞、きやん「侠ノ唐音ナルベシ」] キンピラムスメ。ハスハムスメ。オキャン。オテンバ。」
 日置昌一『ものしり事典 言語篇』(河出書房 昭和27年初版、28年7版による)では(同著者『話の大辞典』万里閣、昭和25年もほぼ同)、
 元禄時代の末から用いられたキホヒという言葉(それは採鉱の用語から来たものである)が、宝暦時代からキヤンとなり、ついでイサミという言葉を生じ、さらに寛政時代からイナセというようになった。
 林甕臣・棚橋一郎『日本新辞林』(明治30年初版 33年9版による)「侠の字より転じたる語」。
 前田勇『江戸語の辞典』(昭和49年 講談社。講談社学術文庫、54年初刷、55年3刷による)で「字の国音」と記すのは、唐音ではないと気付いてそう記したのか。「慣用音」というような意味か。もしそうなら、慣用のできた経緯を説明せねばならない。
 これは人工唐音である可能性もある。「引くは跳ね」や「一は五に」などから(注6)、また「両」をリャンなどと言っていたことからの類推である。近世では「侠」と同音、キョーの「強」は唐音キャンとなる。人工唐音によって造られた語が唐音語と認められるならば、この語も「和製唐音語」として唐音語である可能性は残されるが、「中国近世音に基づく」という、一般的な唐音とは異なることは言うまでもない。近世に「からこと」などと言って外国語めかした日本語を操ることがあったが、これをも唐音語と呼ぶわけには行くまい。
○榻トン(YN、金沢庄三郎『辞林』、平凡社『大辞典』、山田美妙『日本大辞書』、『言海』、『大日本国語辞典』、『言泉』(『ことはのいつみ補遺』)、『広辞苑』、林大『言泉』、三省堂『大辞林』、『新潮国語辞典』。
 榻は入声盍韻(四十転一等、吐盍切、透母。漢音呉音ともにタフ。中世でも近世でも唐音がトンというンの韻尾を持つ音形になるはずがない。たとえば『聚分韻略』では「タ」、『磨光韻鏡』でも「タ」である。
 〓[土敦]の字音か。平声魂韻、都昆切。Nは項目にこの字を出すが語源は榻の唐音とする。平凡社『大辞典』は榻の唐音と記して〓[土敦]の(3)に同じとする。
○甲板カンパン(YKIN、林史典「日本における漢字」『岩波講座日本語(8)文字』、大町桂月・佐伯常麿『誤用便覧』明治44年、山田美妙『日本大辞書』、『言海』、『大日本国語辞典』、落合『言泉』、林大『言泉』、『広辞苑』、『新潮国語辞典』、D、D2、Q2、Q3)
 甲所(Y)、甲高い、甲乙 甲バシル(O)
 甲は入声狎韻、古狎切。『聚分韻略』の唐音カ、『磨光韻鏡』の唐音カ、『唐話纂要』の唐音キヤ(巻五甲冑キヤチウなど)である。
 『大言海』では、
 甲かふノ音便ナリ…かうノかんトナレルナリ庚申(カウシン)ヲかんしん、強盗(ガウダウ)ヲがんだうト云フ例ニテ、甲乙(カフオツ)ヲモかんおつト云ヒシナリ(甲ノ今ノ支那音ハ、ちゃいナリ)とあり、浜田敦氏は「入声音の撥音化する現象」として挙げている(注7)。『大言海』は「庚」「強」のng韻尾と、「甲」のp入声を同時に説いたが、ng韻尾が撥音と同様鼻音性を持つのに対して、p入声は鼻音性を持たないので、別に考えねばなるまい。浜田氏は〈入声音と鼻音の相通性〉と〈促音と撥音の相通性〉で説明するのである。
○納戸ナンド(YKI『国語学大辞典』「漢語」(森岡健二氏))
 納は入声合韻(三十九転一等、奴答切。漢音ダフ呉音ナフ。『聚分韻略』の唐音ナ、『磨光韻鏡』の唐音ナ。浜田敦氏は「入声音の撥音化する現象」として挙げている。
○橘飩キントン(IT、Qでは「京飩、金団、金段、経飩、橘飩」と列挙する。)
 これも入声字で、この字に唐音キンがあるとは考えられない。
 『大言海』橘飩きっとんの転とし、浜田敦氏は「入声音の撥音化する現象」として挙げている。
 『守貞漫稿』二十八編食類「金団 きんとんと字音に云也」。新村出『国語学概説』(金田一京助筆録・金田一春彦校訂、教育出版、昭和49年)も「金団」とする。「団」の唐音がトンであるのは認められるが、これが語源であるかは不明である。
○四百八十寺シン(Y)
 以上の項まではこの字は入声なのでン韻尾を持つはずがない、と簡単に言い切ったが、この項の場合、話は単純ではない。小川環樹氏によると(注8)、中国元代の『詩林広記』に引く南宋の『蔡寛夫詩話』に「淮南間以十為忱音」、南宋の陸游『老学庵筆記』に「八文十二、謂十為〓[言甚]」とある。さらに敦煌写本のチベット文字の転写でも十をsimで写しているものもあり、唐代から十をシムと読むことのあったことが知れる。つまりこの条は前条のような〈中国にあり得ない音だから唐音ではない〉のではなく、〈中国中世近世音(中古音にない特徴を持った)に基づく音ではないから唐音とは言えない〉のである。
 また、小川氏によれば、敦煌資料で「十」をシムと読むのは後続音が鼻音の場合に限られる。すなわち逆行同化である。「十二」の場合も鼻音化していることから、「二」の子音である日母が非鼻音化する以前に「十」をシムと読むことがあったことがわかる(注9)。すなわち漢音よりも古い音であることになる。これを唐音というのは問題があろう。
 「南朝四百八十寺」の「十」をシンと読むのは同化ではないが、いわゆる唐音では決してない。
○黄絹ホッケン(Y)『言海』「字ノ唐音。或云福建(ホクケン)ヨリ出ヅル名ナリト、或ハ、北絹トモ記ス」、『広辞苑』。
 黄は、もちろん入声ではなく、唐音でも促音に読まれる根拠はない。これは北絹の音であろうか。『下学集』もこの字で記している。
○踐〓[心乍]・天〓[心乍]・重〓[心乍]センソ・テンソ・チョウソ(F)
 「〓[心乍]」は入声鐸韻、在各切だが、意味上、「祚」(去声暮韻、昨誤切、福也禄也位也)もしくは「〓[阜乍]」(「祚」と同音)に作るべきである。「〓[心乍]」は恥じる意味で、合わない。誤字とすべきか。
 『颈竟澯眉护巍港`〓[心乍]」を除いて他は正しく作る。『伊京集』「重祚」、『饅頭屋本節用集』「重祚」、『颈竟澯眉弧柑祆瘛埂

 [二]

 例えば「湯婆」をタンポと読むのは近世唐音の特徴である。つまり宕摂の字をンで読むのは中世唐音では有り得ないことである(注10)。タンポという音形は日葡辞書が古いところのようだが、それ以前の「湯婆」という漢字は『温故知新書』「湯婆タウハ」のように読むのが無難であろう。しかし中世唐音といっても全体像がほぼつかめるのは鎌倉時代の唐音であり、中世唐音と江戸時代の近世唐音と区切るべき時代は室町時代のどのへんなのか不明である。タンポという語によって切支丹資料の頃は近世唐音の時期であろうと推定できるわけだが、このような語をもっと丁寧に捜してゆけば、近世唐音の時期がどこまでさかのぼれるかがわかり、国語音韻史にも貢献できるはずである。

○強盗ガンドウ(NQ)他に『新明解古語辞典』、『小学館古語大辞典』(語誌、坂梨隆三氏)『岩波古語辞典』、『小学館新選古語辞典』、『旺文社古語辞典』、『新潮国語辞典』、林甕臣・棚橋一郎『日本新辞林』、『言海』「字ノ唐音ぎやんだうノ転カト云」、落合直文『ことばのいづみ』も『言海』に同じ、『言泉』は「字の宋音」、『大日本国語辞典』、『広辞苑』、『三省堂大辞林』、林大『言泉』。
 初出は『色葉字類抄』、前田本は「強」に去声、「盗」に上声のそれぞれ濁声点が付される。前田本は「カムタウ」、ū兢稀弗螗去Α工葧い匹螭魏幛衰啶扔洡埂
 「強」は平声陽韻、中世唐音ならばヤウ型を取る(『聚分韻略』で(キヤウ))。よって唐音とは考えられない。
 『角川古語大辞典』は「転音」と記す。
 『大言海』がうだうノ転、五調(ガンデウ)に、強盛(ガンジヤウ)ト書キタルアリ(其条ヲ見ヨ)庚申(カウシン)かんしん。甲乙(カフオツ)かんおつ次項とともに考察する。
○龍膽リンダウ(YO、『言海』、Uの第三部第三章でも唐音と認定か)
 龍の属する通摂は中世唐音でもンをとることがあるのだが、リンという形ではなくルンの形が普通であろう。
 『大言海』では「強盗がんだう庚申かんしんノ類」とするが、奥村三雄氏は「ウとンとの音韻転倒」(注11)、吉沢義則氏は「ウとムと音感が似てゐるので通用したのであろう」(注12)など、一般にはリウタムの転音と記されることが多い。「転音」と言っても、どのような「転音」であるのかを考える必要があろう。細かい考証は改めて行わねばならないが、今、鼻音が本来予想される形とは別の形で現れるものを並べてみる(注13)。


 強盗ガンダウ 龍膽リンダウ
 強盛ガンジョウ 誦ズンず 冷泉レンゼイ 従者ズンザ
  濫僧ラウソウ 困コウず 柑子カウシ 御覧ゴラウず
   臨時リウジ 喧噪ケウサウ 勘事カウジ
  判官ハウグワン 林檎リウコウ 輪鼓リウコ 乱ラウがはし
   半靴ハウクワ 讒言サウケン 反故ハウグ 郡家クウケ
   天気テイケ
  紺屋コウヤ 宣耀殿セイエウデン 仁和ニイワ
  昆明池コウメイチ 椀飯ワウバン 潅仏クワウブツ
   勘文カウモン 面目メイボク
  見参ゲンザウ 無慙ムザウ


以上のように、ダ行の前ではンになり、ザ行の前では揺れ、ガ行ヤ行マバ行の前ではイウに転じることがあるように思える。後続音の調音位置に合わせるように転じるわけである。マバ行の前がウになるのはバ四マ四の音便を考えるとうなずける。
 いずれにせよ龍膽リンダウは唐音によるものではなく、リウタムからの転化とみなすべきものである。
○鴨脚(SDQ3)・銀杏(YMW、U第三部第三章)イチヤウ
 イチョウは鴨脚の中国音ヤーチャオの訛ったものであると説かれたことがある(『新村出全集』四巻「鴨脚樹の和漢名」参照)が、漢字音研究の進んだ現在もそれを認めてよいものだろうか。イチヤウという語形は節用集などに既に見られるが、牙音である「脚」字がチャオと日本語のチに近く聞かれるようになるのはずっと時代が下ると考えられる。藤堂明保氏は清代の『円音正考』によって「ki-とtsi-の混同は18世紀に始まる」という結論を示した(注14)。勿論これは〈混同〉の時期を示すものであって、見渓群母の口蓋化はもっと遡り、tsi-よりも先にtci-になったと言われている。尾崎雄二郎氏によれば元代の『蒙古字韻』のころに始まっていたという(注15)。一方、明末の『西儒耳目資』ではまだkiで写されており、日本の資料でも近世に至っても見渓群母はキで写される。新村氏は南音がki-で北音がtci-であって、イチヤウ以外のものはみな南音であったろう、としている。
 ところが、日本に渡ってきた音を見るに、中世唐音では精母・清母・知母・徹母などの破擦音はチではなくシで写される(注16)日本語のチは1492年の朝鮮版『伊路波』でもtiにあたるハングルで記され(注17)、その時代には牙音がたとえ口蓋化してtci-のようになっていたとしても日本語ではチではなく、シで写されたであろう。『大言海』では「脚(キヤク)ヲちャト云フハ、我ガ国ノ明応年中ニ成レル林逸節用集(饅頭屋本)ノ雑用部ニ「行脚」「アンヂャ」ト傍訓セリ」とあるが(注18)、複製本で見るとこの個所は刷りが薄く判然としない。高羽五郎氏刻『改編節用集』では「アンギヤ」としている。また『温故知新書』「鴨丁ヰチヤウ」は、「鴨」字を「ヰ」と読み、「丁」字を、さらには「脚」字を「チヤウ」と読むという意識がうかがえるが、「鴨脚」がイチャウの語源である証拠にはなるまい。
 なお銀杏の唐音の訛という説も、新村氏がù捍濉捍T鼠漫筆』の説(『疑問仮名遣』参照)を批評してるようにやはり困難であろう。
 ギンナンと比較して、ギンより新しい形と思えるインと、アンより古い形と思えるキャウが一語化したと考えねばならぬことへの疑問は、『塵芥』「銀杏インカウ」の存在で解消できようが、インキャウからイキャウへの変化、キを濁音化させることもなく、ンが脱落するとは考えがたい。『温故知新書』「銀杏キアン」というンが脱落した例は気になるが、この例は音の脱落ではなく文字の脱落である可能性もあり、「銀杏イキャウ」という生きた語があったという定かな証拠とはなるまい。
 また、新村氏も言うようにキャウからチャウへの変化が考えがたい。新村氏は、この変化はこの時代にはない、というが、それはキが口蓋化してもチにはならないことと関連しよう。
 もちろん、一葉が語源でないことは、開合混乱以前の資料にイチヤウとあることから明らかである。イチヤウの語源が「鴨脚」「銀杏」の唐音には求めがたいことを示したまでである。

 [三]

○洗衣セイエ(Y)
 「洗」は、広韻、上声薺韻、先礼切。漢音セイ、呉音サイと『磨光韻鏡』では記されている。『聚分韻略』の唐音では「洗シ」「衣(イ)」であり、エは呉音と考えられるが、『埃嚢鈔』巻二に、禅家名目皆以テ常ナラズ…洗濯ヲハ洗衣(セイヱ)ト云」とあるところから唐音と見なされて来たのであろう。
○居諸キシヨ(F)
 広韻、平声之韻、居之切。姫と同音。韻鏡八転三等。助字。詩経「日居月諸」(「諸」も助字)より、「居諸」で日月の意味。広韻、平声魚韻、九魚切、韻鏡十一転三等の字も唐音でキとなる(『聚分韻略』でもキ)が、この場合のキは唐音ではない、と見なすべきだろう。
○向秀シヤウジウ(F)
 広韻 去声漾韻、式亮切。餉と同音。中国近世語になってからの口蓋化ではなく、河野六郎氏のいう「第一口蓋音化」であり(注19)、呉音漢音ともにシヤウである。近世語の口蓋化が日本の唐音資料(中世・近世ともに)に表れない事はイチヤウの項でも示した。
○捺落ナラク(F)
 仏教語。音訳語の場合、入声韻尾がない形で読まれるのは常にあることで、これは唐音語には当らない。
○杜撰(O)
 大修館『新漢和辞典』、岩垂憲徳『漢字声音談』昭和18年、『大言海』、渡辺紳一郎『東洋語源物語』(昭和48年 旺文社文庫版)。
 撰には広韻で上声〓[犬爾]韻、士免切、述也定也持也、の他に、上声潸韻、雛〓[魚完]切、撰述、あり。韻鏡上の位置はともに二十四転合二等(『磨光韻鏡』では〓[犬爾]韻の字を二十三転三等に置く)。文雄『三音正譌』二十四転呉音に「撰エラフノ時ザンセン二音アリ」、など杜ヅとともに呉音で説明できる。鈴木修次氏『漢語と日本人』もこの「杜撰」を中国近世の俗語であることを記した上で、「呉音読みの「ずざん」、あるいは「ずさん」で国語の中に定着した」と記した。このように、語としては近世のものであっても、音が近世的でなければ「唐音語」とは呼べまい。
○荼毘(H)
 呉音。なぜこれを唐音語にあげたのか不明である。

  [四]

○急焼キビショウ(Y)
 N「急焼」の唐宋音「きゅうしゃ」の変化した語。林大『言泉』
 『広辞苑』、『三省堂大辞林』、『講談社日本語大辞典』。
 Y支那語キプショウ(急焼)を訛ったもの。
 村瀬栲亭『藝苑日渉』今人呼小茶瓶云急備焼。即急須也。須音蘇。国音呼急蘇。猶云急備焼。蓋唐音之転訛耳。
 橘守部『俗語考』かゝる字音は南京をナンキンと云類の唐音より、其音の異風に転ぜしなり。
 松井羅州『它山石』キフシユの音が転じてキビシヨとなりたるなり。
 大槻文彦「若干語の語原」国学院雑誌大正4年「福建の音キビシヨ」。
 唇内入声がまだ-pとして残っている段階の音から転訛したと考えるべきで、P入声がいまだハ行音で残っているのは唐音とは呼び難いのではないか。
○祥瑞ションズイ(YO)『大言海』『大日本国語辞典』
 「祥」は平声陽韻、似羊切。中世唐音ならシヤウ(『聚分韻略』(シヤウ))、近世唐音ならシヤン。しかし、これは多種多様な音が伝わった近世期のものであり、このような方音が伝わったことも考えられはする。今後の考証が必要である。
○法被ハッピ(YKI)
 唐音において時折「石灰シックイ」「竹篦シッペイ」「直歳シッスイ」「剔金ヂッキン」などのように、入声が三内のいずれであるかに関わらず促音の形で表れることがあるのは、「わが国での訛りであろう」(注20)ではなく、中国語に於て三内入声が合流して声門閉鎖になっていたためであろう(注21)。
 一方、小松英雄氏によると(注22)、「新来の宋音とは一応無関係に起こった、国語自体の音韻変化」として〈唇内入声韻尾の促音化〉がある。
 この「法被」などのように舌内入声以外の入声が促音になっている場合、それが中国近世音によるものなのか、〈国語自体の音韻変化〉なのかを見極めねばなるまい(注23)。
 「法被」の場合は『禅林象器箋』に見えることから、〈唐音によるもの〉と言ってよさそうだが、「洗衣」「杜撰」の項でも触れたように、禅宗の言葉でも中国近世音によらないものもあるし、また「唐音語」における「唐音」を「漢音呉音および古音の外になほ一種別なる音」と位置付ける場合には、漢音呉音で説明が可能であるゆえに、唐音語からははずさねばならない。
 さらに今で言う意味のこの「ハッピ」という語は新村出「法被を着て」全集十一巻によれば、半臂の転とするが、その他、浜田敦「促音と撥音」など、そうする説は多い。『禅林象器箋』に見える法被の語は、意味が別である。すると、今言うハッピを唐音語と認めるのはますます難しかろう。

  [五]

 以上、いくつかの「唐音語」について、その唐音ならざること(あるいは漢音呉音読みで説明可能なこと)を考証してきた。最初にも述べたように、「(唐音が)特定の語と結びついて入り、一字一字の漢字の読み方として定着しているわけではない」ので、転訛したものとの区別がつきにくい。しかし中国語と照らし合わせれば、ある種のものは〈唐音によるものではない〉と判断できるわけで、本稿の立場はそこにある。一方、呉音漢音で説明が可能なものは、本稿では唐音語からは除いた。これに対しては反対意見も予想されるが、中世に輸入した漢語をすべて唐音語と捉えるわけにもいかない。唐音の読みで説明できるものを唐音語と認定すればよいとなると、かつて挙げられてきた唐音語だけでは考察の対象として少なすぎるし、一般にいう唐音語とは大きく意味がずれることになろう。あくまでも「漢音呉音および古音の外になほ一種別なる音」という立場を守った所以である。


(注1)鈴木修次『漢語と日本人』(昭和53年みすず書房)には見える。
(注2)「唐音」自体は漢音呉音と同型であっても「唐音」であるが、「唐音語」と呼ばれるものは漢音呉音とは異なる音形を必要とするのが通念のようである。参考文献Fでは「呉音と同型の唐音が幾つかあるが、用例の年代の新しいものは唐音と認め」とする。
(注3)漢音呉音唐音である、というのは〈中国原音に基づく〉ということであり、慣用音である、というのは〈中国原音には基づかない〉ということである。高松政雄『日本漢字音の研究』(昭和57年風間書房)第六章(1)慣用音参照。
(注4)例えば、新井白蛾『闇のあけぼの』「世俗の悪き事は何にかぎらずヒヨンなことゝいふ。是は凶の字の唐音ヒヨンなるを和語に用ゐ来れり」など。
(注5)ハイを「灰」の字音と見たり、火を「輝」などの字音と関連づけたりする立場。
(注6)有坂秀世「唐音を弁ずる詞と韻目を暗誦する詞」『国語音韻史の研究』(昭和32年増補新版三省堂)もと「国語研究」昭和15年。湯沢質幸「唐音名目系統考」『馬淵和夫博士退官記念国語学論集』(昭和56年)。
(注7)浜田敦「促音と撥音」『国語史の諸問題』(昭和61年和泉書院)もと「人文研究」1-1・2昭和24年。
(注8)小川環樹「南朝四百八十寺の読み方-音韻同化assimilationの一例-」『中国語学研究』(昭和52年創文社)もと「中国語学」100号昭和35年。
(注9)高田時雄『敦煌資料による中国語史の研究-九・十世紀の河西方言-』(昭和63年創文社)149頁をも参照。
(注10)有坂秀世「諷経の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」『国語音韻史の研究』もと「言語研究」2昭和14年。浜田敦「音便-撥音便とウ音便との交錯-」『国語史の諸問題』(昭和61年和泉書院)もと「国語国文」23-3昭和29年。奥村三雄「喉内韻尾の国語化」「国語国文」19-3昭和25年。同「撥音ンの性格-表記と音価の問題-」国語学23昭和30年。同『聚分韻略の研究』(昭和48年風間書房)。文献U第二部第三章、もと「山形大学紀要(人文科学)」8-2昭和50年。迫野虔徳「中世的撥音」「国語国文」56-7昭和62年。など。
(注11)(注10)の奥村三雄「喉内韻尾の国語化」
(注12)吉沢義則『国語史概説』(昭和6年初版同年再版本では65頁、昭和21年初版22年2版本では184頁。
(注13)用例は、奥村三雄「韻尾国語化について」「説林」3-1昭和25年などによる。
(注14)藤堂明保「ki-とtsi-の混同は18世紀に始まる」『中国語学論集』(昭和62年汲古書院)もと「中国語学」94号昭和35年。他に、日下恒夫「中国近世北方音韻史の一問題-北京方言声類体系の成立-」「東京都立大学人文学報」91昭和48年。太田斎「尖団小論」「東京都立大学人文学報」140昭和55年など参照。
(注15)尾崎雄二郎「大英博物館本蒙古字韻札記」『中国音韻史研究』(昭和55年創文社)もと「人文」8集昭和37年。
(注16)有坂秀世「諷経の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」、「唐音に反映したチ・ツの音価」『国語音韻史の研究』。後者は「音声学協会会報」47昭和12年。
(注17)奥村三雄「古代の音韻」『講座国語史2音韻史・文字史』(昭和47年大修館)参照。
(注18)大槻文彦「国語語原考第五回」国学院雑誌26巻3号も同じ。
(注19)河野六郎「中国音韻史研究の一方向-第一口蓋音化に関連して-」『河野六郎著作集2』(昭和54年平凡社)もと「中国文化研究会会報」1-1昭和25年。
(注20)佐藤武義「中世文化と唐音」『漢字講座6中世の漢字とことば』(文献F参照)。
(注21)-p,-t,-kという閉鎖が古くのようにフ、ツ・チ、ク・キとは聞き得なく(日本語・中国語いずれに理由があるのかはともかく)なっていたため、という可能性もある。
(注22)小松英雄「日本字音における唇内入声韻尾の促音化と舌内入声音への合流過程-中世博士家訓点資料からの跡付け-国語学25号昭和31年。『日本の言語学』7などに再録。
(注23)いわゆる「慣用音」研究においてもこのことは考えにいれるべきかと思われる。日本での「百姓読み」と中国本土での〈諧声符による読み〉が、たまたま同じになることもあり得るからである。

参考文献
D藤堂明保『漢字の知恵-その生立ちと日本語-』昭和40年初版41年6刷による。
D2藤堂明保『漢語と日本語』昭和44年初版48年5版による。
F藤原浩史「唐音一覧」『漢字講座6中世の漢字とことば』昭和63年古本節用集中の唐音語を抜き出す。
H外間守善・佐川樟x『日本言語学要説』朝倉書店昭和59年のうち中本正智「語彙」。
I岩淵悦太郎『国語概説』学芸図書昭和23年初版31年9版による。
K『国語史辞典』「唐音(唐宋音)」の項(京極興一)昭和54年初版による。
M『時代別国語大辞典室町時代編』
N『日本国語大辞典』小学館縮刷初版による。
O大槻文彦「外来語原考」「学芸志林」14巻
Q中山久四郎「唐音考続編」「史学雑誌」29-11
Q2中山久四郎「唐音十八考」「東京文理科大学文科紀要」第三
Q3中山久四郎「唐音語の研究と其実例五則」『支那史籍上の日本史』雄山閣昭和4年初版11年再版本による。
S鈴木真喜男・長尾勇『新編国語要説』学芸図書昭和54年初版55年修正2刷による。
T東条操『国語学新講』筑摩書房昭和40年初版44年6刷による。
U湯沢質幸『唐音の研究』勉丈缯押
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发表于 2004-10-5 20:33:27 | 显示全部楼层
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发表于 2004-10-5 21:07:30 | 显示全部楼层
嗯,很不错的资料,只是很多汉字都是他们自己造的,在读音上很不好确定
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 楼主| 发表于 2004-10-6 22:34:11 | 显示全部楼层
无边落木朋友太厉害了,我看到现在才把他们看完,现在还没有消化呢,非常感谢啊。另外,我在想这个日本汉字与日本文化的关系大不大呢?如何能把2者联系起来呢?我看到您给我的资料里面,这个内容没有涉及到,不知道您是否还可以给我提供一些这方面的内容呢,那就太感谢了。
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发表于 2004-10-7 00:19:48 | 显示全部楼层
你要做什么啊?写论文?呵呵。。
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 楼主| 发表于 2004-10-7 14:58:08 | 显示全部楼层
呵呵,我想研究一下汉字与日本文化,不过这个内容是偏大了些。
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发表于 2004-10-7 17:24:03 | 显示全部楼层
你是说,研究中国的汉字与日本文化之间的关系吧?呵呵。。选题是比较大呢。
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发表于 2004-10-11 08:01:10 | 显示全部楼层
无边落木的资料很好啊!

受益匪浅...
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